1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安 | 失 | 本 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中日 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 1 | 1 |
巨人 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | X | 4 | 10 | 0 | 0 |
勝利投手:田中 将大(3勝4敗0S) (セーブ:マルティネス(3勝2敗46S)) 敗戦投手:マラー(4勝9敗0S) 本塁打 |

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◆巨人は初回、中山の適時二塁打などで3点を挙げ、先制に成功する。その後1点差とされて迎えた7回裏には、相手の暴投の間に1点を加えた。投げては、先発・田中将が6回4安打2失点の好投で日米通算200勝を達成。敗れた中日は、打線が終盤の好機を生かせなかった。
◆巨人田中将大投手(36)が日米通算200勝をかけて先発マウンドに上がる。登板前日は川崎市・ジャイアンツ球場で調整し「投げる試合に勝つために、自分のやるべきことをやる。そしたらそういう結果が後からついてくるというふうに僕は思っている」と話した。女房役は小林誠司捕手(36)が務める。スタメン発表時に名前がアナウンスされると、大歓声が起こった。
◆高卒2年目の福田幸之介投手(20)が初の出場選手登録をされた。履正社から23年ドラフト4位で入団した身長182センチの大型左腕。今季2軍では19試合投げ0勝1敗、防御率2・67。登板となれば9月23日2軍くふうハヤテ戦(ナゴヤ)で3回1安打無失点以来の実戦となる。試合前練習を終えた福田は「2軍でやってきたことを出せたら。追い込める機会があればどんどん三振を狙いにいけたらいいかなと思います。三振にこだわりたい」とプロ初登板の機会があれば三振を狙う。
◆巨人田中将大投手(36)が、王手をかける日米通算200勝達成に向け、中日戦の先発マウンドに上がった。6回まで85球を投げ、4安打4奪三振2失点で、勝利投手の権利を持って降板した。1回は、先頭の岡林にスライダーを中前に運ばれたが、細川を中飛、上林を二ゴロ、ボスラーを中飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。3点を先取した直後の2回は、先頭の福永を遊ゴロ、6番森駿太を中飛、7番石伊を空振り三振で3者凡退に抑えた。3回は、先頭の辻本を三直、マラーを空振り三振。2死から岡林に内野安打で出塁を許すと、細川に144キロの直球を右翼席へと運ばれた。上林に四球、ボスラ-に中前打で2死一、二塁とピンチを招くも、福永を空振り三振で抑えた。4回は、先頭の森駿太を一ゴロ、石伊を右飛、辻本を遊ゴロに打ち取り、3者凡退に抑えた。5回は、先頭のマラーを空振り三振、1番岡林に四球で1死一塁とされたが、2番細川を三ゴロ併殺打に打ち取った。6回は、先頭の上林を一ゴロ、ボスラ-を中飛、福永を三ゴロで3者凡退に抑えた。
◆中日は9月21日に続き巨人先発田中将の日米通算200勝を阻止できるか。前回は5回1/3、5安打、5失点で黒星を付けた。今季は3試合で1勝1敗、防御率3・52。巨人田中将に対し1番岡林勇希外野手(23)は9打数5安打の打率5割5分6厘、3番上林誠知外野手(30)は9打席で6打数5安打の打率8割3分3厘、1本塁打、3打点。2四球、1犠飛と得意にしている。
◆巨人打線が、日米通算200勝に王手をかけている田中将大投手(36)を援護した。初回、先頭の若林楽人外野手(27)が右前打で出塁すると、続くトレイ・キャベッジ外野手(28)も右前打を放ち、好機を演出した。1死一、三塁から岡本和真内野手(29)の右ゴロの間に三塁走者が本塁に生還。幸先よく先制した。打線の勢いは止まらない。なおも2死一、三塁から中山礼都内野手(23)の適時打で2点を追加。初回に一挙3点を奪い、田中将の偉業達成に追い風を吹かせた。田中将は1回、先頭の岡林にスライダーを中前に運ばれたが、細川を中飛、上林を二ゴロ、ボスラーを中飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。2回も3者凡退に抑え、好スタートを切った。
◆巨人泉口友汰内野手(26)が3回表の守備からベンチに下がった。「3番遊撃」でスタメン出場していた。1回無死一、三塁の第1打席では2球目に自打球を右脚に当て、その後の4球目を左飛としていた。試合開始前時点で打率はリーグ2位の2割9分9厘。3割0分6厘で1位の小園を追い、わずかながら首位打者の可能性も残していた。浦田俊輔内野手(23)が交代で出場した。
◆中日細川成也外野手(27)が3回に20号2ランを放ち3年連続20発を達成した。「2番・左翼」で出場し3点を追う3回2死一塁、1ボールから巨人先発田中将の外角高め144キロ直球を逆らわず右中間スタンドへ運んだ。「何とか入ってくれてよかった。引き続き(先発の)マラーを援護できるように頑張ります」とコメントした。22年オフに現役ドラフトで中日に移籍。23年24本→24年23本→25年20本と3年連続20発以上を記録。中日では05年~08年まで4年連続のウッズ以来。日本人では03年~06年まで4年連続の福留以来。
◆日米通算200勝に王手をかける巨人田中将大投手(36)が、中日細川に20号2ランを浴びた。3点リードの3回2死一塁から144キロの直球を右翼席に運ばれた。なおも2死一、二塁とピンチは続いたが福永を空振り三振に抑え、追加点は許さなかった。初回に3点の援護をもらっていたが、1点差まで迫られ、田中将はマウンド上で険しい表情を浮かべた。1回は先頭の岡林にスライダーを中前に運ばれたが、細川を中飛、上林を二ゴロ、ボスラーを中飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。打線が3点を先取した直後の2回は3者凡退に抑えていた。
◆日米通算200勝まで"あとひとつ"に迫った巨人先発の田中将大投手(36)に大注目が集まる中で「すしレース」はアナゴが鮮やかな連勝を収めた。5貫が横一線でスタート。マグロがやや出遅れ、タマゴが米粒差でリード。中盤までの大混戦から抜け出したのは前走で通算20勝を決めているアナゴ。最後は後続に2貫差をつけてゴールに飛び込んだ。2着エビ、3着コハダ、4着タマゴ、5着マグロの順で入線。通算成績はアナゴが21勝。マグロ15勝、エビ13勝(白エビ1勝を含む)、タマゴ13勝、コハダ8勝となっている。すしレース 3回終了時にイニング間イベントとして、米国の「ホットドッグレース」のような「すしレース」を開催している。ファン参加型のアクティベーションで出場者は「江戸前スーシーズ」に扮(ふん)して競走する。メンバーはマグロ、コハダ、タマゴ、エビ、アナゴの計5体。参加対象は公式ファンクラブ「CLUB GIANTS KIDS MEMBER」で当日の開場から1回裏終了まで応募受け付けし、東京ドーム内ファンクラブブースで抽選によって決定する。
◆日米通算200勝に王手をかける巨人田中将大投手(36)が、中日細川に20号2ランを浴びた。3点リードの3回2死一塁から144キロの直球を右翼席に運ばれた。なおも2死一、二塁とピンチは続いたが福永を空振り三振に抑え、追加点は許さなかった。初回に3点の援護をもらっていたが1点差に迫られ、マウンド上で険しい表情を浮かべた。BS日テレで解説した元巨人の村田真一氏(61)は「外のストレートがシュート回転して中に入りましたけどね。甘いんですけど、あの球をあそこに打った細川君がすごいですよね」と解説。前中日監督の立浪和義氏(56)は「初球から振りにいった中で、1球ファウルしたので、目付がセンターから気持ちはライトにあったと思うんですよね。そこにアウトコース少し甘めがきましたから。一番細川選手がボールを飛ばすコースですよね」と語った。「(20号に)今年は故障があったんで1カ月少し離脱はあったんですけど、立派な数字ですよね。ゲームもこれで分からなくなりましたね」と評した。
◆日米通算200勝に王手をかけている巨人田中将大投手(36)が5回まで4安打2失点の好投で、勝利投手の権利を得た。3回2死一塁から細川に20号2ランを浴びたが、中日打線を相手に粘りの投球を続けた。このまま白星を挙げれば、日米通算200勝の大記録達成となる。打線も、田中将を援護した。初回1死一、三塁から岡本和真内野手(29)の右ゴロの間に三塁走者が生還。なおも2死一、三塁から中山礼都内野手(23)の適時打で2点を追加し、初回に一挙3得点を挙げた。大記録まで"あとひとつ"としてから3試合足踏みが続いていた。「投げる試合に勝つために、自分のやるべきことをやる。そしたら、結果が後からついてくる」と意気込み、本拠地のマウンドに上がっていた。今季ここまでの田中将の1軍登板4月3日、中日戦=5回5安打1失点○(198勝目)4月17日、DeNA戦=2回7安打6失点●5月1日、広島戦=3回8安打3失点8月7日、ヤクルト戦=5回2/3 3安打2失点8月13日、中日戦=5回7安打3失点8月21日、ヤクルト戦=5回3安打1失点○(199勝目)8月28日、広島戦=2回6安打5失点●9月15日、DeNA戦=6回5安打2失点●9月21日、中日戦=5回1/3 5安打5失点●200勝メモ 日本で200勝は08年山本昌(中日)まで24人が達成。日米通算で記録した日本人選手は05年野茂(デビルレイズ)16年黒田(広島)24年ダルビッシュ(パドレス)の3人。日米199勝の田中将があと1勝と迫っており、田中将の下には石川(ヤクルト)が188勝、岸(楽天)が169勝、涌井(中日)が166勝と続く。
◆200勝の権利を手にしたダブルプレーで3アウト田中将大が5回を投げ切った?プロ野球 (2025/9/30)??巨人×中日??Live on DAZN#オレをみろ #ジャイアンツ #だったらDAZN pic.twitter.com/q7tmAnGOLm
◆あと3イニング田中将大が日米通算200勝へ力投あとはリリーフ陣に託す回数:6球数:85安打:4四球:2失点:2?プロ野球 (2025/9/30)??巨人×中日??Live on DAZN#オレをみろ #ジャイアンツ #だったらDAZN pic.twitter.com/d9ld7tGZ3T
◆巨人が間一髪の攻防で、貴重な追加点をつかめなかった。日米通算200勝へ王手をかけて先発した田中将大投手(36)が5回まで2失点で勝利投手の権利を手にした5回裏の攻撃。先頭のトレイ・キャベッジ外野手(28)の右前打、浦田俊輔内野手(23)の犠打、岡本和真内野手(29)の左前打で一死一、三塁とした。中日はここで継投に入り、2番手はマルテ。打席には5番リチャード内野手(26)が入った。初球、136キロのスライダーがワンバウンドして石伊捕手が後逸。代走に入っていたオコエ瑠偉外野手(28)が本塁へ滑り込んだが、石伊からマルテにボールがわたり、間一髪でアウトとなった。阿部慎之助監督(46)がリプレー検証を求め、リプレーが大型ビジョンに流れる度「セーフ!」の声もスタンドから飛んだが、判定は変わらずにアウト。追加点とはならなかった。
◆「東京2025デフリンピック」卓球女子日本代表の亀沢理穂(34)が、セレモニアルピッチを行った。聴覚障害のある人たちのスポーツの祭典「デフリンピック」100周年の節目の年に日本で初開催されることにちなみ、背番号100のユニホームで登場。ワンバウンド投球となったが、力強い1球を投げ込んだ。「緊張はしたんですけど、たくさんの人たちの前でデフリンピックを知ってもらえる機会だったので、とても良い思い出になりました」と振り返った。これまでデフリンピックに4大会連続で出場し、銀3個、銅5個の計8つのメダルを獲得。デフ卓球をけん引する亀沢は「5回目のデフリンピックで、忘れ物である金メダルを取りたい」と笑顔を見せた。
◆巨人田中瑛斗投手(26)が粋な演出で沸かせた。7回2死二塁で3番手で登板すると、入場曲は通常のマイケル・ジャクソン「Beat It」ではなく、ビーグルクルー「My HERO」。今季限りで引退する中日中田翔内野手(36)の登場曲だった。日本ハム時代の大先輩への思いを乗せた選曲。日米通算200勝へ王手をかけて先発した田中将大投手(36)が6回2失点で勝利投手の権利を手にした後のマウンドだったが、鵜飼を空振り三振の仕留めてピンチの芽をつみ、雄たけびを上げた。
◆日米通算200勝に王手をかける巨人田中将大投手(36)が6回2失点で勝ち投手の権利を得た。6回裏の攻撃では代打にルーキー石塚裕惺内野手が送られた。1点リードの6回を3者凡退に抑え、ベンチに引き揚げると、阿部慎之助監督と笑顔でグータッチを交わした。この様子にX(旧ツイッター)上は沸き返り、「田中将大、グータッチのあといい笑顔してるなぁ。この笑顔には幸運がついてくるよ、きっと200勝達成だぁ!」「田中将大6回三者凡退ナイスピッチングです」と称賛の声が相次いだ。
◆巨人岡本和真内野手(29)が好機に死球を受けた。1点リードの7回裏2死三塁。日米通算200勝へ王手をかけて先発した田中将大投手(36)が6回2失点で勝利投手の権利を手にした後、貴重な追加点の機会だった。中日梅野の2ボールからの3球目は大きく内角に外れ、体をそらしてよけた岡本の背中付近を直撃した。この日を含めて、直近4試合で3個目の死球。26日DeNA戦では死球後に相手投手をにらみつける怒りの表情をみせた。この日も一塁へ歩きながら梅野へ鋭い視線を送ったが、数歩進んだところでうなずきながら笑顔に。梅野は帽子を取って謝った。
◆中日のドラフト4位石伊雄太捕手(25)が7回の守備で投球を右手に直撃させ途中交代した。1点ビハインドの7回2死一、三塁で梅野雄吾投手(26)のフォークが本塁手前でワンバウンド、体で止めようとし、ミットに添えた右手にボールが直撃した。記録は梅野の暴投で三塁走者が生還し痛い追加点となった。一度守りについたがタイムを要求し、そのままベンチに戻り治療。味谷大誠捕手(22)と交代した。石伊は6月からスタメンマスクを増やしこの日が85試合目の出場。今季は明日10月1日が今季最終戦だが、来季の正捕手として期待も大きいだけに、今後の状態が心配される。
◆巨人が中日に勝利し、田中将大投手(36)が史上4人目の日米通算200勝を達成した。6回まで85球を投げ、4安打4奪三振2失点。7回の打席で代打が送られ、1点リードを守り、勝利投手の権利を得て降板。阿部慎之助監督(46)と笑顔でグータッチを交わし、本拠地東京ドームは大歓声が沸き起こった。田中将は「みんなに助けられながら、なんとかリードした状態でマウンドを降りることができてよかったです」と振り返った。1回は先頭の岡林にスライダーを中前に運ばれたが、細川を中飛、上林を二ゴロ、ボスラーを中飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。3点を先取した直後の2回は3者凡退。3回2死一塁から細川に20号2ランを浴びたが、中日打線を相手に粘りの投球を続けた。打線も、田中将に追い風を吹かせた。初回1死一、三塁から岡本和真内野手(29)の右ゴロの間に三塁走者が生還。なおも2死一、三塁から中山礼都内野手(23)の適時打で2点を追加し、初回に一挙3得点を挙げた。1点リードの7回、2番手の中川皓太投手(31)が2死二塁のピンチを招くも、代わってマウンドに上がった田中瑛斗投手(26)が鵜飼を空振り三振に抑え、ピンチを切り抜けた。その裏の攻撃、2死一、三塁から暴投で1点を追加。中日を突き離し、8回に大勢投手(26)がマウンドへ。8回2死一、二塁のピンチを招くと、守護神ライデル・マルティネス投手(28)を投入する必勝継投で逃げ切った。田中将大(たなか・まさひろ)1988年(昭63)11月1日、兵庫県生まれ。小学6年の時、昆陽里(こやのさと)タイガースで坂本勇人(現巨人)とバッテリー(田中将が捕手)。駒大苫小牧2年夏に甲子園優勝。3年夏は斎藤(早実)と投げ合い決勝再試合の末、準優勝。06年高校生ドラフト1巡目で楽天入団。07年新人王。13年はプロ野球新記録の開幕24連勝をマークし、楽天を初の日本一に導いた。同年オフにポスティングシステムでヤンキース移籍。14~19年に日本人大リーガー最長の6年連続2桁勝利。21年楽天復帰。昨年オフに契約交渉がまとまらず、自由契約となり巨人移籍。188センチ、97キロ。右投げ右打ち。夫人はタレントの里田まい。今季の田中将の1軍登板4月3日、中日戦=5回5安打1失点○(198勝目)4月17日、DeNA戦=2回7安打6失点●5月1日、広島戦=3回8安打3失点8月7日、ヤクルト戦=5回2/3 3安打2失点8月13日、中日戦=5回7安打3失点8月21日、ヤクルト戦=5回3安打1失点○(199勝目)8月28日、広島戦=2回6安打5失点●9月15日、DeNA戦=6回5安打2失点●9月21日、中日戦=5回1/3 5安打5失点●9月30日、中日戦=6回4安打2失点○(200勝目)200勝メモ 日本で200勝は08年山本昌(中日)まで24人が達成。日米通算で記録した日本人選手は05年野茂(デビルレイズ)16年黒田(広島)24年ダルビッシュ(パドレス)の3人。日米199勝の田中将があと1勝と迫っており、田中将の下には石川(ヤクルト)が188勝、岸(楽天)が169勝、涌井(中日)が166勝と続く。巨人ニュース一覧
◆中日が巨人先発田中将大の日米通算200勝の白星を献上した。前回21日は5安打5失点で黒星をつけたが、2戦続けて阻止することはできなかった。日米200勝まで残り3勝で今季を巨人でスタートした田中将に2勝を挙げられた。先発のカイル・マラー投手(27)が初回に早々と3失点し5回持たず9敗目となった。打線は3回2死一塁、田中将から細川成也外野手(27)が右中間へ3年連続20発以上となる20号2ランを放ち1点差に迫るが、田中将には6回2失点に抑えられた。7回2死一、三塁で梅野雄吾投手(26)のフォークが暴投となり4点目の追加点を許した際、投球を体で止めようとした石伊雄太捕手(25)の右手に直撃し、途中交代となった。2点を追う8回2死一、二塁から登板した巨人マルティネスに46セーブ目を挙げられ、松山晋也投手(25)に並ぶセ・リーグトップタイ、セのシーズン最多タイ記録となった。
◆巨人田中将大投手(36)が幼なじみの坂本勇人内野手(36)について言及した。田中将と坂本は小学校時代に兵庫県伊丹市の「昆陽里タイガース」でチームメートだった。坂本は20年に通算2000本安打を達成。この日、田中将が日米通算200勝を達成したことによって、2人そろって名球会入りを果たした。「まさか少年野球一緒にやってたチームメートがお互いにドラ1でプロに入って、これだけまだ現役でいてキャリアでいろんな数字を積み重ねることができている。すごいなあと思います」としみじみと語った。田中将大(たなか・まさひろ)1988年(昭63)11月1日、兵庫県生まれ。小学6年の時、昆陽里(こやのさと)タイガースで坂本勇人(現巨人)とバッテリー(田中将が捕手)。駒大苫小牧2年夏に甲子園優勝。3年夏は斎藤(早実)と投げ合い決勝再試合の末、準優勝。06年高校生ドラフト1巡目で楽天入団。07年新人王。13年はプロ野球新記録の開幕24連勝をマークし、楽天を初の日本一に導いた。同年オフにポスティングシステムでヤンキース移籍。14~19年に日本人大リーガー最長の6年連続2桁勝利。21年楽天復帰。昨年オフに契約交渉がまとまらず、自由契約となり巨人移籍。188センチ、97キロ。右投げ右打ち。夫人はタレントの里田まい。
◆巨人田中将大投手(36)が"第2の故郷"に思いをはせた。高校時代は駒大苫小牧(北海道)でプレー。北の大地での高校生活は「練習がたくさんあったからという意味で、2度と戻りたくない3年間」とおどけつつも「北海道大好きです。当時たくさん応援してくださったというのは、やっぱり非常に感謝しかないです」と話した。プロ入り後も北海道のファンの前で投げることを心待ちにしていた。ルーキーイヤーの07年9月26日。札幌ドーム初登板となった田中将は、ダルビッシュと投げ合って8回まで無失点に抑えるも、最終9回に2点を失ってサヨナラ負けを喫した。この登板にはこんな裏話が。「登板前日くらいまで、急に熱を出していた。でも絶対投げたいから球団には言わなかったんですよ。絶対投げたいと楽しみにしていた北海道での登板だったので。すごく高熱出したけど、言わずにやったのを覚えてますね。(登板)当日は(熱は)下がってましたけど」と秘話を明かした。記念すべき札幌ドーム初勝利は翌08年5月4日だった。8回1/3を投げて6安打1失点。田中将が今も鮮明に覚えているのは、試合後のヒーローインタビューでのこと。「札幌ドームはビジターで勝っても場内にヒーローインタビューが流れなかったんですけど、僕の時流してくれたんですよ。めちゃくちゃうれしかったですよそれ。北海道の方々の声援は本当にうれしいですね、何年経っても。あたたかい声をかけてくれるので」と感謝した。田中将大(たなか・まさひろ)1988年(昭63)11月1日、兵庫県生まれ。小学6年の時、昆陽里(こやのさと)タイガースで坂本勇人(現巨人)とバッテリー(田中将が捕手)。駒大苫小牧2年夏に甲子園優勝。3年夏は斎藤(早実)と投げ合い決勝再試合の末、準優勝。06年高校生ドラフト1巡目で楽天入団。07年新人王。13年はプロ野球新記録の開幕24連勝をマークし、楽天を初の日本一に導いた。同年オフにポスティングシステムでヤンキース移籍。14~19年に日本人大リーガー最長の6年連続2桁勝利。21年楽天復帰。昨年オフに契約交渉がまとまらず、自由契約となり巨人移籍。188センチ、97キロ。右投げ右打ち。夫人はタレントの里田まい。
◆巨人田中将大投手(36)がプロデビュー戦を回想した。日米通算432試合に登板して200勝118敗。数々の金字塔を打ち立ててきた右腕のプロ初登板は、07年3月29日だった。ソフトバンク戦(ヤフードーム=現みずほペイペイドーム)に先発し、2回途中6安打6失点で降板。プロの洗礼を浴びた試合を「黒星はつかなかったんですけど、その登板は大きかったです。なんかもう簡単に打たれましたね。盗塁もめちゃくちゃされた」と振り返った。苦い経験を糧にした。次の登板までにセットポジションなどを改善。徐々に手応えをつかんでいく中で、リベンジの機会はすぐに訪れた。同年4月18日。再びソフトバンク戦(フルキャスト宮城)に先発し、9回2失点で完投勝利を飾った。プロ4試合目で待望のプロ初勝利をマークし「初勝利をそのホークスから勝てたのはすごいうれしかったです」。伝説の1歩目は今も強く心に残っている。田中将大(たなか・まさひろ)1988年(昭63)11月1日、兵庫県生まれ。小学6年の時、昆陽里(こやのさと)タイガースで坂本勇人(現巨人)とバッテリー(田中将が捕手)。駒大苫小牧2年夏に甲子園優勝。3年夏は斎藤(早実)と投げ合い決勝再試合の末、準優勝。06年高校生ドラフト1巡目で楽天入団。07年新人王。13年はプロ野球新記録の開幕24連勝をマークし、楽天を初の日本一に導いた。同年オフにポスティングシステムでヤンキース移籍。14~19年に日本人大リーガー最長の6年連続2桁勝利。21年楽天復帰。昨年オフに契約交渉がまとまらず、自由契約となり巨人移籍。188センチ、97キロ。右投げ右打ち。夫人はタレントの里田まい。
◆巨人が中日に勝利し、田中将大投手(36)が史上4人目の日米通算200勝を達成した。6回まで85球を投げ、4安打4奪三振2失点。7回の打席で代打が送られ、1点リードを守り、勝利投手の権利を得て降板。阿部慎之助監督(46)と笑顔でグータッチを交わし、本拠地東京ドームは大歓声が沸き起こった。田中将は「みんなに助けられながら、なんとかリードした状態でマウンドを降りることができてよかったです」と振り返った。12月の米ハワイでの優勝旅行中だった。阿部監督はゴルフ場のベンチに腰をかけた。「マー君、あるかもよ。(菅野)智之が抜けて若手を引っ張れるリーダーがいない。うちの投手陣が若い選手が多いから、ちょうどその世代の選手が必要かなと」。獲得に乗り出すことを明言しなかったが、今振り返ればすでに腹は決まっていただろう。24年は楽天で1軍1試合の登板にとどまり、未勝利に終わっていた。大幅減俸どころか、年俸は1億円を割り込むことも予想できた。「もしもとりにいくなら」と前置きした上で「しっかりした金額を提示する。相手に失礼がないように」とも言った。08年北京五輪、09年WBCはともに日の丸を背負い戦った。性格も実力も分かっていた。一方で「このままじゃ厳しいんじゃないか。もう1回、自分の投球を再構築できるか。聞く耳があれば、チャンスはあると思う」とも言った。菅野を復活させた久保コーチに"マー改造"を託すプランもイメージしていた。チーム編成は最終的には吉村編成本部長の判断になるが、現場サイドの意向として田中将獲得には前向きだった推測できる。楽天退団から年越しを待たずに電撃的に巨人移籍が決まった。日米通算200勝まであと3勝での新天地での挑戦。9月30日中日戦でマークした節目の大きな1勝は新しい仲間も待望していた1勝だった。
◆巨人ライデル・マルティネス投手(28)が今季初めて回またぎの投球をみせ、偉業を支えた。2点リードの8回2死一、二塁で5番手でマウンドへ。代打の中日板山をカウント1-2から1ゴロに仕留めて危機を救った。今季中日から加入した新守護神は、9回もしっかりと3人で抑えて試合を締めた。日米通算200勝をかけた田中将大投手(36)が6回2失点で勝利投手の権利を持ってマウンドを降りていた。7回は中川皓太投手(31)、田中瑛斗投手(26)、8回からは大勢投手(26)がつないでいた。大勢は安打と四球で無死一、二塁の場面を背負ってから2者連続三振としていたが、阿部慎之助監督(46)は2死とした場面で、マルティネスの起用に踏み切った。200勝への"マー君シフト"とも言える継投策で、偉業への道筋を引いた。
◆巨人田中将大投手(36)が、幼なじみの坂本勇人内野手(36)から記念の花束を受け取った。6回2失点と好投し、日米通算200勝を達成。大歓声の中、試合後は一塁側ベンチから坂本が花束を持って登場。田中将は笑顔で受け取った。ヒーローインタビューに立つと「本当にうれしいです。ここまで本当に長い時間かかりましたし、ジャイアンツに入団してから早く本拠地で勝ちたい、ヒーローになりたいと思ってました。今日こうして勝ててうれしいです」と感謝した。記念のウイニングボールは「家に置いておきます」と笑った。田中将と坂本は小学校時代に兵庫県伊丹市の「昆陽里タイガース」でチームメートだった。坂本は20年に通算2000本安打を達成。この日、田中将が日米通算200勝を達成したことによって、2人そろって名球会入りを果たした。
◆巨人が中日に勝利し、田中将大投手(36)が史上4人目の日米通算200勝を達成した。6回まで85球を投げ、4安打4奪三振2失点。7回の打席で代打が送られ、1点リードを守り、勝利投手の権利を得て降板。阿部慎之助監督(46)と笑顔でグータッチを交わし、本拠地東京ドームは大歓声が沸き起こった。田中将は「みんなに助けられながら、なんとかリードした状態でマウンドを降りることができてよかったです」と振り返った。田中が名伯楽との出会いに改めて感謝した。昨オフに巨人入団。2月の宮崎キャンプでは、久保康生巡回投手コーチ(67)と二人三脚で体を縦回転に使う"縦振り"のフォーム改造に着手した。「あれだけいろいろはっきり言ってもらって。冷たいとかそういうわけではなくて、愛情持って接してくれる、それはもうやっぱり言われる方も分かるというか。春のキャンプ初日からずっと付きっきりでやっていただいて、もう本当に感謝しかないですね」と語った。シーズン中もずっと気にかけてくれていた。2軍調整が続いていた7月のこと。久保コーチから「このままじゃダメだよ。本当に変わらなきゃ同じようなままになるぞ」と言われたという。その言葉に田中将自身もハッとした。「そこからまた、久保さんの言う形にどうやったら持っていけるのかというのを考えて。試行錯誤を繰り返していく中で、ようやく手応えを感じられるようになってきたかなというふうに自分の中で思っている」。200勝達成に久保コーチの存在は欠かせなかった。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が9月30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。大台まで"あとひとつ"としてから4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。近年は故障にも苦しみ、21年の日本球界復帰後は5年間で通算23勝。プロ19年目の今季も4月3日の中日戦(バンテリンドーム)で移籍後初登板&初勝利を飾ったが、3カ月以上の2軍暮らしも経験した。苦しみながらチーム142試合目で大偉業を達成した。田中将が今季3勝目を挙げ、日米通算200勝を達成した。2度在籍した楽天時代に計119勝をマークし、ヤンキースでは78勝を挙げた。日本球界だけで200勝した投手は24人おり、日米通算での到達は05年野茂(デビルレイズ)、16年黒田(広島)、24年ダルビッシュ(パドレス)に次いで4人目。プロ初勝利は07年4月18日ソフトバンク戦(フルスタ宮城)。田中将は楽天時代の08、09、13年にリリーフが各1試合あり、いずれもセーブを記録。大リーグでは19年にリリーフ1試合が黒星となっており、200勝は全て先発でマークした。日米通算を含めた通算200勝以上28人の中で、200勝達成時にオール先発勝利はダルビッシュに次ぎ2人目。日米通算200勝の野茂、黒田、ダルビッシュと到達時の成績を比べると、432試合はダルビッシュの442試合を上回る最速ペース。到達時の敗戦数は4人の中で最少となり、通算勝率6割2分9厘はダルビッシュの6割1分7厘を上回る最高。36歳10カ月は野茂の36歳9カ月に次ぐ年少2位。田中将は09~19年までに日米通算11年連続2桁勝利と安定して勝った。ちなみにNPBで2桁勝利を11年以上続けたのは、米田哲也の19年連続を筆頭に10人しかいない。13年には24勝を稼ぎ、00年以降では他に03年井川(阪神=20勝)と斉藤(ダイエー=20勝)、08年岩隈(楽天=21勝)しかいない20勝投手になったのも大きかった。
◆巨人坂本勇人内野手(36)が盟友の金字塔を祝福した。日米通算200勝を挙げた田中将に花束を贈呈。ヒーローインタビューを一塁側ベンチから見つめ「もう本当におめでとうしかないと思いますし、アメリカにも行って、ヤンキースという球団でも長くやってたんで、僕らにはわからない苦労だったりそういうのもしてきたと思う」と偉業を見届けた。田中将とは少年時代に兵庫県伊丹市の昆陽里タイガースでチームメートだった。「体は小学生の時からすごい大きい方でしたね。走るのは遅かったです。僕の方が速かったです(笑い)」と、野球を始めた小学校1年生で出会ってから切磋琢磨(せっさたくま)してきた。当時の田中将を「プロレスとか好きなイメージです。プロレスの技の練習とかしてたイメージ」と秘話も明かした。坂本は20年に通算2000安打を達成。この日、田中将も名球会入会資格の200勝を挙げ、2人そろってレジェンドの域に達した。中学以降は別々の道を歩んできたが、昨オフ楽天を電撃退団し巨人入り。大きな節目は、またチームメートとして迎えた。新天地でも苦しむ姿を間近で見てきただけに「思うように結果が出なかったり、思うようなボールが投げられなかったとか、苦労するという姿を見てるので。実績があるスーパーピッチャーでも、これだけ苦労してマウンドに立ってるんだなというのは本当に尊敬します」と本音で言った。小学校の校庭で競い合った日々は昨日のことのように鮮明に覚えている。「飛距離はやっぱり将大の方が飛んでたんで。校舎に向かって打つんですけど、窓ガラスめがけて『行けー!』って打ってましたよ。2人とも」と回想した。田中将がどうしてもほしかった3勝は坂本と同じユニホームでつかんだ。2人の"キセキ"のような物語は、まだ続く。【為田聡史】
◆巨人田中将大投手(36)が星野仙一さんへの感謝の思いを口にした。選手と監督の間柄で、楽天時代の11年から13年までの3シーズンともにプレー。「なかなか結果が思うように出ていない時に『お前のボールがあったら、もっと勝っとる』という話をしていただいた」と当時を振り返った。「その次の年に24勝したのかな。すごい印象的でした」と前人未到のシーズン24連勝達成の裏には、星野さんの献身的なサポートも欠かせなかった。星野さんは生前、気迫を前面に出すプレースタイルから「燃える男」の愛称でも親しまれた。だが、監督時代は選手ファースト。田中将は「とにかく星野さんには『コンディションをしっかり整えろ』『コンディション大丈夫か?』『コンディション、コンディション』と本当に気にかけていただいた。裏でそういうふうにすごく気を使っていただいて、僕としてはやりやすかったですね」と話した。
◆巨人が中日に勝利し、田中将大投手(36)が史上4人目の日米通算200勝を達成した。6回まで85球を投げ、4安打4奪三振2失点。救援陣がリードを守り抜き、偉業を達成した。「みんなに助けられながら、なんとかリードした状態でマウンドを降りることができてよかったです」と感謝した。200勝を積み上げた歴史を、マー君の言葉で振り返ります。★04年9月17日【本紙初登場】北海道秋季地区予選室蘭地区Bブロック2回戦。当時高校1年の田中将が高校公式戦初登板。1点リードの9回裏1死一、二塁から登板して無失点。「多少ドキドキしたけど、心の準備はできていた。打たれるわけにはいかないと思った」05年8月20日【2年生で胴上げ投手】夏の甲子園大会決勝京都外大西戦。5回途中からマウンドに上がると、好リリーフで駒大苫小牧の夏の甲子園2連覇に大きく貢献。当時自己最速の150キロもマークし「いろいろな経験ができて、全国優勝。次につながる経験ができました」★06年8月21日【決勝再試合】夏の甲子園大会決勝再試合早実戦。前日の延長15回の死闘から一夜明け、37年ぶりとなる引き分け再試合は1回途中から登板するも7回1/3を4安打4奪三振3失点。3-4で敗れ、夏の甲子園3連覇ならず。「相手の方が一枚上でした」★06年8月27日【"マー君"誕生】全日本高校選抜合宿3日目斎藤佑樹(早実)が「(駒大)苫小牧の本間くんがそう呼んでいて。マネしてみました」とマー君と呼んでいることを明かした。田中将も「小さいころ、近所の人たちに呼ばれていたので、違和感ありません」★06年9月25日【今までにないくらいドキドキ】06年高校生ドラフト。横浜(現DeNA)、楽天、オリックス、日本ハムの4球団競合の末、楽天が交渉権を獲得。「今までにないくらいドキドキしました。今までと同じように挑戦する気持ちを忘れず、これからもずっとやっていきます」★06年12月16日【楽天入団会見】「いずれは日本球界を代表する投手になりたい」★07年2月8日【肝っ玉ルーキーノムさんに反抗!?】プロ1年目の春季久米島キャンプ。田中将が前日7日の休日にミニゴルフを満喫。野村監督は「(田中が)昨日ゴルフやったって言うから、しかってやったよ。何のための休日だって。休むときは、しっかり休め!」とお説教。報道陣が田中将に"初カミナリ"の感想を聞くと「一日中ホテルの部屋にいる方が、逆に疲れますよ。(施設には)次の休みの前日の夜に行きます。で、次の日は遊びます。たぶん、ゴルフやります。積極的休養日ですよ」とキッパリ。さらに「今度のゴルフは、記者さんもみんなペンもカメラも置いて、みんなで楽しみましょう!」と肝っ玉ルーキーぶりを披露した。★07年3月29日【プロデビュー戦】公式戦デビュー戦は敵地ソフトバンク戦(ヤフードーム)。野村監督は試合前に期待大。「最初は2軍で投げさせた方がいいと言う人が多いんだけど、ヤツは甲子園で誰にもまねできない経験をしている。だから2軍で経験を積む必要がない」。結果は2回途中6安打6失点でほろ苦デビュー。田中将は「調子自体は悪くありませんでした。ランナーをためてしまったこと、自分のペースをつかめなかったことが、今日の反省です」★07年4月18日【プロ初勝利】ソフトバンク戦(フルキャスト宮城)に先発。9回140球を投げて2失点13奪三振で完投勝利&プロ初勝利。高卒新人での13奪三振&4月中の完投勝利は松坂大輔氏以来。「自信につながります。プロで勝つのは本当に難しいので、4試合目に勝てたのは早いと思います」★07年8月3日(フルキャスト宮城)【神の子マー君 プロ9勝目】ソフトバンク戦に先発し、4回までに5失点。序盤0-5と劣勢もチームは逆転勝ち。6回10奪三振で、当時の球団最多タイとなる9勝目を挙げた。野村監督もマー君の神懸かり的な力に驚くしかなかった。「マー君、神の子、不思議な子。何点取られるか投げ続けさせたら、天から神が降りてきた。不思議の国のマー君。先祖代々、何かあるんだろうな。そういう星の下に生まれている」★11年4月29日【東北ファンへ魂の完投 プロ48勝目】オリックス戦(Kスタ宮城)に先発。東日本大震災の影響でシーズン初の本拠地での開催となった一戦、超満員の前で138球1失点完投勝利。9回にあと1球で「マサヒロコール」が起き「投げ切ると終わってしまうのがもったいないと思いました。じーんときましたね。これほど声援が力になった試合はない。ファンに感謝したいです。野球人として幸せを感じます」★13年9月26日【悲願のリーグ優勝】西武戦(西武ドーム)で1点リードの9回に登板。試合を締め、球団初のリーグ優勝。「引いたら負けだと思っていました。だから真っすぐを続けました。東北への思いもありました。シーズンが始まる前は、誰も優勝なんて思っていなかったと思う。いい意味で期待を裏切れてうれしいです」★13年10月8日【シーズン24連勝! プロ99勝目】オリックス戦(Kスタ宮城)に7回4安打2失点で勝利。シーズン24連勝で締め「いつもシーズン前に、今年は全部勝つという気持ちでやっています」★13年11月3日【球団初の日本一】巨人との日本シリーズ第7戦(Kスタ宮城)。160球を投げた翌日に志願のブルペン待機。9回を締め球団初の日本一。「昨日は情けない投球だったので、今日出番がもらえるならいつでも行くぞと。意気に感じて、この舞台を用意してくださったチームのみんな、ファンの方々に感謝しながらマウンドに上がりました」★14年2月11日【名門の仲間入り】ヤンキース入団会見。「HELLO! MY NAME IS MASAHIRO TANAKA I'M VERY HAPPY TO BE YANKEES(こんにちは! 私の名前は田中将大です。ヤンキースの一員になれてうれしいです)」★14年4月4日【メジャー初勝利 プロ100勝目】ブルージェイズ戦でメジャー初登板&初勝利。7回97球3失点、無四球で8三振を奪い「うれしいのはもちろんですけど、ホッとしました」15年4月6日【メジャーで自身初の開幕投手】メジャー2年目で初の開幕投手。高ぶる気持ちを胸に「このチームでそれを感じられるのは僕だけ。誰でもできるわけではないので、いろいろと感じられたらいいと思います」。結果は4回5失点(自責4)で降板。18年5月27日【二刀流とメジャー初対決】エンゼルス大谷翔平とメジャーで初対戦。2打数無安打1四球2三振。互いに目を合わすことなく対決し、完勝し「戦いの場において、それはどうでもいいので、こっちも気にしなかったということ。お互い、真剣にやり合う時に、そんなのは必要ないので」19年3月28日【4度目の正直】4度目の開幕投手で自身初勝利。オリオールズ戦に先発し6回途中6安打2失点(自責1)。直前に元同僚でもあるイチローが日本で引退会見。受け継ぐものを問われ「ないです、ないですね。僕ごときはそんな人間じゃないので、以上です」19年7月9日【メジャー球宴初出場&初勝利】自身5年ぶり2度目の選出も14年は右肘の故障で初出場。ア・リーグの2回から2番手で登板し、1回1安打無失点。登板前日には「ものすごく苦しんでいる部分もありますし、でも(継続して)やってれば、こういう風にいいこともあるんだなと。自分の課題、自分の投球に対しても、目を背けてしまったら、そこからの上がり目はない。そのことに対して、僕は向き合い続けてやっていくことが大事だと思うので、これからもそういう風にやっていくし、そうであり続けると思います。バトルし続けますよ」★21年1月30日【楽天復帰】名門ヤンキースを離れ、8年ぶりの日本球界復帰。「決して腰かけなどではなく、本気で日本一をとりにいきたい、イーグルスでプレーしたいと心から思っての決断。生半可な気持ちではどこの世界でも成功することはできない。7年離れていたので、成長した姿をお見せすることができたら」★21年4月24日【日本球界復帰後初勝利 プロ178勝目】西武戦(楽天生命パーク)に先発し、6回3安打1失点で復帰後初勝利&日本通算100勝。日本一に立った日から2729日ぶりの白星に「何か不思議な感じがします。でも、ものすごくやはりうれしいです」。ファンへの思いを問われ「ベストを尽くす。最後まで戦う。そういうことしか僕にはできない。一緒に盛り上がって東北、日本を盛り上げていけたら」★24年12月25日【巨人のマー君誕生】巨人入団会見「競争は激しいと思いますけれども、自分自身まだまだできるんだということを証明したい」25年2月1日【名伯楽から熱血指導】春季宮崎キャンプ初日。久保巡回投手コーチから約1時間を超える熱血指導を受け「疲れました。でも、本当にこういうふうに言っていただけることは幸せなこと」★25年4月3日【巨人移籍後初勝利 プロ198勝目】中日戦(バンテリンドーム)に先発し、巨人移籍後公式戦初登板。5回5安打1失点で移籍後初勝利。「自分にとってもこの1勝はものすごく特別だし、いろんな思いがあって今日勝つことができて本当にうれしく思います」★25年8月21日【大偉業へ王手 プロ199勝目】ヤクルト戦(神宮)で5回3安打1失点と好投し日米通算199勝目。「とにかくうれしいです。ここまで2軍暮らしも長かったですし、応援してくれる方々の期待にも応えたいなと思っていた」
◆史上4人目の日米通算200勝を達成した巨人田中将大投手(36)が、マウンドで記念撮影を行った。バッテリーを組んだ小林誠司捕手(36)、ライデル・マルティネス投手(28)、大勢投手(26)、田中瑛斗投手(26)と肩を組み、笑顔で写真に納まった。レギュラーシーズン最終登板で、6回2失点と好投し、日米通算200勝を達成。大歓声の中、試合後は一塁側ベンチから坂本が花束を持って登場。田中将は笑顔で受け取った。ヒーローインタビューに立つと「本当にうれしいです。ここまで本当に長い時間かかりましたし、ジャイアンツに入団してから早く本拠地で勝ちたい、ヒーローになりたいと思ってました。今日こうして勝ててうれしいです」と感謝した。記念のウイニングボールは「家に置いておきます」と笑った。
◆巨人ライデル・マルティネス投手(28)が今季初めて回またぎの投球をみせ、偉業を支えた。阿部慎之助監督(46)が「セーブ王も取らせたかったんで、もし9回の表に何点入ってでもセーブがつくことを確認して、本人の意向でいってもらいました」と決断し、2点リードの8回2死一、二塁から5番手でマウンドへ。代打の中日板山をカウント1-2から一ゴロに仕留めて危機を救った。今季中日から加入した新守護神は、9回もしっかりと3人で抑えて試合を締めた。日米通算200勝をかけた田中将大投手(36)が6回2失点で勝利投手の権利を持ってマウンドを降りていた。7回は中川皓太投手(31)、田中瑛斗投手(26)、8回からは大勢投手(26)がつないでいた。大勢は安打と四球で無死一、二塁の場面を背負ってから2者連続三振としていたが、阿部監督が2死とした場面で、マルティネスに託して偉業への道筋を引いた。
◆中日のドラフト4位石伊雄太捕手(25)が7回の守備で投球を右手に直撃させ途中交代した。1点ビハインドの7回2死一、三塁で梅野雄吾投手(26)のフォークが本塁手前でワンバウンド、体で止めようとし、ミットに添えた右手にボールが直撃した。記録は梅野の暴投で三塁走者が生還し痛い追加点となった。一度守りについたがタイムを要求し、そのままベンチに戻り治療。味谷大誠捕手(22)と交代した。試合終了直前、石伊はトレーナーとともに病院へ。右手の親指付け根付近が大きく腫れていたが、気丈に「大丈夫です」と話した。井上一樹監督(54)は「けっこう腫れてたから。それでもあいつ『いきます』って言うから『やめとけ!』とやめさせたんだけど、ちょっと心配」と話した。石伊は6月からスタメンマスクを増やしこの日が85試合目の出場。今季は明日10月1日が最終戦となるが、来季2年目の石伊は正捕手として期待も大きい。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。近年は故障にも苦しみ、21年の日本球界復帰後は5年間で通算23勝。プロ19年目の今季も4月3日の中日戦(バンテリンドーム)で移籍後初登板&初勝利を飾ったが、3カ月以上の2軍暮らしも経験した。苦しみながらチーム142試合目で大偉業を達成した。阿部慎之助監督(46)は「時間かかりましたけど、頑張ってくれました」と祝福。3位で出場するクライマックスシリーズに向けて「もちろん投げてもらいます。頭数が足りてない状態なんで、ポストシーズンはいってもらえますよ」と期待した。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。メモリアル勝利を挙げた一戦は、2軍調整中にともに汗を流してきた小林誠司捕手(36)とバッテリーを組んだ。阿部慎之助監督(46)は「うまくピッチャーのいいところ出してくれて、マー君からも小林を指名してきましたので、ほんと勝って最高でしたね」とたたえた。節目の1勝に「時間かかりましたけど、頑張ってくれました」と言い、6回は「まだ投げたいかって聞いたら、『もういいです』って言ったんで代えました」と説明した。田中将は近年は故障にも苦しみ、21年の日本球界復帰後は5年間で通算23勝。プロ19年目の今季も4月3日の中日戦(バンテリンドーム)で移籍後初登板&初勝利を飾ったが、3カ月以上の2軍暮らしも経験した。苦しみながらチーム142試合目で大偉業を達成した。試合後は小林、ライデル・マルティネス投手(28)、大勢投手(26)、田中瑛斗投手(26)と肩を組み、マウンドで笑顔で写真に納まった。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が9月30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。大台まで"あとひとつ"としてから4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。近年は故障にも苦しみ、21年の日本球界復帰後は5年間で通算23勝。プロ19年目の今季も4月3日の中日戦(バンテリンドーム)で移籍後初登板&初勝利を飾ったが、3カ月以上の2軍暮らしも経験した。苦しみながらチーム142試合目で大偉業を達成した。<田中将の主な勝利>初勝利(07年4月18日ソフトバンク戦)杉内に投げ勝ち、松中から3三振を奪うなど高卒新人では99年松坂(西武=15個)以来の13奪三振。初完投も記録した。デビュー4試合目での1勝に「プロで勝つのは本当に難しいので、4試合目に勝てたのは早い」。初完封(同6月13日中日戦)被安打6、奪三振9。150球を投げ9回2死満塁のピンチも井端を空振り三振。「最終回は真っすぐばかりでいって野村監督に怒られたので、ちょっと複雑です」。巨人戦初登板勝利(同6月26日)高橋由に2本塁打を浴びるも味方打線が10得点。祖父の代から巨人ファンで「あのジャイアンツを抑えて本当に自信になります」。神の子(同8月3日ソフトバンク戦)4回表までに5失点も味方の逆転で粘り勝ち。野村監督は「マー君、神の子、不思議な子。何点取られるか投げ続けさせたら、天から神が降りてきた。不思議の国のマー君。先祖代々、何かあるんだろうな。そういう星の下に生まれている」。北海道初勝利(08年5月4日日本ハム戦)ビジター選手としては札幌ドームで初となるヒーローインタビュー。「ここが地元かなという思いです。たくさん喜んでもらえるように、頑張っていきたいです」。ダルに勝つ(09年8月7日日本ハム戦)3度目の投げ合いで初勝利。7回に降雨で37分間の中断があったが「ダルさんに『そのまま投げろ』って言われ」再開後に2人ともマウンドに立った。日本では4度投げ合い1勝3敗(米国では1度あり勝敗なし)。甲子園初勝利(10年5月16日阪神戦)駒大苫小牧時代に優勝を経験した甲子園で初勝利。6回にはプロ初の適時安打を放つ。「阪神ファンの方の声援はすごかったですけど(高校時代も)こういう感じだったな、って」と原点回帰。初の毎回奪三振(11年5月20日ヤクルト戦)交流戦新記録の1試合15奪三振。「振ってくる打者でも、いいところに投げれば三振が取れるかな」と青木、バレンティンから2個ずつ。50勝(同6月1日広島戦)高卒5年目で50勝。「あまり節目とは考えていません。去年のうちにクリアしないといけなかった」。1試合18奪三振(同8月27日ソフトバンク戦)内川、小久保から各3個など毎回奪三振。南海時代を通じソフトバンクから18奪三振以上の投手は初めて。「三振を取れるという雰囲気はありました」。マー君対佑ちゃん(同9月10日日本ハム戦)06年夏の甲子園決勝で投げ合った斎藤佑樹とKスタ宮城で先発対決し完投勝利。田中は「ぎっしりとお客さんが詰まった中で投げられたのは野球人として幸せ」。斎藤は「これが4年間の差だなと素直に思いますね」。斎藤との対決は通算3戦3勝だった。延長戦完封(12年8月26日日本ハム戦)10回裏、岡島のサヨナラ安打で自己初のスコア1-0完封。無四死球。「今日、良くても肯定的な記事は書かないでください。来週を見てください」。大谷と先発対決(13年9月6日日本ハム戦)11奪三振で完投勝利(大谷は勝敗なし)。投げ合いについて「何も(意識は)なかった」。開幕20連勝。24勝0敗(同10月8日オリックス戦)プロ野球史上初めて無敗の最多勝投手に。開幕24連勝、連続シーズン28連勝のプロ野球記録をマーク。「いつもシーズン前に、今年は負けずに終えるぞという気持ちを持ってやってます。24勝挙げられたのは、びっくり」。大リーグ初勝利(14年4月4日ブルージェイズ戦)移籍後初登板。日米100勝も同時に達成。「初戦でいい形を出すことができたというのが一番じゃないかなと。もちろん、1試合だけではダメだと思う」。日米34連勝(同年5月14日メッツ戦)大リーグ移籍後初完封を無四死球で記録し、米デビュー6連勝。12年8月26日の日本ハム戦から日本28連勝のまま渡米し、日米34連勝(43試合連続負けなし)となった。「まだ成功かどうかは早過ぎると思う。7年契約をしているので、その期間しっかり働いてどう評価してくださるか」。同20日カブス戦で初黒星を喫し、連勝ストップ。マダックス(17年4月27日レッドソックス戦)97球、被安打3、無四死球。100球未満で完封する「マダックス」達成。相手先発はセール。「9割はセールが勝つと、みんな思っていたんじゃないですか。10割かもしれないな。それを覆したいなと思って」。日米150勝(同9月14日オリオールズ戦)278試合で到達。日本の記録と比べると(1)スタルヒン236試合(2)藤本英雄265試合に次ぐ3位に相当し、2リーグ制後の入団選手では松坂大輔の285試合を抜く最速。「この世界に入ったときは200勝とか、そういう数字はすごく遠い数字だと思っていた」。11年連続2桁勝利(19年8月27日マリナーズ戦)菊池に投げ勝ち日本人投手初となる6年連続2桁勝利。日本時代からは通算11年連続2桁勝利。日本8年ぶり勝利(21年4月24日西武戦)お立ち台で「ただいま!」。日本だけでは歴代2位タイとなる177試合目で通算100勝に到達した。巨人移籍後初勝利(25年4月3日中日戦)23年8月以来の白星。小学生時代にバッテリーを組んだ坂本の2犠飛で援護を受け「2人して少し存在感を出せたかなと思います」。
◆巨人田中将大投手(36)が史上4人目となる日米通算200勝を達成した。試合後、一塁線上に選手達が整列し、あいさつ。小学校時代のチームメートでもある坂本勇人内野手(36)が花束を贈呈し、笑顔で抱擁を交わした。ヒーローインタビュー前には、今日の試合を振り返る映像が「FUNKY MONKEY BABYS」の代表曲「あとひとつ」とともに流された。大偉業達成を見届けたファンたちが、祝福の大合唱。田中将への思いを「あとひとつ」の音楽に乗せた。X(旧ツイッター)では「泣きそうになりました...」「最高の曲ですね!」「ありがとう田中将大」「あとひとつを東京ドームで聞くことになるとは」など感動のコメントが寄せられた。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。大台まで"あとひとつ"としてから4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。近年は故障にも苦しみ、21年の日本球界復帰後は5年間で通算23勝。プロ19年目の今季も4月3日の中日戦(バンテリンドーム)で移籍後初登板&初勝利を飾ったが、3カ月以上の2軍暮らしも経験した。苦しみながらチーム142試合目で大偉業を達成した。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が9月30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。大台まで"あとひとつ"としてから4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。近年は故障にも苦しみ、21年の日本球界復帰後は5年間で通算23勝。プロ19年目の今季も4月3日の中日戦(バンテリンドーム)で移籍後初登板&初勝利を飾ったが、3カ月以上の2軍暮らしも経験した。苦しみながらチーム142試合目で大偉業を達成した。200勝 日米通算を含め、田中将以外に00年以降の200勝達成者は04年工藤、05年野茂、08年山本昌、16年黒田、24年ダルビッシュの5人だけ。田中将に次ぎ現役で通算勝利が多いのは45歳のヤクルト石川がNPB通算188勝。楽天岸が170勝、中日涌井が166勝で続く。日米通算ではヤンキース傘下3Aの前田が165勝(日本97勝、米国68勝)。なお、来日した外国人投手が日米通算200勝を記録した例はなく、過去の来日外国人で最多は88、89年に巨人でプレーしたガリクソンの183勝(日本21勝、米国162勝)。日本プロ野球名球会 日米通算200勝をマークした田中将は、名球会入りの資格を得た。名球会は78年に設立され、野球振興、社会貢献を目的にする団体。入会資格は日米通算で投手なら200勝または250セーブ、打者なら2000安打以上。入会資格に相当する記録保持者が、特例で入会する制度もある。理事長は古田敦也氏。
◆最多安打を争う中日岡林勇希外野手(23)が3試合連続の猛打賞でリーグトップ&自己最多の165安打とした。3回は快足を飛ばしての一塁内野安打。後の2本はきれいに中前へはじき返した。ここ4試合で11安打と量産し、残りは1試合。6本差をつけた2位小園(広島)は残り1試合、同じく近本(阪神)は残り1試合。「終わったら全部を話します」と多くは語らなかったが井上監督は「すばらしい打撃でした」とほめた。
◆中日が巨人先発田中将の日米通算200勝の白星を献上した。6回2失点に抑えられた。先発のカイル・マラー投手(27)が初回に早々と3失点し5回持たず9敗目となった。
◆高卒2年目の福田幸之介投手(20)が初の出場選手登録をされ、8回にプロ初登板した。先頭中山の初球は内角高め149キロが抜け、打者がのけぞったが、その後は落ち着きスライダーで遊直。続く増田陸は三塁手森駿太内野手(18)の好守備で三塁ゴロ。小林には3ボールから直球2球でフルカウントにすると、最後はこの日最速タイの151キロ高め直球で空振り三振を奪い、マウンド上でほえた。「何か思ったより緊張しないっていうか、変なプレッシャーなくいけた。テレビで見ているこの舞台...。東京ドームの(試合を)テレビをいつも見ているので、その舞台で投げられたということは、プロ野球選手としてスタートできたかなと思います」とうれしそうに振り返った。履正社から23年ドラフト4位で入団した身長182センチの大型左腕。今季2軍では19試合投げ0勝1敗、防御率2・67。
◆偉業へ向けた巨人野手陣の気持ちが初回から実った。先頭の若林、キャベッジが連打。4番岡本の右翼へのフライが落ちると(キャベジが二塁封殺で記録は右ゴロ)、若林が先制のホームイン。さらに6番中山礼都内野手(23)が「1打席目に結果を残せて良かった」と2死一、三塁から左中間への2点適時打で初回に3点の援護。「いろいろ(守備で)迷惑をかけてしまった部分もあった。少しでも貢献できて良かった」と笑顔をみせた。
◆巨人の救援陣4人が7回以降をつないだ。2番手中川から2死二塁で継投した田中瑛は「今年で一番緊張しました」としながらも、「200勝に関わりたかった。いい場面で回してくれてありがたい」と士気を高め、中日鵜飼を空振り三振。8回に登板した大勢は「200勝は僕ら(チーム全員)の目標でもあった。緊張しました」と無死一、二塁を背負うも、2者連続三振と奮起した。「(田中将は)同じ兵庫県出身で偉大な先輩。お力添えしたかった」と思いを込めた。8回2死からはセーブ王の可能性を残すマルティネスが回またぎで46セーブ目。勝利が決まった直後、田中瑛と大勢は田中将に祝福のウオーターシャワーで祝った。
◆FUNKY MONKEY BABYSのファンキー加藤が自身の公式Xで、巨人・田中将大投手(36)の日米通算200勝達成を祝福。「よっしゃあああ!!!!!!!!マー君、200勝!!!!!!!!本当におめでとう!!!!!!!! 泣きそう...」と喜びをさけんだ。田中将はかつて「FUNKY MONKEY BABYS」の代表曲「あとひとつ」を登場曲として使用し、同曲のジャケットは田中将自身が飾っている。ファンキー加藤は、ジャケット撮影時のメンバー3人と田中将がグラウンド上でグラブを持つオフショットも公開した。さらに、日本テレビ公式Xの200勝瞬間動画を引用し、「マー君の笑顔が最高だ! 最近は険しい表情が多かったけど、やっぱりマー君の笑顔は最高だよ」とつづった。田中将の古巣楽天公式Xの200勝投稿もリツイートするなど、心からの拍手を送った。
◆マー君が金字塔を打ち立てた。巨人田中将大投手(36)が30日の中日戦(東京ドーム)に先発して6回4安打2失点で今季3勝目をマーク。大台まで"あとひとつ"としてから4度目の挑戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。▽巨人久保巡回投手コーチ(キャンプから助言を続け復活を後押し)「『こんな状態では無理だ』と7月中旬に単刀直入に言わせてもらった。本人もやはりと受け止めてくれた。まだまだ良くなる。あと3年はやってほしい」
◆元日本ハムの斎藤佑樹氏(37)が日米通算200勝を達成した巨人田中将大投手(36)を祝福した。早実(西東京)のエースとして活躍した06年夏の甲子園決勝では、田中将擁した駒大苫小牧(北海道)を延長15回引き分け再試合の末に破り、初優勝を飾った。かつてのライバルの偉業に「おめでとうございます。我々の世代の代表として、プロ野球界の第一線をずっと走ってきて、すごくうれしく思います」と祝福。「なかなか200勝はできることではないですから、18歳からプロの世界に入って、楽天、ヤンキース、巨人と活躍してきた姿に、同じ世代の選手として僕たちも励まされてきました」と語った。斎藤氏は早大をへて、10年ドラフト1位で日本ハムに入団。ケガにも苦しみながら、21年の引退まで10年間のプロ生活を送った。引退後は、「株式会社斎藤佑樹」を立ち上げるなど、テレビ出演も続けながら幅広く活動。北海道・長沼町に長年の夢だった少年野球専門球場「はらっぱスタジアム」をつくるなど、野球の普及活動にも取り組んでいる。「高校の時に戦った相手として皆さんに注目していただいて、今はそれぞれ違った道を歩いてますけど、本当にうれしい気持ちです。今の姿を見ても140キロ後半のスピードが出てますし、コントロールも変化球もいい。200勝は大きな節目ですけど、これから先も勝ち続けるんだろうなと思ってます」とさらなる活躍を期待していた。
◆巨人・田中将大投手(36)が6回4安打2失点と好投し、日米通算200勝の権利を持ってマウンドを降りた。一回を無失点に抑え、その直後にいきなり3点の援護をもらった。二回は三者凡退に打ち取った。三回2死一塁から細川に右中間へ2ランを浴びて1点差に迫られたが、四、五回は無失点で切り抜けた。8月21日のヤクルト戦(神宮)で199勝目を挙げ、記録達成へ王手をかけた。しかし、以降は3試合連続で黒星を喫し、足踏みが続いていた。今季のラストチャンスを前に、「(記録を)考えて投げるということは一度もない。投げる試合に勝つために、自分のやるべきことをやる。結果は後から付いてくる」と静かに意気込んでいた。記録達成となれば、野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有に続く史上4人目の偉業。432試合目での達成は最速となる。
◆セ・リーグ首位打者を争う巨人・泉口友汰内野手(26)の途中交代に、東京ドームのスタンドかがざわつく場面があった。「3番・遊撃」で先発した左打者は、一回の第1打席で右ふくらはぎに自打球を当てた。痛がる様子は見せたがプレーを続け、左飛に倒れた。この自打球の影響かは明らかになっていないが、その後、三回の守備で浦田との交代がアナウンスされると、驚く観客席からざわめきが起こった。泉口の姿はその後もベンチにあり、座って戦況を見つめた。試合前時点で泉口はセ2位の打率.299で同トップの.306をマークしている広島・小園を追う。この日は1打数無安打で.298に下降した。
◆巨人・田中瑛斗投手(26)が3-2で七回2死二塁のピンチに3番手で登板。代打鵜飼を三振に仕留め、無失点で切り抜けて渾身(こんしん)のガッツポーズを見せた。この日は登場曲を、今季限りで現役を引退する中日・中田翔の「My HERO」(ビーグルクルー)に変更しマウンドへ。日本ハム時代に世話になった先輩への感謝を表した。
◆巨人は田中将大投手(36)が6回2失点と好投し、史上4人目の日米通算200勝を達成した。試合後、歓喜の輪が解けて球場内に偉業達成のアナウンスが流されると、ベンチから幼なじみの坂本勇人内野手(36)が満面の笑顔で花束を持って駆け寄り、2人で何か話しながらハグを交わした。球場は大いに沸いた。坂本と田中将は兵庫・伊丹市で小学、中学の同級生。少年野球チーム「昆陽里タイガース」では6年間チームメートで、6年生時は坂本が投手、田中将が捕手でバッテリーを組んでいた。
◆巨人・田中将大投手(36)が6回4安打2失点の好投で、日米通算200勝を達成。野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有に続く史上4人目の偉業を成し遂げた。以下、田中のヒーローインタビュー。--日米通算200勝を達成「本当に嬉しいです。ここまで長い時間がかかりましたし、ジャイアンツに入団してから、早く本拠地東京ドームで勝ちたい、ヒーローになりたいなと思っていたので、時間がかかってしまったんですけども、こうして今日を迎えることができて嬉しいです」--どんな決意でマウンドに上がった「自分のベストを尽くす。今日持てる力を全て出し切ってマウンドを降りるっていう気持ちで試合に臨みました」--どんな気持ちで戦況を見守っていた「祈りながら、でも頼もしいリリーフ陣がいるので、応援しながらっていう感じでした」--ウイニングボールはどうする予定「家に置いておきます」--苦しい時期になにが支えとなった「一番はいつも応援してくれる家族の存在ですね。そこが一番で、どんな時でも変わらず応援してくれるので、僕にとっては非常に大きな存在でした」--家族メッセージ「家に帰って言います」--恩師の野村克也さん、星野仙一さんへの思いは「野村監督もそうですし、星野監督もそうですけども、それ以外にも僕の野球人生に携わってくださった方々、すべての人に感謝したいですね」--新天地、巨人ファンの声援はどうだった「最高です」--最後にファンに一言「色々言いたいことはあったんですけど、今日これで終わりっていうことは何もないので、ここから先の戦いっていうのが勝負になってくると思います。クライマックスシリーズ、日本シリーズと戦っていけるように、勢いに乗って戦っていきたいと思います」
◆巨人は田中将大投手(36)が6回2失点と好投し、史上4人目の日米通算200勝を達成した。阿部慎之助監督(46)は試合後、「時間かかりましたけど、頑張ってくれました。ドキドキして見てたんですけど、最近数試合はずっとゲーム作れてたんで信じて見てました」と笑顔で振り返った。6回を投げ終えたベンチで指揮官が声をかけて2人で笑い合う場面について聞かれると、「まだ投げたいかって聞いたら、『もういいです』って言ったんで替えました」とやり取りを明かした。この日は初めて1軍で田中将の捕手を小林にした。2軍で何度かバッテリーを組んでいたコンビの結成には「マー君からも小林を指名してきました。(小林は)うまくピッチャーのいいところ出してくれた」と、右腕の希望が理由だったと明かした。また、阿部監督は3位で進出が決まっている10月11日からのクライマックスシリーズ、ポストシーズンに向け、田中将に「もちろん投げてもらいます。頭数が足りてない状態なんでCS、ポストシーズンはいってもらいますよ」と先発起用することを明言した。
◆中日・細川が今季20号本塁打。中日に移籍した2023年から3年連続(24→23→20)でマークした。中日の選手が3年以上続けて20本塁打以上を放ったのは、2005-08年のタイロン・ウッズ(4年)以来17年ぶり。日本選手では03-06年の福留孝介(4年)以来19ぶり。日本選手で移籍1年目から3年以上続けて打ったのは1987-92年の落合博満(ロッテから移籍、6年)以来で、33年ぶり。
◆巨人の田中将大投手(36)が30日、東京ドームで行われた中日24回戦で今季3勝目を挙げ、日米通算200勝を達成した。日本での122勝目で、7年間プレーした米大リーグ、ヤンキースでの78勝と合わせての大台となった。巨人・田中将の日米通算200勝達成を受け、昨季まで所属した楽天のチームメートからは祝福の声が相次いだ。2013年にドラフト2位で入団し、24勝0敗だった田中将とともに先発陣の柱として日本一に貢献した則本は「田中さんの気迫と冷静さを併せ持った投球にエースのあり方を学ばせていただいた」と述懐。米大リーグに移籍後も練習をともにし「ずっと憧れの存在。これからも気迫あふれる投球で勝ち星を積み重ねていってください」と述べた。田中将と同年のドラフトでプロ入りした岸は「野球に対する姿勢や考え方などたくさんの刺激を受けた」とコメント。打線の軸として活躍し、現在は楽天職員の銀次さんは「ともに戦い、震災を乗り越え、将大の24勝0敗という大記録もあり悲願の日本一になった。一緒に野球ができたことが自分の野球人生において最高の時間」と祝った。楽天・則本 「入団した時からその背中を追いかけ、田中さんの気迫と冷静さを併せ持った投球にエースのあり方を学ばせていただいた。僕にとってずっと憧れの存在」楽天・岸 「野球に対する姿勢や考え方などたくさんの刺激を受けた。「こんなもんじゃないぞ、田中将大」というピッチングをこれからも続けてほしい」
◆巨人・田中将大投手(36)が6回4安打2失点の好投で、日米通算200勝を達成。野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有に続く史上4人目の偉業を成し遂げた。以下に田中将のデータ。?巨人・田中将が今季3勝目(4敗)。NPB通算122勝となり、メジャー通算78勝を合わせて日米通算200勝を達成した。初勝利は楽天在籍時の2007年4月18日のソフトバンク戦(完投、当時フルスタ宮城)。?日米通算200勝を達成したのは、05年の野茂英雄(201=日78、米123)、16年の黒田博樹(203勝=日124、米79)、昨年のダルビッシュ有(208=日93、米115)に次いで4人目。NPBに復帰して達成したのは、黒田に次いで2人目。?日米通算432試合目(日258、米174)での到達はダルビッシュの442試合を抜いて最速。NPB通算では西鉄・稲尾和久の435試合を抜き、阪神・若林忠志の409試合に次ぐ6番目のスピードに相当する。36歳10カ月での達成は野茂の36歳9カ月に次ぎ、日米通算では年少2番目。到達時の日米通算敗戦は118(日72、米46)で、ダルビッシュの124を抜く最少。野茂は153、黒田は181だった。?田中は200勝全てが先発勝利。日米通算の5人とNPB通算の24人の計29人のうち、200勝到達まで全て先発勝利だったのは、ダルビッシュと田中将の2人だけ。
◆巨人は田中将大投手(36)が6回2失点と好投し、史上4人目の日米通算200勝を達成した。阿部監督が「マー君からの指名」と明かした、1軍で初めて田中将とバッテリーを組んだ小林誠司捕手(36)はフル出場で偉業をアシスト。謙虚に振り返りつつ、充実感を漂わせた。「200勝目に立ち会えてすごくうれしかった。なかなか重たい試合になってしまって大変でした。リズム、強弱をつけながらいきましょうねという話はしていた。将大さんの技術で抑えられた。僕は別に座っていただけです、本当に」普段は控えの小林は、田中将に続いて中川、田中瑛、大勢、マルティネスを無失点のリードに導き、田中将の200勝目を守り切った。
◆巨人のライデル・マルティネス投手(28)が30日、中日24回戦(東京ドーム)で今季46セーブ目を挙げ、2005年の岩瀬仁紀(中日)、07年の藤川球児(阪神)、25年の松山晋也(中日)の3投手がマークしたセ・リーグ記録に並んだ。プロ野球記録は17年のサファテ(ソフトバンク)による54。2日前に記録した松山投手と同じく今季はあと1試合を残している。4―2の八回2死一、二塁から5番手で登板し、打者4人を封じた。初セーブは中日時代の19年6月11日のオリックス戦。キューバ出身で17年に育成選手で中日入りし18年に支配下選手となり、22、24年に最多セーブのタイトルを獲得。巨人には今季加入した。
◆巨人の田中将大投手(36)が30日、東京ドームで行われた中日24回戦で今季3勝目を挙げ、日米通算200勝を達成した。日本での122勝目で、7年間プレーした米大リーグ、ヤンキースでの78勝と合わせての大台となった。201勝の野茂英雄、203勝の黒田博樹、208勝のダルビッシュ有(パドレス)に続き史上4人目の快挙。通算432試合目の登板での達成は4投手の中で最速。8月21日に2勝目を挙げてから3試合先発して3連敗と足踏みが続いた。初勝利は楽天時代の2007年4月18日のソフトバンク戦。北海道・駒大苫小牧高から高校生ドラフト1巡目で07年に楽天に入団し、1年目に11勝で新人王。13年に24勝0敗1セーブと圧倒的な成績で楽天を初のパ・リーグ優勝と日本一に導き、リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた。沢村賞とベストナインを2度受賞し、最多勝、最優秀防御率、勝率第1位を2度、最多奪三振を1度獲得した。14年に移籍したヤンキースでは1年目から6年連続2桁勝利。21年に楽天で日本球界に復帰し、昨オフに自由契約となって巨人に移籍した。日本だけでの200勝は24人が達成している。田中将大の話 「ここまで長い時間がかかった。巨人に入団してから早くこの本拠地東京ドームで勝ちたい、ヒーローになりたいと思っていた。本当にうれしい。僕の野球人生に携わってくれた方々、全ての人に感謝したい」ヤクルト・嶋基宏ヘッドコーチ(楽天での現役時代に田中将とバッテリー) 「将大、おめでとう!これからも体を大切に1勝ずつ積み重ねてください。まだまだ通過点。まだまだできる!」巨人・坂本 「ああいう瞬間に立ち会えるとは想像もしていなかった。2軍で頑張っている姿も見ていた。重圧の中で結果を出せるのは改めてすごいと思った。自分のことのようにうれしかった」ヤンキース時代の同僚で日米通算203勝の黒田博樹さん 「将大らしい一球一球に込めた執念と結果にこだわるプロフェッショナルを感じた。これからもその姿を、ファンや若い世代のプレーヤーに示し続けてほしい」ソフトバンク・柳田 「尊敬できる同級生。(200勝は)いくだろうなと思っていた」
◆ヤクルト・嶋基宏ヘッドコーチ(40)が30日、楽天時代の2013年にバッテリーとして球団史上初の日本一に導いた間柄である巨人・田中将大投手(36)の日米通算200勝達成に祝福メッセージを送った。
◆巨人・田中将大の日米通算200勝達成へ、投手陣は心を一つにした。右腕から1点リードでバトンを受けた七回は中川、田中瑛が抑え、2点リードとなった八回は大勢が招いた2死一、二塁とピンチで守護神マルティネスが登場。代打・板山を凡打に打ち取り、九回も3人で斬った。セ・リーグタイ記録となる46セーブ目を記録したマルティネスは、普段から仲のいい田中将の偉業に「いいお手本で、鑑のような存在。自分にとっても本当にうれしい」とご機嫌だった。
◆巨人のクローザー、ライデル・マルティネス投手(28)が4―2の八回2死一、二塁から5番手で登板。回をまたいで打者4人を完全投球で封じ、2005年の岩瀬仁紀(中日)、07年の藤川球児(阪神)、25年の松山晋也(中日)の3投手がマークしたセ・リーグ記録に並ぶシーズン46セーブ目を挙げた。今季初めて八回から起用した理由について、阿部監督は「セーブ王も取らせたかったので。もし、(八回裏に)何点入ってでもセーブがつくということを確認して、本人の意向でいってもらいました」と説明。田中将大の日米通算200勝をもたらし、絶対的クローザーも「200勝っていうのはもう、本当にすごいことだと思う。スポーツをやっている人は、その偉大さっていうのはよく分かっている。田中選手が勝てたことはほんとにうれしい。自分にとってもうれしいです」と語った。
◆巨人・泉口友汰内野手(26)が「3番・遊撃」で先発したが、一回の第1打席で右ふくらはぎに自打球を当て、三回の守備で退いた。途中交代の理由について阿部監督は「ちょっと自打球が、当たりどころがあんまり良くなかったんでね。これでけがして長引いた人、棒に振った人、たくさん見てきたので、きょうは下げさせてもらいました」と説明した。泉口はセ2位の打率.298で残り1試合。同トップの.306をマークしている広島・小園は2試合を残している。交代後もベンチで戦況を見守った泉口は試合後、「まさにそういう(監督がコメントした)感じで、明日にならないとちょっとわからない」。痛そうに見えるがと問われると「大丈夫です」と気丈に振る舞い、自力で歩いて階段を上って球場を後にした。
◆巨人・田中将大投手(36)が6回4安打2失点の好投で、日米通算200勝を達成。野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有に続く史上4人目の偉業を成し遂げた。東京ドームの一室で行われた記者会見では、今季加入した巨人のチームメートとの関係性がにじむやり取りもあり、仲のいい大勢には〝クレーム〟も入れた。1点リードでマウンドを降りた右腕のあとを受け、中川皓太、田中瑛斗、大勢、マルティネスが無失点リレーで白星を守り抜いた。田中将は「頼もしいリリーフがこの一年、素晴らしい活躍をしてきていたので信じていました。投げ終わった後みんな緊張したといっていて申し訳なかった。頼もしい仲間です」と感謝した。試合後、グラウンドに整列に向かう際に田中瑛、大勢からペットボトルのウォーターシャワーの不意打ちを食らい、笑顔を浮かべるシーンも。田中将は「びっくりした。あそこで水かけられると思わなかった。うれしい? もちろんです」と笑いつつ、「ビシャビシャのまま、あのあと全部(撮影など)やることになったので大勢には文句は言っておいた」と仲のいい後輩にチクリと苦言を呈すジョークで会見場を和ませた。
◆日米通算200勝を達成した田中将大投手(36)と兵庫・伊丹市の昆陽里(こやのさと)小、松崎中で同級生だった巨人・坂本勇人内野手(36)は試合後、花束贈呈役を務め、笑顔で抱擁した。「ずっと、常に上を行ってくれた」と最大級のリスペクトを示す。小学1年生時に坂本がいとこの松村昌哉さんと少年野球チーム「昆陽里タイガース」に入ってすぐに田中将も入団。6年時は坂本が投手、田中将が捕手で兵庫県大会準優勝。その頃には2人とも身長が170センチ近くあった。「打球の飛距離は将大の方が飛んでいた。(本塁打競争で)校舎の窓ガラスをめがけて『行けー』って打っていました。走るのは遅かった。二塁への送球は、その辺の小学生とは全然レベルが違った」と鮮明に覚えている。6年2組でクラスメート。やんちゃな坂本と真面目な田中将が行動を共にすることはめったになかったが、「プロレスが好きなイメージ」と野球を離れた素顔も知る。中学時代は別の硬式クラブでプレー。田中将は北海道・駒大苫小牧高で2年生時から甲子園のスターとなった。3年時の6月には青森・光星学院高(現八戸学院光星高)での招待試合で対戦した。投手は田中将ではなかったが、坂本は本塁打を放った。その後に田中将が登板するも、霧が濃くなってコールドゲームに。夜は光星学院高の寮に宿泊した駒大苫小牧高ナインを訪問し、田中将と近況を報告し合った。当時の部員によると、幼馴染の再会に周囲は大盛り上がりだったという。「マウンドに上がった瞬間に人が変わる。高校生の頃から、気持ちの強い投手だと思って見ていた。弱い部分は一度も見たことがない。尊敬しています」常に刺激をくれた盟友の偉業を、坂本は自分のことのように喜んでいる。(谷川直之)
◆巨人・田中将大投手(36)が30日、中日24回戦(東京ドーム)で6回2失点の好投で3勝目(4敗)を挙げ、日米通算200勝を達成した。野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有に続く史上4人目の偉業。432試合目での達成は最速で、36歳10カ月は野茂に次ぐ2番目の速さとなった。昨季0勝からの復活劇を見せた右腕が、今季最後のチャンスで節目の勝利をつかみ、球史に名を刻んだ。アウトを重ねるごとに、東京ドームのボルテージが高まる。午後9時1分。27個目のアウトが刻まれると、ベンチの田中将は両手で渾身のガッツポーズ。大勢と田中瑛からは、200勝を祝福するウオーターシャワーを浴びた。「感無量です。今はまだふわふわしていますね。200勝が近づく中で苦しいこともありましたけど、乗り越えることができて、この数字にたどりつけた」本拠地では移籍後5度目の登板で初白星。8月21日に199勝目を挙げ、〝あとひとつ〟からの足踏みを経て4試合目での達成。同学年で幼馴染の坂本から花束を受け取り、笑顔で抱き合った。「不思議な縁。彼から花束をもらえるとは想像してこなかった。大きな思い出」と語った。楽天時代の監督で、恩師の故・野村克也氏、故・星野仙一氏にも思いをはせた。入団時の監督だった野村氏とはベンチで隣に座ることもあり、「ピッチングで一番大事なのはコントロールだ」と、野球のイロハをたたき込まれた。田中将は「『やりましたよ』と。ただ『時間がかかりすぎだ』と言われそうですね」と笑みを浮かべた。星野氏は、シーズン24勝0敗の伝説を作り、初の日本一に輝いた13年の監督。「コンディションは大丈夫か?」と常に声をかけられていたといい、「僕としてはやりやすかった」と感謝する。
◆巨人・田中将大投手(36)が30日、中日24回戦(東京ドーム)で6回2失点の好投で3勝目(4敗)を挙げ、日米通算200勝を達成した。田中将と米大リーグ、ヤンキース時代に同僚で、家族ぐるみで親交のあるゲリット・コール投手(34)がサンケイスポーツに祝福のコメントを寄稿した。メジャー通算153勝を誇る名門のエースは、節目に到達した右腕を「真のプロフェッショナル」と評した。(取材構成・竹濱江利子通信員)マサヒロ、日米通算200勝達成おめでとう。「200」という数字の背景には多くの苦労があったと思う。任されたマウンドで、いかに高い誇りを持ち全力で腕を振ってきたかが数字に表れていると思う。自分もマサヒロに続いて、残り47勝を積み上げるつもりだ。真のプロフェッショナルという言葉が完璧に当てはまる。ニューヨークの街に愛される姿をみんなは知っていると思うが、自分が見てきたクラブハウスでの立ち振る舞い、周囲が示す敬意は他では見たことがない。メジャーでもビッグゲームに強く、母国のアンバサダー的存在だというのは、自分がわざわざ口にするほどでもない。先発投手としても、人としてもこれ以上は望めないくらい最高だ。アメージング...、まさにアメージングだ。2019年にヤンキースに移籍したとき、マサヒロ・タナカから学んで成長したいと思っていた。だから、入団会見でもそう口にした。コンディショニングにおける入念さ、徹底管理されたウエートトレーニング、確立された週間ルーティン、キャッチボールの精密性。なぜこれだけ長い期間、素晴らしい結果を残しているのか、すぐにうなずくことができた。自分はマサヒロが利き腕の靱帯(じんたい)損傷と向きあいながら葛藤し、ローテーションを守り続けていたことも強く印象に残っている。
◆巨人・小林誠司が1軍で初めて田中将大とバッテリーを組み、偉業をアシストした。2軍調整時に組んだ1学年下の捕手とのコンビを右腕自らが希望したという。小林は「将大さんの技術で抑えられた。僕は別に座っていただけ」と謙遜したが、田中将は「春先からバッテリーを組んでいろいろ話していた。リズムよく引っ張ってくれた。非常に助かりました」と感謝した。

<セ・リーグ順位表推移>
順位 | チーム名 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 首位差 | 残試合 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 (-) |
阪神 |
84 | 54 | 4 | 0.609 (↓0.004) | - (-) |
1 | 490 (+2) | 350 (+4) | 91 (-) | 100 (-) |
0.245 (↑0.001) | 2.220 (↓0.02) |
2 (-) |
DeNA |
70 | 66 | 6 | 0.515 (-) | 13 (↑0.5) |
1 | 501 (+14) | 450 (+7) | 108 (+2) | 64 (+1) |
0.245 (↑0.002) | 2.910 (-) |
3 (-) |
巨人 |
69 | 69 | 4 | 0.500 (↑0.004) | 15 (↑1) |
1 | 458 (+8) | 459 (+6) | 96 (+1) | 52 (-) |
0.249 (-) | 2.960 (↑0.01) |
4 (-) |
中日 |
63 | 77 | 2 | 0.450 (↑0.001) | 22 (↑0.5) |
1 | 401 (+6) | 458 (+6) | 82 (+1) | 80 (+1) |
0.232 (-) | 2.950 (-) |
5 (-) |
広島 |
59 | 77 | 5 | 0.434 (↓0.003) | 24 (-) |
2 | 439 (+2) | 488 (+10) | 71 (-) | 57 (+1) |
0.246 (↓0.001) | 3.180 (↓0.05) |
6 (-) |
ヤクルト |
55 | 77 | 7 | 0.417 (↑0.005) | 26 (↑1) |
4 | 426 (+9) | 547 (+8) | 87 (+2) | 60 (+2) |
0.235 (-) | 3.570 (-) |
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