広島(★1対8☆)巨人 =リーグ戦25回戦(2024.09.28)・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島=
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巨人
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広島
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勝利投手:菅野 智之(15勝3敗0S)
敗戦投手:森下 暢仁(10勝10敗0S)
  DAZN
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◆巨人が4年ぶりのリーグ優勝を決めた。巨人は1-1で迎えた6回表、岡本和と小林の適時打で2点を挙げ、勝ち越しに成功する。続く7回には、岡本和が再び適時打を放つなど3点を加え、リードを広げた。投げては、先発・菅野が8回1失点の好投で今季15勝目。敗れた広島は、打線が振るわなかった。

◆巨人菅野智之が今季15勝目を狙う。菅野が15勝以上を挙げれば17年の17勝、18年の15勝に次いで3度目だが、18年はまだ29歳で今季は35歳シーズン。35歳以上のシーズンに15勝以上すれば35歳で15勝の16年和田(ソフトバンク)以来で、セ・リーグでは37歳の05年に15勝の下柳(阪神)以来、19年ぶり。巨人では36歳の55年に16勝した中尾を最後に出ておらず、チーム69年ぶりとなる35歳以上シーズンでの15勝に挑戦する。

◆4年ぶりVへ、優勝マジック「1」としている巨人が広島とナイターで対戦する。2位阪神はヤクルトとナイターで対戦。ともに試合開始は午後6時。巨人は勝つか引き分ければ勝率1位が確定し、敗れても阪神が負ければ4年ぶりのリーグ優勝が決まる。巨人の先発は今季14勝(3敗)を挙げている菅野智之投手(34)。菅野が15勝以上を挙げれば、18年以来6年ぶり3度目となる。

◆巨人はマジック1で広島戦を迎える。勝つか、引き分ければ4年ぶりのリーグ制覇が決定。負けた場合でも阪神がヤクルトに敗れた場合、優勝となる。スタメンには2番中堅はオコエ、5番三塁は坂本を起用。6番右翼には浅野を据えた。先発は菅野で15勝目を狙う。

◆マツダスタジアムで敵軍初のリーグ優勝阻止なるか!? 広島が優勝マジック1の首位巨人との今季最終戦に臨む。本拠地マツダスタジアムでは09年の開業以来過去15年で相手チームの胴上げを阻止してきた。ホームでは巨人が優勝した広島市民球場時代の1976年(昭51)までさかのぼる。"鉄壁"を継続できるか注目だ。

◆広島の先発森下暢仁投手(27)が、何らかのアクシデントがあった模様で緊急降板した。1-1の同点の6回、吉川、岡本和に連打を浴びて勝ち越しを許し、坂本を一ゴロに抑え、一塁へベースカバーに入りアウト。1死三塁となったところで、菊地原投手コーチがマウンドに向かった。治療のため1度ベンチへと下がったが、そのまま森浦に交代を告げられた。森下は8月20日の巨人戦(東京ドーム)で10勝目を挙げてから自身5連敗中。キャリアハイの11勝目を挙げることはできなかった。

◆巨人が20年以来4年ぶりのリーグ優勝を決めた。就任1年目の阿部慎之助監督(45)は、「新風」をスローガンにチームに新しい風を吹き込んだ。新人監督のVは22人目で、球団では02年原監督以来6人目。また、捕手出身監督の優勝は7人目で、セ・リーグではヤクルトを4度優勝に導いた野村監督以来2人目となった。3月29日の開幕戦で、昨季リーグ覇者の阪神から勝利してスタートを切った。試合後は「この1試合に勝つためだけにやっていないので」とピシャリ。3月31日阪神戦で得点圏で決定打を欠き、0-5で完封負けで今季初黒星を喫した際には「タラレバを言たら、俺らの下手なゴルフと一緒になっちゃうから」と言った。4月2日の中日戦では、犠打失敗が相次いでサヨナラ負けし「最後は野球の神様が怒ったんじゃないかな」。自己犠牲とチームプレーを重んじ、バントや走塁を徹底させた。また、投手には「困ったらど真ん中に投げろ」と、ゾーン内での勝負を要求。逃げ腰の投球は厳しく指摘した。同時に、シーズンを通して高いモチベーションをキープさせるための"コミュ力"も光った。4月16日からの阪神、広島と敵地の6連戦で3敗3分けも「敵地の引き分けって勝ちに等しいと思う。3勝3敗だと思って帰ろうかなと思います」と前を向き、4月29日ヤクルト戦で9失点完封負けも「9点とられたからって2敗するわけじゃない。1-0も9-0も負けは一緒」と切り替えを求めた。現役時代から巨人一筋の生え抜きで、引退後も2軍監督、1軍コーチとユニホームを着続けてきた。17年8月に通算2000安打を達成した場所も広島だった。当時は「広島なので辛いつけ麺を食べたい」と話していた。この日は全身でリーグ制覇の美酒を浴びる。【為田聡史】阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打。19年現役引退。通算2282試合、2132安打、406本塁打、1285打点、打率2割8分4厘。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。20年から2軍監督。22年から1軍コーチを務め、今季1軍監督に就任。00年シドニー五輪、08年北京五輪、09、13年WBCで日本代表。180センチ、88キロ。右投げ左打ち。巨人球団史 日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時、読売新聞の正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)など今回で39度目。日本シリーズ優勝22度。オーナーは山口寿一氏。

◆4位広島が巨人に完敗し、マツダスタジアムで09年の開場以来初となる敵軍のリーグ優勝を許した。ホームでは広島市民球場時代に巨人が優勝した1976年(昭51)以来48年ぶりの屈辱。さらに大失速の9月はこれで19敗目となり、球団のワースト記録に並んだ。借金1で3位DeNAとの差は1・5ゲームに拡大。CS進出争いで1歩後退した。先発した森下暢仁投手(27)が踏ん張れなかった。5回まで1失点の力投も、6回に先頭吉川に左前打を浴び、無死一塁から岡本和に左中間への適時二塁打で勝ち越しを許した。坂本を一ゴロに抑え、一塁ベースカバーに入った直後、何らかのアクシデントがあった模様で緊急降板。6回途中3失点で自身6連敗。プロ初の2桁黒星に達してしまった。打線も巨人の先発菅野を打ち崩すことができず、今季15勝目を献上した。

◆巨人一筋24年目の阿部慎之助監督(45)が、広島の夜空に舞い上がった。試合後の歓喜の胴上げ。選手たちの手で現役時代の背番号と同じ、10度押し上げられた。阿部監督の目には涙が光った。歴史的大混セのペナントレースを今季141試合目で決着させた。敵地で優勝争いを繰り広げてきた広島を圧倒。マジック1で迎えた一戦は、現役時代に幾度となくバッテリーを組んだ先発菅野智之投手(34)が15勝目を挙げ、自力でゴールに飛び込んだ。7点リードの9回は高梨をマウンドに送った。今季50試合登板に到達すると、2死から守護神の大勢をマウンドへ。盤石のリレーで勝ち切った。新人監督がチームを20年以来4年ぶりのペナント奪回に導いた。就任1年目でのリーグ優勝は球団では02年原辰徳監督以来6人目。球団の歴史の中で、2軍監督を経験してから1軍の指揮を執ったのは阿部監督が初めてだった。19歳の浅野や5年目左腕の井上ら、若手を起用しながら勝ち取った頂点。夏場に首位を走った広島、終盤に追い上げた阪神との競り合いを制し、歓喜の瞬間が訪れた。

◆巨人がマジック1で迎えた広島戦に勝利し、4年ぶりの優勝を果たした。試合後の胴上げは、阿部慎之助監督(45)が、選手たちの手で現役時代の背番号と同じ、10度押し上げられた。目には涙が光った。阿部監督と現役時代にともにグアム自主トレを行ってきた坂本勇人内野手、主将の岡本和真内野手らの目にも涙があった。SNSでは「巨人優勝」「勇人さん」「最後大勢」など続々とトレンド入り。「皆さん泣いている! 熱い!」「最高です! ありがとう」「胴上げ10回が感動的」「涙が止まらない」などのコメントが集まった。

◆優勝マジック1で迎えた一戦。先発の菅野智之投手(34)は、8回119球を投げ、6安打1失点と好投した。試合前の練習だった。中堅の芝で投手陣が輪になった。菅野は杉内投手チーフコーチから「今日、トモ(菅野)で決めてくれ」と短い言葉で思いを託された。125球を投げた22日阪神戦から中5日。マジック1で巡ってきたマウンドに「しびれる試合に投げられるっていうのは、僕もあと何年野球できるかわからないですけど、自分の財産になると思うので。しっかり結果で恩返し」と気持ちを高めた。試合前までセ・リーグ最多の14勝をマークする。昨季の4勝から飛躍を遂げ、阿部巨人の躍進を支えてきた。最高の仕事は、最悪の思考で生まれる。ネガティブという意味ではない。「やっぱり俺の場合は、1番最悪の状況から考えるんです。最悪のところからの逆算」。捕手との共同作業で配球を考える中で、大事にしている軸だ。当たり前のことを当たり前にやる-。よく耳にする言葉も考える。「それって抽象的。では当たり前のことって何なのか。具体的に言える人って意外と少ないと思う」と具体的かつシンプルにする。「投手で言えば早い回に降りるとか、長打だけはダメな場面で長打を許さないとか、先頭でフォアボール出さないとか」。場面における最悪。まず、それを回避できるようにボールを選択する。優勝の懸かった大一番でも変わらない。6回まで無四球で無駄な出塁を許さなかった。5回2死二塁のピンチでは矢野を140キロフォークで空振り三振。今季の躍進の大きな力になったフォークをボールゾーンに投げきった。2点リードを奪った直後の6回もクリーンアップを3者凡退に抑えた。「やれることは1つしかないので。やっていることをより意識して継続するだけ」。菅野の当たり前をやり遂げ、仕事を果たした。【上田悠太】

◆巨人が「3分差」で"自力優勝"を決めた。マジック1で迎えた広島戦は、勝つか引き分ければ勝率1位が確定し、敗れても阪神が負ければ4年ぶりのリーグ優勝が決まった。広島-巨人は午後6時1分、ヤクルト-阪神は午後6時に試合開始。序盤からリードを奪った巨人は、8回1失点の先発菅野から、7点リードの9回に高梨にスイッチ。2死後、守護神大勢がマウンドに上がった。継投に時間を要し、大勢が中前打を浴びたところで、5点リードされていた阪神戦も9回2死に突入。その直後に大勢が二ゴロに抑え、巨人の優勝が決まった。試合終了時刻は巨人戦が午後9時20分、阪神戦は午後9時23分だった。"自力V"を決めた阿部監督は、選手たちの手で現役時代の背番号と同じ10度胴上げされた。

◆4位広島が巨人に完敗し、マツダスタジアムで09年の開場以来初となる敵軍のリーグ優勝を許した。ホームでは広島市民球場時代に巨人が優勝した1976年(昭51)以来48年ぶりの屈辱。さらに大失速の9月はこれで19敗目となり、球団のワースト記録に並んだ。借金1で3位DeNAとの差は1・5ゲームに拡大。CS進出争いで1歩後退した。新井貴浩監督(47)の一問一答は以下の通り-先発森下は何とかという気持ちで「そうだね、粘り強く投げてたけど、最後ちょっと指がね、ちょっと皮がちょっとめくれたんで」-終盤戦ではなかなか勝ち星が挙げられず苦しい登板が続いた「まあそこもね、悔しい形が続いて終わったんで、これをまたつなげてほしいよね。まだもうちょっと回復具合を見ないとわからないから、まだ残り試合があるかどうかもわからないんで、それプラス、来年につなげてもらいたいなと思います」-打線では坂倉が4番に入ったところですけども、相手ピッチャーとかつながりを考えた上で「そうやね、うん、そう」-バッテリーが坂倉だったが、会沢ではなく「そこはちょっとアツ(会沢)がどうとかじゃなしに、若い選手を使いたかったんで、そこはサク(坂倉)にマスクをかぶってもらいました」-本拠地で優勝を決められて悔しい思いだと思うが「もちろんね、悔しいですし、この悔しさを持ってね、残りゲームを戦いたいなと思います」-特に若い選手はいつもと違う雰囲気で試合での経験を次に生かして「もちろんそうよね。それは自分だけじゃないしね、選手も当然悔しいと思うんでね。その悔しい気持ちを持ち続けて、残り試合、そして来年に向かっていきたいと思います」-最後に二俣を代打に送った狙いは「そういう雰囲気の中でね、経験させたいからっていうのかな」-今年の巨人の印象は「強かったなというふうに感じます」-どのへんに感じるか「ベテランと若手と外国人選手がすごくかみ合ってる印象受けましたし、また、その中でも岡本(和)くんの存在っていうのが、やっぱり中心がしっかりして大きかったなと。また彼もね、複数ポジション、外野もやりながら、サードやファーストなどでもやっぱり中心としてね、しっかりと座ってたっていうのは大きかったのかなと思います」

◆巨人がマジック1で迎えた広島戦に勝利し、4年ぶりの優勝を果たした。就任1年目で優勝に導いた阿部慎之助監督(45)の目には光るものが。現役時代の背番号と同じ「10」度胴上げされた。優勝監督インタビューは、下記の通り。-今年の強さを象徴するゲーム運び全員でいくぞっていうのはずっと言ってきたので、最高のゲームでしたね。-監督として『最高です!!』を叫んだ気分はそれも最高でしたね。-選手たちに胴上げ夢の中にいるかのようで一瞬でとても感動した。減量して良かったなと。10回も上げてもらって選手たちに感謝したい。-選手たちの目にも光るものがあったみんなが苦しんだシーズンだったからこそ優勝できた。うれしくて泣くというのは僕も久しぶりだった。みんな同じ気持ちだったんだなと見て感じさせてもらった。-混戦セ・リーグを制した。投手陣は菅野中心にまとまった菅野がすごく引っ張ってくれているのは見えていましたし、戸郷だったりいろんなピッチャーがね、何とか切磋琢磨(せっさたくま)してやってくれた。その結果だと思います。-野手陣はベテランも中堅も若手も選手は、このペナントレース、苦しかったと思いますし、苦しいチームが一番、勝つというのは、こういうことだなと実感できました。-18日にマジック9が点灯し、10日後に優勝が決定したすごく毎日が長く感じた。こんなに長いものかと思うぐらい長く感じました。-ペナントレースのターニングポイントは鬼門と言われるマツダでカープに3タテできた。そのあとの甲子園でも1つ勝てた。そこがターニングポイントだった。-原監督からバトン受け継いで、重圧はあったかもちろんプレッシャーはありましたし、この場をお借りして、原さんが...指導者に導いていただいて、良かったなと思います。感謝してます。-新人監督として優勝僕が監督ですが、選手、コーチ陣に本当に支えていただいて1年間できたなと感謝しています。

◆19歳の巨人浅野翔吾外野手がマツダスタジアムでの因縁をバットで振り払った。4回2死二塁、カウント2-2から外角低めの直球を右前へ運び、一、三塁でチャンス拡大。次打者の門脇の先制適時打に結び付けた。ちょうど1週間前の21日、同球場で打球を後逸する痛恨の適時失策を犯していた。6回の守備から退いたが、1軍最年少で優勝を味わい「この1カ月間、苦しい思いもしながら楽しい思いもいっぱいあった」とかみしめた。

◆巨人のプロ18年目・坂本勇人内野手(35)が、自身9度目のリーグ優勝を果たし、大粒の涙を流した。6月途中には打撃不振でファーム再調整を経験するなど、苦しんだ時期もあった。本格コンバートされた三塁では、安定感ある守備力を発揮。優勝が決まると、人目をはばからず涙を流し「今までの優勝で一番うれしい!」とひと言。大黒柱として12年ぶりの日本一へさらにけん引していく。

◆4年ぶりの優勝を決めた巨人阿部慎之助監督(45)は、優勝インタビューで前監督の原辰徳氏への感謝を語り、涙を流した。原監督からバトン受け継いだ重圧について問われると、熱い思いがこみ上げた。「もちろんプレッシャーはありましたし、この場をお借りしてね、あの、原さんが...指導者にね、導いていただいて、良かったなと思います。感謝してます」と声を詰まらせた。阿部監督が現役引退を決断した19年、当時の原監督のもと、2軍監督として指導者のキャリアをスタートした。球団の歴史の中で、2軍監督を経験してから1軍の指揮を執ったのは阿部監督が初めて。背番号「83」も原監督から引き継いだ。SNSでは「バトンを託してよかった」「原さんへの感謝、号泣しました」などの多くの声が集まった。

◆投打の役者が優勝を決めた! 王手を懸けた一戦で先発マウンドを託された菅野智之投手(34)が、8回6安打1失点で15勝目を挙げ4年ぶりの最多勝のタイトルをほぼ手中に収めた。主将で4番の岡本和真内野手(28)は6回に左中間を破る勝ち越し適時打を放ち、王、長嶋、阿部に並ぶ球団歴代2位となる今季21度目の勝利打点をマーク。大エースが抑えて、主砲が打つ-。最高の形で歓喜のセプテンバーをもたらした。みんなベンチで駆け寄ってきた。菅野が8回1失点。優勝の懸かった先発マウンドを貫禄の内容で119球を投げきり、勝ち=優勝の図式を成立させた。この大役の重みが分かっているからこそ、杉内投手チーフコーチも長野も敬意を表して握手を交わした。ベンチでの9回。歓喜の瞬間をジッと待ちわびた。黒ずんだのれんをくぐると、油で滑る床にグッと足を踏ん張った。休みの日、ぶらっと1人で入る町中華が、なんだか居心地が良かった。「僕の町中華の定義は、2000円まででおなかいっぱいになる店」。1人でしっぽり飲むのが好きだった。脂っこい料理をビールで流し込むのがたまらなかった。「次の日、体調悪くなるから」と中華とサウナがセットだったが真夏のある日、「優勝までは飲まないって決めた」。自分との約束だった。なんとなく始めた"願掛け"が、優勝が現実味を帯びてくるとやめられなかった。大阪遠征中、井上をつれて入ったステーキ店。隣を見ると、おじさんがおいしそうにワインを飲んでいた。「この肉とワイン、最高だろうな」。でも我慢した。「1杯も10杯も同じだってなっちゃうしね。つまんないんだよ、何か制限がないとさ。この年になってくると」。プロ12年目。10月に35歳を迎える年輪の分だけあえて楽しんだ。「引退したら多分、毎日酒飲むと思うよ。だって、飲まない理由ないもん」。だから今やるべきことにまい進できる。ルーキーイヤーの13年9月22日以来の優勝マウンド。あの時とは、景色も心境もまるで違う。頂点もどん底も味わった12年間。昨季4勝から一転、15勝で4年ぶりの最多勝もほぼ手中に収めた復活劇。「うれしいという簡単な言葉では片付けられないくらい充実してます」。自分との約束から約2カ月、最高の美酒をのどに流し込んだ。【栗田成芳】▽巨人吉川(二塁手として全試合スタメン出場し4安打で貢献)「今日決めたいというみんなの気持ちもありましたし、結果的にいい形で塁に出られたのでよかった」

◆巨人の守護神・大勢投手(25)が胴上げ投手となった。7点リードの9回2死から登板。代打二俣に中前打を許すも続く末包を二ゴロに仕留め、グラブを放り投げ、捕手小林と抱き合った。5月4日から右肩違和感で約2カ月離脱も、ここまで防御率0点台と圧倒的な投球を続けてきた。「けがをして、いろいろあったシーズン。ぜいたくな登板をさせてもらい感謝。次は日本一の胴上げ投手になれるように」とかみしめた。

◆広島の先発森下暢仁投手(27)が6回途中3失点でプロ初の2桁黒星となる10敗目を喫した。5回まで1失点と粘るも、同点の6回無死一塁から岡本和に左中間への勝ち越し適時二塁打を献上。続く坂本を一ゴロに打ち取り、1死三塁となったところで右手の指のかわがめくれるアクシデントがあり緊急降板した。8月20日の敵地巨人戦で10勝目を挙げてから自身6連敗となり「こういう大事な試合でまた同じことを続けてしまって申し訳ないです」と悔やんだ。

◆4年ぶりの優勝を決めた巨人阿部慎之助監督(45)は、優勝インタビューの第一声で「最高でーーーす!」と絶叫した。現役時代からお立ち台でなじみのフレーズでファンを熱狂させた。SNSでは「最高でーーーす」が即トレンド入り。「久々ー!ありがとう阿部監督」「なつかし~」「うちらも最高でーす」「やっと聞けた」「このひと言だけで泣いたわ」など続々とコメント集まった。

◆巨人が20年以来4年ぶりのリーグ優勝を決めた。就任1年目の阿部慎之助監督(45)は、「新風」をスローガンにチームに新しい風を吹き込んだ。新人監督のVは22人目で、球団では02年原監督以来6人目。また、捕手出身監督の優勝は7人目で、セ・リーグではヤクルトを4度優勝に導いた野村監督以来2人目となった。巨人長嶋終身名誉監督 シーズンを通して投手陣が踏ん張り、打つべき人が打つ、バランスの取れたチームに成長していったと思います。今年こそ優勝というプレッシャーの中で、辛抱強く采配した阿部監督、期待に応えた選手たちの奮闘は見事でした。この勢いでクライマックスを勝ち上がり、日本一になってくれることを願っています。▽巨人山口オーナー 史上まれに見る大混戦でよく勝ち抜いてくれた。巨人にとっても90年の節目の年に意義のあるリーグ優勝だと思います。まさにチーム力、全員の力で苦しみながら勝ち抜いた。今日の試合に非常に凝縮されていると思う。今日はまずは、喜び爆発をしてもらって、またこの後、ポストシーズンはそう簡単な試合が続くわけではないと誰もが思っていると思うので、チーム力で立ち向かってほしいと思います。ホッとしました。

◆広島が巨人に完敗し、本拠地マツダスタジアムで09年の開場以来初となる敵軍のリーグ優勝を許してしまった。ホームでは広島市民球場時代に巨人が優勝した1976年(昭51)以来48年ぶりの屈辱だ。新井監督は「もちろん悔しい」と下唇をかみしめ「この悔しさを持って残りゲームを戦いたい」と引き締めた。大失速した9月はこれで球団のワースト記録に並ぶ19敗目となり、セ界最悪の20敗にも迫る。借金1で3位DeNAとの差は1・5ゲームに拡大。CS進出争いで1歩後退した。

◆投打の役者が優勝を決めた! 王手を懸けた一戦で先発マウンドを託された菅野智之投手(34)が、8回6安打1失点で15勝目を挙げ4年ぶりの最多勝のタイトルをほぼ手中に収めた。主将で4番の岡本和真内野手(28)は6回に左中間を破る勝ち越し適時打を放ち、王、長嶋、阿部に並ぶ球団歴代2位となる今季21度目の勝利打点をマーク。大エースが抑えて、主砲が打つ-。最高の形で歓喜のセプテンバーをもたらした。優勝が決まると、岡本和の目から涙があふれ出た。「こういうところで打てるようにと思って取り組んで来た。僕はしゃべったりは得意ではない。自分のやるべきことはしっかりとやっていこうと思って1年間やってきた」とバットで歓喜を手繰り寄せた。同点の6回無死一塁、広島森下の外角低め137キロに崩されながら、パワーで押し込んだ。泳ぎ気味ながら左中間深くまで運んだ。決勝の適時二塁打に「いい形で後ろにつなぐ気持ちでした。打ててよかったです」。21度目の勝利打点は球団史上5人目だった。1回2死一塁で二塁内野安打を放ち、7回1死一、三塁、9回1死一塁でも左中間へ二塁打。4安打3打点と4番の仕事を果たした。野球にささげる環境を整える。2年前、自宅にウエートトレーニングができるスペースを整備した。「いいでしょ。人の多いジムに行くよりも、自分の部屋にあった方が早いですし」。休日も隙間の時間にバーベルを上げる。自分の体を見つめ、春先はあえてシャープな体でシーズンインし、勝負の夏以降にベスト体重にすることを心がけた。9月は打率3割6分4厘、6本塁打、18打点だった。ここまで全試合4番を張る。主将を担いながら、巨人の4番の重圧を「それが普通」と受け止めてきた。報われた。【上田悠太】

◆巨人が4年ぶりのリーグ優勝を飾った。苦杯を喫したセ・リーグ5球団の指揮官が、巨人Vについてコメントした。阪神岡田監督 やっぱり菅野やろ、結局は。菅野で貯金あんだけ作ったいうのが大きいよ。そら去年からの一番の違いは菅野の勝ち星と貯金やんか。そこに尽きるよな、結局。DeNA三浦監督 走攻守、全てにおいて高いレベルで隙が少なかったです。阿部監督は原監督の良かった部分を継承しながら、若手とベテランをうまく融合させていたと思います。広島新井監督 強かった。ベテランと若手と外国人選手がかみ合ってる印象を受けた。また岡本(和)くんが中心として、しっかりドカッと座っていたというのがやっぱり大きかった。ヤクルト高津監督 やっぱり先発陣。特に菅野、戸郷というところは非常に大きかったのかなと思いますね。この柱がしっかりシーズンを通して投げたのが大きかった。中日立浪監督 やっぱり先発投手がまず安定していた。打線が特別にすごく脅威だったわけではなかった。トータルしたら本当にバランスの良いチームだったと思います。

◆4年ぶりの優勝を果たした巨人が、広島市内でビールかけを行った。「祝 セントラル・リーグ優勝」のボードと多数のビールが並べられた一角に「浅野選手は炭酸水」と書かれた張り紙があった。19歳の浅野は、まだビールは飲めず、アルコールの隙間に専用の「炭酸水」が並べられた。2年目の浅野は8月14日の阪神戦で満塁本塁打を放つなど後半戦のチームに勢いをつけた。この日も「6番右翼」で先発し、第2打席で右前打を放つなど、3打数1安打だった。

◆巨人の19歳浅野翔吾外野手がマツダでの因縁を炭酸水で洗い流した。4回2死二塁で、カウント2-2から外角低めの直球を右前へ運び一、三塁でチャンス拡大。次打者・門脇の先制適時打に結び付けた。ちょうど1週間前の21日、マツダで打球を後逸する痛恨の適時失策を犯していた。1軍最年少で優勝を味わい「苦しい思いもしながら楽しい思いもいっぱいあった」。ビール掛けでは1人離れて「お酒を掛けないでください」と書かれたプレートをぶら下げながら全身に炭酸水を浴びた。

◆4年ぶり優勝を決めた巨人が、広島戦後に優勝祝勝会を行った。ビールかけの前、就任1年目で優勝に導いた阿部慎之助監督(45)が登壇。「『やってやろうじゃねえか!』から始まったシーズンで、やってやったなーおい!」とあいさつを始めると、選手らから歓声が起こった。「ほんとに、みんなが躍動してて、こんなに苦しんで、勝ててほんとにうれしいです。ありがとうございます」と話すと、感極まったのもあり、約10秒の沈黙。「(話す言葉が)とんじゃったよ(苦笑)。うれしいんだけどよ、やっぱうれしいな」と満面の笑みを浮かべた。「選手は初めての人もいると思うし、これをやるために頑張るんだって思えるように、存分に楽しんで、けがしないように、いっぱい浴びちゃってください。みんな、おめでとう!」と大きな拍手に包まれながら締めた。

◆4年ぶり優勝を決めた巨人が、歓喜のビール掛けを堪能した。ビール3000本と19歳の浅野用炭酸水300本が用意される中、乾杯の音頭を取ったのは主将の岡本和だった。マイクを握り「僕はね、この瞬間をね、ずーっと待ってました」と前置きしてから、視線の先にいる指揮官に向かって続けた。「阿部監督、今泣いてたら、日本一なったら失神しちゃうよ!」と、胴上げのとき号泣していた自身を棚に上げて? 盛り上げると「でも失神させに、行きましょうか!」と、ビールを全身に浴びて喜びを爆発させた。

◆巨人が4年ぶりのリーグ優勝を果たした。救援陣の奮闘も、巨人のV奪還の要因の1つだった。1軍ブルペン陣最年長32歳の高梨雄平投手を中心としたポジティブな雰囲気が、今季の好結果につながっていた。経歴はもちろん、趣味やグラウンド外の意外な共通項など、ブルペン陣の多種多様なつながりを相関図で紹介します。

◆巨人が4年ぶりのリーグ優勝を果たし「俺たちのセプテンバー」にも歓喜が訪れた。阿部慎之助監督(45)が現役時代に登場曲として使用し、代名詞とも言えるアース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」。野球人にとって「9月」とは、いったいどんな時期なのか。坂本、菅野、丸らベテランはどんな心境で迎えたのか。同バンドをよく知るソニー・ミュージックレーベルズ有田尚哉氏(57)に、13年に阿部監督と対面した様子を聞くと、"プロ"としての共通項が見えてきた。【取材・構成=栗田成芳】8月のカレンダーをめくると、あの曲が世界中で再生される。かつて阿部監督が登場曲に使用し、東京ドームで毎日のように流れていた「セプテンバー」が今季、再び球場に戻ってきた。勝ちゲームの後は、心地よいサウンドと絶妙にマッチする「慎之助コール」が復活。陽気で、爽快感があって、どこかスポーツとは相反するようなメロディーが、阿部巨人のテーマソングになった。「9月=シーズン大詰め」は、プロ野球の風物詩。その曲調とは対称的に、毎年やってくる正念場の9月、優勝争いもCS争いもピークを迎えるこの時期に、勝者と敗者の境界線が残酷なほどクッキリと線引きされる。春季キャンプ前、阿部監督から「一塁」か「左翼」か2択を問われた岡本和は前者を選んだ。9月を迎え「久々に優勝争いができている。やりがいを感じてやれてますよ」と意気に感じていた。DeNAと4時間23分の激闘の末、引き分けでマジックが初めて点灯した9月18日、丸が東京ドームから自宅に帰ったとき、時計の針は午前0時を回っていた。迎えた翌朝。「普通に6時半に起きて、子どもを起こして、車で送っていきました。何も変わらないですよ。ここ10年でいえば、季節感というのはまったくないんですよ」。秋風には、あえて鈍感だったのは坂本も一緒だった。「毎試合勝ちたいと思ってるし、毎打席打ちたいと思っている。9月だからといって何も変わらない」。試合前にそう言った坂本は、22日甲子園での阪神との頂上決戦第1ラウンド、3打席凡退で交代を告げられると、ベンチで珍しく突っ伏した。「情けない。この試合は一生忘れない」。翌日に決勝打を打ったことよりも、打てなかったことが野球人生に色濃く残ったのは、この時期のせいかもしれない。9月を制する投手がシーズンを制す。プロ12年で135勝の菅野は、4月(26勝)と9月(25勝)に2度ピークがくる。「6月に1度、体力の貯金がなくなって、7月踏ん張って、やるべきことやめずにいければ、8月、9月ってもう1回いける。勝っているシーズンというのはいつも最後まで投げられているから」。走りきって4年ぶりの最多勝をほぼ手中に収めた。78年にリリースされ、米国のディスコを席巻した名曲が、46年たった今も、東京ドームという大きな"ハコ"で色あせることなく愛される。その理由は、阿部慎之助という野球人にほかならない。同バンドを担当者としてよく知るソニー・ミュージックレーベルズの有田氏は「どんなヒット曲でも寿命はそれなりにある。10年、20年、30年すると、だんだん聞かれなくなる。でも、この『セプテンバー』という曲は違う。プロ野球の現場で5万人の人がこんなにも喜んで大合唱してくれる曲はないですよ」と語る。9月に入った瞬間、世界中で爆発的に再生回数が上がる現象は、監督に就任した今年、さらに顕著になった。現役時代、バットを握って打席に向かうまでの数メートルでスピーカーから流れていた歌声を、11年前に1度だけアカペラで聞いたことがある。13年に来日したタイミングで対面。東京ドームの一室、目の前で聞き入った後、メンバーのフィリップ・ベイリーが言った。「我々もパフォーマンスを発揮しないといけない。準備、スキルの維持、集中、それにはディテールにこだわらないといけない。毎回ベストを尽くす。目の前の観客のために。きっとあなたも共感してくれると思う」。ステージは違っても、グラミー賞を6回受賞する同じプロ。その精神が野球人・阿部慎之助とリンクした。当時やりとりを見届けた有田氏は、音楽に携わる人間としてこう捉える。「彼らはステージですごく陽気で、楽しそうに音楽をするけど、あれを何十年もやり続けるってプロフェッショナルでないとできない。そして阿部さんが今年監督になってくれたことで、また曲が息を吹き返したと思います。セプテンバーはアース・ウインド&ファイアーの曲じゃなくて、もう阿部慎之助さんの曲なんですよね」昨年10月6日、就任会見で、阿部監督は言っていた。「最高のファンの皆さまとともに、喜びをセプテンバーに味わえればうれしいです」。79年3月20日に生まれた阿部監督と"同学年"の「セプテンバー」。岡本和も、丸も、坂本も菅野も、それぞれの9月を経てたどり着いた「阿部巨人」最高のフィナーレ。ロングヒットの予感しかしない。アース・ウインド&ファイア- 69年に前身となるバンドをシカゴで結成。70年に拠点をロサンゼルスに。モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツインボーカルと親しみやすいファンクミュージックが70年代後半、ディスコサウンドの一大ブームを築く。グラミー賞を6度受賞。00年にロックの殿堂入りを果たす。16年2月3日、長年の闘病の末にリーダーのモーリス・ホワイトが死去。世界中のファン、著名人から哀悼のコメントが寄せられた。代表曲は『September』『Boogie Wonderland』など。

◆巨人が4年ぶりのリーグ優勝を果たした。阿部慎之助監督(45)が吹かせた新風とは何か-。キャンプでの練習や試合での采配などグラウンド内にとどまらず、「愛されるジャイアンツ」にするための哲学や信条の共有にまで及んだ。意識を変え、行動を変え、チームを変えた「阿部の新風~10th NEW WIND~」。就任直後の昨年、秋季練習から始まった新風は、現役時代の背番号の数だけあった。【巨人取材班】<1>アーリー廃止 昨季は半強制だったが廃止。就任直後の秋季キャンプで「体内時計をぶっ壊す」と"遅出練習"も試験的に導入。<2>クレドカード 阿部監督の「6つの方針」「5つのスキル」などをまとめた小冊子を配布した。球団として定義も掲載。クレド(Credo)とはラテン語で「信条」の意味。女子野球やU15を含むチーム全員に共有された。<3>困ったらど真ん中 秋季練習のブルペンから「ど真ん中指令」を発令。際どいコースを狙って甘く入ったり四球を与えるなら、ど真ん中めがけて腕を振る意識付けのためでもあった。阿部監督は「投げ込む度胸があるかないか。最後はそういうところになる」。<4>スタメンは試合日に通告 昨季まで前日に張り出されていたが、試合当日の発表に変更。阿部監督は「飲みに行っちゃうと困るから」と言いつつ「負けたらいらついて次の日のことを考えられないし、冷静になって考えたいという僕の意図もある」と説明した。<5>先発投手の遠征同行 登板機会がなくても同行し、遠征先で調整を行うことを基本方針に。「チームの雰囲気や流れを感じて欲しいということ。一緒に戦っている雰囲気を感じるということ」(内海投手コーチ)。先発投手の敗戦処理スタートで競争力を促した。<6>ホーム負け試合もスタンドあいさつ 今季から負け試合でも監督、選手、スタッフ全員グラウンドに出てスタンドにあいさつ。「ファンに愛されるジャイアンツをつくりたい」(阿部監督)を有言実行。<7>モンテス外野志願 3番ヘルナンデスが左手首骨折で離脱すると、内野が本職のモンテスが「何でもやります」と外野を志願。阿部監督も「守りも攻撃も確実にパターンが増えた」。<8>丸復活 春季キャンプで阿部監督が振り下ろし気味だったスイング軌道を修正。「キャンプで監督が教えていたことをシーズンの中で自分のものにしていった」(矢野打撃コーチ)と1番にはまった。<9>会見拒否 試合後の監督囲み取材を3度拒否。決して怒っているわけではなく「話すことがないから」というのが本音。4秒会見や「何もない」と2秒で終わるなど、バリエーション豊富。報道陣にも「ネタにできていいでしょ?」。<10>3連投&回またぎ解禁 9月に入ると中継ぎ陣の3連投を解禁。阿部監督は「9月に入ったら中継ぎも頑張ってもらわないといけないから3連投を解禁しようといっていた。俺がバッテリーミーティングでお願いする」。9月12日広島戦、大勢が回またぎでセーブ。天王山の23日阪神戦はケラーが2回を投げ抜いた。新風 巨人の今季スローガンは「新風~GIANTS CHALLENGE~」。失敗を恐れずに挑戦し、新しい風を吹き込むとの決意が込められている。

◆巨人阿部慎之助監督(45)が広島の夜空に舞い上がった。歴史的大混セのペナントレースを今季141試合目で決着させた。優勝争いを繰り広げてきた広島を敵地で圧倒。マジック1で迎えた一戦は自力でゴールに飛び込んだ。新人監督がチームを20年以来4年ぶりのペナント奪回に導いた。就任1年目でのリーグ優勝は、球団では02年原辰徳監督以来6人目。阿部監督を船頭に"新風"をスローガンに掲げた「強くて、愛される」巨人軍が幕開けした。涙ながら宙を舞う阿部監督の左腕がキラリと光った。歓喜のインタビューは「最高で~す!!」と絶叫。大混戦のペナントレースの勝因は「チーム力だと思います。全員が同じ方向を向いてキャンプから始まった。誰ひとりそっぼを向かなかった」と言い切った。2軍監督時代に手帳に「前後際断」と記した。過去も未来も断ち切り、今、この時だけに集中した。昨年12月、11年前の"代物"が保管されている自室のショーケースを開けた。12年の日本一達成時に特注したフランクミュラー社製の腕時計を久しぶりに手に取った。「日本一になったときの時計だからね。今まで1回もつけたことがなかったけど、高島屋に持って行ってサイズを調整してもらってね。あんまり締めつけられたくないから緩めのほうがいいんだよね」。白色の文字盤にGiantsのロゴが特別に入っていて、シリアルナンバー「010」が刻まれている。3月29日、開幕阪神戦を皮切りに特別な時間が動き出した。名将から受け継いだバトンは、とてつもなく重かった。通算17年の指揮で9度のリーグV、3度の日本一に導いた原前監督と同じ背番号83で戦った。6月上旬の交流戦で6連敗を喫した。貯金を吐き出し、勝率5割付近を行き来した。「今は(チーム状態が)底だと思ってやるしかない。ここからは上がるだけだしね」。周囲には気丈に振る舞う一方、原因不明のめまいに襲われ、極秘で2度の精密検査を受けた。幸い大事には至らなかったが、重圧は無意識の領域で渦巻いた。監督就任会見で「強いチーム」と「愛されるチーム」の両輪を掲げた。就任決定から2日後に大手町の球団事務所にあいさつに訪れると「静かすぎませんか。どんよりしてますよ。BGMをかけて、明るくいきましょうよ」と職員に呼びかけた。山崎福のFA交渉では自ら交渉の席につき、思いと誠意を伝えた。日本ハム入りで獲得にはならず「ここでプレーしたいと思われるようなチームにしないといけない。もっと魅力的な球団にならないと」と危機感として受け止めた。開幕前に東京ドームの監督室に徳川家の菩提(ぼだい)寺、増上寺のお守りを置いた。天下統一の恩恵を受ける勝ち守りをにぎりしめた。122試合目、9月5日ヤクルト戦に戸郷を中4日で先発させ、最終コーナーで首位に立った。「みんな必死にやっている」とミスは責めず、背中を押した。選手を信頼し「力はある。それを発揮させるのが監督の役割」とモチベーターに徹してきた。新風に乗ったこよいの歓喜はひとしお。坂本も岡本和も泣いた。選手たちが待つマウンドで10度、宙に舞った。開幕前に激励会の壇上で「やってやろうじゃねぇか!」と声を張り上げ、駆け出した戦いはまだ道半ば。12年ぶりの日本一へ、最高の歓喜まで風に乗り切る。【為田聡史】巨人球団史 日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時、読売新聞の正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)など今回で39度目。日本シリーズ優勝22度。オーナーは山口寿一氏。阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打。19年現役引退。通算2282試合、2132安打、406本塁打、1285打点、打率2割8分4厘。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。20年から2軍監督。22年から1軍コーチを務め、今季1軍監督に就任。00年シドニー五輪、08年北京五輪、09、13年WBCで日本代表。180センチ、88キロ。右投げ左打ち。

◆投打の役者が優勝を決めた! 王手を懸けた一戦で先発マウンドを託された巨人菅野智之投手(34)が、8回6安打1失点で15勝目を挙げ4年ぶりの最多勝のタイトルをほぼ手中に収めた。主将で4番の岡本和真内野手(28)は6回に左中間を破る勝ち越し適時打を放ち、王、長嶋、阿部に並ぶ球団歴代2位となる今季21度目の勝利打点をマーク。大エースが抑えて、主砲が打つ-。最高の形で歓喜のセプテンバーをもたらした。V奪回を支えたのは投手陣の復活だった。防御率は先発、救援のどちらもリーグ1位。ともに2点台は15年(先発2・81、救援2・71)以来で、両方ともリーグ1位は12年以来チーム12年ぶりだった。先発陣の勝敗は55勝41敗で、貯金14は阪神の12を抑えてリーグ最多。V逸の過去3年はいずれも貯金をつくれなかったが、優勝した20年以来となる2桁貯金を記録した。救援陣の復調も大きく、防御率は2年連続のリーグ最下位から1位に。逆転負けの数を見ても、21年21回→22年25回→23年30回→24年17回と半減。救援陣がリードを守ってつないだことも、先発陣の2桁貯金に大きくつながった。特に大きかったのは今年35歳を迎える菅野の復活だ。15勝3敗、防御率1・67で、貯金は1人で12個つくった。35歳シーズンに貯金12以上は05年下柳(阪神=37歳で15勝3敗)以来で、巨人では53年藤本(35歳で17勝6敗)を上回る球団新記録と、「負けない」菅野が戻ってきた。防御率も1点台で、このままシーズンを終えれば、35歳以上では2リーグ制後初。1リーグ時代の44年若林(阪神=39歳で1・56)以来80年ぶりという快記録になる。セ・リーグ初のビジター開幕10連勝など新たな記録をつくった菅野。投手陣最年長が、若手に負けじと阿部新体制でもチームをけん引した。【多田周平】

◆巨人阿部慎之助監督(45)が広島の夜空に舞い上がった。歴史的大混セのペナントレースを今季141試合目で決着させた。優勝争いを繰り広げてきた広島を敵地で圧倒。マジック1で迎えた一戦は自力でゴールに飛び込んだ。新人監督がチームを20年以来4年ぶりのペナント奪回に導いた。就任1年目でのリーグ優勝は、球団では02年原辰徳監督以来6人目。阿部監督を船頭に"新風"をスローガンに掲げた「強くて、愛される」巨人軍が幕開けした。巨人が20年以来、セ・リーグ39度目、1リーグ時代から通算48度目のリーグ優勝を決めた。巨人の連続V逸は過去3度ある4年が最長で、就任1年目の阿部監督がワースト記録に並ぶのを回避した。新人監督のVは22人目で、巨人では02年原監督以来6人目。両リーグで新人監督が優勝は、15年の工藤監督(ソフトバンク)と真中監督(ヤクルト)以来5度目。阿部監督は現役時代に通算2132安打、406本塁打した捕手。通算2000安打以上、400本以上のV監督は今季の小久保監督(ソフトバンク)もおり、2人とも1年目で優勝した。また、捕手出身監督の優勝は7人目で、セ・リーグではヤクルトで4度Vの野村監督以来2人目。巨人球団史 日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時、読売新聞の正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)など今回で39度目。日本シリーズ優勝22度。オーナーは山口寿一氏。

◆投打の役者が優勝を決めた! 王手を懸けた一戦で先発マウンドを託された巨人菅野智之投手(34)が、8回6安打1失点で15勝目を挙げ4年ぶりの最多勝のタイトルをほぼ手中に収めた。主将で4番の岡本和真内野手(28)は6回に左中間を破る勝ち越し適時打を放ち、王、長嶋、阿部に並ぶ球団歴代2位となる今季21度目の勝利打点をマーク。大エースが抑えて、主砲が打つ-。最高の形で歓喜のセプテンバーをもたらした。今季の巨人が無得点に終わった試合は22試合(0-0の2試合を含む)。22試合も無得点試合があって優勝は62年阪神、11年中日に次いで3チーム目。打てずに敗れた試合が目立った中、岡本和の勝負強さは際だった。勝利打点(V打)が21度で、肩書付きの殊勲安打32本、殊勲本塁打が17本でいずれもリーグ最多。2リーグ制後、3部門ともリーグ1位の「殊勲3冠」の巨人の選手は、57年宮本、63年長嶋、70、78年王、02年松井、12年阿部に次ぎ6人目。4番らしく勝負どころでの一打で白星を拾っていった。岡本和以外にV打を記録したのは18人。19人以上のV打で優勝は90年巨人以来34年ぶり。開幕戦のルーキー佐々木に始まり、途中加入のヘルナンデスやモンテス、若林もマーク。4番が打てない時は周りがカバーして優勝を後押しした。

◆【日刊スポーツ西日本写真映像チームのとっておき映像プレイバック】巨人が4年ぶりのセ・リーグ制覇! 就任1年目の阿部慎之助監督が、グランドで10度、宙を舞いました!

◆【??歓喜のビール掛け??】#浅野翔吾 選手に炭酸水シャワーを浴びせるのは誰?#亀井善行 コーチ#村田善則 コーチ#19歳に寄り添う優しいアニキたち#お酒を掛けないでください pic.twitter.com/DXtNNDIjtF

◆阿部慎之助監督と坂本勇人選手が共に涙をした特別なリーグ優勝??この2人の関係は涙なくしては見れない??#giants #おめでとうございます #頑張った慎之助 #頑張った勇人 ?????? pic.twitter.com/QdCqwl29qN

◆巨人・菅野智之投手(34)が15勝目を懸けて先発マウンドに上がる。引き分け以上で4年ぶりのリーグ優勝が決定する。

◆広島のドラフト1位・常広羽也斗投手(23)=青学大=が28日、試合前練習に参加し、デビューから2戦2勝をかけて先発する29日の中日戦(マツダ)に向けキャッチボールなどで汗を流した。「たぶん今季1軍で投げるのは最後だと思う。来年に向けて課題をしっかり見つけられるように、自分のピッチングができるようにしたい」前回の1軍登板は5回1失点でプロ初登板先発勝利を挙げた15日のDeNA戦(マツダ)以来となる。2軍では直球の精度向上に取り組み、「そんなに早く(修正)はできないと思うので、今はシュート回転しながら抑えられるようにしたい」と意欲を口にした。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」としている巨人は、1-1の六回に勝ち越しに成功した。岡本和真内野手(28)が無死一塁で左中間を破る適時二塁打。外角低めの難しい変化球を捉えた。3番・吉川のこの日3安打目となる左前打に続く快音で、2人で勝ち越し点を刻んだ。次打者の坂本が一ゴロに倒れたところで広島の先発・森下が降板。その後2死一、三塁で小林が右前適時打を放ち、3-1とリードを広げた。引き分け以上で4年ぶりのリーグVが決まる。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」にしていた巨人が広島を8-1で下し、セ・リーグを4年ぶりに制した。1リーグ時代の9度を含む通算48度目の優勝を飾った。大勢投手(25)が胴上げ投手になった。就任1年目の阿部慎之助監督(45)が伝統球団を再建した。開幕直後は出遅れたが、シーズン中盤に戦力を再整備。9月に入って直接対決で広島をたたき、阪神の追い上げを振り切って、そのままゴールした。試合終了後にはマウンド付近に選手が集まり、阿部監督の目には涙も。指揮官は選手から現役時代の背番号と同じ数の10回胴上げされた。巨人は12年ぶり23度目の日本一を目指し、クライマックスシリーズには10月16日開始のファイナルステージ(6試合制)から出場する。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」にしていた巨人が広島に快勝し、セ・リーグを4年ぶりに制した。1リーグ時代の9度を含む通算48度目の優勝を飾った。就任1年目の阿部慎之助監督(45)が伝統球団を再建した。開幕直後は出遅れたが、シーズン中盤に戦力を再整備。9月に入って直接対決で広島をたたき、阪神の追い上げを振り切ってそのままゴールした。データBOXは以下の通り。?巨人が2020年以来4年ぶり通算39度目のセ・リーグ優勝。1リーグ時代の9度を合わせると歴代最多の通算48度目の優勝を決めた。優勝回数の歴代2位は西武(前身を含む)の23度。?ソフトバンク・小久保監督に続いて阿部監督も就任1年目に優勝。巨人の新人監督の優勝は1936年秋の藤本定義(36年がプロ野球元年)、43年の中島治康(前年度チーム優勝)、61年の川上哲治(同2位)、81年の藤田元司(同3位)、2002年の原辰徳(同2位)に次いで22年ぶり6人目。?前年度4位以下のチームを立て直して優勝に導いた新人監督は巨人で初めて。全体では1946年のグレートリング・山本(鶴岡)一人(同6位)、75年の広島・古葉竹識(同最下位)、2008年の西武・渡辺久信(同5位)、15年のヤクルト・真中満(同最下位)、21年のオリックス・中嶋聡(同最下位)に次いで3年ぶり6人目。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」にしていた巨人が広島を8-1で下し、セ・リーグを4年ぶりに制した。1リーグ時代の9度を含む通算48度目の優勝を飾った。試合終了後にはマウンド付近に選手が集まり、就任1年目の阿部慎之助監督(45)は、選手から現役時代の背番号と同じ数の10回胴上げされた。阿部監督の一問一答は以下のとおり。原前監督の話になると、涙を浮かべた。-ー今のお気持ちを「最高で~~す!」-ー今日のゲーム展開は「何回も言わせないで...」-ー今年の強さを象徴するようなゲーム運び「いや、本当に全員で行くぞっていうのは、ずっと言ってきたんで。最高のゲームでしたね」-ーエース菅野が投げ、そして中軸が打ち、まさに今年を凝縮したようなゲーム「その通りで。信じてよかったなと思います」-ー最後は大勢「そうですね、うちの抑えですから。最後は締めくくるということで行かせていただきました」-ーベテランから若手までまとまった「菅野がすごいね。引っ張ってくれているっていうのは見えてましたし、それに、後だったり、いろんなピッチャーが切磋琢磨してやってくれたんで。その結果だと思います-ーそして野手陣はベテランも、そして中堅もシーズン終盤で若手も「いや、本当にみんな頑張ってくれたなと思いますし、やってる選手はすごくこのペナントレース苦しかったと思いますし、苦しいチームが一番勝つっていうのは、こういうことだなっていうのは実感できました」-ー8月末から9月に抜け出した決め手「チーム力だと思います」-ーチームの1番良かったところ「全員同じ方向を向いて、キャンプから始まったこと。誰1人、そっぽを向かなかったこと。それだと思います」-ー就任1年目で結果「ほっとしてます」-ー原前監督からバトンを受け継いだ「もちろんプレッシャーはありましたし、この場をお借りして、原さんが...。指導者に...。ね。導いていただいてよかったなと思います。感謝してます」-ー今日の大声援届いていたか「そうですね。本当に最高のボルテージの中、選手は幸せだったと思います。本当にありがとうございます」-ー選手、スタッフ、原前監督、ファンの皆さんにメッセージ「無事に優勝することができて感無量です。今日一日だけは 余韻に浸って、まだまだ先がありますんで、それを見据えてしっかりやっていきたいと思いますんで、最後の最後まで熱いご声援よろしくお願いいたします。本当にありがとうございました」

◆プロ野球巨人が28日、2020年以来4年ぶり39度目のセ・リーグ優勝を果たした。マジックナンバーを「1」として臨んだマツダスタジアムでの広島戦に8―1で勝った。1リーグ時代の9度を含め通算48度目の制覇で、強打の捕手だった45歳の阿部慎之助監督は就任1年目で栄冠。過去2年連続4位だったが、今季初めて開幕投手を務めた戸郷翔征、復調した菅野智之両投手が二枚看板として活躍した。今月に入って広島を抜き、昨季王者の阪神の追い上げを振り切った。日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)には10月16日開始のファイナルステージから出場。12年ぶり23度目の日本一を狙う。巨人・阿部監督 無事に優勝することができて感無量。全員でいくぞというのはずっと言ってきたので、最高のゲームだった。選手はこのペナントレース、苦しかったと思う。苦しいチームが一番勝つというのはこういうことだなと実感できた。阪神・岡田監督 「(ライバルは)巨人かなという感じは持っていた。(勝因は)やっぱり菅野。貯金をあれだけつくったのは大きい。去年からの一番の違い。そこに尽きる」DeNA・三浦監督 「原監督の良かった部分を継承しつつ、若手とベテランをうまく融合させていた。走攻守全てにおいて隙がなかった。うちはかなりやられたので、まだまだだなと感じた」広島・新井監督 「強かった。ベテランと若手と外国人選手がかみ合っている印象を受けた。岡本君が中心としてしっかりと、どかっと座っていたのが大きかった」中日・立浪監督 「打線が特別脅威だったわけではないが、やはり先発投手が安定していた。トータルでバランスのいいチームだった。一人一人の気持ちの入り方も違った」ヤクルト・高津監督 「菅野、戸郷がしっかりしていて大きな連敗をしない。代打や救援陣も含めバランスの良さを感じた。年間通してどっしりと考えたゲームをやられた」

◆巨人・菅野智之投手が8回1失点で両リーグトップの15勝目を挙げた。優勝マジック1で迎えた大一番へ、「しびれる試合に投げさせてもらえるのは幸せ。あと何年、野球をやれるか分からないが、自分の財産になる。結果で恩返ししたい」と意欲を示していた通り、復活を果たした今季を象徴する安定感にあふれた投球で歓喜を引き寄せた。

◆プロ野球巨人が28日、2020年以来4年ぶり39度目のセ・リーグ優勝を果たした。マジックナンバーを「1」として臨んだマツダスタジアムでの広島戦に8―1で勝った。1リーグ時代の9度を含め通算48度目の制覇で、強打の捕手だった45歳の阿部慎之助監督は就任1年目で栄冠。過去2年連続4位だったが、今季初めて開幕投手を務めた戸郷翔征、復調した菅野智之両投手が二枚看板として活躍した。今月に入って広島を抜き、昨季王者の阪神の追い上げを振り切った。日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)には10月16日開始のファイナルステージから出場。12年ぶり23度目の日本一を狙う。榊原定征コミッショナーの話 「球団創設90周年を迎えた大事なシーズンを託された阿部監督は、ベテランと若い力を上手にまとめ上げ、特に大接戦となった終盤では、チーム力を結集した素晴らしい戦いぶりであったと思います」

◆巨人・大勢が試合を締め、胴上げ投手となった。高梨に代わって九回2死から登板。中前打を浴びても次打者を二ゴロに仕留め、グラブを大きく投げ、捕手の小林と抱き合い、喜んだ。「ぜいたくな登板をさせていただいた。次は三振で日本一の胴上げ投手になれるようにしたい」とうれしそうだった。前半戦に右肩の張りで離脱するなど苦しい時期を乗り越え、手にした歓喜。「去年もけがをしたし、いろいろな思いがあった」とかみしめた。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」にしていた巨人が広島を8-1で下し、セ・リーグを4年ぶりに制した。1リーグ時代の9度を含む通算48度目の優勝を飾った。大勢投手(25)が胴上げ投手になった。就任1年目の阿部慎之助監督(45)が伝統球団を再建した。開幕直後は出遅れたが、シーズン中盤に戦力を再整備。9月に入って直接対決で広島をたたき、阪神の追い上げを振り切って、そのままゴールした。?岡本和の勝利打点は両リーグ最多の21度。2リーグ制(1950年)以降、巨人で勝利打点を20度以上挙げたのは長嶋茂雄(63、66年21)、王貞治(70年20、78年21)、原辰徳(83年20)、小笠原道大(08年20、09年22)、阿部慎之助(12年21)に次ぐ12年ぶり6人目(9度目)。全試合に4番で先発出場し20度以上なら、岡本和が初。?チーム本塁打数は昨季のリーグ最多の164本から今季は同3位の80本と半減。2リーグ制以降、巨人が優勝したシーズンにチーム本塁打が90本に届かずに終われば、52年(77本)、53年(80本)、55年(84本)、61年(89本)に次いで63年ぶり5度目。?チーム失策数はリーグ最少の57。防御率もリーグ1位の2・47(自責点349)。失点数はリーグ最少の374。投手の責任とならない失点(失点と自責点の差)が25と失策からの失点を投手陣が防いだ。巨人で非自責点が25以下のシーズンは2リーグ制以降、89年(25)、96年(21)の2度でいずれも優勝。?ホームで38勝30敗3分けの貯金8、ビジターでは38勝28敗4分けの貯金10。菅野がビジターでつくった貯金10(11勝1敗)が優勝に貢献。?先取点を挙げた試合は59勝15敗3分けでリーグ1位の勝率・797。逆転負けがリーグ最少の17度。八回裏終了時点でリードした試合は68勝3敗の勝率・958。セ・リーグ相手には1敗と投手陣の活躍が際立った。?犠打数は昨季リーグ5位の93から今季は同2位の121。投手の犠打が昨季の24から47に増え、戸郷が門脇と並んでチームトップの16と得点機会をつくった。巨人で投手が16犠打以上したのは58年の藤田元司(16)以来66年ぶり。

◆巨人が2020年以来4年ぶり39度目のセ・リーグ優勝を果たした。マジックナンバーを「1」として臨んだマツダスタジアムでの広島戦に8―1で勝った。1リーグ時代の9度を含め通算48度目の制覇で、強打の捕手だった45歳の阿部慎之助監督は就任1年目で栄冠。長野 「個人的には(優勝は)2014年以来なのでうれしい。(阿部)監督が泣いていたのでもらい泣きしそうになった」丸 「何とか耐えて耐えての戦いだったけど、最後みんなの力が一つになって優勝を勝ち取れた」浅野 「後半の少ししか試合に出ていないけど、この一カ月間で苦しい思いをしながら、楽しいこともあって優勝できてよかった」門脇 「いいときばかりでなく、苦労もしたけど、それも含めて優勝できて報われた」吉川 「(前回優勝の)4年前は何もできなかった。今年は少し貢献できたという意味でうれしかった」船迫 「優勝を目指してやってきたので頑張ってきてよかった」

◆広島は優勝根のマジックナンバー「1」としていた巨人に敗れ、マツダスタジアムでの胴上げを許した。9月は5勝19敗で、球団ワーストタイとなる1953年9月、93年9月以来の月間19敗目。試合後の新井貴浩監督(47)の一問一答は次の通り。──森下は5回?を8安打3失点で自身6連敗となる10敗目。中5日で何とかという気持ち「粘り強く投げていたけど、最後ちょっと指がね、ちょっと皮がちょっとめくれたんで」──勝ち星が挙げられず苦しい登板が続く「悔しい形が続いて終わったんで、これをまたつなげてほしい。まだもうちょっと回復具合を見ないとわからない。まだ残り試合があるかどうかもわからない。それプラス、来年につなげてもらいたいなと思います」─―森下のバッテリーが坂倉に「ちょっとアツ(会沢)がどうとかじゃなしに、若い選手使いたかった」──巨人にリーグ優勝を許して悔しい思い「もちろんね、悔しいですし、この悔しさを持ってね、残りゲームを戦いたいなと思います」──特に若い選手はこの経験を次に生かしてほしい「もちろんそう。自分だけじゃないしね、選手も当然悔しいと思うんでね。その悔しい気持ちを持ち続けて、残り試合、そして来年に向かっていきたいと思います」

◆巨人の守護神・大勢が試合を締め、胴上げ投手となった。九回2死から高梨に代わって登板。二俣に中前に運ばれたが、末包を二ゴロに仕留めるとグラブを放り投げ、小林と抱擁して喜んだ。前半戦に右肩の張りで離脱するなど苦しい時期を乗り越え、28セーブをマーク。「ぜいたくな登板をさせていただいた。また日本一の胴上げ投手になれるようにしたい」と決意を新たにした。

◆巨人が広島を8-1で下し、セ・リーグを4年ぶりに制した。1リーグ時代の9度を含む通算48度目の優勝を飾った。以下、優勝コメント集。岡本和真内野手 「この優勝をまず目指してやってきたので良かった。僕自身初めての日本一を経験したいので、そこに向けて頑張りたい」菅野智之投手 「うれしいという簡単な言葉では片付けられないぐらい、すごく充実していてほっとしている。19、20年と(日本シリーズで)ソフトバンクにこてんぱんにやられた。その時と比べものにならないぐらいチーム力があり楽しみ」戸郷翔征投手 「4年前は右も左も分からなかった。今年はチームのことを考え、多少苦しいこともあったが、優勝できて最高だった。個人としてすごく成長した一年」吉川尚輝内野手 「少しは貢献できたのかなと思う。リーグ優勝したが、これからまた(日本一への)戦いが始まるので、変わらずやっていきたい」浅野翔吾外野手 「後半戦の少ししか試合に出ていないが、苦しい思いもしながら楽しい思いもたくさんあったので優勝できて良かった」大城卓三捕手 「最後の最後まで競って、こうやって優勝が決まってうれしい。与えられたところで自分のできる精いっぱいをやろうと思っていた」

◆巨人・戸郷は「チームのことを考えてやってきた中で、優勝できたのは最高でした」と破顔した。自身初の開幕投手を託された今季は5月24日の阪神戦(甲子園)で無安打無得点投球を達成するなど、3年連続で12勝をマーク。前回優勝も経験している右腕は「2019、20年は(日本シリーズで敗退し)悔しい思いをした。この喜びをかみしめて日本一にもなれたら」と誓った。

◆巨人は広島市内のチーム宿舎で祝勝会を行い、阿部監督が「『やってやろうじゃねえか!』で始まって、やってやったなー!」とあいさつ。続けて主将の岡本和が「阿部監督、いま泣いていたら、日本一になったら失神しちゃうんじゃないですか? いくぞ! いくぞ! いくぞー!!」と乾杯の音頭を取り、約3000本のビールをかけ合った。

◆巨人が28日、2020年以来4年ぶり39度目のセ・リーグ優勝を果たした。マジックナンバーを1として臨んだ広島最終戦(マツダ)に8―1で勝利。1リーグ時代の9度を含め通算48度目の制覇で、就任1年目の阿部慎之助監督(45)が過去2年連続4位から覇権を奪還。リーグ最少失策数の鉄壁守備が、守り勝つ阿部野球を支えた。 守備位置別でリーグトップの守備率・994(27日時点)を誇る巨人の二塁手、吉川尚輝内野手(29)と遊撃手・門脇誠内野手(23)はそろって歓喜の輪に飛び込んだ。開幕戦で二遊間を組んだ2人。2年目の門脇は攻守に調子が上がらず悩んだとき、今季は全141試合に二塁で先発した吉川に助言を求めた。創価大時代から目標とし、チームメートとなったことが「夢のよう」と語る門脇は「結局は経験。試合に出てボールを処理して、自信をつけるしかない」と諭された。後半戦に入ってからは登場曲を変更。吉川が使うヒップホップグループ「DOBERMAN INFINITY」の楽曲から『アンセム』を薦められた。それを機に打撃成績が向上し、優勝を決めた試合でも適時打をマーク。吉川は「俺のおかげですね」とニヤリと笑い、自身も4安打を放って美酒に酔いしれた。(原田優介)

◆最高でーす!! 巨人が28日、2020年以来4年ぶり39度目のセ・リーグ優勝を果たした。マジックナンバーを1として臨んだ広島最終戦(マツダ)に8―1で勝利。1リーグ時代の9度を含め通算48度目の制覇で、就任1年目の阿部慎之助監督(45)が過去2年連続4位から覇権を奪還した。日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)には10月16日開始のファイナルステージから出場。12年ぶり23度目の日本一を狙う。阿部監督が泣き顔で歓喜の輪に近づいた。就任1年目、球団創設90周年の節目に覇権を奪還。ナインの手で現役時代の背番号と同じ10度、広島の夜空に舞った。「最高でーす!!」。思い切り叫んで始まった優勝インタビューは、声の震えが収まらなかった。「うれしくて泣くのは僕も久しぶりだった。みんな同じ気持ちだったんだな。(勝てて)ホッとした。(要因は)キャンプから誰一人、そっぽを向かなかったこと」第3次政権まで計17年間、チームを率いた原辰徳前監督から、監督の座を引き継いだ。45歳の青年監督は兄貴分のような距離感で選手たちを鼓舞し、過去2年連続4位と苦しんだチームを再建。7月上旬まで勝率5割を保つのがやっとの状態でも「勝負は9月」とにらんで動じず、混戦で迎えた9月を14勝8敗1分けと抜け出した。8月3日以降は3連敗が一度もなく、現役時代の登場曲名と同じ〝セプテンバー(9月)〟に強さを発揮した。就任後、9カ条のルールやチーム方針を記したクレドカードを配布した。試合の前夜にチームのグループチャットで伝えていた翌日のスタメンは「みんなに同じ気持ちで試合を迎えてほしい」と当日発表に変更。6月下旬、坂本に2軍調整を命じた際は「あいつの若い頃の打撃をユーチューブでずっと見ている」と自身も打開策を探り、取り戻させた勝負強さを大事な秋に発揮させた。拙守が目立った19歳の浅野には「ビビらずやれ」と励ました。開幕前日の3月28日夕方、巨人の中学生チームに所属する長男の成真(せいま)君を連れ、千葉・浦安市の実家へ向かった。待っていたのは、父であり幼少期からの野球の師、東司(とうじ)さん(69)だ。近所の練習場で、阿部監督が投げるボールを成真君が打ち、撮影役は東司さん。約1時間半。男3代、笑顔で白球を追った。「リラックスするために来たのかな」と東司さん。阿部監督が東京・安田学園高に入学する前日も、親子2人で久しぶりにティー打撃をした。門出の前には原点に立ち返る。監督としての第一歩も、同じように踏み出した。毎日のようにLINEで連絡を取り合う父から届くのは『平常心』。開幕前は「監督は常にポーカーフェース。ここってときに感情を出せばいい」と助言された。ベンチでめったにはしゃがないのは「選手にはカッカしてもらって、僕は常に冷静に指揮を執れたらいい」という自律から。えくぼがチャームポイントの笑顔は、鉄仮面に隠した。冷静さを支えるのは、ベンチで時折、ポケットから取り出すメモ帳だ。選手への不満を記すときもある。春先にハマったTBS系ドラマ『不適切にもほどがある!』よろしく、昭和なら許された辛辣な言葉を口走りそうなのをグッとこらえ、ペンを走らせた。引退翌年の2020年に2軍監督で指導者デビューした頃から書きためた数冊のノートは「(自宅に)取ってある。それが財産。何年か後に、すげえ文句が書いてあるな~って見て楽しめばいいんだ」。ペーパーレスの時代に積み重ねた備忘録が、リーダーとしての成長の証しだ。ただ「最近は書くことが少なくなったよ」。〝小言〟が減った奇麗なページが物語るのは、愛情を込めて育てたチームの成長だ。球団の長い歴史の中で、2軍監督を経て1軍の指揮を執ったのは阿部監督が初めて。経験と天性のリーダーシップで統率したチームが、新たな黄金時代の幕開けを迎えた。(谷川直之)■阿部 慎之助(あべ・しんのすけ) 1979(昭和54)年3月20日生まれ、45歳。千葉県出身。東京・安田学園高から中大を経て2001年、ドラフト1位で巨人入団。1年目から正捕手として活躍し、12年にMVP、首位打者、打点王に輝き、正力松太郎賞を受賞した。17年に通算2000安打を達成し、19年限りで現役を引退。通算成績は2282試合で打率・284(2132安打)、406本塁打、1285打点。20年から巨人で2軍監督、1軍ヘッド兼バッテリーコーチなどを歴任し、24年に1軍監督に就任。背番号83。

◆歓喜の瞬間が訪れた!! 巨人・菅野智之投手(34)が28日の広島戦(マツダ)に先発登板し8回1失点。優勝を決めた試合で15勝目を挙げた。巨人の投手が35歳以上のシーズンに15勝以上を挙げたのは1955年の中尾碩志に次いで69年ぶり3人目。昨季4勝から復活を印象づけ、前回優勝時の2020年以来、4年ぶり3度目のMVP受賞が有力視される。自らを律し、美酒にたどり着いた。菅野が8回1失点で両リーグトップの15勝目。九回はベンチから戦況を見つめ、勝利の瞬間に飛び出して歓喜の輪に加わった。「緊張もプレッシャーもありましたけど、今日こういう巡り合わせで回ってきてよかった」右肘の張りで開幕に出遅れた昨季は自己最少の4勝。「このままだと野球人生が終わってしまう」とプロ12年目に臨んだ。オフに「200メートル走を毎日最低10本」と例年の約2倍走り込み、キャンプイン。杉内、内海両投手コーチからは「最低15勝」とハッパを掛けられた。先発ローテーションの6番手の立場から快投を重ねていた7月頃から約2カ月間、酒を断った。以前は休日に大衆的な中華料理店で酒をたしなむこともあったが「優勝するまでは飲まないと決めた」。禁酒してから2週間後。遠征先で後輩の井上と訪れたステーキ店で、隣席の客がワインを飲んでいるのが目に入り「この肉とワイン、最高だろうな」と喉を鳴らした。それでも、自分との約束を貫いた。「勝負事は苦しくてしんどいけれど、それをはねのけた人が勝つ」と勝負の9月には3年ぶりに中4日で登板。優勝決定の試合で目標の15勝に到達し、10月11日に35歳となる投手陣最年長の右腕が優勝の原動力となった。巨人の投手が35歳以上のシーズンに15勝以上を挙げたのは1953年の藤本英雄(35歳17勝)、54、55年の中尾碩志(35歳15勝、36歳16勝)に次いで69年ぶり3人目。通算136勝となり、巨人では江川卓の135勝を抜いて単独10位となった。「うれしいという簡単な言葉では片付けられないくらい充実している」と菅野。試合後のビールかけで口にした久しぶりアルコールは、格別だった。(原田優介)?チーム失策数はリーグ最少の57。防御率もリーグ1位の2・47(自責点349)。失点数はリーグ最少の374。投手の責任とならない失点(失点と自責点の差)が25と失策からの失点を投手陣が防いだ。巨人で非自責点が25以下のシーズンは2リーグ制以降、89年(25)、96年(21)の2度でいずれも優勝。?ホームで38勝30敗3分けの貯金8、ビジターでは38勝28敗4分けの貯金10。菅野がビジターでつくった貯金10(11勝1敗)が優勝に貢献。?先取点を挙げた試合は59勝15敗3分けでリーグ1位の勝率・797。逆転負けがリーグ最少の17度。八回裏終了時点でリードした試合は68勝3敗の勝率・958。セ・リーグ相手には1敗と投手陣の活躍が際立った。

◆巨人・坂本勇人内野手(35)がサンケイスポーツに独占手記を寄せた。新人時代から兄貴分と慕う阿部慎之助監督(45)への思いを胸に戦ったプロ18年目は、レギュラーをつかんだ2年目以降、キャリア最低の打撃成績に沈んだ。肉体的な衰えを受け入れ、孤独な2軍調整で覚えた〝危機感〟で自身を鼓舞。08年以降では自身8度目の優勝について、酸いも甘いも知り尽くすスターが赤裸々につづった。阿部さんを男にするのが今年の目標だった。今までの優勝で一番うれしい。自分でも泣いてしまうとは思わなかった。阿部さんを胴上げできて、本当によかった。プロ1年目を終えた後の自主トレからお世話になって、ずっと尊敬している方だから。監督になられて1年目からメディアを通してバンバン言いたいことを言っているのは、すごい。選手に厳しく言うときも、ちゃんと愛情がある。試合中、めちゃくちゃ怒りたいんだろうなというときも、できるだけ冷静にしてくれている。若い選手は萎縮せずやれるはず。一人の選手として「いい監督だな」と思う。本当は、今年の僕に言いたいこと、いっぱいあるんやろうなぁと思うけど、実績をリスペクトしてくれているのを感じる。救われたのは、九回に9点を奪って逆転勝ちした9月11日の広島戦(※1)。0-2で迎えた九回無死一、二塁。今年はバントのサインは一度もなかったけど、僕の成績なら『バントがあるな』と思った。自分からベンチへ言いに行こうと思ったら、ちょうど阿部さんがネクストバッターズサークルの僕のところへ来て、「結果はどうでもいいから好きに打て」と背中を押してくれた。広島との首位攻防戦で、こんなに打っていないバッターにそう言ってくれるのが、阿部さんの強いところ。意気に感じて打席に立てたことがヒットにつながったと思う。あのときは少し、阿部さんの気持ちに応えられたのかな。今年は和真(岡本)と尚輝(吉川)が中心として頑張ってくれた。丸もそう。本当は僕もそこに入りたかった。入らないといけなかった。人生でこんなに打てないシーズンはない。打ち方を変えようとしても、なかなか思ったように体が動かないこともあった。こういうときが今年、来たんだな、と。夏のファームでの調整は、けが以外では初めてだった(※2)。監督は「1軍に戻る日は自分で決めていい」と言ってくれた。ジャイアンツ球場で走り込んだり、打ち込んだり。プレッシャーやストレスがない楽な環境だった。でも、そこに甘えて、長くやっていていいのかと思った。2軍で打撃練習をしていて何かが変わるのか、何かをつかめるのか。正直、そうも感じられなかった。そんな状態で1軍に戻るのはチームにとってマイナスかもしれない。でも、あと何年、現役でできるか分からない中で、ここで逃げたら本当に駄目になってしまう、常に1軍の緊張感の中にいないといけない。そういう気持ちになった。一生忘れられないぐらいこたえたのは、やっぱり9月22日の阪神戦(※3)。今年は絶好機で回ってきて、簡単に凡打してしまう場面が多かったけど、ここでもそうなるか、と...。情けなくて、翌日も引きずった。23日の出番は七回。一、三塁で代打が回ってきたときは正直、『あぁ、ここで打てないとやばいな。すごい試練が来たな』と思った。ただ打席に立ってしまえば、優勝争いとか『やばい』という気持ちは一切、頭にない。そこで足が震えるようなら、この世界で長くやれない。どの打席も「何とかして打ちたい」という気持ちは変わらないから。信じて使ってくれている阿部さんの気持ちに応えないといけない。日本一に向けて、少しでも力になりたい。チームでは銀座のパレードを経験したことがない選手がほとんどになった(※4)。智之(菅野)だって、ないと言っていた。もう12年も前だけど、あれは本当に最高だから。今年こそ、このチームのみんなで味わいたい。(読売巨人軍内野手)(※1) 9月11日、広島との首位攻防第2戦(マツダ)。0-2で迎えた九回、坂本は無死一、二塁で栗林から左前打を放ち、9得点のビッグイニングを呼び込んだ。(※2) 打撃不振だった坂本は6月26日に出場選手登録を外れ、7月12日の再昇格まで約2週間、ジャイアンツ球場で走り込むなど猛練習を積んだ。(※3) 9月22日、2位阪神と2ゲーム差で直接対決(甲子園)に臨み、坂本は得点圏で3度凡退。0-1で敗れた。翌23日の同カードは七回無死一、三塁で代打で登場。高橋から均衡を破る右前適時打を放ち、1-0の勝利に導いた。(※4) 巨人が日本一になった年の恒例行事。前回の2012年は11月25日に東京・日本橋の三越本店前から銀座8丁目まで約2.3キロをパレードし、約38万人が集結。菅野は翌13年ドラフト1位で入団した。坂本は「5番・三塁」で2試合ぶりに先発出場し、九回に駄目押しの中前適時打を放つなど2安打1打点。今季から本格転向した三塁で歓喜の瞬間を迎えた。目に涙を浮かべ、胴上げが終わった阿部監督と抱擁した。2022年限りで主将の座を降りてからは初めての優勝。ビールかけでは、兄貴分として慕う阿部監督と肩を組むおちゃめなシーンがあった。■坂本 勇人(さかもと・はやと) 1988(昭和63)年12月14日生まれ、35歳。兵庫県出身。青森・光星学院(現八戸学院光星)高では3年春の選抜大会出場。2007年高校生ドラフト1巡目で巨人入団。2年目に遊撃の定位置を獲得し12年に最多安打、16年に首位打者と最高出塁率に輝いた。19年は自己最多の40本塁打を放って優勝に貢献し、MVPに選出された。20年に通算2000安打を達成。第19代主将(15―22年)。13、17年WBC、21年東京五輪日本代表。186センチ、86キロ。右投げ右打ち。独身。年俸6億円。背番号6。

◆巨人に目の前での胴上げを許し、9月は5勝19敗となった。球団ワーストの月間19敗(1953年9月、93年9月)に並び、新井監督は「この悔しさを持ち続けて残り試合、来年に向かっていきたい」と前を向いた。この日試合がなかった3位DeNAとのゲーム差は1・5に広がった。今月最後のゲームとなる29日の中日戦(マツダ)に敗れれば、球団ワーストを更新しリーグワーストタイの月間20敗となる。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」にしていた巨人が広島に快勝し、セ・リーグを4年ぶりに制した。1リーグ時代の9度を含む通算48度目の優勝を飾った。責任と重圧-。主将として、4番打者として戦ってきた日々が報われた瞬間だった。勝ち越し二塁打を含む4安打で3打点を挙げた岡本和真内野手(28)は歓喜の中心で笑顔を見せた。「この優勝を目指してやってきた。こういうところで打ちたいと思って取り組んできて、最後は打つことができた」1―1の六回無死一塁で左中間へ適時二塁打。3―1の七回1死一、三塁でも左中間へ2点二塁打を放ち、沸き上がる三塁ベンチに塁上で両手を上げて応えた。打撃の歯車が狂った6月は打率・217と低迷。理想と現実のはざまで葛藤し、嘆く日もあった。それでも「僕が打っていれば」と全試合で宿命を背負い続けたのは、阿部監督を男にしたい一心からだった。〝あの日〟の心遣いに報いたかった。打撃不振で3年ぶりに4番を外れた2022年。もがき苦しむ中、当時1軍作戦兼ディフェンスチーフコーチだった阿部監督の自宅に招かれた。新旧4番2人だけの時間。普段は下戸でほとんど酒を口にしない岡本和も「あの日ばかりは少し飲みましたね」。ほろ酔いになりながら耳を傾けた先輩の助言に救われた。「酔拳でいくくらいでいいんだよ」抱え込みすぎずにやってほしいという意味が込められた言葉。何より気にかけてくれていることがうれしかった。1軍で出始めた頃からロッカーが隣で4番道を教わった。「僕のことをよく知ってくれている数少ない方。言葉を掛けてくれるのはありがたい」。最高の形で恩返しした。「これからはもっと厳しい戦いになる。僕自身、日本一は経験していないので頑張っていきたい」。背番号25が広島の地で優勝の喜びに酔いしれた。(樋口航)?岡本和の勝利打点は両リーグ最多の21度。2リーグ制(1950年)以降、巨人で勝利打点を20度以上挙げたのは長嶋茂雄(63、66年21)、王貞治(70年20、78年21)、原辰徳(83年20)、小笠原道大(08年20、09年22)、阿部慎之助(12年21)に次ぐ12年ぶり6人目(9度目)。全試合に4番で先発出場し20度以上なら、岡本和が初。?チーム本塁打数は昨季のリーグ最多の164本から今季は同3位の80本と半減。2リーグ制以降、巨人が優勝したシーズンにチーム本塁打が90本に届かずに終われば、52年(77本)、53年(80本)、55年(84本)、61年(89本)に次いで63年ぶり5度目。

◆巨人の優勝に貢献した高梨雄平投手(32)、船迫大雅投手(27)、大勢投手(25)の〝しゃべくり救援トリオ〟による座談会が実現。絶対的守護神の大勢が離脱した際の秘話や、新たな〝儀式〟が誕生したブルペンの雰囲気などを明かした。(取材構成・樋口航)-―大勢投手は右肩の違和感で5月に離脱したが、6月末の復帰後は守護神として君臨した高梨 「大勢がいたから勝てました。いないときはきつかったけど、いなかったから成長できた部分もある」船迫 「大勢がいるかいないかは全然違いますよね。あのときは地獄だった。でも、『どうにか、このメンバーで一つ勝とう』みたいな雰囲気がありましたよね」大勢 「当時は責任感を勝手に感じていて、(2人に)そういうふうに言ってもらえると思っていなかった。いろんな人にカバーしてもらって、感謝しながらテレビで試合を見ていました」-―離脱中に連絡は大勢 「梨さん(高梨)とご飯に行きました」高梨 「メシに行ったね」大勢 「バッサー(船迫)からはLINEがきました」-―どんなやり取りを高梨 「お前が帰ってくるのが遅かったら『詰む(行き詰まる)ぞ』って。そんな話をしたよね?」大勢 「しました。でも、梨さんから『お前は1軍に帰ってきても九回は投げられない』とステーキを食べながら言われました。そのとき、(代役で抑えを務めた)バルちゃん(バルドナード)が〝無双していた〟ので」船迫 「ブルペンキャッチャーの柳桓湊(リュ・ファンジン)さんを映した『早く戻ってこいよ』とメッセージ(付きの)の動画は送りました」-―大勢投手の離脱で救援陣はより一致団結した高梨 「そうですね。その時期は何とか耐えて、大勢が帰ってくれば、と(意識しながら)やっていた」船迫 「いなくなって『やばい』ってなったけど、残っている人で頑張るしかないなと」-―新人の西舘投手やソフトバンクから移籍の泉投手ら、新加入のメンバーも多かった高梨 「(全体的に)若くなったと思う。若者の空気ができているので、(32歳の)僕が浮いています」大勢 「でも若者ノリで踊っているのは梨さん」船迫 「中心で踊っているのは梨さんだね」高梨 「言うなよ。いや、もっと言え(笑)」-―どんなときに踊る船迫 「点が入ったりブルペンが盛り上がったときに、踊りが発生します。それを踊るのが梨さん」高梨 「踊っているというか、踊らされているだけだろ。最近ちょっと欲しがっているところはあるけど」大勢 「完全に欲しがっていますね。それでいつも膝を〝やりそう〟になる。そこはしっかりとおじさん」-―どんな踊りを高梨 「TikTok(ティックトック)で流れているやつ。若者の手拍子によって踊らされて、おもちゃにされているおじさんです」船迫 「それをオッケーとしている梨さんの雰囲気が、後輩としてはやりやすい」大勢 「めっちゃ、いい雰囲気。負けていても暗くないですし、それがプレーに出ている。疲れた雰囲気は出ていない」高梨 「それはある。全体的に陽気で、大勢が入ってきてからはめっちゃ陽気。クローザーは結構、ブルペンの空気をつくる。ピリピリする人だと七回ぐらいからみんなしゃべらない。物音にも、ちょっと気を使う」--大勢投手は、それを聞いて大勢 「自分、神経質なんで」高梨 「(ツッコむように)大嘘」船迫 「違う意味で神経質だよな。緊張しないときは静かで、緊張しているときこそ、ふざけている。それでうまく自分をごまかしている」-―昨季リーグワーストだった救援陣の防御率3・81は、1点以上も改善された高梨 「先発がイニングを投げて(稼いで)いるからリリーフも頑張れた。大勢はどう?」大勢 「僕もやっぱり先発が...」高梨 「(話を遮って)それ俺と一緒や。違う視点にして」大勢 「春季キャンプから『やってやろうぜ』という雰囲気でやっていたので、そのおかげだと思います」船迫 「先発の結果もあるけど、去年と違うところは四球とかでの自滅が少ない」-―ブルペンを担当する内海哲也投手コーチの存在は大勢 「僕らみたいに若い世代はやりやすい。お兄ちゃんみたいな存在ですね」高梨 「内海さんは親身だよね。でも大勢と一緒にふざけている。ああいうコーチは、なかなかいないと思うよ。今度、踊らせてみる?」大勢 「多分、踊ってくれますよ。(しみじみと)あの雰囲気、好きだなあ」-―シーズン中、救援陣で食事に行くことは大勢 「広島でみんなでサウナに行きました。(遠征時は宿舎となっているホテルの)食事会場で夜ご飯を食べるんですけど、今年は中継ぎ(投手)でご飯を食べることが多いですよね。外国人を含めて」高梨 「(うなずきながら)確かに」大勢 「仲が良いなって」-―クライマックス、日本シリーズに向けて高梨 「マジで9月から働けていないので、投げたら抑えられるように頑張ります」船迫 「大勢までつなげるように頑張ります」大勢 「経験したことがないけど、(レギュラー)シーズンとは別物かなという感じはします。気負わずに、ボーナスタイムくらいの気持ちでやりたい」

◆ワイワイポーズを披露する巨人・長野久義

◆阿部監督の落ち着いた采配を、優勝の要因に挙げよう。以前に評論したように、まるで「10年監督」。チームに決め手がないまま、よくゴールテープを切れたものだ。失点はリーグ最少ということで、戦いの軸は投手陣。先発組では戸郷が計算通りに働き、菅野が予想以上に活躍した。両輪で回れたのは大きい。それでも、山崎伊はシーズン終盤に足踏み。大勢が途中で抜けるなど、リリーフ陣も盤石というほどではない。大崩れせず、なんとか乗り切ったという感じだよ。得点はリーグ4位。好調者が打てば勝ち、調子が悪くなるとあっさり封じられる。ヘルナンデスとモンテスの両外国人は珍しく掘り出し物だったけど、シーズンを通して、突出した成績を残す打者はいなかった。だから日々、一進一退。阿部監督は、その状況になることを、あらかじめ把握していたかもしれない。ジタバタせず、思い描いた選手起用を貫いた。2年目の浅野も、多少の失敗は気にせず、カンフル剤になると見越して使っていた。そんな監督を見れば、選手にも安心感が生まれるというもの。ペナントレース最終盤に向けてムードが熟成され、チームに「まとまり」が生まれたね。阿部監督は2軍監督を経て、原前監督のもとで1軍ヘッドコーチを経験した。そして原前監督と同じように、圧倒的な戦力で勝ちまくった昔の巨人とは、一線を画す優勝。そこにも意義があるのではないかな。(サンケイスポーツ専属評論家)

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
優勝
(1↑)
巨人
76587 0.567
(↑0.003)
-
(-)
2454
(+8)
374
(+1)
80
(-)
59
(-)
0.246
(↑0.001
2.470
(↑0.01)
2
(-)
阪神
72626 0.537
(↓0.004)
4
(↓1)
3475
(+2)
411
(+7)
67
(-)
38
(-)
0.243
(-)
2.500
(↓0.03)
3
(-)
DeNA
67653 0.508
(-)
8
(↓0.5)
8500
(-)
483
(-)
98
(-)
61
(-)
0.257
(-)
3.120
(-)
4
(-)
広島
66675 0.496
(↓0.004)
9.5
(↓1)
5400
(+1)
404
(+8)
51
(-)
60
(+1)
0.238
(-)
2.600
(↓0.03)
5
(1↑)
ヤクルト
60754 0.444
(↑0.004)
16.5
(-)
4493
(+7)
541
(+2)
100
(+2)
66
(-)
0.243
(↑0.001)
3.660
(↑0.01)
6
(1↓)
中日
58738 0.443
(-)
16.5
(↓0.5)
4364
(-)
467
(-)
65
(-)
37
(-)
0.242
(-)
3.000
(-)