中日(★0対2☆)DeNA =リーグ戦19回戦(2023.08.26)・バンテリンドーム=
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DeNA
00000000000221020
中日
0000000000000800
勝利投手:上茶谷 大河(2勝2敗0S)
(セーブ:森原 康平(2勝0敗9S))
敗戦投手:清水 達也(3勝3敗0S)
  DAZN
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◆DeNAが投手戦を制した。DeNAは0-0で迎えた延長12回表、佐野の適時打などで2点を挙げ、試合の均衡を破る。投げては、先発・石田が6回無失点。その後は6投手の継投で完封リレーを展開した。敗れた中日は、先発・高橋宏が力投を見せるも、打線が援護できなかった。なお、この試合で中日・大島が通算2000安打を達成した。

◆中日大島洋平外野手(37)がプロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。残り1本で迎えたDeNA戦に「2番左翼」で2試合連続でスタメン出場し、3回に左腕石田から中前打を放った。2000安打は21年9月4日の栗山巧(西武)以来。一塁ベースに到達した大島はチームメートの高橋周、DeNA京田から花束を受け取り深々と頭を下げた。享栄時代の監督で、現在は総監督を務める柴垣旭延(あきのぶ)氏(81)がサプライズで登場し、花束を手渡された。大島は享栄-駒大を経て日本生命から09年ドラフト5位で入団。大学、社会人を経ての2000安打は古田敦也、宮本慎也(ともにヤクルト)、和田一浩(中日)に次いで4人目の偉業で、左打者では初だ。「強豪の高校、大学、社会人に入れて、そういうところでレベルアップできた。いい縁に恵まれた」と言い、アマ時代の環境、この日の柴垣氏をはじめ多くの指導者に感謝する。プロでは落合博満、谷繁元信、森繁和、与田剛、立浪和義と5人の監督の下でバットを振った。「どの監督の時もずっと使っていただけた。すごく感謝の気持ちもある。試合に出ている以上、結果を残さないと思ってやってきた。監督にいろいろと言われたことはない。選手は使ってもらうのが一番ありがたいことなので、それだけで十分」。172安打を記録したプロ3年目の12年から12年連続で100安打以上をマーク。プロ14年目での2000安打達成はラミレス(DeNA)の13年に次ぎ、坂本(巨人)ら6人に並んで日本人最速というデータも「使われ続けた選手」であることを物語る。なお、中日では17年荒木雅博以来7人目で、生え抜きでは、高木守道、谷沢健一、立浪和義、荒木に次ぎ5人目の達成となった。37歳の安打製造機が歩みを止めることは当面なさそうだ。【伊東大介】▽DeNA三浦監督(中日大島の2000安打に)「すごいことだと思います。球場全体が祝福ムードの中で独特な特別な雰囲気になりましたけど、その後しっかり戦闘モードに入ってよく守ったと思います」▽DeNA京田(2000安打を放った中日大島に花束を贈呈し)「(昨季までチームメートで)僕が若い時にいろいろ食事とか野球以外でもお世話になったので、目の前で見られたというのは何かすごい縁を感じますし、そういう場に立ち会えて良かったです」▽DeNA石田(3回に中日大島に2000安打を浴びるも、6回無失点と粘投)「歓声もすごいだろうし、打たれたら、間を空けてリセットして投げようと試合前から思っていた。あの後しっかり抑えられましたし、結果的には良かったと思います」

◆中日大島洋平外野手(37)がプロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。恩師である駒大・太田誠終身名誉監督(87)が祝福のコメントを出した。2000安打達成おめでとう。ケガに強い選手だったが、まさかここまでやるとは思わなかった。ご立派です。大島が高校3年の夏、享栄の柴垣監督から「高木(浩之=享栄-駒大-西武)のような面白い選手がいる」と言われ、グラウンドで初めて会った時のことは今でも覚えている。自分からグイグイとアピールするタイプではなく、静かな闘志を内に秘めたタイプだった。話していても言葉尻がしっかりしていて、いいかげんに流すことなく、次の話に移っていく、信頼できる男だと思った。高校時代は投手もやっていたが、大学入学後に動きを見たら足が速く、投げ方もいい。身のこなし、冷静にものを見られる判断力も踏まえ、直感的にセンターで使うことを決めた。センターラインを任せる選手は冷静さがないとだめだからね。私が伝えたのは「野球は人なり 人生なり」ということ。人から言われてどうこうじゃない。自分の内から積み上げたものが、1つのフライ処理、1つの安打につながる。ミーティングでも人の話をじっと聞いているような選手だった。大学卒業時はプロから声がかからなかったが、日本生命に進んだのが良かったと思う。チームで中心選手になり、結婚して成長したのだろう。中日では、駒大OBの森(繁和=ヘッドコーチ、監督など歴任)との出会いもあり、19年にFA残留を決めた。移籍して思うような結果を出せない選手を見てきたから、中日一筋で2000安打に到達したのだと思う。若手も出てきているが、まだ役に立つ人間だ。頑張れ。

◆中日大島洋平外野手(37)がプロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。元日本生命監督・杉浦正則氏(55=大島在籍時の監督) 入社1年目から賞を取るなど活躍したが、1年目の最後に若手中心で戦うリーグ戦に出したら打率1割くらいでさっぱり打たない。「ふざけるな」と結構きつく怒った。そうしたら次の打席で逆方向の左翼フェンス直撃のライナー。プロ入り後もあんな当たりは打っていないはず。その日は4安打くらい打ちました。怒ったのはその1度きりです。2年目の6月に右手首を骨折。プロの評価は落ちました。ドラフト指名してもらえたけど、5位でした。本来なら3位くらいでもおかしくない選手。ドラフト指名後、話し合いました。結婚して子どももいた。僕らは残ってほしかったけど、本人がどうしても行きたい、勝負したいと。プロ野球選手会の理事長になったと聞いた時はビックリしました。マイペースで言葉で人を引き込むタイプではなく、プレーで引っ張るタイプ。プロに入って成長したのでしょう。

◆中日大島洋平外野手(37)がプロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。享栄(愛知)時代の監督で、現在は総監督の柴垣旭延(あきのぶ)氏(82)が祝福のコメントを寄せた。洋平、通算2000安打、おめでとう。当時からバットコントロールはたけていました。ボーイズリーグにいた中学時代に何度か見たときは、きゃしゃで普通の中学生の体つきでした。当時は愛工大名電さんも声をかけていたそうですが、洋平はウチにきてくれました。足の速さ、肩の強さ、そして球をバットに当てるのはうまかった。ぶるんぶるん振るタイプではなく、三遊間を抜いたりしていました。「人のいないところに打てるから、それを続けなさい」と伝えました。私は彼を形にはめなかったですね。持ち味がなくなってしまいますから。高校3年間見ましたが、プロに行くにはきゃしゃで体力がなかった。旧知の駒大、太田監督なら心身とも指導していただけるので、電話をかけたら、二つ返事で受け入れていただきました。体が強く、ケガ、病気にはならなかった。アマでは一流になれると思っていました。大学でも首位打者を取りましたが、体力的な面からドラフトにかからなかった。社会人でも首位打者を取りましたが、ドラフトも5位でしたね。プロで2000安打を打つまでになるとは思いもしませんでした。私はともかく、大学、社会人と指導者に恵まれたことも、良かったのだと思います。表情を出すタイプではなく、第三者が見たらスポーツ選手に見えない、やわらかな性格ですが、大学、社会人を経験してから2000安打を打った選手に、加われたことは、高校時代に指導した監督冥利(みょうり)につきます。当時から芯の強さはありました。いま指導いただいている立浪監督は2480安打を打たれている素晴らしい打者でした。2000安打は達成しましたが、今度は立浪監督の記録を目標に1年でも長くプレーを続けてほしいです。

◆中日大島洋平外野手(37)がプロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。宮本慎也氏(日刊スポーツ評論家)「おそらくですが、大卒社会人でプロ入りした選手で、2000安打を達成できると思っている人はいなかったと思います。今でこそ3人いますが、ボクが最初に2000本を意識したのは168本まで迫ったオフ(2010年)です。球団から『2年契約するから2000本打て』と言われた時でした。それでも40歳になっていたし『できるかなぁ』という程度。翌年、143安打して『これは達成しなきゃいかん』と思ったぐらいです。大島君がどう思ってやってきたかは分かりません。でも4~5年前から達成しそうだな、と思って見ていました。しかも年齢は37歳。ボクなんかに比べれば、まだ余力がある年齢です。ところが周りは大卒社会人で達成すると、その瞬間に『もういいだろ』と思われてしまうような雰囲気にもなります。ここで安心せず、そんな雰囲気を覆すような活躍を続けてほしいと思ってます」

◆DeNA石田健大投手(30)が、左太もも付近に打球を受けたが続投した。3回1死、中日岡林の痛烈なライナーが直撃。苦悶(くもん)の表情を浮かべ、1度治療でベンチに引き揚げたが、小走りでマウンドに向かった。3回1死一塁でプレーが再開。大島に初球の139キロの速球を中前にはじき返され、通算2000安打を達成された。

◆/その手で切り開いた\ドラゴンズ一筋14年大島洋平が2000安打到達?プロ野球(2023/8/26)??中日×DeNA??Live on DAZN#DAZNプロ野球#dragons pic.twitter.com/GWw8xjcKkQ

◆DeNA京田陽太内野手(29)が、通算2000安打を達成した中日大島洋平外野手への花束贈呈役を務めた。3回1死一塁、大島が中前打で節目に到達。遊撃を守る京田は花束と2000安打のボールを手に、昨季までチームメートだった一塁ベース上の大島に駆け寄り、手渡した。二塁の牧は頭の上で大きく拍手し、三浦監督、コーチ陣、他の選手らも拍手を送った。

◆DeNA佐野恵太外野手(28)が、延長12回に決勝打を放ち、チームを3連勝に導いた。0-0で迎えた延長12回1死二、三塁、カウント1-1から、中日清水の124キロのカーブを右前に運んだ。チームは、25日の中日戦の9回に、球団では23年ぶりの1イニング2ケタ得点をマーク。この日は延長11回まで無得点と沈黙したが、12回に打線がつながった。

◆中日の連敗は8に伸びた。0-0の延長12回、清水達也投手(23)が1死二、三塁から佐野に決勝打を浴びた。打線は今季19度目の無得点に終わり、19年7月以来となる8連敗となった。立浪監督は「(相手のミスなどを)得点につなげることができなかったことが敗戦につながったと思う。連敗中で攻撃していても重苦しい雰囲気はあるがこれを乗り越えてやっていかないといけない」と打線の奮起を促した。投手陣は必死にゼロをつないだ。先発の高橋宏斗投手(21)が7回4安打無失点。8回は松山晋也投手(23)、9回はライデル・マルティネス投手(26)が無失点で1点の援護を待ち続けた。だが、9回1死二塁のサヨナラ機は代打川越、岡林が三振に倒れる。延長に入っても救援陣は踏ん張ったが、12回に7番手清水が1点を奪われ、さらにこの日緊急昇格した祖父江大輔投手(36)もソトに適時打を許しスコアボードに2点が記された。25日は18失点で惨敗。1、2軍の投手7人を入れ替えて連敗脱出に挑んだが最後に力尽きた。それでも立浪監督は「(最後に)清水が点を取られてしまったが、最近は四球からの失点が多かった。きょうに関しては攻めていった結果。前向きに反省してやってもらいたい」と責めることはなかった。

◆DeNA佐野恵太外野手が決勝打を放ち、チームを3連勝に導いた。0-0の延長12回1死二、三塁、清水のカーブを右前に運んだ。25日の中日戦の9回に球団では23年ぶりの1イニング2ケタ得点。この日は延長11回まで沈黙したが、主将が決めた。大島が2000安打を達成し、佐野は「目の前で見るのは初めてだったので改めてすごいことだと思いましたし、僕もこれから安打を積み重ねて、そういった選手になりたいと強く思った」と決意を込めた。

◆中日大島洋平外野手(37)がプロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。残り1本で迎えたDeNA戦に「2番左翼」で2試合連続でスタメン出場し、3回に左腕石田から中前打を放った。2000安打は21年9月4日の栗山巧(西武)以来。一塁ベースに到達した大島はチームメートの高橋周、DeNA京田から花束を受け取り深々と頭を下げた。大島が26日のDeNA19回戦(バンテリンドーム)の3回、石田から中前打を放ってプロ野球55人目の通算2000安打を達成した。初安打は10年3月27日の広島2回戦(ナゴヤドーム)でジオから。中日生え抜きで2000安打以上は高木、谷沢、立浪、荒木に次いで5人目となり、球団別では巨人の6人に次いで多い。大島は駒大から日本生命を経て09年ドラフト5位で入団。大学、社会人経由は古田、宮本、和田に次いで4人目。ドラフト5位以下は6人目(ドラフト外を含む)で、大学、社会人経由の中では最も下位指名。また、駒大出身は野村謙、新井貴に次ぎ3人目で、出身大学別では法大(山本、新井宏、稲葉)に並び最多となった。出場1787試合目で到達はスピード9位。実働14年目はラミレスの13年目に次ぎ、日本人選手では榎本、長嶋、張本、松井、鳥谷、坂本に並ぶ最速年数だ。大島の本塁打は18年の7本最多で通算34本。2000安打達成時の本塁打数は荒木の33本に次いで少なく、2桁本塁打なしは荒木と大島だけ。荒木は達成時に通算460打点だったが、大島はまだ392打点。1発が少ないのに加え、得点圏の打席数も1551(なし5042、一塁1055)と少ないため、大島が荒木を下回る最少打点で2000安打を達成した。

◆中日大島洋平外野手(37)が、プロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。3回1死一塁、DeNA先発石田から中前打で達成。この日は、長女の誕生日で「覚えやすく、思い出しやすい」と、家族と喜びを分かち合った。1787試合での達成は、歴代球団最速。竜の球団史にも名前を刻んだ。-通算2000安打をマークした感想は「本当にちょっとほっとした。5、6月は結構苦しんだ。届くまで達成するまでわからないので、届いてホッとしました」-2打席目で決めた「初回はつないでくれという場面だったが、らしくないバッティング、当てにいってしまった。切り替えて、1打席目に失敗したことをしないようにと打席に入りました」-花束は高橋周と元同僚のDeNA京田から「周平は1500安打のときも持ってきてくれた。自主トレも一緒でご飯も行く仲。京田もご飯にいった。チームが代わったがかわいい後輩2人に持ってきてもらえて、うれしかった。2人には、頑張れよ、と声をかけた。おめでとうございますと言われたので、ありがとうと伝えました」-サプライズで花束を届けた享栄・柴垣総監督は、高校時代に野手のいないところに打てという教え「もともと、本塁打を打ったり、外野の頭を越すタイプじゃない。そういう意味で言われたと思う。今日まで続けてこれて良かったです」-プロ入りしたときにここまで想像したか「中日に入って、2000安打を打った選手を間近で見て、そこに行きたい目標は掲げていた。ここまで来られるとは、わからなかった」-1787試合での到達は歴代9番目の速さ「1、2番で出ることが多かった。打席がまわるのも試合数に比較して多い。そういう打順で使っていただいた監督のおかげ」-14年間を振り返って「やっているときはすごく長い感じがするが、思い返すと、あっという間という感じもあります」-記憶に残るヒットは「やっぱり2000安打が一番近いので記憶に残っています」-次の目標は「自分の中では、2500とか3000とか、体が動く限りは目指したい。とにかく1本でも多くヒットを打ちたいです」-長女の誕生日「お祝いは別の日にやろうと言ってある。打ったのでどっちがうれしいかわからない。本当は打たない方が良かったかな(笑い)」-この日を狙っていた「最初は(妻の誕生日の)8月17日狙いだった。台風とかで伸びて、本数的に届かなかった。背中をけがしたり」-チームは連敗で明日からは「いつもと変わらずやりたい。きょうもう1本(2001安打)打てて、新しいスタートが切れた。明日は勝ちにつながるようにやっていきたいです」

◆中日大島洋平外野手(37)が、プロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。3回1死一塁、DeNA先発石田から中前打で達成。1787試合での達成は、歴代球団最速。竜の球団史にも名前を刻んだ。これまでの「大島語録」をまとめてみました。最高の1本 うれしかった1本を聞かれ長考。「(エンゼルス)大谷君からですかね」と答えた。大谷が日本ハム時代の13年6月1日(札幌ドーム)で右翼線二塁打。「当時はまだ(プロ)出たてでしたけど、メジャー行ってすごい選手になった。一生、自慢できる」とニヤリ。先代2000安打 中日では17年荒木雅博(現内野守備走塁コーチ)以来で、荒木には14年オフまで自主トレに同行させてもらった。「荒木さんが僕の中ではすごい印象に残っていた。目の前で一緒にプレーもしたし、あの人がやっぱりすごい練習をする。それに影響を受けた」両親 大島は名古屋市緑区出身で、男3人の兄弟の長男。3人とも野球に打ち込んだ。「ここまでやれる丈夫な体に生んでくれたことにはすごく感謝している。(享栄)高校までは家から通った。自分が親になって、洗濯とか弁当を作ったりすることは大変(と実感)。3人男がいたけど、全員平等に育ててくれた」プロの衝撃 自主トレでは根尾昂ら若手に負けない体作りを継続。1年目のキャンプでの体験が背中を押した。「(プロは)練習量が多かった。1年目のキャンプが一番衝撃的だった。球拾いも、やってくれる人がいたり、練習だけできる。プロは試合だけやっているイメージがあったけど、全然そうじゃないんだ」後輩たちへのエール 大島が率先して後輩に技術指導するシーンは少ない。「言ったところで野球選手って聞かない。感じてほしいのが一番。僕も荒木さんのやり方を言われたわけじゃなく、いろんな選手を見て取り入れてここまで来た。やることは増えるけど身にもなるし、失敗しても納得できる。常にアンテナを張っておいてくれたらいいかな」気になる後輩 阪神近本光司は左投げ左打ちで誕生日も11月9日で同じ。「甲子園には生年月日が画面に出る。彼がルーキーのときに、守ってて見てたら、この子誕生日一緒だと。同じ大阪の社会人、大阪ガス出身で、一緒のことが多いなと見るようになった。何回か話もしたことある。勉強になることもある。間違いなく彼の方がいい選手。何年後かには2000本打ってほしい」

◆中日大島洋平外野手(37)が、プロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。3回1死一塁、DeNA先発石田から中前打で達成。この日は、長女の誕生日で「覚えやすく、思い出しやすい」と、家族と喜びを分かち合った。1787試合での達成は、歴代球団最速。竜の球団史にも名前を刻んだ。大島一家も大記録を支えた。「ほとんど家のことは任せている。自分のリズムを崩さずに野球中心の生活をやらせてもらっているからすごく感謝している」。プロ入りした09年に結婚した妻真世さん(35)の内助の功に、大島は感謝を隠さない。父の快挙を、子どもたちも自作の絵を寄せて祝福した。09年に父の入団会見に0歳で同席した長男慶士君はもう中学2年生の14歳になった。父とは反対の右投げ右打ちの外野手。「2000本安打達成おめでとう」とスイングする全身像(右上)に思いを込めた。父は26日に12歳の誕生日を迎えた長女実梨さん(絵は下段中央)にも「一番上のお姉ちゃんで面倒見がいい。妻をサポートしてくれる」と感謝。26日の長女の誕生日に2000安打が大きなプレゼントになった。次女朱理さん(9)は絵などを描くのが趣味で、折り紙での父親像を含めて3つの作品(左側3枚)を貼り付けた。右下の似顔絵は19年に生まれた三女未湖さん(4)作。「かわいいです。ナイターが終わって帰ってくるまで起きてくれています」。末っ子の熱烈応援に父の目尻も下がりっぱなしだ。「家に帰ると、ホッとする空間があるのですごくありがたい」。竜のバットマンは最高のリフレッシュにも助けられ、大記録を打ち立てた。【中日担当=伊東大介】

◆中日大島洋平外野手(37)が、プロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。残り1本で迎えたDeNA戦の3回1死一塁、先発石田から中前打を放った。大学、社会人を経ての達成は古田敦也、宮本慎也(ともにヤクルト)、和田一浩(中日)に次いで4人目で、左打者では初。中日では17年荒木雅博(現1軍内野守備走塁コーチ)以来7人目で、生え抜きでは5人目。1787試合での達成は球団最速となる偉業となった。自然と笑みがこぼれた。3回。1死一塁で迎えた2打席目。DeNA石田の初球139キロストレートを芯で捉えセンター前に鮮やかに運んだ。「届いてほっとした」。一塁コーチの荒木内野守備走塁コーチとガッチリ握手。自主トレをともに行う高橋周、元チームメートの京田、そして享栄時代の監督で、現総監督の柴垣旭延(あきのぶ)氏(82)からサプライズで花束を手渡された。1787試合での大台到達は歴代9位で、中日では歴代最速だ。達成のボードを、右翼ファンだけでなく一塁側スタンドで見守る家族へも掲げた。この日は、長女実梨さんの12歳の誕生日。家を出る前にプレゼントのパズルを渡したが、永遠に記憶に残る父の勇姿が最高の贈りものになった。「(長女の誕生日と)おめでたいことが重なった。思い出しやすくて良かった。(帰ったら)家族にはしっかりありがとうと伝えたい」。見守った妻真世さんらへの感謝が口をついた。家族とともに大島を支えたのはパーソナルトレーナーの土田和楙(かずしげ)さん。プロ5年目の15年1月の自主トレからコンビを組んだ。駒大では同学年の外野手としてしのぎを削った仲だ。再会当時の大島の肉体は「疲弊して、体が硬くなっていた」。体の緊張をほぐし、肉体作りを支える土台を大きくしてパワーとスピード増につなげる肉体改造を始めた。19年に構えた新居のトレーニング室には数百万円かけて器具をそろえた。打撃への影響が大きい目の衰えを防ぐ機械も導入。左翼を守ることが多くなった今季は、ランニング量を増やした。7月下旬からは打撃時に左肩が下がる感覚を修正。右半身のインナーマッスルにスイッチを入れやすくするために、右手で握ったバットを前に出す新たな構えに変えた。野球への探究心も衰えることはない。45歳までの現役継続をにらむ大島は、壮大な夢を持つ。09年の入団会見に同席させた長男慶士君(14)はプロを目指し、中学で野球に打ち込んでいる。「いつか同じグラウンドに立てたらいいな。あとは僕がどこまで現役でいられるか」。2点を追う延長12回1死一塁では2001安打目で、次へのスタートを切った。【伊東大介】

◆中日の大島洋平外野手(37)が三回、1死一塁で迎えた第2打席で初球を中前にはじき返し、史上55人目の通算2000安打を達成した。大学、社会人を経ての2000安打達成は古田敦也(ヤクルト)らに次ぐ4人目。

◆中日・大島洋平外野手(37)が史上55人目となる通算2000安打を達成した。試合前時点で大台まであと「1」とし、「2番・左翼」で先発出場。三回1死一塁の第2打席でDeNA先発・石田健大投手から中前打を放って達成した。一塁ベース上で高橋周平内野手、DeNAの京田陽太内野手、母校の愛知・享栄高時代の恩師・柴垣旭延元監督から花束を受け取り、満員の観衆から大きな歓声を浴びながら内外野のスタンドに頭を下げた。プロ14年目、通算7644打席目での到達。大卒から社会人を経てプロ入りした選手では古田敦也、宮本慎也(ともにヤクルト)、和田一浩(西武、中日)に続き史上4人目の快挙となった。

◆プロ野球史上55人目の通算2000本安打を達成した中日・大島洋平外野手(37)の高校時代の恩師、愛知・享栄高の元監督・柴垣旭延(あきのぶ)さん(81)が、教え子が偉業を達成した喜びを語った。「この大役に指名されるとは、夢にも思いませんでした」三回の第2打席で大島が大台に乗せる中前打を放つと、柴垣さんは大歓声のなか一塁ベースの大島の下へ歩み寄って花束を手渡し祝福。握手をかわして声をかけた。「『2000本達成おめでとう』ということと、『あなたのきょうの1本を見るためにこれだけ多くの方が集まっていただいたんだよ』と話しました」と明かした。プロ14年で偉業を成し遂げた教え子に「今の調子であれば、立浪監督の安打数(2480)。それを目指していってほしい。彼ならまだ4、5年はできると思います」と期待を込めた。

◆中日の大島洋平外野手(37)が三回、1死一塁で迎えた第2打席で初球を中前にはじき返し、史上55人目の通算2000安打を達成した。?中日・大島が史上55人目の通算2000安打を達成。初安打は2010年3月27日の広島戦(ナゴヤドーム)でジオから単打。?1787試合目での到達は球団最速で、巨人・坂本勇人の1783試合に次ぐ歴代9番目のスピード。1501安打から2000安打までの500安打に要した試合数は423で、東映・張本勲の375試合、巨人・川上哲治の405試合に次ぐ3番目のスピード。?安打の内訳は単打が1660本、本塁打が34本。到達時の単打は中日・荒木雅博の1675本に次ぐ2番目に多く、34本塁打は荒木の33本に次ぐ2番目に少ない。?享栄高から駒大、日本生命を経て、10年のドラフト5位で入団。高校から大学、社会人を経由してプロ入りした選手の達成(大学中退は除く)は、古田敦也(川西明峰高→立命大→トヨタ自動車→ヤクルト2位)、宮本慎也(PL学園高→同志社大→プリンスホテル→ヤクルト2位)、中日・和田一浩(県岐阜商高→東北福祉大→神戸製鋼→西武4位)に次いで4人目で、ドラフト順位は大島が最も低い。?ドラフト制となった1966年以降、ドラフト5位以下の選手の達成は阪急・福本豊(7位)、広島・新井貴浩(6位)、ロッテ・福浦和也(7位)に次いで4人目(ドラフト外で達成はダイエー・秋山幸二、横浜・石井琢朗)。?駒大出身選手の達成は広島・野村謙二郎、広島・新井に次いで3人目。大学別では法大(広島・山本浩二、近鉄・新井宏昌、日本ハム・稲葉篤紀)と並ぶ最多人数。?中日生え抜き選手の達成は立浪和義(2480)、高木守道(2274)、谷沢健一(2062)、荒木(2045)に次いで5人目。球団別の人数では巨人の6人に次ぐ2番目。

◆DeNAが3連勝。0―0の延長十二回1死二、三塁から佐野の適時打で均衡を破り、さらにソトの適時打で2点目を奪った。6番手の上茶谷が2勝目、森原が9セーブ目を挙げた。中日は再三の好機を逃し4年ぶりの8連敗を喫した。

◆中日の大島の通算2000安打達成に、対戦したDeNAからも祝福の声が上がった。昨季まで中日でプレーした京田はチームを代表して花束を手渡した。「若いときからお世話になった。目の前で見られたのは縁を感じる」と偉業を喜んだ。DeNAの三浦監督は「すごいこと。球場全体が祝福ムードだった」とたたえ、節目の安打を許した石田は「1本は絶対打たれるだろうと思っていた」と話した。

◆プロ野球中日の大島洋平外野手(37)が26日、名古屋市のバンテリンドームナゴヤで行われたDeNA戦で通算2000安打に到達した。ご当地選手の快挙に3万6000人超が集まった本拠地スタンドでは「おめでとう」の手作り応援ボードが揺れ、祝福の拍手がしばらく続いた。両親は前週の遠征から球場に駆けつけ、達成を待ちわびた。父英明さん(64)は、子どもの頃に大島と弟2人を順番で当時の本拠地、ナゴヤ球場によく連れて行ったそうで「うれしい。体も小さかったので10年持てばいいと思っていた。立派」と感慨深そうに語った。2009年秋のドラフト会議で5位指名されてプロ入りした。その年の6月の試合で右手首を骨折するアクシデント。ボルトを埋めることになり、他球団の評価が下がる中、中日は最後まで故障の状態を確認。担当スカウトで獲得を推した米村明シニアディレクターは「誰もまさか2000本までいくとは思ってなかった。彼の努力が今の地位を築いた」とたたえた。

◆息詰まる投手戦に、悩める主将が終止符を打った。0―0の延長十二回1死二、三塁。DeNA・佐野恵太外野手(28)が右前に均衡を破る決勝打を放ち、チームを3連勝に導いた。「チャンスだったので打てる球がきたらいこうと決めていた。投手陣がずっと無失点で、みんながつないでくれて、何とか点を取れてよかった」中日先発の高橋宏に7回無失点の好投を許し、七回から4イニング連続で得点圏に走者を進めるも無得点。重苦しい空気の中でも救援陣が粘ってつないだ十二回、仲間がつくった最大の好機で佐野が7番手・清水のカーブを完璧に捉えた。開幕から本来の打棒を発揮できずにいたが、2試合連続猛打賞と調子は上向き。「終盤に向けて、こういう試合を増やしていけるように」と誓った。(浜浦日向)

◆通算2000安打を達成した中日・大島洋平外野手(37)のパーソナルトレーナーで、駒大野球部の同期生でもある土田和楙(かずしげ)さん(38)がサンケイスポーツにメッセージを寄せた。プロ野球選手としては決して大きくない176センチ、75キロという体格の大島だが、金字塔へとたどり着く過程には、努力や自己投資を惜しまない姿勢があった。大島選手から声をかけられたのは2014年のシーズンオフのことでした。当時の私はトレーナーとして独立開業し、一般の方の機能障害改善などをメインに仕事をしていましたが「今のままでは一年間もたない。シーズンを通して戦える体を作りたい」と依頼され、自主トレに同行するようになりました。それから彼は自宅にトレーニング用のスペースを作り、100万円以上の費用をかけて、バーベルや他の特殊な器具も買いそろえました。視覚機能や神経伝達機能の向上を図る器具も導入していますが、そこまで本気で自己投資ができる人はプロの世界でも珍しいのではないでしょうか。現在は私が拠点の東京から週に一度、名古屋に行くなどして体のケアとトレーニングをサポートしています。たびたび、エンゼルスの大谷翔平選手やチームの後輩の根尾昂選手を指して「あんな体があればいいよなあ」とうらやましがっています。周りの選手と比べれば小さく、身体能力がずば抜けているわけでもありませんでしたが、大学時代から彼は努力を続けられる人でした。筋肉の弾性や腱の硬さを高めてきたことで、今でも若い頃と変わらない内野安打数(今季は12本)につなげられているのだと思います。まだまだ長くやれると思いますし、シーズン200安打(自己最多は14年の186本)や、最年長での首位打者獲得(最年長記録は36歳で過去3人)も目指してほしいです。

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<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
阪神
69414 0.627
(↑0.003)
M21
(↑1)
29449
(+9)
347
(+6)
61
(+2)
60
(-)
0.250
(↑0.001)
2.710
(↓0.03)
2
(-)
広島
63503 0.558
(↑0.004)
7.5
(-)
27413
(+7)
406
(+6)
79
(+2)
66
(-)
0.246
(↑0.002)
3.150
(↓0.01)
3
(-)
DeNA
57543 0.514
(↑0.005)
12.5
(-)
29419
(+2)
401
(-)
79
(-)
23
(+2)
0.250
(-)
3.230
(↑0.03)
4
(-)
巨人
56561 0.500
(↓0.005)
14
(↓1)
30439
(+6)
425
(+9)
135
(+1)
40
(-)
0.257
(-)
3.620
(↓0.05)
5
(-)
ヤクルト
47652 0.420
(↓0.003)
23
(↓1)
29422
(+6)
457
(+7)
97
(-)
55
(-)
0.239
(↑0.001)
3.740
(↓0.03)
6
(-)
中日
41693 0.373
(↓0.003)
28
(↓1)
30318
(-)
409
(+2)
50
(-)
30
(-)
0.240
(-)
3.280
(↑0.02)