ヤクルト(☆8対2★)DeNA =リーグ戦25回戦(2022.10.03)・明治神宮野球場=
このエントリーをはてなブックマークに追加

 123456789
DeNA
0200000002701
ヤクルト
00500210X81204
勝利投手:原 樹理(8勝7敗0S)
敗戦投手:坂本 裕哉(0勝5敗0S)

本塁打
【DeNA】ソト(17号・2回表2ラン)
【ヤクルト】キブレハン(6号・3回裏3ラン),内山 壮真(4号・6回裏ソロ),長岡 秀樹(9号・6回裏ソロ),村上 宗隆(56号・7回裏ソロ)

  DAZN
チケットぴあ ヤクルト戦チケット予約 DeNA戦チケット予約

DAZN

◆ヤクルトは2点を追う3回裏、キブレハンの3ランなどで5点を挙げ、逆転に成功する。その後は、6回に内山壮と長岡の連続ソロでリードを広げた。なお、引退試合を迎えた坂口と内川はともにヒットを記録。嶋は8回の代打から登場し、最後の雄姿を披露した。また4番で出場した村上は、7回に日本選手最多となるシーズン56号ソロを放った。

◆史上最年少の3冠王をほぼ確実にしているヤクルト村上宗隆内野手(22)が、「4番三塁」で先発メンバーに名を連ねた。試合前時点で打率3割1分7厘で、既に全日程を終えている中日大島に3厘差。3打数無安打でも首位打者が確定となる。前日2日の阪神戦(甲子園)は欠場。試合後に高津監督は「彼も人の子。やっぱりしんどいから、しっかり調整してあげないといけないと思って、今日は外しました」と説明していたが、この日は試合前のフリー打撃で柵越えを連発。山田らと談笑する場面も見られた。また今季限りでの現役引退を表明した内川聖一内野手(40)、坂口智隆外野手(38)、嶋基宏捕手兼コーチ補佐(37)の引退セレモニーが行われる。

◆今季で引退するヤクルト嶋基宏捕手兼コーチ補佐(37)、内川聖一内野手(40)、坂口智隆外野手(38)が出場選手登録された。内川は試合前、古巣であるDeNAの練習中、コーチ陣にあいさつ。三浦監督はじめ、鈴木打撃コーチ、青山ヘッドコーチらと言葉を交わした。また、一緒に自主トレをしていた石井野手総合コーチとも話し込んでいた。

◆DeNAフェルナンド・ロメロ投手(27)、石川達也投手(24)が3日、出場選手登録を抹消された。ロメロは2日の巨人戦に登板し、1回を4四死球で2失点。石川も同戦に登板し、2回無失点ながら、4四死球と制球が乱れた。2日の試合後、三浦監督は「(ロメロは)打者と勝負できてないところで、残念なことになりました。(石川は)ファームでああいうピッチングをするかというと、あそこまでフォアボールはないですから。また勉強です」とコメントした。この日、ヤクルト戦に先発する坂本裕哉投手(25)が、出場選手登録された。

◆今季で引退するヤクルト坂口智隆外野手(38)が2番右翼でスタメン出場し、初回の第1打席で左前打を放った。1死走者なしで、DeNA坂本に2球で追い込まれたが、3球目の147キロを左前に運んだ。「最後の近鉄戦士」の通算1526安打目に、スタンドから歓声が起きた。同じく今季で引退する内川聖一内野手(40)も5番一塁で出場。初回2死三塁で第1打席が回ってきた。坂本の初球147キロに中飛。凡退はしたが、いい当たりだった。

◆「村神様」がついに"世界の王"を超えた。ヤクルト村上宗隆内野手(22)が7回先頭の第4打席で、日本選手歴代最多の56号本塁打を放った。DeNA入江の初球、内角ストレートを右翼席へ。打った瞬間に確信し、手をたたいて喜んでから一塁へ走り始めた。客席はスタンディングオベーション。ダイヤモンドを1周してベンチに戻った後も、やまない拍手に再度姿を現し、ファンの歓声に応えた。最後の最後に決めた。9月13日巨人戦(神宮)で54、55号を放ってから苦しみ、2日の阪神戦(甲子園)は欠場。実に61打席ぶりの1発で、64年王貞治(巨人)のシーズン55本塁打を抜いた。3回の第2打席でも左前適時打を放っており、これで4打数2安打2打点。打率3割1分8厘、56本塁打、134打点とした。

◆今季で引退するヤクルト坂口智隆外野手(38)と内川聖一内野手(40)が有終の美を飾った。2番右翼で先発出場の坂口は初回1死走者なしで、DeNA坂本から左前打。「最後の近鉄戦士」の通算1526安打目に、スタンドから歓声が起きた。3回無死一塁の第2打席は遊飛に終わったが、ベンチで立って拍手するチームメートたちに迎えられた。内川聖一内野手(40)は5番一塁で出場。初回2死三塁では、いい当たりの中飛。1-2の3回1死一、二塁では、左翼線へ同点の適時二塁打を放った。二塁ベース上では涙を浮かべた。2人とも4回表、いったん、それぞれの守備位置に就いてから交代がアナウンスされた。高津監督の粋な計らい。ファンに最後のユニホーム姿を披露し、大きな拍手の中、自軍ベンチへと引き揚げた。チームメートたちと抱擁。村上宗隆内野手(22)も涙を流して別れを惜しんだ。DeNAベンチも全員が立ち上がって拍手を送った。▽ヤクルト・キブレハン(3回に6号3ラン)「3人の選手(内川、坂口、嶋)には本当に良くしてもらった。感謝の気持ちを届けたかった。最高の結果になってくれました」

◆「村神様」の涙が、SNSでも話題になっている。 今季限りで引退するヤクルト坂口と内川が、4回に交代する際、ヤクルトナインは涙を流しながら抱き合った。史上最年少の3冠王を決定的にしている村上宗隆内野手(22)もグラウンドで抱擁し、涙を流して別れを惜しんだ。セ・リーグ2連覇を達成した際にも涙は見せなかった主砲。ツイッター上では「村上くん 涙ボロボロ...もらい泣き」「涙が止まらない 村上くんも泣いている」「見送る村上の涙見て、ますます好きになった」「56号打ってこの涙をとめてくれ」などのコメントが寄せられた。

◆DeNA宮崎敏郎内野手(33)が、ヤクルト戦のベンチメンバーから外れ、自身5度目の打率3割が確定した。2日の巨人戦で菅野からマルチ安打をマークし、打率を3割に乗せ、20年シーズンから3年連続で達成した。

◆DeNA佐野恵太外野手(27)が、6回に左前打を放ち、中日岡林と並ぶ今季161安打とし、自身初の最多安打のタイトルを確定させた。この日の試合前に三浦監督と話し合った上で、「本人が一番いい状態で入れるのはっていうことを考えて」と不動の「3番」でのスタメン出場が決定した。中日岡林と激しい争いを繰り広げ、2日の試合前時点では159安打で並んだが、岡林が2日の広島戦で2安打を放ち、1本差でヤクルト戦を迎えた。20年には打率3割2分8厘で、自身初の首位打者を獲得。今季も試合前時点で打率3割7厘、キャリアハイの22本塁打をマークするなど、打線をけん引し、3年ぶりの2位に大きく貢献した。

◆今季で引退するヤクルト坂口智隆外野手(38)と内川聖一内野手(40)が有終の美を飾った。2番右翼で先発出場の坂口は初回1死走者なしで、DeNA坂本から左前打。「最後の近鉄戦士」の通算1526安打目に、スタンドから歓声が起きた。3回無死一塁の第2打席は遊飛に終わったが、ベンチで立って拍手するチームメートたちに迎えられた。内川聖一内野手(40)は5番一塁で出場。初回2死三塁では、いい当たりの中飛。1-2の3回1死一、二塁では、左翼線へ同点の適時二塁打を放った。二塁ベース上では涙を浮かべた。「今までいろいろ悩みながら打席に立っていましたが、今日くらいは何も考えずに立とうと思って打席に入りました。今日の2打席がヤクルトにきて一番良い当たりの打球が打てました」と語った。2人とも4回表、いったん、それぞれの守備位置に就いてから交代がアナウンスされた。高津監督の粋な計らい。ファンに最後のユニホーム姿を披露し、大きな拍手の中、自軍ベンチへと引き揚げた。チームメートたちと抱擁。村上宗隆内野手(22)も涙を流して別れを惜しんだ。DeNAベンチも全員が立ち上がって拍手を送った。

◆「村神様」が「世界のホームラン王」を超えた! ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、64年王貞治(巨人)の55本塁打を上回った。同時に当初の税込み1億円から同3億円にグレードアップした「3億円の家」もゲットした。7回無死、DeNA入江から打った。13日巨人戦(神宮)の9回に55号3ランを放って以来、61打席ぶりの1発で、王、01年ローズ(近鉄)、02年カブレラ(西武)を上回る歴代単独2位に浮上。プロ野球記録の13年バレンティン(ヤクルト)の60本まで4本差とした。最後の最後に本拠地で決めた。神宮では今季ここまで67試合で22本塁打。特別相性は良くないが、8月2日中日戦では日本記録となる5打席連続本塁打、9月2日中日戦で史上最年少の50号本塁打など、記録的な1発をマークしてきた。55号を放って以降、相手バッテリーからさらに厳しい攻めが続き、苦しんだ。25日の優勝会見では、個人記録により注目が集まる状況に「もっともっとプレッシャーかけて、押しつぶすくらいプレッシャーかけてもらいたい」と力強く話したが、この日まで足踏み。その重圧もついにはねのけた。これで「1億円の家」もゲットした。球団トップスポンサーのオープンハウスが4日、神宮球場で56号以降の本塁打を対象エリアに放てば「特別ホームラン賞」として「好立地の東京の家」(上限金額税込み1億円)を贈呈すると発表。立地や間取りはシーズン終了後に村上と相談し決定する。村上はこの本塁打で1打点を挙げてシーズン133打点に到達し、歴代単独13位とした。打点を挙げるのは、13日巨人戦の9回に55号3ランを放って以来となった。試合前までの132打点は、01年中村紀洋(近鉄)と並ぶ13位だったが、これで単独13位となった。134打点とすると、50年青田昇(巨人)、85年バース(阪神)に並ぶ歴代11位。135打点なら、50年西沢道夫(中日)、63年野村克也(南海)に並ぶ9位となる。

◆日本選手最多56号本塁打を放ったヤクルト村上宗隆内野手(22)が、史上最年少の3冠王に輝いた。4打数2安打の打率3割1分8厘でフィニッシュ。最後まで競った中日大島の打率3割1分4厘を上回った。日本選手歴代最多のシーズン56本塁打と、歴代11位タイの134打点はリーグ断トツ。2位以下を大きく引き離した。3冠は同じ熊本出身の04年松中信彦(ダイエー=現ソフトバンク)以来、18年ぶり8人目(通算12度目)。令和では初。22歳での達成は1982年の落合博満(ロッテ)の28歳を塗り替える最年少記録になった。村上は2日の阪神戦(甲子園)を欠場し、シーズン最終戦は2試合ぶりに「4番三塁」で先発。7回無死から第4打席で、右翼席へ56号本塁打を放った。DeNA入江の初球、内角高め151キロ直球をとらえ、メモリアルアーチをたたき込んだ。3回1死一、二塁の第2打席で左前適時打を放ち「今日引退される3人(内川、坂口、嶋)に勝ちを届けられるように、勝てるように頑張ります」とコメント。4回表の守備では、引退試合だった坂口と内川が交代する際に、抱き合って涙を流した。開幕前には「目標は、すべてタイトルを取れるなら取りたい。去年の成績より残すこと、さらにいい成績を残すことは絶対条件だと思う」と語っていた。有言実行の大記録となった。過去の3冠王38年秋 中島治康(巨人)65年 野村克也(南海)73年 王貞治(巨人)74年 王貞治(巨人)82年 落合博満(ロッテ)85年 落合博満(ロッテ)86年 落合博満(ロッテ)84年 ブーマー(阪急)85年 バース(阪神)86年 バース(阪神)04年 松中信彦(ダイエー)村上宗隆(むらかみ・むねたか)2000年(平12)2月2日、熊本県生まれ。九州学院では1年夏に甲子園出場。高校通算52本塁打。17年ドラフト1位でヤクルトに入団し、捕手から内野手に転向。18年9月16日広島戦でプロ初打席本塁打。19年は36本塁打、96打点で新人王。20年に最高出塁率。21年は本塁打王を獲得し、史上最年少でMVPに輝いた。同年は東京五輪日本代表として金メダルに貢献。今年7月31日阪神戦からプロ野球初の5打席連続本塁打をマークした。188センチ、97キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸2億2000万円。○...歴史的1発で「1億円の家」もゲットした。球団トップスポンサーのオープンハウスが9月4日、神宮球場で56号以降の本塁打を対象エリアに放てば「特別ホームラン賞」として「好立地の東京の家」(上限金額税込み1億円)を贈呈すると発表。その後に対象をビジター球場まで拡大することになった。立地や間取りはシーズン終了後に村上と相談し、決定する。

◆ベテラン3選手が引退する一方で、ヤングスワローズの2人が本塁打を放った。5-2の6回、先頭で内山壮真捕手(20)がDeNA田中健から左越えに4号ソロ。「打ったのはフォークです。今日、嶋さんにバットのことで助言をもらいました。嶋さんに打たせてもらいました。感謝したいです」と話した。さらに、次打者の長岡秀樹内野手(21)が右越えに9号ソロで続いた。「打ったのはスライダーです。内川さん、坂口さん、嶋さんに多くのアドバイスをもらい、苦しい時に背中を押してもらいました。最後に良い姿を見せることができて良かったです」と、同じく先輩たちへの感謝の思いを語った。

◆現役を引退する嶋基宏捕手兼コーチ補佐(37)が代打で登場した。8-2の8回1死走者なし、投手スアレスに代わって打席に立った。DeNA伊勢に3球で追い込まれたが、カウント2-2からファウル3球で粘った。最後は外の真っすぐに空振り三振に倒れた。打席から離れると、ヘルメットを脱ぎ、相手バッテリーに一礼。さらにDeNAベンチに向かっても頭を下げた。拍手に包まれながら、ベンチ奥へ。防具をつけ、再び現れた。9回表、内山壮に代わりマスクをかぶった。最後のバッテリーは梅野と組んだ。牧を遊ゴロに仕留め、打者1人で古賀と交代。チームメートたちと抱擁し、拍手の中、再びベンチへと下がった。神宮には楽天時代のチームメート、田中将大投手らも応援に駆けつけた。

◆DeNA佐野恵太外野手(27)が、自身初の最多安打のタイトルを獲得した。3点を追いかける6回無死、1ストライクからヤクルト原の143キロを左前にはじき返し、今季161安打目をマーク。1本差だったトップの中日岡林に並んだ。ベンチが大きく盛り上がる中、塁上で小池コーチとグータッチした。「最多安打のタイトルを獲得することができ、素直にうれしいです。これもひとえに日ごろよりサポートしていただいたみなさんのおかげだと思っています。感謝の気持ちでいっぱいです」試合前に三浦監督と話し合い「本人が一番いい状態で入れるのはということを考えて」と不動の3番でのスタメン出場が決定。2打席凡退で迎えた3打席目にHランプを点灯させた。20年に打率3割2分8厘で自身初の首位打者を獲得。巧みなバットコントロールで新たな勲章を手にした。今季は、5月上旬に椎間関節炎で離脱したが、133試合に出場し、リーグ3位の打率3割6厘、キャリアハイの22本塁打、72打点をマークした。3年ぶりの2位でCSのファーストステージに進出を決めたチームをけん引した。三浦監督は「守備でもレフトを守ったり、ファーストを守ったり、いろいろやりながら、キャプテンとしてもやってくれましたし、その大変な中でもしっかりグラウンドに出て、結果を出してくれました」とたたえた。【久保賢吾】▽DeNAソト(2回に17号2ランも空砲)「『カンペキ!!』。ストライクゾーンに来たボールは、積極的に振っていこうと決めていました」▽DeNA坂本(3回5失点で5敗目)「大量失点してしまい、チームに申し訳ないです」戦力外通告始まる プロ野球12球団 戦力外 退団 移籍 引退選手など/一覧

◆56号&3冠王ヤ!! ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、史上最年少の3冠王を獲得した。7回先頭、DeNA入江から右翼席へ。9月13日巨人戦以来、61打席ぶりの1発で、64年王貞治(巨人)の55本を上回った。打率3割1分8厘、56本塁打、134打点でレギュラーシーズン全日程が終了。04年松中信彦(ダイエー)以来18年ぶり史上8人目、令和初の3冠王に輝いた。最後の最後で「村神様」がついに「世界のホームラン王」を超えた! 7回、DeNA入江の初球、内角高め151キロ直球を捉えた村上の打球が右翼席に弾んだ。軽くジャンプして走りだすと、興奮からか、いつもより速いペースでダイヤモンドを周回。高津監督らと抱擁を交わし喜び合うと「56」のボードを手に、ファンの声援に応えた。「ホッとしました。やっと打てたなと」と笑った。3冠王は確定していたが、試合展開からも最終打席が濃厚となる土壇場。燕党も祈るような気持ちで見守る中で体現した56号に「自分でもビックリ。最後のご褒美だと思って素直に喜びたいと思います」。3冠王に花を添え「偉大な方の記録を破ることが出来て本当にうれしいです。王さん、野村さん、落合さん。もっともっとすごい偉業を成し遂げています。僕もこれから続けていくことが大事。長いシーズンこういう成績が残せるように頑張っていきたい」とうなずいた。重圧をはねのけた。9月13日巨人戦で55号を放って以降、より厳しさを増すマークに苦しんだ。それでも25日の優勝会見では「もっともっと押しつぶすくらいプレッシャーかけてもらいたい」と宣言。この日まで今季最長の出場13試合ノーアーチが続いたが、最後に結果を残し「プレッシャーはありましたけど、全ていい形で終われて、すごくうれしい。また1つ自分の中で成長できたかな」と納得の表情を浮かべた。想像のはるか上をいく。入団当時の監督だった小川GMも「こんなに早く結果を残すとは」と成長に感心する。1年目の9月16日広島戦でプロ初打席初本塁打の衝撃デビューを飾ったが、その後は13打席無安打。1軍で感じた課題と向き合い、臨んだ10月のフェニックス・リーグで3打席連発を放った。最近、当時の話を改めて聞いたという。「1年目のフェニックスで変わった? と聞いたら『その通りです』と答えた。9本くらい打った? と聞くと『11試合で10本です』と訂正されたよ」。1軍の主砲となっても、1年目の宮崎で放った本数も忘れない。課題に向き合い、試行錯誤を繰り返し、そして本塁打にこだわる。現在にまでつながる下地を作った。最年少でリーグMVPに輝いた昨年末、地元熊本で3冠王への意欲を問われ「それはもちろん」。1月の自主トレ期間中から「すべてタイトルを取れるなら取りたい」と話した。「チームの成績も満足いくシーズン。苦しい時期もありましたし、自分と向き合えた。すごく満足しています」。記録にも記憶にも残る歴史的1年を「有言実行」で締めくくった。【鈴木正章】村上宗隆(むらかみ・むねたか)2000年(平12)2月2日、熊本県生まれ。九州学院では1年夏に甲子園出場。高校通算52本塁打。17年ドラフト1位でヤクルトに入団し、捕手から内野手に転向。18年9月16日広島戦でプロ初打席本塁打。19年は36本塁打、96打点で新人王。20年に最高出塁率。21年は本塁打王を獲得し、史上最年少でMVPに輝いた。同年は東京五輪日本代表として金メダルに貢献。今年7月31日阪神戦からプロ野球初の5打席連続本塁打をマークした。188センチ、97キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸2億2000万円。▽ヤクルト・高津監督(村上の56号に) シーズン最後の打席で56本目が出るなんて、なかなかマンガにも書けないようなこと。最後、見事な1発で仕留めてくれたというのは、今年のムネを象徴しているバッティングだったのかな。▽プロボクシング井上尚弥 シーズン日本人最多となる56号本塁打おめでとうございます! 競技は違いますが同じアスリートとして、大きな刺激を頂きました。さらなる記録更新を期待しております。

◆「村神様」が「世界のホームラン王」を超えた!ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、64年王貞治(巨人)の55本塁打を上回った。同時に増額された「3億円の家」もゲットした。村上は史上最年少の3冠王にも輝いた。4打数2安打の打率3割1分8厘でフィニッシュ。最後まで競った中日大島の打率3割1分4厘を上回った。日本選手歴代最多のシーズン56本塁打と、歴代11位タイの134打点はリーグ断トツ。2位以下を大きく引き離した。 3冠は同じ熊本出身の04年松中信彦(ダイエー=現ソフトバンク)以来、18年ぶり8人目(通算12度目)。令和では初。22歳での達成は1982年の落合博満(ロッテ)の28歳を塗り替える最年少記録になった。

◆DeNA入江大生投手(24)が、ヤクルト村上に日本選手最多となる56号アーチを浴びた。5点ビハインドの7回無死、初球の151キロの速球を右翼席上段に運ばれ、悔しさをにじませた。球団を通じ「全力で勝負しにいった結果、とらえられてしまいました」とコメントした。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、史上最年少の3冠王を獲得した。7回先頭、DeNA入江から右翼席へ。9月13日巨人戦以来、61打席ぶりの1発で、64年王貞治(巨人)の55本を上回った。打率3割1分8厘、56本塁打、134打点でレギュラーシーズン全日程が終了。04年松中信彦(ダイエー)以来18年ぶり史上8人目、令和初の3冠王に輝いた。ヤクルト村上がシーズン56本目の本塁打。56号は13年バレンティン(ヤクルト)の60本に次ぐ単独2位に浮上。64年王(巨人)の55本を抜く日本選手最多となった。左打者では64年王、01年ローズ(近鉄)の55本を上回る史上最多。DeNA入江からは今季初アーチとなり、13年バレンティンに並ぶシーズン最多の48投手から本塁打を放った。村上は史上8人目、12度目の3冠王に輝いた。3冠王は04年松中(ダイエー)以来18年ぶり。セでは86年バース(阪神)以来になり、ヤクルトでは球団初。22歳シーズンは38年秋の中島(巨人)82年落合(ロッテ)の29歳シーズンを大きく更新する最年少になる。村上は12盗塁を記録し、2桁盗塁の3冠王は初めて。村上は本塁打で2位の巨人岡本和に26本差、打点で2位のDeNA牧、阪神大山を47点引き離し、ともに2位との差で史上最大をマークした。これまでの記録は本塁打が11年中村(西武)の23本差、打点が99年ローズ(横浜)の41点差。村上は犠飛ゼロで打点王。犠飛が記録として採用されたシーズン(39、40、54年~)で、犠飛ゼロの打点王は20年岡本和(巨人=97打点)に次ぎ2人目。

◆引退する3選手のためにサプライズゲストが訪れた。試合後、内川聖一内野手(40)坂口智隆外野手(38)嶋基宏捕手兼コーチ補佐(37)の引退セレモニーが開かれた。それぞれの家族から花束が贈られた後、サプライズゲストが登場した。内川にはソフトバンク時代の監督だった工藤公康氏(59)。坂口には近鉄、ヤクルトでチームメート、今は四国IL・香川で投手兼コーチの近藤一樹氏(39)。嶋には楽天でバッテリーを組んだ田中将大投手(33)。それぞれに花束を贈った。登場は3人とも知らされていなかったようで、驚いた表情。スタンドも思いがけない展開に湧いた。引退スピーチでは、3人とも家族やチームメート、ファンへの感謝の言葉を述べた。最後は嶋が「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!」とファンに呼び掛け、締めくくった。その後、チームメートたちから胴上げされた。

◆「村神様」が「世界のホームラン王」を超えた! ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、64年王貞治(巨人)の55本塁打を上回った。同時に「1億円の家」もゲットした。○...村上のバットを製作するミズノテクニクス・名和民夫氏「3冠王獲得! 本当におめでとうございます! 18年ぶりで令和初の3冠王はとても素晴らしい記録だと思います。セ・リーグでは元阪神のバースさん以来36年ぶりで、私の先輩の久保田が当時担当していたこともあり、私自身も大変喜んでいます」

◆ヤクルト 引退する坂口智隆、内川聖一、嶋基宏が有終の美を飾った。坂口は初回に左前打。内川は3回に同点の適時二塁打を放った。4回表、2人ともいったん守備位置に就いてから交代。高津監督の計らいだった。涙を流す村上らと抱擁し、ベンチへ。嶋は8回に代打で空振り三振も、9回表にマスクをかぶり、牧を遊ゴロに仕留めて交代した。坂口は「最高のチームメートの前でユニホームを脱げて誇りに思ってます」。内川は「笑顔でお別れが言えるのは、すごく幸せ」。嶋は「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!」とファンに呼び掛けて締めくくった。

◆今季最終戦を勝利で終えた、ヤクルト高津臣吾監督のあいさつは以下の通り。2022年、今日の試合をもちまして、全日程を無事終了しました。ディフェンディング・チャンピオンとして、今シーズン戦って参りました。大きな、たくさんの目標がありながら、まだ1つしか達成しておりません。ここにいる選手はもちろん、スタッフ、そしてファンの皆さんと、これから、長い長い、険しい道かもしれませんが、1つずつ目標をクリアし、2連覇という偉業に向かって頑張っていきたいと思っております。そして本日、大事なスワローズファミリーの3人がユニホームを脱ぐ引退試合でした。内川。あなたのバッティング技術、相手投手、相手ベンチを相当驚かせたと思います。2008年、右打者最高打率、3割7分8厘、そして両リーグ首位打者、最多安打、記憶にも記録にも残る大打者だったと思います。本当にお疲れさまでした。グッチ、坂口。なんとなく昭和感の残る、痛くても痛いと言わない男。しんどくても歯を食いしばってプレーする姿は、我々が若手に指導するよりも何よりも、若い選手の刺激になったと思います。今はなくなってしまいましたけども、近鉄バファローズの最後の選手として、今も残る近鉄バファローズのファンが、さみしく、そして大きな拍手をあなたに贈ってると思います。本当にお疲れさまでした。そして嶋。スワローズに来てからはケガとの戦いで、なかなか思うようなパフォーマンスは出せなかったかもしれないですが、あなたが発する、ベンチで発するそのひと声はたまにぷっとくることもあり、そして、選手の背中を押す、すごく勇気の出るひと言でした。僕個人としても、少し野村監督の影を思い出したり、する場面もありました。その野村監督も星野監督も、今天国であなたに心から拍手を送ってると思います。嶋、みんな見てましたよ。あなたの底力を。本当にお疲れさまでした。そして最後にベイスターズファンの皆さん、遅くまで残っていただきありがとうございました。そしてたくさん球場に、今年も神宮球場に足を運んでいただきありがとうございました。これからクライマックス・シリーズ始まりますけども、10月12日、またここでお待ちしております。ぜひ、素晴らしい戦いをしましょう。最後に、今年もいろいろ規定がある中、たくさん球場に足を運んでいただきました。繰り返しにはなりますが、まだまだこれから険しい道が残っています。皆さんで大きなものを取りにいきましょう。そして皆さんで、笑顔で、今シーズンが締めくくれるように、我々も一生懸命頑張って参りますので、これからも、どうぞご声援よろしくお願いします。1年間ありがとうございました。

◆DeNA三浦大輔監督(48)が来季も続投することが3日、決まった。ヤクルト戦後、都内のホテルで南場オーナーと会談。続投要請を受け、受諾した。契約更新ではDeNA初の複数年を提示され、三浦監督は「リーグ優勝できなかった悔しさもあるし、やり残したことがある。続きをさせていただけるありがたい気持ちと責任の重さを感じてます」と決意を示した。就任2年目の今季は「横浜反撃」を掲げ、「新番長野球」を構築した。投手陣には80%以上の確率で投手有利のカウントを作ることを指令。野手陣にはチーム打撃などを徹底した。新型コロナ感染による大量離脱、宮崎、オースティンらの故障離脱で、首位と最大17・5差まで離されながら一時は4差まで迫り、生え抜き監督では球団初のAクラスとなる2位に入った。選手起用では、主力と若手を融合させた。野手では2年目の牧を4番に固定。一時は3年目の蝦名を1番に抜てきした。投手では3年目の伊勢がセットアッパーでフル回転。2年目の入江の中継ぎへの配置転換もはまった。主力では再び山崎に守護神を託し、強固な勝利の方程式を形成するなど、「番長流」のマネジメント力も発揮した。南場オーナーは「強くなったなと。去年の最下位から非常に大きな前進ができ、結果を評価した」と説明した。来季以降のさらなるチームの強化に取り組むとともに、8日から開幕する阪神とのCSファーストステージから勝ち上がって、日本一への新たな目標に向かっていく。【久保賢吾】

◆巨人戸郷翔征投手が154奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。チームトップの12勝も、最多勝には1勝届かなかったが、自身初のタイトルに「目指していたタイトルの1つだったので取れてうれしいです。苦しい時期もありましたがファンの声援が後押しとなり獲得できました。来年もこの賞が取れるようにさらにレベルアップしていきたいと思います」とコメントした。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、史上最年少の3冠王を獲得した。7回先頭、DeNA入江から右翼席へ。9月13日巨人戦以来、61打席ぶりの1発で、64年王貞治(巨人)の55本を上回った。打率3割1分8厘、56本塁打、134打点でレギュラーシーズン全日程が終了。04年松中信彦(ダイエー)以来18年ぶり史上8人目、令和初の3冠王に輝いた。○...歴史的1発で「3億円の家」もゲットした。球団トップスポンサーのオープンハウスはこの日、かねて村上が56号を放てば贈呈すると発表していた「好立地の東京の家」の上限額を、当初の税込み1億円から同3億円にグレードアップした。「3冠王」にちなんだ大増額で、現地観戦した広報担当者は「最終戦の最終打席でチャンスをものにしたということで、すごく感動しました。1億円の予定でしたが、代表のひと声で急きょ、3億円になりました」と興奮冷めやらない様子。家の立地や間取りは、シーズン終了後に村上と相談して決定する。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(22)のシーズン56号本塁打のボールをゲットしたのは、都内の中学3年生、桜井蒼大(そうた)さん(14)だ。一塁側内野席で観戦していたが、外野席で売っている球場メシを買うため、再入場して外野に移動した。「元山選手の油淋鶏(ユーリンチー)です。多分、外野にしか売ってないと思います」。そのタイミングで村上の打席が回ってきたため、スタンドで見ていた。すると、打球が飛んできた。「ちょっと前でバウンドしたんですけど、流れてきて捕りに行きました。むちゃくちゃ、うれしかったです。思ってもいませんでした」と驚きを隠せなかった。5、6年前、初めて見に行ったプロ野球の試合が神宮でのヤクルト戦だった。それからヤクルトファンになった。最終戦のチケットは発売と同時に購入した。「村上選手のホームランを見たいなと思って。あと、神宮最終戦なので」。生まれて初めてホームランボールをゲット。「これ以上の経験はないです」と喜んだ。ボールは関係者を通じ村上に渡した。代わりに、直筆サイン入りの革手袋をもらい「ボールよりも、うれしいです。(村上は)プレッシャーもあったと思いますが、最終戦で打ってさすがだなと思います。試合も勝って、ホームランボールもゲットできて、最高です。(村上には)これからも頑張って欲しいです」とエールを送った。

◆引退セレモニーでヤクルト嶋基宏捕手兼コーチ補佐(37)が引退スピーチを行った。周囲への感謝を述べた後、最後は、あの名スピーチをもじった言葉で締めくくった。まずはこのような引退試合、セレモニーを開催していただき本当にありがとうございます。数日前に腰を痛めてしまって、今日、出られるかどうか不安だったんですけど何とか乗り切ることができました。そういうチャンスを与えてくださった監督コーチのみなさん本当にありがとうございます。プロに入って楽天で13年、ヤクルトに来て3年、楽天の13年間では考えて野球をすること、相手に向かっていく闘争心、捕手のいろはを学ばせていただきました。それが正しいのか、考えながらやったこのヤクルトの3年間であり、3年のうちに2度もリーグ優勝することができました。この3年間で2度リーグ優勝を経験していくうちに、僕は本当にこのヤクルトに来て良かったんだ、この最高の仲間と野球ができて幸せなんだと、毎日、毎日、感じることができました。それをいつも支えてくれた両親、小1から何不自由なく野球をやらせてくれて本当にありがとう。いつも陰で支えてくれた妻、3人の子どもたち、いつも僕が負けて寂しそうな顔をして帰ってもまた明日があるからと元気に次の日送り出してくれた妻、お父さんそろそろ活躍してよ、いつもそうやって励ましてくれた3人のこどもたち。これから仲良く一緒に生活していきましょう。そして最後まで残ってくださったベイスターズファンの皆さん、楽天でお世話になった藤田一也さん、森原康平、大学の後輩の柴田、山下がお世話になっております。これからもどうぞよろしくお願いします。最後になりますが、あの言葉を言って締めくくりたいと思います。見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を! ありがとうございました。2011年、東日本大震災が発生。開幕前に札幌で行われた復興支援のための試合前に、嶋が行った「見せましょう、野球の底力を」のスピーチは、あまりに有名。ただ、それがために「今になってみたら、言わなければ。あの言葉が自分のプレッシャーになった時期もありました」と告白していた。そんな言葉を、少しもじって、現役最後の舞台で使用。ユーモアあふれる嶋らしい選択だった。

◆レギュラーシーズン最終戦を終えたヤクルト高津臣吾監督(53)が、セレモニーでファンに向けてあいさつを行った。引退する3選手への愛あふれる言葉、さらにDeNAファンへの気遣い。高津監督らしいスピーチだった。2022年、今日の試合をもちまして、全日程を無事終了しました。ディフェンディングチャンピオンとして、今シーズン戦ってまいりました。大きな、たくさんの目標がありながら、まだ1つしか達成しておりません。ここにいる選手はもちろん、スタッフそしてファンの皆さんと、これから、長い長い、険しい道かもしれませんが、1つずつ目標をクリアし、2連覇という偉業に向かって頑張っていきたいと思っております。そして本日、大事なスワローズファミリーの3人がユニホームを脱ぐ引退試合でした。内川、あなたのバッティング技術、相手投手、相手ベンチを相当驚かせたと思います。2008年、右打者最高打率、3割7分8厘、そして両リーグ首位打者、最多安打、記録にも記憶にも残る大打者だったと思います。本当にお疲れさまでした。グッチ、坂口。何となく昭和感の残る、痛くても痛いと言わない男。しんどくても歯を食いしばってプレーする姿は、我々が若手に指導するよりも何よりも、若い選手の刺激になったと思います。今はなくなってしまいましたけども近鉄バファローズの最後の選手として、今も残る近鉄バファローズのファンが、さみしく、そして大きな拍手をあなたに贈っていると思います。本当にお疲れさまでした。そして嶋。スワローズに来てからはケガとの戦いでなかなか思うようなパフォーマンスは出せなかったかもしれないですが、あなたが発する、ベンチで発するそのひと声はたまにぷっとくることもあり、そして、選手の背中を押す、すごく勇気の出るひと言でした。僕個人としても、少し野村監督の影を思い出したりする場面もありました。その野村監督も星野監督も、今、天国であなたに心から拍手を送っていると思います。嶋、みんな見てましたよ。あなたの底力を。本当にお疲れさまでした。そして最後にベイスターズファンの皆さん、遅くまで残っていただきありがとうございました。そしてたくさん球場に、今年も神宮球場に足を運んでいただきありがとうございました。これからクライマックスシリーズ始まりますけども、10月12日、またここでお待ちしております。ぜひ、素晴らしい戦いをしましょう。最後に、今年もいろいろ規定がある中、たくさん球場に足を運んでいただきました。繰り返しにはなりますが、まだまだこれから険しい道が残っています。皆さんで大きなものを取りにいきましょう。そして皆さんで、笑顔で、今シーズンが締めくくれるように、我々も一生懸命頑張って参りますので、これからも、どうぞご声援よろしくお願いします。1年間ありがとうございました。

◆DeNA入江大生が、ヤクルト村上宗隆に日本選手最多の56号ソロを浴びた。5点ビハインドの7回無死、初球の151キロの速球を右翼席上段に運ばれた。「全力で勝負しにいった結果、とらえられてしまいました」と唇をかんだ。三浦監督は「いや、もう、すごい打球でした」と振り返りながら「悔しいでしょう。抑えにいって、自分の武器をはじき返されたわけですから。この悔しさをバネにしてもらえたら」と話した。

◆歴史的なホームランには必ず、打たれた相手がいる。9年前、初めて王を超え、シーズン60本塁打をマークしたヤクルト・バレンティン。この大砲と対峙(たいじ)した男たちの胸には、何があったのか。2人目の王超えを遂げた村上への思いとともに明かした。13年9月15日。ヤクルト・バレンティンが神宮球場で56号、57号を放った。打たれたのは、当時阪神の投手で、現在西武の球団本部ファーム・育成グループバイオメカニクス兼企画室アライアンス戦略を担当する榎田大樹氏(36)。王の55号を越え、さらに浴びたもう1発を、プロ野球の世界を戦ってきた証明と受けとめていた。「プロでやってきた証しと言いますか、記録、映像に残ることってなかなかないじゃないですか。そのタイミング、場面にいるのは、まず1軍で投げていないと実現しないですから」今も鮮明に記憶に残る。あの試合は台風が接近し開催が不安視されたが、実際は晴れ間が広がった。「風が強く、あまりない球場の雰囲気」だった。ただ、バレンティンは特別に意識しなかった。自身が勝てない投球が続いていた中での一戦。「結果を出したい」との思いが先行していた。1回2死二塁。56号は外角を狙ったシュートが曲がりきらず、甘く入った。投じた軌道が分かった瞬間、「やばい」と直感した。案の定、左中間に運ばれた。3回1死で食らった57号はカウント3-0からの内角へのスライダー。「レフトフライだと思った」打球は、強く吹く風に押され、左翼ポール際のスタンド最前列で弾んだ。村上が55号を放った後、複雑な感情が交錯したという。まず、日本選手新記録を応援したい思い。同時に56号が生まれれば、今までは自分だけだった、大記録のアーチを浴びた投手も2人になる。「超えて欲しい気持ちも。でも...あまり超えて欲しくない気持ちも」。打たれた投手でさえ、そう言うほど大切にしている瞬間。それが55号の先にある世界だ。【上田悠太】

◆ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、史上最年少の3冠王を獲得した。村上の日本選手新記録となる56号本塁打に、しみじみと話す恩師がいる。「王さんの記録にね。すごいなあ。我々の世代にとって、王さんの55号は特別じゃないですか。ねえ」と感慨深げに語るのは、熊本東リトルシニアの吉本幸夫監督(66)だ。入団してきた頃は「普通の小学6年生。すごくかわいかったですよ」。初めての練習試合に代打で出したら、いきなり三遊間を破った。「おお、最初から打ちやがった」と目を見張った。もっとも、二塁守備ではエラー。マウンドでは兄友幸さんが投げていた。「お兄ちゃん、ごめん」。涙を浮かべる「ムネ」の姿が忘れられない。かわいいところは今も変わりませんか? 「もう、今はそんな感じじゃないですよ。そんなこと言ったら、怒られる。我々の想像をはるかに超えた、本当にすごい選手。そういう選手に携わることができたというのは、ほんと、俺、光栄だなあと思いますよ」と優しく笑った。ソフトバンクの吉本亮打撃コーチを息子に持つ。「私はソフトバンクファンですから」と語る恩師は、日本シリーズでヤクルトとソフトバンクの対戦が実現することを楽しみにしている。【古川真弥】

◆引退セレモニーでヤクルト坂口智隆外野手(38)が引退スピーチを行った。まずはじめに、このようなセレモニーを開いてくださった球団関係者のみなさま、本当にありがとうございます。最後までお付き合いいただいたベイスターズファンのみなさま、ありがとうございます、今シーズンをもちまして坂口智隆は現役を引退させていただくことを決断させていただきました。20年間もの長い間プレーを続けられたのは、最高のチームメートや仲間、裏方さんたち、とても多くの人に支えられてやってこられたのだと思います。そして何よりたくさんのファンの方々に支えられなければここまで頑張ってこられませんでした。近鉄に入団し、いてまえ魂というプロ野球選手としての勢いを、オリックスではもののふの心という戦う姿勢、心を、そしてヤクルトでは不屈の魂というはい上がる力を、諦めない強さを与えていただきました。こんなにたくさんのファンの方々の前で、最高のチームメートの前でこのようにユニホームを脱げることをとても幸せに誇りに思っています。最後になりますが、母や家族、仲間たちにはこれからゆっくり顔を見て感謝を伝えていきたいと思っています。ヤクルトスワローズはまだまだ日本一へ向けて厳しい戦いが残っています。最後まで自分もともに戦った仲間を、ファンの皆さまと一緒に応援していきたいと思います。本当に20年間ありがとうございました。

◆引退セレモニーでヤクルト内川聖一内野手(40)がスピーチを行った。本日をもちまして22年間におよぶNPB現役生活、プロ野球選手を卒業します。横浜ベイスターズで10年、ソフトバンクで10年、ヤクルトで2年、本当に素晴らしい野球人生を送らせていただきました。セレモニーの最後まで残っていただきましたファンのみなさま、本当にありがとうございます。すいません緊張してます。そんな現役生活の最後をこんなにたくさんのファンの方の前で披露させていただく機会をつくっていただきました球団関係者のみなさま、本当にありがとうございます。感謝しなければいけない人がたくさんいるんですけども、まずは両親。父一寛さん。あなたは私の憧れでした。生まれたころから高校野球の監督をし、指導する姿、ノックを打つ姿をいつもかっこいいなと思って見てました。そんなあなたを追い掛けて、一生懸命野球をやってきた最後の舞台が、あなたが法政大学時代に守ったこの神宮球場のファースト、同じポジションを守ることを、最後の舞台を用意してくれた神様に感謝します。ありがとうございました。そして母。父が監督、子どもが選手という普通ではない環境でプレーできたのはあなたが支えてくれたからです。そして弟、小中高と同じユニホームを着て野球をしました。残念ながら僕より早くユニホームは脱ぎましたけども、これからも仲良く、また大分でゴルフでもしましょう。何よりも近くで支えてくれた妻、子どもたち。パパ頑張ったっしょ。みんながいてくれたから頑張れました。本当にありがとう。チームの力になりたい、もう一花咲かせたいという思いでヤクルトのユニホームを着させていただきましたが、高津監督はじめ首脳陣のみなさま、力になれずに本当に申し訳ない思いでいっぱいです。スワローズに来て昨年日本一、今年はリーグ優勝を達成してくれました。周りの人から僕が試合に出ていなくてもヤクルト強いね、今年も優勝したねと言ってもらえる喜び、チームが勝つことの勝利の輪が広がるというのを最後の最後に実感させていただきました。本当にありがとうございました。一緒に引退する嶋。グッチ。全盛期はお互い違うチームで切磋琢磨(せっさたくま)しましたが、最後に同じユニホームを着て同じ日に引退できることを誇りに思います。本当にありがとう。昨日までは今日が来るのを、早く区切りをつけたいと思う日もあったり、来てほしくないと思う日もあったり、いろんな方向に心が揺れましたが、今日ムネの56号のホームランを、歴史的な瞬間を見させていただき、ムネのホームランを見て僕自身がどうこうっていう決断はできませんでしたけども、佐野選手の強烈なライナーを捕った瞬間、ああこのスピード感じゃちょっと無理だなと思いました。少年野球のころから少年監督にもよく言われていたのは「聖一は勝っても負けてもいつも泣きよる」。でも最後にこの場で、笑顔で皆さんにお別れが言えるのはすごく幸せだなと思ってます。22年間本当にありがとうございました。

◆56号&3冠王ヤ!! ヤクルト村上宗隆内野手(22)が、今季最終戦で日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、史上最年少の3冠王を獲得した。7回先頭、DeNA入江から右翼席へ。9月13日巨人戦以来、61打席ぶりの1発で、64年王貞治(巨人)の55本を上回った。打率3割1分8厘、56本塁打、134打点でレギュラーシーズン全日程が終了。04年松中信彦(ダイエー)以来18年ぶり史上8人目、令和初の3冠王に輝いた。ヤクルト村上がシーズン56本目の本塁打。56号は13年バレンティン(ヤクルト)の60本に次ぐ単独2位に浮上。64年王(巨人)の55本を抜く日本選手最多となった。左打者では64年王、01年ローズ(近鉄)の55本を上回る史上最多。DeNA入江からは今季初アーチとなり、13年バレンティンに並ぶシーズン最多の48投手から本塁打を放った。村上は史上8人目、12度目の3冠王に輝いた。3冠王は04年松中(ダイエー)以来18年ぶり。セでは86年バース(阪神)以来になり、ヤクルトでは球団初。22歳シーズンは38年秋の中島(巨人)82年落合(ロッテ)の29歳シーズンを大きく更新する最年少になる。村上は12盗塁を記録し、2桁盗塁の3冠王は初めて。村上は本塁打で2位の巨人岡本和に26本差、打点で2位のDeNA牧、阪神大山を47点引き離し、ともに2位との差で史上最大をマークした。これまでの記録は本塁打が11年中村(西武)の23本差、打点が99年ローズ(横浜)の41点差。村上は犠飛ゼロで打点王。犠飛が記録として採用されたシーズン(39、40、54年~)で、犠飛ゼロの打点王は20年岡本和(巨人=97打点)に次ぎ2人目。

◆セ・リーグ最多安打争いで、今季161安打として全日程を終えたリーグ1位の中日・岡林と1差のDeNA・佐野恵太外野手(27)は「3番・左翼」でスタメン出場となった。起用の背景について、三浦監督は試合前に「本人が一番いい状態で打席に入れるのは、ということを考えて話をして、本人も『3番で』ということで、3番でいきます」と説明した。

◆ヤクルトがスタメンを発表。今季最終戦で引退を発表している内川聖一内野手(40)が「5番・一塁」、坂口智隆外野手(38)が「2番・右翼」でスタメンに名を連ねた。また、日本選手最多の56号と令和初の三冠王を目指す村上宗隆内野手(22)は2試合ぶりに「4番・三塁」で出場する。

◆今季限りでの現役引退を発表している坂口智隆外野手(38)が「2番・右翼」で出場し、一回の第1打席でDeNA先発・坂本の147キロの速球を捉えて左前打を放った。これで通算1526安打目をマーク。2003年にドラフト1巡目で近鉄に入団し、04年限りで消滅した近鉄でプレーしたNPB(日本野球機構)最後の現役選手。「ぐっち」の愛称で親しまれ、9月30日の引退会見では「『まだ、1、2年できるんじゃないか』と思い始めた時に、そういう気持ちで野球に向き合っているのは違うんじゃないかなと思い、決断しました」と話していた。

◆今季限りでの現役引退を発表している坂口智隆外野手(38)が「2番・右翼」で出場し、一回の第1打席で左前打、現役最後となった三回の第2打席は遊飛に終わった。四回の守備で一度グラウンドに姿を現してスワローズファンに深々と一礼してから交代。目に涙を浮かべながらヤクルトの監督、コーチ、選手の一人一人と握手を交わしてベンチへ退いた。

◆今季限りでNPB引退を発表しているヤクルト・内川聖一内野手(40)が「5番・一塁」で出場し、三回1死一、二塁の第2打席で左翼線へ適時二塁打を放つと、塁上では目に涙を浮かべて喜んだ。22年間のプロ野球人生。セ・パ両リーグで首位打者を獲得した稀代のバットマンが最後の打席で2186安打目をマークした。四回の守備で一度グラウンドに姿を現してから交代。涙は止まることなく万感の拍手を浴びながらヤクルトの選手一人一人と握手を交わし、最後はDeNAのベンチに深々と一礼して退いた。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が三回1死一、二塁の第2打席で左前適時打を放ち、令和初の三冠王に近づけた。「今日引退される3人に勝ちを届けられるように、勝てるように頑張ります」試合前時点で55本塁打、132打点でリーグトップを独走。打率は3打数無安打までなら2位・大島(中日)に追いつかれることなく首位打者が確定で、令和初の三冠王となる条件だった。四回の守備で今季限りでの引退を表明している内川と坂口がベンチに退く際には、グラウンドで最後の握手を交わすと涙を浮かべた。

◆セ・リーグ最多安打争いで、今季161安打として全日程を終えたリーグ1位の中日・岡林と1差のDeNA・佐野恵太外野手(27)は「3番・左翼」でスタメン出場。六回の第3打席に左前打を放ち、初の最多安打のタイトルが確定した。一回の第1打席は遊飛、三回の第2打席は鋭い当たりも一直に終わった。六回先頭で迎えた3打席目、1ストライクからヤクルト・原の直球を鮮やかに流し打ち。内野手が大きく右方向に寄る〝佐野シフト〟の逆を突き、待望の一打を放った。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が3日、今季最終戦のDeNA25回戦(神宮)の七回先頭、入江の初球をたたき右翼席に56号ソロを運んだ。1964年に王貞治(巨人)が記録したシーズンの日本選手最多本塁打を58年ぶりに更新した。村上は9月13日の巨人戦(神宮)で54、55号の2本塁打を放ち、王貞治の記録に並んだ。その後は打撃不振に悩み、同30日の広島戦(マツダ)までの13試合は、57打席ノーアーチ(44打数5安打)で打点0だった。今月2日の阪神戦(甲子園)は欠場した。この日の第1打席は二ゴロ。第2打席は左前適時打。第3打席は一ゴロ。第4打席で新記録達成。出場14試合61打席ぶりの本塁打だった。村上はこの時点で56本塁打、134打点、打率・318。三冠王をほぼ手中にしている。三冠王は2004年の松中信彦(当時ダイエー)以来、18年ぶり史上8人目。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が3日、七回に、今季56本目となる本塁打を放ち、1964年に王貞治(巨人)がつくったシーズン55本塁打の日本選手最多記録を更新。本塁打直後、ツイッター上では5分間で約2万件を超える反応が記録され、その偉業を多くのファンが祝福した。「最後の最後に持っていくのすごすぎるわ、ずっと出てなかった中で塗り替えるのカッコ良すぎるなぁ。本当すごい、怪物すぎるわ」「ヤクルトの村上、正直もう無理だと思ってたのに最終試合で打つのスターすぎる。巨人ファンだけど、これは嬉しい!!おめでとう\(^o^)/」「むねくん56号も打った瞬間の確信ホームラン、走り出す時の指差しとベンチに帰ってきた時の可愛い笑顔がたまらない。これが村上宗隆なんだよなあ」「村上君、56号おめでとう。敵ながら素晴らしい記録。日本球界の宝だね!CSではビシッと抑えさせていただきます!頼むよベイの投手陣!」「プレッシャーの中ありがとう。最後に神宮で打つなんてやっぱり神!村神さま本当にありがとう????震えてます」

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が今季の全日程を終了し、2004年の松中信彦(ダイエー)以来、18年ぶり史上8人目の三冠王に輝いた。村上は9月13日の巨人戦(神宮)で54、55号の2本塁打を放ち、1964年に王貞治(巨人)が記録したシーズン日本選手最多本塁打に並ぶなど本塁打王を独走。打点でも一人旅を続けた。この日の第2打席で左前適時打を放ち、今季133打点目をマーク。今季最終打席となった第4打席で右翼席へ56号ソロを放ち、58年ぶりに本塁打記録を更新した。出場14試合61打席ぶりのアーチだった。最終戦を4打数2安打2打点で終え、今季は56本塁打、134打点。中日・大島と競っていた首位打者は打率・318で逃げ切った。

◆今季限りでの引退を表明している嶋基宏捕手(37)が8―2の八回1死走者なしに代打で出場。真骨頂をみせて7球粘ったが、空振り三振で現役最後の打席を終えた。九回の守備ではマスクをかぶり1死取ったところで万感の拍手を浴びながら交代となった。2020年に楽天からヤクルトに移籍。楽天時代の06―09年は野村克也監督に捕手のイロハをたたき込まれた。9月30日の引退会見では「野村監督のように名将と言われるような指導者になっていきたい」と野村イズムの継承を誓った。ファーストピッチセレモニーでは10歳と6歳の息子からボールを受け取るシーンも。四回に同じく今季での引退を表明している内川、坂口がベンチに退く際には涙を浮かべていた。

◆セ・リーグ2位が確定しているDeNAは最終戦を白星で飾れなかった。セ・リーグ最多安打争いで、今季161安打として全日程を終えたリーグ1位の中日・岡林を1差で追うDeNA・佐野恵太外野手(27)は六回の第3打席に左前打を放ち、初の最多安打のタイトルが確定した。ハマのキャプテンが新たな勲章を手にした。佐野が、ヤクルトとの今季レギュラーシーズン最終戦(神宮)の第3打席に左前打をマーク。既に全日程を終えた中日・岡林と並ぶリーグトップの今季161安打を記録し、自身初の最多安打のタイトルを確定させた。1安打差の2位で迎えた最終戦。「1番」でなるべく多く打席がまわってくる形もあったが、三浦監督は「一番いい状態で打席に入れるのはということを考えて話をした。本人も『3番で』ということで」と、これまでと変わらない打順で佐野を送り出した。一回の第1打席は遊飛、三回の第2打席は鋭い当たりも一直に終わった。そして、六回先頭で迎えた3打席目、1ストライクからヤクルト3番手・原の143キロ直球を鮮やかに流し打ち。内野手が大きく右方向に寄る〝佐野シフト〟の逆を突いて、待望の一打を放った。佐野はラミレス前監督に資質を見いだされ、レギュラー未経験のまま、米大リーグに移籍した筒香の後を受けて2020年に主将に就任。「4番」にも抜擢(ばってき)され、首位打者に輝いた。昨季は初の全試合出場を果たし、迎えた主将3年目の今季はチームを3年ぶりのセ・リーグ2位に導き、自身2つめのタイトルも獲得した。年々頼もしさ増す主将が、クライマックスシリーズでもチームを引っ張る。

◆DeNA・入江大生投手(24)が2―7の七回に5番手で登板。先頭の村上に日本選手の最多記録を更新する56号ソロを浴びた。151キロの直球で真っ向勝負を挑んだ右腕は「全力で勝負しにいった結果、捉えられてしまいました」と振り返った。球場全体の鳴りやまぬ拍手の中で、村上がスタンディングオベーションに応えるまで待ち、後続はしっかりと切り替えて打者3人を無安打で抑え、CS前最後の登板を終えた。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が3日、今季最終戦となったDeNA25回戦(神宮)の七回先頭、入江の初球をたたき右翼席に56号ソロを運んだ。1964年に王貞治(巨人)が記録したシーズンの日本選手最多本塁打を58年ぶりに更新した。村上は9月13日の巨人戦(神宮)で54、55号の2本塁打を放ち、王貞治の記録に並んだが、その後は打撃不振に悩み、同30日の広島戦(マツダ)までの13試合は、57打席ノーアーチ(44打数5安打)で打点0。そして臨んだ最終戦。出場14試合61打席ぶりの本塁打だった。打った瞬間それとわかる打球に、スタンドの観客は総立ちとなった。今シーズンの村上の活躍を写真で振り返る。

◆DeNAの入江が七回に登板し、村上に56号本塁打を浴びた。内角への151キロ直球で真っ向勝負を挑んだが、完璧にはじき返され「全力で勝負しにいった結果、捉えられてしまった」とコメントした。2年目の今季は救援に転向し、57試合に登板して飛躍した。好結果で締めくくりたかったレギュラーシーズン最終戦で大きな一発を浴び、マウンド上では悔しさを表情ににじませた。(神宮)

◆ヤクルトのトップスポンサー「オープンハウス」が3日、村上宗隆内野手(22)が今季最終戦となったDeNA25回戦(神宮)の最終打席で右翼席へ日本選手最多を更新するシーズン56本塁打を放ったことと令和初の三冠王を達成したのを記念し、当初予定していた〝1億円の家〟の贈呈を三冠王にちなんで〝3億円の家〟にレベルアップすると発表した。同社は「プレッシャーに打ち勝ち、日本中の野球ファンに震えるほどの感動を与えてくれた村上選手にふさわしい『三冠王』にちなんだ『3億円』といたしました。当社は引き続きファンの皆様とともに、一層の活躍が期待される村上選手とスワローズを応〝燕〟してまいります」とコメントした。

◆今季限りでの現役引退を発表している坂口智隆外野手(38)、内川聖一内野手(40)、嶋基宏捕手兼コーチ補佐(37)が試合後の引退セレモニーであいさつした。先に行われたレギュラーシーズン終了の最終戦セレモニーでは、高津臣吾監督(53)が3選手にはなむけの言葉をおくった。「内川、あなたのバッティング技術は相手チームを驚かせたと思います。記憶と記録に残る大打者でした」「坂口、グッチー! 何となく昭和感の残る、痛くても痛いといわない選手でした」「嶋、スワローズに来てからケガとの戦いでしたが、あなたがベンチで発する言葉は、僕個人も野村さんを思い出しました。野村さん、星野さんも天国からあなたへ心から拍手を送っていると思います」続いて3選手の引退セレモニー。家族から花束を受け取った後、内川にはソフトバンク在籍時の監督だった工藤公康氏、坂口にはオリックスとヤクルトでチームメートだった近藤一樹氏、嶋には楽天・田中将大投手が花束を手渡した。内川は「何よりも近くで支えてくれた妻、子供たち。パパ頑張ったでしょう。みんながいてくれたから頑張れました。本当にありがとう。最後に笑顔でお別れをいえるのは幸せです」と家族に感謝した。坂口は「近鉄バファローズに入団して、いてまえ魂、オリックスでは戦う姿勢と心、ヤクルトでは不屈の魂、あきらめない強さを与えていただきました」と話した。嶋はあいさつの最後に「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を。ありがとうございました!」と締めくくった。3選手は胴上げされた後に球場を一周。ファンに別れを告げた。

◆平成で唯一の三冠王、元ソフトバンクの松中信彦氏がテレビ解説でヤクルト・村上の56号について「鳥肌が立ちました。すごいの一言です」と令和初の三冠王を絶賛した。三冠王に輝いた2004(平成16)年に44本塁打を放った松中氏は「40本という数字が厳しくて」と本塁打を打てずに苦しんだ経験を披露。「ただものではないというのを最終打席で証明しましたね」と重圧に打ち勝った〝村神様〟の大記録を褒めちぎった。

◆DeNAは3日、2年契約最終年の三浦大輔監督(48)と新たに複数年契約を結ぶことを発表した。就任1年目の昨季は最下位に沈んだが、2年契約最終年の今季はチーム3年ぶりとなる2位に躍進した。ヤクルトとの今季最終戦(神宮)後、都内で指揮官と話し合いの場を持った南場智子オーナー(60)は記者会見を開き、「(2位という)結果は悔しいけれど去年より大きく前進している。明るい雰囲気の中で、チームが強くなっていると感じている」と語った。DeNAは初代の中畑監督、2代目のラミレス監督といずれも最初に複数年契約を結んだ後、更新する際はいずれも単年契約のスタイルを続けてきたが、ベイスターズのレジェンドに初の複数年での契約更新を打診し、1998年以来となる優勝への期待を込めた。

◆ヤクルトはDeNAとのレギュラーシーズン最終戦に勝ち、80勝59敗4分けのリーグ優勝で全日程を終えた。試合後には今季で引退する坂口智隆外野手(38)、内川聖一内野手(40)、嶋基宏捕手(37)の3選手の引退セレモニーが行われた。それぞれにサプライズゲストが花束を贈呈。坂口には近鉄、オリックス、ヤクルト全てでチームメートだった現独立リーグの香川、投手兼コーチの近藤一樹(39)が、内川にはソフトバンクの工藤公康元監督(59)、嶋には楽天・田中将大投手(33)が花束を渡し、これまでの野球人生を慰労した。3選手のスピーチは以下のとおり。内川 「本日をもって22年間に及ぶ現役生活、プロ野球選手を卒業します。素晴らしい野球人生を送らせてもらいました。感謝しなければいけない人はたくさんいますが、まず両親。父・一寛さん、あなたは私の憧れでした。生まれたときから高校野球の監督をし、指導する姿、ノックを打つ姿をいつもカッコいいと思いながら見ていました。そんなあなたを追いかけて一生懸命野球をやってきた最後の舞台が、あなたが法大時代に守ったこの神宮球場の一塁。同じポジションを守ることを最後の舞台を用意してくれた神様に感謝します。そして母。父が監督で子供は選手という普通ではない環境でプレーできたのは、あなたが支えてくれたから。ありがとうございました。そして弟。小中高と同じユニホームを着て野球をやりました。僕よりも早くユニホームを脱ぎましたが、これからも仲良く、また大分でゴルフでもしましょう。何よりも近くで支えてくれた妻、子供たち。パパ頑張ったでしょ。みんながいたから頑張れました。本当にありがとう」坂口 「今季をもちまして坂口智隆は現役を引退させていただくことを決断しました。20年間もの長い間プレーを続けられたのは、最高のチームメート、仲間、裏方さんたち、とても多くの人に支えられてやってこられた。なによりたくさんのファンに支えられなければ、ここまで頑張ってこられませんでした。近鉄に入団し、『いてまえ魂』というプロ野球選手としての意気込みを、オリックスでは『もののふの心』という戦う姿勢。そしてヤクルトでは不屈の魂、はい上がる力、あきらめない強さを与えてもらいました。たくさんのファンの前、最高のチームメートの前でユニホームを脱げることを幸せに、誇りに思っています」嶋 「楽天の13年間では考えて野球をすること、相手に向かっていく闘争心。捕手のイロハを学ばせてもらいました。それが正しいのかを考えながらやったヤクルトでの3年間であり、3年のうちに2度もリーグ優勝することができました。この3年間で2度リーグ優勝を経験していくうちに『僕は本当にヤクルトにきてよかった。この最高の仲間と野球ができて幸せなんだ』と毎日毎日感じることができました。それを支えてくれた両親。小学校1年生のときから30年間、何不自由なく野球をやらせてくれてありがとう。いつも陰で支えてくれた妻、3人の子供たち。いつも僕が負けて寂しそうな顔をして帰っても『また明日があるから』と送り出してくれた妻、『お父さんそろそろ活躍してよ』と励ましてくれた3人の子供たち。これから仲良く一緒に生活していきましょう。最後になりますが、あの言葉をいって締めたいと思います。『見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!』。ありがとうございました」

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が今季の全日程を終了し、2004年の松中信彦(ダイエー)以来、18年ぶり史上8人目の三冠王に輝いた。この日の第2打席で左前適時打を放ち、今季133打点目をマーク。今季最終打席となった第4打席で右翼席へ56号ソロを放ち、58年ぶりに本塁打記録を更新した。出場出場14試合61打席ぶりのアーチだった。最終戦を4打数2安打2打点で終え、今季は56本塁打、134打点。中日・大島と競っていた首位打者は打率・318で逃げ切った。データBOXは以下の通り。?村上(ヤクルト)が首位打者(打率・318)、最多本塁打(56)、最多打点(134)の三冠王に輝いた。三冠王を達成したのは、2004年の松中信彦(ダイエー)以来18年ぶり8人目(12度目)。22歳シーズンでの達成は、1938年秋の中島治康(巨人)と82年の落合博満(ロッテ)の29歳シーズンを抜く最年少記録。?22歳シーズンでの首位打者および最多打点のタイトル獲得は、いずれもセ最年少記録。首位打者は59年の長嶋茂雄(巨人)、05年の青木宣親(ヤクルト)の23歳シーズンを抜き、最多打点は58年の長嶋と62年の王貞治(巨人)に並んだ。21歳シーズンの昨季、最多本塁打でもセ最年少記録に並び、これでセ打撃3部門(首位打者、本塁打、打点)いずれも最年少記録保持者となった。?本塁打は2位に26本差、打点も2位に47点差といずれも大差。過去の最大差は本塁打が11年の中村剛也(西武、48本)の23本差(2位・松田宣浩=ソフトバンク=25本)、打点が99年のR・ローズ(横浜、153点)の41点差(2位・ペタジーニ=ヤクルト=112点)。いずれも上回り2位との最大差でのタイトル獲得となった。?シーズン134打点は50年の青田昇(巨人)らと並ぶ歴代11位(1位は50年の小鶴誠=松竹=161)。左打者に限れば、85年の阪神・バースと並ぶシーズン最多打点。

◆「今、監督と話をしまして続投の要請をいたしました。そしてDeNAになって初めて、延長の契約を複数年ということでお願いいたしました。このタイミングで伝えたのは、やはりCSが開始するまでの限られた時間、なるべく信頼関係の中でじっくりと準備に取り組んでほしいということで、いち早く伝えました」――打診の理由「まずは結果ですよね。悔しい結果ではありましたけど昨年からは非常に大きな前進でした。本拠地にクライマックスシリーズを持ってきてくれて、最低限の仕事をしっかりやって、そこについては結果を評価しています。私はプロではないので、あまり踏み込んだ話をしてはいけないかもしれないのですが、非常に前向きで明るい雰囲気の中、チームが強くなっていると思っています」「それと、いろいろな報告を聞いていますが、コーチ陣が非常に意気に感じてよい仕事をしてくれていて、そういう建設的な議論ができる、発言しやすい雰囲気をつくっているんですね。それは選手からコーチに対してもそうらしい。皆で一丸となって相手、敵と戦うという。そういうチームになってきているのかなと感じます」「昨季が終わって言っていた反省の言葉があるんですけど、それをしっかりと春のキャンプで徹底的にメニューに組み込んで、それを貫いた。上手にチーム運営をしているなと思うんですよね。監督自身もそういった意味では昨年から大きく成長しているんじゃないか、と。潜在的な成長力というか、状況については満足です」――DeNAとなり初の複数年更新の理由「この考え方、この良さというのを持ってですね。一緒にベイスターズの未来を築いていこうと。そういうこちらの決意でもありますね」――具体的な年数「それは今お伝えすることができないです。これから」――続投の決断時期「実は春のキャンプから見ていて、一度もそうじゃない選択肢のことをそれほど考えていないですね。苦しい時も、その乗り越え方というのを見ていて、非常に前進している、かつ前向きで将来については期待が持てる乗り越え方をしていたので、結果が出ていないときもそれほど、疑問というよりもいつかきっと結果が出ると私も一緒に、その気持ちで一緒にいることができましたね」

◆6年目のDeNA・佐野恵太外野手(27)が六回、左前打を放ち、今季161安打目をマーク。中日・岡林と並んで最多安打のタイトルを初めて獲得した。「日頃よりサポートしていただいた皆さんのおかげだと思っています。感謝の気持ちでいっぱいです」と謙虚に喜びをかみしめた。リーグ3位の打率・306でシーズンを終え、3年連続で3割超えを果たした。2016年秋のドラフト会議でセ・リーグ最後の指名となる9位で明大から入団。20年には首位打者(・328)に輝き、今季は就任3年目で主将として初めてクライマックスシリーズ(CS)に進出。キャリアハイの22本塁打を放った。8日からはCSファーストステージから日本一を目指す戦いに挑む。「間違いなく年々チーム力はついてきている」とうなずく佐野。新たな勲章を自信に、仲間を引っ張る。(横山尚杜)

◆最高のシーズンを最高の形で締めた。ヤクルトはレギュラーシーズン最終戦に8―2で快勝。高津臣吾監督(53)は喜びをかみしめた。「こうして最後のゲームが迎えられて、セ・リーグを勝つことができたので、非常にいいレギュラーシーズンだったと思う」チームスワローズを象徴する一戦だった。三回に4番・村上が反撃ののろしを上げる左前適時打を放つと、40歳の内川が左翼線へ適時二塁打、今季途中加入のキブレハンが左翼席へ決勝の6号3ラン。六回には、指揮官が「ヤングスワローズ」と命名した20歳の内山壮、21歳の長岡が2者連弾を放つなど主砲、ベテラン、若手、助っ人が躍動した。満員の神宮球場で指揮を執るのは今季が初。1997年以来25年ぶりとなる80勝に到達した。「一喜一憂しながらスタンドで応援してくれるのはわれわれの元気の源、活力になる」とファンの存在に感謝した。12日からはクライマックスシリーズ・ファイナルステージで、球団初となる2年連続日本一を目指す戦いが始まる。最終戦のセレモニーで高津監督は「険しい道が残っております。皆さんで大きなものを取りに行きましょう」と燕党に呼びかけた。(赤尾裕希)

◆感動の幕切れだった。今季限りでの現役引退を発表したヤクルト・内川聖一内野手(40)、坂口智隆外野手(38)、嶋基宏捕手(37)の引退セレモニーが行われ、有終の美を飾った。「5番・一塁」で先発出場した内川は一回の第1打席で中飛、三回の第2打席は1死一、二塁で左翼線へ適時二塁打。最後は大分高の監督を務める父・一寛さんが法大時代にプレーした神宮球場の一塁を守り「父は私の憧れでした。最後の舞台を用意してくれた神様には感謝しています」と涙を浮かべた。坂口は「2番・右翼」で先発出場。一回の第1打席では逆(左)方向へ安打を運んだ。「ぐっち」の愛称で親しまれたNPB最後の近鉄戦士。式典では元同僚で四国IL・香川で現役を続ける近藤一樹投手から花束をもらい「近鉄バファローズではいてまえ魂、オリックスではもののふの心、ヤクルトでは不屈の魂。諦めない強さを与えていただきました」と感謝した。嶋は八回に代打で出場。7球粘った末に空振り三振で最後の打席を終えた。直後の守備にも就き1死を取って交代。「みせましょう。ヤクルトスワローズの底力を」と挨拶し、楽天時代にバッテリーを組んだ田中将大投手も駆けつけた。3選手は胴上げされた後に球場を一周。村上、塩見らは目を赤くし、先輩たちの最後の雄姿を見届けた。(森祥太郎)

◆最終打席で伝説が生まれた-。ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が3日、DeNA最終戦(神宮)の七回先頭で56号ソロを放ち、1964年に王貞治(巨人)が記録したシーズンの日本選手最多本塁打を58年ぶりに更新した。レギュラーシーズン全日程が終了し、打率・318、56本塁打、134打点で令和初の三冠王を達成。2004年の松中信彦(ダイエー)以来、8人目(12度目)の快挙で22歳シーズンでの達成は1938年秋の中島治康(巨人)、82年の落合博満(ロッテ)の29歳シーズンを更新する史上最年少となった。打った瞬間、味方ベンチを向いて手をたたき、ほえた。村上が七回先頭で日本選手のシーズン最多を更新する56号ソロ。右翼席へ一直線に伸びる放物線に、ナインもファンも総立ちだ。村上は感慨に浸るようにゆっくり歩き始めた。「手応えはばっちりでしたし、やっと出たな、長い一本だったなと。本当にほっとしました」1872年に外国人教師として来日した米国人、ホーレス・ウィルソン氏が日本に野球を伝えてから150年。22歳が球史を塗り替えた。入江の初球、151キロの直球を一閃。1964年に王貞治(巨人)が樹立したシーズンの日本選手最多本塁打を58年ぶりに更新した。苦しみながらたどり着いた。9月13日の巨人戦(神宮)で55号を放って以降はアーチが出ず、14試合、61打席ぶりに放った会心の一撃。「久しぶりだったので、この感じだな、気持ちいいなという感じだった」。〝56号の壁〟をぶち破った。55号到達時にソフトバンク・王貞治球団会長(82)から「誰も歩んだことがないところを、彼は一人で歩んでいく。ここまでの彼の歩みを見たら、十分にできる」と背中を押された。世界の王の期待にシーズン最終打席で応えた。惜別の適時打がメモリアルアーチにつながった。三回1死一、二塁で左前に適時打。この日はチームを支えた内川、坂口、嶋の引退試合として行われた。坂口と内川が四回の守備で交代する際にはグラウンド上で号泣し、抱き合った。三冠王達成へ3打数無安打まで打席が許されていたが、涙の適時打で〝奇跡の4打席目〟が生まれた。4打数2安打で打率・318として2位の大島(中日)に4厘差をつけ、56本塁打、134打点とともに3冠に立った。多くの強打者が挑んできた三冠王の夢。2004年の松中信彦(ダイエー)以来、史上8人目(通算12度目)の達成者となった。22歳シーズンでの達成は38年秋の中島治康(巨人)、82年の落合博満(ロッテ)の29歳シーズンを更新する史上最年少記録だ。一人では成し遂げられなかった。熊本県の実家に帰省すれば、家族が温かく迎えてくれる。感謝の思いを込めて本塁打の記念球は両親に贈っている。1号、50号、100号、150号...。実家に大事に飾られている白球にサインと日付を刻むのが帰省したときの決まり事。記念球と家族の笑顔を目に焼き付け、活力としてきた。両親からは昨年末、バカラ社製の招き猫をもらった。運気が上昇するとされる置物は東京都内の自宅に大切に飾っている。「両親が僕のことを思って贈ってくれたことがうれしかった」。大事な〝守り神〟が決して平坦(へいたん)ではない道のりの中、人知れず支えとなってくれた。12日からはクライマックスシリーズ・ファイナルステージが始まる。その先に見据えるのは、球団初となる2年連続日本一。チームのため、ファンのため、現役最強打者が再び歩みを進める。(赤尾裕希)

◆ヤクルトとの今季最終戦(神宮)を終えたDeNAは3日、東京都内のホテルで記者会見を開き、三浦大輔監督(48)と新たに複数年契約を結ぶと発表した。南場智子オーナー(60)から要請され、受諾した。今季が2年契約の最終年で、複数年での契約更新はDeNAの経営参画後初めて。昨季の最下位から3年ぶりの2位浮上に導いた指揮官に、1998年以来となるリーグ優勝の夢を託す。横浜の未来は「ハマの番長」に託された。シーズン最終戦後、三浦監督は南場オーナーから直々に来季の続投と複数年での契約更新の打診を受けて受諾。球団の期待を全身で受け止めた。「今年優勝できなかった悔しさも、やり残したこともある。その続きをさせていただけるありがたい気持ちと、責任の重さを感じています」DeNAは2012年の球界参入から中畑清氏、アレックス・ラミレス氏と2年契約を結んだ後は「一年一年の勝負」を求め、単年で更新する姿勢を貫いてきた。複数年での更新は今回が初。期待の高さがにじんだ。指揮官との会談後、南場オーナーは続投の理由を「(2位という)悔しい結果でしたが、昨年からは非常に大きな前進」と説明。「前向きで明るい雰囲気の中で、チームが強くなっていると感じている」と続けた。就任1年目の昨季は最下位に終わったが、投手陣を立て直してチーム防御率を昨季の4・15から3・48へ大幅に改善させるなど、確かな成果をあげた。本拠地17連勝も飾り、今季は3年ぶりの2位躍進とクライマックスシリーズ(CS)進出を勝ち取った。今季から石井琢朗氏、斎藤隆氏ら1998年の日本一を知るOBがコーチに就任。IT大手企業を経営し、経団連副会長も務める南場オーナーは「発言、議論がしやすい雰囲気をつくって上手にチーム運営をしている」と、三浦監督のリーダーとしての統率力も高く評価した。もちろん、見据えるのは1998年以来のリーグV。三浦監督は「まだまだ途中ですから、もっとグレードアップしていかないといけない」と、さらなる飛躍を約束した。(浜浦日向)

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が日本選手のシーズン最多を更新する56号を放ち、令和初の三冠王を達成。重圧を乗り越え「成長できた」と明かした。――王貞治氏を超えた「偉大な記録を破ることができて、本当にうれしいんですが、王さんや野村さん、落合さんらいろんな先輩方はもっともっとすごい偉業を成し遂げていますし、僕もこれから続けていくことが大事。これから長いシーズン、こういう成績を残せるように頑張りたいなと思います」――シーズン最終戦の最終打席で56号を放った「しっかり自分の打撃フォームを修正しながら、練習や、いろいろ動画を見て感じたことを表現できたらいいなと思っていた。結果的に最後の打席でホームランが打てたのは自分でもびっくりしていますし、最後のご褒美かなと思って素直に喜びたいなと思います」――最後は打撃の状態が落ちた。プレッシャーがあった「ないと言ったら嘘になる。優勝だったり、その試合に勝つ、その打席で打つ、こういう記録に挑むといういろんなプレッシャーはたくさんありましたけど、それも全ていい形で終われてうれしいですし、また一つ自分の中で成長できたかなと思います」――苦しい時に気持ちを変えてくれたのは「自分の気持ちを変えるのも自分の気持ち次第。もちろんいろんな人から、たくさんの方から励ましの言葉をもらったりしますけど、そういう気持ちは僕にしかわからないところもある。僕自身が向き合って、僕自身の心で解決することが一番」――長岡と内山壮の体を触っていた「ホームランを打って僕らも喜んでいるので。流れに乗って。そんなに意味はないです」――内川、坂口、嶋の引退試合で涙を流した「チームを支えてくれた皆さんでもありますし、坂口さん、内川さん、嶋さんは僕がテレビで見ているときの憧れの選手だった。そういう素晴らしい選手の引退試合に出場して、最後に一緒にグラウンドでプレーできたのはすごく誇りで、幸せをかみしめながら見ていました」

◆ヤクルト・村上宗隆内野手と2018年の同期入団で、1年目から青木宣親外野手(40)の合同自主トレーニングに一緒に参加する宮本丈内野手(27)は村上の素顔を明かした。ムネ(村上)の言動にはいつもハッとさせられます。目線が人よりも飛び抜けていると思いますし、とても22歳とは思えません。さすがに今年の活躍には自分でも「出来すぎてこわい」と話していました。初めから驚きの連続でした。新人合同自主トレでは当時2軍チーフコーチだった三木さんから「どれくらい稼ぎたいんや?」と聞かれて「3億円プレーヤーを目指しています」と宣言したんです。大勢の選手が集まる中での出来事だったので周囲は冗談だと笑っていましたが、ムネは本気の目をしていたのを覚えています。年々すごみが増してきていますが「眼力」が別格だと思います。打撃フォームやスイングには100通り以上のパターンがある中で、「自分に合うな」と思ったものはすぐに実戦でも取り入れる。その選択のセンスが抜群で身体感覚も優れているので、すぐにハマっていくんだと思います。そこに自主トレで青木さんから体の使い方やケアの仕方など正しい努力の方法を教わって、自分の引き出しが増えていったように思います。野球に関して限界が見えないですが、胃袋も無尽蔵です。時間があるときにはすしや焼き肉などに先輩方に一緒に連れていってもらうことが多いですが、ずっと食べ続けています。限界まで食べてみるということはしたことないですが、すしだと50皿は食べられるんじゃないかな。食べることに関しても底が見えない恐ろしさがあります。新型コロナウイルスが流行して外出ができない時には寮で毎日のように野球談議を交わしていました。まだ主力に定着して間もない頃でしたが、自分のことよりも「チームを勝たせるためには」と考えている姿が当時からありました。今年も一緒に戦って日本一を成し遂げたいです。(東京ヤクルトスワローズ内野手)

◆ムネ、おめでとう―。ヤクルト・村上宗隆内野手と同じ熊本県出身で同学年の元オリックス外野手、西浦颯大(はやと)さん(23)がメッセージを寄せた。自身は国指定の難病「両側特発性大腿骨頭壊死症」の影響で昨季限りで引退。プロの世界で活躍する旧友へ思いを託した。ムネの今年の活躍は、すごいの一言だと思います。打撃だけでなく、12盗塁も走れているところもすごいですね。小学生時代から何度も対戦していましたが、初めて会ってちゃんと話したのは中学生の頃。ムネは熊本東シニア、僕は熊本北シニアに所属していて、一緒に九州選抜で台湾に遠征したり、U15(15歳以下)の侍ジャパンの選考会を受けに行きました。当時から長打力はすごくて、中1でシニアのグラウンドで柵越えを打っていたのは印象に残っています。ただ、当時はまだ僕の方がうまかった自信があります。飛距離は負けるかもしれませんが、足の速さや能力的なところでは負けていなかった。プロに入って、キャプテンシーがさらに強くなりましたね。高校時代もキャプテンをしていましたが、もともとおとなしくてまじめなので、キャプテンというタイプではなかった。でも今は画面越しにも強い思いが伝わってきます。昨年、僕が引退するときには「改めてお疲れ様」と連絡をもらました。ムネには歴史に名を残す人物になってほしいですね。僕は病気でプロ野球の世界から離れるしかなかった。だからこそムネに期待しているところがあるし、僕の分も頑張ってほしいと思います。本人に直接伝えてはいませんが、ムネは言わなくても分かってくれていると思う。2年連続日本一に向かって頑張れ。(元オリックス選手)

◆最後の最後で〝高津流マネジメント〟が結実した。高津監督は2日の阪神戦(甲子園)で村上の状態を考慮して欠場させ、休養させた。周囲の56号への期待は分かっていたが、今後も見据えて英断を下した。貫いたのは選手に期待しながらも、絶対に無理はさせない〝選手ファースト〟の哲学。「一日休んですごくリフレッシュできたようです。明らかに練習から違っていた。(選択は)正解だったのかなと」と振り返った。右翼席へ向かう打球を見つめ「少しの幸せと、驚きと、本当にこいつやったなという達成感と、いろんなものが混じりました」と興奮を隠しきれなかった指揮官。「最後の打席で56本が出るというのは漫画でも書けないけど、今年のムネを象徴した一発だったと思う」。伝説のアーチを生んだのは2軍監督時代から指導する高津監督の親心だった。(ヤクルト担当・赤尾裕希)

◆シーズン56号と三冠王。22歳にして、ふたつの偉業を達成したヤクルト・村上宗隆。幼少期から、家族の支えがパワーの源だった。息子の活躍に驚き、喜ぶ父・公弥さんは、シンプルながらも奥深い「村上家の教え」を明かした。母・文代さんは優しさにあふれた息子の思い出を振り返った。(取材構成・横山尚杜)両親でさえ想像しなかった速度で急成長を遂げた。村上の父・公弥さんは令和初の三冠王となった愛息に感嘆の言葉を漏らした。「すごいという言葉しか出てこないです。皆が見ている通り。ただただ、すごいですよ」プロ野球記録を次々と塗り替え、注目も高まる中、野球を始めた当時から変わらない息子の野球観に誇りを持ったという。54、55号を放った巨人戦は敗戦。日本選手最多本塁打達成の記念ボードを掲げた村上に笑顔はなかった。「負けず嫌いは生粋。自分が打ってもチームが負けたら頭にきていると分かるし、自分が打てなくてもチームが勝ったら喜ぶ。それは昔から変わらない」いかにして村上宗隆は育ったのか。兄・友幸(24)は社会人野球テイ・エステックの投手、弟・慶太(17)は熊本・九州学院高で今夏の甲子園大会に出場。村上家では幼少期から特別な教育やしつけは一切してこなかったと強調する。『よく食べて、よく寝る』。子供にとっての基本を徹底させた。「やっぱり『早寝早起き』かな。今でも3兄弟とも寝るのは得意。それと熊本の水は最高。水がおいしいと食事がおいしい。3兄弟とも普通の人の倍以上は食べていた」小、中学生のときは午前7時頃に起床し、就寝は午後9時。3兄弟とも中3から高校にかけて一気に身長が伸びた。食事の作法、あいさつや返事には厳しく、小学6年間は書道にも取り組んだ。公弥さんは野球経験者だが、技術的な指導はほとんどしていない。だが、ベンチから味方を鼓舞する姿は父の教えが染みついている証しだ。「声を出すのは不調がない。相手に聞こえないと声を出しても意味がない。『相手に声が聞こえてからが声出しだ』とよく言っていました」2年目のオフ以降、プロ意識の変化を感じ取る瞬間がある。実家に帰ってくるたびにストレッチで開脚する脚の角度が開いていった。「ロサンゼルスの自主トレにいってから意識が変わった。青木さんのおかげです。実家に帰ってきてもストレッチだけは今でも絶対にしている」村上は両親の誕生日や母の日、父の日などの記念日に本塁打を打つ。今季初めて現地で観戦したのが先月2―4日の中日3連戦(神宮)。2日は三回に決勝の50号3ランを放った。4日もバックスクリーン左へ特大の51号を放った。「王さん、長嶋さん、野村さんは子供の頃に野球を始めたときの憧れ。日本野球をつくってくれた人。(村上の活躍で)少しでも野球をやりたいと思う子供がいてくれたらいいですよね」55号を放った際、「丈夫な体で生んでくれた両親に感謝している」と話した村上。公弥さん、母・文代さんは息子の活躍を静かに見守っている。

◆やさしいパパです。「朝、『トイ・ストーリー』を一緒に弾いてから、子どもたちを学校に送り出しました」3日の当番デスク阿部祐亮は、幼少のころから約16年間、ピアノに親しんでいました。「音大にいけるぐらいの実力があればよかったですが、中途半端に終わりました」とはいうものの「2年前に電子ピアノを買って、また弾くようにしました。子どもも一緒に楽しめるので。それとまあ、ピアノを弾いていると、嫁さんのママ友にもモテますし...」とも。子どもより、たぶん、そっちの方が狙いなのでしょう。出社してデスク席に座った阿部は、穏やかな朝とは大違いの夜を迎えました。ヤクルト-DeNA(神宮)で村上が56号本塁打。てんてこ舞いの忙しさの中で思い出していたのは、2017年のドラフト会議前のことです。「坂井さん(当時の阪神球団オーナーだった信也氏)と、お茶しながら話す機会があったんです。時期的にドラフトの話題になって。『いい高校生がいる』とおっしゃったんですよ」誰ですか? の質問に坂井さんが答えたのは、九州学院高の村上宗隆だったといいます。「打撃がいい。キャッチャーだけど他のポジションもできる。村上が一番いいと思っている」実際のドラフト会議では、阪神を含む7球団が高校通算111本塁打の早実高・清宮幸太郎を1位指名し、抽選で日本ハムが交渉権を獲得。外れた阪神は安田尚憲(履正社高)を指名しますが、安田も、同じく清宮を外したソフトバンク、ロッテと競合して抽選でロッテへ。最終的には仙台大の投手、馬場皐輔を外れ外れ1位で指名(この馬場もソフトバンクと競合)しています。村上はというと、これまた清宮を外したヤクルト、巨人、楽天が外れ1位で競合して抽選でヤクルトへ。その後の活躍はご存じの通りです。村上の56号を見ながら、阿部は「あのとき、坂井さんの意見がトップダウンで通っていたら、村上単独1位入札で阪神入りもあったのかもしれないな」とつぶやいていました。「坂井さんは調整型の人ですからね。周りの意見を尊重して聞き入れるタイプです。それに、甲子園であれだけ活躍をした選手を指名しないわけにはいかなかっただろうなあと思います」ただ、阿部は村上を指名していたら良かったのに、とボヤいているわけではありません。「阪神に入団していたら、ここまで打っていたかなとは思いますね。浜風が吹く甲子園が本拠地だったら30本くらいじゃないのかなあ」阪神は翌18年のドラフト会議で、まず藤原恭大(大阪桐蔭高)を入札。楽天、ロッテと競合して藤原はロッテへ。次に辰己涼介(立命大)を入札し、楽天、巨人、ソフトバンクと競合してまた外し、辰己は楽天へ。すると近本光司(大阪ガス)を-と一貫した方針で指名し、いい結果にもつながっています。村上は打ちましたが、ああ、あのときに...と愚痴ることもありません。8日からDeNAとCSファーストステージです。そこを勝ち上がって、村上とヤクルトが待つCSファイナルステージへ向かいましょう。17年もそれ以降も、阪神のドラフト戦略が成功していることを証明するためにも。

◆「こんなんじゃ侍ジャパンに選ばれるわけない」春先。村上は自身の成績に首をひねり、ふと吐き捨てた。昨季と大差ない成績。常に高き理想がある村上は飢えていた。その心に潤いを与えた一戦がある。死闘を映すと画面の前で動けなくなった。4月9日。命と命の取り合いに勝負の神髄を見たという。ボクシングのWBAスーパー・IBF世界ミドル級の王座統一戦。闘神の異名を持つゴロフキンに真っ向から拳を繰り出す村田諒太に目を奪われた。「向かっていく姿勢。野球でもやっぱり気迫、気持ちが大事。改めて強い気持ちを持ってグラウンドに立とうと思った」村田は敗戦。だが、拳の雨注を恐れず前へ踏み出す勇気に息を吸うのを忘れ、青あざだらけの顔面に勝負の残酷さを知った。背筋から鳥肌が立ち、自身が奮い立った。世界王者の井上尚弥を前に「パンチをもらいたいくらい」と冗談をついたこともある、格闘技好きな一面を持つ22歳。神宮の第1打席で流れるのはRIZINバンタム級王者、堀口恭司がリングへ向かう入場曲の「My Time ft.Jeremih」(Fabolous)。闘争心が村上を打席に駆り立てる。倦怠(けんたい)感で欠場した翌日、右太ももに155キロの直球を受け途中交代した翌日も、打席でマウンド上の投手を瞳に映した。コロナ禍に巻き込まれた7月。クラブハウス内、高津監督の駐車スペースに車を滑り込ませたのは村上だった。主将の山田すら欠いた状況でチームを背負い、立ち向かおうとした。村上の脳内メーカーは「野球」で埋め尽くされている。飢えは満たされず、次々と湧いてくる闘争心が、どんな栄誉もすぐに消化してしまう。その〝空腹〟が村上の真髄だ。(横山尚杜)

◆10月3日。神宮球場。不屈の男が、ファンに最後の別れを告げた。ヤクルト・坂口智隆外野手(38)が「2番・右翼」で先発出場。一回1死の第1打席に左前打を放ち、四回の守備から交代。何度も何度も涙をふき、ナインと抱擁を交わす姿は多くのファンの胸を打った。「NPB最後の近鉄戦士」―。近鉄出身の選手が次々とユニホームを脱いでいく中、坂口が最後の1人なった。2002年のドラフト会議。神戸国際大付高3年だった坂口は、近鉄からドラフト1位で指名を受けた。「ほんまに何も聞かされてなかったし、1位にはビックリしたわ」。本人も驚きのドラ1指名となったが、実はある覚悟を決めてその日を迎えていた。「プロに行けんかったら、就職したいなと。野球辞めるかはどうかはそのとき考えてなかったけど、大学進学という選択肢はなかった。だから、そんなに気負いすぎずというか。プロか就職か、だった」母子家庭で育った坂口。母・一枝さんが必死に働き、自身を高校に行かせてくれていたことはよくわかっていた。「プロということよりもお金を稼ぐということをずっと思っていた。中学高校と迷惑かけたから、自分の遊び、学生生活は高校でおしまい」。母のため、家族のため、18歳の少年は親孝行の思いを胸にプロの世界に飛び込んだ。坂口が「お父さんみたい」と呼ぶ人がいる。高校時代の恩師、青木尚龍(よしろう)監督(58)だ。いつも厳しかったが、指導には愛を感じ「わが子のように接してくれた」と振り返る。試合に出ていない選手やサポートしてくれる人がいるから、試合に出られている―。野球人として大事なことを教え込まれた。「試合に出ている自分たちが中途半端な気持ちでやっていたら失礼になる」。どんな時も全力で、泥臭いプレーで魅せてきた坂口の原点には〝父の教え〟があった。現役引退が発表された翌日の9月30日。引退会見で坂口は母への思いを明かした。「しんどい時期もあったでしょうし、一人で高校時代に(子供の)世話したりするのはすごく大変なことだと思うので、本当に感謝しかないですね」そして、青木監督には「おやじのような感覚で、人間として育ててもらったという思いが強い。人間としてはこれからも指導されないといけない立場なので、社会人であるためにとか、また教えてもらえたら」と今後も教えを乞うつもりだ。多くのファンに愛され、不屈の魂で駆け抜けた20年間。支えてくれた人たちが打たせてくれた安打は、「1526」に達した。万雷の拍手を受けて最後を迎えた姿は、最高の親孝行になったはずだ。(赤尾裕希)

DAZN

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
ヤクルト
80594 0.576
(↑0.004)
優勝
(-)
0619
(+8)
566
(+2)
174
(+4)
69
(-)
0.250
(↑0.001
3.520
(↑0.01)
2
(-)
DeNA
73682 0.518
(↓0.003)
8
(↓1)
0497
(+2)
534
(+8)
117
(+1)
49
(-)
0.251
(-)
3.480
(↓0.04)
3
(-)
阪神
68714 0.489
(-)
12
(↓0.5)
0489
(-)
428
(-)
84
(-)
110
(-)
0.243
(-)
2.670
(-)
4
(-)
巨人
68723 0.486
(-)
12.5
(↓0.5)
0548
(-)
589
(-)
163
(-)
64
(-)
0.242
(-)
3.690
(-)
5
(-)
広島
66743 0.471
(-)
14.5
(↓0.5)
0552
(-)
544
(-)
91
(-)
26
(-)
0.257
(-)
3.540
(-)
6
(-)
中日
66752 0.468
(-)
15
(↓0.5)
0414
(-)
495
(-)
62
(-)
66
(-)
0.247
(-)
3.280
(-)