中日(★3対9☆)巨人 =リーグ戦23回戦(2022.09.23)・バンテリンドーム=
このエントリーをはてなブックマークに追加

 123456789
巨人
03001500091501
中日
0010020003911
勝利投手:井上 温大(1勝1敗0S)
敗戦投手:上田 洸太朗(1勝5敗0S)

本塁打
【巨人】中田 翔(24号・5回表ソロ)
【中日】ビシエド(13号・6回裏ソロ)

  DAZN
チケットぴあ 中日戦チケット予約 巨人戦チケット予約

DAZN

◆巨人は2回表、吉川と坂本の適時打などで3点を先制する。その後は5回に中田のソロで加点すると、6回には3者連続適時打などで5点を奪い、リードを広げた。投げては、先発・井上が6回3失点でプロ初勝利。一方の中日は、引退試合を迎えた福留が9回の守備から登場。その裏には現役最後の打席に立ち、雄姿を見せた。

◆今季限りで現役を引退する中日福留孝介外野手(45)が引退選手特例で出場選手登録され、ベンチスタートとなった。試合は引退試合として行われ、代打で出場するとみられる。試合前は別メニューで調整し、フリー打撃では35スイングで2本の柵越えを披露した。

◆今季限りで現役を引退する中日福留孝介外野手(45)が引退選手特例で出場選手登録され、ベンチスタートとなった。スタメン出場ではなく、代打での待機。試合前のシートノックに登場すると、会場を埋め尽くしたファンから拍手が送られた。試合開始前にはセレモニアルピッチに長男、長女とともに登場。自らは捕手役になり長女が投手、長男が打席に立ち、始球式後には、ドアラとともに家族3人でバックスクリーンを背に記念写真に収まった。福留孝介(ふくどめ・こうすけ)1977年(昭52)4月26日生まれ、鹿児島県出身。PL学園、日本生命を経て、98年ドラフト1位で中日入団。02、06年首位打者。08年から米大リーグに挑戦し、カブスなどを経て13年に阪神で国内復帰。21年から中日でプレー。06年MVP、ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞5度。06、09年WBC出場。03、16年にサイクル安打。16年に日米通算2000安打を達成。182センチ、90キロ。右投げ左打ち。

◆激しいCS争いの中、巨人が貴重な先制点を挙げた。2回先頭のウォーカーが左翼フェンス直撃の二塁打で出塁。続く大城の打席で中日上田が、二塁けん制を悪送球し、ウォーカーが三塁へ。大城が四球、井上の犠打で1死二、三塁となり1番吉川が右翼フェンス直撃の先制適時二塁打を放った。続く坂本も1死三塁から右前適時打を放ち、追加点を挙げた。この右前打が史上21人目の2200安打目。11日広島戦(マツダスタジアム)以来、8試合ぶりの適時打となった。坂本のプロ通算猛打賞は現在177度。この試合2打席連続安打中で、あと1安打記録すれば5位タイの福本豊(阪急)、松井稼頭央(西武)に並ぶ。

◆巨人のキャプテン、坂本勇人内野手(33)が178度目の猛打賞を記録し、プロ通算猛打賞で5位タイの福本豊(阪急)、松井稼頭央(西武)に並んだ。6回無死二、三塁の第4打席、中日祖父江の137キロスライダーをこの日3安打目となる中前適時打とし、7点目をもぎ取った。▽巨人坂本(2回1死二、三塁で通算2200安打目の右前適時打。6回には中前適時打で歴代5位タイの通算178度目の猛打賞) (2回は)良い流れだったので僕もなんとか次にいい形でつなぎたいと思っていました。追加点になって良かったです。通算猛打賞上位<1>張本勲(ロッテ) 251<2>川上哲治(巨人) 194<3>長嶋茂雄(巨人) 186<4>野村克也(西武) 180<5>福本豊(阪急) 178<5>松井稼頭央(西武)178<5>坂本勇人(巨人)178<8>立浪和義(中日)175

◆巨人4番の中田翔内野手(33)が、広いバンテリンドームで打った瞬間にスタンドインを確信させるアーチを放った。2点リードで迎えた5回1死、1ボールから中日藤嶋の135キロスプリットを捉え左中間席へ24号ソロを放った。「ファーストストライクをしっかりと捉えることが出来ました。追加点を取ってあげたいところだったので、良い1本になりました」とプロ初勝利を目指す先発井上へ、大きな1発となった。中田は9月に入り17試合で8本塁打目と大爆発している。

◆巨人の3年目左腕・井上温大投手(21)が、プロ初勝利を挙げ、チームは球界史上初となる1シーズン8人目のプロ初勝利をマークした。■直球とスライダーでプロ4度目の先発となった井上は、2回に3点の援護をもらうと、最速149キロの直球とスライダーを主体に中日打線を封じた。3回に1死二、三塁から阿部の二ゴロの間に1点を献上するも、6奪三振と粘投。6回の攻撃を終えて大量9点の援護を受けた。■6回7安打3失点8点リードの6回には2死からビシエドにソロを浴び、さらに3連打で3点目を献上するも、2死一、二塁から土田を左飛に打ち取り、自己最長の6回を7安打3失点。堀田、戸田、赤星、大勢、平内、山崎伊、直江に続いてプロ初勝利を挙げた。井上温大(いのうえ・はると)2001年(平13)5月13日生まれ、群馬県出身。前橋商3年夏に群馬大会決勝で前橋育英に敗れ、甲子園出場なし。19年ドラフト4位で巨人入団。21年5月に左肘を手術し、オフに育成選手として契約。今年7月11日、支配下選手に登録された。7月16日広島戦に3番手で登板し、1軍デビュー。175センチ、78キロ。左投げ左打ち。【今季巨人の初勝利投手】堀田賢慎投手(21=プロ3年目) 3月31日ヤクルト戦(神宮)で初登板、初先発し、6回無失点で初勝利。戸田懐生投手(22=プロ2年目) 4月2日阪神戦(東京ドーム)で4回から2番手で救援登板し、1回1/3を無失点で初勝利、赤星優志投手(23=プロ1年目) 4月3日阪神戦(東京ドーム)で先発し7回2失点で初勝利。大勢投手(23=プロ1年目) 4月9日ヤクルト戦(東京ドーム)で延長10回に4番手で救援登板し、1回無失点で初勝利。平内龍太投手(24=プロ2年目) 4月21日広島戦(東京ドーム)で5回に2番手で救援登板し、2回無失点で初勝利。山崎伊織投手(23=プロ2年目) 4月28日DeNA戦(横浜スタジアム)で先発し、6回無失点で初勝利。直江大輔投手(22=プロ4年目) 8月13日広島戦(東京ドーム)で先発し、6回3安打無失点で初勝利

◆巨人の3年目左腕・井上温大投手(21)が、プロ初勝利を挙げ、チームは球界史上初となる1シーズン8人目のプロ初勝利をマークした。巨人井上をライバル視する大学生が東北にいる。仙台大の橋本優雅投手(2年)。前橋商(群馬)時代、井上の1学年後輩のエースで、年末年始は焼き肉をおごってもらうなど、頻繁に連絡を取る弟分。高校時代は最速145キロ右腕として県4強入りし、プロ入りを目指して進学した。しかし負傷が重なり、7月には右肘を痛めて手術。1年近く実戦から遠ざかっている。西武内海が井上の師匠なら、橋本にとってはリハビリから復活した井上が師匠だった。「『復帰したときに進化していられるよう、トレーニングは頑張れ』と言われた。普段はほんわかしているけど、スイッチが入ったら別人です」と真剣なアドバイスが染みた。小さな変化も、感覚の違いも必ず毎日野球ノートに書くこと。栄養の勉強をして、食事もトレーニングだと思うこと。プロの意識を間近で体感して吸収する。この日もいつも通り先輩の登板をテレビ観戦。ようやく勝つ姿を見られた。「こっちが興奮して汗だくになりました。負けたくない、いつかはプロの1軍で投げ合って勝ちたい気持ちが強くなりました」。井上の活躍が1人の男に火を付けた。【巨人担当 小早川宗一郎】

◆中日福留孝介外野手(45)の引退セレモニーが試合後、行われ、ゆかりある人物からのビデオメッセージが大型ビジョンに映し出された。中村順司氏(76=元PL学園野球部監督)「孝介。24年間、本当によく頑張りました。卒業するときには、30歳まで現役選手をすればいいと送り出したんですけど、45歳まで、すごいね。まあ、PLのユニホーム時代は国体で優勝して、高校2年の時から日の丸もつけて、AAAの大会(アジア野球選手権)でも優勝する。そんな素晴らしい思い出も残してくれました。これからは、野球界のために、これまでの経験を生かして頑張ってほしいと思います。本当にお疲れさまでした。ありがとう」稲葉篤紀氏(50=日本ハムGM)「孝介、24年間本当にお疲れさまでした。孝介とは2009年のWBCで、日の丸を背負って戦いましたね。そのときに同じ左打者として僕は、孝介に少し憧れをもっていたので、どういう打撃をしているのか、また左投手をどう攻略しているのか、そんな話をたくさんさせていただいて、時には僕は孝介の打撃のモノマネをして打ったりとか、年は下なんですが、僕の中で憧れる選手でありました。24年間、いろいろな経験をしたと思います。少し休んでいただいて、これから球界のために、また頑張っていただきたいと思います。24年間、孝介、本当にお疲れさまでした」BC・栃木の川崎宗則内野手(41)「福留孝介先輩、ご無沙汰しております。NPB卒業おめでとうございます。僕は孝介先輩がPL学園にいるときからずっと、鹿児島の中学校で見ていました。本当に大好きなプレーヤーです。いまでもそうです。2006年WBCで一緒のチームになって、戦ったことはすごく誇りです。準決勝の韓国戦。孝介先輩のすごい本塁打を見たときは、『さすが、かごんま(鹿児島)の大先輩』やと思いました。本当に格好良かった。いまでも目に焼き付けています。覚えています。孝介先輩、NPBは卒業しますが、これからは楽しい人生だと思います。是非、栃木に来てください。栃木でゴルフをして、そのあと栃木ゴールデンブレーブスにプレーしにきて下さい。まだまだ引退させません。引退というのは、もっともっともっと先の人。孝介先輩は引退しませんので。NPBは卒業したので、次は栃木の方にきて、ゴルフと野球の二刀流でよろしくお願いします。先輩にまた会えるのを楽しみにしています。チェスト行け! 孝介先輩」藤川球児氏(42=野球評論家)「福留さん、24年間という長いプロ野球生活、本当にお疲れさまでした。阪神タイガース、シカゴカブスという両球団では、どちらも後輩としてプレーさせていただきました。後輩みなから愛されて、しかもチームのスタッフ、周りの方全てから愛されている福留さんを見て、自分も相当勉強させていただきました。少しゆっくりして、次は琵琶湖でバスプロになりましょう」鳥谷敬氏(41=日刊スポーツ野球評論家)「福留さん、24年間現役生活お疲れさまでした。中日でやられているときは、本当にオーラというか、野球選手のあり方を勉強させていただきました。メジャーに行ったときは日本人選手がメジャーで活躍する素晴らしさと難しさ、いろんなことを見させてもらいました。阪神に来てからは、本当に野球だけじゃなく、後輩との接し方だったり、技術的なこと、いろんなことを学ばさせてもらいました。昨年は自主トレも沖縄で一緒にやらせてもらって、いろんな話をして、いろんなことを吸収させてもらって、本当に感謝しています。福留さんは野球が大好きだと思いますので、少しゆっくりしてまた野球界に恩返ししてほしいなと思います。今後も野球界での活躍、そして私生活では鳥谷敬の面倒もよろしくお願いします。本当に24年間、お疲れさまでした」阪神・糸井嘉男外野手(41)「孝介さん、24年間、現役生活本当にお疲れさまです。僕がタイガースに来て不安なところをいろいろと気にかけてくださり、本当に助けてもらった記憶があります。また、僕が野手に転向したときに、目標の選手は福留孝介さんでした。そんな孝介さんといっしょにタイガースでプレーできて、幸せでした。本当にありがとうございます。同じタイミングで僕も引退になりましたけど、また食事とかいろいろお話できたらなと思います。本当に24年間、お疲れさまでした」

◆激しいCS争いのさなか、巨人打線が15安打9得点と爆発した。CS圏内の3位をキープ。4位の阪神と広島に1・5ゲーム差をつけ、残りは4試合となった。6回に6連打し、一挙5点のビッグイニングをつくった。ウォーカーが投前へのボテボテの内野安打で出塁すると、大城が左前打、井上が投前へのバント安打で無死満塁とする。迎えた1番吉川が、右翼手の後逸を誘う2点適時二塁打を放った。「きわどいところをファウルにしながら、甘く入ってきたボールをしっかりと捉えることが出来ました」と納得の表情だった。続く坂本が偉大な記録を更新した。無死二、三塁から3安打目となる中前適時打を放ち、7点目をもぎ取る。178度目の猛打賞となり、プロ通算猛打賞で5位タイの福本豊(阪急)、松井稼頭央(西武)に並んだ。坂本は「偉大な先輩方と並べて光栄です。これからも大事な試合が続くのでチームの勝利のために全力を尽して頑張ります」と力強く語った。4番中田の今月8発目となるアーチも飛び出た。2点リードで迎えた5回1死、1ボールから中日藤嶋の135キロスプリットを捉え左中間席へ24号ソロを放った。「ファーストストライクをしっかりと捉えることが出来ました。追加点を取ってあげたいところだったので、良い1本になりました」と、井上のプロ初勝利をアシストする大きな祝砲となった。

◆8日の広島戦でプロ初勝利をあげた2年目の中日上田洸太朗投手が4回途中3失点KOで5敗目を喫した。救援陣も失点を重ね、今季の対巨人戦負け越しが決定。福留の引退セレモニーで先発を任された20歳の左腕は「大事な試合なのに試合を作れず、すみません」と謝罪。立浪監督は「きょうの反省をしっかり生かして欲しい」と今後に期待した。

◆巨人の3年目左腕・井上温大投手(21)が6回7安打3失点でプロ初勝利を挙げ、チームは球界史上初となる1シーズン8人目のプロ初勝利をマークした。桑田真澄投手チーフコーチ(54)の一問一答は以下の通り。■初勝利の中に見いだした、今後への課題とは-井上の投球について「投げるたびにね、すごく成長してるなと思います。今日は6回にビシエドに本塁打を打たれたところと、その後のところ(3連打)ですよね。本塁打はしょうがないと思うので、その後連打されたというのが今日の大きな反省点。あの本塁打を引きずって投げていったから連打につながったと思いますね。あそこでしっかりと気持ちを仕切り直して、次に向かっていくというのが、すごくプロの世界で結果を出すには大事だと思うので、うれしい初勝利なんですけど、大きな反省としては気持ちの切り替え、1球1球、1人1人、気持ちを切り替えて行くということを学んで次に生かしてもらいたいなと思います」■援護をしてくれた野手に感謝-成長点は「スピードで押すところとコントロール重視で勝負するところ。スピードで勝負。コントロールで勝負、というところの使い分けがだいぶできるようになってきたので、その辺がすごく成長したなと思いましたね」-なかなか勝ちが付かない中で、大事な1戦を託した期待は「ただ良かっただけじゃなくて、いいボールを投げてましたのでね。今日は早い回に得点してくれたので、楽に投げることができてね、本当に野手の皆さんに感謝ですよね」■さらなる飛躍へ、カギを握る球種とは-直球とスライダーが軸「カーブとスライダーですよね。あとチェンジアップ。これからチェンジアップを磨いていくことによって、すごく楽に勝てる、抑えられる投手になると思いますので、これからの課題はチェンジアップと制球力を磨いていくこと。その辺になると思います」-先日、ジャイアンツ球場で教えていたのもチェンジアップか「そうですね。いろんな握りがあるので、いろんなことを試して『コレだ』って言いう気付きがあれば、その気付きを早く得られるようにね。気付きって大事な能力だと思うのでチェンジアップという武器があればもっと楽に勝てる投手になると思います」-残り4試合だが今後は「もう4試合ですから、まだ分からないですけど、みんなと相談して決めたいと思います」

◆巨人の井上温大投手(21)が、4度目の先発で「プロ初勝利」と「新記録達成」を飾った。打線の援護があったものの自己最多の6回を投げ、7安打6奪三振の3失点にまとめた。巨人の今季プロ初勝利は井上が8人目で、同一シーズンでは最多新記録となった。チームも若き3年目左腕の熱投で3位をキープ。4位の阪神と広島に1・5ゲーム差をつけ、残りは4試合。クライマックスシリーズ(CS)進出に向けて弾みをつけた。井上が"感謝のプロ初勝利"を挙げた。初のヒーローインタビューで、ちょっぴり控えめにほほえんだ。「野手の皆さんが点をたくさん取ってくれたり、ファインプレーで助けてくれたので感謝したい」。大量9点の援護を得て6回7安打3失点と粘った。最速149キロ直球とスライダーを軸に5回まで毎回の6奪三振。「まずは勝てて良かった」とホッとした。2年目の昨季はイースタン・リーグ開幕投手を任されるほどの期待を受けた。しかし、昨年5月に左肘頭スクリュー挿入術を受け、育成選手の立場も経験した。今も左肘には約1センチのボルトが埋め込まれたまま。「何をしてても痛いときもあった。本当に治るのかなと」と不安に駆られた。1年間のリハビリを経て復活後は球速もグングン伸び、前回登板の8日DeNA戦では狙って自己最速の150キロをマークするまでに成長した。「いろんな人の支えがあった。感謝しながら、これからも野球を頑張りたい」と強調した。1年目のオフは西武内海に弟子入り。「人生で1番つらかった」という過酷なランメニューに食らい付いた。長いときは1時間走りっぱなし。ただ、こなしていくうちに大嫌いだったランメニューの重要さに気付いた。昨オフの自主トレを打ち上げた際にはダメ元で「グラブが欲しいです!」と頼むと、快くプレゼントしてもらった。「使えないし、一生使いたくない(笑い)。寮の部屋に保管してます」と宝物になった。19日の師匠の引退登板では、名だたるスターたちと並ぶのが恐れ多くて「井上温大」の花を贈れなかった。「ヒーローインタビューのときに内海さんのことを言ったら良かったんですけど、浮かばなくて...。これからもどんどん勝って、内海さんに恩返ししていくので、見ていてください」。もらった恩は、1勝1勝の積み重ねで必ず返す。ようやく、スタートが切れた。【小早川宗一郎】井上温大(いのうえ・はると)2001年(平13)5月13日生まれ、群馬県出身。前橋商3年夏に群馬大会決勝で前橋育英に敗れ、甲子園出場なし。19年ドラフト4位で巨人入団。21年5月に左肘を手術し、オフに育成選手として契約。今年7月11日、支配下選手に登録された。7月16日広島戦に3番手で登板し、1軍デビュー。175センチ、78キロ。左投げ左打ち。3年目の井上がプロ初勝利を挙げ、今季の巨人はプロ初勝利を記録した日本人投手が8人目。シーズン8人がプロ初勝利は05年中日、17年オリックスの7人を抜く最多人数だ。巨人は新外国人のシューメーカーが4勝、クロールも1勝しており、来日初勝利の外国人投手を加えた「初勝利」は10人目。こちらも11年横浜(日本人5人、外国人4人)17年オリックス(日本人7人、外国人2人)の9人を抜いて最多となった。▽巨人原監督(井上について)「4度目の先発で勝ち投手になったということがね、悔しい思いもしただろうし、勉強の中でね、勝ち投手になれたことが全てだと思いますよ。決して体も大きくないけれど、躍動感のあるピッチングというのは、あと10年、15年、20年、忘れないでほしいなと思いますね」○...坂本が歴代5位タイとなる通算178度目の猛打賞を決めた。2回1死二、三塁での右前適時打で、史上21人目の通算2200安打に到達。6回無死二、三塁では、この日3安打目となる中前適時打を放った。福本豊(阪急)と松井稼頭央(西武)に並ぶ記録に「偉大な先輩方と並べて光栄です。これからも大事な試合が続くのでチームの勝利のために全力を尽して頑張ります」と話した。

◆中日の福留孝介外野手(45)が巨人戦(バンテリンドーム)で現役最後の試合を終えた。引退選手特例で昇格し、9回に右翼の守備から出場。その裏は1死走者なしで日米通算1万245打席目を迎え、二飛に倒れた。99年に中日でプロキャリアを始め、日米通算24年目。45歳は現役最年長だった。愛着のあるユニホームに身を包み、慣れ親しんだスタジアムで別れを告げた。拍手と声援が上がった。8回途中から一塁側ファウルゾーンでキャッチボールを開始。9回表に右翼の守りから出場した。帽子を取って観客席にあいさつすると、拍手が送られた。守備機会はなく、その裏1死走者なしで打席が回った。「9番ライト、福留孝介」。巨人ファンも含めた3万5669人のボルテージが上がった。日米通算1万245打席目。巨人4番手鍬原の1ボールからの2球目、149キロの直球に詰まった。二飛。一塁を踏んでベンチに戻る際にヘルメットをスタンドに掲げた。「優勝だったり、いろんなことを経験させていただいた。24年間も長い間もここから始まり。楽しかった思いが強い」。PL学園から日本生命を経て、98年ドラフト1位で中日入り。99年の開幕スタメンで始まったプロ生活は、メジャー、阪神を経て24年に及んだ。20年オフに8年間在籍した阪神を戦力外になり、古巣中日に移籍。「あきらめきれなくて野球がやりたい中で、中日から手を差し伸べていただいた。中日のユニホームで野球をやらせてもらい野球人生を終わらせていただいて感謝している」。プロ1年目と同じユニホームで現役を終え、目は少し潤んでいた。引退選手特例で出場選手登録され、試合前のシートノックから一挙手一投足にファンからの拍手を浴びた。試合前の声出しも務めた。始球式では長女がマウンドに上がり、自らは捕手を務め、長男が打席に立った。8日の会見で、今季限りでの引退を家族に報告した際の様子を明かしていた。「号泣とまではいかなかった。泣きもしなかった。ウチの家族らしく笑顔で『お疲れさま』と言ってくれた。ホッとはした。普通の父親に戻れる部分かなと思う」。父と子による思い出の1打席を終えると、笑顔で2人の肩を抱き、記念写真に納まった。「これだけ、好きな野球をやらせていただいて、好きなように生きてきて楽しかった」。福留は愛するスタジアムで過ごした1日をかみしめた。【伊東大介】▽中日ビシエド(福留ラストゲームで13号ソロ)「福留さんは素晴らしい野球人生を送ってきたと思う。米国で同じチームでやれたこと、日本で同じチームでできたことはとても光栄。長い期間にわたり活躍し、すごい記録を出し、記憶にも残る結果も出し、素晴らしい選手です。その最後の試合で本塁打を打てたことは良かった。尊敬できる素晴らしい選手でした。お疲れさまでした」▽中日岡林(福留引退試合で3安打)「たくさんのことを学ばしてもらい、きょう、こういう結果を見せることができたことはよかったと思いますし、これからも継続して頑張りたい」

◆中日福留孝介外野手(45)に現役続行のオファーが届いた!?試合後に行われた引退セレモニーでは関係者からのビデオメッセージがビジョンに流れた。06年WBCでともに日本代表として戦ったBCリーグ、栃木ゴールデンブレーブスの川崎宗則内野手(41)からは「是非、栃木に来てください。栃木でゴルフをして、その後、栃木ゴールデンブレーブスにプレーしに来てください。まだまだ引退させません。NPBは卒業したので、次は栃木の方にきて、ゴルフと野球の二刀流でよろしくお願いします」と熱烈な誘いが届いた。福留と同じ鹿児島県出身の川崎は中学時代から「さすが、かごんま(鹿児島)の大先輩」と敬愛してきただけに、猛アタックの可能性も十分?また、阪神、カブスでチームメートだった藤川球児氏(42=野球評論家)からは「次は琵琶湖でバスプロになりましょう」と、ブラックバス釣りの"セカンドキャリア"に誘われた。

◆巨人の3年目左腕・井上温大投手(21)が、4度目の先発で「プロ初勝利」と「新記録達成」を飾った。打線の援護があったものの自己最多の6回を投げ、7安打6奪三振の3失点にまとめた。巨人の今季プロ初勝利は井上が8人目で、同一シーズンでは最多新記録となった。井上の一問一答は以下の通り。-初勝利。率直にどう感じている「まずは勝てて良かったという気持ちがあります」-今日の登板の良かった点は「今まではストライクゾーンに集めすぎていた。今日はバッターの内外にしっかり投げ分けることができたので、自分の持ち味のストレートが投げ分けられればこういう結果になるんだと分かりました」-直球中心の攻め方をした意図、狙いは。過去3度の先発登板の反省があったのか「バッターのデータを頭に入れながら勝負球でインコースを打たれていたので、今日は外、追い込んだら外と。(バンテリン)ドームは広いので長打はないということで、外にキッチリ投げられば打ち取れると思ったというか、データがあったので自信を持ってそこに投げられました」-手術や育成契約を乗り越えた。喜びが大きいのでは「いろんな人の支えがあったので、いろんな人に感謝しながら、これからも野球を頑張りたいと思います」-1歩目を踏み出した。これからは「課題がいっぱいあるので、そこを1つずつつぶしながら、負けない投手、勝てるピッチャーになりたいと思います」-西武内海さんと自主トレを行った。下半身を鍛えた成果は「走るのが嫌いだったので、その自主トレに行ってからは練習に対する意識が高くなった。野球の動作を意識した練習をすることが大事と学んだので、それが今に生きていると思います」-恩返しになった「ヒーローインタビューで内海さんのことを言えば良かったんですけど、それが浮かばなくて...」-ぜひここで言葉に「これからもどんどん勝って、内海さんに恩返ししていくので、見ていてください」

◆中日福留孝介外野手(45)の引退セレモニーが試合後、行われた。9回から右翼の守備につき、9回1死で迎えた現役最後の打席では巨人鍬原の前に二飛。ベンチへの戻り際に、ヘルメットを掲げ、万雷の拍手を浴びた。試合直後には巨人原監督から花束も贈られた。暗転したグラウンドに現れると大型ビジョンにこれまでの自身を振り返る動画が流れた。その後、PL学園の恩師、中村順司氏(76)、WBCでともに戦った稲葉篤紀氏(50=日本ハムGM)と川崎宗則氏(41=BC・栃木内野手)、阪神で同僚だった藤川球児氏(42=野球評論家)、鳥谷敬氏(41=日刊スポーツ野球評論家)、同じく今季限りで引退する糸井嘉男外野手(41)らがビデオでメッセージを届けた。その後、立浪監督、同学年の荒木1軍内野手守備走塁コーチ、大野雄、大島、岡林から花束が贈られ、目から涙がこぼれ、ユニホームで拭った、そして長男、長女から花束を贈られると、父親の笑顔を見せた。マウンド前での引退あいさつでは「2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう1度このユニホーム来てプレーできたこと、自分の野球人生がスタートしたこの場所でファンの声援に包まれてユニホームを脱げる。本当に幸せ者です」と声をうるませた。ナインによる胴上げで背番号と同じ9回宙を舞い、グラウンドを1周して、スタンドのファンに帽子を振ってあいさつした。ホーム付近に戻ると、サプライズで鳥谷氏、通算1002試合登板の中日の鉄人投手だった岩瀬仁紀氏(47=野球評論家)が花束を持って登場。笑みがこぼれた。ナインと握手し終えると、右翼席へ帽子を掲げ頭を下げた。プロ入りから戦場としてきたバンテリンドームに別れを告げた。

◆中日の福留孝介外野手(45)が巨人戦(バンテリンドーム)で現役最後の試合に臨んだ。引退選手特例で昇格し、9回に右翼の守備から出場。その裏、日米通算1万245打席目の最終打席で二飛に倒れ、涙ぐみながらPL学園の先輩、立浪和義監督(53)と抱き合った。引退セレモニーで周囲への感謝を述べ、24年間の現役にピリオドを打った。45歳は現役最年長だった。試合後の一問一答は以下の通り。-ゲーム前の円陣で声をかけた「みんな今日は勝って送ってくれと声をかけさせてもらった。それより、目いっぱいやってくれる姿を見せてくれたのでそれでいいと思う」-打席後に立浪監督と話した「本当に長い間お疲れさまと声をかけていただいた。今日も使うのも気を使っていただき、最後の最後までご迷惑をかけてしまい、本当に感謝です」-起用の場所は「試合の流れもある。巨人のこともある。そう簡単にというわけにもいかない。展開もあって9回に行こうと話をしていた」-8回途中からベンチ前でキャッチボール「本当に最後なんだなと思いながらした」-守備に就くと声が飛んだ「故障もなくもっと元気だったらなと。自分でも唯一、24年間で後悔したことかな。今回ケガをして全力でできなかったこと。これだけが最後の自分の後悔になるかもしれない。できる現状で目いっぱいやらせてもらった。満足です」-巨人の原監督からも花束「原さんにも、たくさん声をかけていただいた。本当に感謝の一言」-どんな言葉「長い間ご苦労さまでした。またグラウンドで会える日を楽しみにしていると。そう言ってもらえているのでありがたいな」-ファンから「孝介コール」が出た「人生の中で自分の名前をこれだけ大勢の方に呼んでもらえることはもうない。こういう日が迎えられた。ユニホームは脱ぎますが、やっていただいたのは一生忘れることはない」-最後のグラウンドへの心境は「いつもと一緒。自分のやることをしっかりとやって、周りが自然とやってくれた。自然とそういう雰囲気になった。特別、これということもなく、家を出るときも家族が『いってらっしゃい』と見送ってくれた。いい1日を過ごすことができた」-その1日を振り返って「泣くまいと思っていたが、最後は打席終わったら、周りの人にやっていただくと我慢できなかった」-打席は「とりあえずバットに当たってくれと。結果どうのこうのより、自分らしくバットを振って終わろうと思った。前に飛んでくれて良かった」-引退する人は体が痛くなると「急にわけの分からないところが痛くなるのは間違っていない。フフフ。明日からじゃないですか。明日から痛くなると思う」-ビデオメッセージが多く来た「僕のために時間を取っていただき感謝の一言。これから明日から時間ができるので、1人ずつしっかりとお礼を言って回れたら」-さみしさは「これから先。明日の朝から体のことを心配しながら起きる生活がなくなるのかな」-最後に根尾が涙を流した「彼も苦労している。僕も内野から外野いったり。彼には周りの期待も大きい。耐えられるだけの強さも持っている。しっかりやれよ、頑張れよと。それだけ」-万全で出たかった「目いっぱいやりたかった。これが僕の目いっぱい」

◆巨人の井上温大投手(21)が、4度目の先発で「プロ初勝利」と「新記録達成」を飾った。打線の援護があったものの自己最多の6回を投げ、7安打6奪三振の3失点にまとめた。巨人の今季プロ初勝利は井上が8人目で、同一シーズンでは最多新記録となった。チームも若き3年目左腕の熱投で3位をキープ。4位の阪神と広島に1・5ゲーム差をつけ、残りは4試合。クライマックスシリーズ(CS)進出に向けて弾みをつけた。井上が"感謝のプロ初勝利"を挙げた。初のヒーローインタビュー。記念球をギュッと握り締め、ちょっぴり控えめにほほえんだ。「野手の皆さんが点をたくさん取ってくれたり、ファインプレーで助けてくれたので感謝したい」。大量9点の援護を得て、6回7安打3失点と粘った。最速149キロ直球とスライダーを軸に、5回まで毎回の6奪三振。「まずは勝てて良かった」とホッとした。2年目の昨季はイースタン・リーグ開幕投手を任されるほどの期待を受けた。しかし、昨年5月に左肘頭スクリュー挿入術を受け、育成選手の立場も経験した。今も左肘には約1センチのボルトが埋め込まれたまま。「何をしてても痛いときもあった。本当に治るのかなと」と不安に駆られた。1年間のリハビリを経て復活後は球速もグングン上昇。前回登板の8日DeNA戦では狙って自己最速の150キロをマークするまでに成長した。「いろんな人の支えがあった。感謝しながら、これからも野球を頑張りたい」と強調した。1年目のオフは西武内海に弟子入り。「人生で一番つらかった」という過酷なランメニューに食らいついた。長いときは1時間走りっぱなし。ただ、日を追うごとに大嫌いだったランメニューの重要さに気付いた。昨オフの自主トレを打ち上げた際にはダメ元で「グラブが欲しいです!」と頼むと、快くプレゼントしてもらった。「使えないし、一生使いたくない(笑い)。寮の部屋に保管してます」と宝物になった。19日の師匠の引退登板では、名だたるスターたちと並ぶのが恐れ多くて「井上温大」の花を贈れなかった。「ヒーローインタビューのときに内海さんのことを言ったら良かったんですけど、浮かばなくて...。これからもどんどん勝って恩返ししていくので、見ていてください」。1勝1勝の積み重ねが恩返しになる。ようやく、そのスタートが切れた。【小早川宗一郎】井上温大(いのうえ・はると)2001年(平13)5月13日生まれ、群馬県出身。前橋商3年夏に群馬大会決勝で前橋育英に敗れ、甲子園出場なし。19年ドラフト4位で巨人入団。21年5月に左肘を手術し、オフに育成選手として契約。今年7月11日、支配下選手に登録された。7月16日広島戦に3番手で登板し、1軍デビュー。175センチ、78キロ。左投げ左打ち。

◆中日の福留孝介外野手(45)が巨人戦(バンテリンドーム)で現役最後の試合に臨んだ。引退選手特例で昇格し、9回に右翼の守備から出場。その裏、日米通算1万245打席目の最終打席で二飛に倒れ、涙ぐみながらPL学園の先輩、立浪和義監督(53)と抱き合った。引退セレモニーで周囲への感謝を述べ、24年間の現役にピリオドを打った。引退セレモニーでのあいさつは以下の通り。はじめに、このような引退セレモニーを開いていただきました中日球団、監督をはじめコーチ、選手、裏方の皆さん、最後まで球場に残っていただいたファンの皆さま、本当にありがとうございます。小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、チームに引かれ、その中にいた立浪監督に憧れ、プロ野球選手を目指してきました。1998年に星野監督の計らいでファン感謝デーに呼んでいただき、バックスクリーンの扉から1人で出てきたときの恥ずかしさは今でも鮮明に覚えています。その日からプロ野球人生がスタートしました。24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者の下、プレーさせていただき、その中、佐々木恭介コーチと出会い、打撃を一から作り直そう。そう言って毎日バットを振り続け、朝起きるときには、手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、(巨人)松井秀喜さんに勝って初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。日本一になったときに、自分自身が故障でその場所にいられなかった。その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。その後、海外、阪神タイガースでプレーさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆さまの声援の中でプレーさせていただき、最後の甲子園球場ではライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう1度このユニホーム着てプレーできたこと。自分の野球人生がスタートしたこの場所でファンの皆さまの声援に包まれてユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。最後に24年間、戦い続けることのできる体を生んで育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた和枝、颯一(はやと)、桜楓(はるか)、本当にありがとう。僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆さん、声援をよろしくお願いします。24年間、温かいご声援、本当に本当にありがとうございました。

◆今季限りで現役引退する中日・福留孝介外野手(45)が23日、1軍選手登録された。今季は22試合に出場して打率・043、0本塁打、3打点。6月中旬の交流戦終了から2軍に降格していたが、この日に引退セレモニーが行われるため「引退選手特例」が適用された。また、7月上旬の2軍戦で自打球が当たった影響で「左下腿三頭筋内側打撲」と診断され、「左腓腹筋内血腫除去術」を受け、リハビリを行っていた鵜飼航丞外野手(23)も1軍昇格。代わって後藤駿太外野手(29)が登録を抹消された。

◆今季限りで現役引退する中日・福留孝介外野手(45)が1軍選手登録された。試合後に引退セレモニーが実施される。試合前練習では立浪監督、コーチ、選手、スタッフが引退記念Tシャツを着用。福留はフリー打撃では35スイング中、柵越え2本など広角に鋭い打球を飛ばし、思い出の本拠地で、笑顔で練習を終えた。

◆巨人・坂本勇人内野手(33)が二回に右前適時打を放ち、2打席連続安打で通算2200安打に到達した。二回1死二、三塁。吉川の先制二塁打に続いて、中日の左腕、上田のチェンジアップを右前に転がし、チームに2点目をもたらした。2020年11月に右打者最年少となる31歳10か月で通算2000安打を達成した主将は今季82安打として、プロ野球歴代21位の安打数が新たな節目を刻んだ。また20位の新井貴浩の2203まで残り3本に迫った。2300安打を達成したのは過去15人、2400安打は11人、2500安打は7人。3000安打は歴代1位(3085)を記録した張本勲だけが達成している。

◆巨人・井上温大投手(21)の目標は明確だった。「一つ一つアウトを積み重ねて、まずは五回を投げ切れるように頑張る」。プロ初勝利を懸けて臨んだ自身4度目の先発は、最低限の役割を自らに課した。群馬・前橋商高からドラフト4位で2020年に入団。今季デビューを果たした3年目の21歳左腕だ。過去3度の先発では、いずれも五回持たずに降板。前回8日のDeNA戦(東京ドーム)は3回?を3安打4失点で交代を告げられた。雪辱を期したこの日は二回に3点の援護を受け、力強く腕を振って〝ノルマ〟に達した。140キロ台後半の球威ある直球を軸に、ブレーキの利いたスライダーを織り交ぜて投球を組み立てる。きれいなフォームには定評があり、大崩れするタイプではない。原監督は「投げっぷりの良さと立ち姿は、ベテランたちも勉強になるくらい素晴らしい」と評する。一方で課題も明白。桑田投手チーフコーチは「勝負球の工夫」を求める。夏場に臨時コーチを務めた球団OBの高橋尚成氏からチェンジアップの投げ方を教わったが、決め球として操るまでには至っていない。奥行きを使った投球術や縦の変化球をものにできれば、殻を突き破れるはずだ。打線は五回に1点、六回には5点を追加。井上は6回7安打3失点。プロ初勝利の権利を手にして、リリーフ陣にマウンドを譲った。

◆現役生活ラストゲームとなる中日・福留孝介外野手(45)が九回の守備から出場した。八回の攻撃中からキャッチボールをして準備。右翼へ向かうとスタンドからは大きな拍手が沸き起こり、帽子を取って感謝の思いを示した。守備機会はなく、6点を追う九回1死で現役最終打席へ。鍬原との対戦は1ボールからの149キロ直球をフルスイングしたが、二飛に倒れた。それでも球場はこの日一番の拍手に包まれ、福留はヘルメットを取って歓声に応えた。ベンチに戻ると立浪和義監督(53)がベンチ前に出て、主役を出迎え。福留は目を潤ませながら、あこがれて続けてきた指揮官の胸に飛び込んだ。

◆巨人・坂本勇人内野手(33)が福本豊、松井稼頭央に並ぶプロ野球歴代5位の178度目の猛打賞を記録した。一回に中前打、二回にも右前適時打で通算2200安打に到達。さらに六回も中前適時打を放ち、9月11日の広島戦(マツダ)以来の3安打をマークし、15安打9得点の打線を引っ張った。チームを大勝に導いた主将は球団を通じ、「偉大な先輩方と並べて光栄です。これからも大事な試合が続くので、チームの勝利のために全力を尽して頑張ります」とコメントした。★通算猛打賞の4位以上は以下の通り1位 張本勲(ロッテ)251度2位 川上哲治(巨人)194度3位 長嶋茂雄(巨人)186度4位 野村克也(西武)180度※球団は最終所属

◆巨人が快勝。二回に吉川、坂本の連続適時打などで3点を先制すると、五回は中田のソロ、六回は吉川の2点打などで5点を加えた。井上は6回を3失点でプロ初勝利。中日は上田が四回途中で降板となり、救援陣も踏ん張れなかった。

◆巨人の3年目左腕、井上温大投手(21)が6回7安打3失点で、7戦目(先発は4度目)にして待望のプロ初勝利をつかんだ。育成落ちを経験しながらも、今季1軍デビューしてたどり着いた白星。お立ち台では初々しい笑顔を浮かべ、「なかなかうまくいかないことがいっぱいあったんですけど、トレーナーさん、監督、コーチ、チームメートの皆さんが優しい声をかけてくれたので、ここまで来ることができました」と喜んだ。今季、チーム内でプロ初勝利を挙げたのは3月31日の堀田(先発、3年目)、4月2日の戸田(救援、2年目)、同3日の赤星(先発、1年目)、同9日の大勢(救援、1年目)、同21日の平内(救援、2年目)、同28日の山崎伊(先発、2年目)、8月14日の直江(先発、4年目)に続いて8人目となり、同一シーズンではプロ野球最多となった。

◆巨人の3年目左腕、井上温大投手(21)が6回7安打3失点で、7戦目(先発は4度目)にして待望のプロ初勝利をつかんだ。坂本勇人内野手(33)は通算178度目の猛打賞をマークした。【データBOX】?3年目の巨人・井上がプロ初勝利。巨人で今季プロ初勝利(外国人は除く)を挙げたのは、3月31日の堀田(先発、3年目)、4月2日の戸田(救援、2年目)、同3日の赤星(先発、1年目)、同9日の大勢(救援、1年目)、同21日の平内(救援、2年目)、同28日の山崎伊(先発、2年目)、8月13日の直江(先発、4年目)に次いで8人目。同一シーズンに8人がプロ初勝利を挙げたのはプロ野球最多記録で、2005年の中日、17年のオリックスの各7人を上回った。?坂本が通算178度目の猛打賞(1試合3安打以上)をマークし、阪急・福本豊と西武・松井稼頭央と並ぶ歴代5位。プロ野球記録はロッテ・張本勲の251度。

◆試合後、今季限りで現役を引退する福留孝介外野手(45)の引退セレモニーが行われた。冒頭で現役生活24年間を振り返る映像や、PL学園高時代の恩師、中村順司氏(76)、2009年のワールド・ベースボール・クラシックをともに戦った日本ハム・稲葉篤紀ゼネラルマネージャー(50)、元ソフトバンク・川崎宗則氏(現BCリーグ栃木、41)、阪神時代に同僚だった藤川球児氏(42)、鳥谷敬氏(41)、糸井嘉男外野手(41)らからのメッセージ映像が「106ビジョン」に流れた。その後はPL学園高の先輩・立浪和義監督(53)、同学年の荒木雅博内野守備走塁コーチ(45)、後輩の大島洋平外野手(36)、大野雄大投手(33)、岡林勇希外野手(20)、そして家族から花束を受け取り、ファンに向けてスピーチを行った。マウンドでは仲間に囲まれ、胴上げは背番号と同じ9度。記念撮影を行い、場内を一周してファンに最後の別れを告げた。さらに、ここで1999年同期入団の岩瀬仁紀氏(47)、鳥谷氏がサプライズゲストとして登場。2人からも花束を受け取り、ほおを緩めた。「孝介コール」に包まれるなか、盛大なセレモニーは幕を閉じた。▽福留の引退スピーチは以下の通り。「まず初めに、きょうこのような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめ、コーチ、選手、裏方のみなさん、そして、最後まで球場に残っていただきました、ファンの皆様、本当にありがとうございます。小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そして、その中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。1998年、星野監督の計らいで、ファン感謝デーに呼んでいただき、後ろにあります、バックスクリーンの扉の所から一人で出てきたとき、その恥ずかしさ、いまでも鮮明に覚えています。その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていいただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、『打撃を一から作り直そう』、そういって毎日、バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆様の声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場のときにはライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着てプレーできたこと、そして、自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。最後に、24年間、戦い続けることのできるこの体で産んで、育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた家族。本当にありがとう。僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆様、これからもドラゴンズへのご声援、よろしくお願いします。24年間、あたたかいご声援、本当に、本当にありがとうございました」

◆中日は9失点と投手陣が崩れ、福留の現役最後の試合を白星で飾れなかった。上田は四回途中までに3失点し、救援陣もずるずると失点した。上田は「大事な試合なのに試合をつくれずすみません」とうなだれた。上田は立ち上がりから制球が不安定で、カウントを悪くして甘い球を痛打された。この日の観衆は3万5000人超。立浪監督は「お客さんが満員で緊張したのかな。ストライクが入らなかったのが逃げているように映った」と反省を促した。

◆中日は投手陣が崩れ、打線も反撃できず、今季の巨人戦負け越しが決まった。試合後の立浪和義監督(53)の主な一問一答は以下の通り。――上田は四回途中6安打3失点(自責2)「お客さんが満員だったから緊張したのかな。分からないですけど、前回は広島で投げる予定(台風接近で中止)でしたけど、調整が難しかったとは思うんですけど、ただ、ストライクゾーンの中でボールを動かして勝負するタイプなので。きょうはしっかりと反省して、次に(生かしてほしい)」(続けて)「こっちから見たらストライクが入らなかったのが逃げているのか、とそういうふうにも映ったので。本当はもう少し長いイニングを投げさせたかったですけど、1点を取って点数が詰まったので代えましたけど。次、登板があるかどうかわかりませんけど、今日の反省を生かしてほしいなと思います」――鵜飼が1軍復帰即スタメンで適時打も「ファームで結果が出て調子、状態が上がってきたと聞いていたので、残り少ないですけどチャンスを与えたいと思います。内容的には速いボールは確かにみんな手こずってはいたんですけど、真っすぐを狙っていたら、真っすぐを仕留められるように、まずは。変化球への対応というのは意識の問題。彼はもちろん結果が出ればいいですけど、しばらくは自分で考えて。前半は1軍にいたことの反省も踏まえてやらせていきたいなと思います」――福留は九回の守備から起用。予定通りだったか「展開によってですね。ジャイアンツも3位の壮絶な争いをしているわけで。もちろん試合をやっていく中で点差が開いたり、ワンサイドになればということは考えていました」――最終打席は二飛。どう見ていたか「ずっとルーキーのときから一緒にやっていますし、もっとさかのぼれば子どものころに出会っているという縁もあって、最後は監督と選手の立場で引退ですけど。打ってほしかったですよね。これはでも、しばらく実戦からも離れていましたし、なかなか難しいところはあると思いますけど。でも、45歳まで本当によく頑張ってくれたなと思います」――最後にベンチ前で抱擁「お疲れ様、とそのひと言です」

◆巨人の3年目左腕、井上温大投手(21)が、6回7安打3失点で7戦目(先発は4度目)にして待望のプロ初勝利をつかんだ。群馬・前橋商高からドラフト4位で2020年に入団。今季デビューを果たした21歳左腕だ。過去3度の先発では、いずれも五回持たずに降板していた。原監督は「その躍動感のある投球はあと10年、15年、20年、忘れないでほしい」と祝福の言葉を贈った。

◆巨人・中田翔内野手(33)が3―1の五回に24号ソロを放った。「ファーストストライクをしっかりと捉えることができた。追加点を取ってあげたいところだった」。4試合17打席ぶりの一発で、プロ初勝利をかけたマウンドの井上を援護してニンマリ。六回には犠飛で2打点目をマークした。

◆中日・福留孝介外野手(45)が23日、巨人戦(バンテリンドーム)で24年間の現役最後の試合に臨んだ。3-9の九回の守備から出場。直後の最終打席は二飛に倒れたが、最後の勇姿を見届けようと詰めかけたファンから大きな拍手を浴び、目を潤ませながら、あこがれてきた立浪和義監督(53)との抱擁も交わした。九回1死。149キロ直球をはじき返した打球は二塁手のグラブに収まった。45歳の唸るようなスイングに、3万5669人から巻き起こる万雷の拍手。中日・福留が惜しまれながらバットを置いた。「自分の野球人生がスタートしたこの場所でファンのみなさまの声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です」ベンチスタートだったが、九回からは幾度となくレーザービームを披露してきた右翼へ。向けられる声援の大きさには、心を揺さぶられた。左ふくらはぎを痛めた影響で万全ではなかったが、最後の打席は「これが僕の目いっぱい」。福留孝介を象徴するフルスイングは貫き通した。再び膨らむ喝采に「泣くまい」と思っていた主役の目も自然と潤む。ベンチへ引き揚げると、歩み寄る立浪監督のもとへ。「長い間お疲れさん」―。あこがれてきた指揮官からの労いが、再び胸を熱くさせた。「引退試合をしていただける選手も、そんなに数多くはない。していただける選手というのは納得をしていると思う。後輩だから先輩だからということはなく、その選手が決めたことが一番大切なんだと思う」2020年から球界最年長となり、自身より若い選手の引退を見届ける機会もあった。そして、後輩たちが自問自答して決めた〝そのとき〟が、ついに福留にもやってきた。今季後半の2軍生活で沸いたのは若手を応援するような気持ち。これまでとの変化に、選手としての引き際だと感じた。心の葛藤はなし。自ら下した「納得」の決断だった。「僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆様、これからもドラゴンズへのご声援、よろしくお願いします」一つの目標だった45歳まで戦い抜き、竜の歴史は託す。さらば「プロ野球選手・福留孝介」―。24年間で紡いできた栄光の軌跡は、色あせることなく野球ファンの記憶の中で生き続ける。(須藤佳裕)■福留 孝介(ふくどめ・こうすけ) 1977(昭和52)年4月26日生まれ、45歳。鹿児島県出身。PL学園高、日本生命を経て1999年D1位で中日入り。2008年から米大リーグに挑戦し、カブスなどでプレー。13年に阪神で日本球界に復帰し、16年に日米通算2000安打を達成。21年に中日へ。主なタイトルは首位打者2度、最高出塁率3度。96年アトランタ五輪、04年アテネ五輪、06、09年WBC日本代表。182センチ、90キロ。年俸3000万円。右投げ左打ち。背番号「9」

◆元近鉄監督で、中日のコーチとして福留を指導した打撃の師・佐々木恭介氏(72)=大和高田クラブ監督=は、大阪府内の自宅で引退セレモニーを見守った。「球場へ行っても涙で見られないから...」。画面の向こうの愛弟子へのメッセージは「ありがとう」だった。テレビ画面が涙で見えなかったよ。実は孝介からも、孝介の奥さんからも、「23日は(バンテリン)ドームに来てくださいよ」と招待されていた。「考えておく」と返事をしたけれど、現場に行ったら絶対に泣くと思ったんや。涙で孝介の姿をまともに見ることができないと...。行かない方がいいと判断して、丁重にお断りした。結局、家にいても泣いてしまったなぁ。一番聞きたくない言葉だった引退報告。あれから何日経ったのか。孝介とのいろんなシーンが、今でも蘇ってくる。もちろん、最初は近鉄監督時代のドラフト。今の孝介を見ると、反対するスカウトの意見を押し切って強行指名した自分の目は正しかったんだと思ったりもしている。中日監督に就任した山田久志さんに「福留を指導してくれ」と頼まれてコーチに就任したときのことも思い出す。ドラフトで断られた選手との、まさかの〝再会〟だった。一緒に打撃スタイルを確立していった日々は忘れられない。メジャーへ行ったときの思い出も尽きない。孝介が信頼する指導者ということで、伝統球団カブスの長い歴史で初めて「臨時コーチ」なのに背番号をもらい、一緒に転戦したこともあった。いちずに教えることしかできなかった私に、よくついてきてくれた。指導者として、彼から教えられたことは数知れない。すべてが今も、生かされている気がする。きっと素晴らしい指導者になるだろう。私と違って引き出しが多い。指導者・福留の誕生を楽しみにしている。本当に引退してしまった今、「ありがとう」の言葉しか思い浮かばない。心の底から「ありがとう」-。孝介と出会えたことが、私の野球人生の最大の財産だ。

◆群馬・前橋商高から入団3年目の巨人・井上温大(はると)投手(21)が23日、中日23回戦(バンテリンドーム)で6回7安打3失点と粘投。2005年の中日、17年のオリックスを超えてプロ野球史上最多となる今季球団8人目のプロ初勝利を飾った。3位のチームは9-3で大勝し、クライマックスシリーズ(CS)進出を争う4位・阪神、広島とのゲーム差を1・5に広げた。投球フォームの教科書があれば、手本の一人になり得るかもしれない。椅子に座るように体重移動する下半身に導かれ、ムチのごとく左腕がしなった。21歳の井上は左手で勝利球を握りしめ、ヒーローインタビューであどけない表情を崩した。「まずは勝ててよかった。持ち味のストレートを中心に、しっかりと投げ込むことができました」勝負球の精度が上がった。最速149キロの糸を引くような直球に、ブレーキの利いたスライダーも決まる。過去3度の先発ではいずれも五回まで持たなかったが、この日は粘りの投球で同一シーズンで史上最多となる球団8人目のプロ初勝利。2020年ドラフト4位で巨人入団。昨年5月に左肘を手術し、オフに育成契約となったが、今年7月に支配下選手に復帰した苦労人が輝いた。スカウト時代から投球を見てきた青木2軍投手コーチは「大きく変えるところはない。いいフォームだと第一印象で思った」と実感を込める。源泉は幼少期にある。あおむけに寝て家の天井を目がけて球を投げ、リリースポイントを定めた。「もういいだろと止めても、やっているんです」。群馬・樹徳高野球部出身の父・典之さんは、ブロック塀を相手に腕を振った愛息の姿を懐かしむ。塀1個の大きさは縦約20センチ、横約40センチ。貪欲な野球小僧は小さな〝ストライクゾーン〟を狙い、遊び感覚で制球を磨いた。道標は元巨人のエースだ。今季限りで現役を退いた西武・内海に師事し、2年続けてオフに下半身をいじめ抜いた。今年の正月に群馬県の実家に帰省した際も、早朝から休まずに走り込んだ。「ノーヒットノーランもできる」。小学4年時に作文で書いた言葉だ。「これからも勝って、内海さんに恩返ししていく。負けない投手になりたい」。夢に満ちたプロ野球人生が始まった。(鈴木智紘)

◆西武、巨人、オリックスでプレーした元プロ野球内野手の清原和博氏(55)が23日、東海ラジオ野球中継のゲスト解説でバンテリンドームに来場。現役ラストゲームとなったPL学園高の後輩・福留孝介外野手(45)の引退を惜しんだ。「長いこと、よう頑張ったな、と。PL学園の先輩である立浪監督の下で最後、見届けてもらうというのは、こんな幸せなことはないですよ。一生の思い出の日になるんじゃないですかね」福留が中日に入団した1999年から、自身が巨人を退団する2005年まではセ・リーグのライバル球団に所属して対戦。PL学園高の10学年後輩の決断には「実際に自分と一緒にグラウンドに立っていたメンバーの最後の最後が福留選手。寂しい」と明かした。

◆群馬・前橋商高から入団3年目の巨人・井上温大(はると)投手(21)が、2005年の中日、17年のオリックスを超えてプロ野球史上最多となる今季球団8人目のプロ初勝利を飾った。負けん気の強さは折り紙付きだ。井上が前橋商高に進んだ理由は「私立の学校を倒す」ため。3年間指導した住吉信篤監督(48)は、教え子が3年夏に準優勝を飾った群馬県大会での雄姿を忘れられない。高崎商高と対戦した2回戦だった。指揮官によると、先発した井上はこの日の最速142キロを延長戦で記録したという。十一回までもつれた試合はサヨナラで勝利。エースは九回から3イニング連続で三者凡退に斬り、162球を投げ抜いた。当時まだ細身だった井上は、1年時から投球回を制限された上で起用されていた。この試合が公式戦での初完投。住吉監督は「井上は負けず嫌いで周りに流されない。長く続けられるような体づくりを怠らず、先発として活躍するピッチャーになってくれれば」と将来に期待を寄せた。

DAZN

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
ヤクルト
75573 0.568
(↓0.005)
M4
(-)
8587
(+6)
549
(+8)
164
(+3)
68
(-)
0.250
(-)
3.610
(↓0.03)
2
(-)
DeNA
70622 0.530
(↑0.003)
5
(↑1)
9476
(+8)
503
(+6)
112
(+5)
49
(-)
0.252
(↑0.001)
3.480
(↓0.02)
3
(-)
巨人
67693 0.493
(↑0.004)
10
(↑1)
4543
(+9)
577
(+3)
162
(+1)
63
(-)
0.245
(↑0.001
3.710
(↑0.01)
4
(1↑)
阪神
66713 0.482
(↑0.004)
11.5
(↑1)
3480
(+7)
423
(+3)
82
(+2)
106
(-)
0.244
(↑0.001)
2.700
(-)
4
(-)
広島
66713 0.482
(↓0.003)
11.5
(-)
3547
(+3)
531
(+7)
89
(+1)
26
(-)
0.258
(-)
3.530
(↓0.03)
6
(-)
中日
61732 0.455
(↓0.004)
15
(-)
7391
(+3)
478
(+9)
61
(+1)
59
(-)
0.246
(↑0.001
3.330
(↓0.04)