西武(★2対6☆)日本ハム =リーグ戦23回戦(2021.10.19)・メットライフドーム=
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日本ハム
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西武
0001000102401
勝利投手:生田目 翼(1勝0敗0S)
敗戦投手:髙橋 光成(11勝9敗0S)

本塁打
【日本ハム】野村 佑希(6号・5回表3ラン),万波 中正(5号・9回表2ラン)
【西武】山川 穂高(22号・8回裏ソロ)

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◆日本ハムは3回表、杉谷の適時打で1点を先制する。その後同点とされて迎えた5回には、野村の3ランが飛び出し、勝ち越しに成功した。投げては、先発・生田目が6回1失点の好投でプロ初勝利。一方の西武は、引退試合を迎えた松坂が先発としてマウンドに上がり、最後の雄姿を見せた。

◆「平成の怪物」が最後のマウンドに上がる。西武松坂大輔投手(41)が、19日の日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合の先発に臨む。 対戦するのは横浜高の後輩・近藤健介外野手。前日18日はメットライフドームでの1軍練習に合流し、投球練習を行った。高校時代からその名をとどろかせ、常に世代の先頭を走り続けてきた偉大な投手が、現役生活に別れを告げる。 ◆松坂のデビュー戦 横浜で甲子園春夏連覇した翌99年、4月7日の日本ハム戦(東京ドーム)に先発。中嶋(現オリックス監督)とバッテリーを組み、1回裏、いきなり1番井出から見逃し三振を奪う上々の立ち上がり。3番片岡の5球目に自己最速の155キロを投げ、打者の体勢を崩す空振り三振で圧倒。4万4000人の観衆がどよめいた。小笠原に2ランを許すも、8回5安打、9奪三振、2失点。「自分は本番に強いんだと思っています。楽しく投げられました」。

◆西武松坂大輔投手(41)の現役ラスト登板は四球だった。 引退試合で先発に臨み、日本ハム先頭の近藤と対戦。横浜高の後輩に対し、初球118キロは高めに抜けてボール。続く118キロは見逃しストライク。その後2球ボールが続き、カウント3-1。最後は5球目の116キロがインコースに外れ、四球となった。 打者1人限定の登板だった。投げ終わった直後の表情は硬かったが、マウンドに内野手と捕手森、西口投手コーチが集まると笑顔になった。同コーチと言葉を交わした後、野手陣と握手。立ったまま登板を見守ったスタンドのファンに手を振り、小走りでマウンドを降りた。 そのまま、日本ハム側ベンチの方に向かい、一礼。西武ベンチに戻り、辻監督と握手した。 「最初、グラウンドに出た瞬間のファンの皆さんの拍手に感動しました。正直、プロのマウンドに立っていい状態ではなかったですが、最後の相手になってくれた、北海道日本ハムファイターズの皆さん、打席に立ってくれた近藤選手、そして今日球場までお越しいただいたファンの皆さん、球場には来られなくてもテレビなどで応援してくれたファンの方々に感謝しています」とコメントした。 日米通算377試合目のマウンド。「平成の怪物」が現役生活に別れを告げた。 ◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身。横浜で98年甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で西武入団。1年目の99年に16勝で新人王に輝き、同年から3年連続最多勝。07年にレッドソックス移籍。インディアンス、メッツを経て15年ソフトバンク入団。18年中日に移籍し、20年に西武復帰。主な表彰は最優秀防御率2度、最多奪三振4度、01年沢村賞、18年カムバック賞。00年シドニー五輪、04年アテネ五輪、06、09年WBC日本代表。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。

◆日本ハム近藤健介外野手(28)が横浜高の大先輩、西武松坂大輔投手(41)の最後の投球を目に焼き付けた。 栗山英樹監督(60)の粋な計らいもあり、3年ぶりの打順となる「1番DH」でスタメン出場。松坂の現役最後の対戦打者として、打席に入る際にはヘルメットを脱いでマウンド上の松坂へ一礼。打席では1度もスイングはせず、カウント3-1から四球を選んだ。 公式戦では最初で最後の対戦を終えた近藤は「松坂さんは小さい頃からずっと追いかけ続けてきた大先輩。こうして引退試合に立ち会えたことだけでも幸せですが、打席に入って対戦できたことは一生の宝物です。これまで野球界を先頭で引っ張ってこられた偉大な先輩に、少しでも近づけるように精進していきます」と、コメントした。 試合前には練習を終えて引き揚げてきた松坂へあいさつに出向き、差し出された右手を両手で包んで握手し、しばし談笑していた。四球を選んだ後も一塁塁上では、再びヘルメットを脱いで拍手を送り、最後まで偉大な先輩に敬意を払っていた。

◆「平成の怪物」が最後のマウンドに上がる。西武松坂大輔投手(41)が19日、日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合の先発に臨む。以下、西武ナインの惜別コメント。▽西武西口投手コーチ 最後にこういう形で、マウンドで投げる大輔の姿を見守ることができてよかったです。いい時もあれば悪い時もあったと思いますが、いろいろなことを乗り越えて、23年間よく頑張ってくれました。最後は僕と同じでフォアボールでしたね。大輔は3-1から、僕は3-2からフォアボール。ストライクが1球多いので僕の勝ちかな(笑い)。本当にお疲れさまでした。 ▽西武平良 僕が生まれた年に松坂さんはプロ入りされていますし、レッドソックスのイメージが強いです。小学生の時は松坂さんモデルのグローブを使っていました。今日この日に立ち会えることを幸せに思います。 ▽西武赤田打撃コーチ ついにこの日が来たか、という思いです。彼は、誰もが認めるスーパースターです。入団した時からずっと一緒で、松坂世代と言われる我々に絶大な影響を与えてくれました。そのことに心から感謝したいです。 ▽西武森 長いことプロ野球やメジャーリーグで活躍され、ただその中でケガで苦労したこともあったかと思います。それでもめげずにここまでやってこられたことは本当に尊敬しています。自分も松坂さんのように長くプレーできたらと思います。本当にお疲れ様でした。 ▽西武山川 小学生の時、友達と野球ゲームをするときは、「松坂さん禁止」のルールでした。速いし、よく曲がるし、誰も打てないので(笑い)。テレビで見てた憧れの方でしたし、引退を迎えられる今日、同じグラウンドで、一緒の空間にいられることは光栄です。そして自分ももっと頑張らなきゃ、と刺激をもらえると思います。 ▽西武源田 松坂さんは本当にスーパースターですし、偉大な方。やはり引退されるということに対して、僕も寂しい気持ちが強いです。 ▽西武栗山 できれば一緒にお立ち台に立ちたいとずっと思っていました。かなわなかったのでそこは残念です。今日の引退試合は同じフィールドに立つことができますので、しっかり目に焼き付けます。本当にお疲れさまでした。 ▽西武中村 23年間、お疲れさまでした。自分が中3の時、松坂さんが高3で横浜高校の全国制覇も見ていました。本当にすごいなと思っていました。ライオンズに入団が決まって、あの松坂投手と同じチームだ! と思いました。プロで一緒にプレーできたのはうれしかったです。自分が出始めの頃は守備などで迷惑をおかけしました。あの時はすみませんでした(笑い)。 ▽西武豊田投手コーチ 寂しいの一言です。彼が入団した時の衝撃は今でも忘れられませんし、以降、彼から刺激をもらいながら自分も頑張っていました。いま自分はコーチとなって、1日でも早くブルペンから送り出してあげたかったですが、それがかなわなくて残念です。

◆「平成の怪物」が最後のマウンドに上がった。西武松坂大輔投手(41)が19日、日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合の先発に臨んだ。 対戦相手の日本ハムも、松坂の現役ラスト登板に最大限の敬意を払い、チームにとって最高の打者であり、松坂の横浜高の後輩、今夏の東京オリンピック(五輪)で侍ジャパンの一員として金メダルを獲得した近藤健介外野手を1番で起用。 今回が最初で最後の対戦は、5球目の116キロがインコースに外れ、四球となった。打者1人限定の登板だった。投げ終わった直後の表情は硬かったが、マウンドに内野手と捕手森、西口投手コーチが集まると笑顔になった。 ニッカンスポーツ・コムで平成の怪物・松坂大輔のラストデーを写真を中心に追いかけます。

◆さらば平成の怪物、ありがとう松坂。西武松坂大輔投手(41)が、引退試合に臨み、最後は四球を与えてマウンドを降りた。日本ハム戦に慣れ親しんだ背番号「18」で先発。横浜高の後輩・近藤に5球投じ、最速は118キロだった。右手のしびれと闘いながら懸命に腕を振り、ファンに最後の雄姿を披露。試合前に行われた引退会見では涙も見せた。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。別れを告げるため、松坂がマウンドに帰ってきた。18番のユニホームでマウンドに立ち、変わらぬワインドアップから投げ込んだ。初球、高めに外れ、2球目は外角低めのストライクが決まった。いずれも球速118キロの直球。2球続けて高めに抜け、カウント3-1から最後は近藤のふところへの116キロで四球。「正直、プロのマウンドに立っていい状態ではなかった」。これが今投げられる全力の5球だった。 ずっと投げることが好きだった。しかし、投げたくなかった。「もうこれ以上、だめな姿は見せちゃいけない」。髪の毛やあごひげは白髪交じり。引退を決定づけた右手や首のしびれはまだ残っている。でも「どうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後全部さらけ出して見てもらおう」。かつての剛速球はない。投げて引退報告するためにマウンドに戻ってきた。 試合前の引退会見。こらえてもこらえても、家族を思うと涙があふれてきた。7月、家族に引退報告するとみんな泣いていた。「僕には分からない感情を、妻や子どもは持ったのかもしれない。あらためて感謝と同時に申し訳なかったという気持ちがありました」。バッシングの矛先が、野球とは無縁の家族に向けられたことは数え切れない。一緒に受け止め、張り裂けそうな感情をグッとこらえたことを思い出すと、止めどなく流れる涙。マウンドでは1人でも、家族とともに戦ってきた証しだった。 23年間歩み続けたプロ生活に幕を閉じた。「家族と過ごす時間を増やしながら、違ったところで。野球界、スポーツ界に恩返しできる形をつくっていけたらいいなと思う」。プロ野球界をけん引し、日本中を沸かせた「平成の怪物」はユニホームを脱ぎ、マウンドを降りた。【栗田成芳】

◆西武は1回途中、先発松坂から十亀に交代。2回から高橋が登板。日本ハムは3回無死一、二塁で杉谷の中前打で先制した。 1点を追う西武は4回山川が同点犠飛。日本ハムは5回、4番野村が左翼席へ3ランを放ち勝ち越した。 西武は8回、山川の22号ソロで1点を返す。日本ハムは9回にも2点を追加し逃げ切り。3年目の生田目がプロ入り初勝利、西武高橋は9敗目。

◆「平成の怪物」が最後のマウンドに上がった。西武松坂大輔投手(41)が19日、日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合の先発に臨んだ。以下、惜別コメント。▽巨人杉内2軍投手コーチ 僕たち同級生を引っ張ってくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。彼がいたからこそ、レベルアップできました。本当にお疲れさまでした。そして、ありがとう。 ▽日本ハム荒木投手コーチ 他の選手の何倍も投げてきて、本当にやり切ったと思います。最後まで彼らしい姿を見ることができて、うれしかった。一緒にライオンズのユニホームを着ていた頃は、ホームが一塁側ベンチで同じ光景だったので、懐かしい感じがしました。 ▽楽天石井GM兼監督 彼はここ10年、20年の中では1番輝いた選手。結果が出てない時も努力することは本当にエネルギーがいる。(現役生活の)終盤の経験は誰もができるものじゃない。その経験を将来、いろんな人に伝えてもらえたら。 ▽DeNA三浦監督 (04年アテネ)オリンピックの時に一緒のチームになって。野球に対して熱い気持ちを持って常に投げていた。同じ投手として、年下ですけど、学ぶところはいっぱいありましたね。

◆「平成の怪物」が最後のマウンドに上がった。西武松坂大輔投手(41)が19日、日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合の先発に臨んだ。 対戦相手の日本ハムも、松坂の現役ラスト登板に最大限の敬意を払い、チームにとって最高の打者であり、松坂の横浜高の後輩、今夏の東京オリンピック(五輪)で侍ジャパンの一員として金メダルを獲得した近藤健介外野手を1番で起用。 今回が最初で最後の対戦は、5球目の116キロがインコースに外れ、四球となった。打者1人限定の登板だった。投げ終わった直後の表情は硬かったが、マウンドに内野手と捕手森、西口投手コーチが集まると笑顔になった。 ニッカンスポーツ・コムで平成の怪物・松坂大輔のラストデーを写真を中心に追いかけます。

◆日本ハム荒木大輔投手コーチ(57)が、西武松坂大輔投手(41)の現役最後の雄姿を一塁側ベンチから見守った。「他の選手の何倍も投げてきて、本当にやり切ったと思います。最後まで彼らしい姿を見ることができて、うれしかった」。 松坂の名前の由来となった荒木投手コーチは、04年から06年までは松坂と西武でコーチと選手の間柄だった。「一緒にライオンズのユニホームを着ていた頃は、ホームが一塁側ベンチで(この日と)同じ光景だったので、懐かしい感じがしました」と、メジャー移籍目前だった当時を思い出しながら引退登板を見つめた。

◆日本ハム野村佑希内野手(21)が4番初アーチを放った。同点に追いつかれた直後の5回無死一、二塁で左翼へ勝ち越しの6号3ランを運んだ。 この日は2試合連続で「4番三塁」でスタメン出場。4番としては通算9試合目での初本塁打に「(打ったのは)カットボール。前の打席でやられていたので、やり返すことができてよかったです。なんとか(先発の)生田目さんに援護点を取ることができてよかったです。これからも頑張ります」とコメントした。

◆西武は5年ぶりに最下位へ転落した。松坂の引退試合を勝利で飾れず、日本ハムに敗れた。 100試合以上消化した上での単独6位は、16年8月以来。辻体制では初めての屈辱となった。日本ハムとは直接対決を2試合残している。辻監督は「現状です。この(若手中心の)打線でやっているわけだから。その力がないです。現状を受け止めるしかない」と話した。

◆引退試合を終えた西武松坂大輔投手(41)は試合後、1人で場内を1周した。日本ハムのヒーローインタビューが終わると、三塁側ベンチから左翼方向へ進み、そのまま時計回りにグラウンドを歩いた。帽子を手に取って、スタンドに手を振った。時々、頭を深々と下げ、応援し続けてくれたファンの人たちへ感謝を示した。 一塁側の日本ハムベンチ前では、この日対戦した近藤や万波ら横浜高の後輩たち、栗山監督と握手。その後、マウンドへと向かった。涙を流し、しばらくうつむいた後、ひざまずき、プレートに手を置いた。「これまで投げてきたピッチャーズマウンドに対してありがとうございましたという思いを伝えさせてもらいました」。別れの儀式だった。 西武ベンチの前に戻ると、辻監督はじめ一列に並んだナイン1人1人と握手。最後は、ナインの手で胴上げ。「あまり胴上げは怖いのでされたくないと思っていましたけど、同い年の(赤田)ショウゴに背中押されて、行くぞって言われてやってもらったんですけど、日本ハムファイターズにいる横浜高校の後輩のみんなも来てくれてうれしかったです」。5度、宙に舞った。 「スタートがライオンズで最後もライオンズの選手で終えられて本当によかったと思います。この2年は何もすることができなかったですけど、最後にこういう舞台を用意してもらって感謝しています」。万感の思いでユニホームを脱いだ。

◆日本ハム3年目右腕の生田目翼投手が、プロ初勝利を挙げた。今季初登板初先発で6回1安打1失点と好投。 ドラフト同期入団の野村、万波の頼もしい援護弾も受けて、ようやくウイニングボールを手にした。「野球をやっていて良かったです」。26歳のメモリアル白星でチームも4月1日以来の最下位脱出だ。

◆5球投げ終えた怪物の体は、すでに悲鳴を上げていた。西武松坂大輔投手(41)は、引退試合を終え取材に応じると、体の状態について「大丈夫じゃないです(笑い)。ああいう状態でマウンドに立ちましたけど、本来立ってはいけないと思っていましたし、立てるような体の状態じゃないと自覚はしてましたので。ああいう姿でも投げるところを見せられて良かったと思います。ただその反動はもう来ています」と、笑顔交じりで振り返った。 先発し、球速は最高118キロ。5球すべて直球だった。2球目、外角低めに決まった球が唯一のストライク。「正直ブルペンから投げていてもストライクが入るかどうか心配だったので、せめてものあの1球のストライクというのは、最後の最後で野球の神様が取らせてくれたのかなと今思っています」と、渾身(こんしん)の5球だった。

◆西武松坂大輔投手(41)の現役ラスト登板は四球だった。 引退試合で先発に臨み、日本ハム先頭の近藤と対戦。横浜高の後輩に対し、初球118キロは高めに抜けてボール。続く118キロは見逃しストライク。その後2球ボールが続き、カウント3-1。最後は5球目の116キロがインコースに外れ、四球となった。<すべてをやり終えて> -投げ終えて 松坂 本来ならマウンドに立つ資格がないというか、立てるような状態ではなかったんですけども。これまで応援してくれた方々に対して、感謝の思いを込めて投げることと、今日のこの機会を持って自分自身へのけじめをつけたいと思いながらマウンドに立ちました -結果は四球 松坂 正直ブルペンから投げていてもストライクが入るかどうか心配だったので、せめてものあの1球のストライクというのは、最後の最後で野球の神様が取らせてくれたのかなと今思っています -スッキリしたいと言っていたが 松坂 もうこういう状態だって、自分ではもちろん分かっていましたけれど、最後に投げさせてもらって改めて、だからやめるんだよなってスッキリさせることができました -全部さらけ出したいと 松坂 前日も今のぼくの状態をたくさんの方に知ってもらえたらと。なかにはまだ投げてほしいとか、言ってくれる方々もいたんですけど、もうその声には応えられないというのを改めて投げることで報告できたのかなと思っています -場内1周 松坂 この球場の雰囲気、たくさんのお客さんが入ってくれている球場の雰囲気を味わえるのもこれが最後なんだなって思いながら、いろんな景色を見ながら少し昔のことを思い出したりしながら1周回らせてもらいました -ファンの存在は 松坂 本当にいいときも悪い時もたくさんの方に支えてもらって、これだけやらせてもらったと思っているので、改めて感謝していますと皆さんに伝えたいです -マウンドでの涙は 松坂 振れられたくないですけど、やっぱりもう最後だなって思いですね。その思いと、今までありがとうございましたと。たくさんの球場のピッチャーズマウンドで投げてきましたけど、メットライフドームだけじゃなくて、これまで投げてきたピッチャーズマウンドに対してありがとうございましたという思いを伝えさせてもらいました -胴上げはサプライズ 松坂 あまり胴上げは怖いのでされたくないと思っていましたけど、同い年の(赤田)将吾に背中押されて、行くぞって言われてやってもらったんですけど、日本ハムファイターズにいる横浜高校の後輩のみんなも来てくれてうれしかったです -西武という球団は 松坂 スタートがライオンズで最後もライオンズの選手で終えられて本当によかったと思います。この2年は何もすることができなかったですけど、最後にこういう舞台を用意してもらって感謝しています -投げてみて体の状態 松坂 大丈夫じゃないです(笑い)。正直、そうですね、ああいう状態でマウンドに立ちましたけど、本来立ってはいけないと思っていましたし、立てるような体の状態じゃないと自覚はしてましたので。ああいう姿でも投げるところを見せられて良かったと思います。ただその反動はもう来ています -ワインドアップはこだわり 松坂 ワインドアップも野球を始めたころからかっこいいと思って続けてきたことですし、それは最後までワインドアップで通せて良かったと思います

◆さらば平成の怪物、ありがとう松坂。西武松坂大輔投手(41)が引退試合に臨み、最後は四球を与えて終わった。日本ハム戦に慣れ親しんだ背番号「18」で先発。横浜高の後輩・近藤に5球投じ、最速は118キロだった。右手のしびれと闘いながら懸命に腕を振り、マウンド上からファンに最後の雄姿を披露。試合前に行われた引退会見では涙も見せた。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。別れを告げるため、松坂がマウンドに帰ってきた。18番のユニホームでマウンドに立ち、変わらぬワインドアップから投げ込んだ。初球、高めに外れ、2球目は外角低めのストライクが決まった。いずれも球速118キロの直球。2球続けて高めに抜け、カウント3-1から最後は近藤のふところへの116キロで四球。「正直、プロのマウンドに立っていい状態ではなかった」。これが今投げられる全力の5球だった。 ずっと投げることが好きだった。しかし、投げたくなかった。「もうこれ以上、だめな姿は見せちゃいけない」。髪の毛やあごひげは白いものが交じる。引退を決定づけた右手や首のしびれはまだ残っている。でも「どうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後全部さらけ出して見てもらおう」。かつての剛速球はない。投げて引退報告するためにマウンドに戻ってきた。 試合前の引退会見。こらえてもこらえても、家族を思うと涙があふれてきた。7月、家族に引退報告するとみんな泣いていた。「僕には分からない感情を、妻や子どもは持ったのかもしれない。あらためて感謝と同時に申し訳なかったという気持ちがありました」。バッシングの矛先が、野球とは無縁の家族に向けられたことは数え切れない。一緒に受け止め、張り裂けそうな感情をグッとこらえたことを思い出すと、止めどなく流れる涙。マウンドでは1人でも、家族とともに戦ってきた証しだった。 球団から来季入閣を打診されたが断った。「家族と過ごす時間を増やしながら、違ったところで。野球界、スポーツ界に恩返しできる形をつくっていけたらいいなと思う」。試合後は涙を流しながらマウンドのプレートに右手を置き、別れの儀式。プロ野球界をけん引し、日本中を沸かせた「平成の怪物」。最後は仲間の手で胴上げを促されると、5度宙を舞い送り出された。【栗田成芳】 ◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身。横浜で98年甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で西武入団。1年目の99年に16勝で新人王に輝き、同年から3年連続最多勝。07年にレッドソックス移籍。インディアンス、メッツを経て15年ソフトバンク入団。18年中日に移籍し、20年に西武復帰。主な表彰は最優秀防御率2度、最多奪三振4度、01年沢村賞、18年カムバック賞。00年シドニー五輪、04年アテネ五輪、06、09年WBC日本代表。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。

◆さらば平成の怪物、ありがとう松坂。西武松坂大輔投手(41)が引退試合に臨み、最後は四球を与えて終わった。日本ハム戦に慣れ親しんだ背番号「18」で先発。横浜高の後輩・近藤に5球投じ、最速118キロだった。右手のしびれと闘いながら懸命に腕を振り、マウンド上からファンに最後の雄姿を披露。試合前に行われた引退会見では涙も見せた。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。 別れを告げるため、松坂がマウンドに帰ってきた。18番のユニホームでマウンドに立ち、変わらぬワインドアップから投げ込んだ。初球、高めに外れ、2球目は外角低めのストライクが決まった。いずれも球速118キロの直球。2球続けて高めに抜け、カウント3-1から最後は近藤のふところへの116キロで四球。「正直、プロのマウンドに立っていい状態ではなかった」。これが今投げられる全力の5球だった。 ずっと投げることが好きだった。しかし、投げたくなかった。「もうこれ以上、だめな姿は見せちゃいけない」。髪の毛やあごひげは白いものが交じる。引退を決定づけた右手や首のしびれはまだ残っている。でも「どうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後全部さらけ出して見てもらおう」。かつての剛速球はない。投げて引退報告するためにマウンドに戻ってきた。 試合前の引退会見。こらえてもこらえても、家族を思うと涙があふれてきた。7月、家族に引退報告するとみんな泣いていた。「僕には分からない感情を、妻や子どもは持ったのかもしれない。あらためて感謝と同時に申し訳なかったという気持ちがありました」。バッシングの矛先が、野球とは無縁の家族に向けられたことは数え切れない。一緒に受け止め、張り裂けそうな感情をグッとこらえたことを思い出すと、止めどなく流れる涙。マウンドでは1人でも、家族とともに戦ってきた証しだった。 球団から来季入閣を打診されたが断った。「家族と過ごす時間を増やしながら、違ったところで。野球界、スポーツ界に恩返しできる形をつくっていけたらいいなと思う」。試合後は涙を流しながらマウンドのプレートに右手を置き、別れの儀式。プロ野球界をけん引し、日本中を沸かせた「平成の怪物」。最後は仲間の手で胴上げを促されると、5度宙を舞い送り出された。【栗田成芳】

◆西武松坂大輔投手(41)が引退試合に臨み、最後は四球を与えて終わった。日本ハム戦に慣れ親しんだ背番号「18」で先発。横浜高の後輩・近藤に5球投じ、最速118キロだった。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。 横浜高の後輩、日本ハム近藤が松坂の最後のボールを目に焼き付けた。栗山監督の粋な計らいもあり、3年ぶりに1番打者でスタメン出場。打席に入る際にはヘルメットを脱いで一礼。1度もスイングせずに四球を選んだ。「松坂さんは小さい頃からずっと追いかけ続けてきた大先輩。こうして引退試合に立ち会えたことだけでも幸せですが、打席に入って対戦できたことは一生の宝物です」と、コメントした。

◆さらば平成の怪物、ありがとう松坂。西武松坂大輔投手(41)が引退試合に臨み、最後は四球を与えて終わった。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。衝撃のデビュー戦を間近で見ていた西武潮崎哲也編成ディレクター(52)が、当時を振り返った。古巣復帰後の苦悩も知る男は、マウンドを去る後輩にねぎらいの言葉を掛けた。鮮烈なデビューを見届け、台の上から跳び起きた。99年4月7日、東京ドームの日本ハム戦。翌日先発予定だった潮崎は、ベンチ裏でマッサージを受けていた。先頭井出への149キロ直球から幕を開けた怪物伝説。井出を見逃し三振、小笠原を投ゴロ、そして片岡を155キロの剛速球で空振り三振に打ち取る姿に、大歓声とは裏腹に一抹の不安を感じた。 「これ、初回から飛ばしすぎたら大輔がもたないなと思って、ひと言いいにいったんだよ。先輩として」。ベンチに顔を出し、18歳の松坂に声を掛けた。「大輔、そのペースじゃ9回もたねえぞ」。ただでさえ緊張感漂うデビュー戦。注目度も怪物級で13球投げ終えた疲労感はその数以上だと察した。しかし、かえってきた言葉も怪物級だった。 「シオさん大丈夫です、力入れて投げたのは最後の1球だけですから」 杞憂(きゆう)に終わり8回5安打9三振のプロ初勝利。「あ、そうなんだって(笑い)。スケールの大きさというか、器の違いを感じさせられたね。なんせ彼が放つオーラとかはプロで何十年もやっているような雰囲気もってたからね」。大勢のマスコミに追い掛けられた春季キャンプは卒業前の高校3年生。初ブルペンでは先輩投手らが鈴なりに見学したという。 デビューから数々の逸話とともにスターへ駆け上がる様を、すぐ近くで見てきた。一方で西武復帰後はリハビリに苦闘する姿を目にした。7月の引退発表数日前、直接連絡を受けた。「よく頑張ったねと言ったんだけどね。本当だったら日米200勝するべき人間。すごいところを知っている人ほどギャップを感じる。けがしてからの大輔の方が、よう頑張ってんなと思っていた。やっぱり有名選手、人気選手ってけがしたり力落ちてきたときって大変だと思うんだよ。批判もでるだろうし、そんな中で最後まで可能性を信じて努力する姿はすごいな、えらいなと感じてたから」。衝撃のデビューから8231日。かつての姿を重ね合わせ、ラスト登板を見届けた。【栗田成芳】

◆やっと、勝利の女神がほほえんでくれた。3年目の日本ハム生田目翼投手(26)が念願のプロ初勝利を挙げた。今季初登板初先発となった西武23回戦(メットライフドーム)で気持ちを前面に出す力投を見せ、6回1安打1失点。通算8試合目の登板で白星を手にした右腕の頑張りもあり、チームは4月1日以来の最下位脱出に成功した。 ウイニングボールを手に、生田目は言った。「野球をやっていて良かったです。やっとチームに貢献できた」。覚悟を持って臨んだ試合だった。「シーズン終盤で、もう戦力外とかも出ている」。社会人からプロに進んで3年目。チームの残り試合も10試合を切っている中での今季初登板初先発。以前なら、ネガティブになって結果も伴わなかったが、この日は違った。「楽しんでやろうと、開き直ってやっていました」。 ピンチもチャンスに変える。そんな思考の転換を昨オフから意識して取り組んできた。1年前は自宅の壁に「ポジティブ」と書いたA4サイズの紙を貼って、メンタル強化の一助とした。「今は、してないですけど...」と、さすがに紙は外したが思考、意識は変わった。「走者が出てもゲッツーチャンス。どこに投げればゲッツーが取れるかなとか、今日も思いながら投げられた」。 2回1死一塁では川越を併殺打。ポジティブ思考が結果につながった。昨季までとは違う成長した姿で、背水の先発登板を飛躍へのスタートに変えることができた。 試合が終わると、栗山監督が後ろから両肩をつかんできた。驚きながら振り返ると、祝福とともに、今後の道しるべになりそうな言葉をもらった。 「普通にやりなさい」。 栗山監督は「もともと、いいボールを持っているんだから。今まで1軍では、ああやってバランスよく投げられなかった」。だから、普通にやりなさい。生田目も、その言葉をしっかり受け取ったはずだ。「やっと監督に(初勝利を)見せられた。なんとか結果で恩返しできたら」。生田目は力強く、前を向いた。【木下大輔】

◆西武・松坂大輔投手(41)が、19日の日本ハム戦(メットライフ)で引退登板に臨み、23年のプロ生活に別れを告げた。横浜高での甲子園春夏連覇、ルーキーイヤーから3年連続の最多勝、レッドソックスでのワールドシリーズ制覇、ワールド・ベースボール・クラシック2大会連続のMVP獲得など輝かしい足跡を残した一方で、2015年の日本球界復帰後は故障に苦しんだ。「平成の怪物」の栄光と苦悩を写真で振り返る。

◆〝平成の怪物〟が笑顔でマウンドを去った。西武・松坂大輔投手(41)が引退登板で23年間のプロ野球人生にピリオドを打った。 日本ハムの先頭打者は母校・横浜高の後輩、近藤。全球ストレートを投げ込んだ。初球は118キロが高めに抜けボール。2球目も118キロ、外角低めでストライクを奪った。3-4球目は高めに抜けカウント3-1。本拠地・メットライフドームに駆け付けたファンから背中を押す拍手に包まれた。 投じた5球目の116キロは内角低めに外れ、四球。これが日米通算170勝の松坂の最後の1球となった。 マウンドに輪ができ、西口投手コーチが出向き、最後は集まった内野陣全員とがっちり握手。輪に入れなかった外野陣に向けてもマウンドから右腕を上げ、感謝を表した。 マウンドからはホーム側の3塁ベンチに直帰すると思われたが一塁側へ。日本ハムベンチ前で深々と頭を下げた。最後は笑顔でファンの声援に応えながら自軍ベンチへ引き返した。本拠地のファンから温かい拍手に包まれた。

◆日米通算170勝を挙げ「平成の怪物」と称されたプロ野球西武の松坂大輔投手(41)が19日、埼玉県所沢市のメットライフドームで行われた日本ハム戦で引退試合に臨み、23年間の現役生活に別れを告げた。プロ入りした時の背番号「18」をつけて先発のマウンドに上がり、神奈川・横浜高の後輩でもある近藤健介外野手に四球を与えて降板。万雷の拍手を送られてベンチに引き揚げた。 ◆巨人・杉内俊哉2軍投手コーチの話 「僕たち同級生を引っ張ってくれて、感謝の気持ちでいっぱい。彼がいたからこそ、レベルアップできた。本当にお疲れさまでした。そして、ありがとう」 ◆巨人・村田修一野手総合コーチの話 「僕らは彼を追い掛けてずっと野球をやってきたし、彼に憧れて野球を始めた子もいっぱいいると思う。どういう形であれ、松坂大輔がすごかったということに変わりはない」

◆日米通算170勝を挙げ「平成の怪物」と称されたプロ野球西武の松坂大輔投手(41)が19日、埼玉県所沢市のメットライフドームで行われた日本ハム戦で引退試合に臨み、23年間の現役生活に別れを告げた。プロ入りした時の背番号「18」をつけて先発のマウンドに上がり、神奈川・横浜高の後輩でもある近藤健介外野手に四球を与えて降板。万雷の拍手を送られてベンチに引き揚げた。 日本ハムの近藤が神奈川・横浜高OBとして松坂の現役生活最後の対戦相手になった。「松坂さんは小さい頃からずっと追い掛け続けてきた大先輩。こうして引退試合に立ち会えたことだけでも幸せだが、打席に入って対戦できたことは一生の宝物」と感激の様子だった。 結果は四球だった。「これまで野球界を先頭で引っ張ってこられた偉大な先輩に、少しでも近づけるように精進していく」と表情を引き締めた。

◆日本ハム・栗山英樹監督(60)は西武・松坂大輔投手(41)の引退試合で、母校・横浜高の13学年下の後輩となる近藤健介外野手(28)を「1番・指名打者」で起用した。松坂は全5球に直球を選択。結果は四球だった。 〝平成の怪物〟の現役最後の対戦打者となった後輩の近藤は「松坂さんは小さい頃からずっと追いかけ続けてきた大先輩。こうして引退試合に立ち会えたことだけでも幸せですが、打席に入って対戦できたことは一生の宝物です」と目を輝かせて打席を振り返った。また「これまで野球界を先頭で引っ張ってこられた偉大な先輩に、少しでも近づけるように精進していきます」と力を込めた。

◆引退登板した西武・松坂大輔投手(41)の名前の由来となった日本ハム・荒木大輔投手コーチ(57)が、一塁側ベンチから最後の雄姿を見届けた。 松坂は母校・横浜高の後輩、近藤に5球全て直球を投じた。結果は惜しくも四球に終わった。荒木コーチは「他の選手の何倍も投げてきて本当にやり切ったと思います。最後まで彼らしい姿を見ることができてうれしかった。一緒にライオンズのユニホームを着ていた頃は、ホームが一塁側ベンチで同じ光景だったので懐かしい感じがしました」とねぎらった。

◆日本ハムの野村が7日以来の一発となる6号3ランを放った。1―1の五回無死一、二塁で高橋のカットボールを左翼席に運んだ。一、三回は飛球で打ち取られていただけに「やり返すことができて良かった」とうなずいた。 長打力が魅力で、後半戦に入って中軸に定着した。前日18日の楽天戦でも4番で先発出場し、2安打1打点をマーク。才能を開花させつつある3年目のスラッガーは「(プロの球に)少しずつ対応できてきているのかなと思う」と成長を実感した。

◆西武・松坂大輔投手(41)が現役最後に選んだ登場曲は親交のあるEXILEの「real world」という曲だった。 松坂が同曲を初めて使用したのは、レッドソックス1年目の2007年10月21日、インディアンスとのア・リーグ優勝決定シリーズの第7戦。本拠地、フェンウェイ・パークでの先発登板のときだった。 イ軍と3勝3敗で勝ったチームがワールドシリーズ(WS)に進出、負けたら終戦という大一番。試合前の練習で同曲を聞いていた松坂は「〝これだ!〟と思った。歌詞が今の僕の境遇ににていたんです」と感じたという。崖っぷちの境遇と同曲の「結果を出さなけりゃ そこでなにもかも終わる」という歌詞に共感した。 同曲に送り出されてマウンドに上がった松坂は、5回を2失点で勝利投手となり、レ軍のWS進出に貢献した。日本球界復帰後も「real world」を使用する機会は多く、この日の最後のマウンドでも思い入れのある曲を使用した。

◆日本ハムが3連勝で5位に浮上した。1―1の五回に野村の3ランで勝ち越し、九回に万波の2ランで加点した。今季初登板の生田目が6回1安打1失点でプロ初勝利。西武は日本ハム戦の負け越しが決まり、最下位に転落した。

◆西武・松坂大輔投手(41)の引退試合は試合後も熱気にあふれた。松坂は三塁側ベンチからグラウンドに姿を見せ、両手を上げ、ファンの声援に応えながら場内を1周した。 一塁側ベンチ前では母校・横浜高出身の近藤、高浜、浅間、万波が待機。松坂はあいさつを交わし、後輩らとがっちり握手を交わした。その後は23年間のプロ野球人生のすべてが詰まったマウンドへ。感極まり、我慢していた涙があふれ出した。片膝を付き、利き腕の右手でプレート上の砂をはけ、深々と頭を下げた。 西武の辻監督らスタッフ、選手全員と握手し、最後は再びマウンドに向かいナインから胴上げされた。日本ハムからも前西武の木村、近藤、高浜、浅間、万波の5選手も加わり計5回、宙を舞った。

◆日本ハムの生田目が今季初登板でプロ初勝利を飾った。150キロ前後の直球を軸に6回1安打1失点の堂々たる投球。3年目で手にした白星に「すごいうれしい。野球をやっていて良かった」と満面の笑みを浮かべた。 四回に招いたこの試合唯一のピンチ。犠飛で1点を失ったが、2死一、三塁で川越を見逃し三振に仕留めた。イースタン・リーグの最優秀防御率を獲得するなど2軍で地道につけてきた力を発揮した。 茨城・水戸工高から流通経大と日本通運を経て2019年にドラフト3位で入団。栗山監督からは「おまえはこんなもんじゃない」と常に言われてきたという。退任が決まっている監督に成長した姿を見せ「何とか結果でお返しできたかな」と話した。

◆西武は松坂の引退試合を白星で飾れず完敗した。今季の日本ハム戦の負け越しが決定し、最下位に転落。前後期制だった1979年以来となる年間最低勝率が現実味を帯びてきた。辻監督は「今の現状と受け止めるしかない」と言葉を絞り出した。 打線はつながりを欠いて日本ハムの生田目にプロ初勝利を献上した。辻監督は「たしかに的は絞りづらかったのはあるけど。若い選手がもっとしつこく粘らないと。この打線でやっているわけなので」と嘆いた。

◆西武・松坂大輔投手(41)が引退試合に先発し、打者1人に対し5球を投げ四球で終わった。以下、松坂の主な一問一答。 --投げ終えて 「本来ならマウンドに立つ資格がないというか、立てるような状態ではなかったんですけど。これまで応援してくれた方々に対して、感謝の思いを込めて投げることと、きょうのこの機会を持って自分自身へのけじめをつけたいと思いながらマウンドに立ちました」 ――結果は四球 「正直、(試合前の)ブルペンから投げていてもストライクが入るかどうか心配だったので、せめてもの、あの1球のストライク(2球目)というのは、最後の最後で野球の神様が取らせてくれたのかなと今思っています」 ――登板前にすっきりしたいと言っていたが 「こういう状態だって、自分ではもちろん分かっていましたけれど。最後に投げさせてもらって改めて、だからやめるんだよなって、すっきりさせることができました」 ――(自分の状態をを)さらけ出したいと 「なかにはまだ投げてほしいとか、言ってくれる方々もいたんですけど。もうその声には応えられないというのを、改めて投げることで報告できたのかなと思っています」 ――ファンの存在 「本当にいいときも悪いときも、たくさんの方に支えてもらって、これだけやらせてもらったと思っているので、改めて感謝していますと皆さんに伝えたいです」 ――場内1周後に涙 「やっぱりもう最後だなって思いですね。その思いと、今までありがとうございましたと。たくさんの球場、ピッチャーズマウンドで投げてきましたけど。メットライフドームだけじゃなくて、これまで投げてきたピッチャーズマウンドに対して、ありがとうございましたという思いを伝えさせてもらいました」

◆西武は松坂大輔投手(41)の引退試合を勝利で飾りたかったが、日本ハムに完敗し、今季初の最下位に転落した。 引退登板の松坂が先発し、一回途中から2番手は十亀。二回からは3番手にエース・高橋が登板したが、五回に野村に3ランを浴びるなど4回を投げ4失点で9敗目を喫した。逆転したい打線は八回に山川が右越えに22号ソロを放つも追い上げはここまで。 2連敗で最下位に転落した。辻監督は「松坂の引退試合ということで、とにかく勝ちにいったけど負けたね」と唇をかんだ。このままシーズン最下位に終わると、1979年以来、42年ぶりになる。

◆今季限りで現役を引退する西武・松坂大輔投手(41)が19日、日本ハム23回戦(メットライフ)に先発し、23年間のプロ野球生活に終止符をうった。横浜高の後輩、近藤健介外野手(28)に対して5球を投じ、最後は116キロの直球で四球だった。1999年に横浜高からドラフト1位で入団し、数々の伝説を残してきた「平成の怪物」は拍手に包まれながら、笑顔でマウンドを降りた。 近藤に四球を与えた松坂は、西口投手コーチに交代を告げられると表情を崩した(撮影・尾崎修二) 最後は116キロの直球だった。剛速球で相手打線を制圧してきた松坂大輔の精いっぱいの投球。プロ入り時の背番号18をつけて先発し、逃げることなく〝今〟をさらけ出した。 「本来ならマウンドに立てるような状態ではなかった。これまで応援してくれた方々に感謝の思いを込めて投げることと、この機会を持って自分自身へのけじめをつけたいと思いながらマウンドに立ちました」 中日時代の2019年7月27日以来の公式戦。体を小刻みに揺らすおなじみのワインドアップから、こだわり続けた直球を近藤に5球投じた。結果は四球。最速は118キロ。それでも全てを出し切り「あの1球のストライク(2球目)は最後の最後で野球の神様が取らせてくれたのかなと思います」とほほ笑んだ。 横浜高時代の1998年に甲子園大会で春夏連覇を成し遂げた。翌99年から28歳シーズンの2008年までに日米通算141勝。〝平成の怪物〟の異名にふさわしい活躍だった。しかし...。「足を滑らせて右肩を痛めてしまい、フォームが大きく変わり始めたのは(レッドソックス時代の)09年。そのときには自分が追い求めるボールは投げられていなかった」。09年以降に2桁勝利は一度もなく、西武に復帰した昨年春からは首痛と右手のしびれに悩まされた。昨年7月に頸椎の手術を受けたが、今年4月下旬のブルペン投球で「何の前触れもなく、右打者の頭の方にボールが抜けた。とんでもない抜け方だった」と告白。「そのたった1球で、投げることが怖くなった」と明かした。その後も改善せずに「辞めなければいけない」と引退を決断。7月7日に発表した。15年の日本球界復帰後は戦列を離れる期間が長く、心ない声が嫌でも耳に入った。「批判を力に変えて、はね返してやろうとやってきた。最後はそれに耐えられなかった。心が折れた。投げ返す力はなかった」と苦しい胸の内を吐露した。それでも高卒1年目から3年連続で最多勝、ワールド・ベースボール・クラシックでの2大会連続世界一&MVPなど、輝かしい戦歴は決して色あせない。「僕みたいに一番いい思いと、どん底も同じぐらい経験した選手はいないかもしれない」と苦笑した。試合終了後はファンの拍手に包まれながらグラウンドを一周。マウンドで片膝をつき、右手でプレートに触れると涙がこみ上げた。「これまで投げてきたピッチャーズマウンドに対して、ありがとうございましたという思いを伝えさせてもらいました」。最後は西武ナインと日本ハムの横浜高出身の選手らに胴上げされて5度、宙を舞った。「野球が好きなまま終われますね」横浜高時代の仲間には「ボールを置きます」とメッセージを送った。日米通算377試合。野球小僧が背負い続けた〝重い荷物〟を下ろした。(湯浅大)

DAZN

<パ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(1↑)
ORIX
685418 0.557
(↑0.003)
-
(-)
3542
(+6)
493
(+3)
131
(+1)
47
(+2)
0.249
(-)
3.340
(↑0.01)
2
(1↓)
ロッテ
655319 0.551
(↓0.005)
0
(-)
6566
(-)
538
(+6)
121
(-)
104
(-)
0.241
(↓0.001)
3.680
(↓0.01)
3
(-)
楽天
636015 0.512
(↓0.004)
4.5
(-)
5515
(+3)
493
(+6)
106
(+2)
45
(-)
0.245
(-)
3.430
(↓0.02)
4
(-)
ソフトバンク
586120 0.487
(↑0.004)
7.5
(↑1)
4540
(+6)
474
(-)
125
(+1)
88
(+1)
0.245
(-)
3.250
(↑0.02)
5
(1↑)
日本ハム
526519 0.444
(↑0.004)
12.5
(↑1)
7431
(+6)
496
(+2)
73
(+2)
72
(+1)
0.231
(-)
3.360
(↑0.01)
6
(1↓)
西武
546818 0.443
(↓0.003)
13
(-)
3512
(+2)
580
(+6)
109
(+1)
84
(-)
0.240
(↓0.001)
3.970
(↓0.01)