ヤクルト(☆5対1★)広島 =リーグ戦18回戦(2021.09.19)・明治神宮野球場=
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広島
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ヤクルト
30010001X51102
勝利投手:原 樹理(2勝1敗0S)
敗戦投手:高橋 昂也(3勝6敗0S)

本塁打
【ヤクルト】青木 宣親(5号・1回裏2ラン),村上 宗隆(35号・1回裏ソロ)

  DAZN
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◆ヤクルトは初回、青木の2ランと村上の通算100号となるソロで3点を挙げ、先制に成功する。そのまま迎えた4回裏には、1死三塁の好機から塩見が適時打を放ち、リードを広げた。投げては、先発・原が6回1失点の好投で今季2勝目。敗れた広島は、打線が相手を上回る12安打を放つも、1得点とつながりを欠いた。

◆今季の広島鈴木誠也外野手(27)はヤクルト戦15試合で49打数21安打、7本塁打、12打点、打率4割2分9厘を残し、このカードは現在3試合連続で本塁打を記録中。 今日も得意相手から1発を放ち、18年以来2度目の30本塁打到達なるか。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が、通算100号を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、史上最年少記録となった。 村上は、地震で被災した地元・熊本に寄付を続けている。100本塁打の節目に、熊本県民を代表して、くまモンが感謝とエールを寄せた。ムネさん、おめでとうございますだモン☆ むぎゅカプしてお祝いしたいモン! ムネさんは、19年12月に新人王の報告にきてくまさったモン! ボクよりも大きな体にびっくま! 山のように大きくて武者ンよかったモン! オリンピック決勝戦でのホームラン☆ ボクからの応援ツイートにも応えてもろて感動したモン! ムネさんの笑顔からうれしさや楽しさがあふれていて、こっちまでジーンときたモン! 熊本さん帰ってきたら、キャッチボールやトレーニングをして一緒に乳酸ためたかモン。ボクからはくまモンスクエアにある営業部長室を案内したかモン! ボクの部屋にムネさんのサインば飾らせてくまさい☆ お姫さま抱っこもしてはいよ~! いつも熊本のことば想ってくまさってうれしかモン☆ ムネさんのあたたかい気持ち、前を向く力になっているモン! 熊本のヒーロー、こどもたちのあこがれの的だモン! これからも熊本から世界へフルスイング! だモーン!!  ◆村上の支援活動 20年からペナントレースで本塁打を放つごとに、16年の熊本地震で被災した熊本城の復旧支援金を寄付している。出身チームの熊本東シニアにはユニホームを進呈。母校の九州学院には、今夏の大会前に、部員全員にスパイクを贈った。今季開幕前には「熊本市親善大使」に就任。復興支援と、東京五輪金メダル獲得の功績をたたえられ、熊本県から「くまもと夢づくり賞」を受賞することも決まり、オフに贈呈式が行われる予定。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が、通算100号を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、史上最年少記録。高卒4年目での100本塁打到達の背景には、ヤクルトの育成方針があった。将来の主砲としてドラフト1位で入団した金の卵をいかに育てていくか。球団は、のびのびと村上を育てた。入団1年目の18年。短所をつぶすことより、長所を伸ばす方針を推し進めた。当時2軍打撃コーチだった松元打撃コーチは「三振のことは僕らは一切言わなかった。フルスイング。持ち味を伸ばすことを常に意識した」と振り返る。この年は、2軍戦98試合で17本塁打を放った一方で84三振。それでも、失敗を恐れずにバットを思い切り振れる環境を整えた。2年目は1軍でリーグ最多の184三振。どれだけ三振をしても起用し続け、全143試合に出場した。 球団の方針に応え、村上は侍ジャパンの一員として、東京五輪に出場するまでに成長した。同コーチは体作りや青木、山田ら先輩とともに練習に励む姿を優しく見守る。「体の強さがあって、練習は常に全力でやっていたことが数字につながっているのかなと思います」。若き主砲への期待と信頼を寄せると同時に心配事? もある。「まあまあ食べるので。そこそこおなかいっぱいになるまで。正直大丈夫かなって」。食欲旺盛は元気の証しだが...。これから試合、というタイミングで、米や麺類などの炭水化物を大量にとる姿に、苦笑いを浮かべた。【湯本勝大】

◆歴史に名を刻んだ。ヤクルト村上宗隆内野手(21)が、1回1死走者なし、右翼席へ本塁打を放って通算100号を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、史上最年少記録となった。 広島高橋昂の肩口から甘く入ってきたカットボールを完璧に捉えた。打った瞬間にスタンドインを確信できた豪快な当たり。区切りの記録に到達した村上は「打ったのはカットボールです。青木さんがホームランを打ったので勢いに乗って打った感じです。ここ数試合、少し意識していたかもしれませんが打つことができてすごくくうれしいです。ありがとうございます」とコメントした。 「優勝チームの4番になりたい」と意気込んで臨む今季。リーグ2位の本塁打と打点で、チームを引っ張り、優勝戦線に食らいついている。この日も「今はタイトルより優勝したい気持ちが強い。個人の目標は気にしていない」という勝利のための一振りで、100本目のアーチを描いた。 プロ1号はルーキーイヤーの18年9月16日の広島戦。岡田明丈投手から「プロ初打席初安打初本塁打」となる2ランを放った。第1歩から丸3年で、大台に到達した。 ▼村上が19日の広島18回戦(神宮)の1回、高橋昂から今季35号を放ってプロ野球303人目の通算100本塁打を達成した。初本塁打は18年9月16日の広島22回戦(神宮)で岡田から。21歳7カ月で達成は89年清原(西武)の21歳9カ月を抜く最年少記録。50号は清原20歳0カ月、村上20歳7カ月と、清原の記録に及ばなかったものの、100号で逆転した。また、出場379試合で到達は日本人選手では4位のスピード記録で、スピード10傑入りしている左打者は村上だけ。97年松井(巨人)02年松中(ダイエー)の468試合を抜く、日本人左打者の最速100号も記録した。 ▼今季の村上は35本塁打、92打点。シーズン40本塁打の最年少記録は63年王(巨人)85年秋山(西武)の23歳、100打点は18年岡本(巨人)の22歳。通算100本塁打の次は、シーズン40本塁打と100打点の最年少記録を狙う。 ▽ヤクルト杉村打撃コーチ 1年間ファームでじっくり育てるんだという球団の方針が一番よかったんじゃないか。とにかくバットを振るし、練習で気を抜かない。(2年目は1軍で36本塁打も)本当に苦労したよ、あいつ。シーズン中に怒られて泣いたこともあった。まさか、あの清原を抜くとは...とんでもないことだよね。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が歴史に名を刻んだ。広島18回戦(神宮)の初回に右翼席へ今季35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録を更新。希代の若き4番が、逆転優勝へチームを加速させるメモリアルアーチを本拠地で描いた。雲1つない夕焼けの神宮の空へ、村上らしいきれいな放物線を描いた。青木の先制2ラン直後の1回1死。広島高橋昂の134キロの変化球を捉えた。打った瞬間に確信。21歳の4番は、ゆっくりと歩き出した。史上最年少の通算100本塁打達成。「両親が見にきていた。僕が打たないと帰らないかなと思ったので、打ててよかった」。節目を見たいと両親が前カードから上京。チケットを手配した孝行息子は、記念パネルを掲げて両親や本拠地のファンへ頭を下げた。東京五輪で一緒に金メダルを勝ち取った広島鈴木誠も拍手を送った。 14日阪神戦(神宮)で節目に王手をかけて4試合目で決めた。2ボールから試合の最初の一振りで仕留める集中力はさすがだった。「周りがあおるので」と記録へのプレッシャーはあったが、「いつか出るだろうと思っていました」。思い出のアーチは1099日前のプロ初アーチ。「神宮で、ヤクルトファンの前で打てたことはうれしい。始まりも、この球場だったので」と少し感慨に浸った若き4番が、ただひたすら目指すのは「勝てるように、優勝できるように」。大目標へ向けて、まだまだアーチを積み重ねる。【木下大輔】 ▼村上が19日の広島18回戦(神宮)の1回、高橋昂から今季35号を放ってプロ野球303人目の通算100本塁打を達成した。初本塁打は18年9月16日の広島22回戦(神宮)で岡田から。21歳7カ月で達成は89年清原(西武)の21歳9カ月を抜く最年少記録。50号は清原20歳0カ月、村上20歳7カ月と、清原の記録に及ばなかったものの、100号で逆転した。また、出場379試合で到達は日本人選手では4位のスピード記録で、スピード10傑入りしている左打者は村上だけ。97年松井(巨人)02年松中(ダイエー)の468試合を抜く、日本人左打者の最速100号も記録した。 ▼今季の村上は35本塁打、92打点。シーズン40本塁打の最年少記録は63年王(巨人)85年秋山(西武)の23歳、100打点は18年岡本(巨人)の22歳。通算100本塁打の次は、シーズン40本塁打と100打点の最年少記録を狙う。 ▽ヤクルト高津監督 入ってきた時からずっと見ていますけど、決して不思議じゃなく、まだまだ本当に通過点。こちらも辛抱して絶対に4番に育てなきゃいけないという思いで、ここまでやってきた。それは、今までもこれからも変わらないところ。彼も本当の4番に成長していかなきゃいけないし、(首脳陣も)本当の4番に成長させなきゃいけない。

◆広島野間峻祥外野手(28)が、何らかのアクシデントがあった影響で、5回表終了後に交代となった。ヤクルト18回戦に「1番中堅」で先発。4点を追う5回無死二塁の第3打席で、カウント1-2からの4球目、内角直球をファウルにした際に下半身付近を痛めた模様で、1度トレーナーが出てきてベンチに下がった。 治療を受け再びグラウンドに戻り、中前への適時打をマーク。直後に小園の一ゴロで一、二塁間でタッチアウトとなった。その裏の守備で交代が告げられ、長野久義外野手(36)が中堅の守備についた。 ? ◆途中交代 広島野間峻祥外野手(28)が、ヤクルト18回戦(神宮)の5回の打席で起きたアクシデントにより、5回守備から交代。球団は「下半身のコンディション不良」と発表。

◆ヤクルト青木宣親外野手(39)が村上宗隆内野手(21)のメモリアルアーチを誘発する1発を放った。 1回無死一塁で134キロのカットボールを捉えて右翼席へ先制5号2ラン。「(一塁走者の)塩見を次の塁に進めることを優先して打席に入りました。最高の結果になってくれました」と笑顔。直後にリプレーのように同じ球種、球速のボールを捉えて通算100号を放った後輩の"お手本"にもなった最高の放物線だった。

◆ヤクルトは1回、青木の5号2ランで先制。さらに村上が通算100号となる35号ソロを放って、3点を先行した。 ヤクルトは4回に塩見の適時打で4点目。先発の原は5回に広島野間に適時打を許したが、6回1失点と好投した。 7回から継投で逃げ切ったヤクルトが1分けを挟んで3連勝。原が2勝目。広島は自力でのCS進出の可能性が消滅した。

◆広島野間峻祥外野手(28)が19日、ヤクルト18回戦(神宮)の5回の打席で起きたアクシデントにより、5回守備から交代した。 4点を追う5回無死二塁の第3打席で、4球目の内角直球をファウルにした際に、トレーナーに連れられベンチへ。治療を受け再びグラウンドに戻り、中前への適時打を放った。その後プレーを続けるも、その裏の守備で交代が告げられた。佐々岡監督は「下半身のコンディション不良ということで。たいしたことはないと思うけど、明日以降は様子を見て」と説明した。

◆歴史に名を刻んだ。ヤクルト村上宗隆内野手(21)が、1回1死、右翼席へ今季35号ソロ本塁打を放って通算100号を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、史上最年少記録となった。試合後のヒーローインタビューと一問一答は以下の通り。★ヒーローインタビュー -今の気持ちは? 打ててうれしかったですし、勝ててうれしいです。 -通算100号を打った瞬間の手応えは? 思い切りスイングしにいったので、なんとか入ってくれと思って見ていました。 -868本塁打を放った王貞治氏よりも速い、史上最年少の100号到達。次の目標は? 本当にまだまだそこに肩を並べられるほど実績もありませんし、まだまだ若いので、もっともっと上を目指してがんばりたいなと思います。 -今、首位阪神が負けている。このままいけば1・5差。首位追撃へ 本当に厳しい試合がたくさんありますけど、なんとか1つ1つ目の前の試合を、1試合1試合勝ちたいと思って毎日挑んでいます。なんとか本当に勝てるように、優勝できるように頑張ります。応援よろしくお願いします。 ? ★一問一答 -今の心境は まず勝てたことにホッとしています。 -100号打った瞬間の気持ちは なんとか早く打ちたいなと思っていたので、早く打てて良かったです。 -意識はあったのか あまりそんなに意識はなかったですが、両親が見にきていたので、僕が打たないと帰らないかなと思ったので打てて良かったです。 -両親には何と伝えたい? あまり伝えたいことはないですけど...(笑い)。打てて良かったです。 -清原さんの最年少記録を超えた すごくうれしいことですし、でも本当にまだまだ通過点。これからもっと上を目指して頑張りたいと思います。 -ホームランが打てる要因は? 人よりもパワーはあるかなと思っています。 -思い出に残る本塁打は? やっぱり1打席目のホームランが自分のなかでも一番印象に残っている。あそこがスタートだったので、1本目というのは覚えています。 -村上選手にとってホームランとは? 一振りで試合を動かせますし、大量点も取れますし、打てるならたくさん打ってチームに貢献したいと思っている。本当にホームランを打ちたいと思います。 -チームの4番として、今後の意気込みを チームが勝てるようにチャンスでたくさん打ちたいと思いますし、上に食らい付いて優勝を目指してがんばります。 -コーチ陣は下半身で打てることが本塁打につながると言っているが 下半身で打つというのが打撃の基本ですし、できない打席もまだまだたくさんあるのでもっと頑張ります。 -プロ入り後、練習方法としてよかったものは? いや、今までプロに入って1年目は2軍でやりましたし、そこで携わってくれた監督コーチがたくさん教えてくださったので、全てが今に生きていると思います。 -両親はいつから上京していた? 東京ドームからです。(招待した?)チケットを普通に、お母さんたちが来たいと言っていたのでチケットを出しました。たまたま土日だったので、打てて良かったです。 -ホームランの魅力を感じた思い出はあるか ないですね。でもやっぱりベースを1周回っている時はすごく気持ちいいですし、最高です。 -熊本城への寄付もしている。地元熊本への思いは? 寄付だけじゃなく、こうやってたくさんの方が応援してくださる中で結果を残すことで勇気も与えられると思いますし、僕はそういうところで元気を与えたいと思っているので、そこがすごくまだまだですけど、今のところはいい感じなのかなと思います。 -少し意識していたとは、どういう心境だったのか? 周りがあおるので。まあ、そうですね。僕自身そんなに意識はなかったですけどいつか出るだろうと思っていました。 -向上心の源は? まだまだなので。もっともっとうまくならないといけないなと思います。 -チームメートからは何を言われていた? 皆さんは、おめでとうと。 -神宮で打てたことは? たくさん応援してくださる神宮出ヤクルトファンの前で打てたことはうれしいですし、始まりもこの球場だったので節目節目はなにか縁があるのかなと思います。 -神宮が力をくれている感覚は たくさん声援も聞こえていますし、そういったところではすごく感じています。 -次の目標は 100号を目標にしていたわけじゃないですけど、目標はまだまだもっと上にありますし、チームが勝てるように頑張りたいと思います。 -なぜ、ホームランを打てる? パワーがあるからです。パワーがないとまず打てませんしね。パワーです。

◆広島の自力CS進出が消滅した。投打に精彩を欠き、敵地のヤクルト戦に敗れた。 先発高橋昂が立ち上がりに2被弾するなど4回4失点。打線はヤクルトを上回る12安打を放ちながらも、1得点に終わった。連敗で、借金は今季ワーストタイ16に膨らんだ。16年から昨年まで5年連続で勝ち越していたヤクルトには今季、5勝11敗2分けと大きく負け越している。立ち上がりの3点ビハインドから、最後まで重い空気を振り払えぬまま、広島はゲームセットを迎えた。佐々岡監督は立ち上がり2被弾の高橋昂を4回で見切り、3点を追う7回無死一塁では代打1番手の松山を起用。何とか流れを変えようとするも、変わらない。代打策はハマらず、踏ん張っていた中継ぎ陣もバードが8回に手痛い失点を喫した。連敗で借金は今季ワーストタイ16に膨らみ、自力CSの可能性が消滅した。 佐々岡監督 1戦1戦、自分たちの野球をするしかない。応援してくれるファンもいるので、勝ちというものを(見せるために)明日からもやるだけです。 神宮の夜に秋風が吹く中、指揮官は自らを鼓舞するように言葉を絞り出した。ヤクルトを上回る2桁12安打を放ちながら、わずか1得点に終わった。1回の3失点で策を講じにくい展開にはなった。ただ、それでもまだ攻撃は8イニング残されていた。佐々岡監督は「相手は長打、本塁打で得点が入る。その差だと思う」と一発長打に欠ける攻撃を嘆いた。 ただ、昨季から続く得点力不足改善に、長打力アップを掲げていたわけではない。河田ヘッドコーチを迎え、機動力再建や無安打でも得点できる攻撃に取り組んできたはず。シーズンに入っても、大砲クロンを外し、若手を積極起用してつなぎの打線にシフトした。チーム打率2割6分はリーグトップも、総得点は同5位。機動力が機能しているとはいえず、選手個々の打力に委ねた攻撃では、得点力不足を解消できない。 16年から昨年まで5年連続で勝ち越していたヤクルトに今季は大きく負け越す。昨季までヤクルトに在籍していた河田ヘッドコーチは「力が上がっている」と敵の成長を認める。Aクラスの背中が遠くなった広島も、成長の歩みは止めてはいけない。佐々岡監督は「うちは1戦1戦、戦っていくしかない」と繰り返す。目先の結果だけではなく、その先につなげていくことも、チームとして求められる。【前原淳】

◆広島坂倉将吾捕手が27打席ぶりにヒットを放った。 「5番一塁」で先発。2回に見逃し三振、3回のチャンスで凡退し迎えた6回先頭の第3打席で、追い込まれてからヤクルト原のカーブを右前へ運んだ。「チームに迷惑をかけていたので、1本出たことはよかった」。規定打席に到達した7日に打率3割3分2厘で首位打者に浮上していたが、2安打を放った9日の中日戦を最後に6試合無安打と苦戦していた。4打数1安打で打率は3割3厘となった。

◆広島先発の高橋昂也投手が4回7安打4失点と乱れ、6敗目を喫した。 この日の初球で塩見に死球を与え、続く青木に右越えの先制2ランを被弾。さらに1死から村上にも右越え1発を浴び、史上最年少100号を献上。初回の3失点に「(2被弾は)変化球が曲がりきらなかった」と反省した。佐々岡監督は「あの(塩見への)死球の影響があるのであれば、なかなか1軍では勝てない」と厳しく指摘した。

◆ヤクルトは投打がかみ合って1分けを挟んで3連勝を飾った。 初回に青木宣親外野手(39)と村上宗隆内野手(21)の本塁打で3点先行するなど打線は2試合連続で毎回安打のプロ野球タイ記録と勝負どころで活発さが増している。高津臣吾監督(52)は「スワローズらしいつながりのある嫌らしい攻撃ができている」と手応えを示し、敗れた首位阪神に1・5差と迫った。 ▽ヤクルト原(6回1失点で2勝目) どんな状況になっても、とにかく粘ろうという気持ちで投げていきました。 ▼ヤクルトが18日巨人戦から2試合続けて毎回安打。2試合連続毎回安打は、14年阪神が7月6日DeNA戦、8日広島戦でマークして以来、19度目のプロ野球タイ記録。ヤクルトでは80年の6月15日中日戦、17日大洋戦、92年の6月25日中日戦、27日広島戦、05年の8月5、6日巨人戦に次いで4度目。通算4度は阪神に並ぶ最多タイ。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が歴史に名を刻んだ。広島18回戦(神宮)の初回に右翼席へ今季35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録を更新。希代の若き4番が、逆転優勝へチームを加速させるメモリアルアーチを本拠地で描いた。かち割った瓦が、突き破った屋根が、最年少記録の"出発点"だった。記念のアーチは右翼への大飛球だったが、100本塁打のうち、逆方向の左翼越えが35本。逆方向が代名詞だった清原氏の30本(100本到達時)を上回る。原点は熊本東シニア時代。グラウンドには85メートルの右翼先に、高さ13メートルほどの防球ネットが張ってあった。村上の打球はそれを飛び越え、近隣民家の屋根を壊すことがしばしば発生。吉本幸夫監督(65)から、安全面を懸念して「逆方向に打て」と指示が出た。 引っ張り禁止。ならばと左方向へかっ飛ばす練習を黙々と繰り返した。コンパクトにではなく、遊撃手のはるか上へ向かって、左中間に飛ばす。フルスイングは絶対に崩さなかった。 卒団後の中3の秋以降も、毎週グラウンドに向かい、とにかく振り込んだ。下級生が練習をする傍らで、1人黙々とマシン相手に打撃練習。球速に物足りなくなると、マシンに近づいて打った。常に全力で振り続け、広角な打撃を磨いていった。九州学院進学後も、そのスタイルを貫いて、研さんを積んだ。恩師の坂井宏安前監督(64)から「右手が柔らかい。右手の使い方や、肘の使い方は天性のものがある」と評された利き手のバットコントロールで、フルスイングでのミート力も向上。引っ張るだけではない。逆方向へのアーチが村上の"個性"になった。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が歴史に名を刻んだ。広島18回戦(神宮)の初回に右翼席へ今季35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録を更新。希代の若き4番が、逆転優勝へチームを加速させるメモリアルアーチを本拠地で描いた。負けん気も、100本の土台だった。村上は3人兄弟の次男。同じく野球をやっていた2歳上の兄・友幸さん(現テイ・エステック投手)の背中を追いかけながら、「負けず嫌い」が育まれていった。中学1年の熊本東シニア時代。兄が投げる試合で、村上が二塁守備でエラーした。「お兄ちゃんごめん」と謝るも、兄に怒られ、目に涙を浮かべて悔しがった。たとえ年上でも、グラウンドでは絶対に負けたくない。マウンドで懸命に投げる兄へ申し訳なさとともに、対抗心もあったのかもしれない。吉本監督は「次男特有の負けず嫌いなところがあって。あのころから絶対人には負けないというのを持っていたみたい」と振り返る。プロになった今も、打席で、ベンチで悔しさをあらわにする姿がある。「悔しか。負けん」の精神で、これからもアーチを重ねていくはずだ。【湯本勝大】

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が19日の広島18回戦(神宮)の1回、高橋昂から今季35号を放ってプロ野球303人目の通算100本塁打を達成した。 初本塁打は18年9月16日の広島22回戦(神宮)で岡田から。21歳7カ月で達成は89年清原(西武)の21歳9カ月を抜く最年少記録。50号は清原20歳0カ月、村上20歳7カ月と、清原の記録に及ばなかったものの、100号で逆転した。また、出場379試合で到達は日本人選手では4位のスピード記録で、スピード10傑入りしている左打者は村上だけ。97年松井(巨人)02年松中(ダイエー)の468試合を抜く、日本人左打者の最速100号も記録した。 ▼今季の村上は35本塁打、92打点。シーズン40本塁打の最年少記録は63年王(巨人)85年秋山(西武)の23歳、100打点は18年岡本(巨人)の22歳。通算100本塁打の次は、シーズン40本塁打と100打点の最年少記録を狙う。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が初回に右翼席へ今季35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。高卒4年目での節目の100号到達。村上の最年少記録更新の背景には、ヤクルトの育成方針があった。将来の主砲としてドラフト1位で入団した金の卵をいかに育てていくか。球団は、のびのびと村上を育てた。入団1年目の18年。短所をつぶすことより、長所を伸ばす方針を推し進めた。当時2軍打撃コーチだった松元打撃コーチは「三振のことは僕らは一切言わなかった。フルスイング。持ち味を伸ばすことを常に意識した」と振り返る。この年は、2軍戦98試合で17本塁打を放った一方で84三振。それでも、失敗を恐れずにバットを思い切り振れる環境を整えた。2年目は1軍でリーグ最多の184三振。どれだけ三振をしても起用し続け、全143試合に出場した。 球団の方針に応え、村上は侍ジャパンの一員として、東京五輪に出場するまでに成長した。同コーチは体作りや青木、山田ら先輩とともに練習に励む姿を優しく見守る。「体の強さがあって、練習は常に全力でやっていたことが数字につながっているのかなと思います」。心配事? もある。「まあまあ食べるので。そこそこおなかいっぱいになるまで。正直大丈夫かなって」。食欲旺盛は元気の証しだが...。これから試合、というタイミングで、米や麺類などの炭水化物を大量にとる姿に、苦笑いを浮かべた。【湯本勝大】

◆ヤクルト村上宗隆内野手(21)が初回に右翼席へ今季35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。村上はプロ野球選手として、地震で被災した地元・熊本に寄付を続けている。故郷を支援するバットマンに、熊本県民を代表して、くまモンが感謝とエールを寄せた。ムネさん、おめでとうございますだモン☆ むぎゅカプしてお祝いしたいモン! ムネさんは、19年12月に新人王の報告にきてくまさったモン! ボクよりも大きな体にびっくま! 山のように大きくて武者ンよかったモン! オリンピック決勝戦でのホームラン☆ ボクからの応援ツイートにも応えてもろて感動したモン! ムネさんの笑顔からうれしさや楽しさがあふれていて、こっちまでジーンときたモン! 熊本さん帰ってきたら、キャッチボールやトレーニングをして一緒に乳酸ためたかモン。ボクからはくまモンスクエアにある営業部長室を案内したかモン! ボクの部屋にムネさんのサインば飾らせてくまさい☆ お姫さま抱っこもしてはいよ~! いつも熊本のことば想ってくまさってうれしかモン☆ ムネさんのあたたかい気持ち、前を向く力になっているモン! 熊本のヒーロー、こどもたちのあこがれの的だモン! これからも熊本から世界へフルスイング! だモーン!! ◆村上の支援活動 20年からペナントレースで本塁打を放つごとに、16年の熊本地震で被災した熊本城の復旧支援金を寄付している。出身チームの熊本東シニアにはユニホームを進呈。母校の九州学院には、今夏の大会前に、部員全員にスパイクを贈った。今季開幕前には「熊本市親善大使」に就任。復興支援と、東京五輪金メダル獲得の功績をたたえられ、熊本県から「くまもと夢づくり賞」を受賞することも決まり、オフに贈呈式が行われる予定。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(21)が、一回の第1打席に左腕・高橋昂から右越え35号ソロを放ち、史上最年少で通算100本塁打に到達した。村上は21歳7カ月。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(21)が2―0の一回1死から35号ソロを放ち、通算100本塁打に到達した。 広島先発・高橋が投じたカットボールをヤクルトファンが待つ右翼席に運んだ。1989年に西武・清原和博が達成した21歳9カ月を抜いて、21歳7カ月での達成。プロ野球最年少記録となった。 「青木さんが本塁打を打ったので勢いに乗って打った感じです。ここ数試合、少し意識していたかもしれませんが、打つことができてすごくうれしいです。ありがとうございます」 村上は球団を通じ、こうコメントした。つば九郎から渡された記録達成のボードを掲げると、三塁側、左翼席の広島ファンからも大きな拍手が送られた。

◆広島・森下暢仁投手(24)が20日のヤクルト戦に中5日で先発する。東京五輪で金メダル獲得に貢献したが、リーグ後半戦は5試合連続白星なしの3連敗と苦しんでおり、「とにかく頑張る。それしかない」とだけ意気込んだ。前回14日の中日戦(バンテリンドーム)は6回8安打、プロ2年目でワーストの6失点。ここまで6勝7敗で黒星が先行しており、立て直しを図る。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(21)が19日、広島18回戦(神宮)の一回に右翼席へ35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での節目到達は、1989年の西武・清原和博(21歳9カ月)を抜くプロ野球史上最年少記録。「肥後のベーブ・ルース」と称された高校時代を経て、球界屈指の長距離打者へと成長を遂げた燕の4番が、歴史の1ページをめくった。試合はヤクルトが5-1で勝った。 ■「意識していた」快挙  球史に「村上宗隆」の名を刻んだ。2―0の一回。村上はインパクトした瞬間、確信に満ちた表情を浮かべた。2ボールから高橋昂の甘く入ったカットボールを振り抜くと、右翼手が一歩も追わないほどの強烈な打球がヤクルトファンの待つ右翼席中段に飛び込んだ。 「ここ数試合、少し意識していたかもしれませんが、打つことができてすごくうれしいです。ありがとうございます」 プロ4年目での通算100号。球団マスコット、つば九郎から記念ボードを受け取り、若き4番打者は満面の笑みを浮かべた。清原超えの最年少記録に、自軍のみならず、広島ナインからも温かな拍手が送られた。 100本を積み上げたアーチには、故郷への恩返しの思いも込められている。2016年4月14日、生まれ育った熊本市が震度7の地震に見舞われた。当時、九州学院高2年だった村上は自転車で下校中。「思い出すのも嫌なくらいの出来事。1カ月間、野球はできなかった。野球どころではなかった」。突き上げるような揺れに、体も心も震えた。 ■熊本城復旧を支援  プロ2年目で全試合に出場し、セ・リーグ新人王を獲得。19年オフに年俸が800万円から4500万円まで増えると、最初に思い立ったのが熊本のことだった。 契約更改後、すぐに本塁打1本ごとに一定額を、被災した熊本城の復旧のために寄付することを公表した。高校時代に登下校で近くを通っていた熊本のシンボルはこの春、ようやく天守閣が復旧した。全ての工事が終わるのは2037年になる予定だ。「熊本の方が少しでも自分を知ってくれて、応援してくれたら、それに応えるのが仕事」と、村上はうなずく。 188センチ、97キロの恵まれた体格に加え、人一倍の練習量、向上心を持って飛躍をつかんだ。まだ21歳。チームのため、故郷のため、飽くなき思いを胸に、これからも価値ある「1本」を積み重ねる。(横山尚杜)

◆打球が右翼席に着弾したのを確認すると大粒の汗をぬぐった。0─2の一回1死走者なし。広島・高橋昂也投手(22)が村上にプロ野球史上最年少100号を献上した。 先頭の塩見に死球、続く青木に先制2ランを被弾する。山田を右飛に打ち取ったが、村上に2ボールからの3球目のカットボールを右越えに運ばれ、いきなり2被弾で3点を失った。 横山投手コーチは「立ち上がりは失点してしまったが、点差を考えずバッター1人1人に思い切って向かっていってもらいたい。細かいコントロールを気にするのではなく、会沢のミットをめがけて投げこんでいってほしい」とハッパをかけたが...。 四回に再びつかまる。先頭の西浦に左中間二塁打、投手の原に犠打を決められ、1死二塁を招くと、18日にサイクル安打の塩見に中前適時打。五回先頭の打席で代打を送られ、4回を7安打4失点で降板となった。 援護したい打線は0─4の五回先頭で代打・田中広が中前打を放ち、暴投の間に二進。野間が中前適時打を放って1点を返したが...。小園が一ゴロ併殺。西川の右越え二塁打の後、鈴木誠が三ゴロとちぐはぐな攻撃。終わってみれば12安打で1得点。最下位脱出、そして10ゲーム差以上からの大逆転でのクライマックスシリーズ進出を目指すカープだが勢いの差は明らかだった。

◆ヤクルトが引き分けを挟んで3連勝。一回に青木の2ラン、村上の通算100号となる35号ソロで3点を先制。四回には塩見の中前適時打、八回にも塩見が適時打を放って突き放した。先発の原は6回1失点で2勝目を挙げた。村上の一問一答は以下の通り。 --今の心境は 「打てて嬉しかったですし、勝てて嬉しい」 --打った瞬間の感触は 「思い切りスイングしたので、なんとか入ってくれと思って見ていた」 --王貞治選手より早い最年少記録。ホームラン打者として次の目標は 「まだまだ(王氏らに)肩を並べられるほど実績もありません。まだまだ若いので、もっともっと上を目指して頑張りたい」 --首位追撃へ向けてメッセージを 「厳しい試合がたくさんありますけど、なんとか1つ1つ目の前の試合を勝ちたいと思って毎日挑んでいる。なんとか勝てるよう、優勝できるようがんばります。応援よろしくお願いします」

◆ヤクルトが1分けを挟んで3連勝した。一回に青木の5号2ランと村上の35号ソロで3点を先制し、四、八回にともに塩見の適時打で1点ずつを加えた。原が6回を8安打1失点で粘り2勝目。広島は打線が12安打で1点止まりだった。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(21)が一回に右翼席へ35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での100号は史上最年少。多くのレジェンドをごぼう抜きした。 ?村上の通算100本塁打は史上303人目。プロ初本塁打は2018年9月16日の広島戦(神宮)で岡田明丈から。 ?21歳7カ月での達成は1989年の西武・清原和博の21歳9カ月を抜く最年少記録。 ?試合数の最速到達は90年の近鉄・ブライアントの246試合で、村上の379試合は歴代23位。日本選手に限ると、19年の西武・山川穂高の321試合、87年の西武・秋山幸二の351試合、51年の毎日・別当薫の374試合に次ぐ4位。左打者では97年の巨人・松井秀喜と02年のダイエー・松中信彦の468試合を抜いて最速。 ?21歳シーズンで35本塁打に到達。シーズン35本塁打以上の最年少記録は自身が19年にマークした19歳シーズン(36本)。63年の巨人・王貞治(40本)と85年の西武・秋山(40本)の23歳シーズンが最年少記録の40号も視界に捉える。 ?21歳シーズンに本塁打王のタイトルを獲得すれば、55年の国鉄・町田行彦(31本)と並ぶセ・リーグ最年少となる。

◆ヤクルトが引き分けを挟んで3連勝。首位・阪神とのゲーム差を「1・5」に縮めた。一回に青木の2ラン、村上の通算100号となる35号ソロで3点を先制。四回には塩見の中前適時打、八回にも塩見が適時打を放って突き放した。先発の原は6回1失点で2勝目を挙げた。村上の一問一答は以下の通り。 --今日はどんな思いでマウンドに上ったか 「チームが優勝争いをしている中、なんとかチームの勝利に貢献できるようにと思ってマウンドに上がりました」 --3点をもらった立ち上がり 「初回に点数を入れていただき、苦しい投球が続いたが、勝ってる分なんとか粘ろうと思って投げれた」 --最大のピンチだった五回2アウト。鈴木誠也に対してどんなことを思っていた 「僕の中では四球とかの意識は無く、なんとかこの打者で抑えるんだと思って投げた」 --今日の投球を振り返って 「自分の中では全然『6回1失点』という気がしないですけど、それだけ粘り強く投げれたということかなと思う」 --次回登板へ向けて 「今日のようにチームの勝ちにつながるような投球をこれからもまだまだしていきたい」

◆広島は打線がつながらず、自力でのクライマックスシリーズ(CS)進出の可能性が消滅した。佐々岡監督は「うちは一戦一戦、戦っていくしかない。それだけ」と言葉を絞り出した。 ヤクルトを上回る12安打を放ちながら、11残塁の拙攻で1点しか奪えなかった。昨季から課題とする得点力不足に、佐々岡監督は「チャンスはつくっても一本が出なかった。相手は長打、本塁打で点が入る。その差だ」と嘆いた。

◆広島の野間が下半身のコンディション不良により五回の守備で退いた。五回の打席中に痛めたとみられ、佐々岡監督は「大したことはないと思うけど、様子を見て」と話した。

◆ヤクルトの原は打線の援護を受けて6回1失点で踏ん張り2勝目を挙げた。8安打を浴びたものの要所を締め「どんな状況になっても、とにかく粘ろうという気持ちで投げていた」と胸をなで下ろした。 4―0の五回に先頭打者からの連打で1点を返され、なお2死二塁のピンチでは鈴木誠に対し、最後は直球勝負で三ゴロに仕留めた。「(捕手の)中村さんに助けられた」と感謝した。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(21)が19日、広島18回戦(神宮)の一回に右翼席へ35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での節目到達は、1989年の西武・清原和博(21歳9カ月)を抜くプロ野球史上最年少記録。今後、さらに刻むであろう歴史の1ページをめくった。チームは2試合連続毎回安打のプロ野球タイ記録で5-1の勝利を飾り、1分けを挟んで3連勝。首位・阪神とのゲーム差を1.5に縮めた。 確信に満ちた表情で、村上が球史に残る瞬間を迎えた。2―0の一回1死。2ボールから高橋昂の浮いたカットボールを振り抜くと、右翼手はすぐ追うのを諦めた。これぞスラッガーという完璧な当たりは、ヤクルトファンの待つ右翼席中段に飛び込んだ。 「両親が見に来ていたし、僕が打たないと帰れないかなと思ったので、打てて良かった。通過点だと思うので、もっと上を目指して頑張りたい」 屈託のない笑みを浮かべ、節目を見届けようと足を運んでくれた父・公弥さん、母・文代さんに手を振った。14日の阪神戦以来、4試合ぶりの35号。プロ4年目、21歳7カ月での通算100号は、1989年に21歳9カ月で達成した清原和博(西武)を超えるプロ野球最年少記録となった。 100本のアーチ一つ一つに、故郷への思いが込められている。2016年4月14日午後9時26分。生まれ育った熊本市が震度7の大地震に見舞われた。九州学院高の2年生だった村上は自転車で下校中。「思い出すのも嫌なくらいの出来事。1カ月間、野球どころではなかった」。突き上げるような揺れに、体も心も震えた。甚大な被害が出て、避難生活を余儀なくされた人も少なくなかった。野球部が活動停止になる中、村上は行動した。避難所となった母校・長嶺中の体育館に出向き、避難者の荷物運びを手伝うなどボランティア活動に励んだ。誰かの助けになりたい-。その思いだけだったが、面識のなかったお年寄りから「野球、頑張って」と声を掛けられ、逆に背中を押されたこともあったという。プロ2年目で全試合に出場し、セ・リーグ新人王を獲得。19年オフに年俸が800万円から4500万円まで増え、最初に思い立ったのも熊本のことだった。被災した熊本城の復旧のため、本塁打1本ごとに一定額を寄付することを公表した。高校時代に登下校で近くを通っていた熊本のシンボルは、この春に天守閣が復旧。工事は2037年まで続く予定だが「寄付だけじゃなく、たくさんの方が応援してくれる中、結果を残すことで勇気を与えられると思う。まだまだですけど、もっと...」。だからこそ「100号は通過点」と繰り返す。東京五輪の日本代表として金メダル獲得に貢献し、チームとして頂点に立つことの喜びも胸に刻んだ。「チームが勝てるように、チャンスでたくさん打ちたい」。村上に呼応するように打線はこの日、プロ野球タイ記録の2試合連続毎回安打をマークした。チームのため、故郷のため、飽くなき思いを胸に、さらなる「1本」を積み重ねる。(横山尚杜)2軍監督時代の1年目から村上を指導するヤクルト・高津監督「この年、この時期の記録達成に驚きはない。入団1年目の西都キャンプで、すごい打者になると思った。それまで見たことのない打者だった」入団1年目は巡回コーチ、2年目以降は1軍打撃コーチとして指導した同・杉村打撃コーチ「(初めて見たときは)これはすごい、と。松井秀喜や筒香嘉智に匹敵する選手になると思った。常に前向きな気持ちで試合に入っている。『三振しようが、何しようが次、打ちます。駄目なら代わりに俺は声を出します』って、そんな選手は今までで言うと古田敦也くらい」」1年目に2軍打撃コーチ、昨季から1軍打撃コーチとして指導してきた同・松元打撃コーチ「食事量がすごい。試合前に他の選手の倍くらいは食べている。先輩に学んでトレーニング、ケアもしっかりしている」

◆史上最年少となる21歳7カ月での通算100号を達成したヤクルト・村上宗隆内野手(21)に、周囲から祝福のメッセージが届いた。プロ入りまでの打撃の礎をともに築いた父・公弥(きみや)さん(48)が本紙に手記を寄せた。 通算100号到達、おめでとう。ここまで早く達成できるとは思いませんでした。ムネには、これからもっともっと打ち続けてほしいです。 三兄弟の次男。物心つく前に右打ちと左打ちの両方でバットを振らせてみたら、左打ちの方がきれいにスイングしていました。そこから自然と左打ちになりました。 お手本は巨人の高橋由伸選手。フォロースイングがあれだけ大きい打者はなかなかいないと感じ、ムネとテレビ中継を見ながら「あのフォロースイングはすごいよね」とよく話していたことを最近のことのように覚えています。高校までは右脚の上げ方も、まねをして取り入れていました。 学生時代から打撃に関しては人一倍、考えて取り組んでいました。リビングや自室、いろんなところにいつでも振れるようにバットを置き、食事を終えて、ちょっと気づいたことがあれば、バットを握って、構えやスイング軌道を確認する。それが習慣になっていました。 印象に残っている本塁打が2本あります。一つはプロ初打席での本塁打。神宮球場で観戦していたのですが、一回の守備で適時失策してもう帰ろうかなと思っていたところ、その直後の打席で打ったのには驚きました。 もう一つは高校の公式戦初打席。1年夏の熊本大会初戦に4番で出場し、一回に無死満塁で打席が回ってきました。「外野フライでいいから頼むぞ」とスタンドから見ていたのですが、バックスクリーンへ打ち込んだのです。これにも驚きました。「初」とつく場面には、強い印象があります。 ムネに野球のプレーで怒ったことはありませんが、勝負事にはこだわらせました。小、中、高と主将。試合前に先攻、後攻を決めるじゃんけんをするのですが、そのじゃんけんですら絶対に負けるな、と。『じゃんけんから試合は始まっているぞ。全部勝ちなさい』と伝えてきました。 ムネが全試合に出場して36本塁打を記録した2年目のオフには、私たち両親に財布をプレゼントしてくれました。家族には頻繁に連絡をくれるのですが、面と向かって『いつも応援ありがとう』と言葉にしてくれたことは、うれしい出来事でした。『いらんお金を使うなよ』と言いながらも、夫婦で大切に使っています。これからも体に気を使って、健康でプレーし続けられることを願っています。

◆村上には、背番号55の先輩と共通する〝特殊能力〟がある。 「(打席内容は)ほとんど覚えていますね。相手投手を見て、あの球場であのとき対戦したな、とかはすぐ出てきます」。1軍で全試合に出場した2年目。ほとんどが初対戦の投手だったが、確かにベンチでメモを取ったり、見たりする様子がなかった。 果たして本当なのか-。通算100号の企画(左面掲載)で2019年の11号、20年の2号、21年の31号を放った際の連続写真を見せると「上茶谷さんから打った直球、高木さんの直球、ロメロのチェンジアップ」と当時の状況をスラスラと口にした。 日米通算507本塁打を放った松井秀喜氏は、全ての状況を記憶していたと先輩記者に聞いた。村上も驚異の記憶力を武器に、次なる記録を打ち立てていくのだろう。(18年からヤクルト担当・横山尚杜)

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(21)の史上最年少での通算100本塁打達成を受け、村上自身が最近3年間の打撃フォームを連続写真で〝解説〟する特別企画が実現した。1年目の2018年にプロ初打席で1号を放つと、19年には36本、20年に28本、今季は35本を積み上げてきた。本邦初公開。試行錯誤を重ね、節目の数字に到達した4番打者の「進化論」とは-。(取材構成・横山尚杜) まだ4年目で自分の打撃について話すのは難しいですが、普段考えていることに注目してみました。2019、20、21年の連続写真を見比べると、3つのポイントで大きく変わっている印象を受けました。 1つ目の変化は②―⑤の「右脚の使い方」です。入団2年目、19年の最初は②の通り、右脚を高く上げてタイミングを取るフォームで臨みました。ところが、相手投手がワインドアップかクイックモーションで投げるかの違いで一定のスイングをできないことが多く、修正を図りました。 具体的にはクイックのときに右足を高く上げると、ボールに差し込まれてしまう。そこで19年の後半から20、21年の②―⑤のように右脚の上げ幅を小さくして、一定のスイングで打てるフォームにしました。20年の春季キャンプではノーステップ打法を試したこともありますが、今の自分にはこの足の上げ方が合っているのかなと思います。 2つ目の変化は①の「トップの位置」です。19年は顔の近くにトップ(構えた際のグリップの位置)があって、そこから捕手方向に引いてタイミングを取っていましたが、20、21年にかけて少しずつ、始めから「弓を引くようなイメージ」でトップの位置をつくれるようになってきました。 トレーニングで柔軟性が上がる中で、両腕を引ける形を取れるようになったことが要因です。これができるようになると、「ボールとの距離が取れる」「強い打球が打てる」ように変わりました。19年の⑤と20、21年の⑥を比べると、19年よりも距離が取れていませんか? 弓は、大きく引くほど矢を遠くに飛ばせます。自分の体の成長とともにトップの位置を「張れる」ようになったことが大きいと思っています。 20年と21年では、そこまで大きな変化はないと思います。ただ、打てない中でも試合に出し続けていただく中で、その日の状態や感覚をすり合わせて打席に入ることができるようになったかなと思います。 3つ目に写真を見比べて感じたのは、シンプルに体が大きくなっているということ。練習で体が大きくなり、股関節周りなどの柔軟性が高まることで、出来ることが増えてきました。19年は体が硬かったのですが、少しずつ柔らかくなってきている実感があります。 入団1年目のオフから青木さんに自主トレなどで打撃を見てもらう機会を得ました。青木さんによく言われていたのは、元々の悪い癖なのですが体の開きが早くなってしまうこと。今も気づいたときには指摘していただいています。 100本塁打に到達できたのは、自分の力だけではありません。我慢して使っていただいた監督や熱心に指導して下さるコーチ、チームメート、スタッフの皆さんのおかげだと思っています。 もちろん、これで満足しているわけではありません。もっとスイングスピードを上げて、いろんな球種に対応できる打撃フォームを追い求めていきたいです。体もまだまだですし、全ての面で成長していきたいと思っています。(東京ヤクルトスワローズ内野手)

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<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
阪神
62475 0.569
(↓0.005)
-
(-)
29453
(+1)
442
(+8)
105
(-)
95
(-)
0.251
(↓0.001)
3.580
(↓0.03)
2
(-)
ヤクルト
544214 0.563
(↑0.005)
1.5
(↑1)
33491
(+5)
420
(+1)
112
(+2)
66
(+1)
0.259
(↑0.001
3.590
(↑0.03)
3
(-)
巨人
554516 0.550
(↑0.005)
2.5
(↑1)
27467
(+8)
447
(+1)
147
(+3)
62
(+2)
0.247
(↑0.001)
3.640
(↑0.02)
4
(-)
中日
465614 0.451
(↓0.004)
12.5
(-)
27351
(+1)
383
(+9)
63
(-)
54
(-)
0.240
(↓0.001)
3.200
(↓0.06)
5
(-)
DeNA
455514 0.450
(↑0.006)
12.5
(↑1)
29463
(+9)
508
(+1)
117
(+1)
24
(-)
0.258
(↑0.001)
4.250
(↑0.03)
6
(-)
広島
435910 0.422
(↓0.004)
15.5
(-)
31417
(+1)
474
(+5)
94
(-)
52
(+1)
0.260
(↑0.001
3.940
(↓0.02)