1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安 | 失 | 本 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 5 | 9 | 0 | 1 |
楽天 | 0 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | X | 8 | 13 | 0 | 0 |
勝利投手:岸 孝之(7勝7敗0S) (セーブ:酒居 知史(3勝1敗1S)) 敗戦投手:今井 達也(6勝5敗0S) 本塁打 |
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◆楽天は1点ビハインドの3回裏、山崎剛の適時二塁打や辰己の適時打などで一挙5点を奪い、逆転に成功する。続く4回には鈴木大の適時打で2点を挙げ、リードを広げた。投げては、先発・岸が6回3失点で今季7勝目。敗れた西武は、先発・今井が乱調だった。なお、西武の栗山は第4打席で左前打を放ち、史上54人目となる通算2000安打を達成した。
◆楽天岸孝之投手(36)西武今井達也投手(23)の西武の新旧「11番」が投げ合い。両投手の投げ合いは18年に2度あり、岸1勝0敗、今井0勝1敗で、いずれも楽天が勝利。今井が先輩岸との投げ合いで初勝利を狙う。
◆楽天浅村栄斗内野手(30)が、19年の加入後初めてスタメンを外れた。 前日3日の同カードでは3打数無安打で、7回の守備から退いていた。ここ最近は16打席無安打と調子を落としていた。 代わりに、山崎剛が「9番二塁」で出場した。
◆楽天鈴木大地内野手が、2打席連続適時打を放った。 3回に2点を勝ち越し、なお2死一、二塁の場面で、西武今井の2球目を右前にはじき返すタイムリー。「打ったのはシンカー。みんなの勢いに乗って打つことができました」と笑顔をみせた。4点リードの4回2死満塁では、西武の2番手、武隈の4球目を捉えて右前へ運ぶ2点適時打。「打ったのはストレート。飛んだコースが良かっただけです」と控えめに喜んだ。
◆西武栗山巧外野手(38)が史上54人目となる2000安打を達成した。
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。ノーヒットで迎えた9回1死走者なしでの第4打席で、楽天牧田の外角95キロのカーブを左前に運び、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。 達成後は源田壮亮内野手から記念ボードを、西武でともにプレーした楽天炭谷銀仁朗捕手と同期入団で同い年の中村剛也内野手から花束を受け取り、笑顔もみせた。 残り2本で迎えた前夜は、史上初となる誕生日の達成を逃していた。4回に貴重な犠飛で追加点を挙げ、無安打で迎えた9回に打線をつなぐ右前打。これで通算1999安打とし、王手をかけていた。4日の試合に向けて、栗山は「楽な気持ちでいきたいと思います。しっかり自分の仕事ができるように、自分なりに勝負をしっかりかけれるように、そこだけ意識して頑張ります」と話していた。 ドラフト4位で育英から02年に入団。04年9月24日近鉄戦(大阪ドーム)で1軍初出場と初安打をマークした。1本1本、安打を重ねていく中で酸いも甘いも味わったが、背筋が凍る経験も思い出す。若手時代のある夜、埼玉・所沢の旧若獅子寮で寝ていると、寒けがして目が覚めた。 薄暗い部屋の奥に人影が...。寝ぼけ眼をこすりながら凝視すると、そこには落ち武者がたたずんでいた。「霊感は特別あるわけではないんですが...」。 恐怖にさいなまれ同時に声を張り上げた。「ここじゃない。お前の居場所は。オレに寄ってくるんじゃない!」。消え入るように姿はなくなったという。当時1軍を目指す立場だっただけに「それだけ追い込まれていたんでしょうかね、1軍に上がりたくて」と今では笑い話にする。 そんな恐怖?体験をした若手時代から、黙々とバットを振り続ける姿は今も変わらない。スタンドには、両親と家族を招待していた。背番号1を背負い、チームの象徴ともいえる「ミスター・ライオンズ」。その歩みはまだまだ続く。
◆西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を決めた。西武では球団初となる生え抜きでの達成。プロ20年目で偉業を成し遂げた。いつもそこにいた。 試合がない日の西武を取材する時は、第2球場に隣接した旧室内練習場に立ち寄った。そばには若手が住む旧若獅子寮。休日でも4年目の松坂大輔ら主力選手が現れればもうけ物。めったにない幸運を求めて、練習場前のベンチでぼんやりしていた。2002年の春だった。 薄暗い室内からマシン打撃の音がする。打っているのはドラフト4位ルーキー栗山だ。左打席で、右足をぴょこんと上げる。不格好な1本足打法から快音は響かない。黙々とどん詰まりを繰り返していた。兵庫・育英2年の時に甲子園で活躍したそうだが、打力はさほどでもなさそうだ。 日高中津分校からやってきた長距離砲・垣内哲也、野手としての実績はなかったPL学園・松井稼頭央と伊丹北・中島裕之...。当時、関西から西武にやってくる選手は大器が続いた。栗山と同期の大阪桐蔭・中村剛也は体形だけで、早くも異彩を放っていた。栗山も何かあるはずと2軍首脳を取材した。足は「普通」、守備と肩も「普通」。それでも目立つ。室内練習場にいつもいた。レギュラーになって、後輩記者が書く栗山の記事のエピソードも、練習にまつわることが多かった。 数年前、観客としてレフトの守備がよく見える、最前列に家族と陣取った。気付いた栗山が、帽子をとって一礼してくれた。栗山はいつもいる。長くコツコツ努力するのも才能ならば、これほどの大器はいない。答えはそこにあった。【久我悟】
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。9回1死、楽天宋家豪から左前打を放ち、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。
◆西武は1回に森の中前適時打で1点を先制。楽天は3回に山崎剛の同点適時二塁打など打者一巡の猛攻で5点を奪い逆転した。 楽天は4回に鈴木大の2点適時打、5回に小深田の犠飛で加点。西武は6回に中村の適時打、栗山の犠飛で2点を返した。 楽天は7回から継投で逃げ切り連敗を2でストップ。岸が7勝目を挙げた。西武栗山は9回の左前打で2000安打を達成した。
◆西武栗山巧外野手(38)が、通算2000安打を決めた。西武では球団初となる生え抜きでの達成。小学校時代の栗山少年との思い出を、小寺少年団野球部の当時部長だった牧野栄一さん(79)が語った。栗山が小学1年生のとき入団した小寺少年団野球部の当時部長だった牧野さんが、"原型"をつくった恩師だった。小学1年時、入団したいと母親と一緒に練習場にやってきた。試合は4年生から。「それでもいいか? って聞いたら、『かまへん』っていうから。そっからや」。脚力があって、蹴る力があると見込んだ。5年生のとき「右手が強くて体が開いてしまう。だから右投げ左打ちにさせたんです」と転向を薦めた。 練習量を増やすため、小寺小学校の校長に直談判し場所を確保。小学校のグラウンドで、平日は毎日ティー打撃の練習に付き添った。小学5年のとき、冬休みもやるかと聞くと、11歳の栗山は「1月1日もやりましょう!」。年始の恒例行事になった。2人の関係はプロ入り後も続いた。オフは必ず小学校のグラウンドで振り込み新年を迎えた。雨天決行。積雪の年は雪かきしてまで振り込んだ。牧野さんは振った数だけ、グラウンドに「正」の字を書いた。 小学5年から17年まで20年以上続き、まさに栗山の原点。同小学校には今も栗山が寄付した倉庫がある。「『一年の計は元旦にあり』っていうじゃないですか。その言葉を知ってたんかな? いつか巧君が言ってくれはった。『おかげさまでバットを振っていたことで、ヘッドスピードが身につきました』って。うれしかったよね」。その言葉に報われた。
◆西武栗山巧外野手が4日の楽天17回戦(楽天生命)の9回、牧田から左前安打を放ってプロ野球54人目の通算2000安打を達成した。 初安打は04年9月24日の近鉄27回戦(大阪ドーム)の小池からで、西武生え抜き選手の達成は初めて。1球団で2000安打以上は栗山で31人目だが、現12球団で達成者がいなかったのは西武と楽天だけだった。パ・リーグで最多の23度優勝している西武に、ようやく生え抜き2000安打が誕生した。ちなみに、西武でデビューして他球団で達成は00年秋山、04年清原、15年和田と松井の4人おり、他球団でデビューし西武在籍時に達成は75年江藤、77年土井、83年山崎の3人いた。 ▼1軍デビューは初安打を記録したプロ3年目の04年9月24日近鉄戦で、プロ入り3年間はわずか1安打。初出場が3年目以降で達成は4年目の福浦、3年目の大島、駒田に次いで4人目。3年目終了時の安打が1本以下は0本の福浦、1本の秋山に次いで3人目だ。栗山はプロ5年目終了時にまだ124安打で、初めて規定打席に到達したのは7年目の08年。5年目終了時の安打数は3番目に少なく、初の規定打席到達まで7年以上は4人目と、スタートは苦労したが、6年目からは年平均125安打しプロ20年目で到達した。
◆西武栗山巧外野手(38)が、通算2000安打を決めた。西武では球団初となる生え抜きでの達成。栗山の1年目に2軍打撃コーチを務めていた西武田辺徳雄3軍統括コーチ(55)が、2人の思い出を振り返った。18歳の栗山に、荒々しさの中にも非凡な可能性を感じとっていた。プロ入り1年目の02年。2軍打撃コーチに就任したばかりの田辺コーチは「練習は量も質もやりました。こっちが音を上げるくらい。彼が打てなかったゲーム後が一番憂鬱でした。これは『お願いします』って来るな、と。今日は長くなるぞってね」。朝から早出練習して、ビジターでの2軍戦を終え、所沢に戻ってからまた打った。まさに練習の虫だった。 力任せに引っ張る強引な打撃。これではプロでは通用しない。荒っぽさを削り「アベレージバッターで、野手の間を抜くようなヒットをどれだけ打てるか。そのためには逆方向に強い打球を広角に打てないと数字は残せない」。食らいつく栗山に練習メニューを試行錯誤。山なりのスローボールをよく打たせた。バイアスロンから着想を得て、150球近く連続で打たせて、呼吸が乱れている状態で1球集中して打たせたりもしたという。 選球眼はもともとよかった。何より内に秘めた闘志が宿る「目力」を買っていた。「あれは戸田に行ったとき」。ヤクルト2軍施設での試合でスタメン外。バット引きの雑用にふてくされているように見え、注意すると「カッとした目に、あ、殴られるんじゃないか、ってね(笑い)。その後からですよね、ますます練習がハードになったのは」。 「Hランプを点灯させろ」。田辺コーチから言われ、栗山はどんな形でもいいからヒットを打つことに闘志を燃やせ、と解釈して積み上げた。「というのは、完璧に打ち返して、ヒットを求めるのではなくて、打ち損じの打球でもヒットはヒットなんだから、それで喜べと。完璧な当たりでのヒットなんて年間数えるくらい。いちいち考えるなよと。ありがたいことにHのランプがついたらヒットはヒットですよ」。スコアボードにともるHランプが、野球人でいられる証しだった。 同コーチが1軍監督だった16年、栗山は三遊間をきれいに破る左前打で通算1500安打を達成。「あそこへの打球は若いころ、田辺監督と死ぬほど練習してきましたから」。そのコメントに同コーチは「死ぬほどって。ちょっと大げさでしたけど」と照れ笑い。「当時の粗削りを思い出したら、やっぱり2000本って想像できないな」と言って、また笑った。
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。ノーヒットで迎えた9回1死走者なしでの第4打席で、楽天牧田の外角95キロのカーブを左前に運び、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。 ▽巨人片岡3軍野手総合コーチ 2000安打達成おめでとうございます。プロ野球の歴史に名を刻んだ男の中の男です! 1打席にかける集中力は今まで出会った中で一番の選手ですし、本当によく練習をする努力の男でした。西武時代は、彼が2番にいてくれたおかげで僕を生かしてくれました。制約の多い打順で、僕が迷惑をかけることが多かったなと思い起こします。偉大な記録を達成した栗山選手と、一緒にプレーできたことを誇りに思います。まだまだこの先も打ち続けてください。
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。ノーヒットで迎えた9回1死走者なしでの第4打席で、楽天牧田の外角95キロのカーブを左前に運び、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。 ▽レッズ秋山 栗山さん、2000安打達成おめでとうございます。僕が埼玉西武ライオンズに入団してから、ずっと栗山さんの背中を見て勉強させてもらってきました。ずっと目標とする数字だったり、姿勢だったり学ばさせてもらっています。僕も1歩でも2歩でも近づけるように頑張っていきます。これからもケガなく頑張って下さい。
◆西武栗山巧外野手(38)が、通算2000安打を決めた。西武では球団初となる生え抜きでの達成。2軍投手コーチ、1軍監督、そしてGMとして栗山と接してきた渡辺久信GM(56)が、2人の思い出を振り返った。監督が投げて、選手が打つ。試合後の光景としては、異例の組み合わせだった。それでも09年、当時監督2年目だった渡辺GMが打撃投手を務め、栗山が打つ室内練習場の風景は、日常の一部だった。オープン戦で打率4割を超えた栗山が、開幕と同時に急ブレーキを踏んだ。「開幕戦でロッテの清水のカットボールにドン詰まって、そこからおかしくなって打てなくなった」と同GM。レギュラーの栗山がまったく打てなくなった。 「20打席以上ゼロ(安打)で死にそうな顔していたんでね、試合後室内に連れて行って、そこで2軍時代を思い出させる形で、小1時間ばかりバッピ(打撃投手)をしたのよ。楽しくね」。04年から2軍投手コーチとして復帰した同GMにとって、それは2軍時代の日常だった。「悲壮感はないよ。きっかけがあれば、また打つと思っていた。そのきっかけ作りに、ちょっと遊ぼうかって感じ」。向かい合ったそのときだけは、監督と選手という関係がリセットされた。開幕連続無安打は26打席でストップ。最終的には最多安打の前年に続いて150安打を超えた。 同GMは08年に監督に就任。栗山が、1軍にはい上がりレギュラーをつかんだ時期と重なる。1番片岡の後ろ2番に据え、最多安打のタイトルを獲得。「打てる2番がいいな、っていうところで、片岡は盗塁できるので、初回簡単に送る野球もおもしろくない。そこでクリがすごいと思ったのは、打ちたい球を我慢して片岡が走るのを待っていた。追い込まれてからの勝負で最多安打を取ったのはすごい」。栗山はこの年、初めて規定打席に到達。日本一の1、2番になった。 昨オフは3年契約で生え抜き初の快挙を後押し。「2軍時代っていろんなことを自分でやらないといけない。クリもそこからのし上がってきた。一緒に上がってきたようなもんだからね。同志みたいなもんだよ」。GMと選手になっても、その関係は変わらない。
◆プロ野球西武の栗山巧外野手(38)が4日、楽天戦(楽天生命パーク)で通算2000安打を達成し、クレイジーケンバンド横山剣(61)が祝福コメントを発表した。 栗山が本拠地で打席に立つ際の登場曲として同バンドの「あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。」を使用している。横山は「栗山巧選手、2000安打達成、御目出度うございます! 登場曲に『あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。』を使って戴いてることをとても誇らしく思います。栗山巧選手の益々のご活躍を祈念申し上げます! イイネ!イイネ!イイネ!」(原文まま)と祝福した。
◆楽天岸孝之投手が6回3失点で7勝目を挙げた。初回に4球で先制を許すも2回以降は修正し「体の状態と感覚がすごくよかったのでポンポンいけた」。 16年まで西武で同僚だった栗山の2000安打には「野球に対する姿勢、練習の取り組む姿勢をずっと見ていて、すごくまじめな方。こういう人だからできるのかなという感じはします。達成の瞬間を見れて、すごく幸せです」と話した。
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。9回に左前打を放ち、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。 以下主な一問一答 -炭谷から花束 よかったですねって言われたんで、よかったですねって何やねんって思って、まあありがとうと。銀仁朗も頑張れと、そんな話ししました。 -西武という球団 入団させてもらって、育てて貰った球団で、本当に野球に集中できるという。野球に集中してプレーさせていただいているという。非常にありがたいなと思っています。そういうチームだと思っています。 -プロ初安打する前の自分に助言するとしたら 小さい打撃するな、と。ヒットは出るから思いきり振りなさいと言ってあげたいですね。戻れるなら。 -今日の打席のイメージ (楽天の)岸君の代名詞であるカーブ、それをレフト前に打つと、そういうイメージをずっと持っていて。それで牧田に代わったんで、牧田からホームランを打ちたいなと思って。と思ったらカーブをレフト前に打って。バッティングというのは、なかなか思うようにいかへんし、自分の意思とは反対の、そういうのが出るんだなという感じでした。自分はホームラン打とうと思っていって、全く意識してないボールをうまいこと自分の理想通りなバッティングができるなんて、こんなこともあるんだ、面白いなと思いました。 -元西武バッテリー 終わってみて今となってはそういう、一緒に戦った仲間のバッテリーから打てたのはうれしく感じますけど。ゲームの時はそんなこと考えている余裕もないし、そんな風にはいつも思っていないんで。結果的に終わってみれば、彼らからいいヒットを打ててよかったなと思っています。 -炭谷が来て笑顔、中村で白い歯 銀仁朗がニコニコ寄ってきたから、おかしくなっちゃって。よかったですねとか言うんで、何がよかったんて。お前も頑張れよ、とか言っているうちにリラックスしましたね。サンペー(中村)も自分のことのように喜んだ表情を見せてくれてうれしかったです。 -2000安打から解放 どっちかっていったら、これからの方が勝負だと思いますし、これからどれだけ打てるのか、ファンの皆さまの期待に応えられるかが価値あること。これからより気を引き締めて、そういう打者だと見られると思うんで、よりハードルは上がる。求められる物も大きくなってくると思います。 -これからを期待してもらいたいことは 日ごろから思っているんですけど、どんな選手になりたいと言われたら、大きい声援をもらえる選手になりたい。今はコロナがありますんで、声を出せない環境ではありますけど、みんなの期待を、もっと大きい期待をもらえる、またそれに応える選手になりたいです。 -記念ボール 戻ってきました。どうしましょうか。これからゆっくり考えます。 -中村が花束。一緒にやってきて、祝福してもらえたことに 本当になかなかないことだと思いますし、20年間同じチームでやってきて、こうやって花束をもらえるのはうれしいですし。逆の立場になったら、僕が花束を渡したいなと。その時までお互いに頑張っていけるようにと思います。おかわりがどこを目指すか、どこで花束が欲しいか分かりませんが、彼が花束をほしいときに渡せたらうれしいなと思います。 -本塁打を狙うのはレアケース そうですね。今日の試合のムード的にも楽天にこうバンバンバンと打たれて、明日に向けてのこうガッというのがないと。向かっていく姿勢という意味で、闘争心のある打席にしたいなというのは、いろんなバランスが複雑に入り交じった打席でしたけど。 -おかわり見て笑った あははは。何かこう、誰かが花束を持ってきてくれるんでしょうけど、あ、サンペーが来たな、と。選手会長の森というのもあるし、いろんなパターンが考えられるじゃないですか。ああ、サンペー、来たかと思って。変な光景でしたね。僕の中では、面白かったというか。ありがとうと言いました。 -仙台の思い出 仙台って割といいイメージがあるんですよね。初めてのオールスター、1回しかないですけど、会見させてもらったのも仙台ですし、田中(将大)選手から球団の8000号ホームランを打ったのも仙台ですし、非常にこう、縁がなくはないかなと感じる球場です。
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。ノーヒットで迎えた9回1死走者なしでの第4打席で、楽天牧田の外角95キロのカーブを左前に運び、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。祝福コメントは以下のとおり。 ▽西武辻監督 「西武一筋で初めての2000安打達成は素晴らしいと思うし、その場に立ち会えたことも何かの縁でうれしく思います。僕が就任してから、栗山にはいいところでたくさん助けてもらった試合があった。これからも1本ずつ積み重ねて、チームの勝利に貢献してもらいたい」 ▽西武中村 「20年間ずっとライオンズで一緒にやってきて、自分にとってはクリがいてくれることが当たり前、「普通」なんです。クリは常に上を目指す、自分自身を成長させようとしている姿を見て本当に尊敬します。これからも一緒に頑張っていこう!」 ▽西武源田 「長くライオンズを支えてこられ、またキャプテンとしてもチームをけん引された栗山さんの素晴らしい金字塔を目の前で見ることができたこと、そして、その記念のボードをお渡しすることができたことを心からうれしく思います。また誕プレにパンツ持っていきます!」 ▽西武森 「この瞬間を生で見ることができ、とても感動しました。栗山さんにはルーキーイヤーからいろいろ気にかけていただき、公私ともに本当にお世話になってきました。今回、あらためてこの大記録に立ち会わせていただき、栗山さんの偉大さを感じています」 ▽西武松井2軍監督 「ここ最近は、打ったかな? 打ったかな? とずっと気になっていました。クリのことだから、もう気持ちは2001本目を目指すことに切り替わっているんだろうな、と思います」 ▽楽天石井GM兼監督(13年まで西武で栗山とプレー)「努力の天才。それだけじゃなく闘争心をむき出しにしていける選手。だからこそ長い間の現役生活が出来るんじゃないかな。その積み重ねのご褒美が今日の2000本だったんじゃないかなと思います」 ▽楽天浅村(18年まで西武で栗山とプレー)「厳しく、優しく、いろいろなことを学ばせていただいた先輩なので、いろいろな言葉をもらいましたし、いろいろなことで怒られましたし、その中で今の自分があると思うので、本当に頭が上がらないです」 ▽楽天炭谷(18年まで西武栗山とプレー)「FAでジャイアンツに行った時、唯一の心残りが栗山さんの2000本を見られないなという思いでした。生で見ることができて、本当にいろいろな思いが込み上げるというか、うまいこと言えないですけど、素直におめでとうございます」 ▽楽天牧田(17年まで西武。9回に2000安打目を打たれ)「本当に素晴らしいという言葉しか出てこないです。打たれた身としては悔しいですけど、心からおめでとうございます」 ▽楽天涌井(13年まで西武で栗山とプレー)「栗山さんとの数々の思い出、伝説、話せば新聞には載りきらないでしょう(笑い)。誰よりも自分に厳しい姿、背中で引っ張る姿、C(キャプテン)のマークは12球団で一番似合っていました」 ▽日本ハム栗山監督(キャスター時代に西武栗山を取材)「チームの中で厳しく、これはダメなんだっていうことを後輩に伝えたりと鏡になる選手の存在は、すごく野球界にとっては大きい。そうやってきたクリが、ここまで来たのは本当によかった。そういう選手が1日でも長くプレーを続けて、これからの野球選手に対してどうあるべきか、っていう姿を見せてほしい」 ▽日本ハム木村(07年から今年8月まで同僚)「本当は生で見たかったなというのが率直な思いですけど、本当にいろんなことを教えていただいた。目指す先輩でしたし、言葉じゃなくて姿で学ぶことが多かったなという憧れの存在です。いい刺激をもらって、これからも頑張ろうという気持ちになります」
◆巨人中島宏之内野手(39)が、西武に所属した10代から切磋琢磨(せっさたくま)し、ともに成長した西武栗山の2000安打達成を祝福した。 中島 クリ、2000安打達成おめでとう。ずっと一緒にやってきて、ほんまにいろんな思いがあるけど、おめでとう、という言葉に尽きますね。 西武時代は時間や場所を問わず、顔を付き合わせれば、2人で打撃を追求した。宿舎の部屋ではハンガーを、飲食店でははしを、風呂場ではタオルをバットに変えて、スイングした。 中島 全然、違う話をしてても、急にバッティングの話になって。ご飯食べてるのに、2人で立ち上がって、どうなってますか? こうですか? とかね。 昔を思い出しながら、笑い声が漏れた。「2人でいたら、何でもバットに変わるんですよ。お店の方とか、何してるんやろ? と思ったかもしれませんけど」と回想。「やってみよう」と2人で激論した「打撃論」をすぐに試合で実践し、また試行錯誤を重ねた。 20代前半のころ、試合では栗山と同い年の中村を含めた3人で相手投手の情報を共有し、対策を練った。「3人でベンチに座って、このピッチャーはこんな感じだったとか話をして、打席に立ってましたね」と懐かしんだ。 若いころ、ともに夢見た記録を達成した。「年は僕が1歳上ですけど、僕から見れば友達みたいなもんですから。だから、仲のいい友人として、ほんまにうれしいですよ」と、また笑った。【久保賢吾】
◆西武一筋20年、栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。球団生え抜きでは初の快挙。残り1本で迎えた楽天戦の9回1死走者なしで、元同僚の牧田から、鋭い打球を左前へ運んだ。プロ3年目の04年に初出場初安打を記録してから2041試合目での達成。埼玉・所沢で牙を研ぎ続けた「ミスター・ライオンズ」が、その名前を球史に刻んだ。慣れ親しんだ顔と花束に、栗山は白い歯をこぼした。中村からの祝福に「ありがとう、サンペーも頑張ってくれ」。同期の20年分の重みが短いやりとりに込められた。9回の第4打席、牧田-炭谷の元西武バッテリーから決めた2000本目。持ち味の逆方向、左前に"らしく"運んだ。ヘルメットを右手で掲げ、声援に応えた。「ライオンズが、所沢が好きなんです」。野球に打ち込めるライオンズが好きだった。生え抜き初の快挙。FA移籍による戦力流出が続いた球団の歴史に終止符を打ち、金字塔を打ち立てた。 残り74本で迎えた今季開幕直後、両足の張りに見舞われた。登録抹消。初めての経験に、全身検査して調べたが原因不明だった。でも「焦ったらアカン」。はやる気持ちを押し殺す。コツコツ刻んだ歩みを思い出した。 神戸に生まれ、6歳からバットを握った。「もうアカン」「もう腕が上がらへん」と限界値に何度も挑んだ。小学5年からティー打撃が日課。午後6時、薄暗い神戸・小寺小学校に車のヘッドライトが照らされる。暖色のグラウンドが自らの限界に挑む「原点」だった。 中学はシニアに入ったが部活入部が必須の校則があり、あくまでも野球のために陸上部に入部。本気度とは裏腹に、2年夏に100メートル走11秒7。部内1位で「田中君というすごい速い子に勝ってしまったんです」。顧問は大会にエントリーし、会場で待ってるからなと言われても、野球優先で原点に向かった。すると中学3年夏、"田中君"が110メートルハードルで中学記録を塗り替え、全国大会で優勝。いつのまにか、日本一に駆け上がっていた。 フィールドは違っても、先を越された感覚が今も骨身に染みている。だから家で2男2女のパパは言う。「人間コツコツやったら、日本記録を出せるんや。悔しさを持った人間が上にいくんや。そういう人間になりなさい。パパはウサギやったんやぞ。パパは身をもって知ってんねん。人間踏ん張ったら、日本記録出せるって」。2041試合目での到達は、外野手では3番目に遅いスローペース。逆方向に活路を見いだし、初めての規定打席到達は7年目の08年、球宴初出場は15年目。いつも少しだけ遠回りだけど着実に前進する。1本1本コツコツと。栗山の歩みは、まさにカメの歩みだった。 次なる目標はあえて口にしない。まだ通過点。「これからが、まさに勝負が始まるとき。これからどれだけ打てるかが価値あること」。西武で生きる道を選び、誰もが認める「ミスター・ライオンズ」。それが栗山巧の生きざまであり、野球道である。【栗田成芳】 ◆栗山巧(くりやま・たくみ)1983年(昭58)9月3日、兵庫県生まれ。育英から01年ドラフト4巡目で西武入団。04年9月24日近鉄戦でプロ初出場。07年からレギュラーに定着。08年はリーグ最多安打を放ち、チームの日本一に貢献。ベストナイン4度(08、10、11、20年)ゴールデングラブ賞1度(10年)。今季推定年俸1億7000万円。177センチ、85キロ。右投げ左打ち。 ? ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 太山寺中時代の同級生で、同じ陸上部だった田中博幸さん(38、公務員)は、「クリはすごく速かった。100メートル走で一緒に走っていたんですけど、クリはずっと野球優先でやっていて、私は陸上にすべてをかけてやっていた。でも、負けるんです」。中学2年の夏、記録会で直接対決。栗山11秒7に対し11秒8で敗れた。 8月の暑い日だった。直後に陸上部顧問に呼ばれた2人。突然、陸上に専念するよう説得が始まった。県大会上位、全国大会も見えてくる-。顧問は熱い口調で「陸上か野球か、どっちが全国行けるんや!?」。そう問われた栗山は、ひと言、「野球です」。 当時の光景を思い出し、田中さんは「クリとはそれまで何度も言い合ったことがあった。だからクリの野球に対する気持ちは十分、分かっていたんで」。栗山の熱意を知っていただけに、田中さんは説得に加勢することなくただ黙っていた。 その翌年の3年夏、田中さんは110メートルハードルで、当時の中学新記録を出し全国優勝。「クリは野球を貫いて、それが正解やった。僕も、なにくそと頑張りました。そう思うと、クリのおかげで出せた記録でした」。ブレない栗山の存在が、原動力となっていた。
◆西武一筋20年、栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。球団生え抜きでは初の快挙。埼玉・所沢で牙を研ぎ続けた「ミスター・ライオンズ」が、その名前を球史に刻んだ。栗山の握力の強さは球界でズバ抜けている。小さい頃から、父忠人さん(63)の教えだったという。「バット振れなんて言われたことがない。でも『握力やったんか』だけはずっと言われましたね」と栗山。勉強やれ、練習やれ、はまったく言われない。でもハンドグリップだけは家でやり続けた。忠人さんは「体が出来上がっていないのに、変な筋肉をつけたらアカンって聞いたんで。それやったら握力やろ、と」。徹底させた。 最高で85キロ、調子が悪くても常時80キロは超える。数年前、テレビ番組の企画でも取り上げられた。ただ、野球に握力は特別必要ではない、というのが通説。それは野手にも投手にもいえることだというのは、プロに入ってから聞いた。でも栗山は、1つだけ打撃に生きていることがあるという。 「ハーフスイングをガッと止めるとき。バットが回り切らないで、球審にスイングをとられないことがある。バットを止める力が、これだけは握力が生きてると思うんですよね」。ハーフスイングを取られてカウントを悪くしたり、三振になっていれば2000安打到達はもう少し先だったかもしれない。ちなみに、リンゴをつぶそうと試みたことはあったが、つぶせなかったという。【西武担当=栗田成芳】
◆主砲の穴はみんなで埋める!! 楽天が13安打8得点で西武を逆転で破り、連敗を2でストップした。 不調の浅村栄斗内野手(30)が、19年に加入後初めてスタメンを外れたが、代役二塁の山崎剛内野手(25)が、同点適時打を含む2安打1打点をマーク。鈴木大地内野手(32)が2安打3打点と活躍し、4番に入った茂木栄五郎内野手(27)も3安打1打点と機能した。首位オリックスが敗れ、3・5ゲーム差に迫った。チャンスをものにした。「9番二塁」で後半戦初スタメンの山崎剛が、1点を追う3回1死二塁、西武先発今井の2球目、真ん中に甘く入ったカットボールを逃さず捉えた。「しっかりやれることをやろうという気持ちで臨みました。(炭谷)銀仁朗さんが送ってくれたので、ランナーをかえそうという気持ちで打席に入りました」。打球は右翼フェンスを直撃する同点二塁打となり、チームに勢いをもたらした。 続く1番辰己が中前に勝ち越し適時打。2番小深田は倒れたが、3番島内が右前打で2死一、三塁とチャンスメークし、4番茂木が「浅村さんの代わりはできないですけど、浅村さんが万全に戻ってくるまで必死で頑張ります。ヒデさん、早く戻ってきて下さい」と右前適時打を放ち、5番鈴木大も「みんなの勢いに乗って打つことができました」と右前適時打で続いた。その後に2死満塁からオコエの押し出し四球もあり、打者一巡の猛攻で5得点。ゲーム序盤で流れを大きく引き寄せた石井一久GM兼監督も「各自が役割を果たしてくれた。ここ最近、苦しいゲームが続いてますけど、そういう中でも、下を向かず前に踏み出してくれるところが選手に見られる」と納得の表情だ。 浅村は5点リードの7回2死一塁で小深田の代打で登場。西武田村に対し右邪飛に倒れ、17打席無安打となった。主砲の状態について指揮官は「僕が見る範囲でちょっと不安があったので代打で待機してもらえればと。離脱するような感じでは全然なかった。試合に出続けている選手なので、試合から離れることが試合勘とかの部分で怖い。その間隔は延ばさず、いいところでスタートしてもらおうかな」と説明した。まだ9月も始まったばかり。浅村の復活を待ちつつ、チーム一丸となって粘り強く白星を積み重ねていく。【鈴木正章】
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。6歳から始まった栗山の野球人生。いつもそばには家族がいた。父忠人さん(63)と、球場で偉業達成を見届けた母寿江さん(60)は、幼少期から息子が節目で発した数々の"言霊(ことだま)"を、深咲夫人と長男・一(はじめ)君は手紙で素顔を明かした。長女と次女の似顔絵とともに、栗山家の「声」から男・栗山巧の38年と1日をひもといた。小学生の栗山少年は、オリックスファンだった。2軍練習場は家から自転車圏内。当時のチームにはイチロー氏(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)がいた。実家には同氏が途中で変更した2種類のサインを持つ。ある日、寿江さんに言った。「年間パスポートっていうのがあるんやけどな、それの方が得やねん」。言葉巧みに説得。後から聞いた話によると、試合中に帰る客に「おっちゃん、半券ください」と話しかけ、途中から料金の高い席で観戦。母の知らないところでたくましく育っていく。 元気いっぱい遊んでも夕飯前にはきっかり帰宅した。寿江さんは不思議に思っていた。「どっかで時計みて帰ってきてんのかな?」。実際は近所にある高い塔を見ていた。「影の角度を見て大体こんくらいって分かんねん」と栗山。日時計を読むわが子に「あんたは原始人か」と突っ込んだ。 進路はいつも野球が第1優先だった。小学1年で少年団に入った。同時に、当時はJリーグ草創期で人気絶頂のサッカー少年でもあった。小学3年でどちらか選ばないといけなかった。サッカーでは当時キャプテン。選抜にも選ばれていた。「きっとサッカー選ぶんかな」と思っていた母の予想に反し、あっさりと野球を選んだ。 小学校で「僕はプロ野球選手になんねん」と宣言。中学では「これ(野球)でメシ食っていくねん」と具体性を増し、高校に入る前には両親に「俺に投資してくれ」。目標はブレずに、その言い回しは変わっていった。高校では甲子園に2度出場し、2年夏に4強に進出。頭を五厘に丸め「兵庫に栗山あり」を知らしめていたが、母は冷静で「きっとこれがピークなんやろうな」。でも栗山は「俺にとってこれは通過点や」と言い張った。高校3年の進路相談。担任教諭が「プロ志望届出してます。彼ならいけると思います」と5分で終わった。ドラフト会議で指名されるまで、信じられなかった。 プロ入り3年目の04年9月、電話がかかってきた。「消化試合やけど1軍に上げてもらったわ」。母には涙声に聞こえた。翌日の大阪ドーム(現京セラドーム大阪)での近鉄戦でプロ初安打。ここから2000安打が始まった。数年後、1軍で足掛かりをつくり始めた頃、実家に帰った栗山が唐突に言った。「ここで過ごす正月は最後かもね~」。「何言うてんのかな?」と不思議に思っていると、近所に新築一軒家を購入し、両親にプレゼント。「俺に投資してくれ」と言った言葉はウソじゃなかった。 83年9月3日、栗山家の2歳年上の姉に次ぐ長男として生まれ、母はこう願った。「とにかく『ええ男』になってほしかったんですよ」。野球に身をささげ、球界の歴史に名を刻んだ。そのルーツをたどると、母の願い通り、栗山巧は球界一の"ええ男"だった。【栗田成芳】
◆西武一筋20年、栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。球団生え抜きでは初の快挙。プロ3年目の04年に初出場初安打を記録してから2041試合目での達成。 ▼栗山が4日の楽天17回戦(楽天生命)の9回、牧田から左前安打を放ってプロ野球54人目の通算2000安打を達成した。初安打は04年9月24日の近鉄27回戦(大阪ドーム)の小池からで、西武生え抜き選手の達成は初めて。1球団で2000安打以上は栗山で31人目だが、現12球団で達成者がいなかったのは西武と楽天だけだった。パ・リーグで最多の23度優勝している西武に、ようやく生え抜き2000安打が誕生した。ちなみに、西武でデビューして他球団で達成は00年秋山、04年清原、15年和田と松井の4人おり、他球団でデビューし西武在籍時に達成は75年江藤、77年土井、83年山崎の3人いた。 ▼1軍デビューは初安打を記録したプロ3年目の04年9月24日近鉄戦で、プロ入り3年間はわずか1安打。初出場が3年目以降で達成は4年目の福浦、3年目の大島、駒田に次いで4人目。3年目終了時の安打が1本以下は0本の福浦、1本の秋山に次いで3人目だ。栗山はプロ5年目終了時にまだ124安打で、初めて規定打席に到達したのは7年目の08年。5年目終了時の安打数は3番目に少なく、初の規定打席到達まで7年以上は4人目と、スタートは苦労したが、6年目からは年平均125安打しプロ20年目で到達した。
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。6歳から始まった栗山の野球人生。いつもそばには家族がいた。父忠人さん(63)と、球場で偉業達成を見届けた母寿江さん(60)は、幼少期から息子が節目で発した数々の"言霊(ことだま)"を、深咲夫人と長男・一(はじめ)君は手紙で素顔を明かした。長女と次女の似顔絵とともに、栗山家の「声」から男・栗山巧の38年と1日をひもといた。「僕のパパ」 野球をしているパパは、かっこよくて打席に立っている姿を見るとドキドキします。とくに、チャンスで打席が回ってきたときは、僕も興奮してしまいます。 そんなパパも家では、将棋やトランプなど野球以外の遊びをしてくれます。パパに勝てたときは、すごくうれしいです。 パパとの思い出はマレーシアにいって一緒にプールに入ったことです。ディズニーランドにもつれていってくれました。そして、僕の野球の試合を見に来てくれたときは気合いをいれて僕もヒットを見せられるようにと打席に入りました。 やさしくてかっこいいパパ、これからも野球を続けて、二千五百安打目指してがんばってね! 栗山一
◆プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。6歳から始まった栗山の野球人生。いつもそばには家族がいた。父忠人さん(63)と、球場で偉業達成を見届けた母寿江さん(60)は、幼少期から息子が節目で発した数々の"言霊(ことだま)"を、深咲夫人と長男・一(はじめ)君は手紙で素顔を明かした。長女と次女の似顔絵とともに、栗山家の「声」から男・栗山巧の38年と1日をひもといた。たくちゃんへ 2000安打達成おめでとう コツコツ積み重ねた結果やね。これも今まで支えてくださった球団の方々、身体のケアやトレーニングをずっと見て頂いている方々のおかげです。そして何より栗山巧をずっと応援してくださるファンの方々のおかげです。この場をお借りして心より感謝申し上げます。 主人は一日中、野球の事ばかり。 趣味も野球です。 ナイター帰りは、お風呂でも、ご飯を食べている時もタブレットを見て、自分のスイングを確認しています。打てなくなると、リビングでいい時のDVDを引っ張り出してきて「あの時はこうだった」「今はこうだ」と、よく夜中に2人で話しましたね。また、夜中にサウナに入っていたんですか? っていうくらいの汗をかいて駐車場でバットを振っていたり、その時の決まり文句は「もう分かった。なんで打てないのか」です。 毎日が戦いの中で、少しでも野球を忘れて気分転換できればと思っていたけれど、野球の事を考える事で、あなたは精神的バランスを保っていたのですね。 結婚した時に「誰も味わった事のないような思いをさせたるからな」って言った事を覚えていますか? もう十分いい夢を見せて頂きました。 あとはケガをせず、少しでも長くバッターボックスに立っている背番号1を見ていたいです。 2000安打、本当におめでとう。深咲より
◆西武一筋20年、栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。球団生え抜きでは初の快挙。残り1本で迎えた楽天戦の9回1死走者なしで、元同僚の牧田から、鋭い打球を左前へ運んだ。プロ3年目の04年に初出場初安打を記録してから2041試合目での達成。埼玉・所沢で牙を研ぎ続けた「ミスター・ライオンズ」が、その名前を球史に刻んだ。20年間の思いを込めて、日刊スポーツに手記を寄せた。正直いうと、打てるかどうかもわからないのに、軽々しく口にしたくなかった。2000安打というのは、それぐらい簡単に達成できる数字ではないと思っていました。本当にありがたいことに、球団、スタッフの方々、チームの仲間のみんな、そしていつも温かい声援を送ってくれるファンの方々の存在なくして、この記録はなかったと思います。本当に感謝しかありません。 プロ20年目でたどり着いた理由を自分なりに考えてみました。まずは、大きなけががなかったというのは1つあると思う。06年に右手有鉤(ゆうこう)骨骨折、12年に左尺骨骨折。大きなけがといえばそれくらい。これは小さい頃から、これでもかと、何度も限界までバットを振り込んできたことが生きている。「まだいける」「ここが限界」という判断基準が自分の中でできた。 また、自分にマッチするトレーニングに出会えた幸運があった。あれは2年目のオフでした。当時就任された石井浩郎2軍監督の紹介で、あの野茂英雄さん(当時ドジャース)がやっている練習に行ってこい、と。世界の第一線で戦ってきた野茂さんとご一緒させてもらい、本当に勉強になりました。 野茂さんのトレーニングの集中力というものは、とにかくすごい。それを肌で感じさせてもらい、当時の僕からしたら脳天突き抜けるくらいの衝撃を受けました。節目節目では助言をいただきました。若い頃は「しっかり野球に集中しなさい。野球にすべてを費やしなさい」と。お金も時間も野球のために使って、ええかっこする選手になるなよと。ここ5年くらいは「栗ちゃん、焦ったらアカンぞ」。見透かされたように核心を突いてくるので、突き刺さる言葉ばかり。まさに王道やと思う。 西武一筋とよく言われますが、これは自分が選んだ道。ライオンズが好きで、所沢が好き。野球やるには、これ以上ない環境ですから。なんとかチームの力になりたい、と。FA(フリーエージェント)権取得もありましたけど、自分は自分の道を生きていくんやと、決めました。いつの間にか、所沢が心落ち着く第2の故郷になっていて。そんなつもりはなかったんですけどね(笑い)。 あのグリーンジャケットを着させてもらう場面を夢見てきました。名球会入りを象徴するシーンじゃないですか。今でも自分には想像できないけど、鮮明に思い浮かぶのは阿部慎之助さん(現巨人2軍監督)が達成されたときに長嶋さんが贈呈されたシーン。ニュースで見てすごい鮮烈でした。あるとき家で長男が突然言うてきたんですよ。「パパ、2000本はいつ達成するの?」って。何も言ってなかったのに。嫁さんに聞いたらプロ野球ニュース見て知ったみたいで。なんとか達成できて、父親の威厳を守れました(笑い)。 その家族よりも長いこといるといえばサンペー(中村剛也)ですよね。同い年で今年で20年。プロ野球でもなかなかないと思う。けど、心の支えになっているわけでも、刺激があるわけでもない。よく聞かれるんですけど、言葉ではなかなか言い表せない存在なんです。答えが見つからないので、今後の課題にしたいと思います(笑い)。 2000本はあくまでも通過点やと思っているんです。「栗山は当たり前のように2000本を打った」と思われるように、これからも頑張っていきたい。達成した今、そう思っています。(西武ライオンズ外野手)
◆西武・今井達也投手(23)が1-0の三回、楽天・オコエ瑠偉外野手(24)に死球を与えた。127キロのカーブがすっぽ抜け、体をかがめるようによけたオコエの左肩付近に当たった。オコエは今井に視線を向けたまま一塁へ歩き、帽子をとった今井は表情を変えなかった。 2015年の夏の甲子園で東東京代表の関東第一高を4強に導く活躍でブレークしたオコエと、翌16年の夏の甲子園で栃木・作新学院高のエースとして全国制覇に貢献した今井。甲子園を沸かせた両雄の間に緊張感が走った。 3回、死球を受ける楽天・オコエ瑠偉。投手は西武・今井達也=楽天生命パーク宮城(撮影・福島範和) 楽天打線はオコエの死球をきっかけに5点を奪って逆転に成功した。
◆西武・栗山巧外野手(38)が九回の第4打席で左前打を放ち、プロ20年目で通算2000安打を達成した。昨年11月の坂本(巨人)以来、プロ野球史上54人目の快挙で、西武の生え抜きでは初の偉業となった。 九回1死走者なし、栗山はかつての同僚、牧田から95キロの変化球をライナーで左前に運んだ。主将の源田から記念のボードを受け取り、元チームメートの楽天・炭谷、同期入団の中村から花束をもらうと満面の笑みを浮かべた。 9回に安打を放ちプロ通算2000安打を達成した西武・栗山巧(右)は中村剛也から花束を受け取る =4日、仙台市宮城野区・楽天生命パーク宮城 (撮影・大橋純人) 栗山は2002年に兵庫・育英高からドラフト4位で入団。プロ初安打は初出場となった04年9月24日の近鉄戦(大阪ドーム)で、小池から右前打を放った。
◆楽天は0―1の三回に山崎剛の適時二塁打と辰己、茂木、鈴木大の適時打などで5点を挙げ逆転し、四回に鈴木大の2点打で差を広げた。岸は6回3失点で7勝目、酒居がプロ初セーブを挙げた。西武は今井が四回途中7失点と崩れた。
◆西武・辻発彦監督(62)は栗山の2000安打達成試合を勝利で飾れず、チームも約3カ月ぶりの3連勝とならず悔しがった。 「きょうはすごい大事な試合でね。連勝して、いい形できていたので。栗山の2000本かかっていたし、勝ちたかったんだけどね。あまりにも序盤の失点がね。(三回から)5、2、1...で8点か。あまりに厳しかったですね」と大量失点をなげいた。 九回に通算2000安打を達成した栗山については「いずれ達成すると思いながらとにかく、西武一筋で初めての2000安打達成は素晴らしいと思うし、その場に立ち会えたことも何かの縁でうれしく思います。僕が就任してから、栗山にはいいところでたくさん助けてもらった。まあ、これで終わりじゃないので。われわれの戦いの中で一本ずつ積み重ねてチームの勝利に貢献してもらいたい」と祝福した。 また、栗山のすごさについては「普通にできることじゃないのかな。普通に平常心で打席に立って、打ち取られても、ヒットを打っても、冷静に準備して打席に入って、結果は良きにしろ、悪きにしろ、淡々としっかり仕事するところがいいのかなと感じます」と語った。
◆楽天・岸孝之投手(36)が先発し、6回5安打5三振3失点で、7勝目を挙げた。浅村栄斗内野手(30)がスタメンから外れたものの、打線は13安打と奮起。試合後の石井一久監督(47)の一問一答は以下の通り。 --浅村がスタメンから外れた 「僕がみる範囲でコンディションに不安があったので。間隔は延ばさずに、いいところでスタートしてもらおうと思います」 --打線は13安打 「各自が役割をしっかり果たした。ここ最近、苦しいゲームが続いてますけど、下を向かずにしっかりと前に踏み出してくれるので、選手とともに戦っていきたいです」 --三回は、浅村に代わって先発した山崎のタイムリーから一挙に5得点 「しつこくバットコンタクトというか、アプローチがしっかりできていた。各自が集中したイニングだったのかなと思います」 --4番・茂木の狙い 「茂木も調子を維持しているし、ここ一番でしっかりと打ってくれる。別に深い意味はないけど、島内の後ろで打たせたかったので」 --茂木は結果を残す印象 「役割は果たしてくれました。キャプテンに据えているので、何とかチームを引っ張ってほしいなと思います」 --元同僚の西武・栗山が2000安打達成 「本当に努力の天才というか、努力できる選手。強い気持ちもあり、死球が当たっても、闘争心をむき出しにいける選手だと思う。だから長い現役生活を送ることができる。そのご褒美が、きょうの2000安打だと思います」
◆西武の今井は制球難の悪癖が顔をのぞかせ5四死球を与え今季最短の3回?で降板し、7安打7失点と大乱調だった。前回登板の8月28日の日本ハム戦でも5回7失点。7月10日を最後に白星がなく5敗目を喫し「後半戦まだ一度も勝てていないので次回、危機感を持ってマウンドに上がりたい」と反省した。 1―0の三回にはオコエへの死球をきっかけに山崎剛に適時二塁打、辰己、茂木、鈴木大に適時打を許した。一巡後のオコエには押し出し四球を与え、この回5点を失った。「初回に点を取ってもらったのに、全く流れに乗れず申し訳ない」とうなだれた。
◆楽天の山崎剛が打線に勢いをつけた。コンディションに不安を抱えて移籍3年目で初めて先発から外れた浅村の代役として二塁手で出場。0―1の三回1死二塁で右中間に同点二塁打を放つと7―1の五回1死二塁では右前打で好機を広げて追加点につなげた。 チームの13安打8得点での快勝に貢献。「後半戦初の先発だったので、しっかりやれることをやろうという気持ちで臨んだ」と胸を張った。
◆西武・栗山巧外野手(38)が九回の第4打席で左前打を放ち、プロ野球史上54人目の通算2000安打を記録した。球団の生え抜きとしては初の快挙となった。試合後の栗山の主な一問一答は以下の通り。 -―今の心境は 「今年中に達成することできて、ホッとしてます」 -―実感は 「正直なこというと実感というのはそんなにないです。こういう感じなんかと思っているところです」 -―4打席目の胸中 「せっかくなんで牧田投手から記念になるようなホームラン打ちたいと、そのくらいの気持ちで打席に立とうと思っていた。あとでこうしておけばよかったなというのがないようにという心境で打席に入りました」 -―感触は 「しっかりと覚えていないんですけど、なんとなく芯に当たったなと。ファンの方の歓声とベンチからの『よっしゃ』という声でヒットだったんだという感じでした」 -―(安打数を示す)クリメーターを掲げるなどファンの存在は 「今回も2000本に向けて非常に応援してもらってありがたかったですし、日頃から支えてくれるファンの皆さんにいつも力もらっていますし、ありがたかったと思います」 -―生え抜きで初 「各年代で球界を代表するような大打者の先輩方がいらっしゃって、たまたま僕が、球団では生え抜きで初めてとなりましたけど、そういうことも含めて、あまり実感ないといいますか...。先輩たちの背中を追いかけてやってきましたので、あまり自分がどうっていうのは。また次に向けて頑張っていきたいな、そっちに気を向けていきたいと思います」 -―ヒットとは、どんなものか 「シンプルにヒット打てたらうれしい。詰まったヒットもバットの先っぽに当たったヒットも、芯で打ったヒットも、ヒットはヒット。そのときどきでうれしい。そういうもんですね。また次頑張って練習しようかとか、そういう風に思えるものです」 -―ライオンズはどんな球団か 「僕にとっては入団させてもらい、育ててもらった球団ですし、非常に野球に集中できる環境を整えてくれる球団だと思います。そういうチームでプレーすることできて、本当にうれしく思っていますし、これからもしっかりプレーしていきたいですし、いいチームだと思います」
◆西武・栗山巧外野手(38)が九回の第4打席で左前打を放ち、プロ野球史上54人目の通算2000安打を記録した。球団の生え抜きとしては初の快挙を達成した栗山に、西武のメンバーが続々とコメントを発表した。 ◆渡辺久信GM 「2008年に私が監督になった年に、背番号も1になり初めて打率3割にも到達。日本一の立役者になってくれました。当時はまだレギュラーになりたての25歳でしたが、強く印象に残っています。それ以降、長く一線で戦い続けながらも、骨折で長期離脱を強いられるなど試練もたくさんありましたね。監督という立場、そして今の立場でクリを見てきた私には、この金字塔が何よりも輝いて見えます。これからもクリが蓄積してきた技術で、1本1本積み重ねていってください。きっとその数だけファンの皆さんも幸せになると思います」 ◆辻発彦監督 「いずれは達成するとは思っていましたが、西武一筋ですばらしいと思います。こうして監督として達成に立ち会えて光栄ですし、縁を感じます。栗山には助けてもらった試合が本当にたくさんあり、優勝にも貢献してくれました」 ◆松井稼頭央2軍監督 「ここ最近は打ったかな? 打ったかな? とずっと気になっていました。今日はファームの試合が終わった後、コーチ陣も一緒にネットで調べたら達成していて。みんなで喜びました。クリと一緒にやっていたコーチもたくさんいますしね。今日は先発が岸、マスクが(炭谷)銀仁朗、で、最後は牧田でしょ? ライオンズを離れたメンバーとも、何かの縁を感じますよね。クリのことだから、もう気持ちは2001本目を目指すことに切り替わっているんだろうな、と思います。残りのシーズンもけがなく過ごしてほしいです」
◆西武・栗山巧外野手(38)が九回の第4打席で左前打を放ち、プロ野球史上54人目の通算2000安打を記録した。球団の生え抜きとしては初の快挙を達成した栗山に、西武のチームメイトがコメントを発表した。 ◆同期入団で20年間ともにプレーしている中村剛也内野手 「20年間ずっとライオンズで一緒にやってきて、自分にとってはクリがいてくれることが当たり前で〝普通〟なんです。クリが常に上を目指し、自分自身を成長させようとしている姿を見て本当に尊敬します。これからも一緒に頑張っていこう!」 ◆森友哉選手会長 「この瞬間を生で見ることができ、とても感動しました。栗山さんにはルーキーイヤーからいろいろと気にかけていただき、公私ともに本当にお世話になってきました。今回、改めてこの大記録に立ち会わせていただき、栗山さんの偉大さを感じています。本当におめでとうございます」 ◆源田壮亮主将 「2017年から一緒にプレーをさせていただくなかで、栗山さんからは本当にたくさんのことを学ばせていただいています。長くライオンズを支えてこられ、またキャプテンとしてもチームをけん引された栗山さんの素晴らしい金字塔を目の前で見ることができたこと、そしてその記念のボードをお渡しすることができたことを心からうれしく思います。また誕プレにパンツ持っていきます!」
◆西武・栗山巧外野手(38)が4日、楽天17回戦(楽天生命パーク)の九回に元同僚の楽天・牧田和久投手(36)から左前打を放ち、プロ野球史上54人目、球団の生え抜きとしては初の通算2000安打を達成した。 ◆西武のヘッドコーチだった2004-07、11、12年に栗山を指導した土井正博氏(77)=本紙専属評論家 「左肘が体から離れず、インサイドからバットを押し込むようなスイングが武器。ゴロで野手の間を抜くタイプだが、ゴロを意識しすぎるとボールをたたこうとして手から動いてしまう。下半身主導でないと強い打球は生まれない。打球を上げるように打つことを指導した。すると自然と懐が深くなり、左手で押し込む本来のスイングが戻る。コーチ退任後も悪い癖が出たときは電話して指摘した。これからは、プレーしながら指導者の勉強もしてほしい。そして、まだまだやれる姿を周囲に見せなあかん」
◆西武・栗山巧外野手(38)が4日、楽天17回戦(楽天生命パーク)の九回に元同僚の楽天・牧田和久投手(36)から左前打を放ち、プロ野球史上54人目、球団の生え抜きとしては初の通算2000安打を達成した。兵庫・育英高から2002年にドラフト4巡目で入団し、西武一筋20年。愚直に安打を積み重ねてきた打撃職人が、11年に球団通算8000号を放った思い出の球場で、新たな金字塔を打ち立てた。 栗山らしい打球で決めた。2打数無安打で迎えた九回、ライナー性の打球が左翼の芝生で弾んだ。西武の生え抜きで初めて、2000安打を達成した打者が誕生した。 「感触はしっかりと覚えていないんですけど、芯に当たった。ファンの方の歓声とベンチからの『よっしゃ!』の声でヒットだったんだという、そういう感じでした」 九回1死、カウント1-2から牧田の95キロのカーブを捉えた。「(先発した)岸君の代名詞のカーブをレフト前」のもくろみは外れ、「本塁打を狙った」という牧田から左前に運び「バッティングはなかなか思うようにいかへん」と笑った。 最も印象深い安打は、入団3年目の2004年9月24日の近鉄戦(大阪ドーム)で小池秀郎から放ったプロ初安打となった右前打。「俺でも一本出た」。そこから和田一浩、中島裕之(現・宏之)、片岡易之(現・治大)ら名選手に囲まれながら安打を積み重ねた。 多くの仲間がフリーエージェント(FA)権を行使して移籍したが「自分の力は自分がよく分かっている。自分は自分の道を行きたい」と、16年オフに海外FA権を行使して残留。昨年10月に2度目のFA権を取得も「ライオンズが好き。このチームでやりたい」と西武一筋を貫いた。 打撃でプロの世界を生き抜いてきた男が、怒りに任せてバットを折ったことがある。入団して間もない頃、2軍の試合で三振したことに腹を立て、バットをグラウンドにたたきつけて折った。その姿に田辺徳雄2軍打撃コーチ(現3軍統括コーチ)から「まだ少ないかもしれないが、そのバットでヒットを打ってきたんだろ。悔しいのは分かるけど、自分の手でバットを折るのはどうなんだ」と諭された。 「グサッときた。僕の態度が目に余ったんだと思う。バットには作ってくれた方、期待してくれるメーカーさん、運んでくれる人、多くの人が関わってくれている」 その日から、折れたバットを2軍施設内の自身のロッカーの目につく場所に置いた。入団4年目に1軍に定着し、ロッカールームが本拠地に移ったことを機に大切にしまったが「当時の気持ちは今も忘れていません」。辻監督は栗山のすごさを「常に平常心で淡々と打席に立てるところ」と語った。 「大きい声援をもらえる選手になりたい。今はコロナで声を出せない環境ですけど、みんなのもっと大きい期待をもらい、またそれに応える選手になりたい」 栗山の次なる目標は数字よりも理想を追求すること。勝負強い打撃で何度もチームを救い、ファンを喜ばせてきた孤高のバットマンは、これからも愚直に「強く、速い打球」を打ち続ける。(湯浅大)
<パ・リーグ順位表推移>
順位 | チーム名 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 首位差 | 残試合 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 (-) |
ORIX |
50 | 40 | 14 | 0.556 (↓0.006) | - (-) |
39 | 418 (+4) | 385 (+11) | 96 (+2) | 33 (-) |
0.253 (-) | 3.490 (↓0.08) |
2 (-) |
ロッテ |
47 | 39 | 15 | 0.547 (-) | 1 (↑0.5) |
42 | 460 (+3) | 424 (+3) | 97 (-) | 89 (+4) |
0.253 (-) | 3.960 (↑0.01) |
3 (-) |
楽天 |
47 | 44 | 13 | 0.516 (↑0.005) | 3.5 (↑1) |
39 | 396 (+8) | 394 (+5) | 81 (-) | 34 (-) |
0.245 (↑0.001) | 3.630 (↓0.01) |
4 (-) |
ソフトバンク |
44 | 44 | 17 | 0.500 (↑0.006) | 5 (↑1) |
38 | 409 (+11) | 348 (+4) | 89 (+2) | 63 (-) |
0.248 (↑0.001) | 3.190 (-) |
5 (-) |
西武 |
39 | 48 | 17 | 0.448 (↓0.005) | 9.5 (-) |
39 | 408 (+5) | 442 (+8) | 87 (+1) | 71 (-) |
0.247 (-) | 4.050 (↓0.05) |
6 (-) |
日本ハム |
35 | 48 | 15 | 0.422 (-) | 11.5 (↑0.5) |
45 | 316 (+3) | 382 (+3) | 55 (+1) | 54 (+2) |
0.234 (↑0.001) | 3.550 (-) |
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