阪神(★0対4☆)巨人 =リーグ戦24回戦(2020.11.10)・阪神甲子園球場=
このエントリーをはてなブックマークに追加

 123456789
巨人
3000001004710
阪神
0000000000110
勝利投手:戸郷 翔征(9勝6敗0S)
敗戦投手:青柳 晃洋(7勝9敗0S)
  DAZN
チケットぴあ 阪神戦チケット予約 巨人戦チケット予約
◆巨人は初回、丸と若林の適時打などで3点を挙げ、先制に成功する。そのまま迎えた7回表には、岡本が押し出し四球を選び、貴重な追加点を挙げた。投げては、5人の継投で完封リレー。敗れた阪神は、打線がわずか1安打と沈黙した。なお現役最終登板となった藤川は9回を三者凡退に抑え、有終の美を飾った。

◆今季限りで現役引退する阪神藤川球児投手(40)が、自身の引退試合となる10日巨人戦(甲子園)の試合前にサプライズを受けた。 おなじみの登場曲「リンドバーグ」の「every little thing every precious thing」が流れる中で藤川がグラウンドに現れると、引退記念Tシャツを着用したチームメートやスタッフがお出迎え。自身もTシャツを着た姿で笑顔で近づいた。さらに選手会長の梅野から「LEGENDARY CLOSER(伝説の守護神)」と書かれたパネルが手渡されると、大きな拍手でねぎらわれた。 パネルの裏面にびっしりと書かれた選手らのサインをじっくり見ると、矢野監督、藤川を囲むようにセンター付近で記念撮影。バックスクリーンには「球児さん 22年間お疲れ様でした」と映し出されていた。 藤川は試合前練習を開始、中継ぎ陣とウオーミングアップを行うなか、藤浪と言葉を交わす場面もあった。 キャッチボールの相手役は片山ブルペン捕手。長い間ブルペンでボールを受けてくれた女房役と、笑顔で"最後のキャッチボール"を行った。ダッシュなどで調整を終えると、スタッフらに写真撮影を求められながら午後3時過ぎにグラウンドを後にした。

◆阪神藤川球児投手(40)が10日、引退試合となる巨人戦(甲子園)で現役ラストマウンドに上がる。最後の火の玉ストレートを心待ちにする虎党を思い、「ファンの方の気持ちを大切にしながら、現役生活を終わりたい」と心境を明かした。プロ22年の集大成。魂を燃やし、興奮と感動の最終回を演じる。球児伝説の秘密はどこにあるのか。あれほどの直球を投げるのだから、フィジカルで特別なものがあるはずだ。この仮説は結論に至らなかった。「よく聞かれたんですけど、特別にどの選手よりも体のここが優れてるっていうのは、僕は感じたことないんですよ」。藤川の個人トレーナーを務める檜作英太氏(46)は言う。ただし、話はそれだけで終わらない。こう続けた。「1つあるとしたら、体の変化に自分自身ですごく敏感に感じられるんです」。ごく小さな変化に敏感で、大きなけがにつながる前に自分で止めることができる。檜作氏らトレーナーが気づく前に「ここがちょっと気になるんです」と、言える繊細さを持つ。 投球にもその感覚は生かされる。「映像を見なくても、自分の体が今どういうふうになったっていうのを、投げながらにして分かる選手なんですよね」。1球投げて思う場所に行かなければ、瞬時に体の動きを把握し修正できる。それは入念な復習に基づいたもの。試合が終わると、その日のうちに1人で自らの映像をチェックする。感覚が残っているうちに映像と記憶をすり合わせ、また次の登板へ。「握りとかもあると思いますけど、やっぱり体に対する感覚が非常に優れてると思います」。火の玉ストレートが生まれた土台には、人知れぬ準備と繊細な感覚にあった。 マウンドへ上がれば、もう後ろを向くことはない。「あの上に立ったら全力でやる。調子ええとか悪いとか関係ない。その時の全力を出すだけ」。それは藤川の信念だ。対戦は相手があってのもの。調子が良くても打たれれば、悪くても抑えることもある。野球の不思議や面白さ全てを理解する。登板後のトレーナー室で、藤川が「言い訳」を口にすることはなかったという。一瞬、1球にすべてをかけてきた守護神だった。【磯綾乃】

◆両チームのスタメンが発表された。先発は阪神が青柳晃洋投手(26)、巨人が畠世周投手(26)。 阪神は本塁打ランキング2位タイ(28本)につける大山が、1年目の17年8月16日広島戦以来となる1番スタメン。1位の巨人岡本を3本差で追い、残りは2試合。打席数を稼げる打順で、タイトル奪取に挑戦する。 先発青柳は2年連続の規定投球回到達まで4回1/3。好投で目標をクリアし、引退試合となる藤川が登板予定の9回へ良い流れを作りたい。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が試合前のセレモニーに登場した。地元の「高知くろしお感動大賞」の表彰式が行われ、浜田省司高知県知事(57)から賞状を受け取った。相手巨人からは、先日2000安打を達成した坂本が藤川に花束を渡した。 記念すべき始球式は、父の背番号22をつけた藤川の長男が務めた。捕手は藤川自身が務め、親子バッテリーに球場からは大きな応援が送られた。ミットを構える藤川はマウンドへ肩の力を抜くようなジェスチャーを送り、ボールは外角にノーバウンドで届いた。藤川は受けたボールを笑顔で長男に投げ返し、球場全体の応援に2人で応えた。

◆阪神先発の青柳晃洋投手(26)が2年連続の規定投球回数に到達した。この日までに残り4回1/3としていたが、今季最終先発でクリア。「去年も今年もギリギリでしたが達成できて良かったなと思います。3年続けて一流という言葉もあるので、来年も規定投球回を達成できるように頑張りたいと思います」。5回5安打3失点で球数は101球。リードを許したまま降板し、今季8勝目とはならなかった。 藤川の引退試合となったこの日の幕開けは、苦しい結果となった。1死一塁から、3番重信に右前打され一、二塁とピンチ拡大。4番岡本の放った痛烈な当たりを、二塁手小幡がゴロ処理に入ったかに見えたが、まさかのトンネル。この失策の間に走者が生還して先制点を献上するなど、初回だけで40球を費やし、3点を奪われた。 だが、2回からは持ち味の打たせて取る投球で立ち直り、3回まで2イニング連続で3者凡退。4回も先頭打者を出すが併殺で切り抜け、5回先頭の2番松原を二ゴロに打ち取って規定投球回数に到達した。 青柳は「こういった特別な日に先発ができるということで、入りから緊張感はありました。僕自身入団した時から球児さんと一緒にプレーさせてもらえたので、成長した姿を少しでも見せたいと思い試合に臨みました。結果3点は取られてしまいましたが、球児さんには感謝の思いしかないですし、今日はなんとか粘ることができたかなと思います」とコメントした。

◆阪神打線が、藤川球児投手(40)の引退試合で5回を終えてノーヒットと抑え込まれている。 本塁打王を争う大山悠輔内野手(25)を1番起用した一戦。1回表に適時失策絡みで3点を先制されると、3回まで巨人先発畠に無安打投球を許す。 4、5回も2番手戸郷の前に無安打が続いた。

◆日本シリーズでの先発候補に挙がる巨人畠世周投手が、3回無失点にまとめた。 長打を警戒し3四球こそ与えたが、無安打に抑えた。「変化球は低めに投げられたと思います。ただ、四球が多かったことは反省しなければいけません。次の登板に向けてしっかりと修正していきたい」と収穫と課題を口にした。

◆藤川球児投手(40)の引退試合で5回までノーヒットと抑え込まれた阪神打線は、6回にようやく近本が出塁したが得点に結びつけられなかった。 6回1死から3番近本が敵失で出塁。だが4番サンズが三振に倒れ、盗塁を試みた近本も二塁でアウトになり、三振ゲッツーとなった。 本塁打王を争う大山悠輔内野手(25)を1番に起用した一戦。1回表に適時失策絡みで3点を先制されると、3回まで巨人先発畠に無安打投球を許し、4、5回も2番手戸郷の前に無安打。6回もヒットが出ず無安打が続いた。

◆阪神中谷将大外野手(27)が継投によるノーヒットノーランを阻止した。 8回から右翼の守備につき、直後の自身第1打席。1死走者なしで4番手高橋の外角直球を中前に運んだ。 阪神打線は8回1死まで畠、戸郷、桜井の3投手の前に無安打。藤川の引退試合で不名誉な記録が生まれるところだったが、なんとか意地で阻止した。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドでに上がった。12球の全球火の玉ストレート勝負で坂本、中島から2三振を奪った。 プロ22年目、日米通算811試合目の登板。背番号22が最も似合う9回にコールされた。大型ビジョンにブルペンが映し出され、救援陣に見送られた。今季最多21392人が詰めかけた甲子園。登場曲「every little thing every precious thing」(リンドバーグ)が流れる中、笑顔でリリーフカーに乗ってグラウンドへ。マウンドでは矢野監督が出迎え、抱擁を交わした。内野陣とはグータッチを交わし、この回から途中出場した捕手梅野へ投球練習を行った。 巨人原監督も粋な采配で応えた。先頭打者には先日、2000本安打を放った坂本を代打に送った。藤川は直球を3球投げ込み、最後は148キロ真ん中直球で空振り三振。坂本も豪快なフルスイングで応えた。続く代打中島への初球には、引退表明後では最速となる149キロを計測。4球目には珍しくワインドアップも披露した。6球目の146キロ直球で2者連続空振り三振を奪った。続く重信は2球目の146キロ直球で二飛。最後の登板は全12球直球勝負。藤川らしいラストとなった。マウンドを降りる際には、割れんばかりの「藤川」コール。背番号22はスタンド全方向に、そして相手巨人ベンチにも一礼。両手を挙げ、笑顔で感謝を伝えた。 日米通算15955球を投げ終え、計1252三振を奪った右腕は、最後のマウンドを後にした。 <藤川ラスト登板全球> ・代打坂本 148キロ直球(見逃し) 148キロ直球(空振り) 148キロ直球(見逃し) 148キロ直球(空振り三振) ・代打中島 149キロ直球(空振り) 148キロ直球(空振り) 148キロ直球(ファウル) 147キロ直球(ワインドアップで見逃し) 145キロ直球(見逃し) 146キロ直球(空振り三振) ・3番重信 147キロ直球(ワインドアップで見逃し) 146キロ直球(二飛)   試合前練習開始時には、サプライズでおそろいの記念Tシャツを着たチームメートに出迎えられ、記念撮影。キャッチボールなどで最終調整を終えた。 試合前のセレモニーでは地元の「高知くろしお感動大賞」の表彰を受け、浜田省司高知県知事(57)から賞状が贈られた。対戦相手の巨人からは先日、2000本安打を達成した坂本から花束を受け取った。 始球式は、父の背番号22を付けた藤川の長男が務めた。捕手は藤川自身が務めて親子バッテリーが誕生。外角直球がノーバウンドでミットにミットに収まった。藤川は受けたボールを笑顔で長男に投げ返し、球場全体の応援に2人で応えた。

◆阪神3番手の守屋功輝投手(26)が2死満塁から押し出し四球で追加点を献上した。 7回から登板し、2死一塁から連続四球で満塁。4番岡本と対戦し、フルカウントから高めに外れ、押し出し四球となった。続く5番丸は二ゴロに仕留めたが、阪神打線は6回まで無安打と沈黙しており、投手陣への援護はいまだにない。 この日は藤川球児投手(40)の引退試合だが、1回表に適時失策絡みで3点を先制されると、3回まで巨人先発畠に無安打投球を許した。4、5回も2番手戸郷の前に無安打。6回に近本が敵失で出塁したが、得点には結びつけられなかった。

◆本塁打王を争う阪神大山悠輔内野手(25)は4打数無安打に終わった。 リーグトップの巨人岡本に3本差の28本塁打で迎えた一戦。1打席でも増やすため、プロ1年目の17年8月16日広島戦以来となる1番でスタメン起用された。 1回は遊飛、3回は捕邪飛、5回も捕邪飛に倒れ、8回1死二塁でも三ゴロに仕留められた。 シーズンは残り1試合となり、逆転本塁打王が難しい状況となった。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。▽巨人杉内俊哉2軍投手コーチ「19年間の現役生活本当にお疲れさまでした。40歳まで一線級でプレーしたことは、同じ投手として本当に尊敬しています。WBCや北京オリンピック(五輪)で、ともに日の丸を背負って戦ったのが懐かしい。次のステージでは、メジャーや独立リーグも経験した貴重な経験を、野球界のために伝えてほしいです。またいつか、ゆっくりとお酒でも飲みながら思い出話でもしたいですね」

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。▽巨人阿部慎之助2軍監督(12球団最多の58打席対戦し、打率1割7分、本塁打0)「あの伸び上がるような直球をどうにか打ってやろうと、いつも打席で燃えるものがありました。分かってても、打つのは容易でなかった直球は今でも目に焼き付いているほどです。昨年9月24日の甲子園での最後の対戦、オール直球勝負で対戦したシーンは思い出すと胸が熱くなります。お互いが切磋琢磨(せっさたくま)して、巨人阪神戦を盛り上げられたのは自分の誇りでもあります。藤川選手、本当にお疲れさまでした」

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。▽巨人村田修一2軍野手総合コーチ「同世代の選手が引退するというのは、改めて寂しくも感じますね。本当にお疲れさまでした。強い気持ちで投げ込んでくる球児の真っすぐは脅威でした。直球を打ち返すために試行錯誤することで、対戦した打者はレベルアップにつながったと思います。今後も野球界の発展のために、マウンドでの経験を伝えていってほしいです」

◆巨人坂本勇人内野手(31)が引退試合の阪神藤川から空振り三振を喫した。9回、藤川が登板したところで代打で登場。初球148キロを見逃すと2球目148キロを空振り。1球ボールを挟んで、最後は148キロ直球にバットが空を切った。 続く代打中島もカウント2-2から高めの146キロを空振り三振。重信は1ボールから146キロ直球を打ち上げ二飛で3者凡退に終わった。 ▼巨人重信(藤川最後の打者で二飛)「自分自身の野球人生の中で、藤川さんのような偉大な投手と対戦できたことが本当に光栄です」

◆巨人が初回に3点を奪った。1死一、二塁から岡本の打球を二塁手小幡が適時失策。その後も丸の適時二塁打などで2点を加えた。 巨人は先発畠が3回無失点に抑えて、2番手戸郷に継投した。阪神は6回を終えて無安打無得点と打線が精彩を欠いた。 巨人が継投策で阪神打線をねじ伏せた。7回には押し出し四球で1点を追加。今季の対戦成績を16勝8敗とした。2番手戸郷が9勝目。阪神青柳は9敗目を喫した。

◆阪神藤川球児投手が引退試合に登板し1回無失点。阪神打線はわずか1安打に終わり1番起用の大山は4打数無安打だった。

◆元プロ野球選手の清原和博氏(53)が今季限りで現役を引退する藤川球児投手(40)にビデオメッセージを贈り、あの「事件」を振り返った。 試合後に行われた引退セレモニーに登場。「藤川投手との思い出といえば、東京ドームで物議を醸したあの事件です。藤川投手は何も悪くありません。サインを出したのは(捕手だった矢野)監督です」と話すと球場が笑いに包まれた。 続けて「自分の野球人生のなかでバットを振ってボールが上を通っていくっていうことは初めてのことでした。完敗です。粉骨砕身。いつ壊れてもいいほど腕を振っていた。これからはゆっくりと肩、肘、そして心を休めて新たな人生に向かってください」とねぎらった。 あの事件とは05年4月の出来事。通算500本塁打がかかった清原氏(巨人)と対戦し、フォークで三振を奪った。清原氏は変化球で勝負されたことに腹を立て「チ○ポコついてんのか」と発言。スポーツ紙に大きく取り上げられ、騒動に発展した。 同6月巨人戦(甲子園)で因縁の清原氏と再戦し、5球連続ストレート勝負などで三振。06年7月の球宴第2戦(宮崎)では全球直球勝負を挑み空振り三振を奪った。藤川は「清原さんに育ててもらった。ホームランを打たれてもよかった」と感謝。清原氏は「球児のボールは火の玉やった」と脱帽した。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。9回にコールされると、詰めかけた今季最多21392人のファンから大歓声が響いた。 ともに代打の坂本、中島を空振り三振、重信を二飛に打ち取った。 試合前練習開始時には、サプライズでおそろいの記念Tシャツを着たチームメートに出迎えられ、記念撮影。始球式は、父の背番号22を付けた藤川の長男が務めた。捕手は藤川自身が務めて親子バッテリーが誕生した。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。元阪神投手コーチ中西清起氏(日刊スポーツ評論家) ここまでよくやってきたと思います。立派でした。肩、肘、腰、股関節、内転筋など、幾度の故障に見舞われ、いろいろなカベがあっただろうが、それを乗り越えてきた。このような引退試合をやってもらえるようなピッチャーになった。高知商、阪神と同じ道を歩いた後輩として誇りに思います。ごくろうさまでした。

◆阪神が藤川の引退試合でもあった今季の巨人最終戦で完敗を喫し、勝利をつかめなかった。打線はわずか1安打。巨人5投手の前に完封リレーを食らった。守りでも1回の3失点は失策が絡んだ。7回の失点は押し出しを含む3連続四球によるもの。攻守で精彩を欠き、巨人戦16敗目(8勝)を喫した。 矢野監督は「もちろん最後勝っている状態で球児を投げさせてあげたいというか、そういうふうにしたかったけれど...」と本音をのぞかせた。試合終盤まで不名誉な記録もちらついた。8回1死まで無安打。中谷が中前打を放って、なんとかノーヒットノーランは免れた。だが、劣勢をはね返すことができず、藤川のセーブ機会を設けることはできなかった。さすがに矢野監督も「ちょっと寂しい」と残念そうだ。 ただ、チャレンジはした。本塁打王を争う大山を1番に据えた。快音は出なかったが、矢野監督は「力んでいいと思うしね。力むなという方が無理。力んで当たり前だと思う。挑戦、もちろん結果を出さないとね。ダメな部分もあるけど、そうやって自分で思いきって勝負いった結果。悠輔(大山)自身もできたことと、まだまだ成長していかないとダメな部分も分かると思う。思いきっていった結果。(明日も1番かと聞かれ)うん、1番で」。11日の今季最終戦は打線の爆発で締めくくりたい。【松井周治】

◆巨人原辰徳監督は、藤川の登板に合わせて「うちを代表する選手と対戦させたかった」と坂本、中島を代打に送った。 09年WBCではともに世界一に輝いた右腕。「1球たりとも7割、8割の力で野球をしなかった人。プロ野球の宝物が、次の世界に飛び立った。まだまだこれからだから」とエールを送った。「その1球に懸ける思いを、先とか考えずに投げ抜いた。気持ちのこもった全力投球は、歴史に残る選手の1人だと思います」と感じている。 ▼巨人中島(代打で藤川に空振り三振)「昔から対戦させてもらって、その時と変わらないような球。いつも高めのストレートに手が出てしまったので、その球にまた今日も手が出てしまうような、伸びてくる球を投げられたと思います」 ▼巨人吉村作戦コーチ 今の選手からしたら憧れの存在。藤川投手のようになりたいと思ってプロの世界に入った人や、野球を始めるきっかけになった子も多いと思う。素晴らしい選手だし、こういう最後の締めくくりは最高だと思う。

◆9回に代打で登場した巨人坂本勇人内野手は、阪神藤川球児投手の148キロの直球で空振り三振に倒れた。 「僕が出だしの時からスーパーピッチャーで、球児さんから初めてホームラン打った時のことは鮮明に覚えている。それがすごく自信になった人なので、最後こうやって打席に立ったというのは光栄なこと」と感謝した。試合前には花束を贈呈。「梅ちゃん(梅野)にね、全然まだまだできるねって話してたんですけど。すごい、いいボール来てました」と言った。

◆引退試合を終えた阪神藤川球児投手(40)と同学年の「松坂世代」。ソフトバンク和田毅投手(39)が10日、藤川のラスト投球に心を揺さぶられた。 和田は「最後の投球を見ました。画面を通じても、心から野球を楽しんでいるのが伝わりました。これまではチームを背負って投げてきて、マウンドで笑顔になることはなかったと思うんですが、今日だけは楽しませてくれと言っているように感じましたね」とセレモニー終了後に、球団を通じてコメント。 「球場全体のファンの皆さん、両チーム全員がこの舞台を盛り上げているのを感じて、やっぱりすごいことを積み上げてきた選手なんだなと。これまでも各地で球児の引退を盛り上げていましたし、こういうことはメジャーでしか見たことがないのでそれにもすごいなと思っていました」と、この日だけではなく、ビジター各球場でも声援を受けていた姿に思いをはせた。 「今日の投球はすごいの一言。あのまっすぐが投げられてなんでやめるんだろうと思いますが、やれる、やれないじゃなく、本人がやめるとけじめをつけたのが今日だったんだなと。うれしそうに投げるのを見て感動しました」。今季、同世代では藤川の他に楽天渡辺直、楽天久保も引退表明。残る現役選手は西武松坂と和田の2人になった。「僕もあらためて、悔いなく残りの野球人生を精いっぱい生きて、最後に笑顔で投げられるマウンドを用意してもらえる選手になりたいなと思いました。本当にお疲れさまでしたと伝えたいです」と、今後への思いを強くしていた。

◆さらば、火の玉ストレート-。阪神藤川球児投手(40)が10日の巨人戦(甲子園)で引退試合に臨んだ。9回に登板。巨人の代打坂本から三振を奪うなど12球の直球勝負で1イニングを3者凡退に抑えた。日米通算245セーブを記録した右腕が、タテジマに別れを告げた。   以下は藤川セレモニーのスピーチ全文   では、スピーチを始めたいと思います。 まず始めにこのたび、野球選手、藤川球児のために、こんな素晴らしい舞台を用意していただいた阪神タイガース球団、そして矢野監督を始めるとするコーチ、選手、スタッフの方々にお礼を申し上げたい思います。 本日は阪神タイガースファン、そして全国の野球ファン、そしてプロ野球界の先輩方皆様に、今日この日を迎えるまでに、夢や希望を持ち人生を前向きに生きることができたお礼を伝えたいと思います。 1999年に阪神タイガースに入団して、同じドラフト1位には同級生、西武ライオンズ松坂大輔、そして巨人軍の上原浩治さんがいました。2人は1年目から素晴らしい活躍をしていました。2人を見て、失敗と故障を繰り返す自分とを比べると、自分には無理だと普通なら諦めてしまうでしょう。でも僕は、今は勝ち負けはついていないと、認めることだけは絶対にしませんでした。当時、周りから厳しい視線を感じたり、厳しい言葉を投げかけられることもたくさんありました。しかし、どんな時もいつも、必ず見返してやる、そういう思いでやってきました。そして2005年、タイガースで優勝することができました。最高の思い出です。 その後、松坂と上原さんがメジャーリーグに行って、追いかけるように自分もメジャーリーグにチャレンジしました。しかし、本当に苦しいことばかりで、孤独で、また新人のころのようにうまくいかない日々が訪れ、明日すら...大丈夫です(笑い)。明日すら見失いそうになっていました。そんな時、阪神タイガースに入団してからの苦労した経験が僕を救ってくれました。俺は負けていない...。見返してやる...。独立リーグからもう1度リスタートして自分の力を見せて、地元高知の子供たち、そして日本のプロ野球ファンをビックリさせたいと思いました。そこからタイガースに戻り、3年間かけてやっとクローザーのポジションに戻ることができました。 見返してやる。その時にはもうそんな気持ちは全くなく、それが皆さんからの叱咤(しった)激励だと知り、心の底からありがとうという感謝の気持ちでいっぱいでした。僕は自分自身に度々襲いかかる苦難に打ち勝つことができました。 清原和博さんへ、あなたがいなければ、今の僕は存在しません。僕をここまで成長させてくれたのは清原さんとの対戦、そして存在です。何年か前になりますが、僕も清原さん自身も苦しい時に、御守りを届けてくださいました。「体を大事にしろよ」。すごく力になりました。キヨさんはとても優しい方です。必ずお礼を伝えに行きますので、今後もよろしくお願いします。 ライバル、松坂大輔へ。必ず投げる姿を見せて、世の中の人を元気にしてください。あなたのそういう姿が今の日本には必要です。僕はあなたの1番の応援団になります。目標でいてくれてありがとう。 それでは阪神タイガースファンの皆様へ、お礼を言わせてください。僕の投げる火の玉ストレートには、甲子園球場のライトスタンドの大応援団の皆さん、チームの思い、そして全国のタイガースファンの熱い思いがすべて詰まっています。それが皆さんの知る火の玉ストレートの投げ方です。それは打たれるはずがありません。打者のバットに当たるはずがありません。僕が言うのも変ですが、不思議な力が湧いてきて、普段の自分ではなくなるのです。野球選手、藤川球児というのは、皆様の気持ちの固まりだったのだと思います。ファンの皆様にとって僕の存在が誇りだと言うのなら、僕にとってもファンの皆さんが誇りです。その気持ちをこれからは後輩たちに一緒に送り続けましょう。そして、タイガース史上最高のキャッチャーで、僕が世界で1番尊敬している矢野監督を、日本一の監督にさせてあげましょう。選手やコーチの皆さん、あとはよろしくお願いします。もし困った時はいつでも呼んでください。すぐに駆けつけます。 そして、僕自身よりも本当に1度も世間の皆様に顔も見せず頑張ってきてくれた家族へ、この場を借りてメッセージを送らせてください。今までたくさん野球のために我慢をさせてきたけど、やっと明日から夫として普通のお父さんとして、家族のために何でもしてあげられるようになります。長い間、お待たせしました。これからは何をする時も1番にみんなを優先します。今までよりさらに笑顔の絶えない家族になりましょう。 そして、おやじ、お母さん、名前を球児にしてくれてありがとう。野球をやらせてくれてありがとう。辞めようとしている時、何回も引き留めてくれてありがとう。2人が元気な間に恩返しする時間ができました。これから少しずつ恩返しさせてください。 そしてこの1カ月、セ・リーグの各チームの方々、球場関係者の皆様、こんな1人の選手のためにセレモニーを用意していただいて、本当にありがとうございました。きっとたくさんの子供たちへの夢や希望につながったと思います。夢をつなぐ、これが僕の現役生活最後の1カ月でやりたかったことです。 それでは皆さん、野球選手、藤川球児とサヨナラをする時が来ました。子供のころからの先生方、今までのすべての友人、そして世界中の野球ファンの皆様、皆様のおかげで最高に素晴らしい野球人生を送ることができました。長い間のご声援、本当に、本当に、ありがとうございました。

◆巨人は日本シリーズの先発候補がそれぞれ3回無安打無失点と好投した。先発畠世周投手は長打を警戒し3四球を与えたが「変化球は低めに投げられた」。 前回3日に146球投じた戸郷翔征投手は1死球のみで「制球力の課題があるので、つぶせるように取り組んでいきたい」。8回1死まで無安打リレーを続けた投手陣を、原監督は「無駄なフォアボールはあったけれども、まあでもいいと思います」と評した。

◆阪神矢野燿大監督(51)が藤川の「最後の1球」を受けた。 かつての女房役、そして最後の指揮官として、「ピッチャー、藤川」をコール。最後の登板を見届けた。引退セレモニーではバッテリーを組み、固い絆で結ばれた2人の物語はひとまず幕を閉じた。現役時代、火の玉ストレートを受けてきた矢野監督のミットに、藤川のラストピッチが吸い込まれた。藤川との特別な時間。笑顔でしっかりと受け止めた。 9回の守りの開始前には、マウンドに歩を進めた。藤川の現役最終登板。ボールを渡すと抱き合った。「初球を見たとき、本当に球児の最後の思いを込めたボールだな、と。球児自身の思いもあるし、それを受け継いでいく後輩に対する思いもあって投げたボールだと思う。(後輩の)1人1人が感じ取ってくれたら、と思います」と矢野監督。オール直球のラストマウンドを振り返った。 浮き上がるような剛速球を「分かっていても打てない。本当に魔球」と評し、「それを受けられることは幸せだった」と語っていた。思い出は数知れない。JFKを軸にした05年のリーグ優勝は決して忘れることはできない。その05年には、当時のシーズン最多登板記録更新がかかった藤川の79試合登板の際に「すごい(カメラの)フラッシュやな」と声をかけたという。06年球宴第1戦では10球オール直球で西武カブレラ、日本ハム小笠原を連続三振に斬った伝説を、女房役として演出した。 悔しい思いも脳裏に強く刻まれている。03年4月11日巨人戦では3点リードの9回2死から後藤に同点3ランを浴び「ある意味、あそこから球児の伝説がスタートした」という。08年CSファーストステージ第3戦では中日ウッズに決勝2ランを浴びた苦い思いも、ともに味わった。 最も近くで見てきたからこそ知る、藤川の神髄を語ったことがある。「能力で抑えていた印象があると思うが、実際は大胆な中に、繊細な部分があった。直球を投げる中でも、目いっぱい投げるだけじゃなく、体の近い方に投げるとか、ベルトよりも絶対上に投げるとか。ここは絶対低めに投げるとか。1球1球、すごく自分の中で繊細に考えて投げる投手だった」。 藤川が優勝に執念を燃やしたことや多くの選手にその情熱や知識を引き継ごうとしたことも知る。選手と監督としての美酒はならなかったが、球児イズムを受け継ぐナインと来季挑んでいく。【松井周治】

◆阪神藤川球児投手が登場曲として使用してきた「every little thing every precious thing」を歌う「LINDBERG」のボーカル渡瀬マキ(51)も、サプライズで駆けつけた。 セレモニーでは、藤川の中学時代に書いた『僕の野球への思い』という作文を朗読した。花束贈呈ではマウンド上の藤川をねぎらい「私も歌を諦めずに頑張ります」と声をかけたという。藤川からは「応援しています」と返事があったと明かした。 最後の登場曲を聞き終え、試合後には感動に浸った。長年、登場曲として使用してくれた藤川へ「今までずっと使ってかけてくださって、いつも藤川さんの近くにあの曲がいれたことの方が、その喜びの方が大きくてありがとうございますという気持ちです」。寂しさよりも感謝が勝ったという。引退セレモニーを見届け「スーパースターは違うなと思いました。改めて私も、人に元気とか勇気をあたえられたら」と、藤川から元気を与えられていた。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。日刊スポーツ評論家・上原浩治氏(ビデオメッセージで)「あの火の玉ストレート、1回打席に立ってみたかった。でも、関西、関東で『球児・浩治』で頑張ってきたと思います。僕はそう思ってます。本当にお疲れさまでした」

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。カブス・ダルビッシュ(ビデオメッセージで)「球児さん、このたびは長い現役生活、本当にお疲れさまでした。自分としては15年にレンジャーズで一緒にプレーできたことが本当に宝物に思っています。今後も野球界に関わってくださると思いますが、ぜひ野球界に力を貸してください」

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。プロ22年目、日米通算811試合目の登板は1回無失点だった。ソフトバンク城島健司球団会長付特別アドバイザー(ビデオメッセージで)「球児とは3年間ほど、一緒に野球をやらしてもらいました。球児につなげば間違いないというような絶対的なクローザーだったと思います。ゆっくりしたら、第2の藤川球児育成に期待しています。現役、お疲れさまでした」

◆「JFK」の生みの親である阪神元監督の岡田彰布氏(62)も甲子園に駆けつけた。 花束贈呈で姿を見せると、スタンドから大きな歓声が起こった。マウンド上では、藤川とガッチリ握手を交わした。04年から指揮を執った岡田氏はウィリアムス、藤川、久保田の鉄壁リレーを完成させ、翌05年にはリーグ優勝を果たした。

◆阪神が藤川球児投手の引退試合でもあった今季の巨人最終戦で完敗を喫し、勝利をつかめなかった。 打線はわずか1安打。巨人5投手の前に完封リレーを食らった。守りでも1回の3失点は失策が絡んだ。7回の失点は押し出しを含む3連続四球によるもの。攻守で精彩を欠き、巨人戦16敗目(8勝)を喫した。 以下、矢野燿大監督の一問一答。 (試合後) -先発の青柳は2回以降は無失点 うん、まあボール自体はいいボールがいっていましたし、初回にねエラーで足を引っ張ったので、その点を彼がしっかり投げ切ったのは青柳の成長かなと思います。 -打線はなんとか中谷が1本 まあね、ちょっと寂しいバッティングでしたね。 -藤川には監督自らボールを手渡した まあ本当にね、最後になってしまうんだなというね気持ちでいろいろな思いがありながら送り出しました。 -直球勝負だった 本当にストレートを投げ抜いてきた野球人生だったのでね。投げるだろうと思ってましたしね。そこまで求められるピッチャーってね。藤川球児しか知らないのでね。そういう中で最後はストレートを投げてくれてね。 -明日が今季最終戦  タイガースらしい試合をしたいと思います。 -最後は声をかけたか 特別、声はかけてないよ。 -最後も巨人を相手に見応えある投球 もちろん最後勝っている状態で球児を投げさせてあげたいというか、そういうふうにしたかったけれど、でも特に初球を見たとき、すごいいいボールがいっていたので。本当に球児の最後の思いを込めたボールだなと、そのボールを見ても感じ取れたので。球児自身の思いもあるし、それを受け継いでいく後輩に対する思いもあって投げたボールだと思うので。1人1人が感じ取ってくれたら、と思います。 -青柳が規定到達 去年も規定投球回にいって、ことしも前半特に順調にいってたけど、途中苦しいところで。まあ左打者をどう抑えるかの課題の中で、克服というか成長してきた部分があるんで。そういうところがあったからこそ、規定投球回もいけたと思うし。まあ昔みたいに簡単に崩れるという形もなくなってきているんで。2年続けられているというのは成長しているという証しなのかなと思う。 -大山を1番起用 力んでいいと思うしね。力むなという方が無理なんでね。力んで当たり前だと思うんで。挑戦、もちろん結果出さないとね。駄目な部分もあるけど、そうやって自分で思いきって勝負いった結果なんで。タイトルって相手もいることなんで、そういうところでは、そういう中では悠輔自身もできたことと、まだまだ成長いかないと駄目な部分も分かると思うんで。思いきっていった結果なんで、それでいいかと思っています。明日も? うん、1番で。   (セレモニー後) -これまで藤川のボールを1番受けてきた。きょうのボールは うーん。感謝の思いで。球児の、俺が勝手に思ってるのは、俺が引退の時に、俺が出られなかったのね、球児が打たれちゃって。で、そのあとね、それこそテレビの番組で、そのときにできなかったっていうので、球児と2人で引退セレモニーっていうのをやらせてもらって。だからそれがあって球児が俺に捕ってもらいたいって言ってもらってやってもらえたのかなっていうのがあったので。球児自身も、最後セレモニーっていうよりは、俺に対する、俺に対してやってくれたのかなっていう。それがうれしかったです。 -受けた感触は 速いボールならどうしようかなと思ってたけどね、気を使ってくれて捕りやすいボール投げてくれたので。 -このキャッチボールは球児の提案だった 俺は聞いてなかったので。俺から提案というか、したわけじゃないので。球児はそれを、気遣いというか。大胆な風にピッチングからは見える、みんなの印象かもしれないですけど、すごい繊細で気遣いで...。まぁだからそういう風に思ってくれたんだろうな、と。 -キャッチボールは監督の現役引退後では初 そうやね。 -変わらなかった  思いっきり投げたわけじゃないんでね。球児のボールって軽いのね。ホップする。(ミットに)重く入るというよりは、気持ちよく入るというね。今日はね。ファンの人の思いとか、いろいろな思いが入った1球なんでね。そういうところでは、自分の中では心地よくというか、俺自身の中ではすごく幸せな瞬間でした。 -監督は巨人後藤に打たれた印象が残っている あそこから球児がスタートしたかなと。本当に、その前からあまりうまくいかなくて...。あの悔しさ。あと1人というところで打たれて、あと1球というところで。そこで打たれて、また野球の怖さも知って。でも、そこからここまでの球児になった。やっぱり球児自身も話をしてくれたけど、悔しいことだったり、自分にとって嫌な瞬間にチャンスがあって、俺と球児が悔しいというか、思いが共有したことがあれだったんで。もちろん清原さんがコメントしたことに対して、そこでまたストレートにこだわり持って。ヨッシ次はストレートで抑えようって2人で言ったことはすごく覚えているし。でもそのすべての始まりが、自分の中ではあっこからスタートできたのかな、と。こんな抑えているのにやっぱり打たれている時の印象の方が残っている。だからあれを挙げさせてもらいました。 -監督にとって藤川はどういう存在 まあ現役で受けてるときはすごいピッチャーやなってもちろん分かっていたし。味方でいてくれることでどんだけ心強かったか。JFKにつなげば自分の仕事は終わりだし、あとはオーバーに言えば構えているだけ。だけど選手として、バッテリーとしてやってきて。また自分が監督という立場で球児を送り出すなんて夢にも思っていなかったし、監督になって改めてすごいピッチャーなんだなって。残している数字もすごいし、結果ね、どうやって抑えるか。ストレートで抑えてくれよって俺もプレッシャーかかりながらサイン出して47イニング無失点とか80試合登板とか...。ちょっとあり得ないよね。今、監督をしてて3連投でも選手に負担かけているなというのがあるし、それだけの覚悟、数字を残して抑え方まで求められる投手はいなかったので。選手時代はすごいなと思っていたけど、今回監督という立場で球児があのときいてくれたというのは、どれだけ心強かったのか。この立場になって改めて感じ取っています。 -ひと言伝えるなら、どういう言葉をかける ひと言でね...。本当にたくさんありすぎて難しい。けど、球児のストレートを一番多く受けられたのは自慢。このタイミングで球児と出会って、すごくなる前から球児に出会えたのは、本当に俺的にうれしかった。球児にも言ったことあるんやけど、球児の球を受けてすごさはなんぼでも知ってるんやけど、打席に立てなかったのが俺自身はすごく、ひとつ残念というか。球児に紅白戦で思いきり投げてきてくれよ、打席で見てみたいわという話はしたことあるんですけど。それができなかったのは悔いが残りますけど。本当に全身全霊タイガースのためにやってくれた。感謝の気持ちしかない。一言では収まらないんですけど。幸せな時間でした。

◆阪神藤川球児投手の引退試合で畠、戸郷ら巨人の若手5投手に今季ワーストの1安打0敗を喫した。 1回の3失点は失策が絡み、7回の失点は押し出しを含む3連続四球によるもの。攻守で精彩を欠き、今季の巨人戦は8勝16敗で終わった。8回1死から中谷の安打が出るまで無安打で、矢野監督は「最後勝っている状態で球児を投げさせてあげたたかったけど...。ちょっと寂しい」と本音をのぞかせた。打線は本塁打王争いで巨人岡本を3差で追う大山を1番起用。快音は出なかったが、矢野監督は「力むなという方が無理」とし、明日も1番かの問いに「うん、1番で」と11日の今季最終DeNA戦に期待した。

◆引退試合を迎えた阪神藤川球児投手(40)が、現役最後のマウンドに上がった。 9回にコールされると、詰めかけた今季最多21392人のファンから大歓声が響いた。 ともに代打の坂本、中島を空振り三振、重信を二飛に打ち取った。 以下、藤川の一問一答。 (拍手のなか入場) -グラウンドを1周。いろんな声があった。 藤川 そうですね。今回引退のいろんな引退記念のグッズがたくさん出ているんですが、それを持っている人がたくさんいて。もっと前から応援してくれる人とかがいて。そういうファンの方々と同じような。もっと前から2005年の優勝した時とか。思い出を一緒にページをめくっている感じがして、感慨深い感じがしました。 -笑顔だった 藤川 自分にとって野球は本当シビれるような戦いです。その中で勝ったり、勝ち続けないといけない。そういう思いのなかでやってきたからこそ悔しさ、うれしさというものがあった、グラウンド上で。チームのために涙を流すことはあるかもしれませんが、個人が野球を離れるということで涙するということは実は1度もなかった。 -阪神のユニホームを着てほしいというファンの方の声に応えてくれるか 藤川 いまはそこに自分の人生のすべてをささげられるだけの自分が、いま送りたい人生と比べたときに入ってこない。それは、自分のところは子供が早かったので、気づけば19歳、17歳、13歳と。それは妻が本当に頑張ってくれて、自分自身を野球に集中させてくれたという感情を考えると、やっぱり自分は何を一番大事にしたいのか考えた時に、最後の1カ月、甲子園で家族に姿を見てもらった通り、自分にとってはそれが家族。皆さんからそういう声をかけてもらった時にその時自分がどうするか今のところは想像できません。 -矢野監督との最後はサプライズ。どんな気持ちで投げてどんな思いだった 藤川 矢野さんとは若い時から本当にずっと一緒にやってきて、僕が人生で一番尊敬する方。そこを自分の人生の軸として自分もいま生きている。監督ってものすごく大変だといつも思いがあるけど不平不満、つらい思いをすべて受け止めて黙って戦っていく精神力が必要。皆さんにも本当について行ってほしい。 -生まれ変わっても野球やりますか 藤川 いま生まれ変わったところ。あの頃に戻れたんですけどね。17歳、18歳か。今からはまだ、今からの人生を楽しませてもらいたいなと。巨人の坂本くんが2000本打ったばかりで。しのぎを削ってやってきたんで、最後、花を持たせてくれてね。対戦しながらもっと対戦したいなと。今日のボールなら対戦できるのにという思いもありながら、でもそういうプロ野球の素晴らしさというのは目に見えないものの方が実は重要。 -12球で納得できる球は何球ぐらい 藤川 結構ありました。坂本君の時は多かった。高めに浮いたボール以外は良かったですね、自分では。 -12球のうち2回振りかぶって投げた 藤川 150キロを狙ったんですよ。だけどその時の方がボール遅かったじゃないですか。それがやっぱりいかに鍛錬を積んできたフォーム、まだ新しいことをしようとしているじゃないですか、そこで。うん、野球好きなんだなと思いました。 -中学のときの作文が流れた。そのときの自分に伝えられることは 藤川 あれ一夜漬けで書いたんですよ。夏休み前の最後にやばい、やばいと思いながら書いて。夏休み明けに、クラスで1日3人とか4人が読み上げるんですけど、自分の瞬間が回ってきて、まいっか適当に書いたしと思って、抱負をつらつらつらつら読んだんですけど、読んで周り見ると、泣いているんですよね。 -清原選手のメッセージ 藤川 清さんにそこまでの気持ちにさせてしまっていたということの方が、自分にとってはすごく、つらいものもあったんですね。言われたことは、全然なんとも思ってないです。自分で克服できた。だけど言わせてしまった方。それを取り上げしまった側のことを考えたときに、グラウンドを出た清原選手と、グラウンドを出た藤川球児選手の話。グラウンド上の中で起こることっていうのは、外では絶対起こらないことだったんですけど、最後は自分がメッセージを清さんにしたんですけど、自分が清さんの恩を返さなければいけない。清さんがそうやっていってくれたことで、自分を守ってくれようとするファンの方もできた。自分が苦しんでいるときに、自分が調子が良いときに、清原さんが粘り強く言われたことで、野球では友達じゃないといってくれる方ができたというのはなんか、心苦しいですね。早くお礼を言いに行きたいというか、そういう風な思いを持ってる方々というのが、人生のなかでも失敗するときは誰でも絶対あるんですけど、そういうところからの社会復帰とか、そんなやるのはおかしいでしょって言う風に自分は、常々思ったけど、それを今日初めて言えたので、なにかが伝わってれば。いろんなところを含めて、みんなが支え合っていかないと。 ▼藤川が登板した782試合で、阪神は527勝201敗54分け、勝率7割2分4厘。勝ち試合での527試合登板は、球団最多。

◆さらば、火の玉ストレート-。阪神藤川球児投手(40)が10日の巨人戦(甲子園)で引退試合に臨んだ。9回に登板。巨人の代打坂本から三振を奪うなど12球の直球勝負で1イニングを3者凡退に抑えた。日米通算245セーブを記録した右腕が、タテジマに別れを告げた。何度も気持ちを高ぶらせた登場曲、背中を押してくれた大声援、そして世界に1つだけの聖地のマウンド。全てに別れを告げる守護神の顔は、穏やかな笑顔に満ちていた。 「明日投げれば、もう1キロぐらいは出たかなという感じはしましたけど(笑い)。プロとしてやる上では、数字が残せなければ、それで終わり。それが、このタイガースのユニホームを着た自分との約束だった。しっかり守れたので。守れた男でよかった」 真っすぐに生きてきた人生を、全12球の直球に込めた。巨人の主将坂本に、4球直球を投げ込み空振り三振。中島の初球には、引退表明後最速の149キロを計測した。守り続けた最後の9回は、直球だけで3者凡退。執念を燃やした「伝統の一戦」で完全燃焼した。 阪神への愛を貫き、身をささげてきた22年だった。「阪神を強くしたい! 弱いチームにおるのは絶対いやや」。01年、高知春季キャンプ中のある夜。入団して間もない赤星憲広の部屋に、藤川と中谷仁が集まった。お酒を片手に会話は熱を帯びていく。「どうやったら阪神は変わるんや」「弱いままじゃだめなんや」「とにかく阪神を強くしよう。自分がその一員になるんだ」。20代前半、まだ1軍に定着もしていない頃。未来の守護神は、情熱と使命を隠さなかった。そしてその時から、優勝の瞬間にマウンドに立つ自分を、思い描いていた。 大リーグを経て帰国した15年。阪神以外のNPB球団からもオファーが届いた。「阪神以外のところに行ったら、俺あかんかな。他のユニホームを着たら、どうなんやろ」。自宅にほど近いグラウンドで、キャッチボールをしながらふと漏らした。進むべき道に迷いながらも、常に心にあった思い。阪神が藤川球児を育ててくれた-。他球団のユニホームには袖を通さず、地元に恩返しする道を選んだ。そして再びタテジマに身を包み、この日、タテジマのままユニホームを脱いだ。 慣れ親しんだマウンドでのスピーチ。苦難や歓喜、これまでの道のりを思い出すと、言葉を詰まらせた。それでも、最後まで涙は見せなかった。「すべてが、自分が野球を始めた時に思い描いていた人生になった」。圧倒的な立ち姿と炎の直球。伝説の守護神は、確かに球史に刻まれた。【磯綾乃】

◆元阪神投手コーチで藤川がブレークするきっかけを作った山口高志氏(70=関大野球部アドバイザリースタッフ)が教え子の引退試合に「観戦記」を寄せた。絶対的な守護神として、大苦戦した巨人戦で中継ぎ登板を志願するなど執念を燃やした秘話を明かした。阪急で現役時に日本最速と称された伝説の剛腕がプロ22年間の現役を駆け抜けた男にねぎらいの言葉を贈った。球筋は見ていない。アイツの姿ばかり見ていたよ。躍動感があってね。復帰して初めて全力で、体に残していた闘争心を全部出したんじゃないか。本当に野球をやってよかった幸せを感じて投げていただろう。久しぶりに12球という少ない球数。私はいま、関大で指導している。甲子園に行くのも照れくさい。この日も何とか練習後、間に合って自宅のテレビで見たんだ。 8月末に引退発表後も登板をテレビで見ていたが、やっと楽しそうに投げていると感じた。米国から帰ってきて「もうお前1人で全部、背負うのじゃなく、自分のために投げたらいい」と言ったことがある。でも、球児はそうしなかった。「もう1回、タイガースで優勝して幕を引きたい」。そんな思いが強かったのだろう。 勝利への執着心で印象に残っていることがある。私は09年から1軍投手コーチを務めたが、巨人戦でどれだけやっても東京ドームで勝てないとき、球児が「途中でもいいから投げさせてください」と直訴してきた。負けていたらクローザーは出番が回ってこない。球児に守護神を任せるチーム方針だったから中継ぎ起用は実現しなかったが、チームに貢献したい、勝ちたい気持ちの強さが出ていた。 球児とは密着した師弟関係ではない。彼の分岐点にたまたま私がいただけだ。初めて接したのは03年。阪神の2軍投手コーチとして久しぶりにユニホームを着た。最初に指導者になったのは阪急時代の83年、32歳だった。教えすぎて失敗した。だから阪神では選手の「鏡」になろうと思っていた。ケガがなければ家を建てるまでいかなくても、10年くらいプロでやれるだろうという第一印象だった。 ブレークのきっかけになった「右膝を折るな」という助言は球児だけでなく、全員を見るときの視点だ。最初は低めに投げようとして体が沈み込み、右膝も曲がっていた。角度がなく、打者はとらえやすい。右膝を伸ばして上からたたくように投げたらどうだと。「高めに投げても大丈夫」とも言った。想像以上、はるかに大きな結果を残した。 大リーグ挑戦前のアイツに否定されたことがある。私も78年に最優秀救援投手のタイトルを取った。「抑えは1球で負けることがある。人の勝ち星、チームの勝ち星を消してしまう。野手に信頼されるよう、練習をしっかりやる姿を見せないかん」。経験談を球児にした。アイツは「大丈夫です。ボールで表現しますから」と言ってきた。圧倒的な成績で信頼を得ていた。「すごい選手になったな」と感慨深かったものだ。 よく「球児は品のある球で、俺は品のない球」だと言っていた。一般的に剛速球というが「剛」は強さを表す。速さ、キレをイメージするのが球児の本質だろう。ピンと膝が伸びた立ち方から、右足を蹴り上げるところまで、ちょっと人にはマネできない、球児にしか表現できない躍動感がある。球児よ、本当に長い間、お疲れさま。ワクワクさせてもらってありがとう。

◆昨季まで阪神に在籍したロッテ鳥谷敬内野手(39)も藤川の引退試合に駆けつけた。甲子園の記者席で観戦。ラスト登板、セレモニーも見届け、「球児さんの偉大さを感じました。自分も近い将来、こういう日が来る。球児さんへの寂しさもあるし、自分と重ねながら思うこともあります。でも、球児さんがこういう形で終わることができて本当に良かった」と1学年上の先輩を思った。 前日9日夜に千葉でシーズン最終戦を終えたばかり。11日は再び千葉で練習に参加する。「見たかった。球児さんがいたから優勝できた。勝てた試合がたくさんあった。頑張った人への敬意として、最後の姿を見るのは大切なこと」。休日に長距離往復を強行してでも、背番号22の最後を目に焼きつけたかった。 2人は05年のリーグ制覇メンバー。投打の生え抜きスターとして長年チームを支え、12年には投手キャプテン、野手キャプテンとして苦楽をともにした。「人がどうこうじゃなく、自分のこだわりを貫いて...」。周囲に流されず練習を続ける姿を、尊敬していた。 「JFKにつなげば勝てる。野手として、そこにつなげば勝てるという思いを持って戦っていた。その期間はすごく思い出深い。球児さんの姿をずっと見てきたし、チームに与える影響を自分も感じてきた。そういう人が辞める。寂しい思いがあります」 引退発表直後には、2人にしか分からない感情をLINEで交わし合った。 「第2の人生の方が長い。阪神のためにも球界のためにも、球児さんという存在は代えがきかない。いろんな形でまた一緒に何かできたらいいなと思います」 自身は14日からCSソフトバンク戦を戦う。虎の背番号22への思いも胸に、戦場に戻る。【佐井陽介】

◆さらば、火の玉ストレート-。阪神藤川球児投手(40)が10日の巨人戦(甲子園)で引退試合に臨んだ。今季最多2万1392人の観衆が待ち受ける中、9回に登板。巨人の代打坂本から三振を奪うなど12球の直球勝負で1イニングを3者凡退に抑えた。藤川は日刊スポーツに直筆メッセージを寄せ、ファンに感謝の気持ちを表した。日米通算245セーブを記録した右腕が、タテジマに別れを告げた。 <プロ生活22年振り返る 球児語録> ▼00年 20歳 開幕1軍に抜てきされ、3月31日横浜戦でプロ初登板「0点に抑えることができて、ホッとしてます」 ▼02年 22歳 9月11日ヤクルト戦で、この年9度目の先発。8回1安打1失点に抑えたプロ初勝利に涙「長かった...」 ▼03年 23歳 9月15日、18年ぶりのリーグ優勝も、自身は不完全燃焼「悔しいけど胴上げに参加できてよかった」 ▼04年 24歳 シーズン後半1軍に定着し、31回を投げて35奪三振。契約交渉を終え「何としても日本一。中継ぎの軸としてやりたい」 ▼05年 25歳 6月25日、「チ○ポコついてんのか」発言後では清原と初の対戦。149キロ直球で空振り三振に仕留め「清原さんのおかげで吹っ切れて、真っすぐで押せるようになった」 ▼セットアッパーに定着し、ウィリアムス、久保田とともに「JFK」を形成。ファン投票で中継ぎ投手部門1位に選ばれ球宴初出場が決まり「用紙に名前が載ったのがうれしくて、記念に家に持ち帰ったんですけど。まさかこういうことになるとは思っていなかったので、幸せです」 ▼9月23日に49ホールドポイント(HP)として初タイトルの最優秀中継ぎ投手が確定(最終53HP)。同28日に優勝マジック1としてファンへ「涙の準備はできています。みなさんよろしいでしょうか」▼06年 26歳 7月11日広島戦で連続イニング無失点を47回2/3として、小山正明の球団記録(47回)を更新し「(記録の存在が)すごく力になりました。夢の中みたいです」▼7月21日、球宴第1戦で、カブレラへの投球前にボールの握りを見せつけ、全球ストレートを予告「パフォーマンス? いまいち。外国人やったんで、怒るかなと思って...」▼07年 27歳 10月3日、チーム最終戦のヤクルト戦で日本タイ記録(05年の中日岩瀬と並ぶ)となる46セーブ目を挙げ、初の最多セーブ投手「記録にはこだわっていなかった。状態がよければ、またいつでも作れるものだから」▼08年 28歳 10月、CSファーストステージで中日と対戦。第3戦の9回、ウッズに2ランを許して敗退が決定し、退任する岡田監督の花道を飾れず「監督に申し訳ないです。最後、とてつもなく迷惑をかけてしまった」▼09年 29歳 第2回WBCに、2大会連続出場。1次、2次予選の4試合に登板して防御率0・00。準決勝と決勝ではダルビッシュが抑えを務め、登板なし「野球は1人でやるものではないし、全員でやれたのでよかった」▼12年 32歳 オフに海外FA権を行使。シカゴ・カブスと2年契約を結んで、入団会見でユニホームに袖を通し「やっぱり縦じまなんだって。少しの安心と自信が湧いた」▼15年 35歳 11月24日、阪神球団と正式に復帰契約を結ぶ。2年契約で年俸総額は推定4億円、背番号18「全身全霊で、グラウンドでいつ倒れてもいい覚悟でやれると思うとうれしく思う」▼16年 36歳 4月3日、DeNA戦に先発し、復帰後初勝利。NPBでは03年9月19日の巨人戦以来の先発勝利「(金本)監督に勝利をプレゼントできてホッとしてます」▼17年 37歳 5月30日、ロッテ戦で角中から三振を奪ってNPB通算1000奪三振。771回2/3で、野茂の最速記録(871回)を上回る「ファンの方が三振に関心を持ってくれていた時期も。それをモチベーションに」▼20年 40歳 9月1日の引退会見で、どのように矢野監督に伝えたのかと問われ「矢野監督には伝えてないです、矢野さんに伝えました」

◆さらば、火の玉ストレート-。阪神藤川球児投手(40)が10日の巨人戦(甲子園)で引退試合に臨んだ。9回に登板。巨人の代打坂本から三振を奪うなど12球の直球勝負で1イニングを3者凡退に抑えた。日米通算245セーブを記録した右腕が、タテジマに別れを告げた。▽阪神安藤優也2軍投手育成コーチ(藤川について)「本当に最後『ありがとう』と言いたい。テレビでしっかり最後の雄姿を目に焼き付ける。一緒に戦ってきた仲間なのでさみしいけど、とりあえずはもう『お疲れさま』と言いたいです」

◆さらば、火の玉ストレート-。阪神藤川球児投手(40)が10日の巨人戦(甲子園)で引退試合に臨んだ。9回に登板。巨人の代打坂本から三振を奪うなど12球の直球勝負で1イニングを3者凡退に抑えた。日米通算245セーブを記録した右腕が、タテジマに別れを告げた。▽阪神平田勝男2軍監督(藤川について)「ファームにいる間は若い選手にプロの厳しさ、プロで生き抜くための言葉を言ってくれた。『マウンドは崖っぷち』と言ったあの言葉と、厳しいことを言ってくれる人に耳を傾けろと(2軍選手に)言った。テレビ放送で2軍選手たちの目に焼き付けさせて、生き様を見る。それが我々に対する彼のメッセージ。まだご苦労さまとは言わんよ。(チームは)まだ試合ありますよって怒られるから」

◆球児、ありがとう! 阪神・矢野燿大監督(51)が9日、甲子園での全体練習後に、きょう10日の巨人戦(甲子園)で引退試合を迎える藤川球児投手(40)への万感の思いを語った。また、岩貞祐太投手(29)と岩崎優投手(29)は、藤川に最高の形で最後のバトンを渡すことを誓った。  遺伝子を継ぐ者たちに迷いはない。次世代の投手陣のリーダーの一人となるべき阪神・岩貞は、藤川の引退試合を前に誓った。  「もちろんゲームも勝てるように。ゼロに抑えて(球児さん)つなぐという以外にない」  今季は開幕前に調子を崩し、藤川の助言でフォームを修正した。「3日間ずっと付き添ってもらった。自分が気が付かない、ちょっとした調整で本当に3日でボールも見違えた」。中継ぎに転向した終盤は、さらに一緒に過ごす時間が増えた。  「ゲームの先を読む力というか。一手二手どころか、かなり先まで。(球児さんが)『こうなったらこうなるから、準備しといたら、ストレッチしといたら』と」  ブルペンでの会話から「100%でいけるような作り方を学べた」と感謝した。岩貞と同級生の岩崎も、背番号22の偉大さを「試合を読む力」と口をそろえた。この日が最後の練習日で「目に焼き付けました」と守護神の魂を胸に刻んだ。  「試合に対する自分のスタイルというか、準備とか、球児さんから得たものがほとんどすべて。最後まで一緒にいる時間を大切にしたい」  思いは岩貞と同じ。無失点リレーで最後のバトンを託し、感謝の気持ちを伝える。

◆さぁ、火の玉集大成!! 今季限りで引退する阪神・藤川球児投手(40)が9日、甲子園での全体練習に参加。引退試合となる10日の巨人戦(甲子園)に向けて「見ている方に何かを感じていただければ」と語った。現役生活22年の集大成となる最後のマウンドを見逃すな!!  いよいよ、運命の日がやってくる。ルーティンは現役最後となった甲子園練習でも変わらない。藤川はランニング後、投手陣の先陣をきってキャッチボールを開始。最後はウエートトレーニングで締めた。22年間の集大成となる引退試合へ、胸の内を激白した。  「自分がどう思うというよりは、見ている方に何かを感じていただければと思っていますね」  コロナ禍の影響で約2万席に制限された入場券は、すでに完売。チケットが手に入らなくてテレビで応援してくれるファンもいる。すべての人に感謝の思いを込めて九回のマウンドに立つ。  「個人的には、自然体ですかね。マウンドでは、ありのままの、その時の正直なことが結果として出るので。ファンの方の気持ちを大切にしながら、現役生活を終わりたいなと思いますね」  8月31日に今季限りでの現役引退を発表。2軍調整を経て、10月中旬に1軍再昇格した。そこから虎党に最後の雄姿を見せる"全国行脚の旅"が始まった。東京、横浜、名古屋、広島遠征に帯同。10月31日のDeNA戦(横浜)では元同僚の大和にオール直球勝負で挑んだ。引退発表からきょうで71日。「いや、長かったですね。長かったかなあ、自分の中では...」。ようやく集大成を迎える。  プロ初登板は、2年目の2000年3月31日の横浜戦(横浜)。フィナーレとなる歴代8位の782試合目は、思い出の詰まった甲子園のマウンド。過去に数々の死闘を繰り広げた原監督率いる巨人だ。  「その時の空気感であったり、そういうものを感じていただけたらなと思います。ジャイアンツさんも、もう少し先に日本シリーズという勝負があって、今度はリーグの代表としてやってくれるので。同じプロ野球OBとして、リーグを代表するチームとして、勝ってほしいなと思っていますね」  今季8勝15敗と大きく負け越した宿敵にエールを送った。だが、マウンドに立てば感傷に浸るつもりはない。魂を込めた投球をファンに届ける。  「(ファンは)感動しようと思って、感動するものじゃないでしょ。みなさんの力で最後、藤川球児で遊んであげてください、野球選手の」  独特の言い回しでファンからの後押しに期待した。大注目の最後の雄姿。火の玉の生きた証しをマウンドで見せる。(三木建次)

◆阪神・藤川球児投手(40)の引退試合となる一戦を前に、選手・スタッフによる"セレモニー"が行われた。  選手・スタッフは藤川の背番号22が刻まれた白の記念Tシャツを着用してグラウンドに登場。外野芝生に集結して藤川を待つと、登場曲の「every little thing every precious thing」(LINDBERG)が流され、午後2時30分に藤川もグラウンドへ。集合した選手たちの前で選手会長の梅野から記念ボードが手渡されると、藤川はあいさつして頭を下げた。バックスクリーンに掲示された「球児さん 22年間お疲れ様でした」のメッセージを背に、全員で記念撮影した。

◆引退試合を迎えた阪神・藤川の長男が試合前の始球式を務めた。藤川は捕手。アウトコースにビシッと決まった直球を笑顔で捕球した父は、満面の笑みでボールを投げ返した。親子のキャッチボールを終えた藤川は、息子の肩を抱いてから場内に一礼。試合後には引退セレモニーも行われる。

◆試合前、引退試合を迎えた阪神・藤川に出身地の高知県から「高知くろしお感動大賞」が授与された。県民に深い感動を与えた人物を表彰するために新設された賞の第1号。浜田省司知事が「高知県に深い感動と元気を与えてくれました」と表彰状を手渡した。  この試合は同県の協賛による「関西・郷土高知に感動をありがとうナイター」としてプレーボール。表彰式の後には、巨人・坂本から花束贈呈も行われた。

◆阪神は一回から守備の乱れが響いた。一回、先発の青柳は1番・吉川尚を二ゴロに打ち取るも、続く松原に四球を与えた。重信に右前打を浴び、1死一、二塁。4番・岡本は平凡な二ゴロに打ち取り、併殺かと思われたが、二塁手・小幡がこの打球をトンネル。ミスから先制点を許すと、負の連鎖が止まらない。  丸に適時二塁打を浴びるなど追加点を許し、なおも2死一、三塁の場面。スタートを切った1走・田中俊に捕手・坂本が送球のふりをし、三走・丸を誘い出す頭脳プレーを見せたが、挟殺プレーの連係がうまくいかず、結果は田中俊の二盗が成功する形に。若林の適時打で一回から3点を失った。  この日は藤川球児投手(40)の引退試合。何としても勝利が欲しい一戦で、また守りのミスが出た。

◆巨人の畠は3回を投げて無安打無失点と、日本シリーズでの先発へ向けてアピール。「たたきつけるボールはあったが、長打を打たれないように意識して変化球は低めに投げられた」と納得の様子だった。  チームメートの岡本と打撃タイトルを争う大山に対しては、一回は151キロの直球で遊飛。三回は捕邪飛に仕留めた。  プロ4年目の右投手。前回登板の1日のヤクルト戦ではプロ初完封で4勝目を挙げるなど、シーズン終盤に状態を上げてきた。

◆拙攻が続いている。阪神打線は六回まで巨人投手陣の前に無安打に抑えられた。  一回は先発・畠に三者凡退に抑えられる。二回、2四球で2死一、二塁と得点圏に走者を進めるも、小幡が三邪飛に倒れた。四回からは、2番手・戸郷がマウンドへ。六回に1死から近本が一塁強襲の打球を放ち、出塁するも記録は失策。「H」ランプがともることはなかった。続くサンズは空振り三振で、近本が盗塁死で併殺。ヒットが遠い展開が続いている。  この日は逆転で本塁打王を狙う大山を「1番」に据えるなど、大幅な打順の変更を行った。その大山は一回の第1打席は遊飛。三回と五回の第2打席、第3打席はいずれも初球をフルスイングも、捕邪飛に倒れ、3度のポップフライに終わった。

◆ようやく阪神に「H」ランプがともった。八回1死から代打・中谷が中前打を放ち、チーム初安打。巨人投手陣の前に、継投でのノーヒットノーランがちらついていた場面でチームの危機を救った。  打線は七回まで先発・畠、戸郷、桜井のリレーの前に無安打に抑えられていた。八回から巨人は高橋がマウンドへ。中谷は1死から代打で出場し、仕事を果たした。藤川の引退試合で不名誉な記録を献上することだけは避けることができた。

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が阪神・藤川球児投手(40)の引退試合に代打で登場し、空振り三振だった。  8日のヤクルト戦(東京ドーム)で通算2000安打を達成した主将は、この日はベンチスタート。試合前の花束贈呈で登場して藤川に大きな花束を渡すと、笑顔でいくつか言葉を交わしていた。  出番が訪れたのは3-0の九回先頭。大きな拍手の中登板した藤川に対し、「代打・坂本」のコール。ぎっしりと埋まった甲子園はさらに熱気を帯びた。初球は148キロ直球(見逃し)、続いて148キロ直球(空振り)、148キロ直球(ボール)、そして最後は148キロ直球で空振り三振に。藤川が長年、好敵手として意識してきた宿敵巨人の顔・坂本が、現役最後の試合の対戦相手の一人となった。

◆引退試合を迎えた阪神・藤川球児投手(40)が九回、現役最後のマウンドへ向かった。八回終了時点でチームは0-4とビハインド。坂本、中島を連続三振に斬って、重信は二飛。最速は149キロだった。最後の舞台はセーブ機会に恵まれず、日米通算セーブ数は245のままとなった。

◆阪神は巨人に完敗。拙攻に守乱と今シーズンの課題が改めて浮き彫りになった。  打線は八回1死まで無安打。巨人先発の畠、戸郷、桜井のリレーから安打を放つことができず、八回に4番手の高橋から代打・中谷が放った中前打の1本に抑えられた。  先発の青柳は5回5安打3失点も自責は0。一回1死一、二塁から4番・岡本の平凡なゴロを二塁手・小幡がトンネル。失策で先制点を献上すると、0-2とされた2死一、三塁の場面。スタートを切った1走・田中俊に捕手・坂本が送球のふりをし、三走・丸を誘い出す頭脳プレーを見せたが、挟殺プレーの連係がうまくいかず、結果は田中俊の二盗が成功する形に。この回2度目の守備のミスが3点目につながった。  この日が引退試合だった藤川は甲子園今季最多の2万1392人の観衆が見守る中、九回のマウンドへ。先頭の代打・坂本を148キロ直球で空振り三振。続く代打・中島も146キロ直球で空振り三振、最後は重信を146キロ直球で二飛に仕留めた。12球、オール直球勝負で最速は149キロをマーク。代名詞の「火の玉ストレート」をファンに届けた。

◆巨人は阪神に4-0で勝利した。この日は阪神・藤川球児投手(40)の引退試合。伝統の一戦で数々の名勝負を繰り広げてきたG戦士たちが、惜別の言葉を贈った。 阿部2軍監督 「あの伸び上がるような直球をどうにか打ってやろうといつも打席で燃えるものがありました。分かってても、打つのは容易でなかった直球は今でも目に焼き付いているほどです。昨年9月24日の甲子園での最後の対戦、オール直球勝負での対戦したシーンは思い出すと、胸が熱くなります。お互いが切磋琢磨(せっさたくま)して、巨人阪神戦を盛り上げられたのは自分の誇りでもあります。藤川選手、本当にお疲れさまでした」 杉内2軍投手コーチ 「19年間の現役生活本当にお疲れさまでした。40歳まで一線級でプレーしたことは、同じ投手として本当に尊敬しています。WBCや北京五輪で、ともに日の丸を背負って戦ったのが懐かしい。次のステージでは、メジャーや独立リーグも経験した貴重な経験を、野球界のために伝えてほしいです。またいつか、ゆっくりとお酒でも飲みながら思い出話でもしたいですね」 村田2軍野手総合コーチ 「同世代の選手が引退するというのは、改めて寂しくも感じますね。本当にお疲れ様でした。強い気持ちで投げ込んでくる球児の真っすぐは脅威でした。直球を打ち返すために試行錯誤することで、対戦した打者はレベルアップにつながったと思います。今後も野球界の発展のために、マウンドでの経験を伝えていってほしいです」

◆試合後にこの試合を最後に現役を退く阪神・藤川球児投手(40)の引退セレモニーが行われた。  オープニングで、藤川が中学時代に書いた作文が朗読された。「球児」という名前の由来、ぜんそくで苦労した幼少期、甲子園出場やプロ野球選手になるという夢や両親への感謝が綴られていた。  以下は藤川の作文の一部。  「父にも感謝しています。それは僕の名前のことです。『球児』という名前を、なんだか漫画みたいで嫌だと思っていました。でも今は嫌ではありません。父が僕が生まれる前の日にノーヒットノーランを達成し、翌日に生まれた僕に思いを込めて『球児』と名付けたそうです。今まで僕はプロ野球選手になりたいという夢を心の中に持っていましたが、周りの人から『将来の夢は?』と聞かれても『プロ野球選手になりたい』と言ったことはありません。かなうかどうかわからない夢を口に出すのが恥ずかしく、聞いた人にばかにされるよりは言わない方がいいという、どこかにかっこつけた自分があったからだと思います。でも父の話を聞いてからは、子供に託した父の夢を、これからは僕自身の夢として堂々と語れるようになりたいと思うようになりました」

◆試合後に阪神・藤川の引退セレモニーが行われた。藤川はスピーチで家族や恩師、ファン、ライバルや関係者への感謝を述べた。  巨人の主砲として、オリックス移籍後はオールスターで名勝負を演じた清原和博氏に対しては「あなたがいなければ今の僕はいません」と力強い言葉。「松坂世代」を引っ張ってきた西武・松坂には「目標でいてくれて、ありがとう」と呼びかけた。10分以上に渡って感謝の気持ちを語りつくして「野球選手、藤川球児とさよならする日が来ました。世界中の野球ファンのみなさま、みなさまのおかげで最高の野球人生を送ることができました。本当に、本当にありがとうございました」と締めた。

◆阪神は巨人に0-4で完敗。藤川の引退試合を白星で飾れなかった。以下、矢野監督の一問一答。  --先発の青柳、二回以降は無失点  「うん、まあボール自体はいいボールがいっていましたし、初回にね、エラーで足を引っ張ったので、その点を彼がしっかり投げ切ったのは青柳の成長かなと思います」  --打線はなんとか中谷が一本  「まあね、ちょっと寂しいバッティングでしたね」  --藤川には監督自らボールを  「まあ本当にね、最後になってしまうんだなというね気持ちでいろいろな思いがありながら送り出しました」  --全球ストレート勝負だった  「本当にストレートを投げ抜いてきた野球人生だったのでね。投げるだろうと思ってましたしね。そこまで求められるピッチャーってね。藤川球児しか知らないのでね。そういう中で最後はストレートを投げてくれてね」  --最後も球児が意識してきた巨人に、見応えある投球  「もちろん最後勝っている状態で球児を投げさせてあげたいというか、そういうふうにしたかったけれど、でも特に初球を見たとき、すごいいいボールがいっていたので。本当に球児の最後の思いを込めたボールだなと、そのボールを見ても感じ取れたので。球児自身の思いもあるし、それを受け継いでいく後輩に対する思いもあって投げたボールだと思うので。1人1人が感じ取ってくれたら、と思います」  --打線は大山が1番に入った  「力んでいいと思うしね。力むなという方が無理なんでね。力んで当たり前だと思うんで。挑戦、もちろん結果出さないとね。駄目な部分もあるけど、そうやって自分で思いきって勝負いった結果なんで。それでいいかと思っています。明日も? うん、1番で」

◆阪神の青柳が4回1/3を投げた時点で、2年連続での規定投球回をクリア。5回3失点で敗戦投手となったが「去年も今年もぎりぎりだけど、到達できて良かった」と先発ローテーションを守ったことを誇った。  一回から野手の失策も絡んで3点を失ったが、二回以降は打たせて取る投球で立て直した。この日は大先輩、藤川の引退試合だった。「特別な日に先発でき、緊張感はあった。球児さんには感謝の思いしかない」と実感を込めた。

◆試合後に阪神・藤川球児投手(40)の引退セレモニーが行われ、球団OBや球界関係者から祝福のメッセージがVTRで寄せられた。  メッセージ全文は以下の通り。 阪神OBのジェフ・ウィリアムス氏  「球児さん。素晴らしい野球人生だったね! 2003年、春のキャンプで初めて会ったことをいまだに覚えています。あれから17年以上も経ちますね。僕たちはグラウンドでもそれ以外でも、いろいろな素晴らしい思い出があるね。僕は球児とチームメイトになれたことが特別だったし、そして"友達"と呼べることを光栄に感じるよ! 球児の数々の成功を祝し、そして球児の将来がどうなるか楽しみにしています。またすぐに会いましょう。できたら"ゴルフコース"で」 阪神OBの久保田智之氏  「球児のおかげで優勝ができ、僕自身もいい思いをさせてもらいました。球児のこれから、野球に対する思いを子供たちに伝え、これからの活躍に期待しています。本当にお疲れさまでした」 阪神OBの城島健司氏  「球児とは3年間ほど一緒に野球をやらせてもらいましたけれども、そのときの捕手の仕事というのは九回に勝って球児にバトンを渡すというところまでが仕事でした。ある意味、楽だというか、球児につなげば間違いないというような"絶対的なクローザー"だったと思います。そんな球児でも、年に1、2度ほどやっぱりやられるときがあります。失敗したときに、最初のうちは『次の試合、球児どうなんだろうな』と心配した部分はあったんですけども、何もなかったように次の試合に出てきて、サッと抑えてサッと勝利をつかんでくれるという、そういう抑えて当たり前というような存在になりながらも、その場をサラッとする球児はとてもたくましく見えて。グラウンド上だけではなくプライベートでも仲がよかったときに、一度球児が『ジョーさん、1日ぐらい寝なくても人は死なないですよ』と言ったのを覚えています。やられた後に悔しくて寝れなかったり、きょうの反省をしたりというのを球児でもそれをやってたわけですね。それがなければあんな当たり前のように、プレッシャーがかかる場面で、5万人の大歓声の前で、堂々と自分のピッチングをするといういうその切り替え、さすがだなと感心させられたのを覚えています。長い間、そういう責任あるポジションをやってきた球児も来年からは少しゆっくりして。そういう寝れない夜もなくなるでしょうし。ぐっすり眠れる夜を過ごしてほしいなというふうに思います。そしてちょっとゆっくりしたら、"第2の藤川球児"育成に期待しています。現役お疲れさまでした」 その他の写真(2/6枚) 米大リーグ、カブスのダルビッシュ有  「球児さん、この度は長い現役生活本当にお疲れさまでした。自分としましては2015年一緒にレンジャーズでプレーできたことが本当に宝物に思っています。今後も野球界に関わってくださると思いますが、ぜひ野球界に力を貸してください。今後とも公私共々、どうかよろしくお願いします。本当にお疲れさまでした」 ソフトバンクの和田毅  「同級生がまた引退してしまうということは本当に悲しいですが、僕自身も球児のようにみんなに愛され、そして惜しまれるようなやめ方ができるように、残り少ない現役生活を頑張りたいと思います。本当にお疲れさまでした」 岩瀬仁紀氏  「球児とは1999年のドラフトで一緒に入団をして、中継ぎ・抑えと同じ境遇で野球をやってきました。オールスターや全日本で同じチームになったときは本当に心強かったですし、いろんな野球の話をしました。ここまで自分にとってもよき"ライバル"であり、球児は自分にとっての"誇り"でもありました。本当に22年間お疲れさまでした」 清原和博氏  「藤川投手との思い出といえば、東京Dでの物議を醸したあの事件です。藤川投手は何も悪くありません。サインを出したのは矢野監督です。藤川投手、ごめんなさい。自分の野球人生の中でバットを振ってボールが上を通っていく、こういうことが初めてのことでした。本当に完敗です。『粉骨砕身』いつ壊れてもいいほど腕を振っていた、そういう精神でやってこられた藤川投手。これからはゆっくりと肩・肘、そして心も休めて、新たな人生に向かっていってください。本当にお疲れさまでした」 上原浩治氏  「球児、現役生活22年ですか。本当にお疲れさまでした。あの"火の玉ストレート"、1回打席に立ってみたかったなあ。でも本当に関西・関東で『球児・浩治』で頑張ってきたと思います。僕はそう思っています。落ち着いたら、本当にご飯行きましょう。本当にお疲れさまでした」 斎藤雅樹氏  「斎藤雅樹です。僕に憧れて野球を始めたと聞きました。大変光栄です。藤川球児といえば、なんといっても『火の玉ストレート』。打者が待っていても打てないストレート。いまでも目に焼き付いています。それが見れなくなるのは残念ですが、藤川くんがいろんな所で経験してきたこと、体験してきたことを野球界の後輩に伝えていってもらいたいと思います。まず、体をゆっくり休めて、これからも野球界のために頑張ってください。応援しています。お疲れさまでした」

◆巨人の原監督が粋な計らいを見せた。九回に藤川がマウンドに上がると坂本を代打に起用。続いて中島も代打に送った。同監督は「うちを代表する選手と対戦させたかった。気持ちのこもった全力投球であれだけ長くやれた。歴史に残る選手の一人」と敬意を表した。  148キロの直球で空振り三振に倒れた坂本は「すごくいいボールが来ていた。最後にこうやって打席に立ったというのは光栄なこと」と感慨深げに話した。

◆今季限りで引退する阪神・藤川球児投手(40)のセレモニーで、藤川とともにJFKとして虎の終盤を支えた2人が球場の大型ビジョンで惜別メッセージを送った。  ジェフ・ウイリアムス氏は「球児サン、素晴らしい野球人生だったね。球児の数々の成功を祝し、そして球児の将来がどうなるか楽しみにしています。またすぐに会いましょう。できたらゴルフコースでね」とコメントした。  阪神・久保田智之プロスカウトは「球児のおかげで優勝ができ、僕自身もいい思いをさせてもらいました。球児のこれから、野球に対する思いを子供たちに伝え、これからの活躍に期待しています。本当にお疲れさまでした。ありがとう」とねぎらった。「ゆっくり休めて、これからも野球界のために頑張ってください。応援しています。お疲れさまでした」とエールを送っていた。

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退スピーチを行った。全文を掲載します。まずはじめにこの度、野球選手、藤川球児のためにこんな素晴らしい舞台を用意していただいた阪神タイガース球団、そして矢野監督をはじめとするコーチ、選手、スタッフの方々にお礼を申し上げたいと思います。  本日は阪神タイガースファン、そして全国の野球ファン、プロ野球界の先輩方の皆様に、きょうこの日を迎えるまでに皆様からいただいた夢、希望を持ち、人生を前向きに生きることができたお礼を伝えたいと思います。  1999年に阪神タイガースに入団して、同じドラフト1位には、同級生、西武ライオンズ・松坂大輔、そして巨人軍には上原浩治さんがいました。2人は1年目から素晴らしい活躍をしていました。2人を見て、失敗と故障を繰り返す自分を比べると、自分には無理だと普通なら諦めてしまうでしょう。でも、僕は今は勝ち負けはついていないと、認めることだけは絶対にしませんでした。  当時、周りから厳しい視線を感じたり、厳しい言葉を投げかけられることもたくさんありました。しかし、どんなときも必ず見返してやる、そう思いやってきました。  そして2005年、タイガースで優勝することができました。最高の思い出です。  そのあと、松坂と上原さんがメジャーリーグに行って、追いかけるように、自分もメジャーリーグにチャレンジしました。しかし本当に苦しいことばかりで、孤独で、また新人のころのようにうまくいかない日々が訪れ、明日すら...(言葉に詰まるがしばらくして笑顔で)大丈夫です。明日すら見失いそうになっていました。そんなとき阪神タイガースに入団してからの苦労した経験が僕を救ってくれました。  俺は負けていない、見返してやる、独立リーグからもう一度リスタートして、自分の力を見せて、地元高知の子供たち、そして日本のプロ野球ファンをびっくりさせたいと思っていました。そこからタイガースに戻り、3年間をかけてやっとクローザーのポジションに戻ることができました。見返してやる、そのときにはもうそんな気持ちは全くなく、これが皆様からの叱咤激励だと知り、心の底からありがとうという感謝の気持ちでいっぱいでした。  僕は、自分自身に度々襲い掛かる苦難に打ちかつことができました。  清原和博さんへ。あなたがいなければ今の僕は存在しません。僕をここまで成長させてくれたのは清原さんとの対戦、そして、存在です。何年か前になりますが、僕も清原さん自身も苦しいときにお守りを届けていただきました。体を大事にしろよ(と声をかけてくださり)、すごく力になりました。清原さんは、とても優しい方です。必ずお礼を伝えに行きますので、今後ともよろしくお願いします。  ライバル・松坂大輔へ。必ず投げる姿を見せて、世の中の人を元気にしてください。あなたのそういう姿が今の日本には必要です。僕があなたの一番の応援団になります。目標でいてくれてありがとう。  それでは阪神タイガースファンの皆様へお礼を言わせてください。僕の火の玉ストレートには、甲子園球場のライトスタンドの大応援団の皆様、チームの思い、そして全国のタイガースファンの熱い思いがすべてつまっています。それが皆様の知る火の玉ストレートの投げ方です。それが打たれるはずがありません。打者のバットに当たるはずがありません。僕が言うのも変ですが、不思議な力が湧いてきて、普段の自分ではなくなるのです。野球選手・藤川球児というのは、皆様の気持ちの塊だったんだと思います。ファンの皆様にとって僕の存在が誇りというのならば、僕にとってもファンの皆様が誇りです。その気持ちをこれからは後輩たちに一緒に送り続けましょう。そしてタイガース史上、最高のキャッチャーで、僕が世界で一番尊敬している矢野監督を日本一の監督にさせてあげましょう。選手やコーチのみなさん、あとはよろしくお願いします。もし困ったときはいつでも呼んでください。すぐに駆け付けます。  そして僕自身よりも一度も世間に顔を見せず、頑張ってきてくれた家族へ、この場を借りてメッセージを送らせてください。  今までたくさん野球のために我慢させてきたけど、やっと明日から夫として、普通のお父さんとして、家族のために何でもしてあげられるようになります。長い間、お待たせしました。これからは何をするときも一番にみんなを優先します。今までよりさらに笑顔の絶えない家族になりましょう。  そして親父、お母さん、名前を「球児」にしてくれてありがとう。野球をやらせてくれてありがとう。やめようとしているとき、何回も引きとめてくれてありがとう。2人が元気な間に恩返しする時間ができました。これから少しずつ恩返しさせてください。  そしてこの1カ月、セ・リーグの各チームの方々、球場関係者の皆様、こんな1人の選手のためにセレモニーを用意していただきまして、本当にありがとうございました。きっとたくさんの子供たちへの夢や希望につながったと思います。夢をつなぐ、これが僕が現役生活、最後の1カ月でやりたかったことです。それでは皆さん、野球選手・藤川球児とさよならをするときがきました。子どものころからの先生方、今までのすべての友人、そして世界中の野球ファンの皆様、皆様のおかげで最高に素晴らしい野球人生を送ることができました。長い間のご声援、本当に、本当に、ありがとうございました。

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退会見を行った。  --グラウンドを一周。いろんな声があった  「いろんな引退記念のグッズがたくさん出ているんですが、それを持っている人がたくさんいて。(その一方で)もっと前から応援してくれる人とかがいて。2005年の優勝したときとか。思い出を一緒にページをめくっている感じがして、感慨深い感じがしました」  --笑顔だった  「自分にとって野球は本当、シビれるような戦いです。その中で勝ったり、勝ち続けないといけないんですけど。そういう思いの中でやってきたからこそ、悔しさ、うれしさというものがあった。なのでチームのために涙を流すことはあるかもしれませんが、野球を離れるということで涙をするということは実は一度もなかったんです。人生の鍛錬の時間。いい勉強をさせてもらった。本当に感謝しかないです」  --十分に思いは伝わった  「あす投げれば、もう1キロぐらい(球速が)は出たかなという感じはしましたけど。でも、元気に投げれているように見えるかもしれないですけど。現実では手術をしないといけない状態なんで。いまだから言いますけど、そのせいで肩にも負担がかかっている。肘も5カ所手術しないといけないんじゃないかと。肩の方もガタがきている。ファンの方に来シーズンのプレーすることをお約束できないんですよね。それが自分自身、タイガースのユニホームを着た自分との約束だったので。自分への約束をしっかり守れた男でよかったなと胸を張って高知に帰れる」

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退会見を行った。  --最後も入場するときにもLINDBERGの渡瀬マキさんからの花束もあった。改めてあの曲を選んだわけを  「入団したころは違う歌を使っていたんですけど、本当に野球選手として、うまくいっていないというときに、妻が『これどう?』という風にいってくれたところからスタートしたんですけど、その歌がファンの方たちにどんどんどんどん、自分が活躍していくうちに浸透して、いつのまにか甲子園球場全体を包むような、そういう歌になった」  --家族にはどのような形で恩返しを  「そうですね、やっぱり、18歳で僕が西宮に来ましたから、そこからは、家を出た息子ということではじめのころは、両親のいろいろな支えもあったんですけど、そのうち自分も、妻と結婚して、17歳で出会ったんですけど、二人三脚でいこうということで、少しずつ自立していって、妻も一緒に戦って子供が生まれて、1人、2人、3人と(産まれた)。ほかのあらゆる人生の選択を、アメリカに行ったり、独立リーグに行ったときも、すべてがプロは入った後は、家族が中心で、止まることなく、一つのハードルにはなるんですけど、そこを乗り越えてきてくれたんで、非常にうれしいです。すべてが自分が野球を始めたときに思い描いていた人生になったというか。(両親への)恩返しも1回とか2回とかじゃなく、少しずつ、人生のすべてをかけてやっていきたいですね」

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退会見を行った。  --ツイッターでは普段の姿を  「いつも家ではああいう感じなんで。この1カ月、SNSとかツイッターとかをやらせていただいたのは、そういう姿を知らないまま、本来の自分のことを最後まで出さないままは(どうかと)。スポーツを取り巻く環境とか、厳しい状況のことをいろいろ考えると、やれることはプレーだけじゃない。実はこういう風な皆さんの前ではない姿もあるんだよというのを最後に伝えたい。そう思ったんで」  --阪神とはアドバイザーのような形で関わる話も。この後の進路は  「タイガースさんからそういう話もある中なんですけど、自分の中では家族を第一にしたいと。球団の方にはそれを理解をしていただいてるんで。悩んでいる選手たちへのアプローチの仕方とか。後は野球人口について。やりたいことの1つでもあって。(野球人口減の問題は)タイガースに限らないじゃないですか」 --矢野監督に最後の1球を投げた  「矢野さんとは若いときから本当にずっと一緒にやってして、僕が人生で一番尊敬する方なんですよ。そこを自分の人生の軸として自分も今生きてるんですよ。やっぱり監督ってものすごく大変だなという思いがあるんですけど、不平不満、つらい思いをすべて受け止めて黙って戦っていく力というか、そういう精神力が必要だと思うんですよ。その中でどれだけの思いを持って矢野監督が選手たちみんなをしっかり動かして、ということを考えると、僕としては自分が一番尊敬する方ですから。皆さんにも本当についていってほしいし、そう思ってもらって自分が言うのもなんですけど、世界一尊敬できる方なので。やめたからもう監督じゃなくていいのか(笑)。矢野さんと岡田(彰布)さんに出てこられたときにどうなるんだろうなと実は考えてたんですけど、自分のスイッチの入れ方が上手になったのかもしれないですけど」

◆球児、ありがとう。阪神・藤川球児投手(40)が引退試合(対巨人)で4点ビハインドの九回に登板。1回無安打無失点で最速149キロを計測した。スピーチでは「必ず見返してやる」と反骨精神で挑んでいたことを強調。「火の玉」の名付け親である清原和博氏(53)=元西武、巨人など=に感謝した。日米通算250セーブには届かなかったが、記録にも記憶にも残る火の玉伝説が幕を閉じた。  スタンドでタオルが揺れる。成長させてくれたすべての人に感謝の気持ちを込めて、球児は最後のマウンドに向かった。  「皆さまから頂いた夢、希望をもち、人生を前向きに生きることができたお礼を伝えたい」  今季最多2万1392の観衆が見守る。4点ビハインドの九回。12球すべて直球で臨んだ。坂本、中島の代打攻勢を空振り三振。最後は重信を二飛に仕留めた。最速は149キロ。中島に対しては振りかぶり「明日投げれば、もう1キロぐらいは出たかな」と笑わせたが「肘も5カ所手術しないといけないんじゃないか。肩の方もガタがきている」と体が悲鳴を上げていることを明かした。  「清原和博さんへ。あなたがいなければ、今の僕は存在しません。僕をここまで成長させてくれたのは清原さんとの対戦でした」  こぼれそうになる涙を必死でこらえ、言葉をつむいだ引退セレモニー。セットアッパーで活躍していた2005年の巨人戦。大量リードの中、フォークで三振に仕留めたことに清原氏から激怒された。どんな苦境にも「必ず見返してやる」が球児の信条。直球を磨き「火の玉」と呼ばせた。 その他の写真(2/3枚)  宝物がある。「何年か前になりますが、僕も清原さん自身も苦しいときにお守りを届けていただきました」。球児は12年オフに海外FA権を行使し、海を渡った。だが右肘手術など度重なる苦難に見舞われた。心が折れそうになる中、助けてくれたのは清原氏だった。  「清原さんはとても優しい方です。必ずお礼を伝えにいきます」  今年は新型コロナウイルスの感染が拡大。開幕の延期、再延期で一度クールダウンした右肩や肘が戻らず、救援失敗が続いた。8月31日に今季限りでの引退を発表。「僕の運命。期待していたファンには申し訳ないが、やるべきことはやった」。体は動かずとも若手に教えることはできた。  10月中旬、平田2軍監督から頼まれ、鳴尾浜のグラウンドで青空教室を開いた。  「マウンドに上がれば『生きるか、死ぬか』の崖っぷち。1軍の選手に食べさせてもらっていることを忘れずに練習しなさい」  これが若手へのラストメッセージ。戦力外寸前の危機もあったが、はい上がるという精神を失えば終わりだと訴えた。た日米通算250セーブには届かなかったが、球児という生き方を示した。  「みなさまのおかげで最高に素晴らしい野球人生を送ることができました」  涙にぬれた甲子園に別れを告げた。今後は球団が新設するスペシャルアシスタント(SA)として"残留"する見通し。近い将来、球児魂を受け継ぐ若虎が必ず出てくると信じて-。(三木建次)

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退会見を行った。オール直球の12球を振り返った。  --納得できる球は12球のうち何球ぐらいあったか  「結構ありましたね。坂本君の時は多かった。高めに浮いたボール以外は良かったですね、自分では。ちょっとブルペンで投げ方いいのあるなって見つかったんで。あすになればもっといいんじゃないかな。だけどそうやって思えてることの方が幸せと思うんですよね。『ああもう投げられない、悔しい!』って思うところはもう過ぎているんで。中島選手のときにはやっぱりオールスターでたくさん対戦したことを思い出しながらと思ったけど、納得いかなかった。申し訳なかったですね」  --12球のうち2回振りかぶって投げたが  「150キロを狙ったんですよ。だけどそのときの方がボール遅かったじゃないですか。まだ新しいことをしようとしているじゃないですか、そこで。(自分は)野球好きなんだなと思いました。今振り返ると、そのときのフォームが一番速いっていう答えがまだ出ていなくて。今までに普通に投げていたフォームが自分の答えなのに...違うことをしてスピードを上げようとするっていうのは自分もまだ自分にチャレンジしていたんだなと今、思います。だけど大事なときにボールが遅かったし、もうちょっと練習しようかな、なんて今も思いますね」  --やろうと思ってではなく自然にやっていたのか  「(最速が)148キロだったんで納得いかなくて、何とかと思ってやったんですけど、バッターにも失礼に当たることになったら嫌なんで。あれは相手に対して一番いいストレートを見せたいっていう表れなんですよね実は。『うわっ球児さん、いいボール来てるな』って思われたいがための...。あそこが18・44(メートル)のそこが深みなんですよね。そこに会話はいらないんですよね。そこに見ている人の感動を呼んだり。マウンドだけは嘘はなかったですね」

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退会見を行った。セレモニーでメッセージを送ってくれた清原和博氏への思いを明かした。  --清原和博のメッセージは  「キヨさん(清原氏)にそこまでの気持ちにさせてしまっていたということの方が、自分にとってはすごく、つらいものもあったんですね。言われたことは、全然なんとも思ってないです。自分で克服できた。最後は自分がメッセージをキヨさんにしたんですけど、自分がキヨさんの恩を返さなければいけない。キヨさんがそうやっていってくれることで、自分を守ってくれようとするファンの方もできた。早くお礼を言いに行きたいというか。人生のなかでも失敗するときは誰でも絶対あるんですけど、そういうところからの社会復帰とか、そんなのない方がおかしいでしょって言う風に自分は、常々思っていた。それをきょう初めて言えたので、なにかが伝わっていれば。いろんなところに残すものがと、常に思わないといけない。プレーは良いんです、それ以外の所はいろんな所を含めて、みんなが支え合っていかないといま若い人がいるのか、どんな年齢層の人がいるのか分からないですけど、必ず自分もそういうときがくる。周りに仲間がいてほしいと思うならば、常日頃から前向きで、誰かのために惜しまず時間を使っていただいた方が格好いいかなと思います」

◆今季限りでの引退する阪神・藤川球児投手(40)が試合後、引退会見を行った。1時間に渡った会見は家族への思いなどで締めくくった。  --試合前の始球式では息子とバッテリーを組んだ。感慨深い?  「そういう思いにならないようにしてました。子供が大きくなったなとそう思わないようにしようと。それが父親の務めかなと。父親としてまだ子供に伝えなければいけないことがあると思ってるので。そこはちょっと大人の扱いをすることもあるんですけど、自分にとってはいつまでたっても子供なので。支えてやるぞという感じで捕手として構えたし、グラウンドのマウンドの近くまで寄っていって迎えてやろうと。まだまだ1人で歩くんやないぞと。お父さんとして教育が終わってないところが実はあるんで。もう日付を越えて自宅に帰ったらうれしいですね。何でもできるんですもんね、子供にとって。あすのこと、肩肘考えなくていいし。それが本当にうれしい。すぐ諦めるんですけどね、子供というのは(笑)。息子とはもうめちゃくちゃ楽しみたいです、人生を。その中で充実させて。娘たちもそうですけど、娘たちも頑張ってくれてるんで。あとは妻ですね。妻と一緒に。家族と友人とみんな一緒ですけど、行けなかったところに行ったり、したかったこと、ジェットコースターとか乗れなかったんで、首痛めたりするから。ちょっと乗ろうかなと思いますね。魚もさばきたいし。やりたいことだらけなんですよ。まあこうご期待というか。みなさんにとってそれは小さなことかもしれないですけど、そんなことすらできなかったので。  (中略)  これからも野球界にはまだお世話になることはあると思うんですけど、役割は変わるので。最後グラウンドを出るときに頭を下げたときが一番実は(涙が出そうで)危なかった。あのとき長かったじゃないですか。長くしてる間に『ん?』。あれ、感覚が変わってきたと思って。これ最後になる、最後だ最後だと思った瞬間にちょっとヤバいと思って。なんか不思議ですけどね。そこのゾーンに自分の気持ちが入ればスッと前だけ見て進んでいって。ファンの方とかチームの後輩を引っ張っていきたいなと。みんなに引っ張ってもらうのはまだ早いと(笑)。ありがとうございました。伝わりましたかね? たくさん話しましたけど。涙が出なくて。自分自身に勝てましたよ、僕は。絶対泣くなよって恩師から言われていた。自分でユニホームを脱げるわけだから。そうだよなと。最高に楽しかったし、幸せな時間でした。もっと幸せが見つかったらみなさんに恩返しします。待っててください」

DAZN

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
巨人
67448 0.604
(↑0.004)
優勝
(-)
1528
(+4)
416
(-)
135
(-)
80
(+1)
0.255
(↓0.001)
3.330
(↑0.03)
2
(-)
阪神
59537 0.527
(↓0.005)
8.5
(↓1)
1493
(-)
460
(+4)
110
(-)
80
(-)
0.247
(↓0.001)
3.380
(↑0.02)
3
(-)
中日
59555 0.518
(-)
9.5
(↓0.5)
1426
(-)
487
(-)
70
(-)
33
(-)
0.252
(-)
3.850
(-)
4
(-)
DeNA
55576 0.491
(-)
12.5
(↓0.5)
2511
(-)
469
(-)
135
(-)
30
(-)
0.266
(-)
3.810
(-)
5
(-)
広島
525512 0.486
(↑0.005)
13
(-)
1521
(+7)
526
(+3)
110
(+1)
64
(+1)
0.263
(↑0.002)
4.070
(↑0.02)
6
(-)
ヤクルト
416910 0.373
(↓0.003)
25.5
(↓1)
0468
(+3)
589
(+7)
114
(+1)
74
(-)
0.242
(-)
4.610
(↓0.02)