巨人(★3対5☆)ヤクルト =リーグ戦24回戦(2020.11.08)・東京ドーム=
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ヤクルト
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巨人
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勝利投手:梅野 雄吾(5勝2敗0S)
(セーブ:石山 泰稚(3勝2敗20S))
敗戦投手:田中 豊樹(1勝1敗0S)

本塁打
【ヤクルト】塩見 泰隆(8号・4回表ソロ),山崎 晃大朗(3号・8回表満塁)
【巨人】坂本 工宜(19号・3回裏2ラン)

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◆ヤクルトは3点を追う4回表、塩見のソロで2点差とする。そのまま迎えた8回には、山崎がグランドスラムを放ち、逆転に成功した。投げては、5番手・清水がリーグトップタイとなる30ホールドポイント。なお、巨人の坂本は第1打席で二塁打を放ち、史上53人目となる通算2000安打を達成した。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 榎本喜八(東京)の31歳7カ月に次ぐ歴代2位31歳10カ月の若さで大台をクリア。右打者では最年少での到達となった。 ◆坂本勇人(さかもと・はやと)1988年(昭63)12月14日、兵庫県生まれ。光星学院で06年センバツ出場。同年高校生ドラフト1巡目で巨人入団。2年目08年からレギュラーをつかみ、12年最多安打、16年首位打者、最高出塁率。17年に右打者史上最年少で通算1500安打達成。19年MVP。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞3度。今季推定年俸5億円。186センチ、85キロ。右投げ右打ち。

◆巨人坂本勇人内野手が8日のヤクルト24回戦(東京ドーム)でプロ野球53人目の通算2000安打を達成した。初安打は07年9月6日の中日21回戦(ナゴヤドーム)で高橋から。 巨人生え抜きで2000安打以上は川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、阿部慎之助に次いで6人目。31歳10カ月での達成は68年榎本喜八の31歳7カ月に次ぐ年少記録となり、1783試合はスピード8位。 右打者では、77年土井正博の33歳6カ月を抜く最年少達成で、13年ラミレス1695試合、71年長嶋1708試合に次いで3位のスピード。年少記録とスピード記録の両方で10傑入りは長嶋(年少7位、スピード3位)張本勲(年少3位、スピード4位)、坂本の3人しかいない。また、実動14年で達成はラミレスの13年に次ぎ、榎本、長嶋ら5人並び2位タイとなった。

◆巨人坂本勇人内野手が、自らの2000安打を祝う祝砲をたたき込んだ。 3回無死一塁からの第2打席。151キロの直球をバックスクリーンに運ぶ19号2ラン。ド派手な2001安打目で、貴重な追加点を挙げた。

◆プロ初先発の巨人横川凱投手(20)が、プロ初打席で犠打を成功させた。1点リードの2回1死一塁、ヤクルト先発スアレスの150キロを投手前に転がし、走者を進めた。 3回表を無失点で抑えて戻ったベンチでは、宮本投手チーフコーチから「横川投手 初バント成功! お見事! 原辰徳」と原監督直筆の記念ボールが手渡された。

◆2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手(31)が"イチロー流"でベンチに下がった。6回の第4打席で四球を選び、7回、1度遊撃の守備についたところで原監督から交代を告げられた。スタンドからの惜しみない拍手を浴びながら、ベンチに戻った。この日は3打数3安打だった。 19年3月21日に東京ドームで行われたイチロー氏の現役最後の試合では、同氏も8回に1度右翼守備についた直後に交代していた。

◆巨人坂本に通算2000安打を決められたヤクルト先発のアルバート・スアレス投手は、4回8安打3失点で降板した。 初回2死から坂本に左翼へ二塁打を許して目の前で大記録を達成され、続く岡本に先制適時打を浴びた。3回には、坂本に通算2001安打目となる19号2ランをバックスクリーンに運ばれた。スアレスは「今日は初回から制球に苦しみ、なかなか修正することができませんでした。何とかリズムを作ろうと必死に投げたが、球数も多くなり、早い回で降板してしまいとても悔しいです」と振り返った。

◆高卒2年目でプロ初先発の巨人横川凱投手(20)が勝ち投手の権利を持ってマウンドを降りた。終始落ち着いた様子で、69球を投げ5回3安打1失点。3回までは無安打で、4回無死、塩見に初安打となるソロを浴びたが、この1点のみに封じた。 「マウンドに上がる前は緊張しましたが、いざマウンドに上がるとバッターに集中できて冷静にいられました。目の前のバッターを1人1人抑えることを意識してテンポよくリズムに乗ることができたと思います。ただ、球種1つ1つの精度が低いことは投げていてわかりました。もっとレベルアップしなければいけません」と振り返った。 坂本が2000安打を達成した試合で初先発したことについては「坂本さんの偉大な記録を目の前で見ることができて光栄ですし、その試合で投げさせていただけることに感激しました。僕1人の力ではかなわなかったので感謝しています」。同期入団の戸郷や直江は先に1軍先発を経験しており「2人の活躍をモチベーションにして、5年後、10年後に上に立っていられるように頑張りたい」とこれからも高め合って行く。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 榎本喜八(東京)の31歳7カ月に次ぐ歴代2位の若さで大台をクリア。右打者では最年少での到達となった。義理堅く、人情味にあふれた男だから愛される。巨人坂本は、5日の広島戦(マツダスタジアム)の試合後すぐに電話をかけた。相手は広島の長野だった。「1年間、ありがとうございました」と感謝の思いを伝えると、残り2本に迫った2000安打へと話は移った。偉業を達成すれば、花束贈呈役は長野だったと聞き「準備してもらっていたのに、すみませんでした...」と頭を下げた。 カウントダウンとともに、ひそかな楽しみだった。「広島戦やったら、長野さんかなぁ」。阿部2軍監督が17年に2000安打をマツダスタジアムで達成した時は坂本が花束を渡し、一塁ベース上で思いを伝えた。長野が巨人時代は「サカチョー」と呼ばれ、アベック弾は13回。5日の同戦では長野が10号ソロ、坂本が18号2ランで"14度目"を飾った。チームは変わっても絆は変わらない。遠く離れた広島の地から送られる拍手も、きっと胸に届いているだろう。【久保賢吾】

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。07年のデビュー以来から節目の安打を写真で振り返る。

◆巨人は1回に岡本の適時打で1点を先制。3回は坂本の19号2ランで追加点を挙げた。プロ初先発の横川は3回まで無安打無失点。 ヤクルトは4回に塩見のソロで1点を返した。プロ初先発の巨人横川は、5回1失点で勝利投手の権利を持ってマウンドを降りた。 ヤクルトは8回に山崎の3号満塁本塁打で逆転した。5回1失点に抑えた巨人先発の横川にプロ初勝利は付かなかった。 ヤクルト梅野は5勝目、石山は20セーブ。巨人田中豊は初黒星。

◆坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。兵庫・伊丹が生んだスーパースターの「ハヤト」と「マサヒロ」の野球人生は、運命であるかのように交差する。出会いは小学生時代に所属した昆陽里タイガースだった。坂本がエースで田中が捕手は有名な話。坂本にとって、田中は最高のライバルだった。 「プロに行くのは田中じゃなく、坂本」。当時、監督だった山崎三孝理事長は坂本の能力にほれた。ただ、遠投は田中が2~3メートル上。何度投げても負けたが、ある時坂本から「(田中は)足がラインをはみ出してます」と言われた。ともに究極の「負けず嫌い」だった。 中学から別の道を歩んだが、高校で一緒にプレーする可能性もゼロではなかった。光星学院(現八戸学院光星)の元監督で、明秀学園日立・金沢成奉監督は別の選手の視察で訪れた時、中学2年の田中の強肩に驚いた。「レフトからすごいボールを投げる子がいて。それが、田中君だった」。最初に目についたのは田中だった。 1年後の夏、大学の後輩から推薦されたのが坂本だった。夏の甲子園に出場中で「勝ったら見に行く」と返答。1回戦を突破し、機会を得た。翌日、河川敷のグラウンドでノック、ティー打撃を見た瞬間に「この子は何やと。野球で人生を切り開いていける」と確信した。 金沢監督が視察した別の選手とともに、田中は駒大苫小牧に進学した。06年6月、光星学院の創立50周年記念で駒大苫小牧を招待。田中と対戦した。「何かに引き寄せられようにね。運命ってあるんやね」。プロ入り後の対戦は18打数5安打、打率2割7分8厘、本塁打0。2人を「野球の糸」がつなぐ。【久保賢吾】

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。第1打席、1ボール2ストライクからヤクルト・スアレスの128キロのスライダーを左翼線に運ぶ二塁打を放った。 巨人坂本のものまね芸人さかともはスタンドで観戦。「2000安打、おめでとうございます! 次は3000安打を目指して、頑張ってください!」と祝福した。

◆米大リーグヤンキースの田中将大投手(32)が、2000安打を達成した坂本勇人内野手(31)に祝福メッセージを寄せた。 記念セレモニーで中堅後方の大型スクリーンに登場し「坂本選手いや、勇人2000本安打達成おめでとうございます。同級生の勇人が2000本安打達成ということで、同級生から2000本安打達成が出るという驚きと、時間の経過を感じております。でも勇人なら当然ですかね。次の目標は3000本安打になるのかな。そうだと思いますけど、3000本安打達成というニュースの時にも、こうしてまたメッセージを送らせてもらえればなと思います。このたびは本当におめでとうございます」と祝福した。

◆巨人坂本勇人内野手が、本拠地東京ドームで2000安打を達成した。試合後には今季最多3万1735人のファンの前で、インタビューを受けた。 -今の心境は 「朝起きてから食欲もなくて今日1日緊張していたんですけど、1打席目にヒットが出たんで、そこからは力が抜けていいバッティングできたかなと」。 -カウントダウンのプレッシャーは 「僕が想像していた以上に球場のファンのみなさんが期待をしてくれていたので、あの雰囲気というのは一生忘れないと思います」 -無観客から始まったシーズン。ファンの存在とは 「まずはじめに医療従事者のみなさまのおかげでお客さんを入れてプレーをできていると思うので、そこに感謝して、そして無観客で始まった今シーズンですけど、ファンの方々のパワーは選手を後押ししてくれているんだなというのをあらためて感じたシーズン。本当に、いつもありがとうございます」 -史上2番目の若さで2000安打に到達。右打者では最年少の記録 「今日も見に来てくれているんですけど、高校の恩師である金沢監督と、そしてプロに入って若い時から使ってくれた原監督、そしてファンのみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです」 -体のコンディションを整えながら戦ってきた 「本当に3年、4年は野球だけに集中して、これまでも集中していましたけど(笑い)、さらに集中してやった3、4年だなと思います」 -巨人の生え抜き選手が本拠地で2000安打を達成するのは初 「本当に昨日からそういう雰囲気で期待してくれているなとひしひしと感じていたので1打席目に達成できたのもみなさんの声援のおかげです。さらに熱い声援お願いします」 -次の目標は 「チームとして昨年の悔しい気持ちがありますので、絶対に日本一になってファンの皆さんと喜びたいと思います」

◆巨人菅野智之投手が、原辰徳監督の"むちゃぶり"から、日本シリーズ第1戦に先発する覚悟を語った。 本拠地東京ドームでの最終戦セレモニーで、ファンへあいさつを行った原監督から「最後に選手会長よりひと言」と指名され、困惑した表情のままマイクの前に立った。 「急に言われたんで何て話して良いか分からないんですけ...」と戸惑いながら「今日で東京ドームの最終戦は終わってしまったんですけど、これから日本シリーズという大きな戦いがあるので、今年はパリーグを一泡吹かせてやりたいと思っています」と宣言。 「おそらく自分自身は第1戦に投げると思うので、先陣を切る身として必ず初戦をとって日本一を達成したいと思っています」。第1戦先発を自ら"予告"し、包み隠すことなく、本拠地のファンに必勝を誓った。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。ソフトバンク工藤公康監督「高卒1年目からしっかり出場していましたし、素晴らしい最年少の記録だと思います。まだまだ現役を続ける選手だと思いますし、これから(名球会の)イベントでも楽しみにしてます」

◆2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手へ、ヤンキースの遊撃手として活躍したデレク・ジーター氏からメッセージが届いた。 中堅後方の大型スクリーンに登場し、日本語で「坂本君おめでとう!」と切り出すと、英語に切り替えて祝福。 「デレク・ジーターです。2000本安打という歴史的な節目を迎えられたことに心よりお祝い申し上げます。2015年に会ったことを思い出します。数々の記録を積み上げて来たこと、大変感慨深く感じています。是非チームメート、家族、友達ら皆さんとこのすばらしい瞬間を祝っていただければと思います。これからの活躍を祈りつつ、近々再会できることを楽しみにしています」

◆巨人原辰徳監督が、本拠地最終戦の試合後、今季最多3万1735人のファンの前であいさつした。 「長く険しい2020年。ペナントレース連覇をすることができました! チームを代表しましてひと言ごあいさつ申し上げます。長くて険しいペナントレース。6月19日、少々の不安と大きな期待を持ち、開幕を迎えました。選手たちは私が思っている以上にジャイアンツの選手のみならず、12球団全てのプロ野球選手が元気よく、そしてプロ野球選手として堂々と開幕し、戦いが始まりました。野球人として誇らしく尊敬の気持ちを持って見ておりました。本当に選手は強くたくましく、元気で戦い抜くことができました。 そしてジャイアンツは、その中でも1つになりワンチーム、どんなことがあっても我々は前に進む。目標を達成する。その気持ちを胸に戦っていき、そして連覇をそして日本シリーズの出場権を得ることができました。これもひとえにファンのみなさまのおかげです。最初は無観客でした。無観客の中でも集中するその気持ちというのは全く変わりません。しかしお客さまが入り、今日のようにまたたくさんお客さんが入られる。まさにプロ野球選手というのはファンあっての、お客さまあってのプロ野球選手だと強く感謝の気持ちを持っております。本当に1年間ありがとうございました。しかし我々はまだ戦い半ばです。ペナントレースもあと2試合。そしてきたる日本シリーズにおいては、今回は東京ドームで戦えないということは少々さみしいところもありますけれど、大阪を本拠地として日本シリーズを戦います。一心不乱になって日本一を目指して戦って参りますので、応援よろしくお願いします。 坂本勇人は2000本を打ちました。この日を待っていたかのように今日決めました。私は2000本目のヒットも非常にうれしかったです。しかし2001本目のホームランを見たときに私は3000本目に向けまたスタートを切ったと大きな期待を寄せました。みんなそういうふうに思っていると思います。なお一層、勇人も頑張るでしょう。そして選手会長、菅野智之。まとめてチームを引っ張ってくれました。最後に選手会長よりひと言皆さまにごあいさつ申し上げます。本当にありがとうございました」

◆セ・リーグ優勝の巨人が、最下位のヤクルトと対戦。 ヤクルトは2点を追う8回に山崎の満塁本塁打で逆転、そのまま逃げ切り勝利した。巨人は1回に岡本の適時打で先制し、坂本が2ランを放ちリードしていたが、守りきれず敗れた。 巨人坂本勇人が第1打席に左二塁打を放ち、2000安打を達成した。 今季最後の東京ドームで達成となり、右打者では史上最年少、生え抜きでは球団初の本拠地達成となった。 3回には中越えの2ラン、4回には内野安打を放ち、2002安打とした。 試合後には、坂本の2000安打達成記念セレモニーが催された。 王貞治氏やヤンキース田中将大投手らから祝福のコメントが寄せられ、山本浩二氏からは名球会ブレザーが贈呈された。

◆ヤクルト山崎晃大朗外野手(27)が、人生初の満塁本塁打を放った。1-3の8回無死満塁。巨人田中豊のスライダーを思い切り振り抜き、右翼席へ大きな弧を描いた。「本塁打になるとは思わなかったけど、外野フライまではいったと思った。感触としてはよかった。(満塁本塁打は)初めてです」とほおを緩めた。 先輩からの助言が、値千金の1発を生んだ。2打席凡退後、ベンチで山田哲から「打席で迷いが見えるから思い切って振ってこい」と声を掛けられた。「もやもやした感じで打席に入っていたので、何げないひとことがあって打席に(迷いなく)入れた」。6回の3打席目で右前打を放って完全に暗雲を振り払い、4打席目の逆転アーチにつなげた。 高津監督からは「守備範囲とか足とか貴重な戦力。自分の役割をしっかり理解して貢献しようという姿勢は評価できる」と成長ぶりを認められている。それでも山崎本人は「状態が良くない時になかなか自分で修正できずずるずるいってしまったところがあるので、手応えというか悔しいシーズン」と表情を引き締めた。残り試合は10日の広島戦(神宮)のみ。この日のような思い切りのいいプレーで、来季につなげていく。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 坂本は、プロ2年目の08年からGReeeeNの「キセキ」を登場曲で使用する。 「アリガトウや Ah...」の部分に合わせて、ファンも合唱。「気持ちも高ぶるし、ファンの方との一体感を感じられる」と今季も第4打席で使用する。 今年は新型コロナウイルスの影響で合唱は禁止だが、解禁されるその日を心待ちにする。

◆ヤクルトがお祝いムードの巨人に一矢報いた。先発スアレスは坂本に通算2000安打目を許すなど4回3失点も、1-3の8回に山崎が逆転満塁弾。8回は最優秀中継ぎ投手のタイトルを争う清水が無失点で30ホールドポイントとして中日祖父江と福に並び、9回は石山が締めて2年ぶりの20セーブに到達した。 高津監督は「先発が長い回を投げられなかった時に味方の反撃を待てる投手陣になるのか。気を使いながら投げているリリーフ陣がよかった」とたたえた。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。▽レッズ秋山翔吾外野手「勇人、おめでとう! この年齢での2000安打達成を同い年として、本当にうれしく思います。1年目の終わりから試合に出始めて、2年目にはレギュラーになりましたが、それをつかんで離さなかった。ここまで大きな離脱がないのがすごいし、これからも、なるべく休まずに試合に出てほしいなと思います」

◆右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手が、東京ドームで記者会見を行った。一問一答は以下の通り。   -今の心境は 「まあ本拠地で決めたいという気持ちもありましたし、すごく緊張してたんで、あの1打席目に決められて本当にほっとしましたね」 -緊張はいつごろから 「広島の時くらいから、まあメディアの方にはあまり意識しないと言っていたんですけど。3本、2本くらいになった時からすごく、昨日もすごく緊張しながらプレーしていたんで。本当は昨日決めたかったなと思いながら、今日を迎えました。今日打てなかったら怖いなと思いながら、朝を迎えました」。 -今シーズン中に、できれば本拠地でという思いが強かった 「シーズンに入った時にはそういう気持ちはなかったんですけど、数字が減っていって、ちょうど本拠地で、ファンもたくさん入れるようになって。そういうタイミングがね。2試合で2本という、意識しないつもりでも、はい。ファンの方もすごく意識したと思うので、すごく久々に緊張しました」 -6月の開幕事にはお客さんがいなかった。ファンの力、感謝などは 「やっぱり1人でも多くの方の前でプレーするのがプロ野球の一番の、プレーヤーとしてのいいことだと思うので、やっぱり最初は無観客で始まって、すごい寂しいグラウンドでプレーしたんですけど、本当に医療従事者の方たち、関係者の方たちのおかげで今日を迎えられたと思っています。本当に全ての方に感謝したいなと思います」 -3000安打という声も 「本当にありがたい言葉をいただいて、次の目標はそういう風になっていくと思いますけど、今までも1試合1試合、打席に立つときにヒット打ちたいと、その気持ちだけで今日の2000本という数字まで来られたので。1日1本1本という気持ちっていうのは引退するまで、変わらないと思う」 -2001安打目がとてもうれしかったと原監督が言っていた 「やっぱり今日1打席目でヒットが出てホッとした気持ちもありましたけど、その次の打席が大事だなと思いながら、打席に入っていたんで。今後もどれだけヒット重ねようが、打席で打ちたいという気持ちは常に持ってやらないといけないなと今日あらためて感じました」 -1打席を大事にというのは誰から 「若い時は、自分の調子の悪い、良いで、おろそかにしている打席は多かったと思うんですけど、やっぱりキャプテンになって、若い選手が増えている中で、そういう姿を見せてはいけない。1打席、1球に対する気持ちは今後も大事にしてきたい。そういうふうに思っています」 -最も印象に残るヒットは 「うーん。1本目のヒットもそうですけど、今日の緊張感の中で打てた2000本目か。どっちかですかね」 -2000安打達成を誰に報告したい 「まずはやっぱり両親に。今日、父親が来てくれていましたけど、いい姿を見せられてよかったと思いますし。あとは母親にも、オフになったらお墓参りに行って、2000本打ったよと報告したいと思います」 -(亡くなった)お母さん、どこかで見ている。大きな存在だと思いますが。 「まあ僕が1軍で活躍する姿というのを1回も、1軍で1本もヒット打っている姿を見ないまま亡くなってしまったんですけど。どこかで見てくれてると思って。一番、小学生のころから応援してくれたのは母親なので、今日の2000本もどこかで見てくれているのかなと思います」 -個人的に、次に達成したいことは 「3000という数字はもちろんあるんですけど、まだまだ何も実感もわかないような数字なので、2500っていう数字をまずは次の目標にして、1本1本やりたいなと思います」

◆右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手が、東京ドームで記者会見を行った。一問一答は以下の通り。   -ヒットを打った瞬間。走っているときはどう思っていた。 「本当にホッとしたとその一言ですね。今日打てなかったらどうしようという感じで試合前もずっと思っていたんで。打った瞬間ヒットになると思ったので、本当にほっとしたなと、それだけです」 -31歳。残りの野球人生は長い。いつごろまでヒットを打ち続けたい 「どういうことっすか?(笑い)いつまで現役でいたいかと一緒? 本当にね、この世界というのは自分で決められないこともあると思うので、本当に引退されていった方たちは、現役が一番いいよと、よく聞くので。本当に1年でも長く、グラウンドで結果を出し続けたいという気持ちはもちろんありますけど、何歳までヒットを打てるか、僕にも分かりません」 -カウントダウンするたびに、SNSのメッセージがきた。毎日見て、ありがたいと思っていたか 「はい。自分で打ってね、次の日、今日誰かなと思っていつも気になって見てましたし。次の日は今日は打ってないからないなとか。すごくありがたくて。パワーをもらいました」 -誰かびっくりしたような人はいたか 「松岡修造さんは、すごく元気なメッセージいただいて。いろいろな方にああやってメッセージいただけてありがたかったです」 -(三塁打が出れば)サイクルヒットの期待もあったが 「いやもう全然ね。分かっていたけど、そこまで欲張ったら、いいことはないと思ったんで」 -珍しく、食欲なかったと。今、最初に食べたいのは 「ラーメンですね」 -なぜ 「ラーメンが好きなので。極力、試合前は食べないように意識しているので、ラーメン食べたいです」 -若くして、チームの顔。打って当然というプレッシャーをはね返してこられたのは 「今でも野球がうまくなりたい。どうやったらもっと打てるのかなと常日ごろ考えているので、今日も打席に立つときに、本当に震えるくらい緊張してましたけど、今まで考えてやってきたことが、ああやって緊張している中でも、技術としてバッティングに出たのかなと思ったんで、技術を追求してきて良かったなと。緊張感のなかでもヒットが出たのは少し自信にもなりました」 -日頃から野球がうまくなりたいと。以前、若手の選手がもっともっとうまくなろうという熱意が見えてこないという感想を口にしていた。連覇達成、若い選手も出てきた。今の巨人の若い選手の姿勢はどう映りますか 「大城だったり、松原だったり、(吉川)尚輝もそうですけど、ずっと今年試合に出ながら、裏での行動だったりも見てますけど。本当にもっと結果を出したいと、すごく感じて思っている時だと思うんですけど、いろいろな選手に、左なら丸に聞いたりとか、(岡本)和真に聞いたりとかそういう姿勢は見ている。そういう選手がもっともっと増えて、みんなでもっと野球がうまくなりたいという集団になれば、自然とチームとしてもレベルアップになると思いますし、もっともっと考えてやってもいいと思うこともありますけど、和真もそうですけどすごく向上心を持ってすごくいい方向に向いていると思います」 -(高校時代の恩師)金沢先生がいたと思う。どういう存在か。感謝の言葉は 「僕が野球辞めたいと思った時に引き留めてくれたね。今日チームメートも来てくれていましたし、金沢監督は一番に僕のことを考えてやってくれましたし、本当に光星学院高校に行って良かったなって。本当に厳しい監督さんだったので、そういう環境で3年間野球をやって、僕の野球人生が変わったなって。今でも頭が上がらない気持ちです」

◆坂本がエースで、マー君が捕手- 右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手と、ヤンキース田中将大投手は小学生時代に同じチームでプレーしていた。球界内外で広く知られるエピソードだが、2人が円熟期に入った近年、その数奇な運命はさらに際立つ。 2人が所属した昆陽里(こやさと)タイガースの当時の監督、山崎三孝さん(75=現理事長)は、坂本について「勝った、負けたで泣いたことはないけど、野球を雑にやっていて『やめてまえ。帰れ。2度と来るな』と怒ったことが2回、あります」と思い返した。 「1回目は5年生の時。ショートをやっていて、5月か6月かの練習で、できるのに手を抜いていた。2、3歩、動いたら捕れるのに、手だけ伸ばしていた。それで怒りました。半分、泣いてました。その後、マー君の父親、田中コーチが10分ほど口説いて、私のところに謝りに来ました。『ちゃんとします。許して下さい』と。先輩の投手のところにも謝りにいってました」 「2回目は6年生の時。夏休みの伊丹での大会、初戦の先発メンバーを外しました。べそかいたけど、みんなの前では格好つけたいタイプ。陰で涙を浮かべていた。こっちに来ても帽子を深くかぶって、なかなか取らなかった。格好をつけるのは、今でもそうでしょう。ただ、今は周りの目標が坂本選手になった。もう手を抜けない。自分が手を抜いたら、周りに注意できなくなる。キャプテンをさせて、今の立場になったのは一番いい。一選手のままだったら、あそこまで伸びてないのでは。立場が伸ばした」と感じている。 6年生でエースになった坂本は、中学、高校を経て日本を代表する遊撃手になり、捕手だった田中は大リーグで活躍する投手に成長。 第2の坂本、マー君の育成へ、75歳になった山崎さんは「枯れ木のにぎわいです」と笑いながら、今でも週3回はグラウンドに通っている。教え子たちの活躍は何よりも楽しみ。 「ハードルが高ければ高いほど、向かっていく。毎日、テレビで応援してますよ。妻から『お風呂に入って』と言われても『この打席が終わってから』って言ってます」 恩師にも届けた2000安打になった。

◆プロ初先発の巨人横川凱投手が5回3安打1失点も初勝利を逃した。 3回まで無安打で4回のソロのみに抑えたが、中継ぎが逆転を許した。「打者に集中できて冷静にいられた。ただ、もっとレベルアップしなければいけません」。同期入団には同じ高卒投手の戸郷、直江がおり「2人の活躍をモチベーションに、5年後、10年後に上に立っていられるように頑張りたい」と誓った。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。第1打席、1ボール2ストライクからヤクルト・スアレスの128キロのスライダーを左翼線に運ぶ二塁打を放った。 阿部2軍監督は「2000本は通過点にして、3000本を目指して今後の野球人生を送ってほしい。近年すごく野球にストイックになってる姿をずっと見てましたし、キャプテンになってからすごく人としても成長できたと思います。若干ちょっとやんちゃさがなくなって、面白みがなくなったのは残念ですけども。それも自分の個性だと思って、強い巨人のキャプテンとして引っ張ってください」と祝福した。

◆巨人原辰徳監督が、坂本の2001安打目となる19号2ランに3000安打への確かな可能性を感じ取った。 バックスクリーンに運ぶ豪快弾に「まだまだ途上の選手という気がしますね。2001本目が、素晴らしい当たり。やっぱり途上であると。3000本を目指して行くんだなと。行ってくれと。本人も当然行くつもりでしょうしね、そういう選手だなとあらためて思いましたね」と賛辞を贈った。途中交代した7回は1度守備に就かさせてからベンチに戻す、イチローの引退試合流の演出でドームを沸かせた。本拠地最終戦には、今季のプロ野球最多3万1735人が集結。試合後のあいさつでは「一心不乱になって日本一を目指して戦って参ります」と約束した。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。巨人坂本が、チームメートの粋な計らいに感謝した。2000安打の会見終了後、クラッカーを鳴らしながら、チームメート全員がサプライズ登場。「ありがとうございます」と笑顔で頭を下げ、記念Tシャツを着用した仲間と記念撮影した。

◆希代のバットマンが、節目に亡き母を思った。巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。ヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回2死、ヤクルト・スアレスから二塁打を放った。右打者では史上最年少。球団生え抜きでは6人目で、初となる本拠地のファンの前で決めた。観戦に訪れた父、高校時代の恩師、仲間、空から見守る母へ。2001、2002安打と重ね、次なる大台へ歩を進めた。万雷の拍手が東京ドームに響き渡った。二塁ベースに達した坂本は手をたたき、天井を見つめた。母が見守る空にもしっかりと見えるように、受け取った花束を高く、高く、掲げた。 「今日は父親が来てくれていたので、いいところを見せられてよかった。母にはオフになったら、お墓参りに行って『2000本打ったよ』と報告したい」。 1回2死、ヤクルト・スアレスの4球目、真ん中低め128キロのスライダーを左翼線にはじき返し、節目に到達。2打席目にはバックスクリーンに放り込み、2001安打目を刻んだ。 「一番、応援してくれてたのは母親。今もどこかで見てくれてるのかなって思います」 プロ1年目の07年6月19日、母輝美さんを47歳の若さで亡くした。その約1カ月前の5月12日の日本ハムとの2軍戦(姫路)。がんを患いながら、スタンドで観戦した母の前で本塁打を放った。プロで唯一の勇姿を見せられたが、1軍で活躍する姿を見せられぬまま旅立った。 「僕個人の話なんでね。少し照れくさいのもありますし、周りも暗くなるんじゃないかなって」 これまで多くを語ることはなかったが、1年に2度、母を思いながらプレーする。母の日には登場曲をG2の「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」に変更。命日の通算打率は3割4分6厘。今もバットで思いを伝える。 シーズン開幕が遅れた今季、導かれるように「6月19日」に開幕戦を迎えた。新型コロナウイルスに感染し、開幕直前に10日間入院。わずか6日間の調整でグラウンドに立った。2000安打まで残り116本。7回1死、今季初安打となる左前打で偉業へのカウントダウンをスタートした。 いつも母親譲りの反骨心ではい上がってきた。小学校高学年からは運転する車で計測してもらった6キロのコースをランニング。重心を下げたフォームを支える下半身の土台を築いた。中学3年時には家庭教師を雇って、二人三脚で受験勉強。「目標点数を言われて、マジで勉強した」。 中学3年時には、進学先を探す中で屈辱的な言葉を伝え聞いた。「守備はいいけど、打てない。左打者に転向するなら、可能性はある」。地元兵庫の強豪校からの評価に「絶対、見返してやる」と母と燃えた。 プロへの道は、仲間がつなぎ留めてくれた。高1の冬、年末年始のオフに地元に帰省。青森・八戸の寮に戻った坂本の鼻にはピアスの穴が開いていた。「監督、野球やめます」。荷物をまとめ、1度は本気で野球をやめると決め、自宅に帰った。 地元の友達と夜通し遊ぶ中、高校の仲間からはメッセージが届いた。「待ってるぞ」。数日後、ふと思った。「楽しいけど、何か違うわ。やっぱり、野球がしたいな...」。監督、チームメートに頭を下げ、チームに戻った。それが、母の願いでもあった。 少年時代、家族で米シアトルに旅行し、マリナーズ・イチローの華麗な打撃に魅了され、安打を求める道は始まった。自宅で飼ったティーカッププードルは「ヒット」と命名。グラウンドを離れても「ヒット」を愛した。 「今でも野球がうまくなりたい。どれだけヒットを重ねても、打ちたい気持ちは変わらない。3000本はもちろんあるけど、まずは2500を次の目標に」 「勇人」-。父の願いが込められ、元首相の池田勇人から命名された。勇ましく、Hランプを積み重ね、家族へ、仲間へ、恩師へ感謝の2000安打を届け、3000安打への道をスタートさせた。【久保賢吾】 ◆日本プロ野球名球会 通算2000安打を達成した坂本は名球会入りの資格を得た。名球会(78年発足)の参加資格は日米通算記録が投手は200勝か250セーブ以上、打者は2000安打以上。山本浩二理事長。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 坂本のプロ14年間は、「キセキ」の連続だ。同僚、友人、恩師ら大好きな仲間への永久の愛を形にしてきた。背番号「6」の背中には夢がある。"奇跡"がある。想像を絶する重圧を背負いながら、仲間と、ファンと、喜びや悲しみを分け合ってきた。関西出身のイケメンは長身でスタイルも抜群。愛される男の裏側は人情味にあふれ、その傍らには涙があった。利己的な涙はない。ピュアに人を思う気持ちが涙であふれた。大好きな仲間と寄り添って、歩いた仲間との"軌跡"をたどる。これから先も何十年続いていけるような「キセキ」がある。◆広島長野久義(サカチョー) あふれる思いが止まらなかった。8年前の10月7日DeNA戦。長野は二塁ベース上の坂本に向け、ベンチから両手でガッツポーズを繰り返した。2打数無安打の長野に対し、坂本は4打数3安打。7回の最終打席で代打を送られ、2人の最多安打が決定的に。込み上げる涙を手袋でぬぐう坂本の姿が見えた。「あそこで3本打つんだから、やっぱりすごいなと思った」。2度のガッツポーズが涙の伏線だった。シーズン最終戦前時点で安打数は173と170。「頑張ってきたし、一緒に取りたかった」と願ったが、故意に凡退するわけにはいかない。1打席目は四球でガッツポーズ。普段はクールな「長さん」の思いが坂本の胸に響いた。アベック弾は13回。広島に移籍した今も、2人の絆の深さは変わらない。 ◆巨人小野淳平打撃投手(じゅんぺーさん) 13年のシーズン途中、巨人小野は広島にトレード移籍した。激励会のラストに、ゆずの「栄光の架橋」を全員で熱唱。エールを送られた。すると坂本から「一生、会われへんわけちゃうのに...。オレ、何で泣いてんねんやろ」と号泣された。もらい泣き。「勇人の優しさが心に染みたし、勇気づけられた」。 ◆巨人山口鉄也3軍投手コーチ(尊敬する先輩) 18年のファンフェスタ、巨人山口鉄は脇谷、寺内、西村とともに引退セレモニーに臨み、目を潤ませた坂本と抱擁した。引退を決断した直後に届いたLINEは忘れられない。「もう1回投げてる姿を見たかったですし、後ろで守りたかったです。でも、絶対に泣いちゃいます」。坂本が先発出場した試合で最も多い593試合に登板した。今、読み返しても「ウルッときます」。時を超えても思いは変わらなかった。 ◆巨人阿部慎之助2軍監督(師匠) アベック弾37度の巨人阿部は、成長の軌跡を思い返した。1年目の07年オフ、グアム自主トレに引き連れた。「自分で起きられるようになったのが一番の成長。俺が起こしてたんだから(笑い)」。「バットを振ることも、食べることもトレーニング」。共同生活したダイニングでは朝も昼も夜も寄り添って歩いた。3年目の09年7月8日の横浜(現DeNA)戦。14打席無安打と、もがく坂本がいた。ベンチ最前列で気落ちする後輩を「こういう時は待ってない球を打つ習性がある。見逃し三振でもいいから、『これだ』と思った球を打て」と突き飛ばすように背中を押した。一振り目で得意の内角球を振り抜き、自身2度目のサヨナラ弾。ド派手にガッツポーズし、ナインの輪に飛び込んできた目は潤んでいた。 ◆西武内海哲也(お兄ちゃん) 西武内海は、優しさと苦悩を知る。移籍後初先発だった8月22日のオリックス戦、坂本から「うーさん、頑張ってください」とLINEが届いた。「あいつも大変やのにな...。ほんま、うれしかった」。打率2割台前半と苦しむ中でも、細かな気づかいに愛を感じた。「ありがとう。勇人も頑張れよ」。普段は天真らんまんの"弟"が珍しく弱気だった。返信には「全然、打てないです」とあった。「ずっと頑張ってきてんねんから、ゆっくりやればいいんや」と返した。「そんな優しいこと言われたら、泣きそうになります」。内海の先発時は26本塁打、92打点。18歳から知る青年は今、苦悩と闘いながら、立派なチームリーダーへと変わった。 ◆明秀学園日立・金沢成奉監督(高校の恩師) 「坂本が泣いてた...」。3年夏の青森大会決勝での敗戦後、当時の光星学院(現八戸学院光星)を率いた明秀学園日立・金沢監督は関係者の言葉に驚いた。「後から人に聞いた話ですが、『この人は本気やったんや』と思ったら、涙が出てきたみたいです」。いつまでも笑ってたかったが、号泣する監督の姿に胸を打たれ、瞳をぬらした。「チーム、仲間を大事にする子。負けて悔しいから、打ってうれしいからじゃなく、いつもあの子は人が中心なんです」 ◆昆陽里タイガース・山崎三孝理事長(少年野球チームの恩師) 「タイム、お願いします」。マウンドからの「涙のリクエスト」だった。当時監督だった昆陽里タイガースの山崎氏は、6年生最後の県大会決勝で衝撃を受けた。同点の6回から登板した坂本から、先頭への四球の後に泣きながら「滑る」と訴えかけられた。「プレートが埋まってる」と言われ、マウンドをチェックするとソフトボールのプレート板が見つかった。大会関係者と協議の上で試合を続行。スクイズで敗れたが、同監督は「一生懸命やったと納得したのかな」とうまくいかない日でも、敗戦後に涙はなかった。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 ▼坂本が8日のヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回、スアレスから左二塁打を放ってプロ野球53人目の通算2000安打を達成した。初安打は07年9月6日の中日21回戦(ナゴヤドーム)で高橋から。巨人生え抜きでは川上、長嶋、王、柴田、阿部に次いで6人目。31歳10カ月での達成は68年榎本の31歳7カ月に次ぐ年少記録となり、1783試合はスピード8位。右打者では77年土井の33歳6カ月を抜く最年少達成で、13年ラミレス1695試合、71年長嶋1708試合に次いで3位のスピード。年少記録とスピード記録の両方で10傑入りは長嶋、張本、坂本の3人しかいない。また、実動14年で達成はラミレスの13年に次ぎ、榎本、長嶋ら5人並び2位タイ。 ▼坂本は遊撃で1758試合に出場。遊撃で1000試合以上出場して達成は藤田、野村謙、石井、田中、宮本、松井、鳥谷に次いで8人目。6人は達成前に他の守備位置にコンバートされており、達成試合で遊撃を守ったのは06年5月11日石井(1番遊撃)以来2人目だ。坂本が遊撃以外で打った安打は、プロ初安打を含め代打で6本、DHで1本、一塁で2本の合計9本だけ。遊撃を守っている時に打った安打は石井の1954本を上回り、坂本の1993本が最も多い。 ▼達成試合で猛打賞は15年6月11日和田以来8人目で、巨人では56年5月31日川上以来2人目。巨人生え抜きの選手が本拠地で達成したのは初めて。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。第1打席、1ボール2ストライクからヤクルト・スアレスの128キロのスライダーを左翼線に運ぶ二塁打を放った。坂本に送られた祝福のメッセージは以下の通り。▽巨人原監督「私は2000本目のヒットも非常にうれしかったです。しかし2001本目のホームランを見たときに私は3000本目に向けまたスタートを切ったと大きな期待を寄せました。みんなそういうふうに思っていると思います。なお一層、勇人も頑張るでしょう」 ▽巨人阿部2軍監督「2000本は通過点にして、3000本を目指して今後の野球人生を送ってほしい。近年すごく野球にストイックになってる姿をずっと見てましたし、キャプテンになってからすごく人としても成長できたと思います。若干ちょっとやんちゃさがなくなって、面白みがなくなったのは残念ですけども。それも自分の個性だと思って、強い巨人のキャプテンとして引っ張ってください」 ▽ソフトバンク王球団会長「巨人軍の遊撃手としてプレッシャーがある中で、31歳で2000本達成というのは本当にすばらしい。今までの頑張りに本当に拍手を送りたい。でもこれからです。40歳までやってぜひ3000本を達成してほしい」 ▽ソフトバンク工藤公康監督「高卒1年目からしっかり出場していましたし、素晴らしい最年少の記録だと思います。まだまだ現役を続ける選手だと思いますし、これから(名球会の)イベントでも楽しみにしてます」 ▽ヤクルト石川「毎年対戦していますが、年々進化しているバッターだと感じます。坂本選手をどうやって抑えるかも、モチベーションの1つです」 ▽阪神北條(坂本母校の光星学院で6学年後輩)「憧れの先輩。ちょっとでも近づけるように自分も頑張らないと一緒に1軍でプレーできるように頑張ります」 ▽ヤンキース田中将大「坂本選手いや、勇人2000本安打達成おめでとうございます。同級生の勇人が2000本安打達成ということで、同級生から2000本安打達成が出るという驚きと、時間の経過を感じております。でも勇人なら当然ですかね。次の目標は3000本安打になるのかな。そうだと思いますけど、3000本安打達成というニュースの時にも、こうしてまたメッセージを送らせてもらえればなと思います。このたびは本当におめでとうございます」 ▽レッズ秋山翔吾「勇人、おめでとう! この年齢での2000安打達成を同い年として、本当にうれしく思います。1年目の終わりから試合に出始めて、2年目にはレギュラーになりましたが、それをつかんで離さなかった。ここまで大きな離脱がないのがすごいし、これからも、なるべく休まずに試合に出てほしいなと思います」 ▽元ヤンキースのデレク・ジーター氏「(日本語で)坂本君おめでとう!(以下は英語)2000本安打という歴史的な節目を迎えられたことに心よりお祝い申し上げます。2015年に会ったことを思い出します。数々の記録を積み上げて来たこと、大変感慨深く感じています。是非チームメート、家族、友達ら皆さんとこのすばらしい瞬間を祝っていただければと思います。これからの活躍を祈りつつ、近々再会できることを楽しみにしています」 ▽巨人坂本ものまね芸人さかとも(この日はスタンドで観戦)「2000安打、おめでとうございます! 次は3000安打を目指して、頑張ってください!」

◆巨人坂本勇人内野手(31)のプロ14年間は、「キセキ」の連続だ。同僚、友人、恩師ら大好きな仲間への永久の愛を形にしてきた。背番号「6」の背中には夢がある。"奇跡"がある。想像を絶する重圧を背負いながら、仲間と、ファンと、喜びや悲しみを分け合ってきた。関西出身のイケメンは長身でスタイルも抜群。愛される男の裏側は人情味にあふれ、その傍らには涙があった。利己的な涙はない。ピュアに人を思う気持ちが涙であふれた。大好きな仲間と寄り添って、歩いた仲間との"軌跡"をたどる。これから先も何十年続いていけるような「キセキ」がある。坂本が進む道には、喜怒哀楽の「奇跡のドラマ」がある。野球を始めた時は左投げだった少年が、小学生の野球チームで手にしたグラブは右利き用の兄のお下がり。07年6月19日にがんで亡くなった母輝美さんから与えられたものだった。「おかんのおかげ」。今では笑い飛ばすが、昨年、セ・リーグの遊撃手では初のMVP選出も、右投げでなければありえなかった。それが「遊撃・坂本」の奇跡の始まりだった。 不思議な力を感じさせてくれたのは母だった。1年目の07年5月12日の日本ハムとの2軍戦(姫路)。スタンドで観戦する母へアーチをプレゼントした。 「僕の野球人生で初めてホームランを狙った試合です。闘病中の母が車いすで球場に駆けつけてくれて...。亡くなる1カ月前のことでした。プロに入ってから母が球場に来てくれたのは、後にも先にもその1回だけ。とにかく母を元気づけたい、その一心でした。プレッシャーの中、母の前で打てた1発が僕に自信を与えてくれました。(08年優勝手記より一部抜粋)」 おかんにもらった自信をすぐに開眼させた。同9月6日の中日戦。同点の延長12回2死満塁。原監督から「ハヤト、行ってこい」と背中を押され、代打で出場。プロ初安打を決勝適時打で決めた。「寮に帰って、お母さんに報告したい」と天を見上げた。 08年4月6日の阪神戦では、プロ初本塁打をリーグ最年少のグランドスラムで飾った。「打った瞬間は覚えてません。打っちゃったって感じです」。記憶に残る初安打で2000安打へと走りだし、記録に残る1号も刻んだ。 「拓さんの分も頑張りますから」。10年4月7日、内野守備走塁コーチだった木村拓也さんがくも膜下出血のため急死した。生前、「いっぱい食え」とごちそうしてもらった飲食店に出向き、悲しみに暮れる店主に誓った。木村さんの誕生日だった同4月15日の阪神戦で逆転の満塁本塁打を届けた。 国民的スターとも通じ合った。「木村拓哉さん、見てくれましたか」。14年のオープン戦は大スランプに陥った。迎えた3月28日の阪神戦。君が代斉唱で来場した元SMAPの木村拓哉から「頑張れ!」と背中をバンっとたたかれた。「スーパースターからパワーをいただいた」。1点を追う4回2死、バックスクリーン左に通算100号のメモリアル弾で応えた。 17年5月10日の阪神戦。光星学院(現八戸学院光星)時代のチームメート、柴田耕一郎さんの通夜が営まれる中、バットに思いを込め、1試合2本のアーチを放った。試合後、故人をしのびながら、食事中だった金沢監督、同級生に電話。「今日は耕一郎のために打ったで」。仲間はおえつを漏らしながら、涙を流した。天国に旅立った友へ-。力の限り振り抜いた白球には、高校時代の仲間の魂も宿った。 1つの夢をかなえた1発も格別だった。19年9月27日のDeNA戦。引退を決めた阿部のために「ありがとう慎之助」と銘打たれた一戦だった。自身初の40号で"師匠"と最後のアベック弾。「僕の夢だった40号を打てた日が、今日という日で阿部さんと一緒にホームランを打てたことが最高にうれしいし、感動です」と彩った。 1年後には"恩師"のメモリアルにも花を添えた。9月9日中日戦。自身初の3打席連続のアーチで川上哲治氏に並ぶ監督通算1066勝目を原監督に贈った。「監督のもとで長く一緒にプレーできていることは財産ですし、光栄です」。球団歴代最多を更新する1067勝目も決勝アーチで飾った。2000安打に到達した本拠地最終戦は、本来はなかった試合。7月10日のヤクルト戦が雨天中止となり追加された舞台だった。 幼いころ、母から渡された兄のお古のグラブを手にした日から約20年。「SAKAMOTO」の名は世界にも知れ渡り、メジャー屈指の遊撃手のヤンキース・ジーターからグラブが届いた。「日本のヤンキースで若い頃から、遊撃手でプレーする選手がいる」と聞き、「これをプレゼントしてくれ」と託されたものだった。 傷だらけのグラブからスタートし、海を飛び越え、世界一のスーパースターからグラブが贈られる。それって...「奇跡」。【久保賢吾】

◆希代のバットマンが、節目に亡き母を思った。巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 ヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回2死、ヤクルト・スアレスから二塁打を放った。右打者では史上最年少。球団生え抜きでは6人目で、初となる本拠地のファンの前で決めた。観戦に訪れた父、高校時代の恩師、仲間、空から見守る母へ。2001、2002安打と重ね、次なる大台へ歩を進めた。

◆希代のバットマンが、節目に亡き母を思った。巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 ヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回2死、ヤクルト・スアレスから二塁打を放った。右打者では史上最年少。球団生え抜きでは6人目で、初となる本拠地のファンの前で決めた。観戦に訪れた父、高校時代の恩師、仲間、空から見守る母へ。2001、2002安打と重ね、次なる大台へ歩を進めた。

◆希代のバットマンが、節目に亡き母を思った。巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 ヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回2死、ヤクルト・スアレスから二塁打を放った。右打者では史上最年少。球団生え抜きでは6人目で、初となる本拠地のファンの前で決めた。観戦に訪れた父、高校時代の恩師、仲間、空から見守る母へ。2001、2002安打と重ね、次なる大台へ歩を進めた。

◆希代のバットマンが、節目に亡き母を思った。巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 ヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回2死、ヤクルト・スアレスから二塁打を放った。右打者では史上最年少。球団生え抜きでは6人目で、初となる本拠地のファンの前で決めた。観戦に訪れた父、高校時代の恩師、仲間、空から見守る母へ。2001、2002安打と重ね、次なる大台へ歩を進めた。

◆希代のバットマンが、節目に亡き母を思った。巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。 ヤクルト24回戦(東京ドーム)の1回2死、ヤクルト・スアレスから二塁打を放った。右打者では史上最年少。球団生え抜きでは6人目で、初となる本拠地のファンの前で決めた。観戦に訪れた父、高校時代の恩師、仲間、空から見守る母へ。2001、2002安打と重ね、次なる大台へ歩を進めた。

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が史上53人目となる通算2000安打を達成した。  試合前時点で大台まであと「1」としていた。一回、2死走者なしから左翼線二塁打を放って達成。二塁ベース上で、巨人・中島、ヤクルト・山田哲から花束を受け取り、大きな拍手を浴びて丁寧に頭を下げた。  31歳11カ月での達成は右打者では土井正博(33歳6カ月)を抜いて史上最年少。プロ14年目、通算7726打席目での到達となった。巨人では2018年8月13日の広島戦(マツダ)で達成した阿部慎之助以来9人目で、本拠地東京ドームでは生え抜き史上初の達成となった。

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が史上53人目となる通算2000安打を達成した。米大リーグやプロ野球の巨人で投手として活躍した上原浩治氏(45)はこの日、自身のツイッターで「坂本選手 おめでとう」と祝福。「何かいい意味で、彼には重みがないよなぁ。だって、3000本いくだろうし...」と期待した。  31歳11カ月での達成は右打者では土井正博(33歳6カ月)を抜いて史上最年少。プロ14年目、通算7726打席目での到達となった。巨人では2018年8月13日の広島戦(マツダ)で達成した阿部慎之助以来9人目で、本拠地東京ドームでは生え抜き史上初の達成となった。

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が史上53人目となる通算2000安打を達成。一回2死の第1打席で左翼線二塁打を放った。  球団広報を通じ、「ほっとしました。焦りではありませんが、早く打ちたいという気持ちがあったので、1打席目に決められてよかったです。ここまで支えてくださった監督、コーチ、チームメイト、チームスタッフ、ファンの皆さんに本当に感謝しています。また、2000安打までたくさんの応援メッセージありがとうございました」とコメントした。  主将は三回の第2打席で2001安打目となる19号2ランをバックスクリーンへ運び、四回にも遊撃へ内野安打。通算163度目の猛打賞で"主役"が大活躍を見せた。

◆巨人の高卒2年目左腕・横川凱投手(20)がプロ初先発し、5回3安打1失点の好投で勝利投手の権利を手にして交代した。  大阪桐蔭高では中日・根尾、ロッテ・藤原、日本ハム・柿木らとともに3年時に春夏連覇を達成。2019年ドラフト4位で入団した。今季は1日にプロ初昇格を果たし、4日の広島戦(マツダ)で初登板。八回1死一塁で登場し、0回2/3を1安打無失点だった。  この日は、初めての先発マウンドで躍動した。失点は四回先頭で塩見に浴びた左越えソロのみ。身長190センチの大型左腕が本拠地最終戦で堂々の投球を披露した。  プロ初打席となった二回1死一塁ではきっちりと投前犠打を成功させ、原監督のサイン入りの"初バントボール"を受け取った。

◆8日に東京ドームで行われた巨人-ヤクルト最終戦は3万1735人の観衆を集め、今季のプロ野球で初めて3万人を超えた。  東京ドームでは新型コロナウイルス感染対策の新技術を試験するために7日から来場者の上限を収容人数の約45%の1万9000人から約8割の3万4000人程度に引き上げていた。  プロ野球で今季の入場者の最多はDeNAが横浜スタジアムで同様の検証を行った11月1日の阪神戦で記録した2万7850人だった。

◆通算2000安打を達成した巨人・坂本勇人内野手(31)がヤクルト戦後に代表インタビューに応じた。  --おめでとうございます  「ありがとうございます」  --心境は  「そうですね。朝起きてから、食欲もなくて。今日1日緊張していたんですけど、1打席目にヒットが出たので、そこからは力が抜けていいバッティングができたかなと思います」  --重圧あった  「僕が想像していた以上に球場のファンの皆さまが期待をしてくださっていたので、あの雰囲気というのは一生忘れないと思います」  --無観客での達成の可能性もあった。ファンの存在は  「まずはじめに、本当に医療従事者の皆さまのおかげでお客さんを入れてプレーできていると思うので。そこに感謝をして。そして、無観客で始まった今シーズンですけど、本当にファンの力は選手を後押ししてくれているんだなと改めて感じさせてもらったシーズンだったので、本当にいつもありがとうございます」  --右打者では史上最年少の達成。要因は  「今日も見に来てくれているんですけど、高校の恩師である金沢監督、そしてプロに入ってから若い時から使ってくださった原監督。そしてファンの皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです」  --自宅でケアも  「本当にこの3、4年というのは野球だけに集中して。まあ今までも集中していましたけど(笑)。さらに野球に集中してやった、3、4年だなと思います」  --生え抜き選手で本拠地達成は初  「昨日からそういう雰囲気というか、ファンの方も期待してくれているなというのをひしひしと感じていたので、今日1打席目に達成できたのも、皆さんの声援のおかげだと思っていますので、さらに熱い声援をよろしくお願いします」  --次の目標は  「チームとして昨年の悔しい気持ちがありますので、絶対に日本一になってファンの皆さまと喜びたいと思います」

◆ヤクルトの山崎が2点を追う八回に3号逆転満塁本塁打を放った。ストライクを取りにきた初球のスライダーを右翼席にたたき込み「甘い球を積極的にいくつもりだった。満塁ホームランは人生初」と歓喜した。  10月以降の打率が1割を切る不調で、この日も第2打席目まで凡退。ベンチに戻ると山田哲に「迷いが見える。思い切って振ってこい」と声を掛けられた。六回の第3打席で右前打を放ち、続く打席での一発につなげ「冗談半分だったかもしれないが、あれで気楽になった」とヒットメーカーの先輩に感謝した。(東京ドーム)

◆通算2000安打を達成した巨人・坂本勇人内野手(31)が8日、ヤクルト戦後に記者会見を行った。代表質問の一問一答は以下の通り。  --改めて心境  「今日本拠地で決めたいという気持ちもありましたし、すごく緊張していた。1打席目に決められてほっとしました」  --緊張はいつから  「広島の時くらいから。メディアの方には『あまり意識しない』と言っていたんですけど、3本、2本になったときにはもうすごく...。昨日もすごい緊張しながらプレーしていた。昨日決めたかったなと思いながら今日を迎えました。今日打てなかったらちょっとかっこ悪いなと思いながら」  --今季中に決めたい、できれば本拠地でという気持ちは強かった?  「シーズンに入ったときはそういう気持ちは本当になかったんですけど。数字が減っていって、ちょうど本拠地で、ファンの方もたくさん入れるようになって。そういうタイミングがすごく。2試合で2本という。意識しないつもりでも、ファンの方も意識したと思いますし。久々に緊張しました」  --3000安打という声も  「本当にありがたい言葉をいただいて。次の目標はそういう風になっていくと思う。今までも本当に一試合一試合、打席に立ったときに『ヒットを打ちたい』と。その気持ちだけで今日の2000本という数字までこれた。1日、一本一本、という気持ちは引退するまで変わらないと思います」  --2001安打目が、とてもうれしかったと監督が  「1打席目にヒットがでてホッとした気持ちもありましたけど、その次の打席が大事だと思いながら打席に入っていた。今後もどれだけヒット重ねようが、打席で打ちたいという気持ちは常に持ってやらないといけない。それを今日は改めて感じました」  --1打席を大事にというのは誰から授かった  「若い時は、自分の調子の悪い、いいでおろそかにしている打席は多かったと思うんですけど。やっぱりキャプテンになって若い選手が増えている中でそういう姿を見せてはいけない。一打席、一球に対する気持ちは今後も大事にしてきたい」  --2000安打達成を誰に報告したい  「まずはやっぱり両親に。今日は、父親(喜代三さん)が見に来てくれていましたけど、いい姿を見せられてよかったと思いますし。あとは母親(輝美さん・2007年に47歳で死去)にも。オフになったら墓参りにでも行って『2000本打ったよ』と、そういう報告はしたいなと思います」  --お母さん、どこかで見ている  「1軍で活躍している姿を、1軍で1本もヒット打っている姿を見ないまま亡くなってしまった。一番、小学生のころから応援してくれたのは母親なので。今日の2000本目のヒットをどこかで見てくれているのかなと思います」  --個人的に、次に達成したいことは  「3000本という数字はもちろんありますけど、まだまだ何も実感もわかないような数字。2500という数字をまずは次の目標にして、一本一本、やりたいなと思います」

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が8日、ヤクルト最終戦(東京ドーム)の一回に左翼線二塁打を放ち、史上53人目の通算2000安打を達成した。  坂本の青森・光星学院高時代の監督、金沢成奉氏(53)=現・明秀学園日立高監督=は、バックネット裏で見届けた。  「初安打も覚えているし、初本塁打もよく覚えている。感慨深いものがありますね。あいつは教え子というより戦友。僕も頑張ろうと刺激をもらいました」  中学3年生の坂本の練習を初めてみたときの記憶を、「電流が走りました。こいつはプロになる、と。あそこまで感じたのはあいつだけ。バットのヘッドの走り、グラブさばきがしなやかで、強さもあった」と思い出す。  3年前に食事したときに坂本が「今が一番、野球が楽しい」と話した目の輝きが忘れられないという。「あいつはまだ自分が下手くそだと思っている。その気持ちがここまでの選手にした。これからもあいつらしく、人生を"面白がる"ぐらいで生きていってほしい」とエールを送った。

◆試合後のセレモニーで原辰徳監督(62)は坂本と熱く抱き合った。坂本が2007年に入団した当時から続く師弟関係。一瞬、2人だけの時間が流れた。  「本当に、彼らしい二塁打でね。よかったね」  2年目で19歳だった08年は開幕スタメンに起用。荒削りのプレーが目立って何度もメンバーから外そうと考えたが、練習で食らいついてくる姿勢に思い直し、結局全144試合で先発起用した。「使ってみたくなるんだ、あの目を見るとね」と懐かしむ。  「尊敬に値するぐらい大きくなった。まだまだ途上。3000本を目指していってくれと」  本拠地最終戦を終え、選手会長の菅野に突然締めのあいさつを振ってスタンドを沸かせるおちゃめな一面も見せた。2連覇を届けたファンに向け「一心不乱になって日本一を目指します」と誓った。 (伊藤昇)

◆通算2000安打を達成した巨人・坂本勇人内野手(31)が8日、記者会見に臨み、隠していた緊張感や、両親、恩師への感謝の思いを明かした。  --緊張はいつ頃から  「(3-5日の)広島(遠征)のときから。メディアの方には『あまり意識しない』と言っていたけど、残り3本、2本になったときにはもう、すごく...。きょう打てなかったら、ちょっと格好悪いなと思っていた。朝起きてから食欲もなくて、きょう一日、緊張していた」  --一番印象に残る安打は  「うーん...。1本目もそうですけど、きょうの緊張感の中で打てた2000本目か、どちらかですかね」  --達成を誰に報告したい  「まずは両親に。きょうは父親が見に来てくれて、いい姿を見せられてよかった。母親(輝美さん、2007年に47歳で死去)にも、オフになったら墓参りに行って『2000本打ったよ』と報告したい」  --亡き母への思い  「1軍で1本もヒットを打っている姿を見ないまま亡くなってしまった。小学生の頃から一番、応援してくれた。2000本目のヒットを、どこかで見てくれているのかなと思います」  --恩師の金沢氏への思い  「(高校1年の冬に)野球を辞めたいと思ったときに引き留めてくれた。一番に僕のことを考えてくれた。光星学院高校にいってよかった。厳しい監督さんのもとで野球をやって、僕の野球人生は変わった。今でも頭が上がらない気持ちです」  --珍しく食欲がなかったと。今は何が食べたいか  「ラーメンが食べたい」

◆主将が笑った! 本拠地最終戦で決めた!! 巨人・坂本勇人内野手(31)が8日、ヤクルト最終戦(東京ドーム)の一回に左翼線二塁打を放ち、史上53人目の通算2000安打を達成した。31歳10カ月での到達は、榎本喜八(東京=現ロッテ)の31歳7カ月に次ぐ史上2番目の年少記録で、右打者では最年少。三回に中越え19号2ラン、四回には遊撃内野安打をマークして通算2002安打。史上2人目の通算3000安打を期待される主将がさらなる高みを目指す。  クライマックスは、いきなりやってきた。一回2死、左翼線へライナーが飛ぶと、今季最多3万1735人が総立ちで拍手を注いだ。2020年11月8日、午後2時13分。そのとき、東京ドームは坂本一人のものとなった。  「ホッとした。本拠地で決めたい気持ちもあったし、本当に震えるくらい緊張していた。その中でヒットが出たのは自信になりました。技術を追求してきてよかった」  二塁へ到着すると、解放感に満ちた笑みを浮かべ、何度も両手をたたいて喜んだ。ヘルメットを脱いで客席へ頭を下げ、同僚の中島と、親交の深いヤクルト・山田哲から花束を受け取ると、もう一度深くお辞儀した。  定位置を獲得した2年目から13年。負担の大きい遊撃を守りながら、右打者では最年少の31歳10カ月での通算2000安打。コロナ禍による開幕延期で31歳7カ月の年少記録を抜けなかったが、巨人の生え抜きでは川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、阿部慎之助に続いて6人目。本拠地での達成は初となった。  幼少期から、やると決めたらとことんやる性格だ。兵庫・伊丹市の少年野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」時代、母・輝美さんが車で測ってくれた約5キロのコースを走るのを日課にしていた。夜は公園に仲間を集めて素振り。「細かいところを雑にしない」。そのモットーが自然と芽生えた。  一方で、若手時代は怖いもの知らずだった。痛飲した翌日に勝負を決める一打を放ったのは一度や二度ではない。"怪物"といわれた体力と度胸は、逆に同僚たちの尊敬を集めた。  ただ、20代中盤は突出した成績を残せず、超一流打者の壁にぶち当たった。試行錯誤を続ける中、16年に球団OBである松井秀喜氏の話をヒントに軸足に体重を残す現在の打法に変えて覚醒。タイミングの取り方も身につけ、昨季は強振を意識して40本塁打を放った。常に進化を求めてきたからこそ、今がある。  18年の春季キャンプ中には球団栄養士と食卓を囲み、アルコールとの付き合い方を1時間も質問し続けたこともあった。大好きだったお酒は、今や休養日前に息抜きでたしなむ程度。豪快な若手時代があったからこそ、野球と向き合うプロ意識が磨かれた。  日々を支えてくれたのが相棒の存在だ。幼少期のランニングでも常に一緒だった3歳下の弟・勇斗(ゆうと)さん(28)には、13年から運転手兼個人マネジャーを任せている。勇斗さんは当初、専門学校でトレーナーの資格を取るため昨年限りで運転手をやめる約束だったが、年末に坂本が「あと2年待ってくれ。今が大事やから」と頼み込んだ。信頼を寄せる弟の気持ちに応える必要があった。  節目へあと116本で迎えた今季は、開幕前に新型コロナウイルスの陽性判定を受け、7月には自己ワーストに並ぶ26打席連続無安打と苦しんだ。ときに足踏みしながらも、今季の本拠地最終戦で達成した。コロナ禍で暗くなりがちなスポーツ界、日本に明るい話題を届けた。  「1年でも長く結果を出し続けたい。3000本は、まだ実感もわかないような数字。まずは2500を次の目標にして一本、一本やりたい」  三回にバックスクリーンへ2001安打目の19号2ラン。四回の内野安打で通算163度目の猛打賞を飾った。張本勲がプロ野球記録の通算3085安打に到達したのは高卒23年目、41歳シーズン。坂本はまだ14年目、31歳10カ月だ。燦然(さんぜん)と輝く男のキャリアは、前人未到の道なき道を確かに照らしている。(谷川直之) ★弟、勇斗さん全面サポート  坂本を最も近くで支える弟、勇斗さんはバックネット裏席で観戦し「僕もほっとしました」と笑顔を見せた。球場への送り迎えから単身暮らしの手伝い、オフの自主トレ相手まで全面でサポート。「勇人は車の中で野球の話は一切しません。野球の好不調で態度が変わることもないのは、すごいなと思います。僕に対しても優しいです」。偉業を達成したこの日も、いつものように勇斗さんの安全運転で帰途に就いた。

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<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
巨人
66448 0.600
(↓0.006)
優勝
(-)
2524
(+3)
416
(+5)
135
(+1)
79
(-)
0.256
(↑0.001
3.360
(↓0.02)
2
(-)
阪神
59527 0.532
(-)
7.5
(↑0.5)
2493
(-)
456
(-)
110
(-)
80
(-)
0.248
(-)
3.400
(-)
3
(-)
中日
59555 0.518
(-)
9
(↑0.5)
1426
(-)
487
(-)
70
(-)
33
(-)
0.252
(-)
3.850
(-)
4
(-)
DeNA
55576 0.491
(-)
12
(↑0.5)
2511
(-)
469
(-)
135
(-)
30
(-)
0.266
(-)
3.810
(-)
5
(-)
広島
515512 0.481
(-)
13
(↑0.5)
2514
(-)
523
(-)
109
(-)
63
(-)
0.261
(-)
4.090
(-)
6
(-)
ヤクルト
416810 0.376
(↑0.006)
24.5
(↑1)
1465
(+5)
582
(+3)
113
(+2)
74
(+1)
0.242
(↓0.001)
4.590
(↑0.02)