1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安 | 失 | 本 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
広島 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 9 | 1 | 2 |
巨人 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | X | 8 | 14 | 0 | 1 |
勝利投手:山口 俊(11勝2敗0S) (セーブ:デラロサ(0勝0敗1S)) 敗戦投手:モンティージャ(0勝1敗0S) 本塁打 |
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◆巨人は初回、亀井の適時打で先制する。その後は、3回裏にゲレーロが2点適時打を放つと、4-1で迎えた6回には若林のソロなどで3点を奪い、試合を優位に進めた。投げては、先発・山口が今季11勝目。敗れた広島は、打線が終盤に追い上げを見せるも及ばず、連勝は9でストップした。
◆巨人亀井善行外野手(37)が、先制の適時打を放った。 1回1死満塁、広島モンティージャの9球目の直球を中前にはじき返した。幸先よく、来日初先発のモンティージャの立ち上がりを攻め「初めての投手でしたが、うまく打ち返せました。先制点を取れて、良かったです」とコメントした。
◆巨人アレックス・ゲレーロ外野手(32)が、リードを広げる2点適時二塁打を放った。1点リードの3回1死満塁、広島モンティージャの直球を打ち返し、左中間フェンス直撃の一打で2者が生還した。 28日の阪神戦では、来日初の9号満塁本塁打をマーク。この日も"満塁男"ぶりを発揮し「とにかく打点を挙げることだけを考えていた。1対0という場面で、チーム的にも絶対に追加点がほしいところだった。打点を挙げることができて良かったです。バモス!」とコメントした。
◆巨人若林晃弘内野手(25)が、4号ソロ本塁打を放ち、リードを4点に広げた。 3点リードの6回無死、2ボールからの152キロ直球を左翼席最前列に運んだ。「入るとは思わなかったです。いい追加点になりました」とコメントした。この回、3点を追加し、試合の流れを引き寄せた。
◆巨人坂本勇人内野手(30)が、4番の仕事で流れを呼び込んだ。3点リードの4回1死一、三塁。広島アドゥワのカーブにタイミングを外されたが、バットの先で拾って、変則的な打球で一、二塁間を抜いた。 「ラッキーでしたね(笑い)」とコメント。6回にも左前適時打を放ち、打点を71とした。
◆巨人は1回に亀井の中前適時打で先制。3回にゲレーロの2点適時二塁打で追加点を挙げた。先発山口は3回まで2安打無失点。 巨人は4回に坂本勇の適時打で1点を追加。広島は5回に菊池の適時二塁打で1点返したが、巨人は6回に3点を奪い突き放した。 巨人が継投で逃げ切って、原監督が通算1000勝を達成した。広島は8回に4点を返したが、反撃が遅く、連勝が9で止まった。巨人山口俊が11勝目、広島モンティージャ1敗。
◆巨人原辰徳監督(61)が、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。同一球団で1000勝以上は5人目の快挙となった。数々の記録や記憶を残してきた名将がまた1つ、新たな勲章を手にした。 試合後はお立ち台に上がり「私がこういうところに立つのが申し訳ないですね」と苦笑いしながら話し「1つの言えるのが、ファンの皆様、選手のみなさん、私の周りにいてくれたスタッフ、応援してくれた皆さんのおかげで今日までこれた。そのことに対して感謝申し上げます」と感謝した。 ▼原監督がプロ野球13人目の監督通算1000勝を達成した。初勝利は4試合目の02年4月3日中日戦で、通算成績は1000勝751敗57分け。通算1808試合で達成は水原監督1600試合、鶴岡監督1653試合、川上監督1743試合、三原監督1791試合に次いで5位のペースとなり、同一球団で1000勝以上は南海(グレートリング)で1773勝の鶴岡監督、巨人で1066勝の川上監督と1034勝の長嶋監督、オリックス(阪急含む)で1012勝の上田監督に次いで5人目だ。原監督のBクラスは4位の06年だけ。4位以下が1度で1000勝達成は、4位以下なしで到達した水原監督、1度の鶴岡監督と川上監督に次いで4人目。 ▼1000勝を記録したシーズンに優勝は62年水原監督(東映)97年野村監督(ヤクルト)の2人。川上監督と長嶋監督は2位だったが、原監督は1000勝イヤーを優勝で飾れるか。
◆巨人原辰徳監督(61)が、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。同一球団で1000勝以上は5人目の快挙となった。読売巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督 原監督、監督通算1000勝おめでとう。しかし、早いね。あっという間だったような気がします。今でもあの時のことを、はっきりと覚えている。私が監督最終年だった2001年、終盤に差し掛かった頃のとある試合後、原君を東京ドームの監督室に呼んで、「後は頼むぞ」と伝えました。それに対して、彼は決して多くの言葉は残さなかったけれど、ただ、身体全身から漲(みなぎ)る自信を感じました。その真剣なまなざしからは「オレがやるんだ」「任せてください」という気迫が溢れていました。実はそのシーズンの後半戦から、当時ヘッドコーチだった原君にベンチの指揮をお願いしました。堂々とした采配というより、テキパキとした采配で当時から監督としての資質、センスを感じさせていました。偉大なお父さん(故原貢氏)からも、多くの教えを学んでいたことと思います。私が監督として彼に託したかったことは、ジャイアンツは常に勝たなくてはならない。とにかく勝つ。そして、勝ちながらファンの皆さまに、「ジャイアンツの野球とはこういうもんなんだ」と喜んでもらうこと。そして、その中身は、自分で作っていかねばならない、ということでした。また伝統の大切さも常々口にしてきました。しかし、原監督は見事にそれを短い時間で具現化してくれたと思います。 実際、試合を観ていて感じることは、原監督は、実に選手の起用法が的確でうまい。昨日まで2軍にいた選手を翌日、1軍の試合で起用したり、思い切った継投策に出てみたり。原監督の判断力や決断力、いや、思い切りの良さには、感心させられるばかりです。正直、私には真似できない、思い切りの良さを持っています。今、私から原監督に伝えたいことは2つ。1つは岡本君をジャイアンツの4番として、しっかりと育てて欲しい。ジャイアンツの4番はどっしりとしていなければならない。不動でなければならない。岡本君はボールの捉え方を見ていても、その素質を持っていると、私は見ています。2つめはこの夏場をなんとか乗り切って欲しい。そして力強いジャイアンツを再びファンに見せてもらいたいと願っています。私もまた東京ドームへ応援に行きます。監督通算1000勝と言っても、原監督はまだまだ若い。これからも、ジャイアンツの繁栄の礎をしっかりと築いていって欲しいと思います。頼むぞ!
◆14安打の巨人が広島戦の連敗を3で止めた。1回に亀井が先制打で、3回はゲレーロが2点二塁打。4-1の6回は若林の一発などで3点を加えた。山口が7連勝で自己最多に並ぶ11勝目。広島は追い上げ及ばず、9連勝でストップ。
◆巨人原辰徳監督(61)が、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。同一球団で1000勝以上は5人目の快挙となった。数々の記録や記憶を残してきた名将がまた1つ、新たな勲章を手にした。試合後にはお立ち台に上がった。 原監督 私がこういうところに立つのが申し訳ないですね。皆さんのおかげで、選手のおかげで。(監督1年目の)2002年、自分が就任して4連敗からスタートして、1勝目は非常に強く覚えております。その後は朝になれば今日どうやって勝つか、夜になれば明日どうやって勝つかその積み重ねですね。その数字がきた。自分の中で今日は終わった。明日どうやって勝とうか、そのことしかない。1つの言えるのが、ファンの皆様、選手のみなさん、私の周りにいてくれたスタッフ、応援してくれた皆さんのおかげで今日までこれた。そのことに対して感謝申し上げます。ありがとうございます 巨人では川上哲治氏、長嶋茂雄氏に並ぶ監督通算1000勝 原監督 全く自分の中で意識がないわけですから、なんと答えていいかはわかりません。あしたどう勝つか。どうすれば勝てるのか。そのことだけに集中したい。 -その先に長嶋さんが勝利数がある 原監督 おこがましい話ですね。私がここで目的を言うのなら、明日の勝利。それしかありません。 -明日への1勝、今後に向けて 原監督 チーム一丸となって、勝利を目的に戦っております。今日も素晴らしい戦いをしてくれた。もちろん明日以降も戦ってくれると思います。私自身も選手たちに負けないよう、足を引っ張らないように戦っていきます。ファンの皆様、よろしくお願いします。
◆巨人原辰徳監督(61)が、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。同一球団で1000勝以上は5人目の快挙となった。14年オフ。秋季練習が始まる前日だった。阿部のスマートフォンが鳴った。原監督からだった。「明日、来年のことについて話し合おう」。すぐに察した。「一塁にコンバートなんだろうなと思った。自分でもしっかりと考えて答えを出したし、異論はない。監督と同じ考えだった」。代名詞だった"捕手"との別れを決断した、はずだった。 99%ない。捕手で出場する可能性を原監督は「1%以下だ」と明言した。開幕2カード目の4月3日阪神戦。阿部はスタメンマスクを託された。「前日に相川さんがケガをして、捕手が足りなくなったことは分かっていた。監督室に呼ばれて、気がついたときには自分から『捕手に戻りましょうか』と言っていた。監督も『よし』とすぐに決まった」。最善策に予定調和はないと教えられた。 「99%ってほぼ100%って意味だけど『ほぼ』であって『絶対』じゃない。勝負ごとも同じ。だから勝つために1%にこだわるのも当然だと思う」 昨秋のキャンプ中に阿部から原監督に捕手復帰を志願した。「お前さんが決めたんだったら、そうしよう」と認めてもらった。結果的に現時点では捕手の出場はなく、スタメンは一塁だけ。「監督が何を考えているんだろうと、プロ1年目からずっと必死に食らいついてきた。だから、今は俺なりにだけど『あっ』って分かることもある」。99%の先にある1%にも思考がシンクロしている。 ルーキー時代に長嶋監督に開幕スタメンを進言してくれたのは、当時ヘッドコーチの原監督だった。1000勝のすべてに立ち会った唯一の選手。「1歩目がなければ2歩目はない。今の自分は原監督のひと言があったからだと思う」。師弟を超越した信頼関係がある。【巨人担当 為田聡史】
◆巨人原辰徳監督(61)が、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。同一球団で1000勝以上は5人目の快挙となった。ソフトバンク・王貞治球団会長 原監督、通算1000勝おめでとうございます。ジャイアンツの監督で1000勝というのは価値がある。監督は3回目となるが、彼がそれだけ必要とされているということ。特に今回は、ジャイアンツが危機感を持って監督に指名して、大変な仕事だと分かっていて、火中の栗を拾うような感じで引き受けた。そして、彼だからこそ、昨年までと違う戦い方ができるという、監督としての能力を示した。 巨人軍というのは独特。12分の1じゃなくてオンリーワンというチームで、ファンからも常にそういう存在であって欲しいと求められる。大変、荷が重いだろうけど、今年の戦い方をみても本当に立派。原監督の下で、選手たちが、勝つということ、個人のことではなくてチームが勝つ、巨人軍は勝たなきゃいけないんだっていうことを理解して戦っている。そのことが、選手個々にとってもプラスになっている。原監督が1回目、2回目の経験を生かし、今回の一番大変な時期に3回目の監督を受けて、見事に大役を務めてチームにいい戦い方をさせている。 若いときは選手と同じ目線で見てしまうケースが多い。ちょっと、離れてみて野球を勉強して。「監督とはなんぞや」、選手との関係をどうするか、などを学んで。今回は3回目で、選手は選手、監督は監督。同じユニホームは着ているが、仕事が違うんだというのをはっきり打ち出していると思う。批判をみんな嫌がるけど、彼は人の批判を気にせず「自分がやんなきゃいけないことをやる」という信念を持って、やり通していることが立派。原監督も自信を持って監督に就いたんだと思う。「俺がやんなきゃ誰がやる」ぐらいの気持ちでね。ジャイアンツのイメージを取り戻す役割を引き受けたんだから、今のまま自分の信念に基づいて突き進んで欲しい。 ジャイアンツとの日本シリーズは、2000年が最後だからね。僕らもやはり、ジャイアンツに勝って本当の意味での日本一になると思う。そういった意味では、対戦するという立場に自分たちが行った上で、ジャイアンツに出てきて欲しいね。今年は実現しましょう。
◆巨人山口俊投手が「反省」の投球も自己最多タイ11勝目を挙げた。7回まで1失点と試合を作ったが、今季初完投が見えてきた8回に2発を浴び4失点。 7回1/3、5失点でマウンドを譲った。自身7連勝で16年以来2度目の11勝到達も「抑えたいという気持ちが出てしまった」と唇をかんだ。原監督のメモリアルな1勝に貢献も「最高のゲームで1000勝できれば良かったんですけど...」と苦笑いした。
◆巨人原辰徳監督(61)が、9連勝中だった宿敵広島を破り、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。巨人一筋では川上哲治氏(1066勝)、長嶋茂雄氏(1034勝)に次いで3人目で、12年の楽天星野仙一氏以来となる大台到達。対広島の連敗を3で止め、2位DeNAとは4・5ゲーム差。次世代を担う後継者の育成も視野に入れながら、5年ぶりの優勝へ向けて首位を快走する。試合中、真一文字に結んでいた口元をようやく緩めた。原監督が本拠地に響く「タツノリコール」の中、14年リーグ優勝以来のお立ち台に立った。初めて監督に就任した02年は、3連敗からのスタート。「1つ勝つ重み、大変さを最初にたたきこまれた。その後は朝になれば今日どうやって勝つか。夜になれば明日どうやって勝つか。それしかない」と言った。 自身のメモリアル勝利より1つの白星に執着した。2点差に迫られた8回無死一、二塁から3打点のゲレーロに代打重信を送る。打席に向かう前、耳元で狙いをささやき、暴投を誘った。犠飛で1点を奪い「常に最善策。ベンチ全員で戦う。それが原点」。局面を動かし、勝利を決定付けた。 初勝利から、17年でたどり着いた大台。還暦で迎えた3度目の監督就任は、4年連続V逸したチーム再建を託された。編成面の責任も担い、勝つだけではない使命を胸に秘める。 「85年の歴史の中でOB以外は監督になっていない。いい形で、いい監督につなげるのは頭の中にはあります。時代はいつか滅びる。でも巨人軍は滅びるわけにはいかない」。原監督自身、ヘッドコーチとして長嶋監督に英才教育を受けた。高橋前監督には現役の晩年、選手の立場で紅白戦の采配を託したことがある。 3月29日、マツダスタジアムでの開幕戦前の打撃練習中、40歳の阿部を呼び寄せた。「ベンチにいる時は、お前さんが監督のつもりで試合を見ていなさい」。采配、用兵、決断...、コーチを含め、次世代のリーダー候補に惜しみなく経験を伝えながら戦う。 2月16日の対外試合初戦から丸、坂本勇ら主力を起用。「ポジションはつかむもの」とオープン戦でも若手主体のスタートはない。徹底した実力至上主義の中、若林、大城、山本、投手では桜井、中川らが台頭。93試合で77通りの打線を組み、首位に立つ。 試合後は全選手が1000勝のTシャツを着るサプライズで祝福された。「目的は明日の勝利。それしかない」と喜びに浸るつもりはない。この日の勝利は巨人の通算5975勝目に重なる。自身の記録より、6000勝、7000勝...のために。チームの未来を見据えながら、目の前の勝負に徹し、5年ぶりの歓喜を追い求める。【前田祐輔】
◆巨人坂本勇人内野手が2本の適時打を含む今季10度目の3安打と躍動した。 3回に左安、4回には1死一、三塁で一、二塁間へのボテボテのゴロが適時内野安打となり「ラッキーでした」と運も味方につけた。6回にも左前適時打を放ち、指揮官の1000勝をたぐり寄せた。主将として存在感を示し「これからも1勝でも多く勝ちをつけられるように頑張ります」と力を込めた。
◆巨人原辰徳監督(61)が、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。 同一球団で1000勝以上は5人目の快挙となった。数々の記録や記憶を残してきた名将がまた1つ、新たな勲章を手にした。-川上氏、長嶋氏に次ぐ3人目の記録 「全く自分の中で意識がない。明日、どうすれば勝てるんだと。それだけに集中したいと思います。(次は長嶋氏の数字)おこがましい話です」 -父貢さんの教えは大きいものがあったか 「もちろん、その部分はかなり大きい存在であったことは間違いないですね」 -1つ勝つ難しさを感じた試合だった 「いつも終盤に、特に8回にね。そういう意味では8回の1点というのはね非常に大きかったと思います。まだまだ脇の甘さがあるチーム。伸びシロのあるチームであると。あらためて今日思いました」 -藤田元監督の存在は 「私自身がここまで野球人として来られている中で、その時々に強い影響受けた先輩がたくさんいる。その中で藤田監督は筆頭に値される大先輩です」
◆孤軍奮闘-。広島西川龍馬内野手(24)が9号ソロを含む4安打と気を吐くも、連勝が9で止まった。敗戦の中で新切り込み隊長は後半戦全試合で出塁し、10試合連続安打と好調を維持する。西川に引っ張られるように不振だった松山にも1発が飛び出した。7月の月間負け越しが決まったものの、打線の勢いは衰えてはいない。監督通算1000勝でお立ち台に上がった巨人原監督の喜びの声が漏れ聞こえる通路を広島ナインは歩いた。劣勢の終盤に2点差まで詰め寄り、先発山口をマウンドから引きずり降ろした。連勝は止まったものの、勢いは失っていない。9号ソロを含む4安打の西川は「明日につながればいい」と力強く前を向いた。 1番打者として、勝利への執念を最後まで示した。6点を追う8回。先頭の西川は完投を狙う山口の浮いた真っすぐを捉え右中間席にたたき込んだ。初の2桁本塁打に王手をかける1発から打線がつながり、2点差に。巨人に冷や汗をかかせた。 3点差に広がった9回も2死から左中間へ二塁打。三塁打ならサイクル安打だったが、諦めない姿勢をバットで示した。1番に固定され、後半戦は全試合に出塁し、連続安打も10試合に伸びた。チームを上昇気流に乗せた1番打者だが「(3回の)見逃し三振が余計だった。あれがなければ良かった」と反省を忘れなかった。 構えたときに右足に重心を落とし、左足に重心を移してから打ち始める。開幕直後は左足に重心を残した状態で静止した状態から始動していた。5月に入り「静から動」→「動から動」に修正。確実性向上につながった。1番という打順にも慣れてきた。 連勝が9で止まり、7月の月間負け越しも決まった。それでも下を向く内容ではない。1番の快音とともに打線は好調を維持する。前半戦不振だった5番松山にも1発が飛び出した。敗れはしたものの、勝ちパターンの中継ぎ陣は休ませることはできた。それだけに、この日の敗戦をこのカード残り2戦につなげなければ意味がない。大型連勝と大型連敗を繰り返す今季だけに、連勝が止まった次戦が大事になる。【前原淳】
◆広島松山竜平に待望の1発が飛び出した。 5点差の8回、巨人先発山口をマウンドから引きずり降ろす3号3ランを右翼席に放り込んだ。4月11日ヤクルト戦以来3カ月ぶり。「3打席目まで全然合っていなかった。(バットの)先だったが完璧でした。これから僕がやっていかないといけない」。久々の1発も空砲。巻き返しにむけて、中軸の自覚を口にした。
◆広島は来日初登板初先発のモンティージャが3回途中降板。中継ぎ陣も失点を重ねた。打撃陣が終盤に追い上げるも及ばず、連勝が9でストップ。7月は月間負け越しとなった。緒方孝市監督(50)の談話は以下の通り。 -初先発のモンティージャは2回1/3で3失点(自責2) 緒方監督 初登板だからね。いい球はあった。もっとばらつくのかなと思ったけどね。低めにいい球も行っていた。いい球はたくさんあった。(現在抑えの)フランスアがデビューしていたときと比べても見劣りもしない。 -中継ぎが失点を重ねた 緒方監督 今まで連勝で来ていたときは先発が(試合を)つくれなくても中継ぎがしっかりと流れを止めてひっくり返してきたが、今日はそれができなかった。 -攻撃陣は終盤に粘りを見せた 緒方監督 もちろん、もちろん。 -8回、2点差に迫り、継投した左の中川にも安部、坂倉を打席に送った 緒方監督 中川君には左(打者)の反応を見てみたい。右(打者)が行ったから必ず打てるわけじゃないしね。打撃コーチからも最初から左対右(中川に対しては右打者)の先入観はなかった。走者が出ればもちろん(右の代打も)構えていた。
◆巨人原辰徳監督(61)が30日、広島に勝利し、監督通算1000勝を達成した。通算7度のリーグ優勝、3度の日本一を成し遂げる指揮官の今季の象徴的な采配を振り返る。 (1)4月4日阪神戦(東京ドーム)、2点リードの2死一、三塁で一塁走者のゲレーロが二盗し、三塁走者の亀井が本盗を決めた。 (2)5月30日阪神戦(甲子園)、高木が同点の延長11回無死満塁の大ピンチを無失点。6月12日の西武戦(メットライフドーム)、1点リードの5回から登板し、3回を無失点。 (3)7月3日中日戦(東京ドーム)、同点の9回に先頭の若林が四球で出塁し、グリーンライトで初球に二盗を成功。増田大の犠打失策でサヨナラ勝ちした。 (4)7月8日阪神戦(甲子園)、同点の8回1死、中前打で出塁した岡本に代走増田大を起用。けん制悪送球、三盗で三塁に進み、陽岱鋼の遊撃内野安打で勝ち越した。 (5)7月16日ヤクルト戦(神宮)、2点リードの2回1死一、三塁で山口が2ボールからの3球目に送りバントをファウル。4球目はスクイズで追加点を挙げた。 (6)7月23日ヤクルト戦(京セラドーム大阪)、同点の9回無死一、二塁で陽岱鋼の打順で代打重信。強攻し、プロ入り初のサヨナラ安打を放った。 (7)7月9日阪神戦(甲子園)、1点リードの9回無死一、二塁で岡本がプロ入り初の犠打。3月30日の広島戦(マツダスタジアム)、2点リードの9回無死一、二塁で坂本勇が犠打。4月21日阪神戦(甲子園)、2点リードの8回無死一、二塁で丸がセーフティーバントを成功。 (8)「初回から2点を取りにく野球」で開幕戦から2番に坂本勇を起用した。 (9)5月4日の広島戦(マツダスタジアム)、試合前の打撃練習を行わず、コンディション調整を最優先した。 (10)5月26日広島戦(東京ドーム)、捕手の大城を一塁手で起用した。 (11)配置転換(桜井先発転向、田口リリーフ転向、沢村リリーフ再々転向) (12)中川を「ポリバレントクローザー」に任命。 (13)小林、炭谷、大城の捕手複数制を採用。
◆本紙垰建太カメラマンが大仕事をやってのけた。 巨人原辰徳監督が監督通算1000勝を達成。試合後、選手たちからプリザーブドフラワーを受け取ったが、手を滑らせてしまった。そこにいたのが垰カメラマン。グラウンドに落ちる寸前に足を伸ばして見事に"キャッチ"。窮地を救った。 プリザーブドフラワーは無事に監督のもとへ戻り、記念撮影をすることができた。次は本職のカメラでベストショットを"キャッチ"できるように頑張ってほしい。
◆巨人原辰徳監督が、9連勝中だった宿敵広島を破り、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。 原監督の一問一答は以下の通り。 -川上氏、長嶋氏に次ぐ3人目の記録 「全く自分の中で意識がない。明日どうすれば勝てるか、それだけに集中したい。(長嶋氏の数字は)おこがましいです。選手、スタッフ、ファンの皆さんのおかげ。そこに尽きます」 -父貢さんの教えは大きいものがあったか 「もちろん、その部分はかなり大きい存在であったことは間違いないですね」 -1つ勝つ難しさを感じた試合だった 「8回の1点というのは非常に大きかった。まだまだ脇の甘さがあるチーム。伸びシロのあるチーム。あらためて今日思いました」 -藤田元監督の存在は 「ここまで野球人として来られた中で、強い影響受けた先輩がたくさんいる。その中で藤田監督は筆頭に値される大先輩です」 -巨人の監督を務めるプレッシャーは 「あまり思わないです。勝負の世界に出されると、悔いなく思い切って戦う、その1点。結果を考えたり、先を読むと、それが出てくる可能性がある」 -局面で選手を動かす際に大切にしていることは 「ベストの選択、最善策の中で全員が戦力だと思っている。全員が戦力でないチームはつくりたくない。安心してベンチにいる人は誰1人いないと思います」
◆巨人原辰徳監督(61)が30日、9連勝中だった宿敵広島を破り、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。巨人一筋では川上哲治氏(1066勝)、長嶋茂雄氏(1034勝)に次いで3人目で、12年の楽天星野仙一氏以来となる大台に到達した。 初勝利は4試合目の02年4月3日中日戦で通算成績は1000勝751敗57分け。通算1808試合で達成は水原監督1600試合、鶴岡監督1653試合、川上監督1743試合、三原監督1791試合に次ぐ5位ペース。同一球団1000勝以上は南海(グレートリング含む)で1773勝の鶴岡監督、巨人で1066勝の川上監督と1034勝の長嶋監督、オリックス(阪急含む)で1012勝の上田監督に次いで5人目。原監督のBクラスは4位の06年。4位以下が1度で1000勝達成は4位以下なしで到達した水原監督、1度の鶴岡監督と川上監督に次いで4人目。 ◆通算1000勝以上の監督◆ (1)鶴岡一人(南海)1773勝 (2)三原脩(大洋)1687勝 (3)藤本定義(阪急)1657勝 (4)水原茂(東映)1586勝 (5)野村克也(ヤクルト)1565勝 (6)西本幸雄(近鉄)1384勝 (7)上田利治(オリックス)1322勝 (8)王貞治(ダイエー)1315勝 (9)別当薫(大洋)1237勝 (10)星野仙一(楽天)1181勝 (11)川上哲治(巨人)1066勝 (12)長嶋茂雄(巨人)1034勝 (13)原辰徳(巨人)1000勝 ※所属は達成時
◆巨人原辰徳監督(61)が30日、9連勝中だった宿敵広島を破り、史上13人目の監督通算1000勝を達成した。巨人一筋では川上哲治氏(1066勝)、長嶋茂雄氏(1034勝)に次いで3人目で、12年の楽天星野仙一氏以来となる大台に到達した。 現役時代から取材を続ける記者が「人間・原辰徳」を描く。ひと昔前と違って短命監督が多い近年のプロ野球界では、原監督の通算1000勝は掛け値なしで称賛に値する記録だろう。 特に3度目の監督に就任した今季は93試合で53勝し、再建を託されたチームを着実に首位に導いている。野球の知識はもちろん、人心掌握術を熟知している原監督のカリスマ性に迫ってみた。 根っからの野球人だった父貢さん(故人)の長男として生まれた原監督。生まれながらの野球人がプロ野球選手になりたいと願ったきっかけは、小学生の時に食べたステーキだった。「プロ野球選手になったら、こんなにうまいステーキが毎日食べられる。プロ野球選手になりたい」という幼心が出発点だった。 東海大4年時は4球団から1位指名されたが「不思議なんだけど、当時は巨人に入るとしか思っていなかったんだよね」。予想通りに藤田監督が指名権を獲得。「念ずれば花開く」というが、念じるまでもなく、思い描いたプロ野球人生をスタートさせた。 実行力も抜群だった。プロ入り1年目に寮を出ると「毎日ステーキ」を実行。「おふくろも1週間ぐらいすると『今日もステーキでいいの?』と聞いてくるようになった。工夫して味付けを変えてくれたんだけど、10日ぐらいで『本当に今日もステーキでいいの?』と聞かれたときに『今日はいいや』ってなったんだよ」と笑った。何げなく話してくれたが、今でも薄い肉より厚い肉が好み。「牛丼よりビフテキ丼」と豪語するようにステーキへの執念が、プロ野球の世界に導いたと勝手に思っている。 優しい面もある。グアムキャンプで、今の吉村打撃総合コーチと同部屋になったとき。キャンプ初日、極度の暑がりだった吉村コーチが寝付けずにいると、翌日にはトレーナーとスエットパンツを購入。「俺はこれを着て寝るから大丈夫。クーラーはヨシ(愛称)の好きな温度にしていいからな」と緊張する後輩にひと言。 泥だらけで練習熱心だった村田真一氏(前ヘッドコーチ)にはキャッチャーミットをプレゼント。高卒で入団したばかりの村田氏はスーパースターからの突然のプレゼントに大感激した。心温まる話だが、本人は覚えていない。 名監督として欠かせない「厳しさ」も備えている。チーム再建を託された第2次政権の初年度、開幕ダッシュを決めるが、交流戦でケガ人が続出して大失速。Bクラスに沈んだ。「うまい選手はいらない。強い選手を使う」と大号令を発し、翌年にはV奪回した。なじみの理髪店では、頭皮を強烈な水圧のシャワーで洗浄するが「あんまり強いと、逆に髪の毛が抜けるんじゃないですか?」という質問に「選手と同じ! 弱いヤツは去れ、だ」と自らの頭皮にも選手と同じように厳しかった。 固定観念にとらわれず、臨機応変な戦術を駆使する。以前、次に生まれ変わるなら何になりたいか? という問いに「松」と答えたと書いた。 翌日の新聞を見て「お前、なんか俺のことで面白いこと書いたらしいな」との問い合わせがあった。「あまりに衝撃的な答えだっただけに、強烈に覚えている」と伝えると「覚えてないけど『自分でも言いそうだな』と思っているんだよ。その時の心境はそうだったんだろうなぁ」としんみり振り返っていた。植物の「松」に心があるとは思えないが、いつでもノンビリ、でもどっしりとしていられる「松の気持ち」を代弁できる感受性があるのだろう。常人とは明らかに違う感性を持っている。 とりとめもなく書いてしまったが、原監督を短い言葉で表現するのは至難の業だということだけは理解していただけたと思う。1000勝達成おめでとうございます!【小島信行】
◆巨人の亀井が好調キープを示す先制打を放った。一回1死満塁。来日初登板先発のモンティージャから粘って目を慣らし、9球目の速球を中前に運び「ある程度の軌道が、投げさせて分かった。先制点を取れて良かった」と納得の表情。10試合連続安打とし、三回は中前打、八回は内野安打で追加点を演出した。 この試合を迎えるまで7月は4割近い打率を誇るが、今季序盤は得点圏で振るわず「本当なら、もっと点が取れる。責任は感じている」と悩みを吐露していた。28日に37歳となったベテランは攻守で若々しく、真夏を迎えて調子は上がるばかりだ。
◆巨人・原辰徳監督(61)が史上13人目となる監督通算1000勝を飾った。巨人では川上哲治氏、長嶋茂雄氏(83)に続く偉業となった。 試合は先発の山口俊投手(32)が7回1/3を投げ8安打5失点で11勝目(2敗)。打線は一回、亀井が中前適時打を放ち先制。三回はゲレーロが左中間フェンス直撃の2点二塁打を放つなど14安打8点を奪い右腕を援護した。 原監督は「2002年、自分が(監督)就任して3連敗からスタートして、1勝目というのは非常に強く覚えております。その後は、朝になれば今日どうやって勝つか、夜になれば明日どうやって勝つか、その積み重ねでこの数字にきた。今現在も自分の中で今日は終わったと明日またどうやって勝とうか、もうそのことしかない。一つ言えることは、ファンのみなさま、選手のみなさん、スタッフのおかげで今日までこれた。どうもありがとうございます」と感謝した。
◆巨人の原辰徳監督が30日、東京ドームで行われた広島15回戦に8-5で勝ち、プロ野球史上13人目の通算千勝を達成した。監督通算13年目で、千勝751敗57分け。歴代1位は南海(現ソフトバンク)を率いた鶴岡一人の1773勝。巨人では1066勝の川上哲治、1034勝の長嶋茂雄に次いで3人目。 22日に61歳となった原監督は巨人で2002、03年と06~15年に指揮を執り、今季から3度目の監督に就任した。これまで7度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した。 長嶋茂雄元巨人監督の話 「おめでとう。しかし、早いね。あっという間だったような気がします。実に選手の起用法が的確で、うまい。私にはまねできない、思い切りの良さを持っています。1000勝と言っても、まだまだ若い。これからもジャイアンツの繁栄の礎をしっかりと築いていってほしいと思います。頼むぞ!」
◆巨人の原辰徳監督が30日、東京ドームで行われた広島15回戦に8-5で勝ち、プロ野球史上13人目の通算千勝を達成した。監督通算13年目で、千勝751敗57分け。歴代1位は南海(現ソフトバンク)を率いた鶴岡一人の1773勝。巨人では1066勝の川上哲治、1034勝の長嶋茂雄に次いで3人目。 22日に61歳となった原監督は巨人で2002、03年と06~15年に指揮を執り、今季から3度目の監督に就任した。これまで7度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した。 ソフトバンク・王貞治球団会長の話 「ジャイアンツの監督で1000勝というのは価値がある。巨人軍というのは独特。12分の1じゃなくてオンリーワンというチーム。原監督の下、選手たちが、巨人軍は勝たなきゃいけないんだということを理解して戦っている。今のまま自分の信念に基づいて突き進んでほしい。(日本シリーズで)ジャイアンツに勝って本当の意味での日本一になると思う。今年は実現しましょう」
◆広島は来日初登板先発のモンティージャが三回途中3失点と崩れ、連勝が9で止まった。今月に支配下選手となったドミニカ共和国出身の大型サウスポーは、150キロを超える直球を軸に組み立てたものの、決め球に苦心。7安打を浴び「球はいっていたけど、シュート回転ばっかりだった」と唇をかんだ。 救援陣も嫌な流れを食い止められず、八回に西川と松山の本塁打で反撃したが、及ばなかった。緒方監督は「先発が(試合を)つくれなかった時には、中継ぎがしっかりと向こうの流れを止める展開でひっくり返してきたが、きょうはそれができなかった」と声を落とした。 西川(八回に9号ソロ) 「(後続に)つながったから良しとします」 松山(八回に3号3ラン) 「3打席目まで全然合っていなかったので、初球からしっかり合わせていこうと思っていた」
◆巨人の山口はリーグトップを走り、DeNA時代の2016年の自己最多に並ぶ11勝目(2敗)を挙げても表情は晴れなかった。 7-1の八回に2本塁打で4点を失い、この回途中5失点で降板。前回登板も八回途中で降りており「この点差で投げ切れないのは情けない」ともどかしそうだった。 それでも七回までは好調の広島打線を手玉に取る好投で、原監督の監督通算1000勝に貢献。「本当にすごい数字。もっと最高のゲームで1000勝できれば良かったんですけど」と反省を繰り返した。
◆監督通算1000勝を達成した原監督にONからも賛辞が寄せられた。 長嶋茂雄氏は巨人監督を務めて最終年となった2001年終盤、試合後に原監督を東京ドームの監督室に呼び「後は頼むぞ」と伝えたという。「彼は多くの言葉は残さなかったけど、全身からみなぎる自信を感じました。真剣なまなざしからは『俺がやるんだ。任せてください』という気迫があふれていました」と当時を振り返った。 ソフトバンクの王貞治球団会長は、原監督が就任3度目の今季は「選手と監督は同じユニホームは着ているが、仕事が違うんだというのをはっきり打ち出している」と指摘。「彼は人の批判を気にせず『自分がやんなきゃいけないことをやる』という信念を持って、やり通していることが立派」と褒めたたえた。
◆坂本勇が3安打2打点と活躍し、原監督の通算1000勝に花を添えた。「2本目(四回の適時内野安打)はラッキーなヒットでしたけど、点が入ってよかった」と笑顔。高卒2年目の2008年、攻守に荒削りだったが、指揮官が我慢強く起用してくれた。恩人の偉業に「これからも1つでも多く、勝ちをつけられるように頑張ります」と思いをはせた。
◆巨人・原辰徳監督(61)が30日、広島15回戦(東京ドーム)で監督通算1000勝を達成した。また、長嶋茂雄氏(83)が球団を通じて激励のメッセージを寄せた。 原監督、監督通算1000勝おめでとう。しかし、早いね。あっという間だった気がします。私が監督最終年だった2001年、終盤に差し掛かった頃のとある試合後、原君を東京ドームの監督室に呼んで「後は頼むぞ」と伝えました。 それに対して、決して多くの言葉は残さなかったけれど全身からみなぎる自信を感じました。その真剣なまなざしからは「オレがやるんだ」「任せてください」という気迫があふれていました。 実はそのシーズンの後半戦から、当時ヘッドコーチだった原君にベンチの指揮をお願いしました。堂々というより、テキパキとした采配で当時から監督としての資質、センスを感じさせていました。偉大なお父さんからも、多くの教えを学んでいたことと思います。 試合を見ていて感じることは、原監督は実に選手の起用法が的確でうまい。昨日まで2軍にいた選手を翌日、1軍の試合で起用したり、思い切った継投策に出てみたり。判断力や思い切りの良さには感心させられるばかりです。正直、私にはまねできない思い切りの良さを持っています。 今、私から原監督に伝えたいことは2つ。1つは岡本君をジャイアンツの4番として、しっかりと育ててほしい。ジャイアンツの4番は、どっしりとしていなければならない。不動でなければならない。岡本君はボールの捉え方を見ていても、その素質を持っていると私は見ています。2つめは夏場を何とか乗り切ってほしい。そして、力強いジャイアンツを再びファンに見せてもらいたいと願っています。 私も、また東京ドームへ応援に行きます。原監督はまだまだ若い。これからも、ジャイアンツの繁栄の礎をしっかりと築いていってほしいと思います。頼むぞ!
◆巨人・原辰徳監督(61)が30日、広島15回戦(東京ドーム)で監督通算1000勝を達成した。今季4年ぶりに現場復帰し、通算13年目で星野仙一氏(故人)以来13人目、球団では川上哲治氏(同)、長嶋茂雄氏(83)に次ぐ3人目の偉業を成し遂げた。首位のチームは8-5で勝ち、9連勝中で5ゲーム差に迫っていた広島を圧倒。原監督は、自身8度目のリーグ優勝にも前進した。 一日一日を全力で戦い抜いてきた。東京ドームに詰めかけた4万5371人の「タツノリコール」に迎えられ、お立ち台に上がった原監督は興奮を隠さなかった。顔を紅潮させ、繰り返したのは勝利への執念だった。 「朝になれば、今日どうやって勝つか。夜になれば明日どうやって勝つか。そのことしかない」 選手とは万歳三唱で一緒に喜び合った。1000勝目を迎えても「すごく勝負が新鮮」とうなずいた。2001年シーズン終盤のある日に、当時の長嶋監督から「あとは頼むぞ」と後任を託され、02年4月3日の中日戦で挙げた1勝目から17年。節目に到達した。 この日も持ち前の積極采配が光った。4点を失い、7-5に追い上げられた直後の八回、連打で好機をつくると3打点のゲレーロに変えて代打・重信を送り出し、犠飛で流れを引き戻した。 勝負師の礎は、東海大相模高を率いた名将、父・貢さんによって築かれた。反対意見を押し切って同校に入学すると「聞くも涙、語るも涙」と振り返る"愛のムチ"が待っていた。 それでも食らいつき、夏の甲子園に3年連続で出場。卒業時には父に「俺もきつかった。お前に厳しくすることでチームの和をつくる。そう信じていた」と打ち明けられ、胸を熱くした。東海大時代と計7年間で受けた指導が原点となった。 15年を最後にチームを離れた際にはオランダ、南アフリカなど世界を旅して見聞を広めた。17年11月には宮本現投手コーチらとペルーで日系人向けの野球教室を開き、現地の食事でアルパカも口にした。2番に坂本勇ら強打者を置き、救援投手を試合最初から起用するブルペンデーもテスト。93試合で組んだ打線は77通り。先入観を抱かず挑戦する姿勢は、還暦を迎えても衰えていない。 長嶋氏にそうされたように、40歳の阿部ら未来の監督候補にも背中で語りかけている。喜びもつかの間、原監督は「今言えるのは明日への勝利。それしかない」と言い切った。視線は、もう未来に向いている。希代の勝負師の歴史は、まだ続く。 (伊藤昇) DeNA時代の2016年の自己最多に並ぶ11勝目。原監督の通算1000勝目の勝利投手となった巨人・山口 「本当にすごい数字。その場に立ち会えたことは光栄です」 来日初セーブを挙げた巨人・デラロサ 「うれしい。さらに、監督の通算1000勝という節目の試合で特別な気持ち」 サンケイスポーツ専属評論家・江本孟紀氏 「名監督、名伯楽、名将と呼び名がいろいろとある中、原監督は名将といえる。それも近年では最も実績があり、傑出している。藤田元司さん、王貞治さん、長嶋茂雄さんと、タイプの違う監督に仕え、それぞれのよい部分を学んだ。特に藤田さんの、前向きに可能性を探るやり方を、しっかり吸収したのではないか。もっといえば、父・貢さんも母校・東海大相模の監督。独特の監督観を身につけていると思う。かつて、2度目、3度目と就任を繰り返すたび、退化していく監督もいた。原は逆に、進化している。これからも采配が楽しみだ」 巨人監督としては347勝を挙げたソフトバンク・王貞治球団会長 「ジャイアンツの監督で1000勝は価値がある。巨人軍は12分の1じゃなくてオンリーワンのチーム。今のまま自分の信念に基づいて突き進んでほしい。(日本シリーズで)ジャイアンツに勝って本当の意味での日本一になると思う。今年は実現しましょう」
◆決定打不足に悩んだ打線が、2戦続けてこれほど活発になるとは。シーズンも後半にきて、これだけガラッと打線を組み替えられるとは。危機感と緊張感をうまく引き出す原監督の選手起用には毎回、感心させられる。 しかも丸、坂本勇、亀井のクリーンアップがそろって猛打賞で、監督通算1000勝に花を添えてくれた。巡り合わせも、よくなっている。 広島の先発は初登板のモンティージャ。背が高く、球が速く、手の内も知らない分、通常ならてこずるところ。特に巨人は昔から"初ものに弱い"といわれる。その相手を序盤で降板させたのだから、この打線は、ひと味違うというしかない。 もともと、坂本勇、岡本、ゲレーロら、4番を打てる人材は少なくない。状態に応じて、何通りものオーダーを組めることも、強みとなる。 さらに、坂本勇も自分のことをホームランバッターとは思っていないだろうし、実際、単打で打点を稼いだ。攻撃がつながる合間に長打が絡めば、ビッグイニングも生まれる。 なんとも嫌な打線が出現した-。他チームはそう感じていることだろう。 (サンケイスポーツ専属評論家)
◆巨人・原辰徳監督(61)が30日、広島15回戦(東京ドーム)で監督通算1000勝を達成した。今季4年ぶりに現場復帰し、通算13年目で星野仙一氏(故人)以来13人目、球団では川上哲治氏(同)、長嶋茂雄氏(83)に次ぐ3人目の偉業を成し遂げた。 東海大時代の3学年先輩で国際武道大の監督を務める岩井美樹(よしき)氏(64)が、原監督に祝福のメッセージを寄せた。 「1000勝はすごい。また監督になると聞いたときから『頑張れ』と応援していました」 指導者として野球論を交わす仲。原監督は年に1度、千葉・勝浦市の同大キャンパスで特別講義も行っている。岩井氏は、原監督の指導者のルーツとなる2人の名将の存在も明かした。 「攻撃は父・貢さんの影響が大きい。投手起用はプロ入り時に監督だった藤田のオヤジ(元司氏)に教えてもらっていました。2人の"ハイブリッド"なんです」 岩井氏は東海大時代に貢氏から指導を受け、卒業後は同氏のもとで指導者修行した。元巨人監督の藤田氏は義理の父。だからこそ、2人の影響を原監督に感じている。 「試合中にムチを入れたときはアマ野球の一発勝負的な采配をする。明日なき戦いです。今年も4番の岡本にバントさせたでしょう。そういう厳しさがある」と貢氏の姿を重ね、「藤田のオヤジは守り勝つ野球で、1年目から将来の監督として指導していた。我慢するところは我慢するし、自分で出した走者は責任を取れ、というところはそっくり」と続けた。 最後に、岩井氏はこう付け加えた。「2人から学べたのは謙虚だからでしょう。いい話も『俺は違う』と思ったら(頭に)入ってこない」。吸収する姿勢が、大台到達の原動力となった。
<セ・リーグ順位表推移>
順位 | チーム名 | 勝数 | 負数 | 引分 | 勝率 | 首位差 | 残試合 | 得点 | 失点 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 (-) |
巨人 |
53 | 39 | 1 | 0.576 (↑0.005) | - (-) |
50 | 454 (+8) | 374 (+5) | 121 (+1) | 56 (-) |
0.268 (↑0.002) | 3.750 (↓0.02) |
2 (-) |
DeNA |
49 | 44 | 3 | 0.527 (↑0.005) | 4.5 (-) |
47 | 402 (+6) | 377 (+2) | 109 (-) | 28 (-) |
0.248 (↑0.001) | 3.580 (↑0.01) |
3 (-) |
広島 |
48 | 46 | 3 | 0.511 (↓0.005) | 6 (↓1) |
46 | 395 (+5) | 393 (+8) | 96 (+2) | 56 (-) |
0.250 (-) | 3.500 (↓0.04) |
4 (-) |
阪神 |
44 | 47 | 5 | 0.484 (↑0.006) | 8.5 (-) |
47 | 355 (+7) | 397 (+6) | 65 (+2) | 64 (+1) |
0.250 (↑0.002) | 3.500 (↑0.01) |
5 (-) |
中日 |
42 | 52 | 0 | 0.447 (↓0.005) | 12 (↓1) |
49 | 358 (+6) | 375 (+7) | 55 (+1) | 51 (+2) |
0.261 (↑0.002) | 3.910 (↓0.03) |
6 (-) |
ヤクルト |
37 | 57 | 2 | 0.394 (↓0.004) | 17 (↓1) |
47 | 420 (+2) | 495 (+6) | 102 (+1) | 38 (-) |
0.239 (-) | 4.720 (↓0.01) |
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