ヤクルト(☆2対0★)広島 =リーグ戦6回戦(2024.05.15)・坊っちゃんスタジアム=
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広島
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ヤクルト
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勝利投手:松本 健吾(1勝0敗0S)
敗戦投手:森下 暢仁(3勝1敗0S)

本塁打
【ヤクルト】村上 宗隆(9号・8回裏ソロ)

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◆ヤクルトは2回裏、武岡の適時打で先制に成功する。そのまま迎えた8回には村上が通算200号となるソロをマーク。NPB史上最年少記録を更新する一発で、貴重な追加点を挙げた。投げては、先発・松本健が9回無失点10奪三振の完封でプロ初勝利。敗れた広島は、打線が松本健の前に沈黙した。

◆ヤクルトはプロ初登板のルーキー松本健吾が先発。亜大からトヨタ自動車を経てプロ入りの松本健は現在25歳1カ月。新人の初登板初勝利は今年の4月3日に武内(西武)がマークしているが、25歳以上の新人が記録すれば16年5月21日関谷(ロッテ=25歳0カ月)以来、8年ぶり。過去に初登板初勝利を記録したヤクルトの新人は13年4月3日小川まで13人おり、25歳1カ月は11年6月28日七條の26歳11カ月に次ぎ、10年3月30日中沢に並び球団2番目の年長記録となる。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(24)が、「4番」に戻った。村上は前日14日の広島5回戦(坊っちゃんスタジアム)で、19年6月16日の交流戦・西武戦(当時はメットライフドーム)以来、約5年ぶりの3番に入っていた。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(24)が、通算200本塁打を達成した。5月4日中日戦(神宮)以来の9号。1-0の8回裏2死、広島矢崎から右中間にソロを放った。24歳3カ月での大台到達となり、92年清原和博氏(西武)の24歳10カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録。キャリア7年目で、レジェンド超えを果たした。プロ1号も、広島相手だった。18年9月16日(神宮)。2回1死一塁から右翼席へ弾丸ライナーを着弾させた。村神様と呼ばれる男らしく、「プロ初打席初安打初本塁打」の衝撃デビューだった。節目の1発も、広島相手からマークしてみせた。あまたの放物線とともに生きてきた。九州学院(熊本)では高校通算52発。17年ドラフト1位でヤクルト入団。プロの扉を開いても、常に本塁打が側にあった。若くして、ヤクルトの打線の中心を任され、侍ジャパンでも4番の座にどっしり座る。高校時代は「清宮世代」の呼称も、今は「日本の4番」の肩書が付いた。2軍監督時代から成長を見守る高津臣吾監督(55)は「入ってきた頃はここまでなるとは思わなかったというとおかしいですけど、こんなスピードで3冠王を取ったり、王さんであったり、清原さんであったりの記録を越せるというところまで来るとは思っていなかったですね。もちろんすごいバッターになるとは思っていましたけど、こんなに早くその数字を達成できそうな選手になるとは思っていなかったです」と目を細める。熊本から出てきた若武者は、いつの日か「村神様」とまであがめられるようになった。そんな村上にとって「ホームラン」とは? どんな意味合いと考えるか-。村上 もちろん、1人で打点もつくし、チームが勝てる可能性も高くなるし。流れもすごく、ホームラン1本で持って来られる意味もある。ホームランには強い意味がある。底知れない男が、また節目の記録を刻んだ。

◆ヤクルトのドラフト2位ルーキー松本健吾投手(25)が、球史に名を刻んだ。プロ初登板&初先発で、いきなりの完封勝利。新人がデビュー戦で無四球&2桁奪三振&完封は、史上初の出来事となった。悔しさを味わったマウンドでプロ1勝目をマークした。東海大菅生3年時の17年に、愛顔(えがお)つなぐえひめ国体で登板して以来の坊っちゃんスタジアム。準決勝で現広島の中村奨成擁する、広陵に4-10で敗れた。先にプロ入りした中村奨。松本健は亜大-トヨタ自動車を経て、プロの扉を開いた。2月は新人で唯一の1軍キャンプメンバーも、開幕からは2軍暮らし。DeNA度会、西武武内など、開幕から活躍する同じ23年ドラフトの同期なども見て「刺激というか、悔しい思いもありました。でも『今に見てろ』という感じで、そういう風には考えていました」とデビュー戦の舞台に立った。眠れない夜を過ごし、また1つ大きくなった。3月13日のDeNAとのオープン戦(横浜)では1回6安打7失点(自責5)とメッタ打ちにされた。「悔しすぎて、夜寝られなくて、ずっとその時の映像を見たり、前の映像を見比べたり。その日のコメントではいい経験になったみたいな、カッコつけて言っていたんですけど、全然そういう風には思っていなくて。悔しくてたまらなかったです」。気付けば、外は明るかった。燕じゃなく、スズメの「チュンチュン」という鳴き声も聞こえてきた。両親も観戦に訪れた中、堂々と右腕を振り、華々しく第1歩を刻んだ。【栗田尚樹】松本健吾(まつもと・けんご)1999年(平11)4月14日生まれ、東京・中野区出身。東海大菅生3年夏の甲子園では2回戦の高岡商戦で完投勝ちするなど4強入り。亜大を経てトヨタ自動車では昨年都市対抗で優勝に貢献。昨年ドラフト2位でヤクルト入団。180センチ、83キロ。右投げ右打ち。初登板のルーキー松本健が10三振を奪って完封勝ち。初登板完封勝利は15年ジョンソン(広島)以来プロ野球30人目で、新人では08年大場(ソフトバンク)以来23人目。ヤクルトでは国鉄時代の52年小山以来、72年ぶり2人目だ。初登板で2桁奪三振の新人は93年伊藤(ヤクルト)以来となり、初登板で2桁奪三振の完封勝ちは36年藤村富(タイガース)40年清水(南海)87年近藤(中日=ノーヒットノーラン)に次いで4人目。松本健は与えた四死球が0。初登板で2桁奪三振の無四死球完封勝ちは、新人以外を含めプロ野球史上初の快挙となった。▽広島小園(松本健の印象に)「低めに投げきって、手を出してしまうところに投げられた」▽広島朝山打撃コーチ(松本健の印象に)「途中から変化球が多くなるのは分かっていたので、変化球狙いの指示も出していたんですけど、いいゾーンに投げられて見極めができなかったのか。対策を絞っていきたい」

◆ヤクルト村上宗隆内野手(24)が、通算200本塁打を達成した。5月4日中日戦(神宮)以来の9号。1-0の8回裏2死、広島矢崎から右中間にソロを放った。24歳3カ月での大台到達となり、92年清原和博氏(西武)の24歳10カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録。キャリア7年目で、レジェンド超えを果たした。村上が広島6回戦(松山)の8回、矢崎から今季9号を放ってプロ野球115人目の通算200本塁打を達成した。初本塁打は18年9月16日広島22回戦(神宮)で岡田から。24歳3カ月で達成は92年清原(西武)の24歳10カ月を抜く最年少記録。50号は清原に及ばなかったものの、100、150、200号は清原を抜いて最年少で達成。次の250号からは王(巨人)の年齢が目標となる。出場730試合目は歴代10位、日本人選手では4位のスピード。プロ7年目で到達は清原、王、松井(巨人)ら7人と並び日本人選手では最速になる。50~100号は156試合、100~150号は146試合で記録したが、150号からの50本は205試合かかった。ここから再びペースを上げ、250号は87年落合(中日)がマークした878試合の日本人選手最速記録を狙いたい。

◆/先発ローテーションを掴めるか\ドラフト2位ルーキー松本健吾の冴えわたる変化球?プロ野球(2023/5/15)??ヤクルト×広島??Live on DAZN#DAZNプロ野球#swallows pic.twitter.com/PWYvlHO7QH

◆ヤクルトのドラフト2位ルーキー松本健吾投手(25)が、球史に名を刻んだ。プロ初登板&初先発で、いきなりの完封勝利。新人がデビュー戦で無四球&2桁奪三振&完封は、史上初の出来事となった。初登板のルーキー松本健が10三振を奪って完封勝ち。初登板完封勝利は15年ジョンソン(広島)以来プロ野球30人目で、新人では08年大場(ソフトバンク)以来23人目。ヤクルトでは国鉄時代の52年小山以来、72年ぶり2人目だ。初登板で2桁奪三振の新人は93年伊藤(ヤクルト)以来となり、初登板で2桁奪三振の完封勝ちは36年藤村富(タイガース)40年清水(南海)87年近藤(中日=ノーヒットノーラン)に次いで4人目。松本健は与えた四死球が0。初登板で2桁奪三振の無四死球完封勝ちは、新人以外を含めプロ野球史上初の快挙となった。

◆広島がヤクルト先発の新人松本健の前に3安打に抑えられ、プロ初登板で初完封勝利を献上した。3回までは毎回得点圏に進めたが、あと1本が出なかった。立ち上がりを崩せなかったことが響き、早くも今季8度目のゼロ封負けとなった。先発森下は毎回のように走者を出す苦しい投球も、6回8安打1失点と粘った。最少失点でしのいだが、今季初黒星を喫した。試合後の新井貴浩監督(47)の談話は以下の通り。-ヤクルト松本投手の立ち上がりをつかまえたかった新井監督 (2回の)一、三塁とかね。でも、あの(会沢の)サードゴロもしっかり捉えた当たりだったので、それが野手の正面にいったということだと思います。打たされたとかではなく、しっかりスイングして捉えた当たりがたまたま野手の近くに行ったという、そんなスイングだったと思います。-初対戦での印象新井監督 初登板なのに落ち着いていたし、球も低めにコントロールされていていい投手だなと思いました。また対戦があると思うので、次はしっかり点を取れるようにしたいと思う。-多彩な球種で絞りきれなかったか新井監督 本当にすべての球が低めにコントロールされていたので、いいピッチャーだなと思いました。なかなか(球が)浮いて来ないよね。特にバッティングカウント、打者有利ことのカウントになってもしっかり低めに(投げきっていた)。またはそこで振らせることができるピッチャーだなと思った。-先発森下投手は安打を打たれながらも最少失点新井監督 これはもうナイスピッチング。要所を締めて6回1失点だよね。本当に今日もナイスピッチングだったと思います。-2戦連続スタメンの林選手が右中間フェンス直撃二塁打新井監督 いいスイングできていると思う。今日ももうちょっとでスタンド(イン)だった。いいスイングができていると思います。

◆広島が新人松本健にプロ初勝利プロ初完封勝利を献上した。3回まで毎回得点圏に進めながら、あと1本が出なかった。4回以降は1人の走者も出せず。新井監督は「初登板なのに落ち着いていたし、球も低めにコントロールされていた」と認め「次はしっかり点を取れるようにしたい」と続けた。34試合で8度目のゼロ封負けはシーズン33度のペースで、56年の球団ワースト27度を上回り、大洋と東映の持つプロ野球記録31度をも超えるペースだ。▽広島小園(松本健の印象に)「低めに投げきって、手を出してしまうところに投げられた」▽広島朝山打撃コーチ(松本健の印象に)「途中から変化球が多くなるのは分かっていたので、変化球狙いの指示も出していたんですけど、いいゾーンに投げられて見極めができなかったのか。対策を絞っていきたい」▽広島森下(6回8安打1失点の粘投も今季初黒星)「ゲームをつくる中でリズムも大事だなと思いました。相手投手は3人で(抑えて)リズムよく投げていたので、そこの差はあったのかなと思う」

◆ヤクルト高津臣吾監督(55)が、プロ野球史上初となる新人のデビュー戦で無四球&2桁奪三振&完封勝利を飾ったドラフト2位ルーキー松本健吾投手(25)をねぎらった。「ちょっと失礼な言い方になるけど、びっくりしたなあ。あそこまでやると、やってくれると思っていなかったので、きょうは明日ゲームもないし、どうやって継投していこうか、つないでいこうかということばっかり考えていて、まあでも、全く不安を感じさせることのない素晴らしいピッチングだったね」とうなずいた。3回まで散発3安打。4回以降はパーフェクトで118球で締めた。高津監督は「ピッチングになっているね。カウント球であったり、勝負球であったり、ここは絶対に低めに集めなきゃいけないとか。基本的には低く集まるタイプではあるけども、バッターとの駆け引きであったり、そういうちゃんとゲームをしているように、ピッチングのゲームをしているように感じたね。なかなか、あまり褒めすぎてもあれだけど、なかなかあそこまで駆け引きできる新人ピッチャーっていないんじゃないかなと思って見ていた」と評価した。試合後には、亜大の後輩にあたる松本健を笑顔で出迎えた。「すげえなって言ったら、『亜細亜魂です』って訳のわからないこと言っていたよ(笑い)」。報道陣が亜細亜魂と言うと「亜細亜魂なんで(笑い)。まあスカウトさんが一番喜んでいるんじゃないかな。今年に関してはね。3人(1位西舘、2位松本健、3位石原を即戦力で取って、なかなか出られない中で、松本がいきなり完封するわけだから。良かった、良かったなあと思いますね」と笑った。

◆ヤクルト村上宗隆内野手(24)が、通算200本塁打を達成した。5月4日中日戦(神宮)以来の9号。1-0の8回裏2死、広島矢崎から右中間にソロを放った。24歳3カ月での大台到達となり、92年清原和博氏(西武)の24歳10カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録。キャリア7年目で、レジェンド超えを果たした。ボクサー同様に村上も"グローブ"に繊細な感覚を求める。バッティングに欠かせないミズノ社の打撃用手袋。何よりこだわるポイントは「より素手に近いか」。現在使用するものは表が紺ベースで、手のひら部分は白色。同社製品では手のひら部分は白以外に、黒や赤などのラインアップがあるが、村上は白一択。黒、赤色は白を染めたことで出来るカラーリングだから。「染めることで硬さが出る感じがする。白の方がしっくりくる」。同社担当者は「何百人と選手を見てきたが、そんな感覚を持つ人は聞いたことがない」と驚きを隠せない。わずかな染料まで感じてしまう神様のサイジングは言わずもがな。他人がはめようとすると「村上選手って意外に手が小さいんですね」と驚くほど。手首のベルトはよりフィット感を出すよう作られ、全体的なサイズ感もピタピタ。打席の中では多くの選手が1球ごとに手袋をキツく締め直すが、村上はあまり手袋を触らない。余白が出来ないほどのサイズ感だからこそ、相手バッテリーの配球などに注意を払える。バットを握りしめる真っ白なグローブが、伝説の立役者となった。【栗田尚樹】

◆「心は熱く、頭は冷静に」。好きな言葉を胸に、ヤクルトのドラフト2位ルーキー松本健吾投手(25)が球史に名を刻んだ。プロ野球史上初となる初登板を無四球&2桁奪三振&完封勝利。東海大菅生3年時の17年にえひめ国体で登板して以来の坊っちゃんスタジアム。父達夫さん、母明子さんが見つめる前での衝撃デビュー。「全くイメージしていなかったというか。本当に最初から全力でいって、後は先輩方につなぐと思って投げていた。それが気付いたら9回になっていた」と、新人らしからぬクールなマウンドだった。亜大4年時に指名漏れ。卒業後に人生初めてアルバイトを経験。東京・立川の飲食店「ベースボール」で、ちょうネクタイを締め、ウエーターとして従事。「大変というより、楽しかったです。『人前でしゃべるの覚えなさい』『お客さんの前で話しなさい』と教えてもらいました。お金を稼ぐ厳しさを学びました」。握りしめた人生初の給料は忘れない。トヨタ自動車では工場勤務。自動車の組み立て部に所属した。時折、現場に入り、車づくりも経験。そしてようやく、野球1本で給料をもらう立場となった。グラブには「ナマステ」の刺しゅう。社会人時代に、はまっていたヨガのあいさつの言葉を左手に躍動した右腕。3回まで散発3安打。4回以降はパーフェクト。「100点満点かなと思います」。打席では先輩たちからの勧めで「マツケンサンバ」を流すルーキーが、松山の地でお祭り男となった。【栗田尚樹】▽広島小園(松本健の印象に)「低めに投げきって、手を出してしまうところに投げられた」▽広島朝山打撃コーチ(松本健の印象に)「途中から変化球が多くなるのは分かっていたので、変化球狙いの指示も出していたんですけど、いいゾーンに投げられて見極めができなかったのか。対策を絞っていきたい」

◆ヤクルトのドラフト2位ルーキー松本健吾投手(25)が、球史に名を刻んだ。プロ初登板&初先発で、いきなりの完封勝利。新人がデビュー戦で無四球&2桁奪三振&完封は、史上初の出来事となった。松本健のアニメ熱は半端ない。一番のお気に入りは「NARUTO(ナルト)」。フィギュアを集め、部屋に飾るほど。「ONE PIECEも、BLEACHも、何でも見ます」と話し出したら止まらない。「俺だけレベルアップな件、っていうアニメもいいんです。知っていますか?」。こちらがポカンとしていても、お構いなしに楽しそうに語り続ける。アニメの次は玩具。社会人時代には「ガチャガチャ」に、はまっていた。そのため、ゲームセンターに通う日々。「お菓子は普段食べないけど、お菓子を小さくしたおもちゃとか、たけのこの里を小さくしたやつとか、出てくるガチャガチャは、やってしまうんです」とかわいい一面を持つ。好きな食べ物は「ケチャップのオムライスですね。デミグラスソースではないですよ。中はチキンライスです」。少年の心を忘れない25歳が、球史を変えた。【栗田尚樹】

◆伝説の神となった。ヤクルト村上宗隆内野手が、球史を変える一撃を愛媛・松山でぶっ飛ばした。24歳3カ月での200号。92年清原和博(西武)の24歳10カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録を打ち立てた。歴代の偉人を超えるスピードで、115人目の大台到達となった。ヒーローインタビューで「マスコミを代表して聞きます」とアナウンサーが切り出した。4日中日戦の199号から足踏みが続いたことを尋ねられた村上は言った。「打てる時ばかりじゃねーぞ! 僕のこと何だと思ってるんだ」。1点リードの8回2死走者なし。1ストライクからの2球目だった。広島矢崎の抜けたフォークを豪快に右中間へ突き刺した。8試合ぶり、35打席ぶりの9号ソロを史上最年少200号で彩った。神は変化し続けた。22年に3冠王を獲得した際のバットは翌年には変更。イチローら多くの一流が同じモデルを何十年も使い続ける中、村上はモデルチェンジ。打撃フォームも右足を上げたり、下げたり、構えの際に右腕をピンと真っすぐに伸ばしたと思ったら、少したたんだり...。杉村打撃コーチは「こんなに変える選手は見たことがない」と感嘆するが、村上は「ゴールはない」と歩みを止めなかった。神は進化し、境地にたどり着いた。プロ入り間もない若かりしころは、コーチに怒られ、クラブハウスで涙することがあった。30分以上、うつむき、大粒の滴をこぼしたこともあった。熊本から出てきた若武者。気付けば村神様となり、日本を代表する4番に上り詰めた。神とあがめられる男でさえ、憧れる人物がいる。「メジャーリーガーはそうですし、もちろん大谷翔平さんもそうですね」。21年には先輩の青木を通じ、大谷のバットをゲット。同年のCSファイナルステージ前の練習試合では、そのバットで本塁打を打ったこともあった。モンスターことボクシング井上尚弥も尊敬する1人。「ボクシングのことはよく分かりませんが、見ていて本当にすごい。ただ、すごい」とこれまで何度も現地で観戦してきた。今は自分が子供たちから羨望(せんぼう)のまなざしで見つめられる側となった。伝説となった村上。「ホームラン200本打ったっていうだけですし、それで僕の野球人生が終わりじゃないですし、まだまだこの先、はい、たくさん野球やると思うので。特にそういう変な意識はないです」。格が違う。【栗田尚樹】

◆松山の地で堂々のデビューを飾った。ヤクルトのドラフト2位・松本健吾投手(25)=トヨタ自動車=が先発でプロ初登板。「新人ですし緊張しても仕方がない。怖いもの知らずで思い切っていきたいと思う」と意気込んでいた右腕が力強い投球を披露した。坊っちゃんスタジアムは東京・東海大菅生高3年時の2017年に愛媛国体で4強入りした思い出の地。「松本~、頑張れ~!」との応援の声が飛ぶ中、多彩な変化球を丁寧にコースに投げ分け、粘り強く投げ抜いた。一回は2死二塁となったが、4番・小園から外角低めの直球で見逃し三振。二回は味方の失策も絡んで1死一、三塁となったが、会沢を三ゴロ併殺打に仕留め、小さく拳を握った。九回を118球、3安打で10奪三振の無四球完封勝利を挙げた。2月の春季キャンプは新人でただ一人、1軍メンバーに入って完走。開幕1軍入りは逃して、2軍で鍛錬を積んできた。刺激になったのはDeNA・度会や西武・武内ら同じ入団1年目の選手の活躍だった。「開幕から結果を残している人もいるし、初勝利を挙げた人もいる。刺激というか、悔しい思いもあった」と原動力にした。「今に見てろ」。そう心の中でつぶやきながら、自身と向き合い、フォームを修正。イースタン・リーグ4試合の登板で、3勝0敗、防御率0・47の結果を残してつかみ取った1軍舞台で輝きを放った。

◆ヤクルトの村上宗隆内野手が15日、松山中央公園野球場で行われた広島6回戦の八回に矢崎拓也投手から今季9号のソロ本塁打を放ち、史上最年少の24歳3カ月で通算200号に到達した。清原和博(西武)の24歳10カ月を更新。プロ野球115人目。初本塁打は入団1年目の2018年9月16日に広島の岡田明丈からプロ初打席でマーク。通算150号にも22年8月、最年少で達していた。熊本・九州学院高からドラフト1位で入団。1年目は1本塁打、19年に36本で新人王に選ばれた。20年は28本、初めて本塁打王となった21年は39本、三冠王に輝いた22年は56本、昨季は31本を放った。

◆ヤクルトがルーキーと主砲の活躍で勝利を収めた。二回に1死一三塁の好機を作ると、武岡龍世内野手(22)がタイムリーを放って先制。八回には村上宗隆内野手(24)に9号ソロが飛び出し、史上最年少での通算200本塁打を達成した。先発を任されたプロ初登板のドラフト2位・松本健吾投手(25)=トヨタ自動車=は118球3安打10奪三振に抑え、完封劇を成し遂げた。試合後の松本のヒーローインタビューは以下の通り。--万雷の拍手を浴びた気分は「とてもうれしいです」--完封勝利はイメージしていた?「中継ぎにたくさん先輩方がいるので、初登板ですし、いけるところまで全力でいこうと思ってた結果が一番良くなったので、良かったです」--マウンドに上がる前はどんな気持ちだった?「新人ですし、チームに勢いを持ってくるようなピッチングをしようと思って、思い切っていこうと思ってたので、それがいい結果につながったので、本当にうれしいです」--完封をいつ意識した?「気づいたら九回になってたので、あまり完封は意識してなくて...。良かったです!」--新人での初登板完封勝利は16年ぶりの快挙「初登板ということで緊張もあったんですけど、一番いい結果になったので、何よりチームが勝てたことが一番うれしいです」--自分のアピールポイントは?「僕の武器は制球力で、しっかり低めにボール集めてゴロを打たせて取るというのが自分のピッチスタイルです」--初めてのヒーローインタビュー、落ち着いてますね「そんなことないです」--プロ野球選手になるまでの野球人生を振り返って「プロの世界で活躍したいと思って、ずっと練習してきたんですけど、僕にとっては遠回りだとは思ってなくて。社会人まで経験できた結果が今の自分があるので、全く遠回りだと思ってないですし、今までの支えて下さった方に感謝したいと思います」--ウイニングボールはどうする?「両親にプレゼントしようと思ってます」--スワローズファンへ自己紹介を含めた意気込みを「トヨタ自動車から来ました松本健吾です、チームに勢いを持ってくるようなピッチングをこれからもしていくので、引き続き応援よろしくお願いします」

◆(セ・リーグ、ヤクルト2-0広島、6回戦、広島4勝2敗、15日、松山ヤクルトは二回に武岡の右前打で先制し、八回に村上が通算200号となる9号ソロで加点した。新人の松本健は直球と落ちる球を組み合わせ、プロ初登板を無四球、3安打完封勝利で飾った。広島の森下は6回1失点で今季初黒星。

◆ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が今季9号本塁打を放ち、史上115人目となる通算200本塁打に到達した。24歳3カ月での達成は、清原和博(西武など)の24歳10カ月を抜く史上最年少記録。1点リードの八回2死で、広島・矢崎のフォークボールを右中間席に運んだ。プロ初本塁打は、1年目の2018年9月16日の広島戦(神宮)のプロ初打席で記録。無安打に終わった前日14日の広島戦後に「次は打てるように頑張りたい」と口にしていた主砲が偉業を成し遂げた。

◆ヤクルトがルーキーと主砲の活躍で勝利を収めた。二回に1死一三塁の好機を作ると、武岡龍世内野手(22)がタイムリーを放って先制。八回には村上宗隆内野手(24)に9号ソロが飛び出し、史上最年少での通算200本塁打を達成した。先発を任されたプロ初登板のドラフト2位・松本健吾投手(25)=トヨタ自動車=は118球3安打10奪三振に抑え、完封劇を成し遂げた。村上のヒーローインタビューは以下の通り。――今の気持ちは「まず勝てたのでホッとしています」――先発した同学年の松本のピッチングについて「テンポよくどんどん相手の打者を抑えてましたし、僕らも何とか点数で援護したかったんで、八回とちょっと遅かったんですけど援護できてよかったです」――八回の打席での意識や狙いは「ホームランで1点取るっていうのはあの場面理想でしたし、僕自身今日の打席も紙一重の打球が何球があって、何とか仕留めたいなって思ってたんで。その意識で入って打てたのでよかったです」――松山の地で節目の200号「1年目から松山でたくさん練習して、僕自身も原点だと思ってますし、そういう場所でこうして節目のホームランが打てたってことは、すごく僕自身うれしいですし、たくさんこうやってヤクルトファンの皆さんが集まってくてれているので、その中で打てたことが何よりうれしいです」――清原和博氏を抜く史上最年少での200号「あまりピンと来てないですけど、まだまだ通過点なんで、もっともっと打てるように頑張ります」――199号からの足踏みを周りから言われているときの気持ち「打てるときばっかじゃねーぞと。僕のこと何だと思ってんだ、とは思ってました」――甲子園での阪神戦に向けてファンにメッセージ「まだまだセ・リーグ混戦ですし、僕らも首位目指して頑張ってます。膝のけがで塩見さんが今大好きな野球ができていないですし、僕自身同期としてすごく思い入れがあります。また早く戻ってきて一緒に野球がやれればと思ってますし、塩見さんを含め、けがしてる人たちもみんな優勝を目指してます。僕らチーム一丸、チームスワローズで優勝目指して頑張ります。ぜひ熱いご声援よろしくお願いします」――愛媛・松山のファンに対してひと言「松山、温泉最高です。これからも熱湯のような応援よろしくお願いします」

◆ヤクルトは15日、広島に2-0で快勝した。八回に通算200本塁打を放ち、記念ボードを手にする村上宗隆=坊っちゃんスタジアム(撮影・長尾みなみ)

◆村上のすごみとは―。ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が史上最年少の24歳3カ月で通算200本塁打に到達した。球史を塗り替え続ける4番は何が優れているのか。間近で見続けている青木宣親外野手(42)が〝証言〟した。ムネと初めて会ったのは2018年の7月頃。頭部死球を受けて脳振とうの特例措置で出場選手登録を外れ、戸田球場で調整していたときです。粗削りではあったけど、強いスイングができるのは魅力的。選球眼もいいと聞いていて、将来が楽しみだなと思いました。当時は下半身の力強さはあったけど、力任せに振っているような感じでした。今よりも体が硬かったり、成長するために改善したほうがいい点はたくさんあって、パワーを生かし切れていなかった。教えたことは「取り組み方」と「考え方」。プロなので原因をしっかりと考えて取り組んでいかないといけません。なぜ打てたのか、打てなかったのか。それが分からないと先に進めない。この2つはすごく大切だと思ったので、ずっと言い続けました。いいものを持っているけど...で終わる人は結構います。どうやって成長につなげるかは自分次第。ムネはすごく素直だから、よく話を聞いてくれる。吸収しようとする姿勢、やろうとする気持ちはすごい。毎年いい成績を残して幸せな野球人生にしてほしいですね。

◆思い出の地で偉業を成し遂げた。ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が八回2死で放った右中間席への9号ソロは、史上115人目の通算200本塁打。スタンドインを確信する〝確信歩き〟を見せ、一塁側ベンチを向いてほえた。村上の九州学院高時代の恩師で、滋賀・彦根総合高の坂井宏安・学校長兼野球部総監督は「大したもの。今年は守備も安定してきて、やっと一流のプロ野球選手の仲間になったんじゃないか」と喜びの声を上げた。今年1月。熊本県の自宅を村上が訪れた際には「WBCにも出て、自覚や責任がもっと大事になってくるよ」と伝えた。初めて会った中学3年時の姿を思い出し「ユニホームがすごく似合う子だった。当時から人の話を聞ける子で、吸収しようというどん欲さがあった」と振り返った。

◆村上のすごみとは―。ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が史上最年少の24歳3カ月で通算200本塁打に到達した。球史を塗り替え続ける4番は何が優れているのか。間近で見続けている杉村繁打撃コーチ(66)が〝証言〟した。これだけ前向きな選手はそうそういない。凡打してベンチに帰ってきても、下を向かずに誰よりも声を出している。昔の古田敦也もそうだった。チャンスでゲッツーを打って帰ってきたら「すみません、今度打ちます!!」と言ってすぐに切り替えていた。もう一つすごいなと感じるのは「まさか、こんなところで打たないよな」というところで打つところ。僕が見てきた中では長嶋茂雄さん、王貞治さんクラスになる。覚えているのは2年前のソフトバンク戦で打った満塁ホームラン(2022年6月11日)。交流戦の完全優勝を決めた試合だったが、3―4のビハインドの場面で「まさか」と思っていたら平気で打ってしまった。前向きな気持ちと、徹底的な準備からくる自信がああいう一発を生むと思う。新人で入ってきたときから「この子はすごい選手になる」と思っていた。史上最年少での200号と聞いても驚きはない。どこまでの記録を作るか楽しみだね。

◆村上のすごみとは―。ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が史上最年少の24歳3カ月で通算200本塁打に到達した。球史を塗り替え続ける4番は何が優れているのか。間近で見続けている山田哲人内野手(31)が〝証言〟した。ムネのすごさは、逆方向を含めてどの方向にも力強く打てるところ。何よりあのパワーがすごい。うらやましいです。自分にもあれだけの力があったらなと思います。今までのホームランバッターの打球とも違う。打球速度が速い。そこがムネの打撃の特長だと思います。一番印象に残っている本塁打は、2022年8月28日のDeNA戦(横浜)でエスコバーから打った一発です(シーズン49号)。内角低めの厳しいコースを、腕を畳んであそこまで飛ばせる人はなかなかいない。今でも覚えています。いろいろな最年少記録を塗り替えていますが、彼の成長スピードはものすごく早いので、当たり前だなと感じます。チームメートとして頼もしい存在ですね。

◆松山の地で伝説が生まれた-。ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が15日、広島6回戦(松山)でリーグ単独トップとなる今季9号ソロを放ち、史上最年少の24歳3カ月で通算200号の節目に到達した。清原和博(西武)の24歳10カ月を抜いた。主砲はサンケイスポーツに独占手記を寄せ、「過程」を重視する思考法を明かした。1年目から秋季キャンプでたくさん練習をして、「原点」だと思っている松山で通算200号を打つことができました。史上最年少で達成できたことは光栄ですが、プロの世界に入った以上、年齢で勝負するわけではないので特別なこだわりはないです。まだ通過点ですし、あまりピンときていないですが、子供の頃から夢だったプロ野球の舞台で200本もホームランを打てたことは素直にうれしい。いろいろな方のおかげだと感謝しています。ホームランの魅力は一人で点が取れるところ。野球はチームスポーツなので勝利のためにみんなでカバーしあいますが、自分の一振りで点数を入れられるのは素晴らしいことだなと感じます。200本、全てが記憶に残っています。プロ初ホームランも、5打席連発も、シーズン56号も。どれも忘れられないですし、今でも少し映像を見れば「この場面はこうだった」と当時の状況や打席での狙い、考えていたことを思い出せます。

◆思い出の地で偉業を成し遂げた。ヤクルト・村上宗隆内野手(24)が八回2死で放った右中間席への9号ソロは、史上115人目の通算200本塁打。スタンドインを確信する〝確信歩き〟を見せ、一塁側ベンチを向いてほえた。「勝てたのでホッとしている。(新人で同学年の松本)健吾がいい投球をしていたので、追加点を取って楽にさせたいという気持ちだった」24歳3カ月での到達は清原和博(西武)の24歳10カ月を抜く史上最年少記録。矢崎のフォークボールを完璧に捉えた。プロ1年目の2018年に参加した松山市での秋季キャンプ。午前中は守備中心、午後は2時間続いた7カ所での打撃練習を行い「食べるものが血の味がした」と振り返る。「1年目から松山でたくさん練習をして、原点だと思っている。そういう場所で節目の本塁打を打てたのはうれしい」とスタンドを見渡した。4日の中日戦(神宮)で通算199本塁打を放ってから35打席ぶりの一発。安打も21打席ぶりだった。早出の打撃練習では「脱力」を意識。「しっかりつながった。久々にいい感触のホームランだった」とうなずいた。「これで僕の野球人生が終わりじゃない」。あくまで通過点。今後も多くの人を魅了するアーチを描く。(赤尾裕希)

◆ドラフト2位・松本健吾投手(25)=トヨタ自動車=はプロ初登板先発を3安打完封勝利で飾り、チームは2-0で快勝。秋季キャンプを行う地で最下位を脱出した。27個目のアウトを投ゴロで奪うと、松山の夜空に両手を突き上げた。敵味方は関係ない。坊っちゃんスタジアムは2万855人の拍手で包まれた。ドラフト2位の松本健がデビュー戦で3安打完封勝利を飾った。「完封は全くイメージしていなかった。最初から全力でいって、気がついたら九回になっていた。100点満点かなと思う」持ち味の制球力を発揮した。最速149キロの直球に加え、スプリット、カーブなど多彩な変化球で広島打線を翻弄。四回以降は一人の走者も許さなかった。118球を投げ、無四球で10奪三振。新人投手の初登板完封勝利は球団では1952年10月10日の小山恒三以来72年ぶり2人目。プロ初登板で、2桁奪三振での無四球完封はプロ野球史上初の快挙となった。

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<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
巨人
21163 0.568
(↑0.012)
-
(-)
103101
(+4)
94
(-)
19
(+1)
20
(-)
0.228
(-)
2.210
(↑0.06)
2
(-)
阪神
19154 0.559
(↑0.014)
0.5
(-)
105120
(+1)
107
(-)
21
(-)
11
(+1)
0.226
(↓0.002)
2.210
(↑0.07)
3
(-)
広島
15154 0.500
(↓0.017)
2.5
(↓1)
10989
(-)
84
(+2)
12
(-)
14
(+1)
0.227
(↓0.004)
2.410
(-)
4
(-)
中日
16184 0.471
(↓0.014)
3.5
(↓1)
105103
(-)
124
(+1)
18
(-)
4
(+1)
0.242
(↓0.003)
2.970
(↑0.07)
5
(1↑)
ヤクルト
16192 0.457
(↑0.016)
4
(-)
106146
(+2)
125
(-)
28
(+1)
15
(-)
0.247
(↑0.001
3.260
(↑0.09)
6
(1↓)
DeNA
16201 0.444
(↓0.013)
4.5
(↓1)
106117
(-)
142
(+4)
15
(-)
20
(-)
0.238
(↓0.003)
3.440
(-)