オリックス(★1対7☆)阪神 =日本シリーズ7回戦(2023.11.05)・京セラドーム大阪=
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阪神
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ORIX
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勝利投手:伊藤 将司(1勝1敗0S)
敗戦投手:宮城 大弥(1勝1敗0S)

本塁打
【阪神】ノイジー(2号・4回表3ラン)
【オリックス】頓宮 裕真(3号・9回裏ソロ)

  DAZN
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◆阪神が38年ぶりの日本一に輝いた。阪神は4回表、ノイジーの3ランが飛び出し、先制に成功する。続く5回には、森下、大山、ノイジーの3者連続適時打で3点を加え、相手を突き放した。投げては、先発・青柳が5回途中無失点。その後は4投手の継投でリードを守った。なお、MVPには計14安打をマークした近本が選ばれた。

◆オリックスが第6戦に勝ち、阪神とともに3勝3敗で並んだ。勝った方が日本一となる運命の第7戦のスタメンを予想した。

◆日本シリーズ第7戦が京セラドーム大阪で行われ、オリックスと阪神が対戦。3勝3敗で並んだ両チーム、オリックスは2年連続、阪神は38年ぶりの日本一を目指して激突。阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。4回1死一、二塁。5番ノイジーが左翼へ、待望の先制3ラン。5回にも2死一、三塁の好機を演出。ここで宮城は降板となったが、勢いは止まらない。代わった2番手比嘉から3番森下、4番大山、5番ノイジーが3連打。リードを6点に広げ、大きな追加点となった。投手陣も総力戦でリードを守り抜いた。

◆決戦に備え、阪神岡田彰布監督(65)が、午後2時40分に球場入りした。タクシーで京セラドーム大阪に到着した。手には鮮やかな緑色のジャケット。青学大・下村を単独で1位指名に成功したドラフト会議前日の10月25日に着用していた勝負服だ。運命の一戦は午後6時30分開始予定。阪神は先発を開幕投手の青柳に託す。

◆大一番を前に、阪神が試合前から結束力を高めた。通常なら投手のみで行われる練習前の円陣に、この日は一部野手も参加。ベンチ前三塁側ファウルゾーンには大きな輪が生まれた。前日4日の第6戦でもナインらは円陣を組んでから、試合前練習に向かっていた。3勝3敗で迎える、第7戦。38年ぶりの日本一に向け、気持ちをひとつに臨む。

◆阪神青柳晃洋投手(29)が、日本一をかけたマウンドに上がる。試合前練習を終え三塁側ベンチへ帰る際には、スタンドから「頑張れ!」という声とともに、たくさんの拍手が降り注がれた。今季は開幕投手を務めるも、不調もあり2軍調整が続くこともあった。最後の大一番で意地を見せられるか。

◆日本一をかけた一戦の阪神のスタメンが発表された。6番に原口文仁内野手(31)がDHで先発起用された。日本シリーズ初スタメン。代打で勝負強さを発揮してきた男が、ポイントゲッターになれるか。前日まで6番を務めていた佐藤輝明内野手(24)は、本来の5番から打順を2つ下げ、「7番三塁」での出場となった。今シリーズは23打数4安打、打率1割7分4厘と低調。最後の大一番で意地を見せられるか。先発は日本シリーズ初登板となる青柳晃洋投手(29)。今季開幕投手を務めた京セラドーム大阪のマウンドで、チームの日本一をたぐり寄せる。

◆第7戦の両チームのスタメンが発表された。阪神の先発は今季開幕投手も務めた青柳晃洋投手(29)がシリーズ初登板。オリックスは第2戦で6回無失点と好投した左腕宮城大弥投手(22)で、2年連続日本一をつかみにいく。オリックス打線は前日2ランを放った紅林弘太郎内野手(21)が引き続き3番を務め、「9番左翼」で、前日途中出場でヒットを打った福田周平外野手(31)が今シリーズ初スタメン起用された。ベンチには第3戦で先発し5回1失点に抑えた東晃平投手(23)も入った。両軍のスターティングメンバーは以下の通り。

◆オリックス山本由伸投手(25)は第7戦でベンチ入りしなかった。第6戦で日本シリーズ記録の14三振を奪い、1失点完投勝利。138球を投げていた。日本シリーズの3勝3敗は13年の楽天-巨人以来10年ぶり。第6戦で楽天田中将大が160球完投したにもかかわらず、翌日の第7戦の最終回に抑えとして登場。初日本一の胴上げ投手となった。田中は、今年の山本と同じように翌年からのメジャー移籍が濃厚とされる状況だった。ネット上では試合直後から今回の山本を田中になぞらえる声が上がっていた。SNSでは「由伸ちょっと見たかったけど、さすがにそれはない」「よく考えたら当たり前」「10年前のマー君、今さらながらすごすぎ」などの書き込みがあった。

◆決戦を前に阪神は円陣で士気を高めた。球団公式インスタグラムにはその様子が投稿され、この日も中心には原口文仁内野手(31)。日本シリーズ全7試合で声出しを担当した。「さあ来ました天王山。今年の集大成。ちなみにラストバモスになります。どうしてもこの1勝がほしい。この1勝にファンの夢、チームの目標が詰まってます。最後は自分を信じて、自分の直感を信じて、ここにいる仲間を信じて、最高の舞台で暴れましょう」と力を込めた。だが、突如考えていた言葉が出て来なくなったようで「えーっと。緊張してます」とナインを和ませた。直後「思い出した!予行演習終わってるから、本番あとやるだけだから全員でひとつもぎ取りましょう」とまとめ、最後は「さあいこう。バモス!」とお決まりのフレーズで盛り上げた。ナインの力強い声がドームに響くと、虎党から拍手が送られた。38年ぶりの日本一へ、思いはひとつだ。

◆阪神が総力戦で頂点を取りにいく。第3戦に先発した伊藤将司投手(27)、第4戦に先発した才木浩人投手(24)がベンチメンバーに入った。登板すれば伊藤将は中4日、才木は中3日でのマウンド。先発、中継ぎ総動員で、9イニングを守り抜く構えとなった。また梅野隆太郎捕手(32)も、2戦連続でベンチ入りとなった。

◆2023年の日本プロ野球をしめくくるシリーズ最終戦は場外戦も熱い。甲子園の内野席を開放してのパブリックビューイング。この日は午前10時から先着順(無料)での申し込み受け付けが始まったが、熱心なファンが殺到。すぐにネットがつながらない状況となった。その後、同10時13分には「予定枚数終了」の表示。激しい争奪戦を制した幸運なファンが甲子園に向かった。また「日本一早いマジック点灯ボード」で知られる尼崎中央三丁目商店街(尼崎中央3番街)では、マジック1となったボードが買い物客らの注目を集めた。商店街に流れるBGMは、もちろん「六甲おろし」。午後3時ごろ、スマートフォンで「マジック1」を撮影していた尼崎市の男性は「このあと京セラドームに行って、現地観戦です。もちろん三塁側ですよ。泣いても笑っても最後の7戦目。ぜひ日本一を決めてほしいです」と阪神にエールを送った。パブリックビューイング開場の午後5時にあわせ、甲子園脇の特設ステージでは、タイガースガールズが「六甲おろし」やクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などに合わせてダンスを披露。周囲から歓声を浴びていた。締めくくりには、横田慎太郎さんの登場曲「栄光の架け橋」(ゆず)が流された。試合開始直前、パブリックビューイングのゲストとして甲子園に登場した阪神OBの今成亮太氏(36)が「きのう(第6戦)は悔しかったですね。きょうは絶対にやり返してくれますよ。心をひとつにして京セラドームに声援を送ってください!」とファンに呼びかけると、大きな歓声が球場にこだました。

◆初回から球場のボルテージはマックスだ。阪神は先頭の近本光司外野手(28)が中前打で出塁すると、中堅から左の左翼、三塁側スタンドを占めた阪神ファンが大熱狂。対して中堅から右を占めるオリックスファンからは「頑張れ頑張れ宮城!」と先発宮城大弥投手(22)の背中を押す大合唱が響いた。

◆オリックスの先発・宮城大弥投手(22)が61キロ差の緩急でドーム内をどよめかせた。2回2死から佐藤輝明内野手(24)にカウント1-1から87キロのスローカーブで見逃しストライクをとった。続けて148キロを突き刺し、これはボールになったが、次の球のスライダーで空振り三振を奪った。強打者を完全に手玉にとった。スローボールは宮城の得意球でもあるが、日本一が決まる大一番でも大胆に使用している。SNSでは「あれは魔球か?」「緩急えぐすぎて絶対打てん」「時が止まったみたい」「22歳のピッチングじゃない」と絶賛の声が相次いだ。

◆勝てば日本一の第7戦はオリックス宮城大弥投手(22)がノイジーに3ランを浴びて先制を許す展開となった。両軍無得点の4回。1死から森下に左前打、続く大山に死球で一、二塁とピンチを招く。2球で追い込んだが、1球ボールをはさんだ4球目のチェンジアップをすくわれた。打球は阪神ファンの待つレフトスタンドへと運ばれて先制3ランを許した。マウンド上の宮城はがっくりとうなだれた。今シリーズは第2戦で6回無失点。この日も3イニングを0に抑えていたが、10イニング目にして初失点となった。

◆阪神シェルドン・ノイジー外野手(28)が2試合連発となる先制3ランを放った。4回1死一、二塁。カウント1-2からオリックス先発宮城の低め124キロチェンジアップを仕留め、左翼席へライナー性で運んだ。「ツーストライクだったので、なんとか前に飛ばしたいと思っていたよ。前の2人がチャンスを作ってくれたし、最高の形でホームに迎え入れることができてよかったね」阪神の選手がプロ4年目の宮城から本塁打を放つのはこれが初めて。ベンチの仲間らと喜び爆発させた。前日4日の第6戦でも先発山本から逆方向の右翼へ先制弾。日本シリーズでは球団20年ぶり、球団の外国人選手では日本一に輝いた85年のバース以来のアーチだった。勝負強い助っ人で主導権を握った。ノイジーは5回にも適時打を放ち、この時点で4打点とした。

◆阪神近本光司外野手(28)が日本シリーズ13本目の安打を放ち、「牛若丸」こと85年の日本一監督も務めた吉田義男が持つ単独1位の16まであと「3」に迫った。6回2死、オリックス小木田の149キロ直球を捉え、右前に運んだ。この日3本目の安打となった。初回の1打席目に11本とした近本は、同一シリーズ安打数で62年の藤井栄治、同年の藤本克巳に並び、2打席目の5回に単独2位の12本目とした。

◆阪神がオリックス先発宮城をマウンドから引きずり降ろした。5回2死一、三塁で降板させた。4回に5番ノイジーに値千金の3ランが飛び出し、5回も好機をつくってKOさせた。第2戦では6回無失点に封じられ勝利を献上していた相手にリベンジを果たした。

◆阪神シェルトン・ノイジー外野手(28)が4回1死一、二塁から先制3ランを放った。前日4日の第6戦でも先発山本から逆方向の右翼へ先制弾。日本シリーズでは球団20年ぶり、球団の外国人選手では日本一に輝いた85年のバース以来のアーチだった。ノイジーの2戦連発に虎党は大盛り上がり。X(旧ツイッター)では「バースの再来」がトレンド入りした。「ついにバースの再来が現れた」、「令和のバース」などのコメントが集まった。ノイジーは5回にも中前適時打を放った。

◆阪神がクリーンアップの3連打で一挙3得点を挙げた。3点リードの5回2死一、三塁。代わったばかりのサイド右腕比嘉から、3番森下翔太外野手(23)の左適時二塁打で4点目を挙げた。続く4番大山が三遊間へのしぶとい内野安打で5点目。5番シェルドン・ノイジー外野手(28)も中前適時打で続き、点差を6点に広げた。ノイジーは4回にも左翼席への先制3ランを放っており、2打席連続打点となる4打点目。序盤5イニングの6得点は、すべて主軸が挙げた打点となった。

◆オリックスは逆転勝ちへのボーダーライン「4点差」を超えてしまった。3点ビハインドの5回。先発の宮城大弥投手(22)が5回に2死一、三塁としたところでプロ14年目の大ベテラン比嘉幹貴投手(40)にスイッチ。だが、森下、大山、ノイジーと3連打を浴びて3点を追加された。5回表を終了して6点差をつけられた。今季オリックスの逆転勝ちの最大点差は7月22日の日本ハム戦での4点。攻撃は残り5イニング残されているが、ボーダーラインを超えてしまった。2年連続の日本一へ厳しい状況に立たされた。

◆<日本シリーズ:オリックス-阪神>第7戦5日京セラドーム大阪今季の開幕投手を務めた阪神先発の青柳晃洋投手(29)が、最後の大一番で堂々たる投球を見せた。「とにかくいい緊張感でした。長いイニングを投げるとか考えず、目の前1人1人を抑えることに集中して投げました。もちろんプレッシャーも感じていましたが今日できる自分の仕事はできたと思います」4回までは2安打投球。走者を出しても落ち着いた投球で、オリックス打線を寄せ付けなかった。5回2死一、二塁の場面で左打者の宗を迎え、左腕島本に交代となった。5回途中4安打無失点で降板。ベンチへ戻る際にはファンから惜しみない歓声が送られた。

◆阪神島本浩也投手(30)が、完璧な火消しを演じた。6点リードの5回2死一、二塁で先発青柳に代わって登板。2番宗をフルカウントから左飛に仕留め、ピンチをしのいだ。シーズンで何度も窮地を救ってきた経験豊富な左腕が、日本一をかけた一戦でも仕事を果たし、岡田監督の期待に応えた。

◆阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。▽阪神OB木戸克彦さん(現阪神プロスカウト部長)「岡田監督、平田ヘッド、嶋田宗コーチと85年のメンバーがまた日本一を達成してうれしい。あの時は暗黒時代への終わりのはじまりとか言われたけど、今のチームはまだまだ強くなる」

◆85年阪神日本一監督・吉田義男氏(90=日刊スポーツ客員評論家)も兵庫県内の自宅で、日本一決戦を見届けた。現役だった1964年(昭39)以来の関西勢同士の対決。「青柳は好投でした。珍しいミスが目立ったシリーズになりましたが、どのゲームも盛り上がりましたね」。古巣の阪神が勝てば38年ぶりの日本一だった。フランス・ナショナルチーム監督も務めた同氏は「シャンパンも冷やしています」と準備万端だった。

◆阪神の伊藤将司投手(27)が6点リードの6回から救援のマウンドに上がった。日本シリーズ第3戦に先発し負け投手となった左腕は、雪辱を果たした。リリーフ登板はルーキー時代の21年11月7日CSファーストステージ第2戦巨人戦(甲子園)以来2年ぶり。6-0の6回3番手で登板すると、オリックスの3番紅林から空振り三振。4番森を一ゴロ、5番頓宮も中飛に打ち取った。7回も3者凡退に抑え、2回をピシャリ。8回には先頭福田に中前打を浴びたが、併殺打と二ゴロで、オリックス打線の反撃を絶った。

◆85年に阪神の外野手として活躍し、同年の日本シリーズで日本一を引き寄せる満塁本塁打を放った長崎慶一さん(73=当時の登録名は啓二)が、岡田阪神の日本一に祝福を送った。現在は経営コンサルタントとして活動する長崎さんは、東京都内の自宅でテレビ観戦。「岡田君は現役時代から、自分を曲げない男でした。決めたことを絶対に変えないから、今年はそれが選手に浸透したと思います」。長崎さんは、85年西武との日本シリーズ第6戦で、初回に高橋直樹から満塁本塁打。これで勢いを得た阪神は9-3と西武に大勝し、初めて球界の頂点に立った。「あの日はライトからの逆風がすごく、練習中から『今日は左バッターは打てないね』と話していました。高橋さんのカーブを待っていたのですが、強風で曲がらないと思ったのか直球が続きました。それでストレート狙いにしたのが当たりました」。この日の試合では、4回にノイジーが先制3ラン。「やはり38年前を思い出しましたよ。あのときは外に投げるかと思いましたが、内角球をうまく打ちましたね。ノイジーを褒めるべきですよ」と感慨に浸っていた。

◆阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。相手先発は第2戦で6回4安打無失点と抑え込まれた左腕の宮城。この日は虎のクリーンナップが牙をむいた。0-0の4回1死一、二塁。5番ノイジーが左翼へ、待望の先制3ラン。ライナー性でぶち込んだ。第6戦でも山本から先制弾を放っており、2試合連続の1発で主導権を握った。5回にも2死一、三塁の好機を演出。ここで宮城は降板となったが、勢いは止まらない。代わった2番手比嘉から3番森下、4番大山、5番ノイジーが3連打。リードを6点に広げ、大きな追加点となった。投手陣も総力戦でリードを守り抜いた。先発青柳晃洋投手(29)は5回途中4安打無失点。走者を出しても三塁を踏ませない粘投でリードを守りぬいた。5回2死一、三塁の場面で2番手島本が登板すると、宗を左飛に打ち取って火消しに成功。6回からは第3戦で先発した伊藤将司投手(27)が3番手として登板。先発もリリーフも関係なく、全員で守り抜いた9イニングだ。 今季の開幕戦も京セラドーム大阪での戦いだった。快進撃が始まった場所で、悲願を達成した。

◆オリックスは2年連続の日本一に及ばなかった。第2戦で好投した宮城大弥投手(22)が4回にノイジーに3ランを浴びて先制を許す。5回2死一、三塁とピンチを招いたところで比嘉幹貴投手(40)に交代。だが3連打を浴びて3点を追加されてリードを広げられた。野手も試合をひっくり返すことはできず、7戦目で力尽きた。シーズン終盤に左足甲を骨折した頓宮裕真捕手(26)やCSファイナル最終戦で左足首を負傷した杉本裕太郎外野手(32)ら負傷者も出る中で日替わりオーダーを組んでパ・リーグ王者の意地を見せた。守備でも遊撃手の紅林弘太郎内野手(21)、二塁手のマーウィン・ゴンザレス内野手(34)、三塁手の宗佑磨内野手(27)らが好守を連発。何度もピンチを救った。今オフにポスティングシステムを使ってメジャー移籍を目指す山本由伸投手(25)は第1戦で自己ワーストの7失点と打ち込まれながら、第6戦ではリベンジ。日本シリーズ最多の14奪三振を記録するなど1失点完投勝ち。東晃平投手(23)は球団初となる育成出身投手の日本シリーズ先発勝利で貢献した。中嶋聡監督(54)が就任した21年以降はリーグ3連覇。22年には日本一に立った。59年ぶりの関西シリーズでは阪神と互角の戦いも、あと1歩及ばなかった。

◆阪神の38年ぶりの日本一は、7月18日に脳腫瘍のため28歳の若さで亡くなったOB横田慎太郎さんにささげるものだった。9月14日にリーグ優勝を決めた時と同様に、胴上げされた守護神・岩崎優投手(32)の手には背番号24、横田さんのユニホームが握られていた。京セラドーム大阪の中心で3度、再び一緒に宙に舞った。横田さんと13年ドラフト同期の岩崎は、9月14日にだけ登場曲は「横田の思いも背負ってお願いしました」と、現役時代に盟友が使ったゆずの「栄光の架橋」を選んだ。リリーフカーに乗ってマウンドに向かう岩崎の背中を大合唱が押し、虎党で語られるシーンとなった。日本一を決めたこの日も「24」はチームに同行し、ともに戦った。7月25日に追悼試合を開催。「僕と梅(梅野)とザキ(岩崎)と同期で、人一倍そういう思いを背負ってやっていきたい」と語っていた岩貞祐太投手(32)が好救援し、最後は岩崎が締めた。梅野隆太郎捕手(32)もフル出場し、同期3人が力を合わせて白星を届けた。岩崎がマウンド上でウイニングボールを天に掲げ、ナインは横田さんの名前を呼び合っていた。リーグ優勝時、梅野は左尺骨骨折で離脱中だった。試合後、横田さんのユニホームを持って歓喜の輪に向かい、岩崎に手渡した。「ヨコの着てたユニホームを持って、あのグラウンドにみんなで立てたのは本当に最高なこと。あいつへの思いっていうのは人一倍自分も強いんで、本当によかった」と感慨深げに話していた。2軍調整を続け、今シリーズで出場資格を持つ40人に入り、第6戦で初めてベンチ入り。この日はベンチを外れた岩貞もシリーズは2試合を投げた。横田さんとともに同期3人、そしてナインは再び歓喜の瞬間を味わった。

◆阪神森下翔太外野手(23)が、大一番でも勝負強さを発揮した。3点リードの5回2死一、三塁でオリックス比嘉から左翼への適時二塁打。リードを4点に広げた。これで日本シリーズ6打点目。新人のシリーズ6打点は、81年の巨人原辰徳らに並ぶ、プロ野球5人目のタイ記録だ。さらに4番大山、5番ノイジーとクリーンアップ3連続適時打でリードを広げた。さらに9回には中前適時打で7打点目。これでシリーズの新人最多打点記録を更新した。ルーキー森下が適時安打2本を含む3安打を放ち、今シリーズ両チーム最多の7打点を挙げた。シリーズで新人の7打点は62年岩下(東映)81年原(巨人)82年上川(中日)10年清田(ロッテ)の6打点を抜く新記録。新人のシリーズ打点王は62年岩下、81年原に次いで3人目だ。また、新人の猛打賞は88年<5>戦音(中日)以来7人目となり、阪神の新人では62年<2>戦藤井に次いで2人目。

◆阪神近本光司外野手(28)が、日本一をかけた大一番でこの日4安打をマークした。日本シリーズ14本目の安打を放ち、シリーズ安打数1位は16で、「牛若丸」こと85年の日本一監督も務めた吉田義男が持つ。6回2死、オリックス小木田の149キロ直球を捉え、右前に運んだ。この日3本目の安打となった。初回の1打席目に11本とした近本は、同一シリーズ安打数で62年の藤井栄治、同年の藤本克巳に並び、2打席目の5回に単独2位の12本目とした。

◆阪神森下翔太外野手(23)が新人のシリーズ歴代最多打点新記録の7打点で「日本一」に貢献した。3リードの5回2死一、三塁。比嘉のツーシームを捉え、左前適時二塁打で追加点を獲得した。「昨日打てなくて、やり返す強い気持ちを持って打席に立った。いいスイングができた」。この時点で史上5人目の新人シリーズ最多打点の6に並んだ。そして、6点リードの9回1死二塁で東の外角152キロ直球を中前打。猛打賞で記録を塗り替えた。第5戦では値千金の逆転打で日本一王手に導いた。でも、急成長するまで心強い先輩なしでは乗り切れなかった。9月29日のDeNA戦(横浜)。1点ビハインドの5回無死満塁の絶好機でワンバウンドしたチェンジアップに空振り三振し、ベンチで大粒の涙がこぼれた。頭が真っ白になった瞬間、真っ先に声をかけたのは同じドラフト1位入団の佐藤輝だった。「切り替えて。そんな打てない時もあるから。気にしないでいい」森下はその言葉で引きずることなく、練習に臨むことができた。以前から「全部全力で、頑張り屋さんなので」と気にかけていた佐藤輝。森下も「自分の姿を見てなぐさめてもらった。ああいうときに声をかけられて本当に気が楽になった。ありがたかったですね」と感謝した。翌日の広島戦でスタメン落ちも、代打で即安打。日本シリーズでは、3番打者として存在感を表した。「この1年間、先輩方のおかげでやりやすい環境で野球ができた。指導者も含め、環境に恵まれていると本当に感じました」。一丸となってつかんだ「日本一」。激動の1年は最強の仲間がいたからこそ、乗り越えられた。【三宅ひとみ】

◆阪神が1985年以来38年ぶり2回目の日本一に輝いた。最終回は桐敷拓馬投手(24)、岩崎優投手(32)のリレーで締めた。桐敷は先頭の紅林に右前打を浴びたが、4番森を併殺打に打ち取った。2死からは守護神の岩崎へスイッチ。5番頓宮に左翼へのソロ。6番ゴンザレスにも中前打を許した。それでも最後は左飛に抑え、胴上げ投手となった。

◆阪神が1985年以来38年ぶり2回目の日本一に輝いた。日本シリーズの最高殊勲選手賞(MVP)には近本光司外野手(28)が選出され、賞金700万円を獲得した。同シリーズでは29打数14安打、打率4割8分3厘で、両チームトップ。この日は4安打を放つなど、シリーズ7戦のうち3試合で3安打以上を記録した。14安打はシリーズの球団歴代単独2位だ。虎のリードオフマンはポイントゲッターとしても機能し、4打点もマーク。打ちまくって38年ぶりの日本一をけん引した。近本の一問一答は以下の通り。今のきもち「サイコーでーす」振り返って「1戦1戦全力で戦ったいい試合だったと思います」4安打。7試合で3試合猛打賞大当たり「ありがとうございます」振り返って「短期決戦だったので、初球から打ちに行けた結果だと思います」日本一の瞬間は「みんなマウンドに集まってて僕レフトに残されてて、みんなの歓声聞きながらゆっくりの時間をすごせました」背番号24をかかげながら一丸となってプレー「選手それぞれ、いろんな思いを背負ってこのシリーズ戦ってきたと思うので、ああいう形で終わることができて本当にうれしいです」5年目で日本一「いろんなシーズン送ることができましたけど、今年5年目、最高のシーズンを迎えることができました」京セラではじまって声援はどう届いた「第4戦ですかね、ゆうすけがサヨナラヒット打った場面は甲子園がゆれるくらい歓声すごかったので、今日もすごかったですけど、こういうの味わうのにほんしりーずだけなので。楽しく三塁ランナーやってました」日本一の気分は「点差あいてたので、ピッチャーにも助けられましたし、センターから安心してみてました」多くのファンがかけつけた。ファンへ「38年間長い間ファンの皆さんおうえんありがとうございます。1年間長いしーずんだったですけど、しっかり休んでまた来年にむかって頑張っていきますので1年間お疲れ様でした。ありがとうございました」

◆阪神の本拠地、兵庫・西宮市の甲子園球場でも、5日に日本シリーズ第7戦のパブリック・ビューイングが催され、内野席を開放して行われた。38年ぶりの日本一まで、残すは9回裏。このとき、甲子園には横田慎太郎さんの登場曲「栄光の架橋」(ゆず)が流れた。パブリック・ビューイングに参加した1万2424人が精いっぱいの声を張り上げて大合唱。甲子園がひとつになった。その9回裏、オリックスの攻撃を桐敷、岩崎が1点に抑え、7対1。悲願の日本シリーズ優勝を決めた。試合の間、青柳コールが、森下コールが、そして岡田コールが甲子園に何度もこだました。目の前に阪神ナインはいない。それでも、パブリックビューイングに参加した1万2424人の思いは、京セラドームにしっかり届いた。この日、ゲストとして甲子園に登場した阪神OBの今成亮太氏(36)は試合開始前「きのう(第6戦)は悔しかったですね。きょうは絶対にやり返してくれますよ。青柳は今シーズン、悔しい思いをしているので、きょうこそ晴らしてほしい!」とファンに呼びかけた。その先発青柳は5回途中で降板したが、気持ちのこもった熱投は甲子園のファンに間違いなく伝わった。2死一、二塁で前夜ホームランの紅林を一塁ゴロに討ち取った3回裏。3者凡退で抑えた4回裏と、粘りの投球を見せるたび「青柳! 青柳!」と内野スタンドが揺れた。今季の開幕投手のピッチングに応えるように、ノイジーの3ランが飛び出し、森下、大山、ノイジーの連続タイムリーで6点のリードを奪った。38年ぶりの夢が徐々に近づく。甲子園のバックスクリーンの大型ビジョンを通じて、虎ファンは歓喜を抑えきれない。思わず立ち上がって声援を送る姿も多く見られた。9回表、近本が打席に立つと、6点リードにもかかわらず「かっとばせ! 近本!」の大コール。森下の安打で近本が7点目のホームを踏むと、まるで決勝点かのような大歓声が上がった。2023年の日本プロ野球をしめくくるパブリックビューイング。この日午前10時から先着順(無料)での申し込み受け付けが始まったが、熱心なファンが殺到。すぐにネットがつながらない状況となった。その後、10時13分には「予定枚数終了」の表示。激しい争奪戦を制した幸運なファンは、うれしい、うれしい日本シリーズ優勝を甲子園で目撃した。

◆第3戦で球団初の育成出身の日本シリーズ先発勝利を飾ったオリックス東晃平投手がリリーフ登板した。6点ビハインドの9回に6番手でマウンドへ。先頭の近本に内野安打を許すと、1死二塁から森下に適時打を浴びて1点を失った。後続は断ったが、中4日でのマウンドは1回1失点。4月以来の救援登板はホロ苦いものとなった。

◆4番大山悠輔は23年最終戦まで全力疾走を貫いた。4点リードの5回2死二、三塁、右腕比嘉のスライダーを三遊間に引っ張った。遊撃への適時内野安打を奪い「とにかく必死に食らいついて、気持ちで打った一打だと思います」。日本シリーズは4戦目でサヨナラ打を放つなど計4打点。「勝ったことがすべて。本当に勝って良かった。1年間の集大成、チーム一丸で戦えて良かった」と日本一に破顔した。レギュラーシーズン、CS、日本シリーズの計153試合を不動の4番で走り抜いた。

◆38年ぶりの日本一を達成し、優勝監督インタビューで岡田彰布監督(65)が「なんとか達成できたんでね。『アレのアレ』を」と喜びをかみしめた。第7戦まで3勝3敗で迎える大接戦を制しての栄冠。前回の日本一は選手として活躍した1985年。「ちょうど27歳だったんですけどね、前回の日本一の時に。長かったですね」。優勝後の胴上げでは選手らの輪の中で5度宙に舞った。監督として、悲願の日本一を達成した。

◆阪神が85年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。シリーズの優勝ブランクとしては07年中日の53年ぶり、06年日本ハムの44年ぶりに次ぎ、98年横浜に並ぶ3番目の長さになる。前回の日本一は「昭和60年」で、現12球団で阪神と広島だけが平成時代に日本一になれなかった。岡田監督は今月25日で66歳。13年星野監督(楽天)と並ぶシリーズ最年長優勝監督となり、2人とも66歳で初の日本一だ。63歳以上の監督は4人すべて日本一となっており、短期決戦ではベテラン監督の采配が光る。また、85年の岡田監督は選手で出場。昨年の中嶋監督(オリックス)が選手として出場した96年以来の日本一となったが、岡田監督も自らの選手時代以来となる日本一へ導いた。

◆阪神8番木浪聖也内野手(29)は驚異のシリーズ打率4割で貢献した。甲子園初戦の3安打など第2戦以外で安打を放ち、25打数10安打。下位打線から好機をつくり、好調の1番近本らにつなげた。今季は開幕スタメンを逃したが、球宴出場、リーグ制覇と遊撃の定位置を確立した。「1年間しっかり活躍できて、最後、最高の形で終えたので最高の1年になりました」と笑みがこぼれた

◆オリックス宮城大弥投手(22)が、悔し涙にくれた。2年連続日本一は、痛恨の1発で夢と消えた。0-0で迎えた4回1死一、二塁のピンチで、阪神ノイジーに左翼席へ3ランを浴びた。今シリーズ10イニング目での初失点は痛すぎる先制3ラン。5回にも1死から連打され、2死を取ったところで降板し、5回途中5安打5失点。試合後は号泣し「悔しいです。ただそれだけです」と言葉を振り絞った。2勝3敗と追い込まれた第6戦で、山本が14奪三振でリベンジ完投。エースから最後のバトンを託されたが、リレーを完成させられなかった。その山本は海を渡ることになった。「今まで由伸さんにさんざん助けてもらいましたし、これからは僕だけじゃなくて、ほかの投手陣がしっかり...協力しながら引っ張っていきたい」今季はWBCに出場し、3年連続2桁勝利も挙げた。最後に流した涙の分だけ、22歳は強くなる。

◆近本光司外野手(28)が日本シリーズの最高殊勲選手賞(MVP)に選出された。1、4戦で各3安打の近本が1試合4安打(24人目、28度目のシリーズ最多タイ)。シリーズ3度の猛打賞は66年柴田勲(巨人)、84年高橋慶彦(広島)、02年二岡智宏(巨人)に並ぶ最多となった。シリーズ通算14安打となり、14安打以上は62年吉田義男(阪神=16安打)、84年高橋慶彦(広島=15安打)に次ぎ史上3人目。MVPの近本は全7試合で1番センター。全試合1番打者のシリーズMVPは、60年近藤昭仁(大洋)、68年高田繁(巨人)、76年福本豊(阪急)、79年高橋慶彦(広島)、99年秋山幸二(ダイエー)に次ぎ6人目。

◆阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。日本シリーズ(7回戦制)の決着パターンは引き分けを除き35通りあるが、優勝した阪神の星取り(○●●○○●○)は史上初めてとなった。

◆阪神岡田彰布監督(65)が大接戦を制して日本一に導いた。選手として達成した、1985年以来の悲願。優勝監督インタビューでは「また監督でね。日本一達成できて幸せと思います」と喜びに浸った。優勝監督インタビューでの一問一答は以下の通り-今の気持ちは今日はもうプロ野球でね、最後のゲームになったんで。全国の野球ファンのみなさまが注目してると思うんで、悔いのない試合をしようということでね。その中で本当選手がみんな役割を果たしてね、本当頑張ってくれた結果がこういう結果になったと思うので。本当ありがとうございました!-38年ぶりの日本一ちょうど、27歳だったんですけどね。前回の日本一の時に。長かったですね。選手でも日本一を達成できて、また監督でね。日本一達成できて幸せと思います。-取って取られての日本シリーズオリックス強かったです、本当にね、最後の最後までね、どっちに転ぶかわからないようなね、展開で。最後はちょっとね、今日はね、タイガースのいいところとか出たんですけどね。日本シリーズとしてね、このプロ野球の最後の締めくくりとしてはね、本当いいゲームがね、できたんで。本当よかったと思います。-青柳投手を先発に送ったが最初から7戦目は青柳と。今年は3月31日に公式戦は青柳でスタートしたんですけど、青柳も最後で締めるということで。-ノイジーの1発いや、あそこでホームラン出るとは思ってなかったんですけどね。宮城投手ね、この間も、0点だったんで、まあ本当に2点取ろうと心の中ではね。そう思ってたんですけど。本当に千金のね、あのスリーランホームランだったんですね。-9回は桐敷投手と、最後に岩崎投手を登板させたいや、もうこの1年ね、最後のクローザーとして岩崎がずっとやってくれてたんで。もうあんまり負担かけないように。まあ点差もあったんですけどね、最後の1人ということで。まさかいきなり初球ホームランを打てると思ってなかったんですけど。ちょっと意外だったですけどね。どういう形であれね、最後は岩崎で締めるということで、予定通りの登板だったんです。-ファンへのメッセージをセ・リーグ優勝の時もなんですけど、今年は3月31日の京セラドームでの開幕から、本当ね、いつも超満員のスタンドでね、みんな応援してもらいました。本当ありがとうございました。前の試合で、甲子園も3試合あったんですけど、甲子園でもすごいですね、昨日、今日と、最後までこの京セラドームもね。本当にもうね、すごい応援をしてもらって選手がね、すごい力になったと思います。なんとか達成できたんでね、この「アレのアレ」をね。まあ本当満足でね。今年1年本当いい形で終われて、これはもうね、ファンの皆さんの声援のおかげと思うんで、本当ありがとうございました。

◆オリックスは山本由伸投手(25)の今オフ、ポスティングシステムを使っての大リーグ挑戦を承認したことを5日、発表した。22年1月末の契約更改交渉で初めて、球団幹部にメジャー挑戦を直訴。球団側はリーグ3連覇に貢献した右腕の夢を後押しすることを決めた。米球団の注目度は日を追うごとに過熱し、目玉となることは確実だ。日本球界で数々の伝説を残し、山本が新たな道を歩み出す。「まず認めていただいた球団に感謝します。しっかり1人の選手として応援してくれたといいますか。しっかり理解してくださって本当にありがたいす」。日本シリーズ最終戦を終えた直後、かねて熱望していた今オフの大リーグ挑戦が認められた。3年連続4冠、沢村賞を受賞し、今年もリーグ3連覇を成し遂げたチームの中心であり続けた。「とにかくチームが優勝することが、まず一番と思ってプレーしてました」。4日の第6戦(京セラドーム大阪)では、日本シリーズ新記録の14三振を奪う快投で9安打1失点で完投勝利。日本ラストマウンドで鮮やかな記憶を残した。「たくさんいい経験もさせていただきましたし、すごく成長した7年間だったと思うので、本当に感謝です」。16年ドラフト4位で入団し、球界のエースにまで育ててくれた恩義は忘れることはない。山本は22年1月末の契約更改交渉で初めて、球団幹部にメジャー挑戦を直訴。球団最高年俸の6億5000万円で契約更改した昨オフにも、球団側と話し合っていた。入団時の監督だった福良GMは「長い間話してました。由伸と」と明かし「由伸の夢なんで、そこは尊重しながら。これだけチームに貢献してくれたので。みんな本当に期待してます」と温かい思いで大エースを見守る。チームメートも「大きな背中を見せてくれました。一緒に野球がやれて幸せでした」と万感の思いで送り出す。3月には侍ジャパンの一員としてWBCにも出場し、世界一を経験。米球団の注目度は日を追うごとに過熱し、GMクラスが直接視察することもしばしば。あるメジャー球団スカウトは「(総額)300億円もありえるよ」と話すなど、今オフの移籍市場の目玉となることは間違いない。

◆阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。阪神でシーズン公式戦開幕戦と日本シリーズ最終戦に先発し、ともに白星を挙げた投手は青柳晃洋投手が初。62年小山正明は開幕戦勝利、シリーズ最終戦は勝敗無関係。64年村山実は開幕戦勝利、シリーズ最終戦は敗北だった。

◆阪神糸原健斗内野手(30)が「糸原新喜劇」でナインを大爆笑させた。チームが38年ぶりの「日本一」に輝き、ベンチ前で選手らがMVP発表の時を待っていた。司会者がMVP選手名を言う時だった。糸原がベンチ前で立ち上がって、名前を呼ばれる時を笑顔で待っていた。だが、司会者が近本光司外野手(28)とMVPだと発表すると、糸原はずっこけたポーズで崩れ落ちた。ムードメーカーの行動に全員大爆笑。近本も軽く会釈して、糸原に応えるなど、最高の雰囲気に包まれていた。リーグ優勝時の祝賀会場でも鏡開きの際に最後まで名前が呼ばれず、司会者の「以上」の言葉で全員がずっこける一幕があった。

◆オリックスは山本由伸投手(25)のポスティングシステムによるメジャー移籍を容認すると発表した。日本シリーズ終了後、山本が取材に応じ、率直な心境を口にした。「認めていただいた球団に感謝の気持ちです。チームのことを考えたらあれですけど、1人の選手として応援してくれたというか、理解してくださり、本当にありがたいです。たくさんいい経験をさせていただき、すごく成長できた7年間でした。感謝しかありません。今年はとにかくリーグ優勝することが一番と思って、プレーしてきた。やっぱり日本一になれなくてすごく悔しいです。オリックスはすごく好きなので寂しい気持ちもあります。(メジャーは)世界で最高のリーグだと思う。しっかり通用するような選手を目指したい。(球団選びの条件は)いろいろな方に意見を聞いたり、教わりながらになると思います」また福良淳一GM(63)が経緯などについて説明した。「ポスティングを承認いたしました。長い間ずっと(要望を)言っていますし、3年間の優勝は由伸がいたからできたこと。由伸の夢なので、そこは尊重しながらです。これだけチームに貢献してくれたので、これから頑張ってほしいと思います。本当に、みんな期待しています」山本はオフの契約更改交渉でも要望を出すなど強いメジャー志向を隠していなかった。福良GMは入団時の監督で、シーズン中も絶えず、意思疎通を図っていた。

◆オリックスからは山本由伸投手(25)が日本シリーズの優秀選手、紅林弘太郎内野手(21)が敢闘賞に選ばれた。山本は第1戦で自己ワーストの7失点と打ち込まれながら、第6戦ではリベンジに成功。日本シリーズ最多の14奪三振を記録するなど1失点完投勝ちで日本シリーズ5度目の登板で初白星を飾った。紅林は第6戦で2ランを放つなど6試合連続安打をマークした。20打数8安打1本塁打3打点で打率4割。遊撃守備でも広い守備範囲で好守を見せて貢献した。

◆虎のエースが最後の最後で帰ってきた。日本シリーズ第7戦に先発した阪神青柳晃洋投手(29)が、5回途中4安打無失点の快投で日本一に大きく貢献した。この日の練習前には岡田監督から監督室に呼ばれ、「楽しんで、思い切ってやってこい」とゲキを飛ばされたという。初回から自己最速タイ149キロを計測。エンジン全開で1球1球に魂を込め、大役を果たした。「最後こういう試合で投げられたのがうれしい」世界を舞台に戦う友の姿を見て、勇気をもらった。9~10月にかけて実施されたラグビーW杯フランス大会の日本代表として、帝京大の同級生のフッカー坂手淳史(30=埼玉)が出場していた。大学の必修科目の授業でクラスが一緒で、トレーニングルームでの自主トレの時間も重なることがよくあり、親交を深めた。青柳はアルゼンチン戦をテレビで観戦し「自分も頑張らなきゃ」と奮い立った。同時に「いつもこういう感じで(テレビで)見られているんだな」と応援する側の気持ちを知った。支えてくれた人への感謝を胸に、最高の舞台で輝いた。オリックスとは交流戦で過去2試合に先発し、計12回を投げ無失点。京セラドーム大阪は通算8試合で5勝1敗という好相性も後押しした。22年には投手3冠を手にしながら、今季は不振で2軍落ちも経験した。苦しみ抜いた先の最後には、最高の景色が待っていた。【古財稜明】

◆阪神伊藤将司投手が日本一決定試合で勝利投手になった。新人時代以来2年ぶりのリリーフで3回を無失点に抑えた。6点リードの6回から3番手で登板し、2イニングをピシャリ。8回は先頭福田に中前打を浴びたが、併殺打と二ゴロで反撃を絶った。「最後はチーム一丸となって、いつでも投げる準備をしていた。そこで投げる機会がきたので、何とかつなげることができました」。日本シリーズ初勝利に会心の笑顔だった。

◆阪神の守護神岩崎が、再び背番号24のユニホームとともに3度宙に舞った。7点リードの9回、2死走者なしから登板。頓宮に左越えの1発を浴びるなど粘られたが、最後は杉本を左飛に抑えた。左腕を中心に歓喜の輪ができてもみくちゃになった。「最後勝ったチームの最後に投げられて光栄。チームメート、首脳陣に感謝です」。岡田監督に続いて左腕が胴上げされ、左手にはリーグ優勝時と同様に、今年7月18日に脳腫瘍のため28歳で亡くなった球団OB横田さんのユニホームを握っていた。「なんとも言い表せない(気持ち)。ホッとしています」。13年のドラフト同期入団。天国から見守る盟友に、「日本一」という最高の景色を届けた。横田さんの追悼試合として開催された7月25日の巨人戦で快投締め。その夜、お立ち台で「最終的に一番いい報告ができるように」と誓いを立てた通りに有言実行した。岩崎の一問一答-率直な気持ちは「率直な気持ちはなんかまだよく分からないです」-あと1人から託された「いや~まあこういう展開はなかったので、なんか、はい、いつもと違いましたけど、まあでも良かったです。桐敷もね、2アウト取ってくれたので」-横田さんのユニホームを手に「何とも言い表せない。ホッとしてます。とりあえず」-横田さんも喜んでくれてる「そう信じてます」-1発を浴びてから切り替えて「点差が点差なので、みんながこういう展開にしてくれたので、本当にありがたかったです」-日本一のマウンドに立てた「誰でも立てるところじゃないので。最後勝ったチームの、最後投げていたピッチャーだけで光栄ですし、チームメート、首脳陣、みんなに感謝です」-ユニホームと胴上げされて「いや~何も考えてないです。一緒にいる感じ。ただそれだけです」

◆オリックス山崎福也投手(31)は、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権について行使も前向きに考え、検討する。今季9年目を迎えた左腕は今年8月に国内FA権の取得条件を満たした。「まずはオリックスへの感謝の気持ちが一番強いので、そこを第一に考えて。1度の野球人生でもありますし、全部終わってから、しっかりと考えたいというのも思っています」と話した。いろんな話を聞いてみたい気持ちはと聞かれると「なくはないです」と率直は思いを明かした。一方で、自身を成長させてくれた球団や中嶋監督への感謝の思いも強い。今季はプロ初の2ケタ勝利となる11勝を挙げ、先発ローテーションの一角としてリーグ3連覇の戦力となった。経験豊富な左腕がFA権を行使すれば、複数球団の争奪戦に発展する可能性が高い。

◆日刊スポーツは、阪神日本一の号外3万部を梅田、ミナミなど大阪市内4カ所で配布した。京セラドーム大阪での応援を終えた虎党が帰宅するタイミングと重なり、号外を手にしたファンは興奮さめやらぬ様子で「やったー! 日本一や」と喜びにひたっていた。

◆阪神ノイジーが殊勲の1発で38年ぶりの悲願を導いた。0-0の4回1死一、二塁。カウント1-2から、先発宮城の124キロチェンジアップを捉えた。「アメージング!」と振り返る会心の一発。左翼席へライナーで運んだ。「今年一年、このためにプレーしてきた。すごくうれしいし、ここにいるこの機会を得られて本当にうれしい」。第2戦で2打席凡退と抑えられていた左腕からの1発。前夜の第6戦も先発山本から同シリーズ球団20年ぶり、球団の外国人選手では85年バース以来の1発を放っていた。2戦連発にとどまらず、5回2死一、三塁でも中前適時打で6点目。4打点と躍動した。9回最後の左中間へのフライも積極的に捕球し、試合を締めた。「本当に最高の一年になったし、この最高のチームと一緒に戦えてうれしい」。喜びをかみしめ、球場を後にした。

◆阪神岡田彰布監督の陽子夫人も日本一の瞬間を生観戦し、「本当によかったです」と感激していた。シリーズ中は野球について触れられない状況で、特に第6戦に敗れた前夜は独特だったそう。京セラドーム大阪で観戦していた陽子夫人ら家族よりも先に、岡田監督が帰宅していたという。「びっくりしたんですけど。『もうええわ』みたいな感じで開き直っている印象は受けましたね。シーズンもCSも順調だっただけに、しんどそうでしたけど、こういう結果になってよかったです」と笑顔を見せていた。

◆吉田から、岡田へ日本一継承--。85年阪神日本一監督・吉田義男氏(90=日刊スポーツ客員評論家)が、38年ぶりの日本一を祝福し、特別寄稿を寄せた。岡田監督と師弟関係にある吉田氏は「阪神から初めて名将が誕生する予感がした」と絶賛した。【聞き手=寺尾博和編集委員】監督の岡田が胴上げされている姿に熱い感情がこみ上げました。わたしが監督だった1985年以来の日本一ですから隔世の感があります。すぐに岡田に電話を入れました。この間、野村、星野ら11人の歴代監督が、日本一に挑戦したがかなわなかった。当時の中心選手だった岡田が、古巣に復帰し、頂点に立ったのだから運命を感じます。今まで口にしたことはありませんが、彼には特別な思い入れがあるんです。わたしから言わせれば、少々わがままなところもあったし、ある時はたしなめたこともありました。さまざまな業界、団体と関係を築き、野球人だけでなく、人間として幅ができた。今までと違って、人に言われたこともいったんはこらえ、冷静に努めるようになりましたね。野球エリートですが、辛酸をなめています。個人的に幾度となく岡田を現場に返してほしいと、本社に懇願しても突き返されたこともあった。これがラストチャンスだったのです。この15年間が充電期間だったとするなら、年輪も重ねましたが、度量が大きくなって、それがまた監督に求められる"器"につながったと思っています。そう言えば、38年前の大コンバートで外野から内野に転向した岡田は、選手生命を懸ける気持ちで向き合ったんです。わたしも負ければマスコミからたたかれたかもしれません。監督がぶれたら、選手は流される。岡田、掛布、平田らは一心不乱に泥にまみれた。わたしも彼らに懸けた。岡田の体にはディフェンスに固執する野球がしみついているのです。選手の不安を打ち消し、自信に変えるのも監督の手腕といえるかもしれません。湯浅の劇的な継投に表れたように、独特の感性をもった勝負勘は、岡田ならではでした。わたしも「清水の舞台から飛び降りる」といった気持ちで抑えに中西をつぎ込んだ。その裏にあったのは、失敗を恐れず、選手を信頼して起用する覚悟だったように思います。岡田が日本一を引き継いでくれた。わたしは阪神タイガースの歴史に、初めて名監督が誕生する予感がします。38年は少し長すぎた。これが黄金時代の幕開けだと信じています。

◆オリックス頓宮裕真捕手が9回2死から今シリーズ3号ソロで意地を見せた。抑えの岩崎が登板した直後、初球の142キロ直球を捉えて左翼の5階席まで運んだ。「最後に自分のスイングができたかなと思います」と納得の1発。リーグ戦終盤に左足薬指を疲労骨折し、万全ではないまま戦った。「なかなかケガ人が多かったですけど、その中で最後までみんなで戦えた」。リーグ首位打者が諦めない姿勢を示した。

◆38年ぶりの日本一を決めた阪神ナイン、監督、コーチ、関係者は、京セラドーム大阪からビールかけ会場に向けてバスなどで移動を開始した。選手は野手便と投手便の2つに分かれ、出発直前に「うおおおお」という男たちの叫び声が...。野手便の選手たちはフライングで? 缶に入ったドリンクを飲み干していた。一方の投手便は、いたって冷静と対照的だった。

◆阪神近本光司外野手(28)が29打数14安打、打率4割8分3厘で日本シリーズMVPを受賞した。打球を追っていたため、歓喜の瞬間は、まだ左中間の最深部にいた。ナインと合流したのは、その輪がほどけてから。「あ~遠いなと思った」と笑わせ「俺が行った時には終わってるやろから、ちょっと無理やなと思いながら。でも、僕が一番歓声を聞いていたと思います」と笑顔だった。

◆オリックスが第7戦で力尽き、3勝4敗で2年連続の日本一を逃した。中嶋聡監督(54)は潔く、敗戦の責任を負った。「本当にみんな全力でやってくれたのでね、負けの責任は僕が取る。僕の責任なのでね、本当によくやってくれたと思います」。試合後は相手の元へと歩み寄り、岡田監督と握手を交わした。第2戦で好投した先発の宮城が4回につかまり5回途中5失点。打線も阪神青柳に苦戦し、8回まで無得点に終わった。「ちょっとね、青柳くんを探りに入ったところがあった、そこかなと思います」。最後に、日本シリーズならではの難しさを実感した。今シリーズ通して頓宮、杉本らケガを抱えていた選手も多かったが、全員が全力を尽くした。「本当によく出られたなというメンバーも多かった。ちゃんとコンディションを整えてあげられなかったのが僕の責任ですし、本当によくグラウンドに立ってくれたと思います」。最後まで選手たちをねぎらった。リーグ3連覇の偉業を成し遂げたが、2年連続の日本一にあと1歩届かなかった悔しさが残った。「悔しいですよね、勝って終わるのと負けて終わるのでは全然違いますし。2回目なんですけどね、負けたの日本シリーズで」。それでも立ち止まらない。まだまだ成長できるチームだと信じている。「今年優勝したとしても未熟な部分が本当に多いチーム。投手陣も若いですし、その点ではまだまだ本当に伸びしろあるチーム。僕の方では秋のキャンプでそれを精査しながら、上積みをしながら考えていきたいと思います」。次の目標は90~94年西武5連覇以来のリーグ4連覇。来年はまた進化したチームで、勝って終われる秋にする。【磯綾乃】

◆阪神中野拓夢内野手が日本一もつかんだ。世界一に輝いた3月のWBCに続く、ダブルの歓喜だ。「世界一になってリーグ(優勝)して、最後は日本一だけ。これだけいい思いをできたのは、自分の野球人生の中でもいい財産になる」。日本シリーズも2番を勤め上げ、打率3割2分で勝利に貢献。3月とはまた違った頂点の景色をかみしめ、激動の23年を最高の形で締めた。いい時ばかりではなかった。8月には25打席無安打の苦しい時期も経験。打ち方を見直すなど、打開方法を模索した。だが、「そこがあまりよくなかった」と振り返る。「いい意味で考えない。どうしてもエラーしたり打てない時は、細かいことを考えてしまう。考えすぎて、またミスをしてしまったりするので」。超満員の甲子園で、重圧をはね返すのは「平常心」と気付いた。壁を乗り越えて、初の最多安打も獲得した。シーズン143試合、CS、日本シリーズ全てフルイニング出場。WBC出場選手では球界初の"完走"だ。来季目指すは球団初のリーグ連覇。先頭に立ってチームを引っ張り、黄金時代を築く。【波部俊之介】

◆湯浅は日本シリーズ登板を来季につなげる。左脇腹筋挫傷の影響で6月を最後に1軍登板はなく、第4戦で復帰。3-3の8回2死一、三塁で登板し、1球で抑えてサヨナラ勝ちにつなげた。第5戦も8回を3者凡退で片付けると、直後の攻撃で一挙6得点で逆転した。「最後に少しでも貢献できてよかった。来年はもっとチームに貢献できるようにやっていきたい」と充実の表情だった。

◆阪神梅野隆太郎捕手がベンチメンバーで日本一を見届けた。登録枠が40人に拡大されるシリーズになって1軍に合流。第6戦からベンチに入った。2試合とも出場機会はなかったが「この2日間ベンチに入れてもらったことに素直に感謝しいます。最高な景色を見させてくれたことに本当に感謝です」とかみしめた。

◆オリックス森友哉捕手(28)は、宮城大弥投手が浴びたノイジーの3ランについて「失投ではないと思います」と振り返った。西武からFAで加入した今季、18本塁打、64打点はチーム最多で、捕手としても投手陣を若月らと引っ張った。初出場の日本シリーズに敗れ「(リーグ)3連覇できたのはよかったと思いますけど、(日本一に)あと1歩及ばず、来年の課題もしっかりこれから考えて来年に向けて頑張りたいと思います」と前を向いた。

◆阪神近本光司外野手(28)が、日本一共同記者会見に出席した。一問一答は以下の通り。-心境は「まず日本一になったというか、第7戦で勝てたっていうのが、すごくうれしい。リーグ優勝の時はホッとしたって言ったと思うんですけど、今回はうれしい。うれしいに限ります」-強い相手「簡単にはいかないと思っていた。難しいね、試合展開になると思っていたので」-最後はセンターからゆっくり来た「もうね、僕とシェルでどっちが捕るみたいな感じで、シェルが捕って。ウイニングボールに思うことはないですけど、最後ゲームセットなったことに、よかった、よっしゃ勝てたって。で、パってマウンド見たらみんな集まっていたんで。それよりも球場の雰囲気だったりファンの歓声を味わえたと思っているので、むしろ、ここをゆっくり走るのが僕なんじゃないかなと思って」-打撃は「監督はいつも通りって言うけど、シーズンとは違う待ち方とかになって。もともと初球から打ちにいってたんで。短期決戦になってピッチャーもどんどんくるので、僕はそこを待って打ちにいこうと思っていました」-日本一のビールかけの音頭「意気込みすか(笑い)。もう雰囲気で、ひところでいきたい」

◆阪神岡田彰布監督(65)が共同会見で、先発青柳晃洋投手(29)との試合前のやりとりを明かした。3連勝のスイープで突破したCSファイナルステージでは登板なし。3勝3敗で迎えた大一番で、今季の開幕右腕に勝負を託した。「最後青柳が7戦目、そういう機会が本当にきたんでね。とにかく今日ミーティングの後、青柳を部屋に呼んで、思いっきり楽しんでと。今年は3月31日京セラで青柳でスタートしたシーズンだったんで。最後、思いっ切り楽しんで投げてくれと激励しましたけどね」。期待に応えた無失点投球で勝利に貢献。青柳に始まり、青柳で終わった23年となった。

◆阪神大山悠輔内野手(28)が、日本一共同記者会見に臨んだ。一問一答は以下の通り。-リーグ優勝では涙、今回は笑顔「また違った感情というか、ほんとに毎試合苦しかったけど、最終的に勝って日本一なったのが、うれしいです」-重圧は「4番でしたけど、チームみんなに助けられた4番でした。僕は僕なりのできることを1年間やってきたつもり。今日の内野安打の1点だったり、自分らしさが出たと思う」-終盤は好機での一打が目立った。スイッチ入ったのは「必死にやった結果。そういう場面つくってくれたのはみんな。そこで打たないといけないと思っていた」-全試合4番について「初めて4番を打たせてもらった時、シーズン途中で打順が変わった悔しさはずっと持っていたので、そこを達成できたのはよかったです。間違いなくこの1年は大きなものがあった」

◆ウイニングボールの行方は!? 阪神岡田彰布監督(65)が日本一のウイニングボールの行方が分からないことを笑顔で明かした。試合後の共同会見で「いや、どこいったか...。ノイジー? 最後みんな前に立ってるんで、俺のところから見えなかった。ノイジーが取ったのか近本が取ったのか分からなかった」と話した。左翼でウイニングボールを捕球したノイジーは会見でポケットに入っていると明かした上で「監督が欲しかったらあげる」とジョークを飛ばし、笑いを誘った。岡田監督も「アメリカに帰る前に持ってくるでしょ」と助っ人に笑顔で促していた。

◆阪神岡田彰布監督(65)が日本一の共同会見に臨んだ。監督の携帯に真っ先に連絡を入れていたのは85年に球団初の日本一監督となった吉田義男氏(90=日刊スポーツ客員評論家)だった。一問一答は以下の通り。-日本一の実感は「38年っていうと、なかなか、まだ生まれてないね、そういう選手がほとんどなんですけど。僕は、入団6年目ですかね、27歳で選手会長だったんですけど、あれは、21年ぶりの優勝ですかね、あの時は初めての日本一ということで、その感動は今でも忘れもしないんですけど。あれから38年経ったのかなあと。とにかく今年はね、そこまで考えてなかったんですけどね。まず優勝をアレと言ったんですけど、セ・リーグ制覇を目指してスタートして、それは達成できて、今はクライマックスがあるんですけど、そこを勝ち抜いて、なんとかね、もう1度ね、日本一という、あの...正直なとこね、オリックス3連覇してるチームなんで、こりゃもう、やばいていうか、正直、相当強いっていう。1年間の集大成として最後ね、ほんとにみんな自分の役割というか、タイガースはほとんどメンバー変えなかったんで、そういう意味で1年間通してやってきたことをね、最後の最後、本当にみんなが力発揮してくれて、そういう結果が最終的に、今日のゲームに現れたと思いますね」-日本一の胴上げは「(リーグ優勝で)1回慣れてたんかな。だいぶ上がってましたね、1回目より(笑い)全然違いましたね」-日本シリーズの用兵は「1年やったことは5戦まで変わらなかったんですけど、3勝2敗で王手かけた後、まあ先発ピッチャーがね、投げられない状態だったので、昨日(第6戦)今日(第7戦)は先発2枚でいったんですけど、そういう意味では、最後の2戦の京セラちょっと違った投手起用もあったんですけど、まあクライマックスも(登板)機会がなかった青柳がね、7戦目ね。そういう機会がね、ほんとにきたんでね、とにかく、今日ミーティングの後、青柳部屋、監督室呼んで、『思いっきり楽しんで、とにかく攻めて、最後、今年は3月31日京セラで青柳でスタートしたシーズンだったんで、最後、思いっ切り楽しんで、イニングとか関係なしに投げてくれ』と、そういう激励しましたけどね」-集大成の試合をしたナインに言葉をかけるなら「いや、まさか宮城投手からあんな展開になると思ってなかったですね。練習の時に解説者と、今日2点とれるように頑張ろうと、そう心の中では思ってたんですけどね。2点とって、その点を守り切る展開になるかなと思ったんですけど、ノイジーのホームランは、これはびっくりしましたね」-球団初の選手と監督で日本一「いやいや、まあ、日本一ていうか、タイガースの歴史からいうともっとなってないといけないと思うんですけど。速攻で一番最初に電話入ってたのが吉田(義男)監督でしたね。監督室に戻った時にね。非常に喜んでました」-日本一のウイニングボールは「いや、どこいったか知りません...ノイジー? 最後みんな前立ってるんで、俺のところから見えなかった。ノイジーが捕ったのか近本が捕ったのか分からなかった」-ノイジーが「最後に自分のポケットに入ってました」と言っているが「多分、アメリカ帰るまでに持ってくると思いますよ(笑い)」-ファンへ「第7戦までにいってね最後の最後までプロ野球盛り上げるというか、久しぶりの関西ダービーということもあってね、すごく注目浴びる日本シリーズでしたけど、そこで本当にどっちが勝ってもおかしくないような、そういうゲーム展開で、本当にもうパ・リーグの覇者とセ・リーグの覇者がしのぎを削った、本当にどちらに転ぶか分からないようなゲームを。あとで携帯などにもらったメールに『楽しませてもらった』『感動をありがとう』というそういう言葉が多かったんで、本当に素晴らしいゲームができたことに感謝したい。たくさんの人に応援してもらったと思うんですけど、そこにも感謝したいし。まだまだ、今年はこれで終わりますけどね、野球界盛り上げていくために、またタイガース頑張っていきたいと思います」

◆岡田監督がビールかけのあいさつで「今日はみんなが主役」と宣言し、爆笑をかっさらった。指揮官が壇上へ上がると、「成績は問いません。プロ野球の最後の最後ビールかけできるのは阪神タイガースなので思い切り暴れてください。みんなの頑張りでここまで来れたんで。みんなおめでとう」とないんをねぎらった。ミエセスも岡田監督の言葉に笑顔でのりのりだった。セ・リーグ優勝の時、岡田監督は暴れるミエセスに「ミエちゃん主役ちゃうよ。きょうは。成績にちなんだ暴れ方をしてくださいね」と言い、ナインは大爆笑。この日は成績問わず暴れることを許可した。

◆阪神岡田彰布監督(65)がナインからのビールかけに満面の笑みを浮かべた。ビールかけの真っ最中に指揮官のインタビューに参加。すると、原口、村上、坂本ら岡田監督の頭にビールを浴びせ、祝福。指揮官もにっこり笑顔でうれしそうに浴びていた。坂本には控えめにハグをするしぐさも。みんなが主役となり、楽しんでいる。

◆阪神平田勝男ヘッドコーチ(64)がビールかけの中締めで「平田節」全開だ。壇上へ上がると「岡田監督と平田ヘッドの選手の頃にやっと追いついた! これからは追い越してみろ!!」と激励した。「全国の野球ファンの皆さん、おつかれ生で~す。CM待ってます」とビールを片手にあいさつ。会場は笑いに包まれた。ナインは「勝男コール」で大盛り上がり。岡田監督も笑顔で見守っていた。

◆オリックス山崎福也投手(31)は、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権について行使も含めて熟考する。明大から14年ドラフト1位で入団し、今季9年目を迎えた左腕は今年8月に国内FA権の取得条件を満たした。「まずはオリックスへの感謝の気持ちが一番強いので、そこを第一に考えて。1度の野球人生でもありますし、全部終わってから、しっかりと考えたいというのも思っています」と話した。今季はプロ初の2ケタ勝利となる11勝を挙げ、先発ローテーションの一角としてリーグ3連覇の戦力となった。経験豊富な左腕がFA権を行使すれば、複数球団の争奪戦に発展する可能性が高い。自身を成長させてくれた球団や中嶋監督への強い感謝の思いもあり、決断が注目される。

◆阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。85年は岡田監督と現役で一緒にやらせてもらって、夕暮れの西武球場で感激を分かち合えたことは忘れられません。よくマウンドに来て声をかけてもらいました。でもあの日から本当に長かった。タイガース38年分の思いが詰まった今回の日本一は、一OBとして本当にうれしい。岡田野球のすごさは選手の力を見極めた適材適所の起用です。守備位置の固定など役割を明確にして責任を持たせ、最大限の力を引き出しました。チームが若く、投手力を中心にした守りの野球なので簡単には崩れない。ぜひ常勝時代を築いてほしい。(日刊スポーツ評論家)

◆阪神が激闘を制し、38年ぶりの日本一をつかんだ。2度目の日本一というのは、他球団に比べたら少ないが、本当にうれしいし、その前の日本一メンバーの岡田監督が優勝に導いてくれて、素直におめでとうと言いたい。リーグ優勝の時も感じたが、中野の二塁コンバートや4番大山を中心とした打線の固定。シーズン途中からの岩崎の守護神起用など岡田監督の狙いが当たった。この日本シリーズでも、シーズン同様に、終盤にもつれた展開での強さを発揮した。勝っていれば、1点差で逃げ切ることができるし、負けていれば、8、9回で逆転できる。そんな底力を1年間通して、見せてくれた。若い選手にとっては、こういう緊張感ある中で、打ったり、守ったり、ミスしたり、そんな経験は今後のさらなる成長につながるだろう。選手はもっとうまくなるし、チームも強くなっていく。来年が楽しみだし、連覇も十分に期待できる。(日刊スポーツ評論家)

◆阪神がオリックスを下し対戦成績4勝3敗で1985年以来2度目の日本一に輝いた。吉田阪神で初の日本一になった38年前の守備走塁コーチで、日刊スポーツ評論家の一枝修平氏(83)が当時を述懐した。38年前はリーグ優勝決定から日本シリーズまでそれほど日にちがなく、ナインの気持ちを高めるため「1日合宿」はどうかと吉田監督に申し上げました。同意を得て芦屋の「竹園」で合宿を行い、西武投手陣を分析し、サイン、戦法などを確認しました。この時「西武は伊東、辻のコンビでセーフティースクイズをやってくる」と言い、バースと木戸には警戒するようアドバイスしました。当時、他の球団はあまりセーフティースクイズに気付いていなかったと思います。第2戦。予備知識のあったバースが辻のこれを完璧に読んで本塁でアウトにし、西武の攻撃の流れを止めます。シリーズで3戦連発と打ちまくったバースですが、大きな守備でした。チームはシーズン後半から池田親興、ゲイルの調子が上がっていて心強かった。一方、西武はエース郭泰源の故障で台所事情は苦しかったと思います。第1戦で左の主力、バース、掛布、指名打者の長崎に対してアンダースローの高橋直樹では楽な戦いになりました。郭泰源が故障のため、抑えの東尾の出番も自然と少なくなりましたね。第4戦で9回にリリーフした福間が西武の左キラー西岡に本塁打を打たれて敗れ、第5戦は池田の調子がいまひとつで4回途中から再び福間がリリーフします。敬遠で1死満塁となって、西武は前日に福間から本塁打を打っていた西岡を代打に。みんな覚悟したと思いましたが、福間は粘ってアウトコースに落ちるシュートを打たせてショートゴロ。ダブルプレーでこの試合に勝ったのは大きかったです。日本一を決めた第6戦は1回表に指名打者の長崎がライナーで右翼スタンドへ満塁ホームラン。強烈なアゲンストの風で最後はスタンドに刺さるのではなくポトンと落ちる感じだったのを覚えています。この年のチームは山本和行と中西清起の2枚ストッパーでしたが、9月の中日戦の試合前練習中に山本がアキレス腱(けん)を断裂。これによって抑えは中西一本になりましたが、日本シリーズ3勝2敗で西武球場に向かうとき、吉田監督は胴上げとビールかけに参加させるため山本を帯同させましたね。西武球場で優勝して、チームはその足で立川競輪場でビールかけ。宿舎に帰ると各人が都内へ出かけ、結局宿舎に残ったのは広報の本間と僕だけで...。新幹線で新大阪に着いた時は警備員がおらずもみくちゃになり、バスに乗り込むまで大変だったのを覚えています。38年前は大人のチームで、選手の気持ちは川藤が把握してまとまっていました。今のチームは若くて実力があります。85年のように1年で終わるようなことはないでしょう。ドラフトも即戦力でなくても育成時間が十分取れ、戦力に育って1軍に上がってくるでしょう。岡田監督がやる限り「阪神王国」が続くと思います。(日刊スポーツ評論家)

◆オリオールズからFAとなった藤浪晋太郎投手(29)が5日、昨季まで10年間所属した古巣阪神の38年ぶり日本一を喜び、日刊スポーツに祝福コメントを寄せた。藤浪 皆さん、あの...今日は成績(日本一)にちなんだ暴れ方をしてくださいね。強いね。おーん。強い。そんなもんお前、こんなもん見たら黄金時代の到来やんか。はっきり言うて。軽口もほどほどに、シーズン中からCS、日本シリーズとさらにチームが成長したんじゃないかなと感じました。去年までともにプレーしていた仲間がこれほどまでにたくましいのかと、外から拝見して感じておりました。一タイガースファンとして見ていても、今季の強さを象徴する、本気で黄金時代の到来を予感させる日本シリーズだったのではないでしょうか。早くも来年以降が楽しみでなりません(笑い)。皆様、本当におめでとうございます!(MLB投手)

◆前夜にベンチでうなだれていた阪神村上頌樹投手(25)が、晴れやかな顔で日本一を喜んだ。第6戦に先発して5回4失点で、相手エース山本に投げ負けていた。悔しさは忘れるはずもないが、最後は笑えた。「応援するだけだった。ヤギさん(青柳)は気持ちが入っていて今季一番の投球だったと思います」智弁学園(奈良)時代の16年にセンバツを制した。同世代は猛者だらけだった。「寺島(元ヤクルト)、藤平(楽天)、今井達也(西武)、高橋昂也(広島)、堀瑞輝(日本ハム)、藤嶋(中日)、早川(楽天)...。兵庫県だけでも才木(阪神)とか平内(巨人)。大阪にも高山(元日本ハム)、寺島の2番手だった投手もすごかった」。そのトップランナーだった村上は、プロで2年間芽が出なかった。逆に「高校時代は知らなかった」という山本が球界のエースに。交わることのなかった2人が熱くした日本シリーズ。「僕と山本は全然違う、全部足りない」。彗星(すいせい)のごとく現れた右腕は、明確な目標を見つけることもできた。シリーズでは悔しさも味わったが、10勝6敗、防御率1・75で最優秀防御率のタイトルに輝き、リーグMVP候補であることには変わりない。今オフに退寮予定。来季へスライダーなど新球種の習得も視野に入れる。独り立ちし、98年世代のど真ん中をいく。【中野椋】

◆阪神近本光司外野手(28)がシリーズMVPを受賞した。日本シリーズでは3人目となる14安打、打率4割8分3厘。虎のバットマンが打ちまくり、日本一へと導いた。3年間務めた選手会長を来季から中野拓夢内野手(27)へバトンタッチし、また新たな景色を見るために歩み続ける。近本が天国の恩人に、そして愛する家族に、日本一のプレゼントを持ってきた。第7戦は4安打で、シリーズ計14安打は球団歴代単独2位。シリーズMVP受賞だ。試合終了後はセンターからゆっくり、最後に輪に加わり「あ~遠いな。俺が行った時には終わってるなと思いながら。でも、僕が一番歓声を聞いていたと思います」とかみしめた。まだ大阪ガスでプレーし、サラリーマンとして勤務していた社会人時代。後悔していないと言えば、うそになるかもしれない決断がある。「お金はためてたけど、欲しいものは買えなかったなあ...」18年3月に中学時代の同級生である未夢(みゆ)夫人と結婚。関学大時代から「使うことがなかったから」と貯蓄に励んでいたが、理想の「指輪」には手が出なかった。当時は1人の男としての葛藤もゼロではなかったはずだが、思いを込めた一世一代のプロポーズで最愛の人を射止めた。お金じゃない。自らが「価値がある」とほれ込めば関係ない。指輪もそう。戦闘用具のバットもそうだ。昨年11月19日、大学時代から愛用するバットメーカー「ヤナセ社」の社長・柳瀬隆臣さんが72歳で亡くなった。同社の北村裕さんが「社長連れてくるわ!」と遺影を手にしてきたのは10月28日の第1戦のこと。試合前にプロで2人しかアドバイザリー契約を結んでいないオリックス福田とともに、記念写真に収まった。アマチュアの選手に使いやすいバットを、と強く考えていた亡き社長だが、2人の「ヤナセ愛」に負け契約に至った過去がある。近本も「そんな何本もないよ、(自分に合う)バットなんて」と唯一無二の相性を感じている相棒。22年暮れには千葉の社長宅で合掌し覚悟を決めた。そこから、日本一への道のりは始まっていた。来季から選手会長のバトンを中野に託す。少し休んで、これからも研さんを積んでいく。また新たな景色を見るために。【中野椋】

◆みなさんのおかげで1年間投げ抜くことができました!レギュラーシーズンで10勝、防御率1・75でMVP級の活躍を見せた阪神村上頌樹投手(25)は、最強先発陣の仲間に支えられてきました。先発ローテーションを担った6人の相関図とともに、大ブレークした右腕の感謝の言葉をお届けします。【取材・構成=中野椋】青柳 ヤギさんに自主トレに誘っていただいて、そのおかげでここまで来ることができました。技術的にもメンタル的にも一番お世話になりました。僕なりに悩んでいる時、一番最初に話を聞くことが多かったので、感謝しています。伊藤将 将司さんは兄貴的な存在。なんやかんや僕の試合を見てくれてますし、ふざけ合いながらでも刺激し合ってきました。追い越せの思いでやってきました。才木 才木は一番のライバル。去年1軍で投げてるのを「いいなあ」と思いながら見てました。同い年ですし、負けたくない思いは一番強いです。西勇 西さんからアドバイスをもらって調整法が変わりました。キャッチボールを全て全力で投げていた僕に「軽くした方がいいんじゃない?」と言っていただいて。あの言葉がなかったら、1年間もたなかったかもしれません。大竹 去年、ウエスタン・リーグで投げ合っている時から、大竹さんが先発したら点は取れないと思っていました。今季は大竹さんの勝利数をずっと追いかけていました。目標となる人が目の前にいてくれたのは大きかったです。

◆歴史の扉を開いた。阪神タイガースが1985年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。阪神では08年以来の指揮を執った岡田彰布監督(65)が卓越したチームマネジメント力、采配力を発揮。チームを18年ぶりリーグ優勝から一気に日本一まで導いた。タイガースの長い歴史でも選手で日本一、監督で日本一を初めて達成。来季が2年契約の最終年だが、就任を後押しした阪急阪神ホールディングス(HD)角和夫会長(74)は長期政権の可能性も口にした。最高の笑顔で岡田監督が高々と5回舞った。タイガースにとって38年ぶりの日本一。あれから長い時間が経過していた。「27歳だったんですけどね前回。長かったですね。選手でも日本一を達成できて監督で日本一達成できて本当に幸せ」。65歳の指揮官はこの瞬間をかみしめるようにニコリと笑った。勝負勘がさえ渡った。運命を握る第7戦先発を託したのは今季苦しんだ開幕投手の青柳だった。大一番を前に監督室に呼んで思いを伝えた。「最初と最後は青柳で締めるということ。青柳らしいピッチングをしてくれた」。6回からは中4日で伊藤将を3回行かせる総力戦でオリックスを寄せ付けなかった。日本シリーズでは岡田マジックを連発した。第1戦での佐藤輝の二盗、移動日に不振の森下にマスコミを通じて猛ゲキ、第4戦では6月以来の湯浅を起用するなど、周囲をあっと言わせて短期決戦に弱いといわれた1次政権のレッテルもはがし取った。昨秋の監督就任時「勝てるチームに」と誓った。1軍は勝つ場所-。その教えはリーグ優勝が決まった後も変わらなかった。9月29日DeNA戦では「お客さんにみせられへんよ」と3打席凡退した森下を途中交代。森下はベンチで悔し泣きした。2日後の10月1日広島戦では、引退試合だった一岡と対戦し見逃し三振した島田を岡田監督は厳しく叱責(しっせき)した。「おお、怒った怒った。なんか出来レースみたいにやりよったから。(捕手の)会沢が見逃し三振した後、お尻をポーンとたたいてたからのう」もちろん島田はわざとではない。迷いながらもファウルで粘り、最後の外角高めも際どいコース。だが、引退試合は相手の事情。143試合すべて勝つため全力を尽くせ、ポストシーズンを残すチーム全体への猛ゲキだった。85年、選手として日本一になった。シーズンでは自己最多35本塁打も日本シリーズは打率2割2分7厘、0打点、0本塁打。それでも6戦フル出場し、緊張感、高揚感、日本一の喜びを味わった。オリックスは自身が指揮を執っていた因縁の相手だ。監督3年目の12年9月25日に「紙切れ1枚で」シーズン中に解任された。ポロシャツ姿で球場入りし、突然の通告だった。その夜、兵庫・西宮市内の行きつけの居酒屋「KENPEI」で、岡田監督は明け方近くまで悔しさを募らせていた。それから11年後の今季、リーグ優勝数日後に訪れ、白壁に大きく「優勝」とサインを書いた。その表情はとびきりの笑顔だったという。とにかく負けず嫌い。早大時代から、ここぞの場面では必ずといっていいほど打った。ゴルフでもマージャンでも競馬でも。愛するタイガースを指揮するならなおさらだ。口下手で照れ屋な指揮官が「何とか達成できたんでね。アレのアレを。ファンのみなさんの声援のおかげ」とお立ち台で虎党に感謝した。指揮官復帰を後押しした阪急阪神HD角会長は「2年勝ったら(監督交代は)微妙ですよね」とニヤリ。来季2年契約2年目の最終年だが、球団史上初の2連覇を達成すれば、ひょっとして...。12球団最年長監督による長期政権だってあり得る。【石橋隆雄】

◆【日刊スポーツ西日本写真映像チームのとっておき映像プレイバック】日本シリーズで阪神が38年ぶり2度目の日本一を獲得。ノイジーの先制3ランで波に乗り、森下翔太や青柳晃洋の活躍で、岡田監督のアレが遂に目標達成です。

◆阪神が85年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。最高殊勲選手賞(MVP)には阪神近本が選ばれ、賞金700万円を贈られた。近本は29打数14安打、打率4割8分3厘で、両チームトップ。この日は4安打を放つなど、シリーズ7戦のうち3試合で3安打以上を記録した。優秀選手には森下、ノイジーとオリックス山本。敢闘選手賞はオリックス紅林が受賞した。

◆阪神近本光司外野手(28)が29打数14安打、打率4割8分3厘で日本シリーズMVPを受賞し、日本シリーズ・ニッカンMVP査定でもMVPに輝いた。日本シリーズ・ニッカンMVP査定 近本が阪神打線に勢いをつけた。近本はシリーズ最多タイとなる3度の猛打賞で14安打を量産。V決定試合の4安打など、勝った4試合で全てマルチ安打をマークした。

◆虎のドラ1ルーキーが、38年ぶりの日本一に貢献した。阪神森下翔太外野手(23)が、新人の日本シリーズ歴代最多打点となる通算7打点をマーク。3点リードの5回2死一、三塁から左翼線に適時二塁打を放って貴重な4点目を挙げると、9回にも中前適時打。3安打2打点の活躍で、歓喜の輪に飛び込んだ。森下が新人のシリーズ歴代最多打点新記録の7打点で「日本一」に貢献した。3点リードの5回2死一、三塁。左翼への適時二塁打で、新人では巨人原辰徳らに並ぶ史上5人目のシリーズ最多6打点。さらに6点リードの9回1死二塁で、東の外角152キロ直球をとらえ、中前にダメ押し適時打。猛打賞で記録を塗り替えた。「呼吸するのを忘れるような息をのむような試合ばかりで、体的にも精神的にもだいぶきつかったけど、最後はこうやって報われた。本当に日本一を取れてうれしいです」第5戦の8回、千金の逆転打で日本一王手に導いた。でも1人でここまでの活躍ができたとは思っていない。9月29日DeNA戦。1点ビハインドの5回無死満塁でワンバウンドしたチェンジアップに空振り三振し、ベンチで大粒の涙をこぼした。真っ先に声をかけたのは佐藤輝だった。「切り替えて。そんな打てない時もあるから。気にしないでいい」その言葉で引きずることなく、次に向かうことができた。佐藤輝はドラ1の後輩を以前から「全部全力で、頑張り屋さんなので」と気にかけていた。森下は翌日の広島戦は代打で安打。「自分の姿を見て慰めてもらった。ああいうときに声をかけられて本当に気が楽になった。ありがたかったですね」と感謝は尽きない。シリーズのMVPは近本に譲ったが、3番打者として負けない活躍で日本一に貢献した。「この1年間、先輩方のおかげでやりやすい環境で野球ができた。指導者も含め、環境に恵まれていると本当に感じました」。そしてガラガラにかれた声で言った。「まだまだここからからしたい」。人生最高の日を最強の仲間と飲み明かす。【三宅ひとみ】ルーキー森下が適時安打2本を含む3安打を放ち、今シリーズ両チーム最多の7打点。シリーズで新人の7打点は62年岩下(東映)81年原(巨人)82年上川(中日)10年清田(ロッテ)の6打点を抜く新記録。新人のシリーズ打点王は62年岩下、81年原に次いで3人目だ。また、新人の猛打賞は88年<5>戦音(中日)以来7人目となり、阪神の新人では62年<2>戦藤井に次いで2人目。森下翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、横浜市出身。東海大相模では1年夏からベンチ入り。甲子園は3年春4強。高校通算57本塁打。中大ではDeNA牧の2学年後輩になり、1、4年時に大学日本代表に選ばれた。22年ドラフト1位で阪神入団。182センチ、90キロ。右投げ右打ち、今季推定年俸1600万円。

◆阪神38年ぶりの日本一から一夜が明けた。今こそ読みたい、日本一決定直後の選手のコメントをまとめてみました。大山悠輔(全試合4番スタメンでV)「勝つことなんで、もう本当に勝ってよかったですし。1年間の集大成、勝ちで。チーム一丸となって戦えてよかったです」村上頌樹(第1戦と第6戦に先発)「応援するだけだったので、ヤギさん(青柳)をはじめ皆さんを信じて見ていました。ヤギさんは、気持ちが入っていて、今シーズン一番の投球だったかなと思いました」佐藤輝明(第7戦は7番でスタメン)「こうやって最後、みんなで胴上げできたのでよかったです。本当に日に日に声援が大きくなっていて、本当になんていうんですかね。声も戦力になることを改めて感じました。個人的にはまだまだなので来年以降頑張りたいなと思います!」伊藤将司(第7戦でリリーフ登板)「最後、やっぱりチーム一丸となって、いつでも投げる準備をしてたんで、そこで投げる機会が来たので、なんとかつなげられることができました」近本光司(MVP受賞)「あんまり覚えてないけど、1戦1戦全力で戦ったと思うし、出し切ったと思うので結果的に勝てて良かったです。(センターからゆっくりと歓喜の輪に加わり)あ~遠いな、俺が行った時には終わってるやろから、ちょっと無理やなと思いながら、でも、僕が一番歓声を聞いていたと思います」ノイジー(大一番で先制の3ラン)「今年1年、このためにプレーしてきた。すごくうれしいし、ここにいるこの機会を得られて本当にうれしい。(記念球をキャッチし)チカモトの方を見たら何も言っていなかったので、僕がそれを捕ると言って。捕った後にポケットの中に入れたよ」森下翔太(ルーキー史上最多のシリーズ7打点)「開幕からスタメンを任されていたので、ファームに落ちた時もありましたけど、ルーキーとは自分では思わず、チームの勝利のためにやってきたので、最終的に、ほんとに日本一取れてうれしいです。息をのむような試合ばかりで、体的にも精神的にもだいぶきつかったですけど、ほんとに最後はこうやって報われた形になったんで、やってて良かったなって思いました」青柳晃洋(大一番で先発し5回途中無失点の好投)「昨日はやっぱり重圧の方が多かったですけど、始まってみたら素晴らしいファンの声援があったので、後押しされるようにいいピッチングができたかなと思います。練習前に監督室に呼ばれて『やるだけだから』と言われたんで。『開幕青柳で始まったんだから、最後いいところで最後も終われるように、楽しんで攻めるところ攻めてしっかりやれ』っていうことは言われました」岩崎優(リーグ優勝時に続く胴上げ投手に)「誰でも立てるところじゃないので。最後勝ったチームの、最後投げてたピッチャーだけで。光栄ですし、チームメート、首脳陣、みんなに感謝です。(横田さんと)一緒にいる感じ、ただそれだけです」島本浩也(この日も火消しに成功)「ずっと準備していたんですけど、シーズン後半のようなピンチでしっかりと登板できて、抑えられて、やってきて良かった。抑えられたことはでかい」糸原健斗(代打やDHでシリーズ活躍)「いやー、最後勝ててよかった。1年間しっかり準備してきて、チームに貢献できた。いい景色が見られた。今から2試合目(ビールかけ)行ってきます」木浪聖也(不動遊撃で貢献)「良かったですね、ほっとしました。まずはチームが勝つことしか考えていなかった。それができてよかったです。チームとしてしっかり活躍できて、最高の形で終えたので最高の1年になったと思います」梅野隆太郎(最後2試合はベンチ入り)「この2日間、ベンチに入れてもらったことにまずは素直に感謝しているし、本当にありがたい話。普通なら考えられなかったんですけど、監督の思いというのは感じて、ベンチでやれることをやろうと。最後も出られるチャンスというか代走のチャンスがあった。なんとかね、こういう思いというのはうれしかったですし、あとはチームが最高な景色をね。感謝するというところしかない」湯浅京己(日本シリーズで劇的復活)「最後、少しでも力になれたのかなと思う。シーズン中、本当に迷惑もかけましたし、全然力になれなかったので。少しは良かったんじゃないかなと思います」桐敷拓馬(9回に登板し2アウト奪う)「まさか、自分が(9回)とは思わなかった。とりあえず、1つずつと思っていた。頭は自分がいって、2アウトからはザキさん(岩崎)っていう感じで。ちょっと緊張したけど、思いっきりやってやろうと。経験したことないような体験で、点差はあったけど、そこを投げさせてもらった監督に感謝したいです。この経験を来年以降につなげていきたい」中野拓夢(2番として全試合フル出場)「世界一になって、最後はやっぱり日本一だけだと思うので、そこは取りたいと思っていました。これだけいい思いをできたというのは、自分の野球人生の中でもいい財産にもなると思う。まずはしっかりと体を休めて、リフレッシュをしてしっかり来年に向けて頑張りたいと思います」坂本誠志郎(シリーズ全試合スタメンマスクで貢献)「うれしいですね、はい。第7戦までいきましたけど、みんなで頑張って勝ち切れたのでよかったです。(リーグV時には10月まで強く)11月まで計算していなかったので...。11月も強かったのでよかったですね」

◆阪神シェルドン・ノイジー外野手(28)が6日、大阪・伊丹空港から米国に向けて帰国の途についた。来日1年目の助っ人は133試合に出場し打率2割4分0厘、56打点、9本塁打。日本シリーズでは第7戦に日本一を決定づける先制の決勝3ランを放ち、森下翔太外野手(23)とともに優秀選手賞に選ばれた。出国前に取材に応じ、「本当にうれしい気持ち。タイガースファン、チームに支えられた。通訳だけじゃなく、スタッフのみんなが招き入れてくれた」と周囲に感謝した。試合後の共同会見では、第7戦でつかんだウイニングボールを持ち帰りたいと発言したが、「ビールかけで祝った後にスタッフを通じて渡した」と明かした。来季の去就は流動的な状況で、連覇への意欲を問われ「もちろん、その気持ちはあります」と言い残し、機上の人となった。

◆阪神・青柳晃洋投手(29)が先発に備えてキャッチボールやショートダッシュなどで調整した。午後4時ごろからストレッチやラインニングで体を温めると、同25分ごろからキャッチボール。最後はショートダッシュで汗を流して最終調整を終えた。練習を終えてベンチへ下がる右腕にスタンドから「青柳頑張れ!」という声があがると、右手を挙げてエールに応えた。青柳は今季、自身初の開幕投手を務めたが、不振のため5月に2軍に降格。約1カ月半の再調整を経て夏場に1軍に復帰し、最終的には8勝(6敗)をマークするも防御率4・57と不完全燃焼でシーズンは幕を閉じた。最終決戦で捲土重来を期す右腕は第6戦の試合後に「勝つことしか考えていない。どんな結果になろうと最後の試合だと思うので。1年間の集大成じゃないですけど、やり切れたら」と話していた。勝ったチームが日本一となる第7戦は午後6時半プレーボールだ。

◆3勝3敗で迎える天王山の一戦を前に、阪神・岡田彰布監督(65)がグラウンド入りした。午後2時40分ごろに球場に到着すると、同4時32分にグラウンドに姿を現した。球場を訪れていた工藤公康氏(60)と約5分間談笑。阪神が前回日本一に輝いた1985年、西武に所属していた工藤氏は第3戦での先発を含め、3度登板していた。同じく球場を訪れた梨田昌孝氏(70)とも会話を交わすなど、リラックスした雰囲気で頂上決戦に臨む。

◆阪神・森下翔太外野手(23)が試合前にフリー打撃練習を行い、16スイングで1本の柵越えを放ち、試合に備えた。虎のドライチルーキーは第6戦でオリックス・山本の前に4打数無安打3三振と快音を響かせることができず。試合後には「打てなかったことは切り替えて、明日の宮城に照準を合わせたい。あと1試合しかないので、最後は勝ちきって、日本一になって終わりたい」と挽回を誓っていた。甲子園で行われた第3戦から5戦までは3試合連続打点を記録。第2戦で4打数無安打と封じられた難敵から快音を響かせることができるか、注目だ。

◆阪神・佐藤輝明内野手(24)が試合前練習に参加し、打撃練習で快音を連発した。虎の大砲は22スイングで8本の柵越え。15スイング目からは5連発で、試合を待ち望む阪神ファンが沸き上がった。最後の22スイング目も柵越えで締め、最終決戦へ向けて万全の仕上がりをみせた。今シリーズでは6試合で23打数4安打で打率・174と苦しんでいるが、試合を決める一打で1985年以来38年ぶりの日本一を手繰り寄せる。

◆両軍のオーダーが発表された。阪神・原口文仁内野手(31)が「6番・DH」で今シリーズ初めて先発出場する。レギュラーシーズンでも主に代打の出場でスタメン出場はなかった。第2戦で6回零封に封じ込まれた難敵左腕・宮城の対策と見られ、右打者の原口が抜擢された。また、佐藤輝明内野手(24)が2021年のレギュラーシーズン最終戦以来となる7番に座った。先発は青柳晃洋投手(29)。広島とのCSファイナルステージでの出番はなく、みやざきフェニックス・リーグで登板しながら調整してきた右腕が運命の第7戦のマウンドに上がる。

◆3勝3敗で迎えた今季の最終決戦。オリックスの先発・宮城大弥投手(22)がチームの命運を握る。第2戦では、6回4安打無失点と虎を圧倒した。打線では、第6戦で本塁打を放った紅林弘太朗内野手(22)、日本シリーズで2本塁打を放っている頓宮裕真捕手(26)が名を連ね、全員で2年連続日本一を目指す。

◆阪神・青柳晃洋投手(29)は順調な立ち上がり。一回1死で宗に右前打を許し、走者を背負ったが、冷静だった。紅林を内角のスライダーで見逃し三振に斬り、4番・森もスライダーで一ゴロに仕留めた。

◆阪神は四回、シェルドン・ノイジー外野手(28)の3ランで先制した。先発・宮城から森下が左前打、大山が死球で一、二塁のチャンスを作り、4球目のチェンジアップをすくい上げると、京セラドームの半分を埋めた虎党が総立ちした。打球は左翼スタンドへ一直線。第6戦に続く2試合連続本塁打で、負けられない一戦を動かした。

◆阪神・森下翔太外野手(23)が四回に安打を放った。一回1死二塁の第1打席ではカウント1-2から低めのフォークをハーフスイング。これを球審にスイングとジャッジされて三振に。不服そうにベンチへ戻った。四回1死で第2打席では追い込まれながらもインコースの148キロストレートに反応して左前へ。6打席ぶりの安打でノイジーの先制3ランにつなげた。

◆阪神のシェルドン・ノイジー外野手(28)が四回、1死一、二塁の場面で左翼席へ2戦連発となる3ランを放った。4日の第6戦でも先制弾を放っており、1985年(対西武)のバース(第1、2、3戦)以来、38年ぶり2人目の虎助っ人による日本シリーズでの本塁打を記録。レギュラーシーズンでは打率・240、9本塁打と決して期待通りの成績を残したわけではないが、SNSの虎党からは「ノイジーMVP級や」「残留!残留!残留」といった声が上がったほか、「ついに本物のバースの再来現る」と虎党がずっと求めていたバースの再来がついに見つかったと喚起するファンもいた。

◆阪神のシェルドン・ノイジー外野手(28)が四回1死一、二塁の場面で左翼席へ2戦連発となる先制の3ラン本塁打を放った。前日4日の第6戦で山本から先制弾を放ち、1985年(対西武)のバース(第1、2、3戦)以来、38年ぶり2人目の虎助っ人による日本シリーズでの本塁打を記録。そして第7戦では宮城からと、パ・リーグを代表する投手から連夜のアーチにSNSでは阪神ファン以外も反応した。巨人ファンとみられるアカウントからは「ボウカーを思い出した」「2012年のボウカーのようだ」「あれは...ボウカー!?」とかつて巨人に所属したジョン・ボウカーになぞらえる声が上がった。ボウカーは来日1年目の2012年のレギュラーシーズンで打率・196、3本塁打と期待外れの成績だったが、ポストシーズンで大活躍。日本シリーズでは2本塁打7打点で優秀選手に選ばれ、再契約を勝ち取った。ノイジーもレギュラーシーズンでは打率・240、9本塁打と決して期待通りの成績を残したわけではなく、SNSでは「令和のボウカーや」といった声が上がっていた。

◆阪神が38年ぶりの日本一に王手をかけて臨む5日の日本シリーズ第7戦(京セラドーム大阪)にあわせて、本拠地・甲子園球場でパブリックビューイングが開催された。当日の午前10時から無料の座席指定券がローソンチケットで配布されたが、約10分で終了した。球団マスコット、トラッキーは京セラに出張しているため、留守を預かるラッキーとキー太がグラウンドに登場。球団OBの今成亮太氏(36)がゲストとして訪れ「京セラドームに応援を届けましょう」と盛り上げた。四回、ノイジーの先制3ランが飛び出すと、1万人以上とみられる観客は総立ち。メガホンを打ち鳴らし、大歓声で甲子園の銀傘が揺れた。入場は阪神ファンに限定されており、本拠地は虎一色に染まった。

◆阪神・森下翔太外野手(23)が五回に左前適時打を放ち、日本シリーズの新人最多打点記録に並んだ。3-0の五回、1死から坂本が中前打を放つと、近本が中前打で続いて一、二塁。中野は遊ゴロに倒れ、一度は併殺の判定となったが岡田監督がリプレー検証を要求し、中野はセーフの判定となった。2死一、三塁で森下が打席へ。オリックスは先発の宮城から2番手・比嘉へとスイッチする。フルカウントから8球目、比嘉の137キロフォークに食らいついた。三遊間を鋭く抜ける一打に一塁へ走りながらガッツポーズ。日本シリーズ6打点とし、1981年の原辰徳(巨人)、1982年の上川誠二(中日)、2010年の清田育宏(ロッテ)と並んで日本シリーズの新人最多打点をマークした。阪神打線はさらに2死二、三塁で大山が遊撃へ適時内野安打、さらに2死一、三塁から先制3ランを放ったノイジーが中前打を放ち、6ー0と大きくリードを広げた。森下は「打ったのはツーシームかな。昨日、チャンスの場面で打てていませんでしたし、その分もやり返すという強い気持ちを持って打席に立ちました。追い込まれていましたが、いいスイングができました」とコメントした。

◆先発の阪神・青柳晃洋投手(29)が4回2/3を投げて4安打無失点と力投した。三回に福田の右前打と宗への四球で2死一、二塁と初めて得点圏に走者を背負ったが、紅林を一ゴロに封じて乗り切った。6―0の五回には1死から野口、福田の左打者に2者連続で安打を許すも、中川を左飛に打ち取った。この日、1安打1四球の宗を迎えたところでベンチが動き、青柳に代えて2番手・島本にスイッチ。青柳は五回途中失点でお役御免となり、充実の表情を浮かべてマウンドを降りた。島本は宗を左飛に打ち取り、危機を脱した。

◆オリックスは6点ビハインドの七回に宇田川優希投手(24)、八回に山崎颯一郎投手(25)が登板した。宇田川は三者凡退に抑え、山崎颯も1安打は許したが後続を断ち、ともに1イニングをゼロに封じた。2日の第5戦(甲子園)では2点リードの八回に登板した山崎楓が3安打3失点。後を受けた宇田川も2安打2失点と救援失敗し、逆転を喫していた。山崎楓は「とても悔しい。次はやります」、宇田川は「もう後がないんで、1試合1試合気を抜かずにやり返したい」と雪辱を誓っていた。劣勢のなかでのリリーフとなったが、それぞれ自分の役目を果たした。

◆阪神・伊藤将司投手(27)が6-0の六回に3番手としてマウンドに上がった。伊藤将は10月31日の第3戦(甲子園)に先発も5回5安打4失点で敗戦投手になって以来、中4日でブルペン待機し登板。2021年以来の救援登板にも不安を感じさせることなく先頭の紅林を空振り三振に斬ると、続く森は1球で一ゴロ。2死から第3戦で同点弾を浴びた頓宮と対戦すると、フルカウントから6球目、143キロ直球で押し込み中飛に仕留めた。リベンジを果たした左腕は七回のマウンドも託され、ゴンザレスを135キロツーシームで3球三振。杉本は捕邪飛に仕留め、野口は三ゴロ。八回もマウンドに上がり、先頭の福田に中前打を許すも落ち着いて中川圭を投ゴロ併殺。最後は宗を二ゴロに打ち取り、3回無失点の好リリーフで九回は桐敷にバトンをつないだ。

◆阪神・森下翔太外野手(23)が6-0の九回に中前適時打を放ってシリーズ通算7打点目を記録し、日本シリーズの新人記録を塗り替えた。九回、先頭の近本がこの日4安打目となる一塁内野安打を放って出塁すると、1死二塁となって背番号1が打席に立つ。6番手・東の3球目の152キロ直球を中前へ。この日3本目となる安打で近本が生還し、新人新記録となるシリーズ7打点目を記録。短期決戦にめっぽう強い黄金ルーキーがダメ押しの1点をもたらし、球史に名を刻んだ。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。四回にシェルドン・ノイジー外野手(28)の2試合連続本塁打で3点を先取。五回には森下翔太外野手(23)、大山悠輔内野手(28)、ノイジーの適時打で3点を追加した。九回に適時打を放った森下はシリーズ7打点となり、新人最多記録を更新した。青柳晃洋投手(29)は4回2/3を投げ、無失点の粘投。その後、島本浩也投手(30)とつなぎ、六回から伊藤将司投手(28)が3回無失点。九回は桐敷拓馬投手(24)、2死後に岩崎優投手(32)が登板し、胴上げ投手となった。

◆オリックスは阪神に敗れ、3勝4敗で2年連続の日本一達成はならなかった。先発の宮城大弥投手は五回途中5失点で降板。打線は7点ビハインドで迎えた九回、「5番・一塁」で出場した頓宮裕真捕手(26)が左越えに今シリーズ3号となるとなるソロ本塁打を放った。つづくマーウィン・ゴンザレス内野手(34)が中前打で続いたが、最後は杉本裕太郎外野手(32)が左飛に倒れ、力尽きた。

◆阪神・近本光司外野手(28)が六回の右前打で、第1、4戦に続いて3安打をマーク。3安打以上を3試合で放って日本シリーズ記録に並んだ。2002年の二岡(巨人)以来、史上4人目となった。近本は九回の第5打席にも一塁内野安打を放ち、このシリーズ通算で29打数14安打で打率・483。SNSでは「この近本って選手なんでWBC呼ばれなかったんや」「WBCはヌートバーがおったんや」と日本が優勝したWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に選ばれてもおかしくなかったとの声が多く上がった。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。四回にシェルドン・ノイジー外野手(28)の2試合連続本塁打で3点を先取。五回には森下翔太外野手(23)、大山悠輔内野手(28)、ノイジーの適時打で3点を追加した。九回に適時打を放った森下はシリーズ7打点となり、新人最多記録を更新した。青柳晃洋投手(29)は4回2/3を投げ、無失点の粘投。その後、島本浩也投手(30)とつなぎ、六回から伊藤将司投手(28)が3回無失点。九回は桐敷拓馬投手(24)、2死後に岩崎優投手(32)が登板し、胴上げ投手となった。最優秀選手はシリーズ14安打を放った近本光司外野手(28)。優秀選手は阪神からノイジー、森下、オリックスは山本由伸投手(25)。敢闘選手はオリックス・紅林弘太郎内野手(21)が選ばれた。岡田彰布監督(65)は「昨日(4日)で3勝3敗になったんですけど、今日がプロ野球で最後のゲームだったんで、全国の野球ファンの人が注目していると思うんで、悔いのないゲームをしようということで、その中で、選手が役割を果たして、頑張ってくれた結果が、こういう結果になったと思うんで、本当にありがとうございました」。また1985年を振り返り、「ちょうど27歳だったんですけど、前回の日本一の時に...。長かったですね。ハイ。選手でも日本一を達成できて、監督でも日本一を達成できて、幸せだと思います」と話した。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。阪神とは〝因縁〟があるケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の公式X(旧ツイッター)はこの日、「祝日本一 ワシからもおめでとーさん」と祝福した。阪神が前回日本一に輝いた1985年、熱狂したファンらがカーネル・サンダース人形を大阪市の繁華街・ミナミの道頓堀川に投げ入れた。その後、阪神の成績が長期間落ち込んだため「カーネルの呪い」ともうわさされた。投げ込まれた後に行方不明になっていたカーネル人形は2009年に道頓堀川の工事の際に見つかり、引きあげられた。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。四回にシェルドン・ノイジー外野手(28)の2試合連続本塁打で3点を先取。五回には森下翔太外野手(23)、大山悠輔内野手(28)、ノイジーの適時打で3点を追加した。九回に適時打を放った森下はシリーズ7打点となり、新人最多記録を更新した。青柳晃洋投手(29)は4回2/3を投げ、無失点の粘投。その後、島本浩也投手(30)とつなぎ、六回から伊藤将司投手(28)が3回無失点。九回は桐敷拓馬投手(24)、2死後に岩崎優投手(32)が登板し、胴上げ投手となった。最優秀選手はシリーズ14安打を放った近本光司外野手(28)。優秀選手は阪神からノイジー、森下、オリックスは山本由伸投手(25)。敢闘選手はオリックス・紅林弘太郎内野手(21)が選ばれた。岡田彰布監督(65)の勝利監督インタビューは以下の通り(観衆=3万3405人)。ーー38年ぶり日本一に導いた岡田監督です「ありがとうございます!」ーー今の気持ちは「昨日(4日)、3勝3敗になったんですけど。今日がプロ野球で、最後のゲームになったんで。全国の野球ファンが注目していると思うので。悔いのないゲームをしようということでね。その中で本当に選手が役割を果たして、頑張ってくれた結果がね、こういう結果になったと思うんで。本当にありがとうございました!」ーー38年ぶり日本一「ちょうど27歳だったんですけどね、前回の日本一のときに。長かったですね、ハイ」(場内笑い)「僕は選手でも日本一を達成できて、また監督で日本一達成できて、本当に幸せだと思います」ーーオリックスは「オリックス強かったです。最後の最後まで、どっちに転ぶか分からないような展開で。最後はタイガースのいいところが出たんですけどね。日本シリーズとして、プロ野球の最後の締めくくりとしては、本当にいいゲームができたので、本当によかったと思います」ーー先発は青柳「最初から最後7戦目は青柳ということで。今年は3月31日に京セラで公式戦は青柳でスタートしたんですけど、最後も、監督室呼んだんですけどね。『最初と最後はね、青柳で締める』ということで。『とにかく思い切って行け』ということで。間隔空いていたんですけどね。青柳らしいピッチングをしてくれたと思いますね」ーーノイジーの本塁打「あそこでホームラン出ると思っていなかったんですけど、ね。宮城投手、この間も0点だったので。2点取ろうと、心の中で思っていたんですけど、本当に千金の3ランホームランやったですね」ーー九回は桐敷を挟んで岩崎「この1年ね、最後クローザーとして、岩崎がずっとやってくれていたんで。あんまり負担かけないように。点差もあったんですけどね、最後の一人ということで、まさかいきなり初球ホームラン打たれると思っていなかったんですけどね(笑)。ちょっと意外だったですけどね。どういう形であれね、最後は岩崎で締めるということで、予定通りの登板だったです、はい」ーー苦しいときも声援を送ってくれた素晴らしいファンへメッセージを「あの...優勝の時も言っていたんですけど、本当に今年は、3月31日のこの京セラドームでの開幕から、いつも超満員のスタンドで応援してもらいました。本当に応援ありがとうございました! 前の試合で、甲子園でも3試合あったんですけど、すごい声援、昨日、今日と最後まで京セラドームでも本当にすごい応援してもらって、選手がすごい力になったと思います。何とか達成できたんでね、このアレのアレを、本当に満足で、本当にいい形で終われて、ファンのおかげだと思うので本当にありがとうございました!」

◆阪神・近本光司外野手(28)が4安打を放って、日本一に貢献。7試合、29打数14安打(打率・483)でMVPに輝き、場内インタビューで「一戦一戦全員で戦った、いい試合だったと思います」と笑顔。「38年間、長い間本当にファンのみなさん、応援ありがとうございます」と感謝した。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。岩崎優投手(32)は今年4月に脳腫瘍のため28歳の若さで亡くなった横田慎太郎さんのユニホームを持って胴上げに参加。24番のユニホームを持ちながら3度、宙を舞った左腕にSNSのファンは「横田くんも喜んでるやろな」「うるっときた」などとコメントを寄せた。

◆中日、阪神、西武で通算1560安打を放ち、楽天初代監督を務めたサンケイスポーツ専属評論家の田尾安志氏(69)は38年ぶりの日本一に輝いた阪神・岡田彰布監督(65)の有言実行采配に賛辞を送った。岡田監督、コーチ、そして選手たち、本当におめでとう。日本一が決まった試合を評論するなら、先発した青柳の好投に尽きる。2年間エースとして君臨してきた男が屈辱のシーズンを味わったが最後の最後に意地を見せてくれた。38年前の阪神日本一のシリーズを思い出した。あの時、私は相手の西武にいた。阪神の印象は、攻撃は素晴らしかったが、投手力はやや弱いのではないか、という評価。ところが、いざ戦うとみんな好投してきた。青柳を見て1985年とダブった。昨年、解説者時代の岡田監督と対談した。彼が強く主張していたのは「今のこの戦力でも十分に優勝を狙える」だった。選手個々の力を把握し、自分が監督なら...とずっと思い描いていたのだろう。それを実践しただけなのかもしれない。岡田采配は見ている側が疑問を覚える場面がほとんどなかった。納得する野球を見せて日本一になった。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。四回にシェルドン・ノイジー外野手(28)の2試合連続本塁打で3点を先取。五回には森下翔太外野手(23)、大山悠輔内野手(28)、ノイジーの適時打で3点を追加した。九回に適時打を放った森下はシリーズ7打点となり、新人最多記録を更新した。青柳晃洋投手(29)は4回2/3を投げ、無失点の粘投。その後、島本浩也投手(30)とつなぎ、六回から伊藤将司投手(28)が3回無失点。九回は桐敷拓馬投手(24)、2死後に岩崎優投手(32)が登板し、胴上げ投手となった。最優秀選手はシリーズ14安打を放った近本光司外野手(28)。優秀選手は阪神からノイジー、森下、オリックスは山本由伸投手(25)。敢闘選手はオリックス・紅林弘太郎内野手(21)が選ばれた。主な選手のコメントは以下の通り。梅野隆太郎 「優勝が決まる時に2日間にベンチに入れてもらったことをまずは素直に感謝したい。自分の野球人生でいい方向に変えていけるように」大山悠輔 「1年間の集大成。チーム一丸となって戦えてよかったです」近本光司 「(マウンドまで)遠いな、俺が行った時には終わってるやろから、ちょっと無理やなと思いながら、でも僕が一番歓声を聞いていた思います」佐藤輝明 「個人的にはまだまだなので来年以降頑張りたいなと思います」森下翔太 「呼吸するのを忘れるような、息を飲むような試合ばかりで、体的にも精神的にもだいぶきつかったですけど、やってて良かったなって思いました」ノイジー 「(四回の本塁打は)何とか前に飛ばして得点につなげたい気持ちで立った。(感触は)アメージング!(最高)」青柳晃洋 「素晴らしいファンの声援があったので、後押しされるように、いいピッチングができたかな」村上頌樹 「良かった部分もありましたし、悪かった部分もあるので。それを生かすのは自分次第」伊藤将司 「(救援登板も)最後やっぱチーム一丸となって、いつでも投げる準備していた」岩崎優 「(故横田慎太郎さんのユニホーム手に胴上げされ)「何とも言い表せない。ホッとしてます、とりあえず。(喜んでくれている?)そう信じてます」

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。岡田彰布監督(65)は日本一が決まると、5度宙に舞った。データBOXは以下の通り。?阪神が1985年以来38年ぶり通算2度目の日本シリーズ制覇。シリーズの優勝ブランクで38年ぶりは中日の53年ぶり(54年→07年)、日本ハムの44年ぶり(62年→06年)に次いで、横浜(現DeNA、60年→98年)と並ぶ3番目の長さ。現状、日本一から最も遠ざかっている球団は広島で、84年の日本一を最後に39年間優勝がない。?4勝3敗(引き分けを含む)でシリーズを制したのは、2013年の楽天(対巨人)以来10年ぶり22度目。阪神は3勝3敗となったケースが過去に64年と03年の2度あり、ともに次戦で敗戦。初めて4勝3敗でシリーズ優勝を飾った。?66歳シーズンの岡田監督が初優勝。66歳シーズンに日本一に導いた監督は13年の楽天・星野仙一と並ぶ最年長。

◆オリックスの頓宮が九回2死から、一矢報いるソロを放った。代わったばかりの岩崎の初球を捉え、左翼席上段へ運んだ。左足薬指の骨折が完治しないまま強行出場を続け、今シリーズ3本塁打と奮闘した。悔しい敗戦にも「最後まで自分のスイングはできたと思う」と潔く話した。岡山県の実家が隣同士で幼なじみの山本は、来季から米大リーグへ挑戦することになった。「頑張ってほしい。もちろん活躍すると思う」とエールを送った。

◆38年ぶりの日本一を達成した阪神が、大阪府内の会場で歓喜のビールかけ。原口は「日本一 ハラグチ パインアメ」と書いたかぶり物をかぶって登場。ミエセスはサンタ帽をかぶって笑顔をみせた。岡田監督が「9月の14日に、予行演習は一応やったので、今日は本番のビールかけになりますけど、今日はみんなが主役。誰じゃなしにね、コーチ、選手、スタッフも、全部含めてね、今日はみんなが主役なので。成績は問いません。思い切りね、今日はプロ野球で最後の最後、ビールかけできるのも阪神タイガースだけなので、思いっきり暴れてください」と話すと、選手たちから歓声が上がった。続いて指揮官が「3月31日にスタートしてね、俺自身もまさかこの日が来るとは思ってなかった」と話すと、選手からは総ツッコミも起きた。酒だるの鏡開きに続き、選手会長・近本の「みんなおめでとう! バモス!」の号令でスタート。ナインが大はしゃぎで喜びを分かち合った。

◆阪神が38年ぶり、球団2度目の日本一に輝いた。四回にシェルドン・ノイジー外野手(28)の2試合連続本塁打で3点を先取。五回には森下翔太外野手(23)らの適時打で3点を追加。森下は九回にも適時打を放ち、シリーズ7打点で新人最多記録を更新した。青柳晃洋(29)は島本浩也(30)、伊藤将司(28)の3投手の継投で九回は桐敷拓馬投手(24)、2死後に岩崎優投手(32)が登板し、胴上げ投手となった。最高殊勲選手はシリーズ14安打の近本光司外野手(28)。優秀選手は阪神からノイジー、森下、オリックスは山本由伸投手(25)。敢闘選手はオリックス・紅林弘太郎内野手(21)が選ばれた。近本、ノイジーらと会見に出席した岡田彰布監督(65)の主な一問一答は以下の通り。ーー38年ぶり日本一の実感は「38年ていうと、まだ生まれていない選手がほとんどなんですけど。僕は入団5年目で27歳で、選手会長だったんですけど。アレは21年ぶりの優勝ですかね。21年ぶりの優勝と初めての日本一ということで。その感動は今でも忘れはしないんですけど、あれから38年経ったのかなぁっていうね」(さらに続けて)「正直なところ、オリックスは3連覇しているチームなので。ちょっと、ヤバいというか、正直相当強いというね、そういうのがあったんですけど。結果が全部最終的に今日のゲームに表れたと思いますね」ーー日本一の胴上げはリーグ優勝と違う「一回慣れていたのか、だいぶ上がっていましたね(笑)。いや本当に、全然違いましたね」ーー強いオリックス相手に7戦までもつれた「クライマックスも投げる機会がなかった青柳が7戦目でね。7戦目まで行くとは分からなかったですけどね、そういう機会が本当に来たので。今日のミーティングの後に監督室に呼んでね。最後思いっきり楽しんで、イニングとか関係なしでね、投げてくれと。そういう激励はしましたけど」ーー選手たちにどんな言葉をかけたい「まさか宮城投手からああいう展開になるとは思わなかったですね。ノイジーのホームランはね、これはびっくりしましたね(笑)」ーー球団初の選手と監督で日本一「日本一っていうか、タイガースの歴史からいくとホンマはもっとなっておかないといけないんですけど。速攻で、一番最初に電話が入っていたのは吉田監督やったですね。非常に喜んでいました」ーー日本一のウイニングボールは「どこいったかわからない(笑)。ノイジー?」ーーノイジーが捕球した「最後みんな立っているので俺のところから見えなかったんですよ。ノイジーが捕ったのか近本が捕ったのか分からなかった(笑)」ノイジー 「知っているのは、最後は自分のポケットに入っていました」(場内笑い)ーー監督に渡す予定はノイジー 「監督がもしほしかったら」(場内笑い)ーーだそうですが...「多分アメリカ帰る前に持ってくると思います(笑)」ーー阪神ファンにメッセージを「携帯とかでメールをもらったりとか、本当に楽しませてもらった、感動をありがとうと、そういう言葉が多かったので。日本の野球というかね、それに対して素晴らしいゲームができたことにね、感謝するし、たくさんの人に応援してもらったと思うんですけど、そこにも感謝したいし。今年は、これで終わりますけど、野球界盛り上げていくためにもね、またタイガース頑張っていきたいと思います」

◆38年ぶりの日本一を達成した阪神が、大阪府内の会場で歓喜のビールかけ。阪神・平田勝男ヘッドコーチ(64)が中締めした。「みなさん、縁も竹中直人ですが、日もどんぶりくれたところで、中島みゆき(中締め)させていただきます。みんなは岡田監督にやっと追いついた。2連覇してみよう」。平田節全開で喜びを爆発させた参謀は最後に「全国の野球ファンのみなさん、おつかれ生です。アサヒスーパードライさん、コマーシャル待ってます。ありがとー!」と絶好調だった。

◆守護神・岩崎は九回2死で登板。頓宮に左翼へ一発を浴びたが、最後は杉本を左飛に打ち取り、胴上げ投手となった。「(心境は)何とも言い表せない。ホッとしています」。今年7月に脳腫瘍で亡くなった元阪神の横田慎太郎さんのユニホームを持ちながら3度宙を舞った。4人の継投の末、最後のマウンドに立ち、「光栄ですし、チームメート、首脳陣、みんなに感謝です」と笑顔だった。

◆耳に届く大歓声が心地いい。中野が全速力でマウンドへと走った。最後までグラウンドに立ち続けた2023年が最高の形で報われた。「世界一、リーグ優勝、日本一を獲りたいと思っていた。一年でこれだけいい思いをできたのは野球人生の中でもいい財産になりました」3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)からフル稼働。「お祭り男になる」と誓った日本シリーズでも打率・320、5犠打と打線をつないだ。「やっぱり体的にも一番きつかったのは夏場ですね」酷暑の8月は疲労困憊(こんぱい)。重たい体を動かし、グラウンドに向かう。ただ、「そこを無理に乗り越えようとせず。『いつかは楽になる』とそこまで考えすぎず野球やってました」。うだるような暑さの中で、頭はシンプルかつスッキリと。この割り切りが功を奏した。「けがもなく、何事もなく育ててくれて本当に感謝しています」戦い抜くための土台を築いてくれた両親に感謝は尽きない。プロ入り後、母の日は洋服を、父の日はかばんをプレゼントしてきた。でも、やっぱり一番の恩返しは元気にプレーする姿を見せること。「今年だけではなく来年もずっと試合に出続けられるようにもう一回り大きくなりたい」。日本一の孝行息子は最高の笑顔で頂点に立った。(原田遼太郎)

◆森下はこの日も3安打で勝利に貢献。四回の第2打席ではノイジーの先制3ランにつながる左前打を放つと、五回2死一、三塁の第3打席では適時二塁打。九回1死二塁の第5打席には駄目押しの中前適時打。今シリーズ通算打点を「7」とし、新人選手の新記録を打ち立てた。「素直にうれしい。周りのチームの先輩方のおかげで試合に集中できたというのが、今日打てた要因かなと思います」。球団史上2度目の頂点をもたらしたルーキーが、喜びを爆発させた。

◆外野へ飛んだ白球がノイジーのグラブにおさまった瞬間、虎が38年ぶりに日本一に到達。京セラは地鳴りのような大歓声に包まれた。1試合4打点の大活躍。悲願を自らのバットでかなえた助っ人も喜びを爆発させ、歓喜の輪に加わった。「今年一年、このためにプレーしてきた。すごくうれしい。近本を見たら何も言っていなかったので、僕がそれ(ウイニングボール)を捕ると言って、捕ったあとにポケットの中に入れたよ」普段は寡黙な男が、心の底から笑った。0-0の四回1死一、二塁で宮城の内角低めのチェンジアップを捉え、左翼席へ先制3ランをかっ飛ばした。レギュラーシーズン9本塁打の助っ人は4日の第6戦(京セラ)でも本塁打を放ち、虎の外国人選手の2戦連発は1985年のバース以来。五回は中前適時打でチーム6点目をマークし、伝説の助っ人の再来のような大暴れをみせた。職人肌で、練習中も近寄りがたい雰囲気を醸し出す。ただ、陽気でナインにイジられているミエセスのことは、ちょっとうらやましかった。「俺の性格は変えられないからさ」。自らにできることは、走攻守で尽くすこと。近本とは練習後に簡単な英語で守備の確認をし、守り勝つ岡田野球を学び続けた。サインも一生懸命覚え、打てなかったら「俺が打てれば、流れが変わった」と悔しがった。大真面目なN砲のシュアな打撃と勝負強さ、外野の堅守、強肩は38年ぶりの日本一に欠かせなかった。「家族にはこの1年間、自分のことを支えてくれてありがとうと伝えたい。最高の一年になった。この最高のチームと一緒に戦えてうれしい。スタッフのみなさん、支えてくれた裏方のみなさんにも感謝します」ノイジーが「11・5」にみせた〝伝説級〟の大暴れは、阪神ファンに永遠に語り継がれる。(新里公章)

◆木浪が日本シリーズでも大暴れで貢献した。7試合で打率・400(25打数10安打)と打ちまくり、5得点。下位から好機を作る今季の虎を象徴する攻撃をみせた。守備でも7試合を通して無失策。「チームとしてしっかり活躍できて、最高の形で終えた。最高の1年になったと思います」と喜んだ。

◆ワインの輸入販売を行う株式会社CAB(本社・大阪市)が5日、日本シリーズで優勝した阪神を祝し、「阪神タイガース日本一記念ワイン A.R.E.がとう」(赤、白)を発売すると発表した。赤は5万円、白は3万円。いずれも税抜きで、シリアルナンバー入り。ペナントレース、クライマックスシリーズ優勝記念バージョンも販売され、ペナントレースバージョンは完売。詳しくは同社ホームページで。

◆表彰された(左から)阪神の大山、ノイジー、森下、近本、オリックスの山本、紅林

◆プロ野球の日本一を決める「SMBC日本シリーズ2023」は5日、京セラドームで第7戦を行い、18年ぶりにセ・リーグを制した阪神が、パ・リーグ3連覇のオリックスに7-1で勝利し、4勝3敗で38年ぶり2度目の日本一に輝いた。15年ぶりに阪神を指揮した岡田彰布監督(65)は、自身が中軸打者だった1985年以来となる歓喜へ導き、ナインの手で5度宙に舞った。しんどかった分だけ喜びも倍増だ。九回2死一塁。ノイジーがウイニングボールをつかんだ瞬間、岡田監督は笑顔でコーチ陣らに握手を求めた。空白の1万3882日をへて、38年ぶり2度目の日本一。「岡田コール」を受けて、白い歯を見せながら5度、宙に舞った。「何とか達成できたんでね、アレのアレを。今年一年を、本当にいい形で終われて、これは本当にファンのおかげだと思うので本当にありがとうございました!」「2023ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされた「アレ」を発すると球場は爆笑の渦。日本一への思いは並々ならぬものだったから喜びも格別だ。2005年、ロッテとの日本シリーズで対戦成績0勝4敗、3試合連続2桁失点と歴史的惨敗を喫すると、球団事務所の電話が鳴りっぱなしになった。「あっという間に終わった感じやったな。終わってからいろいろ言われたわ」。誹謗中傷のような声が、おびただしい数となって岡田監督に降りかかった。さまざまなイベントで巨人軍関係者と会うたび「阪神は何回、日本一になっているんですか?」と話を向けられた。かたや日本一22回の球界の盟主、こなた-。「伝統の一戦とかライバルというけど、違うやんか。阪神は1回だけやんか、日本一は。なのにいつも甲子園は満員でもうかる。選手もフロントも現状に甘えちゃいかん」。2008年に歴史的V逸の責を負って辞任。以降も、歯がゆい思いでバックネット裏からタテジマを見つめた。そして今季、15年ぶりに阪神監督に復帰すると、2位広島に11・5ゲーム差をつけて18年ぶりのリーグ制覇。たどり着いた日本シリーズは、野球人生の集大成とも言える戦いだった。59年ぶりの「関西ダービー」は全試合、自宅から通える利点はあったが、悲願まであと一歩に迫った重圧は、智将の体力を日に日に奪っていった。第3戦を終えて1勝2敗と黒星が先行。食欲も減退し、昼も「もう、にゅう麺でいいわ」と、消化の良いものを口にする程度。シーズン中は帰宅後の恒例だったビールと枝豆のセットも喉を通る気がせず、夜食を食べることもなくなっていた。それでも〝じいじ〟は踏ん張った。ランディ・バース、掛布雅之とともに中軸を形成し、吉田義男監督のもとで初の日本一となったのが1985年。当時生後3カ月だった長男・陽集(ようしゅう)さんは、家族を連れ海外勤務に赴くほどに成長した。日本シリーズ開幕の10月28日が、一家がインドネシア・ジャカルタへ向け出国する日だった。前日27日にはテレビ電話越しに小学1、3年生の孫2人から「あした行ってきま~す!」と報告を受けていた。国境も時差も越えて、日本一になる姿を見せたかった。「(85年は)ちょうど27歳だった。前回の日本一のときに。長かったですね。選手がね、みんな役割を果たして、頑張ってくれて、こういう結果になったと思う。僕は選手でも日本一を達成できて、監督でもね。本当に日本一を達成できて、幸せだと思います」選手にも孫を見つめるような視点で接した。理論と経験に裏打ちされた慧眼で、チームをひとつにして、念願だった日本一の監督となった。(三木建次)

◆京セラで青柳が投じた第1球から始まった2023年。そこから153試合目。泣こうが笑おうが最後となる一戦を託され、きっちりと仕事をこなし、開幕投手の意地を見せた。「こんなに素晴らしい一年を送った(村上)頌樹にこういう(悔しい)顔で終わらせるのは嫌だった。そこで本当に気持ちが入ったというのは一番ある」第6戦で好投できなかった村上とはトレーナー室で出会い、悔しさにまみれた表情を見て〝敵討ち〟を誓った。速球中心で堂々と立ち向かい、ピンチを迎えても強気に勝負。4回?を4安打無失点とゲームメークし、勝利への道筋を作った。「振り返ったら悔しかったり嫌なことが多かったけど、日本一になったり最後にこうやってマウンドに上がらせてもらったというのは、すごくいい経験になった」。最後の最後に、最高の笑顔が弾けた。(須藤佳裕)

◆あの決断が、岡田監督の采配の集大成だった。6-0の五回2死一、二塁。左打者の宗に対し、迷わず青柳から左腕の島本にスイッチ(結果は左飛)。得点差も、個人の勝利投手の権利も、当然ながら関係ナシ。1点、2点でも取られると、流れが変わる。ここぞの場面で、石橋をたたいて渡る。そのキレ味に、やられたよ。とにかく采配と起用が光る、顕著なシーズンだった。先発に村上と大竹を登用。打線では森下を使い続けた。フレッシュな顔ぶれに加え、監督の意図に応える従来のメンバーで、オーダーを固定。投打のバランスで、他チームを圧倒した。春季キャンプからエモトが、阪神と巨人を行き来して「優勝争いを」と、あおったかいがあった。それでいて阪神を2位と予想したのは、あまり無理しなさんな...との親心。わかるよね。もちろん、オリックスのリーグ3連覇も立派。山本というエースの存在がいかに大きいか、改めて球界に示し、戦国の様相のパ・リーグで新たな歴史を築いた。したがって阪神も、連覇を目指すべし。それも3度目の日本一くらいでは、物足りない。巨人の日本一は22度。あと20度で並び、追い越さないと、阪神OBの肩身は狭いまま。今だけは思い切り、高めに注文させてもらおう。(サンケイスポーツ専属評論家)

◆猛虎日本一の瞬間、38年分の涙のダムが決壊して大洪水やんか~!!長かった...。ホントに長かった...。38年(虎党になって58年)その間阪神の5000試合を超える試合、その全て一球一球をスコアブックに記入して肩を落とす日々...でもそれも振り返ったら最高の人生の贈り物だったんじゃないか(負けても絶対に前を向いて生きたるわ!! を教えてくれた)と感謝や!!38年ぶりの日本一で終わりやないでェ!! いや、むしろここがスタートや!! だって、猛虎軍団はレギュラーが全て20代という若さ!! 猛虎野球王国のはじまりやー!! 王、長嶋の巨人、福本、長池、ブーマーの阪急、そして誰もがその強さにほれぼれした清原、秋山、デストラーデの西武のような野球軍団にここから阪神は必ずなるのだ!!このシリーズのMVPは近本になったけど、もちろんそれに文句はないし...。全員がMVPなんだけど、それでも、俺の考えるMVPはこの大一番で、4回2/3を無失点におさえて最後の最後に虎のエースのプライドを見せた青柳や!! 最後に岡田彰布監督、あんたは男や!!

◆阪神・岡田彰布監督(65)の夫人、陽子さんが38年ぶりの日本一を祝福して手記を寄せ、周囲のサポートに感謝した。15季ぶりに復帰した指揮官は重圧を抱えながらも先頭に立ち、ともに戦った経験のあるコーチ陣に力強く支えられ、猛虎復活を成し遂げた。主人が胴上げされている姿を見て、感無量です。普段から多くを語らないタイプですので、伝えたいことをちゃんとわかってくださる方が周りにたくさんいたことは、本当にありがたいと思います。選手のみなさんの頑張りが日本一には欠かせなかったのですが、平田ヘッドコーチをはじめ、コーチのみなさんが主人のことを理解していただいていることは、とても大きなことですから。オリックスで一緒だった馬場コーチや水口コーチ、監督と選手の間柄だった方たちも今回はコーチとして支えていただきました。新聞などを読むと、主人の知らないところでサポートしてくださっている部分もあります。おそらく、私が考えている以上に厳しいことを言ったこともあったと思います。コーチの方は主人からの言葉を受け止めて、選手の力が最大限に引き出せるようにやってくださっていたのではないでしょうか。本当に感謝しております。日本シリーズが始まると、主人の食欲が落ちました。それに、試合時間が長く、帰宅も遅くなりました。同じチームとの3連戦以上はあまりないことですが、日本シリーズは何試合も戦うので、もっと考えないといけない、という思いもあったのかもしれません。この戦いもあと少しで終わる、と思い、心配していましたが、最高の結果になって本当によかったです。今回は、一緒にタイガースで優勝されたコーチの方も多くいました。主人はいろいろなことを乗り越えて、優勝にたどりついた経験を信頼しています。性格を理解していただき、ともに戦ったことのあるコーチの方たちだからこそ、ここまで支えていただけたと思います。私は1985年のセ・リーグ優勝と日本一のときは、子供が小さかったので、球場には行けませんでした。今回は、京セラドームで日本一の瞬間を直接見届けることができましたが、主人だけではなし得なかった結果です。周囲の方の支えに、感謝です。本当にありがとうございました。試合後、陽子夫人は京セラドームの地下駐車場で祝勝会へと向かう前の岡田監督と対面し、「おめでとう!」と声をかけて握手を交わした。「今年は本当にいい年だったと自分を褒めてあげられる終わり方にして、いいオフを過ごしてもらいたいと思っていました。きょうの試合は、すごく自分たちらしさが出たような気がする」と目を細めた。

◆オカダ! オカダ! オカダ! ホームラン! ホームラン! 場外場外ホームラン!京セラドームの虎党が熱唱していた。懐かしき「岡田彰布」のヒッティングマーチ。日本一を祝うにふさわしいBGMだ。その直前には最高の笑顔で宙を舞っていた。シーズン中、喜怒哀楽を隠すことなく報道陣に接してきた(哀はなかったかな?)虎将が、最後の最後に「喜」と「楽」を手にして、大観衆から「岡田コール」を浴びていた。本当に幸せそうだった。対して、シーズンを通して報道陣に多くを語らなかった中嶋監督は最後の最後に、自分が思いっきりしょっぱそうな顔をして終戦を迎えていた。あくまで虎のソナタの個人的感想ですが...。38年ぶりの日本一。38年前は、この日のスタメンは誰も生まれていない。38年前には、日本にドーム球場すらなかった。38年前を知る虎党も、かなりお歳を召されたかと思う。長い長い空白を埋めた岡田監督に、心から、みんなで感謝したい。5日のこの欄で、虎ソナ筆者が試合の行われない甲子園に向かった話を書いた。何で戦いの舞台、京セラではなく、甲子園に行ったのか?実は岡田阪神日本一のおめでとうコメントをもらうため、川藤幸三OB会長と約束していたから。勝ったら掲載、負けたらボツ。ボツになったら怒鳴られるかも? 恐怖におびえながら、取材場所に向かった。球場そばのお好み焼き屋。川藤さんが指定してきた。

◆阪神・森下翔太外野手(23)がサンケイスポーツに手記を寄せた。ルーキーながらレギュラーに定着し、リーグ優勝と日本一に貢献。この日は五回と九回に適時打を放つなど日本シリーズ新人最多記録の7打点をたたき出し、優秀選手に選ばれた3番打者は、シーズン最終盤に悔し涙を流したときにチームメートに助けられたことや、岡田監督から的確なアドバイスを送られたことなどを明かした。日本一になることができました。呼吸をするのを忘れ、息を飲むような試合ばかりでしたが、最後はこうやって報われて良かったです。ファンの皆さん、最後まで応援ありがとうございました!リーグ優勝を果たした後の不調も、チームメートのおかげで乗り越えることができました。9月29日のDeNA戦(横浜)では、1点を追う五回無死満塁で三振して涙がでました。打てなかったことがシンプルに悔しくて...。優勝決定時に調子のピークを持っていった分、そこから少し気持ちとともに状態も沈んでいたのかなと思います。先輩方を差し置いて試合に出ているので、重圧を全て受け止めることがレギュラーで出ている選手の使命。いくらルーキーでも、そこは感じ取らないといけない。その分、悔しさがありました。それでも(佐藤)輝さんや(木浪)聖也さんがすぐに温かい声をかけてくれました。ベンチでは奥に座ってなかなか前に行けなかったですが、『打てないときもあるよ』と言葉をもらって気が楽になりました。水口打撃コーチからは『前に立って応援しろ』と喝を入れられ、奮い立たせて声を出しました。このチームの一員になることができて本当によかったと感じた瞬間でした。あのときはめちゃくちゃ悔しかったですが、その後は冷静にバッティングを見つめ直し、ポストシーズンに合わせることができました。あの経験があったからこそ日本一につながったと思うので、今となっては、いい経験だったと受け止めています。岡田監督は、本当に細かく試合や相手の配球をよく見て、チームにいつも的確な指示を与えてくれます。例えばミーティングで『相手は初球を打ってこないと思って、どんどんストレートでストライクを取ってくるから、それを狙ってもいいんちゃうか』とおっしゃられたら、その意思や思考は選手たちの絶対的なものになる。初球から打っていいと言ってもらえて、積極的なバッティングをするタイプの自分はより打ちに行きやすくなり、結果につながったことが何度もありました。

◆阪神の桐敷拓馬投手(24)が九回のマウンドに上がり、日本一へのリレーを担った。先頭の紅林に右前打を許すも、森を二ゴロ併殺に抑え、ここで岩崎にバトンをつないだ。日本シリーズでは3試合に登板。「経験したことのない体験。点差はありましたが、投げさせてもらった岡田監督に感謝したい。この経験を来年につなげたい」。指揮官に〝スペードのエース〟と評された左腕が声を弾ませた。

◆阪神・佐藤輝明内野手(24)は4打数無安打に倒れ、日本シリーズを打率・148で終えた。それでも、悲願の日本一に「こうやって最後みんなで胴上げできたのでよかったです。最高です!」と声を弾ませた。虎の黄金時代到来の象徴として「個人的にはまだまだなので来年以降頑張りたいと思います!」と決意。手にした栄冠の喜び、そして心に残った悔しさを糧に、連覇へ向かって突き進んでいく。

◆歓喜の輪の中心で阪神・大山悠輔内野手(28)がとびきりの笑顔を見せた。「本当に勝ってよかった。1年間の集大成、勝って、チーム一丸となって戦えてよかったです」。五回は遊撃への適時内野安打で5点目をマーク。日本シリーズは打率・179も、1日の第4戦(甲子園)でサヨナラ打を放つなど、ここ一番での勝負強さが光った。猛虎打線を引っ張ってきた男は日本一の4番になった。

◆阪神・伊藤将司投手(27)が六回から3番手でマウンドに上がり、勝ち投手になった。先発で敗戦投手となった第3戦(10月31日、甲子園)以来、中4日での中継ぎ登板。同戦で同点弾を浴びた頓宮を中飛に仕留めリベンジを果たすと、3回1安打無失点と好投し「最後はやっぱりチーム一丸となって、いつでも投げる準備はしていた。投げる機会がきたので、なんとかつなげることができた」と声を弾ませた。

◆阪神・村上頌樹投手(25)も歓喜に浸り、1月の自主トレをともにした青柳の好投に目を輝かせた。「応援するだけだったので、ヤギさん(青柳)をはじめ、みなさんを信じて見ていた。(青柳は)気持ちが入っていて、今シーズン一番の投球だったかなと思いました」自身は第6戦で敗れたが、第1戦を含めて2試合に先発して1勝1敗。「良かった部分も悪かった部分もある。それを生かすのは自分次第。また練習していきたい」と成長を誓った。

◆声優で歌手の水樹奈々(43)が、阪神の38年ぶりの日本一達成を受けて祝福のコメントを寄せた。大の虎党で、先月18日に行われたセ・クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦では試合開始前に国歌独唱も担当した。「38年ぶりの日本一!! 本当におめでとうございます!! この日をずっと待ち続けておりました!! 岡田監督の胴上げを一年のうちに2度も見られるなんて...感無量です!」と喜びを爆発。「選手の皆さまはじめ、岡田監督、コーチやスタッフの皆さま、一年間本当にお疲れさまでした! そして、感動と興奮の詰まった素晴らしい試合をありがとうございました!! ここから阪神タイガースの黄金時代の幕開け! これからも数々の伝説を作っていってください!」と興奮気味に願った。

◆阪神が38年ぶり2度目の日本一を決めた「SMBC 日本シリーズ2023 オリックス―阪神」の第7戦(5日、京セラ)で、関西地区で中継したKTVの世帯平均視聴率が38・1%(ビデオリサーチ調べ)だったことが6日、分かった。毎分最高視聴率は、午後9時42分と午後9時43分に50・0%を記録した。関東地区で中継したフジテレビの世帯平均視聴率は18・1%、毎分最高視聴率は午後9時43分の24・3%を記録し、東西で大きく差が出る結果となった。

◆1964年以来、59年ぶりの関西に本拠地を置くチーム同士による日本シリーズは阪神が4勝3敗で38年ぶりの日本一となった。球団の歴史をさかのぼっても、2度目の快挙となり、OBやファンも含め、喜びの声があがる中、オリックス・杉山直久マネジャー(42)は複雑な心境を吐露した。「いや、一緒にやっていた監督、コーチもいるのでね。でも、悔しさはありますね」杉山マネジャーは2003年にドラフト自由枠で阪神に入団。岡田監督第1次政権の05年には、9勝を挙げリーグ優勝に貢献。同年に出場したロッテとの日本シリーズでは、3連敗と後がなくなった4戦目に先発。4万7000人を超える観衆の中での登板も、三回途中3失点。「4戦目に4連敗したので...」と苦い思い出。そのまま4戦合計スコアで「33-4」と押し切られ、日本一を逃した。11年には戦力外通告を受け、12年にはBCリーグ・富山で選手兼コーチでプレー。同年限りで現役を引退し、マネジメント会社勤務を経て、15年からはオリックスにチームスタッフとして入団し、20年からはマネジャーとして球団を支えている。「残り少ないですからね。現役で重なっているのは原口や島本らぐらい」とともに戦った仲間が減ってきている。虎戦士として、日本一を目指し、タテジマに袖を通していたが、それは過去。今ではオリックスに染まり、古巣との一騎打ちに敗れてしまった。「いろいろな感情はありましたが、やっぱり勝ちたかったですね」選手だけではなかった関西勢同士の最高峰の戦い。激闘の末、タテジマの歓喜で幕が下りたが、オリックスはまだまだ諦めない。チーム一丸となり、日本一を奪回する。(北池良輔)

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