中日(★4対5☆)巨人 =リーグ戦17回戦(2020.09.09)・ナゴヤドーム=
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巨人
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中日
00100210041012
勝利投手:鍵谷 陽平(1勝1敗0S)
(セーブ:高梨 雄平(1勝0敗1S))
敗戦投手:福 敬登(4勝3敗0S)

本塁打
【巨人】坂本 工宜(12号・3回表2ラン),坂本 工宜(13号・6回表ソロ),大城 卓三(7号・7回表ソロ),坂本 工宜(14号・7回表ソロ)
【中日】木下 拓哉(1号・3回裏ソロ),大島 洋平(1号・6回裏ソロ)

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◆巨人が一発攻勢で4連勝。巨人は3回表、坂本の2ランで先制する。その後3-3となって迎えた7回には、大城と坂本のソロで2点を挙げ、再びリードを奪った。投げては、2番手・鍵谷が今季初勝利。敗れた中日は、先発・岡野が試合をつくるも、3番手・福が誤算だった。

◆巨人原辰徳監督(62)は13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。 坂本勇人内野手(31)が3本塁打で花を添えた。

◆中日の平田良介外野手(32)が3回1死で巨人田口から左中堅フェンス直撃の二塁打を放ち、通算1000安打を達成した。1日の広島戦で王手をかけてから15打席無安打が続いていた。プロ野球307人目。初安打はプロ2年目の07年10月6日ヤクルト戦(神宮)で松井投手から記録している。平田は球団を通じて「とにかく打てる球だけを打とうと思って思い切り振りました。長い時間かかりましたが、これからも1本でも多くヒットが打てるように頑張ります」とコメントした。 平田は05年の高校生ドラフト1巡目で大阪桐蔭から中日入団。15年目の今季は1000安打まで残り17本でスタートしたが、開幕から打撃不振が続いた。右肘痛の影響もあり、7月20日に出場選手登録を抹消。2軍で調整を続け、8月23日に再登録されていた。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が3打席連続本塁打を放った。 3回1死二塁、低めの144キロ直球をすくい上げた。決して甘い球ではなかったが、しっかり捉えた打球はグングン伸び、広いナゴヤドームの右中間スタンドに吸い込まれた。先制の12号2ランに「久しぶりに感触のいいホームランが打てました」とコメント。 続く6回無死の第3打席では、13号ソロを放ち「打ったのはフォークです。追加点がほしい場面で点がとれて良かったです」。7回の第4打席でも14号ソロを放つなど勢いは止まらなかった。

◆巨人長嶋茂雄終身名誉監督が、川上哲治氏の持つ球団最多の監督通算勝利数に並んだ原辰徳監督へのコメントを発表した。 「1066という通算勝利数は大変立派であるが、それ以上に注目すべきは、やはり、川上さんの記録に並んだということに尽きるだろう。川上さんはプロ野球史上唯一のV9を成し遂げた方である。シンプルな言葉になるが、それは本当にすごいことであり、大変意義のあることといえるだろう。原監督は、まさにジャイアンツの歴史を塗り替えた一番の名将となった」

◆巨人が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、原辰徳監督(62)は13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。坂本勇人内野手(31)が3本塁打で花を添えた。 原監督は、ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。2度の3連覇を含む8度のリーグ優勝、3度の日本一を達成し、14年目の今季もセ・リーグ首位をひた走る。伝統を受け継ぎ進化させ、名将の道を歩む。歴代の通算勝利数では11位タイとなった。 ▽巨人坂本(3打席連続本塁打を放つ)「(3連発は)初めてです。うれしいです。(原監督は)僕は19歳の頃から偉大な監督の下でプレーできていることをうれしく思っています」 ◆原辰徳(はら・たつのり)1958年(昭33)7月22日、福岡県生まれ。東海大相模で甲子園4度出場。東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。1年目に22本塁打で新人王。83年打点王、MVP。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞2度。95年に引退し、99年にコーチで巨人復帰。02年監督就任し、日本一。03年退任も06年復帰し、2度のリーグ3連覇。15年退任し、19年に3度目の監督就任。09年WBCでは日本代表を率いて世界一。02、09、12年正力松太郎賞。18年野球殿堂入り。180センチ、86キロ。右投げ右打ち。

◆巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。<原監督アラカルト> ◆実力、勝利至上主義 実績にこだわらない起用は、第一次政権時から一貫している。坂本、内海、東野、山口鉄...状態を見極めて抜てきした生え抜きの若駒が次々とチャンスをつかみ、成長した。主力の送りバントは代名詞に。 ◆配置転換 先発の軸だった上原、高橋尚らの抑え起用、中軸の高橋由を1番、昨季からは坂本を2番に配し、大胆な持ち場の変更で、即結果につなげた。一塁に挑戦した捕手阿部を、チーム事情から即捕手に戻す柔軟さも。09年WBCでは、ダルビッシュを抑えに回し連覇達成。 ◆革新的 極端な守備陣形、ダブルスチール、偽装スクイズなど、ベンチ主導の用兵、戦略、戦術を駆使してゲームを動かしていく。今季も増田大の投手起用が大きな話題となった。打順の組み替えも多用し、今季は67試合で57通り。WBCでは上中下位それぞれにポイントを作り波状攻撃を仕掛ける「車懸りの陣」を実践。根底には「責任はベンチが負う」。 ◆言葉の力 「本当におまえさんたちは、強い侍になった!」「2代目若大将」「胸と胸を突き合わせて」「毒を食っても肥やしとする」「ジャイアンツ愛」「朗らかさ、素直さ、謙虚さ」「水を得たフィッシュ」「将棋は人生の縮図」「個人より巨人」...ファンとチームへの愛情。

◆巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。 ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。<川上監督アラカルト> ◆初のベロビーチ・キャンプ 監督1年目の61年、2月下旬から約1カ月間、米フロリダ州ベロビーチで初のキャンプを実施。ドジャースの練習参加や実戦を通じ、本場の動きを体感。 ◆哲のカーテン 情報漏れを嫌い「この世の中で一番嫌いなものはカメラマンと新聞記者」と公言。61年2月の宮崎キャンプから選手を練習に集中させたいとの理由から、グラウンドでの取材を規制した。 ◆ドジャース戦法 コーチ時代に熟読した「ドジャースの戦法」を参考に、バント守備やカットオフプレーなど、当時のプロ野球にはなじみの薄かったチームプレーをたたき込んだ。 ◆選手育成 金田正一を国鉄(現ヤクルト)から獲得し、その猛練習ぶりを長嶋、王に学ばせた。柴田勲を初の本格スイッチヒッターに育て、「8時半の男」宮田征典(故人)をクローザー専門に育てた。 ◆コーチスボックス 71年、ファンサービスの一環でホーム試合で一塁コーチスボックスに立つ。リーグの後半戦は苦戦が続き、勝率5割台での優勝。 ◆球ぎわ 安打性の打球に1歩踏み込んで捕る、球ぎわに強い選手になるよう指導した。「球ぎわ」は川上氏の造語。

◆巨人大城卓三捕手(27)が勝ち越しの7号ソロを放った。 同点の7回無死、フルカウントから中日福の143キロ直球を左翼ポール際に運んだ。「勝ち越しできたのは良かったですね。入ってくれ! と願いました」と笑顔を見せた。

◆巨人は3回、中日先発岡野から坂本が12号2ランを放ち、先手を取った。中日はその裏、木下拓の1号ソロで1点を返した。 巨人は6回、坂本の2打席連発となる13号ソロで加点。中日はその裏、大島の1号ソロとビシエドの適時打で同点とした。 巨人は7回、大城の7号ソロと坂本の3打席連続14号で勝ち越し、4連勝。原監督は川上監督に並ぶ球団最多1066勝目。鍵谷は今季初勝利。中日福は3敗目。

◆巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。歴代の名監督には「闘将」「知将」といった呼び名がある。「闘将」といえば星野仙一監督、「知将」といえば野村克也監督(ともに故人)の名前が浮かぶ。原監督は? 考えると、ピタリとくる形容詞が浮かんでこない。厳しい監督? 優しい監督? と聞かれても「どちらも当てはまるけど、どちらかに偏っているわけでもないんだよなぁ」が正直な感想だった。そんな漠然としたイメージがひとつになった試合があった。 8月4日の阪神-巨人戦(甲子園)。1点リードの8回無死一、二塁から、まさかのダブルスチール。奇襲を食らった投手馬場、ベースカバーに入った遊撃木浪もミスし(記録は馬場の悪送球と野選)、追加点を挙げて試合を決めた。 当初はエンドランかと思ったが、原監督を取材すると「ダブルスチール」だと明かしてくれた。二走は代走のスペシャリスト・増田大で、一走も走力がある丸。加えて阪神の内野守備陣は、投手を含めてそれほど守備力が高くない。奇襲の条件はそろっていた。 初球の直球がストライク。2球目のカットボールをファウル。3球目は直球を外角に外した。直球系が続き、3球目に外しているのだから続けないだろう。次は低めのボールゾーンに落ちる変化球-ここまでは想像できるが、エンドランだと思っていた。 ミート力のある坂本なら、ストライクゾーンは変化球でもバットに当てられる。想定通りに落ちる球をワンバウンドさせ、空振りさせたとしても盗塁が成功する確率は上がると考えた。三盗は走者が走りやすい状況でスタートを切るもので「次の球で走れ」という「ディスボール」のサインは出しづらいとも思った。 そう取材すると、原監督は「落ちる球がくる、という予想までは当たってるな。でも俺は相手バッテリーがボールゾーンで投げてくるシチュエーションで、エンドランは出さないよ」と爽やかに解説した。 「選手だって生活がかかっている。ワンバンなんて打てない。そりゃ、エンドランでボール球がくることはある。でもボール球が来そうだと分かっているのに、エンドランを出すのは打者に対して失礼だろ」 打者の坂本には打席で制限をかけないため、分からないようにダブルスチールのサインを出していた。この作戦の基になったのは、ロッテのバレンタイン監督だった。落ちる変化球がきそうな状況で、よくエンドランのサインを出した。 真面目で文句を言わない日本人の特性を利用した作戦だろう。原監督は「選手にとっては厳しいよな。でも戦術的には効果がある。それならスチールにすれば、打者にも負担をかけない」と説明した。メジャーの監督に復帰したバレンタイン監督は、選手との関係が悪くなって解任された。自尊心の強いメジャーリーガーに受け入れられる戦術ではない。 今では巨人野球の代名詞になっているが、勝利のためには4番にも送りバントさせる「厳しさ」がある。勝利を義務付けられた伝統球団だから可能な戦術だと思うかもしれない。しかし私が巨人担当をしていたひと昔前は、主力に送りバントをさせただけでも大騒ぎになった。逆方向への打撃指示や、狙い球を統一するようなチームでの戦略は、選手からのブーイングが大きく、実践しにくい雰囲気があった。厳しさを巨人に植え付けたのは原監督だ。 一方では選手が働きやすい環境を最大限に考慮する「優しさ」もある。先に挙げたエンドラン論もそうだし、一昨年には解雇の対象だった大竹、高木を残留させた。昨年の中島も同じ境遇だった。昨オフ「本人たちはクビだと思ってたんじゃないかな。でもそうやって残った実績のある選手は、死に物狂いで戦ってくれる。昨年なんか大竹と高木がいなければ優勝できなかった。今年はナカジ(中島)と岩隈がやってくれると思っているんだよ」と話した。残念ながら岩隈は登板なしだが、中島の活躍は紹介するまでもない。 ついに川上監督に並んだ。実力を比べるのは、ボクシングでいえばアリとタイソンのどちらが強いかを比べるようなものだろう。厳しくもあり、優しくもある。闘将であり、知将でもある。そのときの状況や環境によって自分自身を使い分ける「無双」の監督に思えてならない。【小島信行】

◆巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。 ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。川上野球と原野球の共通点は「自由度の高さ」にあるという。川上監督といえば「管理野球」のイメージが強い。しかし、長男・貴光(よしてる)さん(74)の見方は違う。 貴光さん 父は「川上野球」と1つのイメージで言われるのはうれしくない、と言っていました。勝つために私心を挟まず、ベストの選択をする。チームの力が弱い時には、5点6点リードしていてもバントしてもう1点を取りにいく。強い時は何もしなくていい。状況に応じて自分を、チームを変えていったのが川上の野球なんです。 川上氏は監督就任からチームプレーを説き、実践させた。現役時代の個人主義から急変したと批判されたが、当時の戦力で勝つためには束になって点を取り、失点を防ぐ必要があった。V9時代には「優勝したことにこだわる事が一番のマイナス」と言い、成功や先例にとらわれず、先乗りスコアラーをつくり、栄養学を採り入れるなど、常に新しいことに挑戦した。 貴光さん 先日、原監督は野手を登板させました。連戦の多い今季の特殊性を考え、以前から準備していたのでしょう。優勝するためにベストの策と思うなら、批判もみてくれも関係ない。川上と同じです。だから自由度が高いんです。 もう1つのキーワードが「情」だ。原監督の巨人入団時の監督であり、恩師である藤田元司氏(故人)は情に厚かった。川上氏は藤田氏の師であり、原監督は孫弟子にあたる。 貴光さん 父は原監督の「ジャイアンツ愛」という言葉を聞いて、『愛なんて甘っちょろい』と言っていましたが、表現の仕方が違うだけです。選手の特徴や持ち味をつかみ、適材適所でその人を生かす。父は控え選手でもベンチを盛り上げてくれればプラスの査定をしたそうです。そういう姿を見てきた藤田さんから、原監督が教わってきたのではないでしょうか。 全員が背番号16をつけて戦った1日、貴光さんは原監督を表敬訪問した。原監督は「川上さんが最初の(投打)二刀流でした」などと、川上氏の業績をスラスラ挙げたという。 貴光さん 私と会うので勉強してくださっていた。うれしかった。父が生きていたら、(勝ち星で並ばれたことに)『あっぱれ』と言ったでしょうね。【取材・構成=沢田啓太郎】 ◆巨人川上監督の1066勝目 1974年(昭49)10月14日、中日とのダブルヘッダー2試合目(後楽園)に10-0で勝利した。「長嶋君の最後の試合に参加しようとして出た」と8回の攻撃では一塁コーチスボックスに立った

◆中日の平田良介外野手(32)が通算1000安打を達成した。巨人田口から3回、左中間フェンス直撃の二塁打を放った。1日広島戦で王手をかけてからこの試合の第1打席まで15打席無安打で、二塁ベース上で花束を受け取るとホッとしたような笑みを浮かべた。 「打った瞬間、抜けると思いました。すごくうれしいです」と試合後は節目の安打を素直に喜んだ。だが、ここまでの道のりは長かった。通算983安打で迎えた15年目のシーズンは開幕から打撃不振。右肘痛の影響もあり7月20日に出場選手登録抹消。8月23日に再登録されて以降も打率1割台が続いた。 「上半身と下半身の連動がうまくいっていない。自分のスイングしている場所が合致していない。修正ポイントはまだ見つかっていない」と今もまだ手探りが続く。長期に及んだ2軍調整の際は炎天下で若手に交じって特打を敢行。この日の試合前も早出でバットを振った。 「最後の打席はうまく連動したので復調の兆しは見えるのかな」。7回2死一、二塁で1点差に食い下がる1001本目の中前適時打が再び長い道のりとなるリスタートになる。【安藤宏樹】

◆中日は坂本勇人の3連発を含む4被弾で対巨人4連敗となった。 投打に必死に食い下がったが最後は首位の力にはね返された。与田剛監督は「結果的に(坂本に)3本打たれて負けているわけだからなんとか防げるように我々も考えないといけない」と渋い表情。3連敗で借金は5となり、首位との差は12・5ゲームとなった。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が3打席連続弾で、原監督の川上哲治氏に並ぶ球団最多の監督通算1066勝を引き寄せた。 「本当にね、僕が19歳から偉大な監督の下でプレーできていることをうれしく思います」と話した。 まずは3回だった。1死二塁から右中間へ先制の12号2ランを運び「ここのところね、いい当たりがあんまりでてなかったですけど、久しぶりに気持ちのいい完璧なホームランでした」と振り返った。6回の第3打席で13号ソロを放ち、迎えた7回の第4打席では、だめ押しの14号ソロ。「強いスイング心がけて、もう1点ほしい場面だったのでいいバッティングができてよかったです」と笑顔を見せた。 この日の3本塁打で、一時2割前半に沈んだ打率は2割7分7厘まで上昇。15試合連続安打と、本来の調子を取り戻している。「まだまだね。チームに迷惑をかけた分、これからもっともっと取り返せるように、1日1日大事に頑張りたいなと思います」と意気込んだ。

◆巨人はデラロサと中川の3連投を回避した継投策で逃げ切った。6回途中で降板した先発田口の後を5投手でつないだ。2番手鍵谷が1回1失点で移籍後初勝利を挙げ、最後は高梨が1回無失点で移籍後初セーブ。通常と異なる継投で守護神とセットアッパーを休ませた。原監督は「予定通りというか、今日は(中川)皓太とデラは登板予定はないと。よく頑張ってくれました」とたたえた。

◆巨人大城卓三捕手が東海大の大先輩の記念すべき勝利を呼び込んだ。 同点の7回無死、フルカウントから中日福の直球を左翼ポール際に運ぶ勝ち越し7号ソロ。「塁に出ることだけ。その結果がホームランになった」。原監督について「尊敬に値する素晴らしい監督」と言い「勝利に携われてよかったです」と喜んだ。

◆巨人原辰徳監督(62)が、1点差の接戦に勝利し、13年に死去した川上哲治氏に並ぶ球団最多の監督通算1066勝目をつかんだ。 「本当にまだ戦い半ばという中でね、どういう風に考えてもなかなか言葉って出てこなくて。まだまだ突っ走ってるってという、本当にそのことだけですね」と言った。 坂本勇人内野手に自身初の3打席連続本塁打が飛び出したが、大勝とはいかなかった。「苦しいゲーム。いつもなかなか、勝負って言うのは簡単にはいきません」。 「V9監督」に並ぶ1勝にも「感慨に浸るような余裕はないし、その気持ちっていうのは明日も変わらない。シーズンが終わると、また違った形で話というか言葉にできるかもしれないけど、今はまだ本当に突っ走ってる。その中でこういう数字に近づくことができたということですね」と次の1勝を求めていく。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、自身初となる3打席連続本塁打を放ち、原監督にメモリアル勝利を贈った。3回、右中間席への先制12号2ラン。6回には左中間へ13号ソロ、7回にも左翼席へ14号ソロを運んだ。広いナゴヤドームではプロ野球史上初の1試合3発。プロ初安打初打点をマークした出発点とも言える地で、記録にも記憶にも残る放物線をかけた。低めの直球をはじき返した打球が、広いナゴヤドームの右中間最深部に飛び込んだ。0-0の3回1死二塁。12号2ランを放った坂本は、大きな歩幅でダイヤモンドを1周し、ベンチで迎える原監督とエアグータッチした。今季3本目の右方向への1発に「あっちの方向に飛んでくれたのは良かった」と笑った。 1度は諦めた意識だった。31発を放った10年、シーズン終盤。スランプに襲われ、原監督から「ポップフライ病」と言われた。当時、阪神マートンが広角打法で214安打を記録した。自身は右方向へのアーチは1本で「僕も右に打てたら」と高みを目指したが、逆に打撃を崩した。チームの勝利のため、いったんは目の前の結果を優先した。 ただ、理想の打撃を追い求める姿勢だけは捨てなかった。試行錯誤を繰り返していると新たな道が見えた。「常に何かを求めてやっていれば、自分でも不可能と思ったことが可能になる」。昨季はキャリアハイの40発。右中間を含めた右方向へは12発たたき込んだ。 時に厳しく、時に優しく。原監督は野球界のおやじであり、おかんのような存在でもある。2年目の08年に全試合スタメンに抜てき。15年からは主将に指名された。恩返しするように6回にも13号ソロを放ち、7回には自身初の3打席連続となる14号ソロ。ナゴヤドーム史上初の1試合3発で、川上氏に並ぶ1066勝目を彩った。 坂本 監督のもとで長く一緒にプレーできていることは本当に財産だと思います。「すごいな」というところをたくさん見てきていますし、光栄です。 プロ1年目から「一戦必勝」を大事にする指揮官の背中を追い続けた。「チームに迷惑をかけた分、もっともっと取り返せるように、1日1日を大事に頑張ります」。4打席連発がかかる10日の中日戦。かかる期待をよそに、勝利への思いを一心に打席に立つ。【久保賢吾】

◆巨人原辰徳監督(62)が、敵地名古屋でド派手に歴史的勝利をつかんだ。02年に就任し、監督通算14年目。「打撃の神様」で「V9監督」の川上哲治氏に並ぶ、球団史上最多タイの監督通算1066勝目を挙げた。ルーキー時代から育てたキャプテン坂本勇人内野手(31)のプロ入り初の3打席連続本塁打で打ち勝ち、チームは4連勝で今季最多の貯金20。2年連続のリーグ制覇へ、首位独走を続ける。成し遂げた記録の重さを忘れさせるほど、原監督はしのぎ切った1点の重みを感じていた。「苦しいゲーム。なかなか勝負は簡単にはいきませんね」。07年にルーキー坂本を延長戦の代打に抜てきし、プロ初安打初打点が決勝打になったナゴヤドーム。苦楽を共にした愛弟子の3発を守り切り「V9監督」に並ぶ節目の勝利を飾った。 「本当にまだ戦い半ばという中で、なかなか言葉が出てこない。今はまだまだ突っ走っている。感慨に浸る余裕はないし、その気持ちは明日も変わりません」 85年目を迎えた球団史上、巨人の監督は歴代12人しかいない聖域。36年以降の同期間で、4番は89代目、内閣総理大臣は42人目が誕生しようとしている。全員が生え抜きOBの中、原監督にとって川上氏との原風景は、かつての練習場、多摩川グラウンドにあった。 「後楽園に行く前、何回かバッティングを教わったよ。すごくユニークな練習だった」。ホームゲーム前の午前。OBとして訪れた大先輩に打撃マシンを体に向けられ、ぶつかりそうなボールを打ち返した。「体が開いたら打てない。『神様』だから」と懐かしむ。 川上氏と同じ巨人の4番を張り、02年からは同じ監督の道を歩んだ。教えられた練習は、不調の選手の矯正にも取り入れてきた。亡くなった13年10月28日は楽天との日本シリーズ中。都内に戻った第5戦の試合前に自宅を訪れた。「日本シリーズで1回も負けたことがない。9連覇。数字の重さ、偉大さを感じた」。 川上氏が11回連続で勝った日本シリーズで、昨季はソフトバンクに4連敗。原監督は「サインを出すのが好きな監督だけど、1回しか出せなかった。仕掛けようもなかった」。第2戦の犠打が唯一の作戦だった。走者を出し、きめ細かいサインで潮目を変える展開に持ち込めずに完敗。「悪いことは忘れちゃうんだ」と究極のポジティブ思考を貫く中で、交流戦を含めた「打倒パ」は近年の新たなテーマと感じ取っている。 東京ドーム監督室の壁には、銀の額縁に入った歴代監督のサインが飾られている。「ふ道心」と記された川上氏の左斜め下に、自らのサインを掲げる。「ジャイアンツは歴史を刻むことができる。我々はそれをつなぐ役割がある。偉大な球団だと思いますね」。巨人軍歴代最多勝監督として、2年連続のリーグ制覇、その先の大きな目標を取りにいく。【前田祐輔】 ○...原監督は4球団が競合したドラフトで引き当ててくれた恩師の藤田元司氏を通じて、38歳年上の川上氏の人柄や采配に触れてきた。「藤田監督と川上監督はとても親しくされていて。藤田監督から教えていただいた」と言う。偉大な先人に並ぶ勝利に「まだまだ。今日のような勝負ばかりですから浸れないです。シーズンが終われば、また違った形で言葉にできるかもしれない」と引き締めた。

◆巨人坂本勇人内野手(31)が、自身初となる3打席連続本塁打を放ち、原監督にメモリアル勝利を贈った。 3回、右中間席への先制12号2ラン。6回には左中間へ13号ソロ、7回にも左翼席へ14号ソロを運んだ。広いナゴヤドームではプロ野球史上初の1試合3発。プロ初安打初打点をマークした出発点とも言える地で、記録にも記憶にも残る放物線をかけた。▼坂本が自身初の1試合3本塁打。巨人選手の3打席以上連続本塁打は16年ギャレット以来14人、17度目で、日本人では05年小久保以来15年ぶり。1番打者の3打席連発は78年若松(ヤクルト)以来42年ぶりで、巨人では初めてとなった。また、97年から開場されたナゴヤドームで1試合3発打った選手は、坂本が史上初めてだ。 ▼坂本の猛打賞は今季7度目で、通算158度目。セ・リーグでは山本浩(広島)に並ぶ7位タイ。

◆巨人原辰徳監督(62)が、敵地名古屋でド派手に歴史的勝利をつかんだ。 02年に就任し、監督通算14年目。「打撃の神様」で「V9監督」の川上哲治氏に並ぶ、球団史上最多タイの監督通算1066勝目を挙げた。ルーキー時代から育てたキャプテン坂本勇人内野手(31)のプロ入り初の3打席連続本塁打で打ち勝ち、チームは4連勝で今季最多の貯金20。2年連続のリーグ制覇へ、首位独走を続ける。▼原監督が川上監督に並び、巨人では最多タイの監督通算1066勝目を挙げた。同一球団の勝利数としては南海(グレートリング含む)で1773勝の鶴岡監督に次いで2位タイになる。プロ野球全体では11位タイだが、上位10人は1リーグ時代を含め両リーグやパ・リーグで指揮した監督で、セ・リーグの監督勝利数でも最多タイだ(セ3位は巨人、中日で1060勝の水原監督)。通算勝率は川上監督5割9分1厘、原監督5割7分2厘と、川上監督が上回っているが、1点差や2点差の接戦では原監督の方が高勝率。 ▼川上政権(1866試合)の4番打者は長嶋の1173試合が最も多く、次いで王の659試合。2人で全体の98%に当たる1832試合となり、3番打者もONで合計1545試合だった。一方、原政権(1925試合)ではラミレスの511試合が最多で、100試合以上が6人、合計21人が4番に座った。勝利投手を見ても、川上政権は100勝以上が堀内恒、城之内、高橋一の3人おり、上位5人で全体の51%になる合計545勝。原政権で100勝以上は内海だけで、上位5人合わせても316勝しかない。選手数が増え、単純に比較はできないが、白星を挙げた投手は川上政権の44人に比べ、原政権はこの日の鍵谷で97人。投打で柱になる選手がいた川上監督に対し、原監督は多くの選手をうまく使って1066勝を挙げた。

◆中日・福田永将内野手(32)が体幹のコンディション不良のため、登録を抹消された。8月22日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で下肢を痛め、23日に登録を抹消された。再登録された9月3日の広島戦(同)では2安打3打点の活躍を見せたが、8日の巨人戦(同)では六回の守備から交代していた。

◆中日・平田良介外野手(32)が「2番・右翼」で5試合ぶりのスタメン出場。三回の第2打席で田口から二塁打を放ち、史上307人目となる通算1000安打を記録した。  試合前時点で通算999安打。9月1日の広島戦(ナゴヤドーム)の第3打席で王手をかけて以降、直前の第1打席まで15打席の間、足踏みが続いていたが、1-2の三回2死、田口が投じた4球目、真ん中低めへの123キロのスライダーを振り抜くと、打球は左中間フェンスを直撃。悠々と二塁ベースに到達した。  節目の安打には竜党だけでなく、三塁側を陣取る巨人ファンからも喝采。平田は深々と頭を下げた。

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が自身初となる3打席連続本塁打を記録した。三回に右中間へ12号2ラン、六回に左中間へ13号ソロ、さらに七回の第4打席で左翼へ14号ソロをほうり込み、プロ14年目で初の快挙を成し遂げた。7月には自己ワーストに並ぶ26打席無安打を味わった。それでも9月は8日までの9試合で、打率・391。この日の大爆発で、完全復活をアピールした。

◆巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(84)が9日、中日戦(ナゴヤドーム)に勝利して故川上哲治氏の持つ球団歴代最多タイとなる1066勝を達成した原辰徳監督(62)へ祝福のメッセージを寄せた。  「1066という通算勝利数は大変立派であるが、それ以上に注目すべきは、やはり、川上さんの記録に並んだということにつきるだろう。川上さんは、プロ野球史上唯一のV9を成し遂げた方である。シンプルな言葉になるが、それは本当にすごいことであり、大変意義のあることといえるだろう。原監督は、まさにジャイアンツの歴史を塗り替えた一番の名将となった」  原監督は今季7月14日の広島戦(マツダ)で通算1035勝とし、ミスターの1034勝を超えて球団単独2位、歴代では単独12位となっていた。

◆中日・平田良介外野手(32)が9日、巨人17回戦(ナゴヤドーム)で史上307人目となる通算1000安打を達成した。平田と契約を結んでいる野球用品メーカー「SSK」は記録達成を記念し、10日正午から同社オンラインショップ(https://www.sskstores.jp/baseball/)限定で記念Tシャツを発売する。価格は6000円+消費税、サイズは130~160センチ、SからXOまで。

◆巨人が5-4で中日に競り勝って4連勝。貯金を今季最多の20とした。自身初となる3打席連続本塁打を記録し4打点を挙げた坂本は試合後、ヒーローインタビューに応じた。一問一答は以下の通り。  --先制2ランの感触は  「ここのところいい当たりが全然出ていなかったんですけど、久しぶりに気持ちのいい完璧なホームランでした」  --2本目は左中間。感触は  「その前の打席で、すごくいいイメージで打席に立てていたので、同じイメージで、変化球でしたけどうまくボールの内側にバットを入れられた」  --3本目は狙っていたか  「いえいえ全然。強いスイングをこころがけて、もう1点が欲しい場面だったので、いいバッティングができてよかったです」  --1試合3本塁打は記憶にあるか  「初めてですかね。うれしいです」  --これで自身15試合連続安打。苦しい時期もあったが盛り返した  「まだまだ、チームに迷惑かけた分これからもっともっと取り返せるように一日一日大事に頑張りたい」  --原監督が故川上哲治氏の持つ球団歴代最多タイとなる1066勝を達成  「僕が19歳から偉大な監督の下でプレーできていることを本当にうれしい」

◆三回の第2打席で通算1000安打を放った中日・平田良介外野手(32)は「打った瞬間に抜けると思いました。すごくうれしいです。いままで携わっていただいた監督、コーチ、先輩、後輩、ファンの皆さんに改めて感謝したいと思います」とコメント。15打席の間、足踏みが続いていただけに、「とにかく修正ポイントを早く探して、そこを修正していこうと思っていました。(修正ポイントは)まだ見つかっていないです」と語っていた。

◆中日・福田永将内野手(32)が上半身のコンディショニング不良のため、登録を抹消された。試合後、与田監督は「10日から2週間前後かかるかもしれないな、という予測ですね。あくまでも目安なので、症状がまず落ち着かないと、というところですけど、日々確認を取りながらになります」と話した。

◆巨人・坂本勇人内野手(31)が自身初となる3打席連続本塁打を記録した。三回に右中間へ12号2ラン、六回に左中間へ13号ソロ、さらに七回の第4打席で左翼へ14号ソロをほうり込み、プロ14年目で初の快挙を成し遂げた。  米大リーグや巨人で投手として活躍した上原浩治氏(45)はこの日、自身のツイッターで「ナゴヤドームでの3連発はすげぇや」と驚嘆。「最近、上がってきたんちゃうの?! 素晴らしい」と絶賛していた。

◆巨人の大城が3-3の七回、自己最多を更新する7号の勝ち越しソロ本塁打を放った。福の直球を左翼ポール際に運び「とりあえず塁に出ることだけ考え、その結果がホームランになった」と語った。  川上元監督に並び通算1066勝目を挙げた原監督は神奈川・東海大相模高、東海大の先輩。「勝利に携われてよかった」とうなずいた。

◆中日は打たれた6本の安打のうち、3本が坂本の本塁打だった。7月30日以来の先発となった岡野は六回途中4安打と粘ったが、坂本に2打席続けて一発を浴び「注意すべき打者に打たれてしまった。勝っている状態で中継ぎ投手に渡したかった」と悔やんだ。  3本目を打たれた3番手の福は2試合続けての失点。七回は2失点で敗戦投手になり「いつも任されたところで裏切ってしまって申し訳ない」と言葉少な。捕手の木下拓は「1打席に1球あるかないかの失投を逃さず打たれた」と脱帽した。

◆巨人は坂本が3打席連続本塁打で4打点を挙げ、チームは4連勝で貯金が今季最多の20となった。救援の鍵谷が移籍後初勝利。中日は計4本塁打を浴び、3連敗となった。  巨人・原監督は監督通算1066勝となり、川上哲治元監督に並んで球団歴代1位となった。  広いナゴヤドームの右中間最深部へほうり込んだ。坂本が三回1死二塁で先制の12号2ランをマークした。  「久しぶりに感触のいいホームランが打てました」。岡野の投げた144キロの低め直球を振り抜いた。この一発で15試合連続安打とし、2000安打まで残り52。六回には13号ソロを左中間席へ。さらに七回には3打席連発となる14号ソロもたたき込み、頼もしい主将が圧巻の活躍を見せた。  逆(右)方向への打球は久々だ。8月30日の中日戦(東京ドーム)以降に放った直近12本のうち11安打が左方向(1本は中堅方向)。右翼方向の安打は、同14日の中日戦(東京ドーム)の第1打席で放った右前打が最後だった。ミートポイントを前にした、以前から得意とする引っ張り打法で安打を量産する中、逆方向への打球がさらなる上昇を予感させた。  7月には自己ワーストに並ぶ26打席無安打を味わった。それでも9月は前日8日までの9試合で、打率・391。「感覚的に良いものが出てこない中でずっとやっているんですけど、結果として少しずつ出てきている」と本来の打撃を取り戻している。  「特にすごく変えたことはない。シンプルなことだけを考えて、考えすぎず、今までやってきたことを整理してやっています」。31歳にして経験豊富な主将は、自分のスイングの形だけを追い求めるブレない心を持っている。(谷川直之)

◆巨人は9日、中日17回戦(ナゴヤドーム)に5-4で勝ち、4連勝で今季最多の貯金20。主将の坂本勇人内野手(31)がプロ初となる3打席連続本塁打を放った。原辰徳監督(62)は14年目で監督通算1066勝とし、1965-73年にV9へと導いた故川上哲治氏(享年93)の持つ球団最多記録に並んだ。  --1点差の辛勝  「苦しいゲーム。勝負というのは簡単にはいきませんね。まあ、追い付かれることあっても、(中日が)上回ることはなかった。非常に辛抱強く戦えた」  --球団最多勝利数  「本当にまだ戦いの半ばで、どういうふうに考えてもなかなか言葉が出てこなくて。シーズンが終わると、また違った形で言葉にできるかもしれないけど、今はまだ本当に突っ走っている。その中でこういう数字に近づくことができた」  --川上氏から「監督とは」を聞いたことは  「そこまでの話はしていない。ただ、藤田(元司)監督と川上監督はとても親しくされていて、そういう話はよく藤田監督の方から教えていただいた。『ああ、そうなんだ』というようなことは、ありますね。まだまだ、やはり今日のような勝負ばかりですから。まだ(喜びに)浸れないというところですかね」

◆巨人は9日、中日17回戦(ナゴヤドーム)に5-4で勝ち、4連勝で今季最多の貯金20。主将の坂本勇人内野手(31)がプロ初となる3打席連続本塁打を放った。原辰徳監督(62)は14年目で監督通算1066勝とし、1965-73年にV9へと導いた故川上哲治氏(享年93)の持つ球団最多記録に並んだ。かつて川上氏に活躍を"予言"していたまな弟子が大きな3発で記録に花を添えた。  ド派手な3発で師匠に節目の1勝をプレゼントした。坂本が三回に右中間へ先制の12号2ランを放つと、六回は13号ソロ、七回は14号ソロ。原監督に球団歴代1位タイとなる通算1066勝を贈った。  「監督のもとで長く、一緒にプレーできているということは本当に財産。光栄です」  1試合3本塁打も3打席連発もプロ14年目で自身初。ナゴヤドームでは1997年の開場以来初の快挙だった。指揮官が通算勝利数で並んだ川上氏のように、ボールが止まってみえたわけでは「ない、ない!」と手を横に振ったが、大活躍の主将を原監督は「見事。見事な打球ですね」と頼もしそうにみつめた。  実は指揮官は川上氏に坂本の活躍を予言していた。第2次政権3年目の2008年4月12日。「永久欠番シリーズ」で東京ドームを訪れた川上氏に「若手が出てきた。坂本っていうのがいいんですよ」と声を弾ませて報告した。  当時19歳。前年にプロ初安打を記録したばかりの駆け出しだったが、その年は開幕戦スタメン出場を果たすと、打率・257、8本塁打をマーク。高卒2年目としてはセ・リーグ初の全試合先発出場で、飛躍のきっかけをつかんだ。その場に同席していた川上氏の長男でノンフィクション作家の貴光(よしてる)氏は「『若手をうまく使って、大したものだ』と話していた」と証言する。  原監督自身も大先輩との忘れられない思い出がある。入団4年目の1984年7月。練習日に多摩川グラウンドで川上氏から直接、打撃の手ほどきを受けた。"打撃の神様"と呼ばれた男の練習法は「すごくユニークだった」と、今も目を丸くして振り返る。  川上氏は投球マシンの球を体の近く、死球すれすれに投げさせ、打ち返す練習を課した。体を開かずに打つための究極の練習で「当時はOBとして来られていた。『しっかり打たなきゃ』って」。不振に苦しんでいた若大将は、翌日のヤクルト戦(神宮)でいきなり2発。これが通算99、100号のメモリアルアーチとなった。  指導者としては藤田元司、長嶋茂雄の両監督から薫陶を受けた原監督だが、13年10月28日に死去した川上氏は常勝巨人の象徴で憧れの人だった。監督就任後は「よくほめてくれていた」と指揮官。黄金時代を築き上げたレジェンドに、14年目、1925試合でついに肩を並べた。(伊藤昇)   V9時代に中心選手として活躍した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督 「1066という通算勝利数は大変立派であるが、それ以上に注目すべきは、やはり、川上さんの記録に並んだということに尽きるだろう。川上さんは、プロ野球史上唯一のV9を成し遂げた方である。シンプルな言葉になるが、それは本当にすごいことであり、大変意義のあることといえるだろう。原監督は、まさにジャイアンツの歴史を塗り替えた一番の名将となった」

◆原監督が川上哲治元監督の持つ巨人の監督通算最多勝利に並んだ。川上氏の長男で、ノンフィクション作家の貴光(よしてる)氏(74)が本紙の単独インタビューに応じ、「生きていれば『あっぱれ』と言っていると思う」と祝福した。(取材構成・伊藤昇、松尾雅博)  川上氏の長男・貴光氏は、V9に導いた名監督を誰よりも近くで見てきた人物。以前から親交がある原監督の偉業を、2013年に亡くなった父に代わってたたえた。  「生きていれば『あっぱれ』と言っていると思う。後輩が新しい記録を作るというのは、うれしいこと」  貴光氏は1989年に会社員からノンフィクション作家に転身。処女作『父の背番号は16だった』では、父の生い立ちから選手生活、監督時代までを丹念に描いた。  「選手時代は自己中心的でわがままな人間だった。『俺がジャイアンツの4番だ。俺が打てば勝つんだ』と」  転機は現役引退の58年。初代オーナー・正力松太郎氏に勧められ、岐阜・美濃加茂市の正眼寺(しょうげんじ)で修行したことだったという。監督就任の3年前、38歳だった。  正眼寺は厳格な禅寺として知られる。梶浦逸外住職のもとで修行するうちに、指導者としての資質を開眼していく。  「お寺でガツンとやられたそうです。いくら個人のプレーがうまくても、指導者としての能力は別ですから」  当時、梶浦老師からは「水と氷に例えるなら、あんたは氷。もとは同じものだが、氷では顔も洗えないし、花にやることもできない。どんな形の器にも沿うような水にするように考えなさい」と説かれたという。禅問答を続けるうちに監督の基礎が作られた。  「監督をやめるまで17年か18年は通い続けました。私は野球は門外漢ですが、原監督は私心ではなく、勝負の心で戦っている。自分の気持ちではなく、一手一手でベストを尽くす采配をする。今は円熟期。素晴らしい監督ですね」。2人を知る貴光氏は父に並んだ原監督に心からの拍手を送った。

◆巨人は9日、中日17回戦(ナゴヤドーム)に5-4で勝ち、4連勝で今季最多の貯金20。原辰徳監督(62)は14年目で監督通算1066勝とし、1965-73年にV9へと導いた故川上哲治氏(享年93)の持つ球団最多記録に並んだ。  1964年のプロ入りから11年間、川上巨人でプレーした本紙専属評論家の黒江透修氏(81)は2人の共通点に、ベンチでの落ち着きなどを挙げた。  監督は常に結果が求められ、中でも巨人は他球団よりも注目度が高い。2連覇すら難しくなった時代に、9連覇の川上さんや球界の象徴的存在の長嶋茂雄さんの勝利数に追いつき、追い越す監督が出てくるとは、考えたこともなかった。たいしたものだ。  原監督は川上さんと同様に決断が早く、ときには自チームの選手でさえ予想できないような手を打つ。選手の力をしっかりと把握し、信頼しているからこそ、できることだ。  経験を重ねることによって備わった、ベンチでの落ち着きと自信も、2人に共通する点だ。選手というのは常に監督の顔色をうかがっていて、自信をもって采配を振るう姿に安心する。  川上さんは私が(1964年に)入団した頃まで、喜怒哀楽が激しかった。原監督も指揮官となってしばらくは、選手が殊勲打を放つと満面の笑みを浮かべて、先頭に立って喜んでいた。今は「よくやった」と軽く手を挙げる程度。前政権時代からプレーしているベテランは、変化を感じていることだろう。  選手がミスを犯したとき、注意するのはコーチの役目。監督はジロリとにらむだけでいい。原監督は7月1日のDeNA戦で1点リードの八回に登板し、2四球でピンチを招いて降板した沢村をベンチで隣に座らせ、直接話をした。要はタイミングが大事で、選手にはこれが一番効く。(元巨人内野手)

◆原監督は伝統球団の新たな歴史をつくった。素直にたたえたいね。  もちろん、川上哲治さんとは単純に比較できない。あの9連覇などは無理に決まっている。  それでも、川上巨人には王貞治さん、長嶋茂雄さんの「ON」という2枚の大看板がいた。監督はベンチにドッカと座って、たまに貧乏ゆすりをするのが仕事だった?!  対して原巨人には、ONがいない。日々、怒りに震えながら采配していたのではないかな? 非情と温情を使い分け、選手起用をやりくりしながら、昨年までの監督通算13年間で優勝は8度。Bクラスは1度だけ。それも4位。実に立派な成績じゃないか。  今季もまさに、その手腕が光る。考えてみれば、これでよく大独走できるものだよ。  打撃30傑には坂本、岡本、丸の3人しか入っていないし、3割打者は1人もいない。投手陣も、先発で長いイニングを任せられるのは菅野だけ。抑えのデラロサは一時離脱した。そんな陣容でも、素晴らしいものに見せてしまうんだから。  この日だって、中川とデラロサを使わずに、1点差で逃げ切りだもの。  監督の資質と采配が、いかに大きな比重を占めるかを原監督が証明している。巨人の歴史をつくるだけではなく、球界全体に向けて、大事なことを突きつけていると思うよ。 (本紙専属評論家)

DAZN

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
巨人
42223 0.656
(↑0.005)
-
(-)
53327
(+5)
221
(+4)
87
(+4)
38
(-)
0.259
(↓0.001)
3.250
(↓0.01)
2
(-)
DeNA
34315 0.523
(↑0.007)
8.5
(-)
50304
(+6)
276
(+1)
68
(-)
14
(+1)
0.274
(↑0.001)
3.800
(↑0.04)
3
(-)
阪神
32324 0.500
(↓0.008)
10
(↓1)
52283
(+1)
276
(+6)
66
(-)
45
(-)
0.242
(-)
3.520
(↓0.04)
4
(-)
中日
31364 0.463
(↓0.007)
12.5
(↓1)
49239
(+4)
292
(+5)
39
(+2)
18
(-)
0.240
(-)
3.790
(↓0.02)
5
(-)
広島
26348 0.433
(-)
14
(↓0.5)
52301
(+10)
330
(+10)
70
(+1)
26
(+1)
0.266
(↑0.001)
4.450
(↓0.07)
6
(-)
ヤクルト
26366 0.419
(-)
15
(↓0.5)
52291
(+10)
350
(+10)
61
(+2)
41
(+2)
0.254
(↑0.002)
4.670
(↓0.07)