中日( -大雨による用具到着遅延により中止- )ヤクルト =リーグ戦12回戦・ナゴヤドーム=
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ヤクルト
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中日
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勝利投手:-
敗戦投手:-
  DAZN
◆中日吉見一起投手(33)はヤクルト戦通算15勝9敗と勝ち越し。  同カードの球場別勝敗は、敵地神宮では12年から5連敗中と苦戦も、本拠地ナゴヤドームで11年から8連勝中と対照的な成績を残している。

◆ナゴヤドームで午後6時から行われる予定だった中日-ヤクルト戦が中止になった。午後3時45分、発表された。豪雨のため、広島から移動しているヤクルトの荷物を載せたトラックの名古屋着のメドが立たないため。  ヤクルトの選手は前日5日のうちに名古屋入り。球場入りを見合わせ、ホテルで待機していた。中日は通常よりやや時間を遅らせてナゴヤドームで打撃練習などを行っていた。  主催の中日はリミットのメドを午後5時45分に定めていた。それまでに荷物を載せたトラックがナゴヤドームに到着しなければ中止の判断を下す予定だった。到着の時間によって午後7時開始に遅らせて開催することも検討していた。  ドーム球場での試合中止は過去に7度。(東京ドームで4度、ナゴヤドームで3度)。うち6度は台風や豪雨によるものだが、04年9月18、19日の中日-巨人戦(ナゴヤドーム)は選手会によるストライキで中止になっている。

◆豪雨のため、荷物を載せたトラックが広島から名古屋に届かなかったヤクルトは、石川雅規投手と小川泰弘投手が、黒いTシャツと短パン姿で練習を行った。グラブは中日の裏方スタッフに借りて準備。  着替えがないため、ジャケット姿でナゴヤドームに現れた小川淳司監督は「こういうのは初めて。どうすることもできない。車がストップしている。止まっている以上、どうすることもできない」と話した。  バットやグラブ、ユニホームなどを乗せたトラックは前日5日の午後7時ごろ広島を出発。6日午前2時には名古屋に到着予定だったが、兵庫付近で通行止めになって高速道路を降り、京都東インターに向かったが立ち往生になったという。

◆中日荒木雅博内野手(40)は6日、ナゴヤドームでのヤクルト戦がヤクルトの用具運搬車未着のため中止になったことを受け「いい判断と思う」と持論を語った。  「球場では試合ができるけど、それ以外のところで大変な人はたくさんいる。そう考えると中止は当然。運転手さんも大変でしょう」と理解を示した。中日の本拠地ナゴヤドームが中止になるのは4度目。97年は台風、98年は東海豪雨、04年は選手会によるストライキで、試合が行われなかった。  荒木は高卒2年目だった97年7月26日の巨人戦が中止になった際、1軍にいた。1軍デビューしたばかりで当時まだ19歳。「屋根があるドームなのに、そういうこともあるんだって思った」と振り返る。  熊本県出身で、16年4月の熊本地震の際にはいち早く大量の支援物資を送った。シーズンを戦いながら、親族・知人だけでなく地元の人々の暮らしを常に気にしていた。

◆6日午後6時からナゴヤドームで予定されていた、中日-ヤクルト12回戦が中止になった。ヤクルトの用具運搬トラックが豪雨の影響で広島からの移動中に足止め。名古屋到着のメドが立たず、午後3時45分に中止が発表された。用具車未着による中止は史上2度目。  ヤクルトは前日5日の広島戦(マツダスタジアム)が中止になり、チームは同日のうちに名古屋入り。用具車は午後7時に広島を出発し、深夜2時に到着予定だった。午前9時ごろに中日側に「間に合わない可能性」の連絡が入った際には京都付近にいた。  その後、栗東インターから高速道路に乗るところで渋滞にはまり動けなくなった。中日は1時間遅れの午後7時開始も想定していたが、状況を見て開門前に中止を決めた。ドーム開催で天気予報も問題なかったため、中止は想定していなかった。食堂や売店は通常通り準備せざるを得ず、食材の扱いに苦慮。普段はあり得ない「ナゴヤドームのチケット」払い戻しの対応にも追われた。  昼ごろにドーム入りした選手には、中止や遅延の可能性が伝えられた。練習はやや遅い進行で行われた。選手会長の福田は「仕方ないですね。でもやりたかった」。先発に向けて調整していた吉見は「何もないですよ」とだけ話し、森監督は「読めないな」と複雑な表情。豪雨の影響が思わぬところに波及した。【柏原誠】  ◆ドーム球場の中止 熊本地震の影響で中止となったヤフオクドームの16年4月16日ソフトバンク-楽天戦以来で、公式戦では両リーグ26度目(他に日本シリーズ1試合、CS1試合)。26試合のうち6試合は04年9月18、19日に選手会のストライキで中止となっている。ナゴヤドームの中止は、台風接近で交通機関の乱れを配慮した97年7月26日中日-巨人戦、記録的豪雨で球場が浸水した00年9月12日中日-広島戦、ストライキで中止の04年9月18、19日中日-巨人戦に次いで5度目。  ◆道具届かず中止 後楽園球場で予定されていた79年7月13日、日本ハム-南海戦がある。東名高速日本坂トンネル火災の余波で道路が渋滞。前日に日生球場で試合を行っていた南海の道具が大阪から届かずに中止となった。

◆6日午後6時からナゴヤドームで予定されていた、中日-ヤクルト12回戦が中止になった。ヤクルトの用具運搬トラックが豪雨の影響で広島からの移動中に足止め。名古屋到着のメドが立たず、午後3時45分に中止が発表された。用具車未着による中止は史上2度目。  中日岩瀬は「天災なので何も言えない。その話は思い出したくないですね」と苦笑いした。00年に東海豪雨のためナゴヤドームでの試合が中止になった際、ドーム内の駐車場にとめていた高級外車が水没した経験がある。荒木は97年の台風の影響による中止の際に1軍にいた。「ドームでも中止になるんだと思った」と振り返り「球場で野球はできても、それ以外で大変な人がたくさんいる。(ヤクルトの)運転手さんも大変。中止はいい判断だと思う」と語った。

◆西日本を中心とした豪雨の影響で広島からの到着が遅れていたヤクルトの用具を運搬したトラックが、午前4時半頃に名古屋に到着した。ユニホームのランドリーは練習開始直前に仕上がり、この日のデーゲームに間に合った。  トラックは5日の午後7時に広島を出発し、到着まで約33時間を要した。小川淳司監督は「大変だったと思います」とドライバーをねぎらい「中日にも、チケットを取ってくれていた人にも申し訳ない」と話した。  用具が届かない理由で試合が中止になったのは、79年7月13日の日本ハム-南海以来だった。

◆名古屋市東区のナゴヤドームで6日に予定されていたプロ野球の中日-ヤクルト12回戦が、大雨の影響でヤクルトの用具を運ぶトラックの球場到着が大幅に遅れたため中止となった。5日午後7時ごろ遠征先の広島市を出発し、6日午前2時ごろ名古屋に到着予定だったが、途中の交通事情が悪かったため間に合わなかったという。  今後の状況次第では7日の試合も中止の可能性がある。ヤクルトの小川淳司監督はナゴヤドームで「何とも言いようがない。(用具運搬の)車がストップしていると聞いた。どうしようもない」と残念そうに語った。選手、スタッフは5日に名古屋入りしていた。  ナゴヤドームでは1997年に台風による交通機関の乱れ、2000年に豪雨による場内浸水、04年に選手会ストライキで中止になっており、今回で4度目。用具が届かないための中止は、セ・リーグでは初。パ・リーグでは東名高速道路日本坂トンネルの事故の余波による渋滞で、東京・後楽園球場で1979年7月13日に予定されていた日本ハム-南海(現ソフトバンク)が開催できなかった例がある。  ヤクルト側に確認して最終的に中止を決めた中日の西山和夫球団代表は「遅延してもやれる状況ならやりたかったが、めども立たないので。ファンのみなさまに大変申し訳ない」と話した。

◆中日は思いがけない形で5日に続き、今季4度目の中止となった。先発予定だった吉見は「何もありません」と足早にロッカーへ消えた。  いつも通りの試合前と同じ練習をこなした選手会長の福田は「体力的には回復するが、試合に向けて準備してきたのでやりたかった。こればっかりはしようがないです」と諦め顔だった。

◆ヤクルトの小川監督は中止を受け、6日に登板予定だった石川をスライドさせず、7日に小川を先発させることを明かした。大雨の影響で用具が届かず、石川と小川はナゴヤドームに隣接する商業施設でトレーニングウエアやシューズを購入してからドームでキャッチボールやダッシュなどを行った。  小川は「練習も一通りやれているので大丈夫。試合をつくりたい」と意気込み、石川は「次言われたところで投げるだけ。切り替えたい」と話した。

◆名古屋市東区のナゴヤドームで6日に予定されていたプロ野球・中日-ヤクルト12回戦が、大雨の影響で中止となった。ヤクルトの用具を運ぶトラックが前日5日午後7時に遠征先の広島市を出発したものの、試合開始予定時刻までに球場に到着できなかったため。用具の到着遅れによるプロ野球の試合中止は1979年7月13日の日本ハム-南海(後楽園)以来、39年ぶり。7日の開催への影響も心配される。 午後3時45分、ナゴヤドームでは2004年のストライキ以来となる中止が決定した。午後5時に報道対応のため球場を訪れたヤクルト・小川監督は、ジャケット姿で説明した。  「(開催決定の)リミットから逆算して、どこまで待つかという判断だった。われわれは荷物が届き次第ということ。ミーティングをして試合をやる前提で動いていた」  東日本から西日本の広い範囲で降り続いた大雨が、天候の影響を受けないはずのドーム球場での試合にも影響を及ぼした。  前日5日の広島戦(マツダ)が雨天中止となり、チームは交通網の混乱を予想して予定を1日早め、5日夜に新幹線で名古屋入りした。バットやグラブ、ユニホームを載せた用具運搬車も宿舎で選手のスーツケースなどを積み、同午後7時に広島を出発。ユニホームの洗濯を見据え6日午前2時の到着を目指していたが、大雨の影響は想定をはるかに超えていた。  山陽道で通行止めや渋滞が相次ぎ、5日深夜時点で名神高速道路・京都東インターチェンジに向かったが立ち往生。6日午後5時45分までに荷物が到着すれば、試合開始を1時間遅らせて開催することも検討された。しかし、午後3時時点で栗東インターチェンジ(滋賀・栗東市)手前で名神高速に乗ることができず、中止が決まった。 用具の到着遅れによる中止は、東名高速道路・日本坂トンネル火災の影響を受けた1979年7月の日本ハム-南海(後楽園)以来。小川監督は「トラックなので細い道は走れないから。運転手が心配だよ」と気遣った。  中止決定後には、この日先発予定だった石川と7日に先発する小川がナゴヤドームで調整した。練習着、スニーカーがないため、近くの大型商業施設で購入。グラブは中日側から借りた。思わぬ事態で8日に登板がずれた石川は「グラブがあれば練習できる。違和感なく調整できた。次の登板に備えたい」と前を向いた。  状況次第では、午後2時開始の7日の試合への影響も懸念される。各地を襲った大雨は、思わぬ形でプロ野球界も直撃した。 (長崎右)
7日に先発するヤクルト・小川 「練習も一通りやれているので大丈夫。試合をつくりたい」
★つば九郎がドアラと"競演"  異例の中止を受け、ヤクルト球団マスコットのつば九郎が中日のドアラと"競演"した。色紙に「中止」と書いたドアラに対し、つば九郎は「これいじょう あめのひがいがおおきくなりませんように...」とお願い。「あめのばかやろ~!!」と結んでいた。
プロ野球・過去の珍しい理由による試合中止  ★観客乱入 1952年7月16日の西鉄-毎日(平和台)。四回裏に日没中止を宣告しようとした際、観衆がグラウンドに乱入。  ★破損した施設修理 64年7月1、2日の広島-阪神(広島)。6月30日の同カードでノーゲーム宣告に激怒した観客がグラウンドに乱入。防球ネットなどが破損され復旧できず。  ★新幹線不通 74年9月13日のパ・リーグ全3試合。事故による新幹線の運休で日本ハム-近鉄(後楽園)、南海-太平洋(大阪)、阪急-ロッテ(西宮)が中止。各チームは私鉄と航空機で移動したが、それも遅延した。  ★桜島降灰 78年のクラウン-ロッテ(鹿児島)。鴨池球場のナイター開きだったが、台風の余波による強風と桜島から噴き出す灰で濃い霧がかかったような状態となった。  ★用具届かず 79年7月13日の日本ハム-南海(後楽園)。東名高速・日本坂トンネル火災の余波で道路が渋滞し、南海の用具が届かなかった。

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
広島
423110.575
(↓0.008)
0
(-)
69370
(-)
322
(+4)
84
(-)
42
(+1)
0.263
(↓0.001)
4.09
(↑0.01)
2
(-)
阪神
353710.486
(-)
6.5
(↑0.5)
70280
(-)
309
(-)
42
(-)
43
(-)
0.244
(-)
3.77
(-)
3
(-)
ヤクルト
343710.479
(-)
7
(↑0.5)
71321
(-)
348
(-)
65
(-)
38
(-)
0.256
(-)
4.36
(-)
4
(↑1)
巨人
364010.474
(↑0.007)
7.5
(↑1)
66343
(+4)
312
(-)
71
(+1)
42
(+2)
0.26
(-)
3.88
(↑0.05)
5
(↓1)
DeNA
343820.472
(-)
7.5
(↑0.5)
69285
(-)
318
(-)
86
(-)
50
(-)
0.249
(-)
3.92
(-)
6
(-)
中日
334210.44
(-)
10
(↑0.5)
67301
(-)
355
(-)
47
(-)
39
(-)
0.258
(-)
4.47
(-)