DeNA(★2対3☆)巨人 =リーグ戦24回戦(2019.09.21)・横浜スタジアム=
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巨人
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DeNA
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勝利投手:大竹 寛(4勝0敗0S)
(セーブ:デラロサ(1勝0敗8S))
敗戦投手:三嶋 一輝(5勝4敗0S)

本塁打
【DeNA】乙坂 智(2号・3回裏2ラン)

  DAZN
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◆巨人が5年ぶりのリーグ優勝を決めた。巨人は1点を追う9回表、2死一二塁から小林が適時打を放ち、土壇場で同点とする。続く延長10回には、増田大の適時打が飛び出し、勝ち越しに成功した。投げては、6番手・大竹が今季4勝目。敗れたDeNAは、守護神・山崎が誤算で痛い逆転負けを喫した。

◆巨人ドラフト6位ルーキーの戸郷翔征投手が、リーグ優勝に王手をかけた21日DeNA戦でプロ初登板初先発する。宮崎から両親も駆けつける予定で「明日は楽しんでやりたいです」と白い歯をこぼした。 対戦したい打者にソトを挙げ「素晴らしい打者を抑えてなんぼ」と強気の姿勢を見せた。高卒新人投手の1年目での勝利となれば球団では02年真田裕貴以来17年ぶり。 原監督は00年生まれの19歳に「若武者らしくね、結果を気にせず、自分の投球をしてほしい」と期待を込めた。

◆巨人の小林誠司捕手が土壇場で粘った。1点を追う9回2死一、二塁。相手守護神の山崎から起死回生の右前適時打をマークした。7回の守備から途中出場し、最初の打席で貴重な一打。二走重信も快足を飛ばし、一気に生還した。あと1人の窮地から試合を振り出しに戻した。

◆巨人が21日、5年ぶり37度目のリーグ優勝を果たした。球団史は以下の通り。 日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時の読売新聞・正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)など今回で37度目。日本シリーズ優勝22度。オーナーは山口寿一氏。 原辰徳監督は高橋由伸前監督の退任に伴い、18年オフに19代目の監督として就任した。3度目の監督就任は球団史上初。7月に監督通算1000勝を達成するなど、自身8度のリーグ制覇に導いた。

◆先発はともにルーキーのDeNA上茶谷、プロ初登板の巨人戸郷。DeNAが3回2死二塁、乙坂の右越え2号2ランで先制した。 巨人打線はDeNA上茶谷の前に6回まで単打2本で二塁を踏めず。戸郷は4回2/3を2失点で降板。2点差のまま終盤へ。 巨人は1点を追う9回、小林がDeNA山崎から同点の適時打。9回裏は大竹が危なげなく封じ、延長戦に持ち込んだ。 巨人は延長10回2死一、三塁から増田大の適時打で勝ち越し。デラロサがその裏を締め、5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。巨人大竹が4勝、DeNA三嶋4敗目。

◆勝てば5年ぶりのリーグ優勝が決まる巨人のドラフト6位ルーキー戸郷翔征投手(19)がプロ初登板初先発に臨み、5回途中2失点と堂々たる投球を披露した。 周囲の期待をはるかに上回る立ち上がりだった。初回、DeNA乙坂に対してプロ第1球は外角151キロの直球でボールとなったが、2球目以降も直球を押し切り空振り三振。梶谷、ソトも内野ゴロに打ち取り、7球で3者凡退に抑えた。 2回も無安打に抑えたが、0-0の3回。2死から戸柱に右中間へ二塁打を打たれ初安打とされると、続く乙坂に2ボールから真ん中高めの150キロを右翼席へ運ばれ、先制2ランを許した。 それでも4回を3人で抑え、5回2死一、二塁とされた場面で、原監督から2番手高木へと交代を告げられた。 61球を投げ直球33球中27球が150キロをマーク。自己最速タイの154キロも計測し存在感を示した。 高卒新人投手の1年目でのデビューは04年平岡政樹、西村健太朗以来15年ぶり。エース菅野が腰痛で離脱し、先発の枚数不足が深刻化する中、00年生まれの19歳がサプライズを起こした。

◆DeNA乙坂智外野手(25)が先制の2号2ランを放った。 3回2死、戸柱が右中間二塁打でチャンスメーク。カウント2ボールで、プロ初登板初先発の巨人戸郷翔征投手(19)の高め150キロを右翼席最前部へ運んだ。 「打った感触はよかったです。打てるボールがきたら、積極的にいこうと決めていました。先制することができてうれしいです」と振り返った。 チームは2位につけているが、負ければ目の前で巨人の優勝が決まる。

◆巨人が5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。 優勝が決まった瞬間、原監督の大きな目から涙がこぼれた。マウンド上にできた歓喜の輪に中で指揮官の体が横浜の夜空に8度胴上げで舞った。 左翼席方向に陣取るファンの歓声に応えた原監督は自身8度目、5年ぶりの優勝に「非常に新鮮ですね」と第一声。「年を取ると涙腺が弱くなるのかも知れない。チームワークは今までにない素晴らしいチームだった」と声を震わせた。 優勝の懸かる大一番に高卒ルーキーの戸郷が先発を任された。150キロ台の直球を武器に1、2回を無得点に封じたが、3回2死二塁で乙坂に先制となる2ランを浴びるなど5回途中2失点で降板した。 7回に捕逸で1点差に追い上げると、9回2死一、二塁で小林の値千金の適時打で追いついた。 延長10回2死一、三塁で途中出場の増田大の適時打で勝ち越しに成功。最後はデラロサが締めくくった。 今季は6月に首位つとそのままゴールテープをきった。巨人は日本シリーズ進出をかけて9日からのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでファーストステージの勝者と対戦。2012年以来、23度目の日本一を狙う。

◆巨人が5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。自身8度目のリーグ制覇となった原辰徳監督は目には涙を浮かべながら8度、横浜の夜空に向かって宙に舞った。主将の坂本勇人と抱き合った。 優勝監督インタビューでは「(今年の優勝は)非常に新鮮。年を取るとちょっと涙腺が弱くなるかもしれないですね。阿部、亀井、坂本、岡本も全て固定観念というものを捨てて、どういうチーム作ると勝てるのか。その一点に集中してですね、秋からやってきました。不慣れなポジションでプレーした人、いろいろありましたがまだ強くなる。と同時に物足りなさもある。このチームはまだ強くなる。でもチームワークは今までにない素晴らしいチーム」と喜びをかみしめた。

◆巨人がDeNAに延長10回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目の優勝を決めた。1リーグ時代の9度を含めると46度目。今季から巨人で3度目の指揮を執る原監督にとっては通算8度目の優勝となった。今季は6月に首位に立つと一度もその座を譲らなかった。8月上旬には一時2位のDeNAに0・5ゲーム差にまで迫られたが、投打のバランス良く、白星を重ねて振り切った。日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)は10月5日に開幕し、巨人は9日からのファイナルステージでファーストステージの勝者と対戦。2012年以来、23度目の日本一を目指す。

◆巨人が21日、5年ぶり37度目のリーグ優勝を果たした。 巨人原監督の優勝監督インタビュー「(今年の優勝は)非常に新鮮。年を取るとちょっと涙腺が弱くなるかもしれないですね。阿部、亀井、坂本、岡本も全て固定観念というものを捨てて、どういうチーム作ると勝てるのか。その一点に集中してですね、秋からやってきました。不慣れなポジションでプレーした人、いろいろありましたがまだ強くなる。と同時に物足りなさもある。このチームはまだ強くなる。でもチームワークは今までにない素晴らしいチーム」

◆巨人が5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。◆優勝が決まった日に先発した高卒新人 過去は62年尾崎(東映)だけで、戸郷が2人目。 尾崎は同年9月30日大毎戦に先発して6回1失点。勝ち負けは付かず試合も引き分けに終わったが、2位の南海が敗れたため東映のリーグ優勝が決まった。尾崎はこの試合までに18勝9敗の成績(最終的に20勝9敗)で、V決定日に初先発した高卒新人は戸郷が史上初めてだ。

◆優勝請負人の巨人丸佳浩外野手が、自身"4連覇"を飾った。 3連覇を達成した昨年のオフに、広島から巨人に移籍。2番坂本勇との「サカマル」コンビで打線を引っ張った。 この日は5打数無安打だったが、チームは逆転で優勝を決め「最後まで苦しかったですけど、チーム一丸で勝ち取れてうれしいです。選手として、幸せです」と笑みがはじけた。

◆リーグトップの15勝を挙げた巨人山口俊投手は「うれしいですね。2年間あまりチームに貢献できなかったですけど、優勝に貢献できてよかったです」とうなずいた。 DeNAからFA移籍して3年目。1年目は1勝1敗、2年目は9勝9敗と勝ち越せなかったが、今季は11の貯金をつくった。エース菅野の離脱など先発投手の枚数が不足する中で、2本柱としてチームを支えた。

◆西武からFA移籍で加入した巨人炭谷銀仁朗捕手は、昨季から"2連覇"を果たした。 「また違うものがあります。何度か(優勝の)経験はありますが、何回やってもいいですね」と喜んだ。菅野の離脱など先発ローテが不足する中で、大黒柱として1年を通して投手陣をけん引した。初先発の戸郷も「堂々としていて(本人も)楽しかったと言っていた」と好リードした。

◆DeNA三原球団代表が、1年契約のラミレス監督の去就について「まだ何も決まってません」と話した。 リーグ優勝を逃した21日巨人戦後「まだ我々には続きがあるので。そちらを見据えてみんな戦っている最中。(監督の)去就に関してはまだフラットです」と説明した。

◆DeNAがまさかの逆転負けで、目前Vを決められた。乙坂の2号2ランで先制し、上茶谷は6回1/3を1失点と好投。 1点リードで9回を迎えたが、守護神山崎が2死無走者から連続四球。一、二塁とし、小林に同点適時打を浴びた。最後は延長10回に三嶋が増田大に勝ち越し打を献上。ラミレス監督は「こういうことは野球では起こり得る。選手はここまで全力を尽くして頑張ってきたし、何も恥じることはない。これからは"プランB"で2位を狙っていく」と次を見据えた。 ▽DeNA山崎(9回2死からピンチを招き、同点打を献上)「上を向いていくしかない。また明日頑張ります」 ▽DeNA筒香(19日広島戦で右手小指付近に死球を受け、巨人との2連戦を欠場)「明日も試合がありますし(気持ちは)最後まで変わらずやるだけです。野球選手なら試合に出たいという思いはだれでもあると思う。まだ残り試合もあるので、そこに向けてやるだけです」。

◆巨人が5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。 ベテラン阿部慎之助捕手が感極まった。試合後、レフトスタンドに向かう原辰徳監督から「久しぶりだな。うれしいな」と肩を組まれたが「言葉に詰まって返せなかった。本当にうれしい」と目頭を熱くした。 2点を追う7回1死一、三塁に代打で登場。絶大なオーラで相手の捕逸を誘い1点差とし、冷静に四球を選び、つないだ。「ずっと、まくられるんじゃないかとみんなやってきた。今日決められてよかった」と安堵(あんど)感もにじませた。

◆巨人のドラフト6位ルーキー戸郷翔征投手がプロ野球史上初のデビューを飾った。 優勝の決まった大一番に高卒新人として初めて、プロ初登板初先発で抜てきされた。150キロ超の直球を連発する堂々たる投球内容で4回2/3を4安打2失点。ミラクル初勝利にはあと1歩、届かなかったが「(緊張で)涙が出そうだった。でも楽しかったです」と、けれん味のない新星が歓喜の輪に加わった。 長い腕を生かしたダイナミックなフォームに将来性を予感させた。「最初から全力で飛ばした」と立ち上がりからフルスロットルで相手打線に挑んだ。初回を3者凡退で滑り出すと、直球を軸にカットボール、フォークを操りイニングを進めた。3回に2死から安打と乙坂の2ランで先制を許すもマウンドの19歳は躍動。5回2死一、二塁で降板を告げた宮本投手総合コーチは「よく頑張った!」。ナインからもハイタッチで迎えられた。 身長186センチ、体重72キロ。バレーボール選手だった母譲りの長い腕が特徴。プロ入り後は地道なトレーニングと走り込みを重ねて最速が5キロアップし154キロ。伸び盛りの"持ってる"長身右腕がCSでの躍進も十分に予感させた。【為田聡史】

◆巨人が5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。 優勝が決まった瞬間、原監督の大きな目から涙がこぼれた。マウンド上にできた歓喜の輪に中で指揮官の体が横浜の夜空に8度胴上げで舞った。 優勝を決めた各選手、コーチのコメントは次のとおり。 ▽巨人沢村(1点を追う8回1死一塁で登板し、2/3回を無失点)「(優勝の瞬間は)ウルっときた。みんなで勝ち取った優勝だと思います」 ▽巨人大竹(同点の9回に登板し、無失点で今季4勝目)「勝ちにつながったので最高です。毎日必死にやっていて、その積み重ねでここまでこれた」 ▽巨人亀井(延長10回に四球で出塁し、勝ち越しの生還。1番打者で優勝に貢献)「うれしいよ。その一言。みんなに助けられたし、みんなで優勝を取った」 ▽巨人高橋(ルーキーで開幕ローテに入って、優勝を経験)「貢献できたかはまだわからないですけど、こういう場面に立ち会えたことはすごい幸せだなと思います」

◆巨人増田大輝内野手が、優勝を決める殊勲打を放った。同点の延長10回2死一、三塁。丸から「引き付けて打て。あとは大丈夫」と声を掛けられ、「真っすぐ1本」に狙いをしぼって、DeNA三嶋の直球を中前にはじき返した。 「デッドボールでもいいからつなごうと。セカンドに取られるかなと思ったけど、抜けたので本当によかった。何とも言えない喜びです」と一塁上で笑顔で拳を握った。 育成ドラフトで入団し、徳島で生活する妻、2人の子どものサポートを受け、ハングリー精神ではい上がった。「まさか、僕が1軍の舞台で優勝につながるヒットを打てるなんて。すごい宝物になります」と感激した。原監督の胴上げ後、先輩の表情に優勝を実感した。「(坂本勇ら)みんな泣いてたんで、僕ももらい泣きしそうになって。大の大人が泣くくらい、最高のことなんだと実感した」とかみしめた。【久保賢吾】

◆巨人が5年ぶり37度目のリーグ優勝を決めた。以下は原監督一問一答 -涙の思いは 原監督 過去にも何回か優勝というのを経験しているんですが、あれほどあからさまに涙が出たのは自分でも驚いております。自分にとっては素晴らしい涙でございました。 -優勝の要因は 原監督 チーム全員が勝つことに対し非常に飢えていた。「やっぱり巨人軍でいよう。個人軍じゃダメだ」ということを全員が認識し、私も新任監督という中でやったつもりです。 -今年のチームは 原監督 まだまだ強くなると同時に、物足りなさはある。チームワーク、1つになる点では今までにない素晴らしいチーム。 -若い選手を積極的に起用した 原監督 誰にでもチャンスがある。ほとんどの選手が1軍に来た。現在もチームの中では競争をしている。まだまだ強くならなければいけない。 -キャプテンの坂本勇の活躍について 原監督 入団1年目から彼を見ていて、非常に頼もしく大きく成長している。私はここまでのぶっちぎりのMVPだと思います。 -CS、7年ぶりの日本一に向けて道のり 原監督 まだまだ道は険しい。しかし、我々は謙虚にスタートしたチーム。大きな目標は持っております。その気持ちを変わらずに、目標を達成したい。

◆巨人坂本勇人内野手が、主将就任5年目での初優勝に瞳を潤ませた。 試合開始前の円陣では「ここまでみんなの力でやってこれたので、今日勝って優勝決めるよ。オーケー? さぁ、行こう」と鼓舞。4回無死からチーム初安打となる左前打をマークし、延長10回無死一塁では四球で決勝点を演出した。「うれしいです。(優勝は)いいものですね」といつもはクールな男も感極まった。

◆巨人主砲の岡本和真内野手が、プロ5年目での初優勝に感動した。昨季は史上最年少で「3割・30本・100打点」を達成。 今季は原監督から「ビッグベイビー」と時に叱咤(しった)激励さながら、2年連続の30本塁打を達成し、立派に巨人の4番を務めた。「とにかく、うれしいです」と美酒に酔いしれた。

◆3000本のビールが準備された巨人の祝勝会は、都内で午後10時45分からスタート。約20分間で泡と消えた。 主将の坂本勇が「これから日本一に向けてクライマックスシリーズ、日本シリーズがありますが、今日は酒を浴びて浴びて浴びるぞ!」と乾杯の音頭をとった。19歳の戸郷は「ビールをかけないでください」と書かれた札をぶら下げ、炭酸水が用意された。

◆頬を伝わる涙をぬぐい、横浜の夜空に舞った。復帰1年目の巨人原辰徳監督(61)が、球団ワーストタイの4年連続V逸したチームを再建。14年と同じ横浜スタジアムで5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた瞬間、涙がこぼれた。 貫き続ける信念と、時代の変化に合わせた柔軟な思考。勝利と次代を担う後継者の育成を両輪に据え、令和元年に盟主の誇りを取り戻した。7年ぶりの日本一へ、クライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージ(10月9日開幕)で日本シリーズ進出を目指す。大好きな横浜に、5年前と似た心地いい秋風が吹いていた。1点を追う9回2死走者なしから追い付き、延長10回に勝ち越す劇的な優勝。原監督は、泣けて泣けて、涙が止まらなくなった。「年をとると、ちょっと涙腺が弱くなるかもしれません。全ての固定観念を捨てて、どうやったら強くなるか。勝てるか。そのことに集中して秋からやってきました」。歓喜の言葉より先に、チームを強くするための思いがあふれ出た。 どう勝つか。その1点にこだわり、激情を胸に秘めて戦い抜いた。 自宅の寝室のベッド脇には伝説のメジャーリーガー、タイ・カッブの肖像画を飾る。大リーグ最多3度の打率4割を記録しながら「メジャー史上最も嫌われた男」と称される。スパイクの歯を相手に向けた併殺崩しのスライディングを生み出し、選手、ファンへは暴行...「奇人」「変人」と呼ばれた実力者を選んだ。 「指導者は鬼にならないといけない。そこが自分には足らない。朝起きて、最初に目がいくところに飾ってあるんだ」 監督にとっての「鬼」とは「決断をすること」。徹底した実力至上主義の中、138試合で110通りの打線を組んだ。チーム全員で戦う野球が原点。「ベンチにぬくぬく座っている選手はいない」と展開を読み、自ら準備する姿勢を求める。今季1軍の試合に出場した選手は、大一番の先発に抜てきした19歳の戸郷でリーグ最多タイの60人。外国人にも特権は与えず、1、2軍の入れ替えを活発にして緊張感を生んだ。 ぶれない信念を貫きながら、時代の変化に合わせたスタイルを取り入れる。今季から首脳陣、1軍野手によるLINEグループ「Gミッション」を作成。大リーグ球団でも採用されている手法で、試合前日に先発メンバーを伝達する。 スタンプは禁止だが、時には監督からのメッセージを配信。ベテラン、若手と情報を共有することで結束を図り「メンバーを早く知ることで、コンディションも整えられる。ミッション(作戦)だな」。選手との対話も重視。投手には中6日で120球、中5日は110球と故障防止のための球数制限を設け、投打で長いシーズンを戦い抜いた。 4年前、高橋前監督に道を譲った。「若きリーダーにバトンを託した。戻る気はサラサラなかった」。思いは、巨人がかつてない危機を迎えたことで覆る。昨年10月27日、晩秋のジャイアンツ球場。還暦で監督復帰を決断した直後、初めて足を踏み入れた。若手選手の声とともに、懐かしい芝の香りが漂った。 「1つだけ不安だったことは、僕に情熱が残っているか。1歩、2歩、3歩...、4歩目ぐらいで血管の中の血がカァーっと熱くなった。まだ大丈夫だと」 選手補強、組閣と編成面の責任も背負い「全権監督」として未来の巨人の礎を築きながら、勝った。後継者候補の阿部にはベンチにいる時は監督のつもりで試合を見るように伝え、次代を担うコーチには厳しい指導を求めた。「時代はいつか滅びる。でも巨人軍は滅びるわけにはいかない」。平成元年は4番として日本一に導き、令和元年は5年連続V逸の危機を救った。 原監督にしか成し得ないミッションを完遂すると、敵地に響く大歓声の中、涙をぬぐいながら、歓喜の輪に歩みを進めた。阿部が、坂本勇が、丸、岡本が、両手を広げて待っている。ともに戦い、育てた選手の手で8度宙に押し上げられた。【前田祐輔】

◆3度目の監督に復帰した原監督がV逸の球団ワースト記録を阻止した。8度目のリーグ優勝。今更"戦術手腕"を説明するまでもないだろう。 今回、見逃せないのは全権監督として任された"戦略手腕"だろう。 復帰を打診された後、水面下でオフの補強戦略が進んだ。当初、球団から推奨されたFA補強の優先順位は、丸、浅村、西。どの選手も高額な条件が必要で、獲得できるのは2選手まで。「このチームには左のパワーヒッターがいない。何としてもとらいといけないのは、丸」と絞り込んだ。 絞った理由はいくつもあった。当初、丸は広島残留が本線という情報だった。来年、優勝争いの最大のライバルは、3連覇中の広島になると見越した上で「浅村も西もウチで戦力になる。でも姑息(こそく)な考えかもしれないけど、丸がとれれば広島の戦力をそぐことにもつながる。パの2人に比べれば、この差は大きい。丸だけは、何としても」と浅村と西に見向きもせず、方向性を固めた。「練習熱心だし、怠慢プレーもしない。長い契約をしてもいい。若い選手のお手本になる」。プレースタイルや性格面も調査した上での戦略だった。 FA補強のもう1枠は、炭谷だった。「このままの小林じゃ、チームにとっても彼にとってもよくない。競い合って底上げできれば投手陣にもプラスになる。炭谷は経験もあるし、小林とは違った持ち味がある」。投手をリードする捕手だけに、弱点だった中継ぎ陣補う狙いがあった。 ペナントを見据えた眼力。「広島は丸がいなくなってもバティスタがいる。層は薄くなっても、バティスタを使えば、それほどのマイナスにはならない」と読んだ。前半戦はもたついた広島だが、バティスタをスタメン起用してから快進撃。そのバティスタは薬物問題で出場停止になったが、ライバルの戦略まで的確に見通していた。 フロントも原監督を支えた。好調だった前半戦中に「クックは計算できない。新しいストッパーを探してほしい」と要望。素早くデラロサを獲得し「助かった。彼がいなかったら今ごろボロボロだったよ」と苦笑いしながら感謝した。優勝するために必要な戦力を見極め、確実な補強を遂行させた。巨人にとって何よりの補強は、原監督の復帰だった。【小島信行】

◆巨人が14年以来、5年ぶりセ・リーグ37度目、1リーグ時代から通算46度目のリーグ優勝を決めた。 <セ他球団監督のコメント> ◆DeNAラミレス監督 細かい数字は1番じゃなくても順位はトップ。その日その日を絶対に勝ちにいくという気持ちが強い。弱点のないNO・1チーム。 ◆広島緒方監督 勝ったチームが強いということ。(シーズン序盤に)いいスタートが切れなかった。実績のある投手が不調、もしくは故障というところで抜けた穴を埋め切れなかった。 ◆中日与田監督 巨人は一振りで1点が入るという強さを持っている。代打陣についても、非常に強力な選手がたくさんいる。いろいろな反省点はある。 ◆阪神矢野監督 得点力に一番、差を感じた。丸が入ったことで2、3番が固定され、坂本勇、丸の相乗効果が大きかった。成績を見れば、うちが貯金をつくらせてしまった。もっといい勝負をしないといけなかった。 ◆ヤクルト小川監督 チーム力が非常に高かった。丸の加入は大きかった。言うのはおこがましいが、原監督が駒をうまく使って、チーム力を上げていた。

◆巨人菅野智之投手(29)が優勝会見で言葉を詰まらせた。 選手会長、エースとして初の優勝に「僕個人としてはもちろんうれしい気持ちもありましたけど、正直悔しい思いもありました。今年に関しては何ひとつ貢献できていないなと思いますし、僕も覚悟を持って臨んだシーズンだったので、何とか優勝したいという気持ちを持って毎シーズンやってますけど、今年は特にその気持ちが強かった分、いろんな思いがありました」と素直な気持ちを口にした。今季は22試合に登板し、11勝6敗、防御率3・89を記録するが腰痛で2度の離脱もあった。自主トレをともにした桜井、中川ら若手投手の台頭に「僕は何もしてないんですけど、彼らが本当に頑張ってくれたと思います」と答えると原監督が「彼は何もしてなくないですよ。やっぱりね、ギブアップしないというね。数字そのものも、そんなにね。ただ本人の中ではあれなんでしょうけど。でも、彼は自分から『もうダメです』と1回も言わなかった。これからも当然そうでしょうし、これから先もね大きな試合がありますから、そこに向けてやってもらいたいと思いますと」と反応。菅野は約10秒の間を置き「はい。全力を尽くして、次の戦いがあるので、そこに合わせて全力で取り組みます」と答えた。 チーム、そして投手陣の先頭を走ったからこそ周囲の成長を促進した。「僕だけが頑張っても絶対優勝できないと思いますし、今年はたくさん若いピッチャーも出てきたと思いますし、そういうピッチャーが頑張ってくれたからこそ今日の優勝があると思うので、みなさんに感謝したいです」と思いを述べた。

◆巨人4番の岡本和真内野手が、プロ5年目での初優勝に初々しさ全開だった。原辰徳監督から「ビッグベイビー」などなど時に叱咤(しった)激励されながら、2年連続の30本塁打を達成した。 会見では「僕が前半からもっと打ってれば、もっと余裕で優勝できていたと思うので...あの...その...」と言葉に詰まると、原監督から「語尾をはっきりしなさい」と愛のツッコミ。「最高です」と美酒に酔いしれた。

◆5年ぶりの優勝を決めた巨人長嶋茂雄終身名誉監督が、球団を通してコメントを発表した。よくやってくれた。本当によくやってくれた。愛するジャイアンツが優勝したというのに、うれしさが込み上げて、月並みな言葉しか出てこない。ただ、全ての試合は、ほぼテレビで観戦していただけに、話したいことは山ほどある。 まずは、このリーグ優勝はこれまでの優勝とはまるで違うということだ。大げさかもしれないが、85年間のジャイアンツの歴史の中でも格別なものではないだろうか。もちろん私がジャイアンツの監督をしていた時も、優勝についての思いはいろいろあった。それは川上さんが監督をしていた時もあったはずだ。もちろん原監督にもあるだろう。だが、今回、私が率直に感じたこの優勝の思いとは、とにかく「意味」ではなく「意義」があるものだということである。 5年ぶりの優勝だ。その間、ファンはどれほど待ちわびたことだろう。いいことばかりではなかった。思い起こせば、残念な出来事も少なくなかった。ただどんな時でも、ジャイアンツファンは声をからして応援してくれた。そして、監督、コーチ、選手、裏方、フロントがチーム一丸となって、その期待に応えてくれたのだ。意義があるとは、価値があるとか、目的や重要性があるという意である。あえてその言葉にこだわったのもそのためだ。 原監督の苦労は察するに余りある。よくぞ、ここまでチームをまとめて導いてくれた。開幕スタートは成功したものの、5月中旬から苦しみ、3位に転落、6月後半から再び息を吹き返した。7月中旬から連敗が続き、8月からは連勝街道まっしぐら。振り返っても、波があったシーズンであったことが見て取れる。川上監督は"アメリカ野球"を掲げて9連覇を成し遂げたが、原監督は何を掲げてこの優勝を成し遂げたのだろうか。自ら"原野球"を確立したのではないかと感じたほどだ。 キャプテンである坂本君の存在を抜きには、この優勝は語れない。丸君の活躍は予想を超えたものだった。ただ私は、投の山口君の健闘をたたえたい。今だから言える話だが、一昨年、謹慎が決まった直後、私は彼に電話をした。じっとしていられなかったからだ。伝えたことは、1つ。「とにかく、くさるなよ。辛抱だ」だけだった。そんな山口君も期待に応えてくれた。原監督の胴上げを見ていたら、またうれしさが込み上げてきた。

◆5年ぶりの優勝を決めた坂本勇人内野手が、優勝会見で思いを語った。 「まあやっぱり4年間僕がキャプテンになってから優勝できないということは、本当にプロ野球人生の中でも一番苦しんだ。キャプテンになった時はそこまで重く感じなかったことなんですけど、優勝できない日々が続いて、どうやったらチームが勝てるんだろうとずっと考えながらやってたんですけど、やっぱり答えはなかなか見つからなくて。今年原監督が戻ってくれるということで本当に心強いという気持ちでシーズンに臨んでいたんですけど、本当に監督がね、選手を鼓舞して引っ張っていってくれることは一選手として非常に心強く思って、監督についていけばいい結果が出るのかなと思いながら、僕は選手を何とかプレーで引っ張っていきたいなという気持ちで1年間過ごしたシーズンでした」 優勝の瞬間については「今まで何度も優勝させてもらったことはありましたけど、自分がキャプテンになって立場も変わって優勝する瞬間というのは格別の思いで、自分が思っていた以上にうれしかったです」 主将としての苦労を背負いながら、野球でも結果を出した。 「それは僕自身力というよりも、本当に裏方さんのみなさんだったり、いろんな人の力があってこその数字だったり個人の成績だと思うので、本当に後ろで丸だったり和真もそうですけど、亀井さんが前で頑張っている姿を見て僕が何とかその間に入って、チームをいい方向に持って行きたいなというのが、周りの選手もそういうふうな気持ちで思わしてくれる選手がいたことが、今年の優勝につながっていると思います」

◆復帰1年目の巨人原辰徳監督(61)が、球団ワーストタイの4年連続V逸したチームを再建。14年と同じ横浜スタジアムで5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。 ▼巨人が14年以来、5年ぶりセ・リーグ37度目、1リーグ時代から通算46度目のリーグ優勝を決めた。巨人の連続V逸は4年が最長で、1リーグ時代の44、46~48年(45年は戦争でリーグ戦休止)と2リーグ制後の03~06年、15~18年の合計3度あったが、2リーグ制後の2度はともに原監督がV奪回し、ワースト記録を止めた。 原監督は通算8度目の優勝。2度ユニホームを脱ぎ、同一球団の1次、2次、3次政権で優勝した監督は初めてだ。優勝回数は西本監督、森監督に並び5位タイとなり、セ・リーグで8度は巨人で11度の川上監督に次ぎ、巨人で8度の水原監督に並んだ。原監督は通算13年目。8度目の優勝は森監督の9年目、水原監督と川上監督の10年目に次いで早く、8度以上優勝した中で通算のV率が5割以上は川上監督、森監督、原監督しかいない。また、原監督は7月30日に史上13人目の通算1000勝を達成。1000勝を記録した年にVは62年東映の水原監督、97年ヤクルトの野村監督に次いで3人目だ。

◆巨人丸佳浩外野手(30)が最高の化学反応をもたらした。広島の中軸として2年連続MVPの看板をひっさげ、FA移籍。プレーはもちろん、立ち居振る舞いすべてで驚きと好影響を与え、チームを力強く引っ張った。最難関といわれる野手のFAで、1年で堂々たる存在感を示した「心技体頭」に潜入する。V9以降、巨人軍の背番号「8」は右打者の聖域だった。左打者で初めて背負った丸。「8」の大先輩、原監督に言われた「広島でやってきたことを、そのまま出して」の言葉を忠実に守った。印象的な「8」題をピックアップする。 ★心 <1>鮮烈のデビュー 開幕戦で4打席連続三振後、菅野に「もう1打席あれば、打ってたでしょ」と聞かれ「いや、三振してたんじゃない」と答えた。「ビックリした。ハートが強いなと思った」と菅野。 <2>割り切り シーズン終盤、不振脱出の苦肉の策として「ツイスト打法」を導入。選手も仰天する「あっち向いてホイ」でホームラン。 <3>丸ポーズ 阿部が発案して一気に浸透。6月20日オリックス戦からは原監督も始め一体感が生まれた。 ★技 <4>ヒッチ打法 吉川尚、加藤が取り入れ飛躍へつなげた。キャンプ中には坂本勇らがインパクト時に「シュッ」と息を吐くまねも。 <5>フェースガード 広島時代の昨季から導入。キャンプで選手から感想を聞かれ「違和感はないし、自分の世界に入れる」。 <6>駐車場閉鎖 力強すぎるスイングで、沖縄キャンプ中は場外弾を連発。乗用車の破壊を警戒し、右翼奥の駐車場が使用禁止に。 ★体 <7>食事 試合前にうどん、ラーメンの麺類、ご飯などの炭水化物を大量に食べる。岡本は「僕よりも全然食べます」と目が点。 ◆頭 <8>投手陣の意識改革 打席を終え「丸ノート」に書き込む姿は定番。リリーフ投手は降板すると、ベンチ内の配球論を傾聴する。沢村は「ここまで考えてるんだと。勉強になります」。【久保賢吾】

◆復帰1年目の巨人原辰徳監督(61)が、球団ワーストタイの4年連続V逸したチームを再建。14年と同じ横浜スタジアムで5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。 ◆3元号の最初のV球団 プロ野球のリーグ戦は36年、昭和11年から始まり、1リーグ制で行われた最初の優勝球団は巨人。平成元年の優勝はセ・リーグが巨人、パ・リーグは近鉄だったが、巨人のV決定は10月6日で、近鉄の10月14日より早かった。これで昭和、平成、令和と、巨人がすべて最初に優勝を決めた。

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。  試合は2-2で迎えた延長十回、2死一、三塁から増田が中前適時打を放ち勝ち越しに成功。最後はデラロサが試合を締め、胴上げ投手となった。  優勝を決めた瞬間、原監督は涙を浮かべた。

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。原監督との一問一答は以下の通り。  --胴上げで8回宙を舞った  「新鮮ですね。年を取ると涙腺が弱くなる。非常に長いシーズンだった」  --今季を振り返って  「固定観念を捨てて、どうすれば強くなるか。昨秋からやってきた。不慣れなポジションでやってきた人もいる。このチームはまだまだ強くなる。最後に決戦を制することができた」  --4年間、優勝から遠ざかった  「私も休息に入っていて、(復帰は)頭の片隅にもなかった。私の中に情熱が残っていたようだ。レフトスタンドのファンのみなさま、本当にありがとうございました。おめでとうございます」  --チーム一丸で戦った  「誰にでもチャンスがある。ベテランも中堅も懸命に戦った。感謝する」  --終盤はDeNAに猛追された  「あまり動揺はしなかった」  --坂本勇主将は  「入団1年目から見ている。頼もしく成長している。チームをまとめる力は阿部に負けないぐらいの強いリーダーシップがある。ぶっちぎりのMVP」  --クライマックスシリーズへ  「道は険しいが、大きな目標を持っている。目標を達成したい」

◆巨人の高校出のドラフト6位ルーキー戸郷は優勝の懸かった一戦で、先発してプロ初登板を果たし、五回途中まで2失点だった。打線の援護がない中、自慢の150キロを超える直球で押し、4三振を奪うなど潜在能力の高さを示し、抜てきに応えた。「三振も取れたし、いい緊張感の中で自分の投球ができた」と手応えを語った。  0-0の三回に乙坂に高めのストレートを右翼席へ運ばれ2ランを許した。宮崎・聖心ウルスラ学園高から入団した19歳。「ホームランを打たれた1球だけが悔いが残る。あの1球だけが」と唇をかんだ。

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。  今季39本塁打とし、球団の生え抜きの右打者では1968年の長嶋茂雄に並んだ坂本勇人内野手(30)について、原監督は「入団1年目から見ている。非常に頼もしく成長している。チームをまとめる力は、先輩の阿部に負けないぐらいの強いリーダーシップがある。ぶっちぎりのMVP」とたたえた。

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。  元巨人監督の堀内恒夫氏(71)はこの日、ブログで「5年ぶり37度目 セ・リーグ優勝おめでとう!」と祝福。「もうね 途中から乾杯の気持ちで呑んじゃってね」とご機嫌だった。「とにかく とにかく セ・リーグ優勝おめでとう!!!」と祝福の言葉を並べた。

◆プロ野球巨人が21日、横浜市の横浜スタジアムで行われたDeNA戦に延長十回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。1リーグ時代の9度を含め通算46度目の栄冠。平成に続き、令和でも元年の優勝チームとなった。  今季から3度目、通算13年目の指揮を任された原辰徳監督(61)が8度目のリーグ制覇に導いた。  日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)には10月9日に始まるファイナルステージから出場。7年ぶり23度目の日本一を目指す。 巨人・原監督 「固定観念を捨て、どうやったら勝てるか、その一点に集中してやってきた。ベテランも中堅も若手も懸命に戦ってくれて感謝している。このチームはまだまだ強くなる。道は険しいが、大きな目標を達成したい」 DeNA・ラミレス監督 「細かい数字は一番じゃなくても順位はトップ。その日その日を絶対に勝ちにいくという気持ちが強い。弱点のない、ナンバーワンチームだった」 ヤクルト・小川監督 「巨人には総合的な強さがあった。原監督の采配に加え、育成から支配下になった選手が活躍するなどチーム力もあった。丸選手が加わり周囲への相乗効果もあったと思う」 広島・緒方監督 「勝ったチームが強いということ。(シーズン序盤に)いいスタートが切れなかった。実績のある投手が不調、もしくは故障というところで抜けた穴を埋め切れなかった」 中日・与田監督 「巨人は一振りで1点が入るという強さを持っている。代打陣についても、非常に強力な選手がたくさんいる。いろいろな反省点はある」

◆DeNAの快進撃が終わった。1点リードで九回2死までこぎ着けたが、守護神の山崎が同点打を許し、最後は三嶋が打たれた。後半戦の快進撃を支えた自慢の救援陣が力尽き、ラミレス監督は「うちのベストの投手でこうなった。仕方のないこと」とかばった。  4月の10連敗など最大で11あった借金生活から劇的に立て直し、優勝争いを演じたが、終盤は故障者が続出。主砲の筒香も右手のけがで大一番の2戦を欠場した。監督は「選手はよくやった。何も恥ずべきことはない。2位から日本一というプランBの目標に切り替える」と話した。

◆巨人の長嶋茂雄元監督は21日、球団を通じて「本当によくやってくれた。愛するジャイアンツが優勝したというのに、うれしさが込み上げて月並みな言葉しか出てこない」とコメントし、5年ぶりのセ・リーグ優勝を祝福した。  昨年体調を崩し、入院してからは公の場に姿を見せる機会が減ったが、巨人戦はほとんどテレビで観戦したという。久々のリーグ制覇に「これまでの優勝とはまるでちがう。ジャイアンツの歴史の中でも格別なもの」と喜びに浸った。  復帰1年目で栄冠をつかんだ原辰徳監督の手腕については「よくぞ、ここまでチームをまとめて導いてくれた。"原野球"を確立したのではないか」と絶賛した。 巨人・山口寿一オーナーの話 「よかった。うれしい。ありがとう。監督の涙を見ちゃうと、こちらもこみ上げるものがあった。苦労したからね。非常に意義ある、価値ある、チーム一丸でつかんだ優勝」 長嶋茂雄元巨人監督の話 「本当によくやってくれた。愛するジャイアンツが優勝したというのに、うれしさが込み上げて月並みな言葉しか出てこない。原監督の苦労は察するに余りある。よくぞここまでチームをまとめて導いてくれた」 御手洗冨士夫・燦燦会会長の話 「令和元年という記念すべき年を飾る素晴らしい結果。原監督の名采配により全国のファンが待ち望んだ優勝を見事に成し遂げて、感動させた。再び巨人軍の黄金時代を築き上げてほしい」

◆巨人の坂本勇は2015年に主将に就任してから初めて優勝を果たした。2-2の延長十回無死一塁では四球を選んで好機をつくり、勝ち越しにつなげた。チーム一丸となって逆転勝ちし、5年ぶりの栄冠をつかみ「だから優勝はうれしいね」と笑みを浮かべた。  自己最多の39本塁打を放ち、攻守でチームを引っ張った。原監督は「非常に頼もしく成長して、強いリーダーシップを持ってくれた。ぶっちぎりのMVPだと思います」と手放しでたたえた。

◆巨人の小林が1-2の九回2死一、二塁で起死回生の同点打を放ち、逆転勝利を呼び込んだ。山崎の速球を右前に運び、走者が生還したのを見届けると塁上で強く拳を握った。「打てて良かった。気持ちだけですね」と価値ある一打に充実感をにじませた。  今季は西武からフリーエージェント(FA)で炭谷が加入して出場機会が減り、この日も途中出場だった。土壇場で貴重な働きを見せて5年ぶりの優勝の喜びを分かち合い「いろいろな人に感謝しないと」と神妙に話した。

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。原辰徳監督(61)との一問一答は以下の通り。  --グラウンド出たときの涙が印象的  「スポーツの素晴らしさというんでしょうか... 過去にも何回か優勝というのを経験しているんですが、あれほどあからさまに涙が出たのは自分でも驚いておりますが、多少涙腺は緩んできたのかなと思いますが、自分にとっては素晴らしい涙になりました」  --8度目の優勝。今までと比べて  「今回復帰という形になりましたが、私の場合はそういうことは全く頭になかったことで、ですから過去のそういう戦績も含めていろんなキャリアというものは自分のなかで置いてきた。原点に戻りながら初心からというつもりでやっているので、第一回目の、初めての優勝というそういう気持ちです」  --苦しい時期もあったが、優勝の最大の要因は  「秋から就任してチーム全員が勝つことに対して飢えていた。と同時に全員が勝利に向かって突き進んだと。冗談ぽくいうんですが、巨人軍でいよう、個人軍じゃだめだということを全員が励行し、新任監督というつもりのなかでやった。攻撃においては勇人を二番においたり、丸を二番においたこともありました。新しいジャイアンツを作っていくんだという新鮮ななかでスタートしました。それに対して選手も嫌な顔せずに、自分の役割を全うしてくれた。自分のなかで一番誇り、和真もいますけど、彼を4番打者で年間通して、というのがね。私の夢でもありました3割30本100打点を若干二十何歳で達成したのは尊敬に値する選手。ただし、ふたをあけてみたらまだまだ甘いところある。切磋琢磨しながら4番つとめてきたのも大きかった」

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。岡本和真内野手(23)との一問一答は以下の通り。  --どんな思いですか  「最高です」  --中軸として。手にした優勝  「初めてでしたし、今年は色々去年よりもしんどいことが多かったので、すごい嬉しいです」  ー終わってみれば2年連続30本。監督からは尊敬に値する選手と  --「僕が前半からもっと打っていればもっと余裕で優勝できていたと思うので」  原監督カットイン「語尾をはっきりしなさい!」  岡本「色々みなさんに助けてもらってここまで来られて良かったです」

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。菅野智之投手(29)との一問一答は以下の通り。  --エースとして引っ張ってきてついに手にした優勝  「僕個人としては嬉しい気持ちもありましたが、正直悔しい思いもありました。今年に関しては何一つ貢献できてないなと思いますし、まあ僕も覚悟を持ってのぞんだシーズンだったので、何とか優勝したいという気持ちを思って毎シーズンやっていますが、今年はとくにその思いが強かった。いろんな思いありました」  --どう引っ張っていこうと考えていた  「僕だけで頑張っても優勝できないと思いますし、今年はたくさん若い投手も出てきたと思うので、そういう投手が頑張ってくれたからこそきょうの優勝があると思うので、皆さんに感謝したいです」  --自主トレをやった桜井、中川も大車輪。投手全員がカバーしながらたどりついた優勝  「はいあの、僕は何もしてないんですが、彼らが本当に頑張ってくれたんだなと思います」  原監督「何もしてなくないですよ。やっぱりギブアップしないというね。数字そのものもそうですし、彼は自分からもうだめですという言葉を一回も言わなかった。これからも当然そうです。これから大きな試合がありますから、そこでやってくれると思っています」  菅野  「(ぐっときて涙)... 全力を尽くして...次の戦いがあるのでそこに合わせて全力でいきたいと思います」

◆優勝へのマジックナンバーを「2」としていたプロ野球セ・リーグの巨人は、21日のDeNA戦に勝ち、2014年以来5年ぶり37度目の優勝を果たした。今季復帰した原辰徳監督(61)にとっても5年ぶりのVで、監督として8度の優勝は故西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、森祇晶(西武)両氏に並ぶ史上5位タイ(1リーグ時代を含む)の記録となった。丸佳浩外野手(30)との一問一答は以下の通り。  --1年目での優勝、巨人での優勝  「やっぱりまずは本当に嬉しい気持ちもありましたし、ほっとしている気持ちもあります」  --重圧もあったと思う  「重圧というか、野球が始まって自分ができることを全力でやるしかないと毎日思ってやっていたので、そういうところはできたのかなと思います」  --若手にも丸の存在大きかった。どのような思い伝えたい、盛り上げていきたいと考えていた?  「まずはしっかりと、主に3番に入ること多かったですが、しっかりと打線になるようにつなげれるように意識してやっていたつもりです。前に頼りになる勇人さんいてくれましたし、後ろにはいつもじゃないですけど、だいたいは頼りになる4番打者もいたので、しっかりと上手くつなぐ打撃を意識していました」  --若手の選手に対する貢献度もすさまじい  「そんな風には思っていないですけど、若い選手もたくさんいるので、今季は彼らにとってもすごく充実したシーズンだと思いますし、彼らの力がなかったら、この優勝はなかったと思います」

◆セ・リーグ制覇を決めた巨人のエース・菅野智之投手(29)は、伯父でもある原監督の言葉に思わず涙を浮かべた。  都内で行われた優勝会見に出席。壇上で「僕個人としてはうれしい気持ちもありましたが、正直悔しい思いもありました。今年に関しては何一つ貢献できてないなと思います」と最終盤で腰痛で離脱したシーズンを振り返ると、原監督がすかさずカットイン。マイクを握り「何もしてなくないですよ。彼は自分からもうダメですという言葉を一回も言わなかった」とフォローした。  この言葉に、菅野は思わず涙。思いをぐっとかみしめ、しばし沈黙した後、「全力を尽くして...次の戦いがあるのでそこに合わせて全力でいきたいと思います」。10月のクライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージを目指し復活をあらためて誓っていた。

◆DeNAのルーキー上茶谷は七回途中まで1失点と力投したが実らなかった。直球が走り、3者連続を含む6三振を奪うなど前夜20日に5本塁打を放った巨人打線を六回まで2安打にねじ伏せた。七回にピンチを招いて降板したが「試合前のブルペンから調子が良く、戸柱さんのリードを信じて腕を振れた」とうなずいた。  だが救援陣がつかまり、両リーグの新人で単独トップとなる8勝目を逃した。降板後に声をからし続けた祈りは届かず、巨人の胴上げをベンチから目に焼き付けていた。

◆巨人は試合後に東京都内に戻り、リーグ優勝祝勝会を行った。興奮気味のナインを前に原監督が「あと二つ超えないといけないものがある。もう一度、一致団結していこう」などとあいさつ。坂本勇の掛け声を合図にビールかけがスタートし、用意された3000本のビールが次々に泡と消えた。

◆巨人は21日、DeNA24回戦(横浜)に延長十回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。 DeNA・ラミレス監督 「細かい数字は一番じゃなくても順位はトップ。その日その日を絶対に勝ちにいくという気持ちが強い。弱点のない、ナンバーワンチームだった」 広島・緒方監督 「勝ったチームが強いということ。巨人は主力選手がチームを引っ張っていく中で、若い力と新しい力が出てきたのを感じた。(広島は)いいスタートが切れなかった」 中日・与田監督 「巨人は一振りで1点が入るという強さを持っている。代打陣についても、非常に強力な選手がたくさんいる。いろいろな反省点はある」 阪神・矢野監督 「得点力に一番、差を感じた。2、3番が固定され、坂本勇、丸の相乗効果が大きかった。うちが貯金をつくらせてしまった。もっといい勝負をしないといけなかった」 ヤクルト・小川監督 「巨人には総合的な強さがあった。原監督の采配に加えて、育成から支配下になった選手が活躍するなどチーム力が高かった。丸の加入も大きかった」

◆神様は苦労人にほほ笑んだ。高く弾んだ打球が中前へ抜ける。延長十回2死一、三塁。増田大が決勝打を放った。  「自分が1軍の舞台で優勝につながる一本を打てたのは宝物。なんとも言えない喜びですね」  育成出身の4年目。今季プロ初出場を果たし、持ち前の俊足と堅守、そして度胸を武器に貴重なユーティリティープレーヤーとして貢献。この日も途中出場で巡ってきた出番を生かした。  プロ入り前に、とび職を経験し、独立リーグを経てプロ入り。「家族を養えるお金を稼いで、こっちに呼びたい」。現在は徳島に家族を残して単身赴任を続ける。  「独立とか、とびをやっていた時代には思い浮かべていなかった世界ですね」。小技で生き抜いてきた男が、バットで大仕事をやってのけた。

◆40歳の阿部は試合後、左翼席に向かう際に原監督に肩を組まれた。「久しぶりだな。うれしいな」と声をかけられたが、「言葉に詰まって返せなかった」と胸を熱くした。通算400本塁打を達成するなど91試合で打率・289、5本塁打、25打点で存在感を示した。長年、望んできた若手の台頭でつかんだ5年ぶりのリーグVに「余計にうれしいね」と感慨に浸った。

◆D6位右腕・戸郷(聖心ウルスラ学園高)が、球団の高卒新人では2002年の真田裕貴以来、17年ぶりに先発でプロ初登板。自己最速タイの154キロを計測するなど直球で攻め、4回2/3を4安打2失点。「初先発で、1年目で優勝の場に携われたというのは、めっちゃうれしい。涙が出そうでしたけど、楽しかったです」と笑顔だった。

◆逆転負け。筒香、山崎らは厳しい表情で原監督の胴上げを見つめていた。春先は最下位に沈んだが、終盤に巨人を脅かす位置まで浮上。ラミレス監督は「プランBです。2位になっても日本一になるという明確な目標がある。選手は何も恥じることはない」と前を向いた。まずは2位確定を狙う。

◆巨人は21日、DeNA24回戦(横浜)に延長十回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。  チーム打率は昨季・257(リーグ4位)→今季・258(同2位)と変わらないが、644得点(昨年625点)、176本塁打(同152)はともにリーグ1位で、統一球が導入された2011年以降では最高の数字と攻撃陣の良さが目立った。  坂本勇(先発2番113試合)が39本、93点、丸(同3番120試合)が27本、89点、岡本(同4番130試合)が30本、89点。巨人で同一シーズンに3人が「20本塁打&80打点」以上をマークしたのは、10年(4人=ラミレス、阿部、小笠原、坂本)以来9年ぶり。  主軸が固定された一方で、先発1番は亀井を中心に12人を起用するなど、打順の組み合わせはここまで110通り。16-18年の高橋由伸政権での打順の組み合わせは54→71→85通りだったが、100通りを超えたのは12-15年の第2次原政権(101→106→113→110)以来。  5月まで25勝23敗1分けの3位だったが、6月1日-7月16日までの33試合は1度も連敗せず、25勝8敗、貯金17をマーク。7月17日以降、25勝30敗1分け、借金5と負け越していただけに、貯金17が優勝の要因となった。  ホームでの38勝32敗、勝率・543はリーグ4位。ビジターでは37勝29敗2分け、同・561。巨人以外の5球団がビジターで負け越すなか、リーグで唯一勝ち越し、貯金8を作れたのも勝因といえる。

◆巨人は21日、DeNA24回戦(横浜)に延長十回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。  山口は両リーグを通じて最多タイの15勝を挙げ、先発陣の中心として大きく貢献した。最多勝のタイトルも確実としている右腕は、移籍3年目で自身初の優勝を経験し「2年間あまり貢献できていなかったという気持ちはあったので、すごくうれしい。いつも胴上げを見ていた立場だったので、マウンドの中心に集まるのはいいものだなと思いました」と喜んだ。

◆"優勝請負人"は満面の笑みで歓喜の輪に飛び込んだ。丸が、自身にとってはリーグ4連覇を経験。新天地でも大きな働きを見せた。  「苦しかったけど、チーム一丸で優勝を勝ち取れてうれしい。こんなに多く優勝できると思っていなかった。選手として幸せです」  フリーエージェントで広島から加入し、チームでただ一人、全試合に先発出場。この日こそ5打数無安打だったが、今季は打率・294、27本塁打、89打点。巨人移籍後も試合中にベンチでメモをとっており、増田大ら若手がまねをしている。  後藤打撃兼外野守備コーチは「丸から質問をされたことはない。むしろ、こっち(首脳陣)が(相手投手の攻略法などを)丸に聞いて、後から出ていく選手に伝える。丸効果ですよ」と証言。生きた教材として、伝統球団に新たな風を吹き込んだ。  阿部が考案した、両手で輪を作る「丸ポーズ」がチームに浸透。原監督も行うなど、チームに一体感が生まれた。 (赤尾裕希)

◆このときを待っていた!! 巨人・坂本勇人内野手(30)が2014年オフの主将就任後、初のリーグ優勝に導いた。プロ13年目を迎えた今季は恐怖の2番打者として打率・313、39本塁打、93打点と大活躍。MVP最有力の主将は、優勝の瞬間に目を潤ませ、喜びを爆発させた。  痛みも悔しさも、眠れぬ夜も、すべてはこの瞬間のためにあった。坂本勇は歓喜の中心で涙をにじませながら、仲間と抱き合った。  「僕がキャプテンなってから優勝できないということは、本当に、プロ野球人生のなかでも一番苦しんだ。主将になって立場も代わって、優勝する瞬間は本当に格別で、自分の思っていた以上にうれしかった」  2014年12月、リーグ3連覇を祝うハワイ優勝旅行で原監督から第19代主将に任命された。19歳から遊撃でレギュラーを張り続けた"弟分"の新たな挑戦だった。  16年は打率・344で初の首位打者に輝いたが、チームは優勝に届かなかった。どれだけ好成績を残しても、心からは喜べなかった。  17年には球団ワーストの13連敗を味わった。選手ミーティングで前向きな言葉を吐いても、負の連鎖は止まらなかった。胃が痛み、体重は84キロから3キロ以上も落ちた。夜中には何度も汗びっしょりで目が覚めた。冷蔵庫に行って水を飲んでも落ち着けず、睡眠薬を飲んで眠る夜が続いた。「こんなこと普段はないのに...」。精神的な苦悩が体に表れたのは初めてだった。  「この雰囲気でどう勝って、みんなで笑えるのかって常に考えていた。1勝するのは本当に難しいってことなんや、と」  白星に見放された15日間は、自覚を強めるきっかけになった。言葉と背中でチームを引っ張り、今季は攻撃型2番として、打率・313、39本塁打、93打点。大車輪の活躍で原監督も「ぶっちぎりのMVPだと思います」と太鼓判を押した。  「僕が何とか間に入って、チームをいい方向に引っ張っていきたいと思わせてくれる選手が周りにいたことが、今年の優勝につながったのかな」  優勝チームの主将-。輝かしいキャリアを彩る、真のリーダーの証しだ。 (谷川直之)

◆巨人は21日、DeNA24回戦(横浜)に延長十回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。1リーグ時代の9度を含め通算46度目の栄冠。平成に続き、令和でも元年の優勝チームとなった。今季から3度目の指揮を執る原辰徳監督(61)は歴代5位に並ぶ通算8度目の優勝に輝いた。チームは7年ぶり23度目の日本一を目指し、10月9日からのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ(東京ドーム)で、同ファーストステージ勝者と対戦する。  万感の思いだった。原監督はゆっくりとマウンドへ向かいながら、大粒の涙をボロボロとこぼした。5年前と同じ横浜スタジアム。令和最初の王者となった指揮官は、現役時代の背番号、そして通算優勝回数と同じ8度、宙に舞った。  「年を取ると、涙腺が緩みますね。このチームはまだまだ強くなる。今までにない素晴らしいチームです」  延長十回に勝ち越し打を放った増田大や19歳のD6位・戸郷(聖心ウルスラ学園高)が初先発するなど、今季を象徴するように若手が躍動した。広島の4連覇を阻止し、75勝61敗2分けで5年ぶりの歓喜を味わった。  指揮官がチームを離れた間は16年から2、4、3位。17年には球団ワーストの13連敗も喫した。4年連続でV逸したチームを立て直すために山口寿一オーナーに監督再登板を要請された。「頭の片隅にもなかった」という4年ぶりの現場復帰だったが、1年目で結果を出した。  前回優勝した14年は5月に最愛の父、貢さん(享年78)を亡くした。天国の父を思って優勝インタビューで涙を流したが、今回の涙は意味が違う。息子のように若い選手たちと優勝を勝ち取ったうれし涙だった。  61歳の指揮官は就任時から「のびのび野球」を掲げた。前回優勝時の先発メンバーの平均年齢が30・3歳から27・7歳まで若返ったチーム。選手との関わり方は大きく変化した。選手へ直接ではなく、「どんな指導をしているんだ!!」とコーチを叱責する場面が増えた。  「ゆとり」や「さとり」と揶揄(やゆ)される世代だが、周囲の変化に敏感な若者には、このやり方が効いた。ある主力は「僕らのミスでコーチが言われれば、もっとやらないと、と思う」と話した。  緊張感を与えながらも、「やる気スイッチを押す手伝いが大事」というのが指揮官の若手操縦法。交流戦で苦しんだ岡本は、「ビッグベイビーが(不振で)困っているから、助けてあげないと」と打順を6番に下げる配慮でリフレッシュさせた。  チームが不振の時には"秘策"があった。2度の4連敗を喫し、10試合で2勝8敗と負けが続いた7月30日。広島戦(東京ドーム)の試合前、原監督はベンチ裏に選手、首脳陣だけを集めると、手をつながせた。  1つの大きな輪を作り、気持ちを集中。一瞬の静寂のあと、「一丸となって、さあ、行こう!!」と声が響いた。その試合に勝つと、チーム状態は徐々に回復。マジック4で迎えた前日20日のDeNA戦(横浜)前も同様の儀式を行い、一気に優勝へと駆け上がった。  令和元年が始まった5月1日、原監督は日付が変わる頃にパッと目を覚まし、神棚に手を合わせた。新時代の訪れとともに誓った必勝は、5年ぶりの優勝という形で結実した。  「まだまだ道は険しいでしょう。しかしわれわれは大きな目標を持っています。これからも勝ち残り、目標を達成したい」  次に見据えるのは7年ぶりの日本一だ。涙の指揮官が短期決戦を勝ち上がり、黄金時代を復活させる。 (伊藤昇) 巨人・山口寿一オーナー 「監督の涙を見ちゃうと、こちらもこみ上げるものがあった。苦労したからね。非常に意義ある、価値ある、チーム一丸でつかんだ優勝」  御手洗冨士夫・燦燦会会長(キヤノン会長) 「令和元年という記念すべき年を飾る素晴らしい結果。原監督の名采配により全国のファンが待ち望んだ優勝を見事に成し遂げて、感動させた。再び巨人軍の黄金時代を築き上げてほしい」 斉藤惇プロ野球コミッショナー 「昨年の屈辱を力に変えました。原監督も、監督通算1000勝を達成し、名実ともに名将の名を揺るぎないものにされるなど、大変見事な戦いぶりでした」

◆厳しさ、我慢強さ、選手起用の巧みさ、etc。原監督の野球が集約されたかのような優勝ゲームになった。  九回の同点劇は2死無走者から。重信が四球を選び、難なくバッテリーの警戒網の目をくぐりぬけ、二盗に成功。小林のタイムリーで生還。十回も四球で出た先頭の亀井が1死後、坂本勇の浅い右飛で、果敢に二塁から三塁を陥れ、増田大のしぶとい安打でホームイン。  こうした得点方法は昨季まで、ほとんど見られなかった。状況によっては主軸打者にも送りバントをさせる。調子が落ちれば外国人でも2軍に落とす。代わりに若手を昇格させ、すぐに試合で使う。シビアな采配と、起用のタイミングの見事さが、一発だけではなく、バリエーション豊かな攻撃を生み出した。  投手陣のやりくりも見事。優勝のかかる試合で、高卒新人の戸郷を先発させるとは、何という思い切りのよさだろう。桜井を中継ぎから先発に配置転換するなど、駒不足のローテーションで、勝ち抜いてみせた。不安定だったリリーフ陣も、我慢強く適性を見極め、細かい継投策を駆使しながら、最終的に"形"として仕上げた。  大した手腕だ、と素直に脱帽している。 (サンケイスポーツ専属評論家)

◆巨人は21日、DeNA24回戦(横浜)に延長十回、3-2で勝ち、5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた。1リーグ時代の9度を含め通算46度目の栄冠。平成に続き、令和でも元年の優勝チームとなった。今季から3度目の指揮を執る原辰徳監督(61)は歴代5位に並ぶ通算8度目の優勝に輝いた。チームは7年ぶり23度目の日本一を目指し、10月9日からのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ(東京ドーム)で、同ファーストステージ勝者と対戦する。  22日放送のTBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)の名物コーナー「週刊・御意見番」では、この話題を取り上げた。野球評論家の張本勲氏(79)は原監督について「優勝して泣いた監督は久しぶり。普通はニコニコ笑う。余程うれしかったのだろう」と祝福。「巨人の一番の補強は原監督。いい人を監督にしてくれた。采配が理にかなっている。選手を見る力量が立派。性格まで見抜ける」と絶賛していた。

◆巨人・岡本和真内野手(23)がサンケイスポーツに特別手記を寄せた。5年目を迎えた今季は開幕4番を任されながら、不振で交流戦期間に6番降格。試行錯誤を繰り返しながら、夏場に復調を果たし、楽しみにしていたビールかけを満喫した。自宅でつづる野球日記を見返しながら、精神的に大きく成長したシーズンを振り返った。  去年よりしんどいことが多かった...。皆さんと一緒に喜べたので、本当によかった。チームが勝てたことが一番です。  昨年、1軍で1年間出させていただいたけど、1年だけでは意味がない。「絶対打ったるぞ!」という思いで開幕を迎えました。でも、今年はずっと、打ち方がしっくりこなくて。ごまかしながら本塁打も出ていたけど、次第に訳が分からなくなっていた。大きな打球を打ちたい気持ちが強すぎて、意識が左翼ばかりに向いていた。特に交流戦後、オールスター前までは精神的にも、しんどかったです。  苦しいとき、打てないときに救いの手を差し伸べてくれたのは先輩方でした。ロッカーが隣の阿部さんには「打てなくても堂々としておけ」と何度も言われました。坂本さんも「俺も若い頃に打てなくて試合に出られなかったことも、よくあったよ」と声をかけてくれました。  後半戦は「自分のことよりチームが勝てればいい。どうせ打てないんやったら形を気にしてもしゃあない」と考えました。食らいつく気持ちが薄かったのかな。少しずつ、右方向にも打てるようになり、考えと体が一致してきました。  今年は丸さんがチームに加入しました。すごい人です。試合中はベンチでメモを書かれていて、近くにいたら、ちらっと見えるんです。中身を詳しくは言えませんが、「へえ、なるほどな~」と思って見ています。  プロ2年目から僕もノートをつけています。当時、ファームのコーチだった二岡智宏さんと交換日記のような形で始め、今は「こうしたら、こういう打撃になった」と殴り書きですが、悩んだときは過去のページを見返しています。  今季序盤に調子を落としたときは「右脇を締めすぎて、バットが出てこなかった」と書きました。最近、読み返して、その時に修正したのと同じような練習をしてみました。僕にとって、ノートは課題修正法の引き出しの一つです。  優勝といえば、楽しみだったのはビールかけ。お酒が好きなわけではないけど、ゴーグルを着けて、はしゃいで-。他のチームがやっていたのを「いいなあ。楽しそうだな」と思っていました。  1軍に定着できた去年は一度だけ、阿部さんに"シャンパンファイト"をしてもらったことがあります。ビールかけをしたことがないという話を阿部さんにしたら、「ホームランを1本打ったら、やってやるよ」と。東京ドームでの開幕2戦目で1号が出て、試合後に2人でユニホーム姿のまま、風呂場でシャンパンを「バシャー!」と頭にかけてもらいました。シャンパンは...、臭かった。むちゃくちゃ臭くなったけど、すごく楽しかったです。  阿部さんとは、ようやく本物のビールかけができたので最高です! 日本一になって、もう一度やりたい。ここからの短期決戦もチームの力になれるように頑張ります。 (巨人軍内野手) ★今季の岡本アラカルト  ◆開幕4番 昨年6月2日のオリックス戦から4番に定着し、今季は開幕4番で出場。22歳8カ月は川上哲治、王貞治、松井秀喜に次ぐ年少記録となった。  ◆天井&ベース直撃打 5月2日の中日戦の五回に放った打球が東京ドームの高さ約61メートルの天井を直撃。三遊間に落ち、記録は三塁内野安打となった。同17日の中日戦では六回1死満塁の場面で平凡な三ゴロが、ベースに当たり、適時二塁打になった。  ◆6番降格 開幕から全51試合で4番に座っていたが、6月4日の楽天戦で6番に降格。4番としての先発出場が144試合で途切れた。  ◆2年連続30号 9月20日のDeNA戦の九回に左中間席へソロを放ち、2年連続30号を達成。球団生え抜きの右打者としては、1985-88年の原辰徳以来。

◆ミスターも歓喜!! 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(83)が、5年ぶりの優勝を果たしたチームに球団を通じて祝福のメッセージを送った。「85年間のジャイアンツの歴史の中でも格別」と喜びを語り、原辰徳監督(61)については「原野球を確立したと感じた」と絶賛した。  よくやってくれた。本当によくやってくれた。愛するジャイアンツが優勝したというのに、うれしさが込み上げて月並みな言葉しか出てこない。ただ全ての試合は、ほぼテレビで観戦していただけに、話したいことは山ほどある。  まずは、このリーグ優勝はこれまでの優勝とはまるで違うということだ。大げさかもしれないが、85年間のジャイアンツの歴史の中でも格別なものではないだろうか。もちろん私がジャイアンツの監督をしていたときも、優勝についての思いはいろいろあった。それは川上さんが監督をしていたときもあったはずだ。もちろん原監督にもあるだろう。だが今回、私が率直に感じたこの優勝の思いとは、とにかく「意味」ではなく「意義」があるものだということである。  5年ぶりの優勝だ。その間、ファンはどれほど待ちわびたことだろう。いいことばかりではなかった。思い起こせば、残念な出来事も少なくなかった。ただどんなときでも、ジャイアンツファンは声をからして応援してくれた。そして監督、コーチ、選手、裏方、フロントがチーム一丸となって、その期待に応えてくれたのだ。意義があるとは、価値があるとか、目的や重要性があるという意である。あえて、その言葉にこだわったのもそのためだ。  原監督の苦労は察するに余りある。よくぞ、ここまでチームをまとめて導いてくれた。開幕スタートは成功したものの、5月中旬から苦しみ、3位に転落、6月後半から再び息を吹き返した。7月中旬から連敗が続き、8月からは連勝街道まっしぐら。振り返っても、波があったシーズンであったことが見て取れる。川上監督は"アメリカ野球"を掲げて9連覇を成し遂げたが、原監督は何を掲げて、この優勝を成し遂げたのだろうか。自ら"原野球"を確立したのではないかと感じたほどだ。  キャプテンである坂本君の存在を抜きには、この優勝は語れない。丸君の活躍は予想を超えたものだった。ただ私は、投の山口君の健闘をたたえたい。今だから言える話だが、一昨年、謹慎が決まった直後、私は彼に電話をした。じっとしていられなかったからだ。伝えたことは、一つ。「とにかく、くさるなよ。辛抱だ」だけだった。そんな山口君も期待に応えてくれた。原監督の胴上げを見ていたら、またうれしさが込み上げてきた。

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<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
巨人
75612 0.551
(↑0.003)
優勝
(-)
5644
(+3)
547
(+2)
176
(-)
82
(+3)
0.258
(↓0.001)
3.710
(↑0.02)
2
(-)
DeNA
70663 0.515
(↓0.004)
5
(↓1)
4585
(+2)
594
(+3)
160
(+1)
38
(-)
0.247
(-)
3.930
(↑0.02)
3
(-)
広島
69693 0.500
(↓0.004)
7
(↓1)
2586
(+2)
594
(+4)
140
(+1)
79
(-)
0.254
(-)
3.690
(↓0.01)
4
(-)
中日
66692 0.489
(↑0.004)
8.5
(-)
6540
(+14)
523
(+2)
87
(+4)
63
(-)
0.264
(↑0.001)
3.730
(↑0.02)
5
(-)
阪神
64686 0.485
(↑0.004)
9
(-)
5514
(+4)
563
(+2)
90
(+1)
94
(-)
0.251
(-)
3.560
(↑0.02)
6
(-)
ヤクルト
57802 0.416
(↓0.003)
18.5
(↓1)
4639
(+2)
714
(+14)
164
(+1)
60
(+1)
0.245
(-)
4.730
(↓0.06)