巨人(☆5対1★)中日 =リーグ戦4回戦(2019.05.01)・東京ドーム=
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中日
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巨人
41000000X51101
勝利投手:菅野 智之(4勝2敗0S)
敗戦投手:山井 大介(2勝2敗0S)

本塁打
【巨人】坂本 勇人(8号・2回裏ソロ)

  DAZN
◆巨人は初回、亀井と陽の連続適時打などで4点を先制する。続く2回裏には、坂本勇のソロが飛び出しリードを広げた。投げては、先発・菅野が通算1000奪三振を達成するなど、9回1失点の快投で今季4勝目。敗れた中日は、9回にビシエドの適時打で1点を返すも反撃が遅かった。

◆令和開幕戦に先発した巨人菅野智之投手(29)が、午後2時1分に12球団最速で「令和初三振」を奪った。 試合開始直後の1回無死。中日1番渡辺に対して、カウント1ボール2ストライクから外角スライダーで見逃し三振を奪った。 1回裏には1番坂本勇が左前打を放ったが、午後2時6分でヤクルトの1番太田には及ばなかった。

◆巨人菅野智之投手が「令和」最初の1球を投げ込んだ。 東京ドーム内のビジョンに午後2時試合開始のカウントダウンが行われる中、午後2時ちょうどにプレーボールがかかる。菅野はそれと同時に投球動作に入ると午後2時5秒に外角へ148キロ直球をズバッと突き刺し、ストライクを奪った。令和初の1球が捕手小林のミットに収まると、祈念の1球はボールボーイによって回収された。

◆巨人山本泰寛内野手と亀井善行外野手が令和初の盗塁を決めた。 一塁走者として迎えた1回2死一、三塁、中日山井の2球目にスタートを切ると、捕手松井雅の送球を遊撃京田が捕球できず。送球がセンター前に転々とする間に山本が二塁に到達すると同時に、重盗をしかけていた三塁走者亀井が本塁に生還し、巨人は4点目。令和初の盗塁は午後2時17分、重盗での記録となった。

◆巨人が午後2時12分、スコアボードに令和初の得点を刻んだ。 1回1死満塁から亀井善行外野手が中日山井の初球、142キロ直球を右前へとはじき返した。三塁走者坂本勇が生還して、新時代初の「1点」が挙げられた。 亀井は令和最初の適時打を放った。

◆令和開幕戦の始球式に、囲碁の最年少プロ、仲邑菫初段(10)が登場した。 ユニホームの背番号は囲碁にちななんで「15」。 本来の投球間隔の半分ほどの位置に座った捕手役の巨人阿部に対して、力いっぱいの投球を行うと、スタンドから大歓声がわき起こった。 登板後、大勢の報道陣に囲まれた仲邑は緊張気味の表情で「楽しかったです。90点ぐらい」と自己採点。捕手の阿部については「優しいです。(ユニホームは)飾ります」と話した。

◆「令和1号」は巨人坂本勇人内野手がたたき込んだ。 2回1死から、中日山井の初球、113キロのカーブを豪快に振り抜き、左中間スタンドに運んだ。 球場に響く「令和1号ホームラン!」のアナウンスの中、ベースを1周。 開幕からの連続試合出塁を27試合に伸ばし、11試合連続安打とした。 午後2時30分の1発は新時代初めての本塁打は推定飛距離110メートル。 巨人打線はすでに令和初を大量に記録。1回の攻撃でビヤヌエバが死球(午後2時10分)亀井善行が右前へと適時打(午後2時12分)山本泰寛と亀井が重盗で盗塁(午後2時17分)を記録した。

◆巨人菅野智之投手が令和初の勝ち投手の権利を手にした。5点リードで5回まで1安打無失点、打者16人に対して球数はわずか48球とほぼ完璧な内容。 5回2死から中日堂上を三ゴロに抑え、5回表が終了したのが午後3時16分。同時刻に行われているDeNA-ヤクルト戦で、DeNA大貫晋一投手が1点リードを受け、5回無失点の好投を続けているが、横浜スタジアムの5回表が終了したのは午後3時19分。約3分上回った。 このままのペースで試合が進み、巨人が逃げ切れば菅野が令和初の勝利投手になるが、DeNA対ヤクルトもほぼ同じテンポで試合が進んでいる。

◆巨人菅野智之投手(29)が、令和初となるプロ通算1000奪三振を達成した。 7回1死、中日平田に対し、フルカウントからのスライダーで空を切らせた。7回終了後、ベンチ前で花束と記念のボードを受け取って、笑顔で歓声に応えた。 初三振は1年目だった13年3月30日広島戦(東京ドーム)で菊池涼から。この年はリーグ3位となる155奪三振をマークし、16年に189個、18年には200個で過去2度、最多奪三振のタイトルを獲得している。

◆中日山井大介投手(40)が5回5失点で降板した。立ち上がりに4安打を浴びて4点を失い、2回は坂本勇に令和1号となる7号弾を浴びた。 3回以降は走者を背負いながらも無失点で粘ったが「立ち上がりがすべてですね。最少失点に抑えなければいけなかった」と悔やんだ。

◆「令和1号」は巨人坂本勇人内野手がたたき込んだ。「平成1号」は、巨人原辰徳監督が89年4月8日のヤクルトとの開幕戦で、初回に通算250号となる先制2ランを放っている。原監督、坂本勇と巨人から飛び出した連続メモリアルアーチ。平成元年、原辰徳の「平成1号」をプレーバックする。 ◆◆◆復刻紙面◆◆◆  <巨人6-2ヤクルト>東京ドーム1989年(平元)4月8日 さあ、新時代のプロ野球が派手なアーチの続出で幕を開けた。東京ドームのデーゲームでは、巨人原が250号含む2本塁打で新生巨人をアピールすれば、ナイターでは日本ハムのルーキー中島が33年ぶりという、開幕新人サヨナラ本塁打の離れ業。さらに広島球場では阪神フィルダーが逆転3ランを放った。いずれもホームランで決着するスリリングなプロ野球開幕だった。 ---------- 3度両腕を天高く突き上げた。一塁をまわったところで1度、二塁から三塁までの間に2度。新時代のプロ野球開幕を飾る晴れの1号アーチのうれしさを、原は全身で表現した。初回、三塁に中畑を置いて左翼スタンドにたたき込んだ。平成元年の球界1号は、原にとっても通算250号の祈念本塁打でもあった。 興奮していた。今年から本塁打を打った選手に贈られる童夢くんの人形と花束をもらうのも忘れ、ベンチ前に並んだナインの前に一直線に走った。試合中に取材陣に配られるコメントの用紙には、広報担当が「興奮して話せないので、談話はしばらく待ってください」と断り書きを入れた。 3回には、内角低めの難しいボールを再び左翼へ。1963年に長島が達成して以来、26年ぶりに巨人の4番打者として、開幕2本塁打だ。2発目の本塁打を「非の打ちどころのないホームランでした」と自画自賛した。両腕を体に巻き付けるようにシャープに振り抜くテクニックの1発。これまで1本打つと安心してしまうのか、固め打ちの少なかった原が、開幕戦での2発で一気に尾花をたたきつぶした格好だ。藤田監督も「ああいうことができるようになったんだね」と、原の技術的成長にびっくり仰天した。同監督にとっては頼れる4番を確保した。 「250号? 僕の目標は長島さん(444本)に近づくことです」。この男にしては珍しい強気な発言だ。81年。原が巨人のユニホームを着ることが出来たのは、藤田監督が第1次政権の時のドラフトでクジを引き当ててくれたからだった。その指揮官が、5年ぶりに「再建」の2文字を背負って再任した。その監督から「左翼コンバート」を指示されれば素直に従い、キャンプ中には右へ打つ技術習得に取り組んでもきた。 それだけに勝つことに対する願望は原にとって、あるいは他の巨人ナイン以上に強いといえる。「130分の1という人もいる。だけど、みんなで一丸となっていいスタートをきりたかったんだ」と顔を真っ赤にしてしゃべった。 今、練習中に使うグラブは、従来の茶色から青に替えている。派手なガッツポーズについても「あのくらいのポーズ作れるぐらい余裕を持って、これからやりたい」と胸を張った。 あえて、目立つ、派手な物へチャレンジしようとする原。今年のこの男はV奪回の大きな起爆剤となるムードが漂ってきた。 (表現は平成元年(1989年)当時のまま)

◆巨人は1回に亀井の適時打、陽岱鋼の適時打などで4点を先制。2回は坂本勇の8号ソロで追加点を挙げた。 中盤は両チーム無得点。巨人菅野は6回まで3安打6奪三振で無失点と好投。中日山井は5回5失点で2番手小熊にスイッチした。 巨人菅野は完封を逃すも完投で4勝目、チームの連敗を2で止めた。令和初勝利で、貯金7。中日は連勝を逃し、借金1となった。 中日山井が2敗目。

◆巨人菅野智之投手が令和初勝利を挙げた。 12球団最速の午後2時5秒に令和初の1球を投げ込むと、中日打線に的を絞らせない。150キロ超の直球、カーブ、スライダー、カットボールなど多彩な変化球で翻弄(ほんろう)。5回まで48球とテンポのいい内容で主導権を握った。 完封ペースで終盤まで進んだが9回のマウンドで京田、大島、ビシエドと連打を浴び失点。令和初の完封勝利はならなかったが9回1失点で4勝目を記録した。 試合終了の時刻は午後4時49分。12球団最速、令和一番乗りで勝利した。 菅野は令和初を"総ナメ"にした。令和1球目を投げ込んだ後、午後2時1分に中日の1番打者渡辺を令和初の三振。9回無死一、二塁から平田を空振り三振に抑えて、令和初の2ケタ奪三振。9回に4安打を浴びて失点したが、最後は堂上を二ゴロ併殺に打ち取って令和初完投勝利を記録した。

◆巨人が令和「初」で平成超えを果たした。午後2時に菅野智之が12球団一番乗りで令和1球目を投げ込むと、記録ラッシュに突入した。10部門で令和初となり、7部門だった平成初を上回った。 以下は巨人が獲得した主な「令和初」。 初勝利 午後4時49分 初勝利投手 菅野智之(午後4時49分、9回7安打1失点) 初完投勝利 菅野(同右) 初奪三振 菅野(午後2時1分、中日渡辺勝から見逃しで) 初2ケタ奪三振 菅野(9回10奪三振、同右) 初本塁打 坂本勇人(午後2時30分、2回に中日山井から) 初打点 亀井善行(午後2時12分、1回1死満塁で中日山井から右前打) 初得点 坂本勇(午後2時12分、同右の亀井の適時打で生還) 初死球 ビヤヌエバ(午後2時10分、1回1死一塁で中日山井から) 初盗塁 山本泰寛、亀井(午後2時17分、1回2死一、三塁で重盗に成功。一塁走者山本、三塁走者亀井) 平成元年でも巨人は「平成初」を多数獲得。初勝利(午後3時31分、ヤクルトに6-2で勝利)初本塁打、初打点(原辰徳)初犠打(勝呂壽統)初完投、初被安打、初奪三振(桑田真澄)と7部門で記録。新しい時代でも巨人の存在感を示した。(記録、時間は日刊スポーツ調べ)

◆中日京田陽太が、巨人菅野からマルチ安打を記録した。 4回の第2打席で146キロ速球に見逃し三振に倒れるなど試合前半は苦しんだが、9回は先頭での中前打で1点を返す好機をつくった。「まっすぐもピシャピシャに来ていたし、リズムよく投げられていた。(安打は)追い込まれる前に積極的に行きました」と、相手の術中から抜けだしての好打。だが令和初の敗戦チームになり「新元号になったので、勝ちたかった」と悔しがった。

◆巨人亀井義行が、12球団最速で令和初の適時打を放った。 1回1死満塁から、中日山井の直球を右前にはじき返し、令和初打点を記録した。三塁進塁後には山本が二盗を決める間に本盗を決め、令和初盗塁もマーク。「令和初とか多いですねぇ。令和1戦目に勝てて良かった」と笑顔で話した。

◆中日渡辺勝外野手(25)がプロ初スタメンで、東海大相模-東海大の先輩、巨人菅野からプロ通算2本目の安打を放った。令和初戦に1番左翼で出場。チームがここまで対戦成績5勝10敗の右腕を打ちあぐねる中、6回2死でチーム2本目の安打を右前へ。15年育成ドラフト6巡目で入団し、昨オフに支配下選手となった4年目の"ルーキー"は「大先輩なので、菅野さんの力を借りて打ちました」と、1歩を記した。 初回の初打席でスライダーを見逃し、令和初三振も、6回の第3打席で変化球を捉えた。8回2死一塁の第4打席では空振り三振も「対戦できることが光栄。今後につなげたい」と、1軍選手を実感した。 中学時代に、巨人王(現ソフトバンク球団会長)を育てた故荒川博氏に打撃を教わった。高校、大学で全国制覇と、アマ時代の戦績は菅野をしのぐ。だが瞬く間に球界のエースとなった先輩に対し、渡辺は1軍まで4年かかった。「ぼくは崖っぷちですから。1つ1つのプレーが大事」と立場を自覚する。 プロ1本目は阪神西(4月14日)、2本目は菅野とエース級から安打を重ねた。与田監督も「試合から遠ざかってる中で1本出たということは非常によかったと思います。次の機会を考えて行きたい」と認めた。ネクストチャンスを渡辺がつかんだ。【堀まどか】

◆囲碁の最年少プロ、仲邑菫初段(10)が1日、巨人-中日5回戦(東京ドーム)で始球式を行った。 囲碁にちなんだ背番号「15」のユニホームを着て、本来の投球間隔の半分ほどの位置に座った巨人阿部に対して、力いっぱい投げ込んだ。登板後、報道陣に囲まれると緊張気味に「楽しかったです。90点ぐらい」と自己採点。阿部については「優しいです。(ユニホームは)飾ります」と話した。

◆平成に続き、巨人の生え抜きスターが令和のメモリアル弾をたたき込んだ。キャプテン坂本勇人内野手(30)が、2回1死から「令和1号」となる8号ソロを放ち、歴史的勝利に貢献した。 「平成1号」を放った原辰徳監督(60)に続く、新元号のプロ野球1号。先発の菅野智之投手(29)は10奪三振1失点で、令和初完投を飾った。初勝利、初打点、初盗塁...と記録ずくめの白星で首位を守り、新時代をスタートした。113キロの緩いカーブに、小刻みに2度左足を上げ下げしてタイミングをはかった。2回1死の初球。坂本勇がバットを背中に巻きつけるように強く振った打球が、左中間スタンドに飛び込んだ。 午後2時30分。大歓声の中でベースを1周したが、まだ半信半疑だった。「令和1号なのかなと思いながら走りました。他球場の結果を知らないので」と確信は持てなかった。89年に原監督が「平成1号」を放ったのは、前日にニュースを見て知っていた。それだけに、試合後お立ち台に立つと「僕が令和で打ててうれしいです」とかみしめた。 「平成1号」の原監督から「令和1号」の坂本勇へ。でき過ぎのようなストーリーで巨人の新時代が始まった。原監督は「私よりはるかに素晴らしい選手。打つべく選手が打った」と言った。18歳で入団した07年から監督、選手として歩みをともにし、2年目にはレギュラーに抜てきした。「弱音をはかない、へこたれない、常に前向き。いろいろな野球人を知ってますが、その部分は最上級。ずぬけている」と評する。 30歳になった今季も開幕から27試合連続出塁を続け、時代をまたいで11試合連続安打をマークする。試合の中でも投球に合わせて左足の上げ幅を調整するなど、柔軟に対応。メモリアル弾を喜ぶより、8回1死二、三塁の三塁ゴロに「そっちの方がイライラする」と貪欲だ。 そんなキャプテンに、指揮官は「尊敬に値するぐらい非常に大きくなっている」と賛辞を送った。試合開始の14時間前、平成から令和に変わった瞬間にパッと目が覚めた。神棚に静かに手を合わて必勝を期した。「(阿部)慎之助も素晴らしいリーダーでしたが(坂本勇は)関西弁を多用しながら。関東風の慎之助から、やや関西風に」とベンチの雰囲気も明るくする。新時代の幕開けにふさわしいメモリアルアーチで快勝し、首位もがっちりキープした。【前田祐輔】

◆午後4時49分、12球団最速で令和初の白星を手にした巨人菅野智之投手に笑顔はなかった。 完封目前の9回に3連打で失点。令和初完投を飾っても、3分後に上がったお立ち台の第一声で「悔しいです」と発した。「(リリーフに)ブルペンで準備させて、申し訳ないです」。チームは10連戦の5戦目。元号をつなぐ大エースは内容も最上級を求めた。 新時代の幕開けも、巨人の背番号18がマウンドで輝いた。菅野が誕生する年の平成元年4月8日、開幕戦で平成初完投を飾ったのは背番号18の桑田真澄だった。運命の巡り合わせかのように、桑田に並ぶ通算22度目の2桁奪三振。12球団最速での令和初奪三振をスタートに1000奪三振も達成し、節目の1日を記録で彩った。 菅野 もっともっと記録を残して、時代が変わった節目、次の時代に初勝利を挙げた人が『菅野は令和で最初に勝った人だよ』と言ったら、ピンとくるような成績を残したいです。 2年連続沢村賞を獲得してもなお「もっと」を求める男は屈辱を力に変えた。平成ラスト登板だった4月25日ヤクルト戦。初の3者連続弾を浴びた試合直後、小林と反省会を開いた。翌朝の練習、球場への移動の車中では後部座席でタブレット端末で映像をチェック。「見たくないですけど...」と言いながら、「まだやるべきことがあります」と進化への種を採取した。 反省点の1つだった配球には早速変化を加えた。120キロ台のパワーカーブを初球、勝負球にも使用。直球、スライダー中心の王道スタイルを逆手に、竜打線を惑わせた。原監督は「やられたらやり返すのがプロ」と快投とともに、反骨心を評価した。【久保賢吾】

◆巨人亀井義行外野手が、1回に令和初盗塁となる本盗を成功させた。 ▼亀井が4月4日阪神戦に次いで今季2度目の本盗成功。シーズンに2度の本盗を決めたのは、17年の5月14日巨人戦、6月9日楽天戦で成功した西川(広島)以来。巨人では76年王が5月22日大洋戦、6月20日阪神戦で決めて以来43年ぶりとなった。

◆巨人菅野智之投手が令和初勝利を挙げた。 ▼菅野が10三振を奪って今季4勝目。これで菅野は通算160試合に登板して80勝43敗、1002奪三振となり、2桁奪三振は22度目。巨人で160試合目に80勝到達は39年スタルヒン130試合、04年上原138試合、83年江川156試合に次ぐ4位のスピードで、22度目の2桁奪三振は槙原35度、上原26度、斎藤雅24度に次ぎ、桑田に並んで4位タイ。 また、7回には平田から三振を奪い、史上148人目の通算1000奪三振を達成。初奪三振は13年3月30日広島戦の菊池からで、通算1126回での到達は、巨人では05年上原の1111回に次いで2位のスピード。

◆巨人の4番岡本和真内野手が、東京ドームの天井直撃の同点適時打を放った。 1点差に迫った5回2死一、二塁。中日ロメロの153キロの直球を高々と打ち上げると、中日左翼手の福田が一時は捕球態勢に入ったものの、打球が天井に当たって、三塁手と左翼手の間にポトリと落ちた。 岡本は打った直後に天を見上げてバットをたたき付けたが、ラッキーな適時打で同点に追い付いた。 続く5番陽岱鋼外野手が、初球の144キロ直球を左翼スタンドに運ぶ勝ち越し3ランを放った。

◆巨人・亀井善行外野手(36)が1日、「令和」初戦となる中日4回戦(東京ドーム)に「5番・左翼」で先発出場。一回1死満塁から、先制の右前適時打を放った。  「みんながつないでとれた先制点だと思います」  相手先発・山井が投じた内角よりの142キロ直球を捉えた。チームに「令和」初得点をもたらす一打は、12球団の中で「令和」最速となる適時打。パ・リーグ3試合はナイターゲームで、甲子園での阪神-広島戦は開始が遅れ、横浜でのDeNA-ヤクルトでは、亀井が先制打を放った午後2時12分には点が入っていなかった。

◆巨人・坂本勇人内野手(30)が1日、「令和」初戦となる中日4回戦(東京ドーム)に「1番・遊撃」で先発出場。一回先頭で、チームの「令和」初安打となる左前打を放った。さらに、この安打で開幕から27試合連続出塁とした。

◆巨人・菅野智之投手(29)が1日、新元号「令和」初戦となる、中日4回戦(東京ドーム)に中5日で先発した。  試合開始は午後2時。1人目の打者・渡辺をカウント1-2と追い込むと、最後は132キロの外角スライダーで見逃し三振。「令和」1人目の打者から三振を奪った。  その時の時間は午後2時1分。パ・リーグ3試合はナイターゲームで、甲子園での阪神-広島も開始時刻が遅れた。また、横浜でのDeNA-ヤクルトは時間通り開始されたが、一回表のヤクルト攻撃中に三振はなく、12球団の中で時代最速での奪三振となった。

◆巨人・坂本勇人内野手(30)が1日、「令和」初戦となる中日4回戦(東京ドーム)に「1番・遊撃」で先発出場。一回、チームの「令和」初安打となる左前打を放ち、開幕から27試合連続出塁としたあとの2打席目。二回1死から、左中間席への8号ソロを放った。  「まさか自分が令和1号を打てるとは思っていなかったので、素直にうれしいです」  相手先発・山井が投じた1球目、113キロのカーブをとらえた。4月28日のDeNA戦(東京ドーム)以来、3試合ぶりの一発は、12球団の中で「令和」最速弾。パ・リーグ3試合はナイターゲームで、甲子園での阪神-広島戦、横浜でのDeNA-ヤクルトでは、坂本勇がソロを放った午後2時30分には点が入っていなかった。

◆巨人・菅野智之投手(29)が1日、新元号「令和」初戦となる、中日4回戦(東京ドーム)に先発。七回1死から、中日・平田を空振り三振に抑え、史上148人目となる通算1000奪三振を達成した。  初三振は1年目の2013年3月30日の広島戦(東京ドーム)で菊池涼から。

◆育成選手として3シーズンを過ごし、今季から支配下選手となった中日の渡辺が「1番・左翼」で初めて先発出場し、六回に菅野から右前打を放った。  それでも「ぎりぎりのラインでやっている選手。練習でもやるべきことをやらないといけない」と浮かれてはいない。ただ菅野は東海大の先輩でもあり「対戦できることはありがたいし、光栄」とうれしそうだった。 京田(2安打) 「追い込まれる前に積極的にいった。うまく打てた」

◆巨人は試合前に新元号を記念するセレモニーを開催した。書家の高木聖雨氏が、グラウンド上に用意された縦3・2メートル、横6メートルの大きな用紙に「令和」の文字を鮮やかに揮毫。力強い大字を背に、新時代に活躍が期待される囲碁の仲邑菫初段が始球式を行った。

◆巨人の坂本勇が二回に左中間席へソロを運び、プロ野球の「令和1号」をマークした。  初球のカーブを完璧に捉えて大歓声を浴び「タイミングが合ったので思い切り振った。まさか自分が令和1号を打てるとは思っていなかったので、素直にうれしい」と表情を緩めた。一回には左前打を放って、令和の自身初安打も記録していた。  現役時代の1989年4月8日、同じ東京ドームで行われたヤクルト戦で「平成第1号本塁打」を放っている原監督は「私よりもはるかに素晴らしい選手。何となく私自身もうれしい。うちのチームでもふさわしいプレーヤーだと思う」と称賛した。 亀井(一回に先制打) 「チャンスで回ってきたところで打てた。そういう意味で5番にいるので、打てたところは良かったと思う」 陽岱鋼(一回に適時打) 「しっかり振り抜けた。久しぶりのタイムリーなのでうれしい」

◆チームを令和最初の勝利に導いた。巨人・菅野智之投手(29)は7安打1失点で、12球団を通じて令和初となる完投勝利。九回に1点を失って完封を逃したが、エースとしてマウンドに立ち続けた。  「あそこで交代なんてあり得ないし、あんな場面で行ってもらう投手に申し訳ない。基本的にはイニング完了まで投げたいという思いはあるので」  午後2時。令和で初球となる148キロの直球を投げ込んだ。1分後、先頭・渡辺をスライダーで見逃し三振に。新時代で誰よりも早く三振を奪った。四回途中7失点だった4月25日のヤクルト戦の反省を生かし、序盤はカーブを多投。中盤から直球とスライダー主体に切り替えた。七回1死。平田を外角スライダーで空振り三振に仕留め、通算1000奪三振を成し遂げた。  「僕だけの力じゃない。受けてくれたキャッチャーであったり、スコアラーさんだったり。そういう人に感謝したいです」。1126回での1000奪三振は、球団では上原浩治の1111回に次ぐ2位のスピード達成。また、10三振を奪って通算22度目の2桁奪三振。これは桑田真澄と並んで球団4位の記録だ。  巨人で平成最初の勝利投手となったのが、背番号18の先輩である桑田氏。今季、19番からエースナンバーに変わった菅野は「偉大な先輩です。次の時代に初勝利を挙げた人が、菅野は令和で最初に勝った人だよと、言ったらピンとくるような成績を残したい」と誓った。  平成の時代から積み上げてきた奪三振。その分、経験も蓄えてきた。「ここぞというときに、空振りを取れるボールは絶対必要だと思う」と話す菅野にとって、大きな武器はスライダー。切れのある直球や多くの変化球を操れれば、"伝家の宝刀"を最大限生かすことができる。  もちろん、スライダーに頼る訳ではない。「自分を一番知らないとだめ。その日の調子があるから」と試合ごとに自己分析をしながら、最上の配球をする。この日は、前回の反省を踏まえてカーブを選択。これまでの蓄積が、「令和」の時代でも武器となる。  新元号での初勝利に「光栄に思いますし、まだまだどんどん勝っていきたいと思っています」と菅野。令和でも圧倒的な成績を残し、優勝への道を切り開く。(赤尾裕希) 〔1〕史上148人目の通算1000奪三振を達成 巨人・菅野の初奪三振は2013年3月30日の広島戦で菊池涼介から。 〔2〕1126回での達成 阪神・藤川球児の771回2/3を筆頭に歴代18位。巨人では上原浩治の1111回に次ぐ2位のスピード記録。 〔3〕2桁奪三振の回数 通算22度目で、巨人では桑田真澄と並ぶ歴代4位。球団最多は槙原寛己の35度。 〔4〕通算80勝(43敗)に到達 巨人で通算80勝以上挙げたのは史上20人目。最多は別所毅彦の221勝。2リーグ制(1950年)以降に巨人に入団した投手で、160試合以内に80勝に到達したのは、上原の138試合、江川卓の156試合に次ぐ3番目。

◆一回1死満塁で、亀井が「令和」初の適時打を右前に運んだ。同2死一、三塁の場面では三走で重盗に成功し、新元号での初盗塁も記録し、昭和57年生まれの36歳は「1本打てたというところはよかった。令和1勝目で勝てたのはよかった」と白い歯をこぼした。平成元年の思い出を聞かれ、「元木さん(内野守備兼打撃コーチ)が甲子園に出たこと」と少年時代を振り返った。

◆投打で圧倒され、完敗を喫した。先発の山井が5回5失点と崩れ、打線は九回の1得点のみ。ふがいない試合内容に与田監督は「点の取られ方が悪い。菅野のボールが攻略できなかったのか、うちのミスが多かったのか、しっかり確認したい」と険しい表情だった。 5回7安打5失点で2敗目を喫した中日・山井 「初回の4点があまりにも重かった。次はある意味、いろんな意味を込めて投げたい」

◆プロ野球は元号が令和に改まった1日、セ、パ両リーグで6試合が行われた。セ首位の巨人は坂本勇人内野手(30)が中日4回戦(東京ドーム)の二回に左中間席へ8号ソロ。12球団を通じて令和1号となる本塁打を放った。試合は5-1で勝ち、チームも令和一番乗りで白星を挙げた。平成元年の開幕戦でも最初の勝利を収めた巨人は同年、日本一を達成。縁起の良い白星を飾り、令和元年の覇権奪回を目指す。  令和元年5月1日、午後2時30分。坂本勇の打球が左中間席へ飛び込んだ。ダイヤモンドを一周しながら「令和1号だったらいいな」との思いが駆け巡る。ファンはすでに、メモリアルアーチを確信。歴史の目撃者となった4万6345人が大歓声で祝福した。  「第1号を打てて素直に光栄に思います。タイミングが合ったので思い切って振り切りました」  一回。坂本勇はチームの令和初安打となる左前打を放つと、亀井の右前適時打で12球団を通じて令和の初得点を記録。続く二回。初球のカーブをスタンドへ運び、歴史に名を刻んだ。  「平成1号」は平成元(1989)年4月8日のヤクルト戦(東京ドーム)、当時現役の原監督が放った。「きのう、ニュースで知りました」という坂本勇が続いた。指揮官は「うちのチームでもふさわしいプレーヤー。3年間(現場から)遠ざかっていたが、尊敬に値するぐらい大きくなった」と絶賛した。  30年の時を超え、師弟の絆が新たな歴史を紡いだ。原監督は自らを見いだしてくれた恩師。開幕スタメンをつかんだプロ2年目の2008年。19歳の若さゆえに荒削りなプレーでチームの足を引っ張り、指揮官は「もう、勇人なんて使わねぇ!」と突き放した。  翌日、グラウンドには人一倍バットを振り、ノックを受ける坂本勇の姿があった。原監督が「練習するか?」と誘うと、「お願いします!」と即答。「使ってみたくなるんだ、あの目を見るとね」と原監督。ひたむきさに心を打たれ、若武者の可能性にかけた。  提出直前にオーダー表を書き換えたのは1度や2度ではない。何度も指揮官に呼ばれて先発メンバーを書き直した高見昌宏1軍マネジャーは「そういうことは多かったね。監督はファイティングポーズを取る選手が好きだから」と懐かしむ。  巨人を背負うスター、生え抜き、内野手と共通点は多い。しかも「平成1号」と「令和1号」はどちらもカーブを打ち、着弾も同じ左中間席。30歳という年齢まで一致する。まるで師の一発を再現したかのような記念のアーチ。2人にとっても特別なものとなり、指揮官は「打つべくして打った」と目尻を下げた。  1号だけでなく、平成最速勝利に続いて令和最速勝利も飾った巨人。平成元年は優勝し、いてまえ打線の近鉄を破って日本一にも輝いた。  平成が始まる25日前の昭和63(1988)年12月14日に生まれ、巨人の大黒柱に成長した坂本勇は「令和の年に優勝できるように頑張りたい」と決意も新た。5年ぶりの優勝と7年ぶりの日本一へ。この一発が吉兆となり、令和でも巨人が初代王者になる。 (伊藤昇) 坂本勇の「令和1号」に巨人・吉村打撃総合コーチ 「よかったね。名誉なことよ。運も必要だし」 ★平成も最速!  平成元年4月8日午後1時に開始した巨人-ヤクルト(東京ドーム)の開幕戦。巨人は「4番・左翼」で先発出場した原が一回、尾花から左翼席へ先制2ラン。元号が昭和から平成に変わった新シーズンのプロ野球1号を記録した。原は三回にも2打席連発となるソロ本塁打を放ち、6-2の勝利に貢献。同日は3試合が行われ、午後3時31分に試合を終えた巨人が平成で白星一番乗りの球団となった。

◆きっちり修正して、出直しを果たすあたり、さすが菅野だよ。あんな攻め方はここ最近、みられなかった。"平成の悪癖"を、令和の初戦で払拭したね。  典型的だったのは六回2死一、三塁での大島への配球。初球、インハイの真っすぐで入り、追い込んだあと、アウトローの真っすぐで空振り三振。見事な対角線投法だった。  これまでは、完投を念頭に置くあまり、抜きどころも多かった。特に左打者には、スライダーを外角から曲げて、楽にカウントを稼ごうというパターンを多用。その球が甘く真ん中に寄り、一発を浴びるケースが目立った。過去2戦の一発被弾の原因は、まさにそれ。  この日は一転、真っすぐで押し込んでから、ひょいと変化球。はたまた、最後も真っすぐという配球が光った。いずれにしても、基本は真っすぐ。姿勢は攻め。  菅野レベルなら、テクニックはさほど必要ない。変化球は、真っすぐを補完するものでしかない。それがよく、わかったんじゃないかな。  もうひとつ、本人もベンチもわかっているとは思うけど...。リリーフ陣の現状を考えたら、中5日だろうと、すべて完投! 馬力もスタミナも十分なことは、証明済みなんだから。 (サンケイスポーツ専属評論家)

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
巨人
17100 0.630
(↑0.015)
-
(-)
116133
(+5)
99
(+1)
36
(+1)
14
(+4)
0.267
(↑0.003
3.440
(↑0.1)
2
(-)
ヤクルト
16121 0.571
(↓0.022)
1.5
(↓1)
114147
(+1)
130
(+5)
39
(+1)
11
(-)
0.255
(↓0.003)
4.170
(↓0.04)
3
(1↑)
阪神
14141 0.500
(↑0.019)
3.5
(-)
114115
(+6)
128
(+2)
22
(+1)
18
(+4)
0.240
(↓0.003)
3.740
(↑0.06)
4
(1↓)
中日
13140 0.481
(↓0.019)
4
(↓1)
11699
(+1)
90
(+5)
21
(-)
16
(-)
0.269
(↓0.002)
3.240
(↓0.08)
5
(-)
広島
12160 0.429
(↓0.015)
5.5
(↓1)
11593
(+2)
126
(+6)
24
(-)
11
(-)
0.228
(↑0.003)
3.710
(↓0.03)
6
(-)
DeNA
11170 0.393
(↑0.023)
6.5
(-)
115110
(+5)
124
(+1)
34
(-)
5
(+1)
0.241
(↑0.002)
3.900
(↑0.11)