中日(☆4対3★)阪神 =リーグ戦22回戦・ナゴヤドーム=
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阪神
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中日
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勝利投手:岡田 俊哉(1勝0敗0S)
(セーブ:岩瀬 仁紀(2勝0敗3S))
敗戦投手:才木 浩人(6勝9敗0S)
  DAZN
◆中日は2点を追う5回裏、アルモンテと高橋の連続適時打で同点とする。続く6回には、無死二塁から平田が適時打を放ち、勝ち越しに成功した。投げては、4番手・岡田が2年ぶりの白星。最後は7番手・岩瀬が締めて、NPB史上初の通算1000試合登板を達成した。敗れた阪神は、最終回に一打同点の好機をつくるも、あと1本が出なかった。

◆中日は昨年まで阪神を相手に5年連続で負け越し中だったが、今季は12勝9敗でシーズン勝ち越しまであと1勝。 今季初勝利を狙う先発の鈴木翔太投手(23)を援護して6年ぶりの勝ち越しを決められるか。

◆中日の岩瀬仁紀投手が前人未到の1000試合登板を達成した。4-3の1点リードの9回に佐藤に代わり、7番手でマウンドに上がる。先頭糸原に死球を与えたが、続く大山を中飛、福留を一ゴロ、糸井を遊ゴロに抑えた。今季3セーブ目、プロ入り通算407セーブ目を挙げ、自らの記録に花を添えた。 「ここを目標にしてきたわけじゃない。気持ち的には変わらない。1年間、無事に来られたことが、記録にたどり着いたという気がする。今年の投球に関しては、最初に自分が描いていた形とはちょっとズレがある。そのあたりが納得出来ていない。もともと優勝したかった。その中で1年間、自分が勝ちのピースになれるようにやってきた。常にモチベーションはその部分で保ってきた」と、岩瀬は話した。 今季限りでユニホームを脱ぐことが判明しているが、数々の記録を打ち立ててきた。最優秀中継ぎ投手賞3回、最多セーブ賞5回。昨年8月6日の巨人戦では、米田哲也(阪急)の記録を更新する球界新の950試合登板を達成、左肘痛から復活してのカムバック賞もシーズン終了後に受賞した。 99年4月2日の広島戦(ナゴヤドーム)でリリーフとしてプロ初登板してから20年目で達成した。引退目前のレジェンドが節目の金字塔を打ち立てた。

◆今季限りで引退する中日岩瀬仁紀投手が前人未到の1000試合登板を達成した。9回に7番手で登板した。 先頭の阪神糸原に死球を与えたが、大山を中飛、同期入団の福留を一ゴロ、最後は糸井を遊ゴロで締めくくった。407セーブ目を挙げ、ナインから祝福され岩瀬はお立ち台で「まさかここまでくるとは...。1点差で僕を出してくれたのは今年初めてだったので最後はしっかり頑張ろうと思いました」と目を赤らめた。 20年目の今季は1度も離脱することなく、この日試合前の時点で45試合に登板し、防御率4・81の成績。9月に今季限りで現役引退を表明している。 初登板は99年4月2日広島戦(ナゴヤドーム)。13年まで15年連続で50試合以上登板をマークし、通算登板数と通算セーブ数はNPBの歴代最多。今季でユニホームを脱ぐ鉄人にまた1つ勲章が加わった。

◆阪神鳥谷敬内野手(37)が、約2年ぶりに遊撃を守った。8回に代打で出場すると、そのまま遊撃の位置に就いた。 残り「1」と迫っている、球団最多安打(2064本)への到達とはならなかったが、左翼スタンドの虎党が驚いたのは、その直後だった。グラブを持った背番号1がショートにいる...。 クールな男は、きちんとした準備を行っていた。昨季は主に三塁を守っていたが、大山ら若虎らの台頭もあり、今春キャンプで二塁にコンバート。プロ15年目。泥まみれになりながら、必死にノックを受ける背番号1が、そこにはいた。 開幕2戦目の3月30日巨人戦(東京ドーム)は「2番二塁」でスタメン出場。だが、6月7日オリックス戦(甲子園)からは三塁を守り「再コンバート」されていた。 最近の試合前練習では、ショートの位置でノックを受けることも、しばしばあった。16年9月2日DeNA戦以来、約2年ぶりの遊撃には「そんなに違和感はなかったです」とコメントして、チームバスへ。窮地に立たされた虎を浮上させるために、鳥谷は動く。

◆阪神先発の小野泰己投手は5回10安打3失点で降板した。1回から毎回走者を背負う苦しい投球。3回に自軍が先制したが、その裏に同点に追いつかれた。 4回に再び2点の援護をもらうも、5回に4連打を浴びて2失点。77球での降板となった。 「先制してもらいリードした状態で投げさせてもらっていましたが、内野安打やミスが出た後に嫌な流れを断ち切ることができませんでした。長いイニングを投げることができずに中継ぎの方に申し訳ないです」と振り返った。

◆阪神が1点差で敗れた。借金が今季ワーストの13となり、クライマックスシリーズ進出圏内の3位巨人まで4ゲーム差となった。 3回に1点を先制するも、先発小野がすぐに追いつかれた。打線は4回に2点を追加したが、小野が5回に2失点して再び同点とされた。6回には藤川の離脱で中継ぎに配置転換された才木が平田に右前適時打を浴びて勝ち越され、そのまま敗れた。8回に代打起用した鳥谷をそのまま遊撃の守備に就かせるなどしたが、1点が遠かった。 チームのシーズン負け越しも決定。金本知憲監督は会見の最後、「明日、やるだけです」と締めた。

◆阪神先発の小野泰己投手は5回10安打3失点で勝敗は付かなかった。 1回から毎回走者を背負う苦しい投球。3回に自軍が先制したが、その裏に同点に追いつかれた。4回に再び2点の援護をもらった後の5回。大島、ビシエド、アルモンテの詰まった打球がいずれも遊撃内野安打となる不運も重なり、同点を許した。 「今日はそういう(詰まった)当たりが多い日で、飛んだところが飛んだところ。ピンチの場面で三振を取れる投手だったら楽だったのかなと思います」と責任を自分で背負った。

◆阪神才木浩人投手が中継ぎ起用に応えられず、9敗目を喫した。 同点の6回から2番手でマウンドに上がると、先頭の代打荒木に左翼への二塁打を浴び、ピンチを招いた。続く平田に初球の高め直球を打たれ、右前適時打。これが決勝点となった。 今季は主に先発で6勝を挙げていたが、中継ぎの柱である藤川球児投手が右肘痛で24日に出場選手登録を抹消され、金本監督から代役に指名されていた。藤川の離脱後初の中継ぎ登板で役割を果たせず、才木は「チームに迷惑をかけて申し訳ないです」とうつむいた。

◆史上初の1000試合登板を達成した中日岩瀬仁紀投手(43)の試合後会見の一問一答は以下の通り。   -どんなことが胸に去来しているか 「1年目のあの開幕戦(広島戦でリリーフ、1死も取れず降板)からスタートして、ここまで来るのは非常に長かった。肘を痛めて、投げられなくなってからの道のりが大変だった」 -記録の節目で聞かれてきたが、1000試合で一番の思い出は 「いま聞かれたら今日になる。最初か最後かという感じ」 -今日はチームが5連敗の中でのクローザーとしてマウンドに立ったが 「今日は9回を岩瀬でいくと言われてた。点差が点差で、久しぶりに足が震えた」 -打者4人と対戦 「マウンドに向かうときに、大歓声をいただいて、鳥肌が立ちそうだった。そこから投げないといけない。1人1人しっかり投げないといけないと思った。先頭にいい形で追い込んだけど、まさかデッドボールを当てると思わなかった。走者を出してからは、もう1度気持ちを切り替えて、1人1人、対戦していこうと思った」 -終えてみてどうか 「いつも節目には弱い。今日だけは、お願いします、というか、今日だけは運が向いてくれるように願った」 -去年のプロ野球新記録の950回登板も、今日もセーブがついた 「そこで使っていただいた監督に感謝したい」 -お立ち台では涙もあったが 「率直にうれしかった。ちょっと感情が高ぶりました」 -2018年の1000試合登板への意識は 「1000試合については、今年初めから1年から無事にやれば到達できると思っていた。なかなか今年はうまくいかないところもあって、登板数も増えなかった。どうなるのかな、という思いもあった」 -1000試合登板への重圧は 「そんな重圧はなかった。自分の中では、絶対到達しようと思っていた。ケガなく来られて良かった」 -球界最年長の肉体面の強さは 「肉体的に強いと思っていない。支えてくれたトレーナーや、コンディショニングコーチ、治療していただいた方々に感謝したい」 -故障を乗り越えての達成はどう思っているか 「投げられなかったときは、1000どころか引退もよぎった。とてもここまで来られるとは思わなかった」 -引退から立ち上がれた要因は 「応援してくれる人たちと、支えてくれる人たちがいた。ここまで来られた」 -精神面の強さは 「いろいろな経験をした。マウンドに上がれば、スイッチが入るというか、もう1人の自分が出て来る感覚があった。毎日投げるのは怖かったが、マウンドに上がって気持ちを切り替えた」 -今日は若い人たちからマウンドでバトンを受けたが 「今年1年は投手が苦しんだ。最後はああいうふうにつないだ。自分もしっかりつなごうという気持ちで投げた」 -森監督への思いは 「監督とは長い時間やってきた。いいときも悪いときもあって、その中で自分を信頼して使ってきてくれたことに、感謝しています」 -試合後に乾杯したそうだが 「チーム全員で1000試合のお祝いで乾杯をさせていただいた」 -1000試合以降は 「まだ残り試合あるので、しっかりやりたい」 -足が震えた記憶は 「いつもマウンド上がるときは、すごく緊張している。なかなか足が震えるまではいかなかった。(過去に)記憶がない」 -優勝の瞬間や、日本代表として登板したが、涙することはあったか 「覚えていない」 -涙は驚いたか 「まさかこういう舞台で使ってくれるとは思ってなかった。ましてや1点差の場面だったので。感情が出た。抑えて感情が出た」 -うれしかったのか、ホッとしたのか 「両方です」 -福留との対戦はどうだった 「いつも孝介との対戦は、同期で入って、いい思いもつらい思いもたくさんしてきた。対戦するようになって、特別な空間というか、互いに意識しながらやってきた。孝介だけは別な思いがあった」 -次の目標は 「目標の位置に掲げてなかった。あくまでも今年1年やれば、通過できるという気持ちでやっていた。達成できたので、次の登板に向けてしっかり、調整したい」 -1001(仙一)という数字への思いは 「そうやって言われるので、すごく、逆に思いとか...。こじつけてはいけないのではと思う」

◆今季限りの現役引退が判明している中日岩瀬仁紀投手(43)が、前人未到の金字塔を打ち立てた。 阪神22回戦(ナゴヤドーム)に7番手で登板。通算1000試合登板を達成した。1点リードの9回にマウンドへ。勝利をたぐり寄せる今季3セーブ目で通算407セーブ目を挙げた。プロ20年目、数々の記録を樹立してきた救援左腕が、また1つ勲章を手に入れた。 ◆1000試合登板は今後誕生するか? 1000試合登板を達成するには、シーズン50試合ならば20年、60試合でも17年かかる。シーズン50試合以上の回数は岩瀬の16度が最多で、2位が米田(近鉄)金田(巨人)宮西(日本ハム)の11度。10度以上はこの4人しかいない。60試合以上の最多回数は山口鉄(巨人)の9度で、こちらの2位は秋山(大洋)稲尾(西鉄)の6度。60試合を10度記録した投手はおらず、「60試合×17年」はかなり難しい。現役投手を見ると、2位の五十嵐(ソフトバンク)は39歳で776試合、3位の藤川(阪神)は38歳で707試合だから、2人とも高齢で厳しそう。33歳で628試合の宮西(日本ハム)がいるが、来年から50試合を7年、60試合を6年続けても1000試合にはまだ届かない。 ◆大リーグでは 通算1000試合以上登板は16人。最多は46歳まで投げた左腕ジェシー・オロスコ(79~03年メッツほか)の1252試合。

◆今季限りの現役引退が判明している中日岩瀬仁紀投手(43)が、前人未到の金字塔を打ち立てた。阪神22回戦(ナゴヤドーム)に7番手で登板。通算1000試合登板を達成した。1点リードの9回にマウンドへ。勝利をたぐり寄せる今季3セーブ目で通算407セーブ目を挙げた。プロ20年目、数々の記録を樹立してきた救援左腕が、また1つ勲章を手に入れた。 プロ入り20年目、1000の修羅場を経験している岩瀬の目に涙が浮かんだ。「長い道のりでした」。通算1000試合登板。今季初のお立ち台で、声を詰まらせた。 節目のマウンドは長年の仕事場だった。4-3で、リードはわずかに1点。最終9回を託された。「鳥肌が立ちそうだった。まさかこんな場面で使ってくれるなんて。ましてや1点差の場面だった」。表情はいつも通りだが、足は震えた。「今まで記憶にない」という重圧が襲い、先頭糸原に死球を与えた。続く大山を中飛に打ち取り、対戦したのは中日入団の同期福留。初球123キロのスライダーで空振り。2球目131キロのシュートで詰まらせ、一ゴロに仕留めた。「(福留)孝介とは同期でやってきて、対戦するようになって特別な空間、互い意識しながらやってきた」。糸井を遊ゴロに抑え、今季3セーブ目、プロ入り通算407セーブ目。背番号と同じ「13」球で大記録に花を添えた。 今季限りでユニホームを脱ぐ。次回登板すると1001試合。最初の監督、故星野仙一氏の名前とかぶる。残り試合は3試合。「まだ試合はある。最後まで頑張りたい」。球史に恩師の名前を刻む瞬間もやってくるだろうか。【伊東大介】 ▼岩瀬がプロ野球初の1000試合登板を達成した。初登板は99年4月2日の広島1回戦(ナゴヤドーム)で、代打や代走、偵察要員での出場がない岩瀬は同時にプロ野球496人目の1000試合出場も達成した。1000試合登板は史上初だが、過去に投手登録のシーズンに1000試合出場達成は野口二郎と金田正一がいる。二刀流で活躍した野口は阪急時代の51年9月1日近鉄戦、しばしば代打で起用された金田は巨人時代の68年7月9日広島戦で達成。51年野口は4勝、68年金田は11勝しており、2人とも1000試合出場は代打で記録した。 ◆岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日、愛知県生まれ。西尾東-愛知大-NTT東海を経て98年ドラフト2位で中日入団。1年目から中継ぎで65試合、10勝と優勝に貢献。最優秀中継ぎ投手賞3度。04年から抑えに転向し、最多セーブ5度。05年の46セーブはセ・リーグ最多記録。14年7月に史上初の通算400セーブを達成。99~13年まで15年連続で50試合以上登板。今季は投手コーチ兼任。181センチ、84キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸7500万円。

◆ナゴヤドームで大歓声を受けた男は、岩瀬だけではなかった。中日の黄金時代を支え続けてきた荒木だった。同点の6回に代打で登場。阪神才木と対峙(たいじ)した。フルカウントからの7球目。高めの球をたたき、左翼線に二塁打を放った。 通算2042安打目の一打で好機を演出すると、次打者平田の右前打で激走し、決勝のホームを踏んだ。ベンチでは肩で息をするしぐさもみせたが、相変わらずの俊足巧打。今季限りで現役引退が判明しているベテランは「シーズンをまっとうする」と語る言葉通り、勝利への一打に集中していた。 95年ドラフト1位で中日入団。01年途中からレギュラーに定着。勝負強い打撃と足でプロ人生を切り開き、卓越した守備力でも一時代を築き上げた。勝利への執念は23年目を迎えても変わらない。昨オフの契約更改時には「強くなるための1つのピースになりたい」と語っていた。この日、8回には中前打で再び出塁。直後、けん制で盗塁死を記録してしまったが、これも先の塁を狙う姿勢があるからこそだ。 地元ファンの沸いた今季140試合目。そのヒーローの1人は紛れもなく荒木だった。

◆中日岩瀬がプロ入りまで所属していたNTT東海で監督を務めた小松直樹さん(56)も大記録を喜んだ。20年以上前の記憶もよみがえる。「入ってきたときから本人はプロでやるなら『投手』と、プロ志向が強かった」と振り返った。愛知大時代は年間124安打を放つなど、岩瀬は打者としても非凡なセンスをみせていた。「打たせてみたかった」と小松さん。社会人時代はDH制のため実現しなかったが、もし二刀流だったら...と想像してしまう。 90年代後半は社会人チームの解散、再編があった。NTT東海も岩瀬がドラフトにかかった翌年の99年にNTT関西と合併し、NTT西日本になる。プロ入り前、監督だった小松さんは「チームがなくならなかったら(どうしていたか)」と、岩瀬に聞いたことがあるという。答えは「もう1年、チームのために働きたかった」。もし二刀流だったら、時代の流れが違っていたら...。岩瀬の数々の大記録も大きく変わっていたかもしれない。【中日担当 伊東大介】

◆阪神福留が戦友の前で先制犠飛と盗塁で意地を見せた。1回1死二塁から中前打で出塁。2死一、三塁となってから今季2個目となる二盗。シーズン複数盗塁はメジャー時代の11年以来だった。 3回には無死一、三塁から左翼へ犠飛。16日以来となる打点をマークした。チームは敗れ、試合後は無言でバスに乗り込んだが、今季限りでの引退が明らかになっている中日荒木、岩瀬も出場した試合で躍動。9回はその岩瀬の前に一ゴロに倒れていた。中日時代にしのぎを削った戦友。最後まで諦めず、福留はプレーを続ける。

◆阪神が最下位中日に逆転負けを喫し、借金は13。今季の負け越しが決定した。4回まで2点をリードしたが、守備の乱れなどもあって中盤に試合をひっくり返された。追い込まれたチーム状況を象徴するように、8回には代打で出場した鳥谷敬内野手(37)が、2年ぶりに遊撃の守備に就くシーンも。3位巨人とは4ゲーム差となり、クライマックスシリーズ進出は風前のともしびとなった。 もはや万策が尽きた。1点ビハインドの8回裏。その直前、森越の代打に立っていた鳥谷がそのまま遊撃の守備位置に就くと、ナゴヤドームの左翼席がざわめいた。16年9月2日DeNA戦以来、2年ぶりにかつての定位置へ。レギュラーの北條が負傷離脱して以降、森越を先発起用し続けるが、苦肉の策が、チームの苦境を物語っていた。 引き分けを挟んで3連敗で、借金は今季ワーストの13に膨れ上がった。金本監督は鳥谷の遊撃起用について「(攻撃で植田の)代走もあるし、そういうのもあって行ってもらいました。最近、ノックはショートでやっていますから。やっぱり(遊撃も)行ってほしいけどね」と説明。用兵は思惑通りに行かず、シーズン負け越しも決まった。「明日、やるだけです」と力なく振り返るしかなかった。 もう、反発力は残っていないのか。歯車はまるでかみあわなかった。暗転したのは2点リードの5回だ。名手の遊撃森越が誤算だった。先頭大島が内野安打で出塁。二遊間を襲うビシエドの打球を森越が好捕したが送球が高くなり、一塁陽川が捕れず。無死一、三塁になり、再びアルモンテのゴロは遊撃へ。今度ははじいて足で蹴る格好になり、失点。さらにピンチを拡大し、同点を招く守備ミスを演じてしまった。金本監督も渋い表情で振り返った。 「今日は言えばキリがないし...。選手はやろうと思ってやっているわけじゃないし。一生懸命やったなかでのアレですから」 必死に守ってきた森越も痛恨の失策にうなだれる。「みんなに迷惑をかけた。次は守備や打撃でかえしたい」と一身に責任を背負った。北條が故障で、藤川もいない。手負いの状態で厳しい立場に追い込まれた。 今季限りで引退する中日荒木に打たれ、岩瀬に抑えられ、完全に引き立て役だった。最下位中日に逆転負けを喫し、クライマックスシリーズ進出は風前のともしびとなった。3位巨人と4ゲーム差に拡大。むしろ、最下位が0・5ゲーム差に迫り、今日29日に敗れれば自力でのCS進出の可能性が消える恐れがあり、再び最下位に転落する。ダブル危機の瀬戸際だ。残り12試合。せめてもの意地を見たい。【酒井俊作】 ▼阪神が中日に敗れ、巨人がDeNAに勝ったため、今日29日に3位巨人が広島に勝ち、阪神が中日に負けると阪神の自力CS進出が消滅する。阪神が残りの巨人戦(1試合)に勝っても、それ以外の試合に巨人が全勝すると勝率で及ばないため。

◆中日のビシエドが三回に適時打を放った。二死一塁から高めの速球を思い切り良く振り抜くと、打球は右翼フェンスを直撃。「二死から大島が塁に出てくれたので思い切って積極的にいこうと思っていた。いいスイングができた」と喜んだ。  五回無死一塁では遊撃内野安打で好機を拡大させた。今季178安打目とし、首位打者に加えて最多安打のタイトルにまた一歩前進した。

◆今シーズン限りで現役を退く中日の岩瀬仁紀投手が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の九回に登板し、通算登板試合数を史上初の1000とした。現役最年長の43歳、岩瀬は新人だった1999年4月2日の広島戦(ナゴヤドーム)で初登板。1年目から15年続けて50試合以上で投げ、2010年に名球会入りの条件となる通算250セーブを達成した。  15年は左肘を痛めて登板がなかったが復帰し、昨年8月の巨人戦で歴代単独最多となる950試合登板を達成。20年目の今季は3セーブを挙げ、自身が持つ最多記録を407に更新した。中日では5度のリーグ優勝と07年の日本一に貢献。最優秀中継ぎ投手を3度、最多セーブを5度獲得した。五輪にも04年アテネ、08年北京と2度出場した。 谷繁元信氏(前中日監督)の話 「岩瀬はプロとしての"日常"に一切妥協しなかった。人間はどこかで楽をしたいと思ってしまう。勝つために自分に対する厳しさを持ち続け、準備し続ける。岩瀬は1000回マウンドに立つために、どれだけ肩をつくってきたか。決して表に表れないが、この仕事を忘れてはいけない。 ロッカーにいても、いるのかいないのか分からない存在感のなさ。そんな男がマウンドに立つと輝く。"日常"を積み重ねて来たからこそ、本人は『こんなに投げたんだ』と感じたと思う。それが岩瀬だ」 広島・緒方監督の話 「記録は塗り替えられるものだが、この記録は塗り替えられない。信じられない記録。自分も(現役時に)あまり打っているイメージはない」

◆最下位の中日が逆転で2連勝、阪神とのゲーム差を0.5に縮めた。4番手・岡田が今季初勝利、今季限りで現役を引退する7番手・岩瀬が史上初の1000登板を達成した。  阪神は三回無死一、三塁から、福留の左犠飛で1点を先制した。中日はその裏、二死一塁からビシエドの右越え適時打で1-1の同点に追いついた。  阪神は四回、二死二、三塁から、中日・鈴木翔の暴投で1点を加え再びリードすると、さらに連続四球で満塁となったところで、鈴木翔に代わった2番手・福から押し出しの四球を選んで3-1とした。  中日は五回無死一、三塁から、アルモンテの遊撃適時内野安打で1点を返すと、続く高橋の左前適時打で3-3と再び同点に追いついた。さらに六回無死二塁から、平田が右前適時打を放ち4-3と初めてリードすると、最後は1000登板となる岩瀬が九回を無失点で締めた。  阪神は先制しながらもリードを守れず。2番手・才木が9敗目(6勝)を喫した。

◆今季限りで現役を引退する中日の荒木が六回、代打で出場した。先頭で勝ち越し点の足掛かりとなる二塁打を左翼線へ放った。そのまま二塁手の守備に就き、八回の打席でも中前打。岩瀬の1000試合登板に花を添えた。

◆阪神の鳥谷が2016年以来、2季ぶりとなる遊撃守備に就いた。八回に代打で三振に倒れたが、裏の守備でそのまま遊撃に入り、ゴロを難なく処理した。試合前練習では遊撃の位置でノックを受けることもあるだけに「そんなに違和感はなかった」と話した。  金本監督は守備固めで出る機会が多い植田を代走要員としてベンチに残しておきたかったことを、鳥谷の起用理由の一つに挙げた。 金本監督(才木に) 「球速が出ていなかった。どうしたものか」 阪神・香田投手コーチ(小野に) 「いろんなミスが出た後にもう一粘りしてほしかった」

◆中日は3試合を残し、6年連続でクライマックスシリーズ(CS)進出を逃した。森監督は「ここまでに勝たないといけない試合に勝てなかった悔しさが、みんなあると思う」とコメントした。この日は岩瀬が大記録を達成。指揮官は「こういう感動のある試合を見て、若い連中がどう感じるか」と若手の奮起を期待した。

◆--才木は状態が悪かった  金本監督 「(六回は荒木、平田の)2人で1点とられましたからね。調子が...。甘いところにいったのか、球が走ってなかったのか、どっちかでしょうけど」  --球威もなかった  「スピードガンも出てなかったし、どうしたもんか」  --中日のベテランコンビ(荒木、岩瀬)にやられた。やりにくさは  「もう、それはないですよ」  --小野は不運な当たりが  「そうですね。あの回も...不運ですよね。あれからですから。打ち取ってるんですけどね、完全に」  --シーズン負け越しが決定したが  「あ、そう。明日やるだけです」

◆なんだ~。最初から中日・岩瀬の前人未到の1000試合登板をセーブで飾るという脚本があったのかよ~!! それならそーと言っといてくれりゃ、われわれ虎党もイライラムカムカしなかったのにさあ~イヤ~岩瀬大金字塔おめでとうー!!  て、そんな訳にいくかいな、役立たずの阪神タイガース(怒)!!  ほとんどCS出場の可能性がなくなった中日の先発は、来季を見据えての今季未勝利の鈴木翔太の先発だよ...。しかも、四回まで福留の犠飛にワイルドピッチと押し出しの四球と、もうどーみても阪神さんどうぞ、どうぞお勝ち下さいの試合をしてくれたってのに、正直負ける方が難しいわ!!  CS出場のため絶対に一つも落とせない試合なのに、一回無死二塁で大山に送らせず中飛、二回無死二塁で中谷にバントの気配もなく初球を左飛、1点ビハインドの九回無死一塁で、これまたバントなしで大山は初球を打ち上げての中飛...。この見事なまでの野球下手にアハハハハ...とオレ笑い泣きしたのだ...。  でも、まだ終わってない。今からでも遅くないから、不眠不休でカープの試合のVTRを見て、野球を勉強すべし!!

◆"逆ワン切り"をかまされてしまいました。  ナゴヤドームでは今季最後の中日-阪神3連戦。久々にビヤ樽の話でも聞いてみるかと思って午後4時すぎ、中日担当三木建次に電話をすると、プルルル...ブチッ!! ワンコールで切られてしまったのです。  中日の練習は終わっているのに忙しいふりしやがって、と思っていたら20分後、電話がかかってきました。  「金本監督と話し込んでたんです。中日の外国人選手はすごいですね。全員当たってますね、と言うてはりました」  試合前の時点で、ビシエドが打率・350で26本塁打、98打点。アルモンテも打率・316で14本塁打、74打点。投手のガルシアも13勝(8敗)している。かたや阪神は、何人かの評論家が開幕前に優勝候補に挙げる根拠になったロサリオが期待に応えられなかったからなあ。  「だけど、中日は最下位ですよ」  ビヤ樽がそういうと、金本監督は「いや、これで抑えが良かったら、かなりいいとこいけたんじゃないですか。ウチも終盤はドリスが打たれた。同じ負けでも、抑えが打たれてひっくり返される負けは痛い」。  中日もリリーフ陣はいまひとつでしたが、金本監督は、7月下旬に途中加入した中継ぎ左腕のロドリゲスのことも絶賛したそうです。  「(現役時代の)自分が打席に立っても打てんかも。途中であんなの獲れるんやもんなあ」  それは褒めすぎやろうとビヤ樽に言ったら、猛反論されました。  「阪神ばかり見てるから知らないんでしょう。ロドリゲスは、加入してすぐは打たれて2軍に落ちたけど、森監督のアドバイスで制球が良くなって球速もさらに出るようになって、15日の広島戦で159キロ。日本球界の左腕投手最速(従来は西武・菊池の158キロ)を計測したんですよ」  中谷、梅野、陽川らの打撃練習が始まって、ビヤ樽が「でも、打者は楽しみな若手がいるじゃないですか。陽川がこんなに活躍するなんて俺がトラ番のときは想像してませんでしたよ。大山も好調だし」と"フォロー"したときも、金本監督は厳しい表情でした。  「何を言ってるんですか。陽川は250(打率2割5分台)ですよ。大山もまだまだ体が弱い。秋季キャンプでみんな振り込ませます」  若トラよ、今年の秋は厳しくなるぞ。  阪神が名古屋遠征の宿舎にしているホテルでは8月下旬から1階部分の改装工事が行われていて、試合前、トラ番長友孝輔はホテルの前にあるスターバックスに座って、取材する選手がロビーに降りてくるのを待っていました。  「いたら駄目と言われたわけではないんですが、お客さんや工事をされている方の邪魔になりそうだったので」  道を隔てた向かい側から...。試合は逆転負け。1000試合登板の岩瀬の引き立て役になって...。29日、サンスポ特別版『カープ3連覇』(税込み1000円)が発売されます。広島ファンの皆様、おめでとうございます。ぜひ手に取ってご覧になってください。阪神は、CSも見てるだけになりそうです。グスン。

◆先発の小野は5回10安打3失点。3-1の五回に3連続遊撃内野安打で1点を失うと、高橋にも左前適時打を浴びて同点に追いつかれた。不運な当たりや味方の失策が絡んだピンチでの失点だったが「飛んだところが飛んだところだったので」と反省。8月18日のヤクルト戦(神宮)以降、6試合白星から遠ざかっている。「ピンチの場面で三振を取れる投手だったら楽だったのかなと思います」と課題を挙げた。

◆中日・白井文吾オーナー(90)=中日新聞社会長=は28日、6年連続Bクラスが決まったチームについて「改革はやらないといけないと思っている」と話した。森監督の去就については「いろいろ改革したいが(すぐに監督を)代えることではない。やり方だな」と改めて白紙を強調。「いつまでも考えていると時機を逸する。思っているほど簡単ではないんだ」と話した。

◆今シーズン限りで現役を退く中日・岩瀬仁紀投手(43)が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の九回に登板し、通算登板試合数を史上初の1000とした。昨年8月の巨人戦で歴代単独最多となる950試合登板を達成。岩瀬は一番思い出に残った試合を「日本シリーズの最後の場面でしょう」と即答した。2007年の日本ハム戦、3勝1敗と王手をかけた第5戦。先発の山井が八回まで走者を一人も許さなかったが、九回に落合監督は岩瀬をマウンドへ。打者3人を抑えて完全試合リレーとなった。「でも、あの試合は1000にカウントされないんですね」と、笑わせた。

◆藤川の代役として中継ぎに配置転換されてから初登板となった才木は、六回に勝ち越し適時打を献上。先頭の代打荒木に左翼線二塁打を浴びると、続く平田に初球135キロ直球を右前に転がされ、4-3とされた。「(中継ぎの)準備はできていました。チームに迷惑を掛けてしまい、申し訳ないです」。中継ぎでは昨季から通じて5試合で防御率0・00だっただけに、悔しい結果となった。

◆森越は五回、先頭から3者連続の遊撃内野安打をうまくさばけず。無死一塁ではビシエドの遊撃内野安打を一塁へ悪送球。無死一、三塁とピンチを広げると、続くアルモンテの二遊間への当たりも、追いつきながらも足で蹴飛ばしてしまい適時内野安打に。「小野に勝ちがつく回だったし、しっかり処理したかった。みんなに迷惑を掛けてしまった」と肩を落とした。「次に小野が投げる機会があれば、守備だけでなく打撃でも何とかしたいです」と挽回を誓った。

◆ざわめいた左翼席が、場内アナウンスとともに一気に沸いた。「1」の背中は、たしかな足取りで最も戦い慣れた守備位置へ近づいていく。ファンも、指揮官さえも「いってほしい」と思っていた虎の"奥の手"だ。756日ぶりに、鳥谷が遊撃守備に就いた。  「別にそんな、違和感はなかったです」  これまで何度も、1000試合以上も繰り返してきたことを、もう一度やったまでだ。試合にも敗れ、一切表情を緩めずに足早にバスに乗り込んだ。だが、チームにとっては、この苦境こそすがりたい一手だった。  3-4の八回一死で代打で登場したが空振り三振に倒れた。あと「1」まで迫っている藤田平の球団最多安打記録「2064」には、出場3試合連続で足踏みとなったが、この日はその後があった。八回裏の守備へ、グラブをはめてグラウンドへ飛び出した。「代打した鳥谷が、そのまま入りショート」というアナウンスに、左翼席が一気に沸いた。一死走者なしからの平田の遊ゴロを軽快な足取りでさばく。適時打もなく敗れた試合だっただけに、スタンドが盛り上がった。  遊撃を守るのは2016年9月2日、DeNA戦(甲子園)以来756日ぶり。連続試合フルイニング出場が667試合(歴代4位)で止まり、主将として臨みながら打率・236、36打点、7本塁打と屈辱にまみれて定位置を追われたあのシーズン以来だった。  現状、北條は左肩亜脱臼で離脱。植田も、森越も攻撃面で物足りなさが目立つだけに、金本監督も「最近ノックはショートでやってますから。やっぱ...僕はいってほしいんですけどね」と願っていたという。もちろん、植田を代走要員としてベンチに残しておきたいという、あらゆる面の兼ね合いもあった。  指揮官も「それもあるし、そういうのもあっての...もう、いってもらいましたけど」と明かす。打つ手がなくなりつつあった虎だが、もう後がない。またセンターラインに戻った鳥谷が、何とかするしかない。 (長友孝輔)

◆未踏の領域を歩いてきた鉄腕が、ついに-。今シーズン限りで現役を退く中日・岩瀬仁紀投手(43)が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の九回に登板し、通算登板試合数を史上初の1000とした。昨年8月の巨人戦で歴代単独最多となる950試合登板を達成。この日は自身が持つ最多セーブ記録も407に更新した。  伝家の宝刀、スライダーで糸井を遊ゴロに仕留めた瞬間、岩瀬の目に涙がにじんだ。前人未踏の1000試合登板-。通算407セーブ目(歴代1位)で飾った。  「1点差で(九回を)投げるのは、今年初めてだったので。抑えたいと思った。久しぶりに足が震えた」  会見では大粒の涙をこぼして声を震わせた。4-3の九回に登板し、1死球で無失点。一死二塁では元同僚で1999年のドラフト同期入団、福留(1位、岩瀬が2位)を内角球で詰まらせ、マウンドで感極まった。  「孝介(福留)とはいいときも悪いときもいっしょにやってきたので、思うところはあった。打ちとれてよかった」  人前では涙を見せたことがなかった男が、また涙...。真っ先に脳裏に浮かんだのは、今年1月に70歳で逝去した恩師・星野仙一氏の顔だった。  「1年目の監督が、星野さんでなかったら、2軍にいて、ここまで数字を重ねられなかった」  1999年4月2日。プロ初登板は広島との開幕戦(ナゴヤドーム)だった。1点リードの六回に中軸に3連打を浴び、一死も奪えず降板。しかし闘将は2日後の同カードで九回に再びチャンスをくれた。「星野さんには感謝してもしきれない」。1回を無失点。そこが岩瀬の原点だ。  1年目から15年連続50試合以上に登板。5度のリーグV(日本一1度)に貢献するなど中日黄金期を支えた。2014年夏に左肘を痛めたが、いつも電話で励ましてくれた一人が、星野氏だ。  昨年は3年ぶりの50試合登板でカムバック賞に輝き、今年も開幕から1軍。球団から「来季も貴重な戦力として考えている」と打診されたが、引退を決意した。「僕は、ただ数字を積み重ねるために投げるだけではダメ。若手のチャンスを奪うだけ。リードした展開で投げないと」。シーズン前にこう話していた。"敗戦処理"なら退く-。勝利のために投げてきたプライドだった。  ナゴヤドームでは29、30日と、あと2試合。1000試合登板は通過点だ。最後は恩師の仙一(センイチ)を取って1001試合登板で、野球人生を締めくくる。 (三木建次) 中日・松坂 「ただただ、すごい。たくさんの試合を投げてきて。僕には1000という数字は想像つかない」 前中日監督でバッテリーも組んだ谷繁元信氏 「岩瀬はプロとしての"日常"に一切妥協しなかった。勝つために自分に対する厳しさを持ち続け、準備し続ける。岩瀬は1000回マウンドに立つために、どれだけ肩をつくってきたか。決して表に表れないが、この仕事を忘れてはいけない」

◆また負けた...。金本阪神は中日に逆転負けし、3連敗。借金は今季ワーストの13となり、残り12試合でシーズン負け越しが決まった。昨季積み上げた貯金17は霧散し、3位巨人とは4差に開き、クライマックスシリーズ(CS)進出は遠のくばかり。最下位中日は0・5差に接近。29日にも最下位に転落する。  ここまで負けるとは...。2年ぶりのシーズン負け越しが決定した金本監督は、さすがに仏頂面だった。  「あ、そう。明日、やるだけです」  今季12試合を残し、これで58勝71敗2分けで借金13。5月31日のソフトバンク戦(甲子園)に敗れ、借金生活に突入してから4カ月がたち、ついに完済不可能となってしまった。  「きょうは(ミスを)いえばキリがないし」  3-3の六回だった。球児の右肘痛離脱により、中継ぎに配置転換させた才木を初めて投入すると裏目。先頭の代打・荒木を追い込みながらも左翼線二塁打を許し、続く平田には渋く一、二塁間を破られ、決勝点を献上した。「甘いところにいったのか、球が走ってなかったのか、どっちかでしょうけど。スピードガンも出てなかったし、どうしたもんか」と首をかしげるばかりだった。  2位に躍進した昨季は貯金17でフィニッシュしたが、わずか1年で就任1年目の2016年(4位。64勝76敗3分け)を現時点で下回るものに...。何が原因か。シーズン終了後、球団はコーチについても検証することを決めており、転落した要因を探る構え。現状では本社-球団間では勝ちながら育成を目指す方針に変わりはなく、大がかりなFA補強などについて積極的な意見は出ていない模様。けが人の続出に加え、天候不良など外的な要素もあるが、原因が分からなければ、手の打ちようがない。  六回には荒木に決勝打を浴び、九回は岩瀬に通算1000試合登板を達成された。今季限りでの引退が明らかになった竜のベテラン2人の引き立て役にまわった。やりにくさはあったのか?  「もう、それはないですよ」  指揮官は否定したが...。29日にも最下位転落&自力CSが消滅する。  「一生懸命にやった中でのアレ(ミス)ですから」と選手をかばう指揮官の表情は苦しい。もう、首が回らない。一気に沈んでしまいそうだ。 (阿部祐亮)

◆勝ち続けなければいけない状況で気になったのは、無死二塁からの攻撃だ。阪神は一回無死二塁から大山が中飛。二回無死二塁から中谷が左飛。結果的に絶好の先制機を2度も逃した。対する中日は六回、無死二塁から平田が右前適時打を放って決勝点を奪った。  平田が意識したのは明らかに「進塁打」。走者を進めることを頭に置いた上で、ヒットにする高い技術を持っているといえばそれまでだが、阪神も見習う必要はあるだろう。  大山も中谷もあの打席は、バントではなく強攻で正解。ただ、簡単に飛球を打ち上げてしまっては何にもならない。アウトになっても「有効打」でなければならない。  ベンチに求めたいのは「フリーに打って走者をかえせ」ではなく、「右方向にヒットを打て」の指示。ある程度、方向性を決めて、打席に送り出した方が、有効打は生まれやすい。平田のようにヒットになれば最高だし、アウトになっても走者を進められる。当然、得点できる確率も高くなる。  さらにこの試合で付け加えるなら、ミスが多すぎ。守備のミス、バッテリーミス...。防げるミスをなくすことが、来季への宿題だろう。(サンケイスポーツ専属評論家)

◆歴代6位の通算829試合登板を誇る江夏豊氏(70)がサンケイスポーツを通じて、1000試合登板を達成した中日・岩瀬に祝福メッセージを寄せた。通算206勝&193セーブを挙げた伝説の左腕は、目をかけてきた鉄腕の偉業に「自分の夢をかなえてくれた」と自分のことのように喜んだ。  私は現役時代、206勝したし、193セーブも挙げた。しかし、もうひとつ達成したい記録があった。それが通算1000試合登板だ。その夢を、岩瀬君がかなえてくれた。本当にうれしい。20年間、ご苦労さまといいたい。  彼は左肩を痛めて全盛時代のキレのある球が投げられなくなったとき、何度も「引退」を決意したと聞いた。周囲から説得されて、現役を続けよう、と。実は私も会うたびに『1000試合まで頑張れ。俺ができなかった記録だからな』と励まし続けた一人なんだ。彼も、嫌と言うほど聞かされたんじゃないかな。  先発がマウンドに上がるのは週に1回。リリーフは毎日、ブルペンで肩を作らないといけない。昔の人に言わせると救援投手はイニング数が少ないという指摘もあるかもしれないが、私は先発、リリーフの両方を経験したから、毎日ブルペンで待機しなければならないリリーフのしんどさは、手に取るようにわかる。  岩瀬君の人間性も前から素晴らしいと思っていた。すごい実績を残しているのに偉ぶるところもないし、常に謙虚で練習熱心。個性がないといったら失礼かもしれないが「個性がないのが彼の個性」というのかな。だから後輩たちに慕われている。松坂君(中日)なんか、すごく親しみをもって接している。今年、入団した松坂君が短期間でチームに溶け込めたのは、岩瀬君の存在が大きかったと思う。  偉大な記録といえば王貞治さんの868本塁打、金田正一さんの400勝かな。通算1000試合登板も今後、そう簡単に破られることはない記録のひとつになるだろう。

<セ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
広島
79562 0.585
(↑0.003)
優勝
(-)
6701
(+7)
628
(+4)
172
(-)
86
(-)
0.265
(-)
4.15
(-)
2
(-)
ヤクルト
69652 0.515
(↓0.004)
9.5
(↓1)
7630
(+4)
647
(+7)
125
(-)
66
(-)
0.267
(↓0.001)
4.23
(↓0.03)
3
(1↑)
巨人
64695 0.481
(↑0.004)
14
(-)
5595
(+1)
551
(-)
142
(+1)
61
(+1)
0.255
(-)
3.76
(↑0.03)
4
(1↓)
DeNA
64702 0.478
(↓0.003)
14.5
(↓1)
7547
(-)
627
(+1)
175
(-)
71
(-)
0.251
(↓0.001)
4.29
(↑0.02)
5
(-)
阪神
58712 0.45
(↓0.003)
18
(↓1)
12550
(+3)
578
(+4)
84
(-)
71
(+1)
0.256
(-)
4.05
(-)
6
(-)
中日
62762 0.449
(↑0.004)
18.5
(-)
3590
(+4)
646
(+3)
95
(-)
59
(-)
0.266
(↑0.001
4.41
(↑0.01)