オリックス(☆5対3★)西武 =リーグ戦6回戦(2019.04.29)・大阪ドーム=
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西武
2000100003901
ORIX
00021002X5701
勝利投手:澤田 圭佑(1勝1敗0S)
(セーブ:増井 浩俊(0勝0敗7S))
敗戦投手:小川 龍也(0勝1敗1S)

本塁打
【西武】山川 穂高(11号・1回表2ラン)
【オリックス】吉田 正尚(6号・8回裏2ラン)

  DAZN
◆オリックスが連敗を3で止めた。オリックスは2点ビハインドで迎えた4回裏、中川の適時二塁打で同点とする。その後、3-3で迎えた8回には、吉田正の2ランで勝ち越しに成功した。投げては、2番手・澤田が今季初勝利。敗れた西武は、2番手・小川が痛恨の一発を浴びた。

◆オリックスは福田周平内野手(26)の6盗塁を筆頭に、ここまでチーム合計28盗塁。 4月までにチーム30盗塁を記録すると、球団では阪急時代の84年(33個)以来35年ぶりになる。今日も足を使った攻撃が見られるか。

◆オリックスのドラフト7位中川圭太内野手(23)が5試合連続安打となる貴重な同点タイムリーを放った。2点を追う4回2死一、三塁のチャンスで十亀が投じた内角への直球をとらえ、打球は左翼線を破る2点適時二塁打で一時同点に追いついた。 「打ったのはインコースのシュート気味のストレートです。前の打席でインコースのボールで打ち取られていたので、インコースのボールに振り負けないように打席に入りました。切れずにフェアゾーンに入ってくれて良かったです」 この日はオリックスを96年に日本一へ導いた仰木彬元監督の誕生日にあたる日で、「THE MAGIC AKIRA OHGI DAY」と銘打ち、監督コーチ、選手全員がブルーウェーブ時代の背番号72を背負って試合に臨んでいる。"最後のPL戦士"として注目される96年生まれのルーキーが躍動した。

◆西武は初回4番山川がアルバースから11号2ランを放ち、先制した。オリックスは3回まで1安打だけと先発十亀を打ちあぐねた。 オリックスは4回に中川の2点適時二塁打で同点。西武は5回に木村の適時打で勝ち越し。その裏にオリックスは再び同点とした。 オリックスは8回に吉田正の6号2ランで連敗を3でストップ。沢田が今季初勝利。増井が7セーブ目。西武は逃げ切れずに、4連勝で止まった。小川が1敗目。

◆「72」を背負った主砲の一振りがチームに平成最後の勝利を呼び込んだ。 オリックス吉田正尚外野手(25)が同点の8回2死三塁のチャンスで打席を迎えた。小川が投じた初球の真ん中フォークを豪快に振り抜き、右中間3階席へ運んだ。17日の日本ハム戦以来10試合ぶりの1発となる6号決勝2ランで亡き仰木監督に白星を届けた。 「チャンスだったので、積極的に打ちにいこうと思った。最高の結果になって良かった。平成最後で打てて、いいゲームにもなった。思い出になるかなと思います」 この日は96年にチームを日本一へと導いた故仰木彬元監督の誕生日にあたる。「ありがとう平成シリーズ」の1つで、「THE MAGIC AKIRA OHGI DAY」と銘打ち、チーム全員がブルーウェーブ時代の背番号72のユニホームに身を包んだ。吉田正は名将について、「サングラスをかけて、こわもてなイメージだった。田口コーチから『豪快な中でも選手のことをよく見ていた』と聞いていた。自分のプレーを見てもらいたかったです」と感慨深げに語った。 西村監督も安堵(あんど)の表情を浮かべた。「仰木さんの背番号を背負って、平成最後で勝てたのがチームにとっても大きかった。ホッとしています」。一時代を築いた"仰木マジック"が選手の背中を押した。 吉田正の1発は球団の平成ラスト弾となった。「この1本でいいイメージができたので、『令和1発目』の本塁打を打てるように次の試合も頑張ります」と主砲は高らかに宣言。新時代も豪快なスイングでチームを勝利に導いていく。【古財稜明】

◆96年の日本一メンバーが当時のユニホームをまとい、始球式を行った。 平井正史投手コーチが投手、球団スタッフの小川博文氏が捕手、田口壮野手総合兼打撃コーチが打者を務めた。自宅に仰木監督のユニホームや写真を飾っているという田口コーチは「こうやってイベントでみんなで思い出すことはうれしいこと。『こういう監督がいたんだぞ』と語り継いでいかなければいけない」。自身初の始球式で剛速球を投じた平井コーチは「ホームが遠く感じた。ユニホームを着られてうれしかった」と話した。

◆オリックス沢田圭佑投手がピンチを無失点に切り抜けた。同点の8回に2番手で登板。2死満塁のピンチを招くも、最後は外崎を直球で空振り三振に抑えた。 「真っすぐがよかった。もっと直球を軸で投げられるように、自信を持ってやっていきたい」。 28日には近藤、山崎福の中継ぎ2人が6四球と乱れて逆転負け。宮内オーナーが「(打者と)勝負できない投手を使った方が悪い」と激怒していた。沢田の粘投に西村監督は「最後は気迫でした。あれでみんな勝てると思ったんじゃないですかね」とたたえた。

◆西武・山川穂高内野手(27)が29日、オリックス6回戦(京セラ)で左翼席に先制の11号2ランを放った。  左腕・アルバースの高め139キロの直球をはじき返し、「打ててよかったです。打った瞬間にホームランになると思いました!」と満足そうにコメントした。

◆西武は29日、オリックス6回戦(京セラ)に3-5で敗れ、連勝が4でストップ。1日で勝率5割に戻った。  辻監督は、八回に小川が吉田正に決勝2ランを浴びた場面を振り返り、「初球、ヤマを張られてやられている。もう少し考えないと」と苦言。平成最後の一戦を落とし、「平成最初も負けている。悔しいけど、向こうも必死だし、いい試合だった」と話した。  内海、榎田、D1位の松本航(日体大)と先発ローテ候補にアクシデントが続出し、「我慢の月になる」と話していたが、「十分。負け越してないんだから」と前を向いた。

◆西武は連勝が4で止まった。3-3の八回に2番手の小川が初球の内角スライダーを、吉田正に右中間席に運ばれた。相手の主砲と勝負に挑んだことが裏目に出た形で、辻監督は「当てるぐらいでいかないと。初球にヤマを張られてやられている。そこを考えないと」と苦言を呈した。  先発投手陣に故障者が多く、我慢の時期としていた4月を勝率5割で乗り切った。辻監督は「十分。負け越していないし」と評価した。 十亀(今季初先発で7回3失点) 「点を取ってもらった後に失点してしまったのが反省点。もう少し粘りたかった」

◆西武の山川が11号2ランを放った。一回に高めの直球を豪快なスイングで左翼席へ運んだ。「打った瞬間に本塁打になると思った」。完璧なアーチは、球団にとって平成最後の本塁打となった。  ただ、八回の好機では沢田との力勝負で二飛に倒れた。チームの連勝が4で止まり「犠飛でも何でも、1点でも取れていれば。僕が打てなかったのでああいう展開になった」と責任を背負った。

◆オリックスのドラフト7位新人、中川が5試合連続安打をマークした。四回に内角球を引っ張り左翼線へ2点二塁打を放った。「内角球に振り負けないように打席に入った」と白い歯を見せた。  大阪・PL学園から東洋大を経て、プロ入り。「甘い球を積極的に打つ」とがむしゃらにアピールを続ける。

◆オリックス・吉田正尚外野手が29日の西武戦(京セラ)の八回に勝ち越しの6号2ラン。天国の名将に白星を届けた。  「球団全体でスペシャルデーだったんで、勝てたことがよかったです。(チームの)平成最後(の試合)でもあったし、いろんなことが重なって、いい思い出になります」  今カードは「ありがとう平成シリーズ」と題し、イベントを実施。この日は仰木彬元監督(享年70)の生誕日にあたり、仰木元監督の背番号「72」のユニホームを首脳陣、選手が着用して戦った。先制されながらも追いつき、迎えた3-3の八回2死三塁。西武2番手、小川の初球を振り抜いた。打球はきれいな放物線を描き、右中間3階席へ。10試合ぶりの一発は決勝の6号2ラン。チームの連敗を3で止めた。  「令和1発目のホームランを打てるようにしたい」と主砲。平成とともに誕生したオリックス。歴史を重んじ、青波魂を胸に、戦っていく。

◆連勝が4で止まり、勝率5割で4月の戦いを終えた。今季初先発の十亀は7回5安打3失点。2度のリードを守れず、「もう少し粘れれば、こういう結果にはならなかった」と肩を落とした。内海ら先発ローテ候補にアクシデントが相次ぎ、「我慢の月になる」と話していた辻監督は「十分。負け越してないんだから」と前を向いた。

◆ブルーウェーブの球団応援歌「リトル☆ネプチューン」が流れ、オリックスのヒーローが場内を一周した。スタンドを沸かせた豪快なアーチ。現役引退したイチロー元外野手に代わるオリックスのニュースター、吉田正が天国の名将に白星を届けた。  「球団全体でスペシャルデーだったんで、勝てたことがよかったです。(チームの)平成最後(の試合)でもあったし、いろんなことが重なって、いい思い出になります」  言葉通り「スペシャルデー」だった。今カードは「ありがとう平成シリーズ」と題し、イベントを実施。この日は仰木彬元監督(享年70)の誕生日にあたり、仰木氏の背番号「72」のユニホームを首脳陣、選手が着用して戦った。先制されながらも追いつき、迎えた3-3の八回2死三塁。西武2番手、小川の初球を振り抜いた。打球はきれいな放物線を描き、右中間3階席へ。10試合ぶりの一発は決勝の6号2ラン。チームの連敗を3で止めた。  特別ユニホームの右袖には「がんばろうKOBE」のワッペン。阪神淡路大震災に見舞われた1995年、チームはリーグ優勝をつかみ取った。翌96年には日本一。当時はロッテの選手だった西村監督も「強いチームだった」と振り返る。時代は変わり、仰木氏を知っている選手は少ない。吉田正も名将のイメージを問われると「サングラス。コワモテなイメージ。振り返る映像とかでしか見てない」と苦笑いするが、「知っている方からは『豪快だけど、選手のことを思っていた』と聞きました。プレーを見てもらえたらよかった」と思いをはせた。  現役時代をともに戦った田口コーチは「勝利に対するこだわり、そこまでの準備はすごかった」と振り返る。西村監督も信条とするのは信頼、そして、戦う気持ち。仰木氏の思いは受け継がれているはずだ。  「令和1発目のホームランを打てるようにしたい」と主砲。平成とともに誕生したオリックス。歴史を重んじ、青波魂を胸に、戦っていく。 (西垣戸理大) セレモニアルピッチを行ったオリックス・平井投手コーチ 「ホームベースが遠かったです。始球式自体が初めてで、きょう、あのユニホームでやれて、うれしかった」 ★田口コーチらV戦士集結  スタメン発表時にはスタジアムDJが「後攻のオリックス・ブルーウェーブ」と紹介し、イチロー元外野手ら当時の選手らと今の選手をミックスさせた映像が流れ、応援団も七回にはイチロー元外野手ら当時の選手の応援歌を熱唱するなどブルーウェーブ一色だった。 ★仰木彬とは  福岡県出身。現役時代は西鉄の二塁手としてプレーし、1988年に近鉄監督就任。89年に9年ぶりのリーグ優勝に導き、94年からオリックスの監督。阪神大震災に見舞われた95年にはオリックスとして初のリーグ優勝を飾り、96年に日本一。鈴木一朗の登録名を「イチロー」に変更し、日替わり打順など「仰木マジック」と呼ばれた。監督通算14年で988勝815敗53分け(日本一1度、リーグ優勝3度)。2005年12月15日、肺がんによる呼吸不全のため、70歳で死去。

<パ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
ソフトバンク
15102 0.600
(↑0.017)
-
(-)
116110
(+9)
80
(+6)
32
(+1)
22
(+3)
0.253
(↑0.006)
2.590
(↓0.09)
2
(-)
楽天
13111 0.542
(↓0.023)
1.5
(↓1)
118121
(+2)
108
(+4)
28
(-)
9
(-)
0.249
(↑0.001)
4.050
(↑0.01)
3
(-)
西武
12121 0.500
(↓0.022)
2.5
(↓1)
118141
(+3)
130
(+5)
27
(+1)
30
(-)
0.259
(-)
4.510
(↓0.04)
3
(-)
日本ハム
12122 0.500
(↓0.022)
2.5
(↓1)
11794
(+6)
109
(+9)
14
(+1)
9
(+1)
0.240
(↑0.002)
3.970
(↓0.2)
5
(-)
ロッテ
11131 0.458
(↑0.023)
3.5
(-)
118102
(+4)
121
(+2)
31
(+1)
21
(+3)
0.237
(-)
4.300
(↑0.1)
6
(-)
ORIX
9143 0.391
(↑0.027)
5
(-)
11788
(+5)
108
(+3)
22
(+1)
29
(+1)
0.228
(-)
3.850
(↑0.04)