日本ハム(☆4対1★【優勝】)西武 =リーグ戦22回戦・札幌ドーム=
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西武
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日本ハム
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勝利投手:杉浦 稔大(2勝0敗0S)
(セーブ:石川 直也(1勝2敗17S))
敗戦投手:ウルフ(4勝4敗0S)
  DAZN
◆日本ハムは1-0で迎えた4回裏、鶴岡の併殺打の間に追加点を挙げる。続く5回には、大田泰の適時二塁打などで2点を加えた。投げては、先発・杉浦が今季2勝目。現役最終登板となった4番手・石井裕は、打者1人をレフトフライに打ち取った。一方の西武は打線がつながりを欠いて敗れるも、10年ぶり22度目のリーグ優勝を決めた。

◆西武源田壮亮内野手(25)は今季ここまで88得点。西武ではすでに山川、秋山、浅村が90得点以上で、チームの4人が90得点以上をマークすると、01年ダイエー(小久保、井口、柴原、バルデス)以来史上6度目。球団では初めてになる。

◆西武ブライアン・ウルフ投手が、5回途中8安打4失点(自責3)でマウンドを降りた。 17日のソフトバンク戦以来、中12日での先発マウンドは毎回安打を打たれるなど、苦しい投球となった。3回には中村の悪送球で先制を許し、4回には併殺打の間にさらに1点を追加された。 援護なく2点リードの5回は先頭の西川に中前打、続く大田に三塁線を破る適時二塁打を打たれた。1死を挟み、連続四球と制球を乱したところで、野田へ交代を告げられた。優勝がかかった一戦で大事な役割を任されたが「調子自体は悪くなかった。慎重になりすぎてしまった」と話し、8月11日楽天戦以来の自身5勝目とはならなかった。

◆優勝へのマジック1の首位西武が、10年ぶり22度目のリーグ制覇を決めた。 格好良く勝って即、胴上げといきたかったが、優勝の朗報は8回途中。ナイターで同時進行だった2位ソフトバンクが、ひと足早く敗戦したため西武の優勝となった。 西武は初回に1死一、二塁で山川が一飛、栗山が空振り三振に倒れて先制機を逃した。 日本ハムに3回、2死一、二塁で近藤の三塁内野安打に、西武中村の一塁送球が逸れて二塁走者が生還。先手を奪われた。 4回に日本ハムに1点を加えられ、5回には大田の適時二塁打などでリードを4点に広げられた。 西武は6回に栗山の犠飛で1点を返した。 西武は、日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)に10月17日開幕のファイナルステージから出場する。

◆西武が10年ぶり22度目のリーグ優勝を飾った。辻発彦監督は就任2年目で初優勝となった。 ◆辻発彦(つじ・はつひこ)1958年(昭33)10月24日、佐賀県生まれ。佐賀東-日本通運を経て83年ドラフト2位で西武入団。西武黄金期の二塁を守り、首位打者1度、ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞8度。96年ヤクルトへ移籍し、99年引退。通算1562試合、1462安打、56本塁打、打率2割8分2厘。06年WBC日本代表、横浜(現DeNA)、中日でコーチを務め、17年に西武の監督に就任した。182センチ、80キロ。右投げ右打ち。

◆西武辻発彦監督(59)が"10年周期の法則"を守った。 08年以来10年ぶり22度目となる優勝が決まった。今年は、ライオンズが西武となり40年目。節目のシーズンを飾った。 昨年12月だった。辻監督は、球団関係者から「西武は10周年(88年)、20周年(98年)、30周年(08年)、全て優勝しています」と言われ、初めて節目の責任を知った。 辻監督 プレッシャーだよ。優勝は簡単なことじゃない。優勝争いしてないならともかく、こうやってしてるとね。これで優勝を逃したら、どうしようと思うよ。 優勝マジック点灯目前の9月中旬、40周年の義務感の心境を、こう明かした。 開幕前から腹をくくっていた。「今年は山川を4番で使うと決めていた」。オープン戦は絶不調だったが、ぶれなかった。捕手も若い森を積極的に起用。打撃の良さを買ったこともあるが、捕手としても成長して欲しい思いがあった。今年だけでなく、数年先まで見据え、若い選手に経験を積ませようとした。山川、森らの台頭が開幕8連勝につながった。 ベテランには感謝の気持ちが大きい。「中村、よくやってくれている。疲れているだろうに。本当は休ませたいんだが。栗山、ここぞの集中力は、さすが。見事だ。銀(炭谷)、出場は限られているのに、明るい性格で、変わらずやってくれている。稼頭央(松井)はコーチと選手の間に立ってくれた。本当にありがたいよ」。後半戦になっても勢いが落ちなかった。ベテランの存在抜きには、あり得なかった。 投手陣はやりくりしながらが続いたが、新戦力の芽生えもあった。多和田が3年目でリーグトップをいく15勝。打線の援護に助けられた面はあるが、ローテの柱となりつつある。「今井や斉藤(大将)も出てきた。伸びしろがなきゃ、困るよ」と、さらなる成長も期待している。 79勝で2位に終わった昨季から「背番号と同じだけ勝てれば、優勝もみえてくる」と、自らの背番号と同じ85勝にこだわっていた。この日までに84勝。まるで絵に描いたような展開だった。【古川真弥】

◆現役時代は「いぶし銀」が代名詞だった。バットを短く持って、ファウルで粘り、しぶとく右打ちで出塁する。二塁手として8度のゴールデングラブに輝いた名手。攻守に、リードオフマンとして森監督時代の常勝西武を引っ張った。 辻発彦とは-。現役時代を覚えている野球ファンは前記のようなイメージが残っていると思う。私も、担当記者になる前は、そのひとりだった。だが、実像は少し違っていた。当時の話を思い出してみた。 「このチームに入って、しばらくして、俺が生き残る道はこれしかないな、と思ったんだよ。だって、周りにいるのが、アキ(秋山)にキヨ(清原)だよ。打球が違うんだよ。俺がホームラン狙ったって、しょうがないだろ」。 1980年代の西武は大リーグを意識したようなスケールの大きいチーム作りを進め、大型選手を優先して獲得していた。遊撃手・石毛宏典が180センチ、三塁手から中堅にコンバートした秋山幸二が186センチ、一塁手・清原和博は188センチ...。 「俺も社会人時代は3番とか4番を打ってたんだよ。バット振り回してたんだよ。みんな知らないと思うけどね(笑)」。 佐賀東から日本通運に進み、長打力のある大型内野手としてドラフト2位で入団。84年にデビューした。 当時の西武のサードは秋山。ほどなく辻はセカンドへコンバートされる。実は、辻も182センチあるのだが、二塁手=小柄のイメージに加え、大型選手がそろう西武では目立たない存在だった。 西武に辻発彦あり。球史に残るプレーを演じて、その名を知らしめたのが、1987年の巨人との日本シリーズ第6戦だった。 一塁走者だった辻は、巨人中堅手クロマティの緩慢な守備のスキをついて、2死一塁からシングル安打で一気に本塁へ生還した。現役通算242盗塁を記録したように、生き残るために磨いたものには、巧打や守備に加え、走塁技術もあった。 西武在籍時、84年から12シーズンで9度のリーグ制覇。常勝チームに飛び込んでしまった辻がレギュラーの座を明け渡さなかったのは、グラウンドで磨いた走攻守の技術だけではない。勝負への強い執念も持ち備えていた。 象徴的なシーンが、昨日の出来事にようによみがえってくる。 1989年10月12日。西武は近鉄とのダブルヘッダーで1つ勝てば優勝の大1番を迎えた。第1試合、中盤までリードしながら、ブライアントに3連発を浴び逆転負け。紙テープを持って歓喜の瞬間を待っていた西武ファンは肩を落とし、ロッカー室の西武ナインも沈黙していた。第2試合までのわずかな時間、球団広報は取材タイムを設定したのだが、辻は怒声を発した。 「まだ終わってないんだ! 何で(報道陣がロッカー室に)入ってくるんだ! 出ていってくれ!」。 5連覇目前から、まさかの逆転負け。一転して崖っぷちに追い込まれた西武ナインは、V逸したかのような悲壮感を漂わせていた。そんな中で、辻は闘争心をむき出しにしたのだ。ナインを鼓舞しようという気持ちもあったのだろう。珍しい光景だった。 第2試合も再びブライアントに4打数連続本塁打となる1発を浴び、西武は優勝を逃した。 後日、辻はロッカー室で大声を張り上げたことをわびにきた。 「申し訳なかった。でも俺らも必死だったんだよ。優勝ムードから引っ繰り返されたんだよ。そしたら(第1試合が終わって)記者がロッカー室に入ってきて、思わずカーッとなったんだよな」。 先日、球場で辻監督と話す機会があった。10月24日に還暦を迎えるのだが、生気に満ちあふれ冗談交じりに話す表情は、最強軍団の一員だった当時と変わっていなかった。球史に残る名バイプレーヤーから優勝監督へ。常勝西武の「DNA」は脈々と受け継がれている。(敬称略) 【元西武担当=田 誠】

◆西武が10年ぶり22度目のリーグ優勝を果たした。球団の歴史は以下の通り。 パ・リーグ発足の1950年(昭25)に福岡県で結成された西鉄クリッパースが前身。51年から西鉄ライオンズに改称。三原監督の下、56〜58年は3年連続日本一に輝く。黒い霧事件を境にチームが弱体化し、70年代には73〜76年太平洋クラブ・ライオンズ、77、78年クラウンライター・ライオンズとチーム名が変わり、78年10月に西武が買収。本拠地を埼玉県所沢市に移した。 広岡監督を迎えた82年から2年連続日本一に。86年から就任した森監督時代には、パ・リーグ初の5連覇を含め9年間で8度のリーグ制覇(日本一6度)を果たし西武黄金時代を築いた。95年から東尾監督が指揮を執り、7年間で2度のリーグ優勝。21世紀になってからは02年にリーグ優勝、04、08年に日本一に輝いている。 西鉄時代5度、西武で16度の合わせてリーグ優勝22度は巨人(45度)に次ぐ記録で、日本シリーズ優勝13度も巨人の22度に次いで多い。

◆優勝へ王手をかける西武は3位日本ハムと対戦し1-4で敗れた。 しかし2位ソフトバンクがロッテに敗れたため、10年ぶり22度目のリーグ優勝が決まった。

◆西武が10年ぶり22度目のリーグ優勝を飾った。辻発彦監督は就任2年目で初優勝となった。 優勝監督インタビューは以下のとおり。 -胴上げで8回宙に舞った 辻監督 この日がいつ来るか、いつ来るかと望んでいたのですが、選手が私のミスが多々あったんですけど、助けてくれました。本当にうれしかったです。 -試合後は選手、コーチにどんな声を 辻監督 みんなには感謝の気持ちです。ありがとうの一言につきます。 -チームの強さは秘けつは 辻監督 昨年就任してBクラスに低迷していて時期もあって、このチームに入ってみて、個々に能力を持っている選手が非常に多く、個性のある選手たちばかりなので個性を伸ばせば必ずいい結果が出ると信じてここまできました。 -積極性を評価しているように見えた 辻監督 これも自分が選手の時に経験して、失敗してもグジグジせず、失敗しても前を向く姿勢が一番必要かとそう学びました。 -その思いに選手が応えてくれた 辻監督 本当に8月の中盤から追い上げられ、9月中は苦しい戦いが続く中、これだけ連勝するだけの力を持っている。この経験がさらに西武ライオンズの強くなる源になっていくと信じています。 -天国の森コーチにいい報告になった 辻監督 特にピッチングスタッフも森慎二コーチの死というのが非常に大きくて、昨年Aクラスに入りましたが日本シリーズも行けずというので、ピッチャーももちろんですけど、我々も監督コーチ全てが球団としても40周年で勝つんだという思いで戦ってきました。-ファンに向けて 辻監督 本当に選手たちの頑張りと全国の埼玉西武ライオンズファンの熱い声援とパワーいただきやっと今日ここに優勝できました。本当にありがとうございました。

◆西武が10年ぶり22度目のパ・リーグ優勝を果たした。一年間の戦いを写真で振り返る。

◆日本ハム杉浦稔大投手が、山賊打線に待ったをかける好投を見せた。 1回に1死一、二塁と得点圏に走者を許すも、栗山を空振り三振に切ってピンチを断った。2点リードの5回先頭からは、森に右越え二塁打を許す。今季最多の球数72球を超えたが、この回も無失点で切り抜けた。5回を3安打無失点、粘投80球で降板した。 7月21日ソフトバンク戦での今季初白星以来、2試合ぶりの2勝目へ、託された舞台で応えた。「最初は調子が良くなかったんですけど、鶴岡さんのリードとバックの守りに助けられながら投げさせてもらいました。どんな形でも粘り強く、アウトを重ねることだけを意識していました。試合前に石井さんが『セレモニーの前に胴上げ見たくないよ』と言っていたので、ゲームを壊さないよう1人1人集中して投げました」という気合を存分に発揮した。

◆10年ぶりの優勝に導いた西武の「AY砲」、キャプテン浅村栄斗内野手(27)、4番山川穂高内野手(26)が喜びの声を上げた。 浅村は30本塁打、120打点の堂々たる成績。 「良かったです。ライオンズが一番悔しい思いをしてきたので、その中でスタートしてきた。形になって良かったです。1年間頑張ってきて良かった。(キャプテンとして)みんなのおかげです。全部が全部できたわけじゃない。反省しながらやってきて良かった。まずはCSです」と言った。 リーグトップの46本塁打をマークしている山川は「どんな形でもうれしいですよ」と喜んだ。

◆選手会長の西武増田達至投手(30)が、1軍投手コーチ在任中の昨年6月に亡くなった森慎二氏(享年42)の背番号「89」のユニホームを手に、辻監督の胴上げに参加した。 「去年から(ベンチとブルペンにユニホームを)掲げてきて、去年は優勝できなくて。一緒に優勝することが出来てうれしい」と喜びをかみしめた。

◆西武菊池雄星投手が、エースとして勝ち取ったリーグ優勝を喜んだ。 前回登板の28日ソフトバンク戦では7回3失点と好投。ソフトバンクに19度目の対戦で初勝利を挙げ、直接対決を制した。今季23試合に登板し、14勝をマーク。自身5連勝中とシーズン終盤もエースの働きを見せ「プロ入りして9年間、苦しい思いもしましたし勝てない時期もありましたけどみんなで喜べてよかった。やっぱり今年にかける思いは中途半端じゃないものがあったので、ホッとしてます」と胸をなで下ろした。

◆今季限りで現役を引退する西武松井稼頭央外野手が、辻監督に続いて胴上げをされた。 マウンド付近に集まったチームメートに支えられ、自身の背番号にちなんで7度宙を舞った。「胴上げされたのは、初めてです。こういう時にやってもらって、最高でした。気持ちがいいものですね」と満面の笑みを浮かべ、西武で自身4度目のリーグ優勝をかみしめた。 この日の試合出場はなかったが「選手は個々の能力が高く、個性が強い。本当に強いチームでした」と1年間を振り返った。

◆日本ハム大田泰示外野手(28)が、2試合ぶりの適時打を放った。 2点リードで迎えた5回無死一塁。西武先発ウルフの変化球を振り抜き、左翼線を破る適時二塁打とした。28日の楽天戦(楽天生命パーク)以来、2試合ぶりとなる適時打で貴重な追加点を挙げた。 「カウントがスリーボール、ワンストライクだったので、空振りでもいいと思って、思い切って振っていきました。(西川)遥輝も良いスタートを切ってくれたし、貴重な追加点になって良かったです。集中して、さらに追加点が取れるように頑張ります」と話した。

◆西武秋山翔吾外野手は、今季限りで引退する日本ハム石井裕との「ガチンコ勝負」で左飛に打ち取られた。 3点を追う7回2死二塁の場面で対戦。 「試合前に、優勝がかかっている試合なのでガチンコでいきますと話していた。真剣に打ちにいって、普通に打ち取られました。先輩の壁は厚かったということです」と言った。 この日は無安打だったが、リードオフマンとして10年ぶりの優勝に大きく貢献した。「負けて胴上げになったけど、今年に限って言えば(CS、日本シリーズは)もう負けて胴上げはない。次こそ、勝って胴上げをしたい。いろんな人が、いろんな人をカバーして優勝できた」と喜んだ。

◆10年ぶりの優勝を決めた西武は、35歳コンビの中村剛也内野手、栗山巧外野手らが喜びの声を上げた。 中村 「うれしいです!」 栗山 「うれしいです。振り返ると10年は長かった。1年1年優勝するつもりで戦ってきたけど、10年かかった。でも、うれしい気持ちは同じ。与えられたところで全力でやってきてよかった。若手、ベテランと言われてきたが、チーム一丸で勝ってきた。若手が出てきて、次も楽しみ」 源田 「1年間(試合に)出て、優勝できたので本当にうれしい」 木村 「自分自身としては2回目だけど、目の前で優勝して胴上げをするのは初めて。めちゃくちゃうれしい。泣きそうです」 岡田 「本当に1年間首位を守ってこられたのはみんなの力。ビールかけが楽しみ」 山田 「先輩たちはすごい。自分が主軸になって優勝したい」

◆パ・リーグ最多勝争いトップの15勝(5敗)を挙げている西武多和田真三郎投手は「良かったと思います。優勝して」と喜びをかみしめた。 今季初の中継ぎとして5回途中から3番手で登板した十亀剣投手は、2回1/3を無安打無失点と好投した。「うれしいです。これからまた大事な試合があるのでしっかりチームの輪の中に入れるように頑張りたいです」と引き締めた。 高橋光成投手は「うれしいですけど、チームに貢献できてないんで、悔しい思いもあります。これから貢献できるようにしたいです」と言った。 俊足の9番打者として活躍した金子侑司外野手は「うれしいですね、本当に。(優勝経験は)初めてですし、こういう経験ができて良かったです。最後決まった時に、グランドに立てて良かったです」と喜んだ。

◆日本ハム石井裕也投手が、現役最後のマウンドに上がった。 3点リードの7回2死二塁。今季初登板で、母校・横浜商工(現横浜創学館)の後輩、秋山と対戦。左飛に打ち取り、締めくくった。先天性の難聴を乗り越え、プロで14年間。愛称「サイレントK」として、戦い続けた。 試合後のセレモニーでは、中日時代にバッテリーを組んだ谷繁元信氏やチームメートだった福留孝介、元日本ハムでBCリーグ石川・武田勝監督らがビデオメッセージを寄せた。妻と長男、長女、母の前で「小学校2年生から野球を始め、その頃からずっと夢だったプロ野球選手の世界に、14年間もいられたのは、たくさんの方々の応援や支えがあったからだと思っています」と感謝の言葉を述べた。 あいさつ後は宮西に肩を抱かれ、両手で顔を覆い、涙をこらえるようなしぐさを見せた。胴上げでは4度、宙に舞った。「プロ野球選手ではなくなりますが、大好きな野球は、ずっと続けていきたいと思いますし、いろいろな形で野球の楽しさを伝えられたらなあと思っています」と、今後に向けて話した。 主に中継ぎとして通算330試合に登板し、19勝19敗6セーブ、83ホールド、防御率3・06の成績を残した。

◆西武辻初彦監督が、試合後に選手たちと臨んだ共同記者会見で「ほっとしてます」と心境を語った。 8度宙を舞った瞬間は「喜びと、私を胴上げしてくれる選手たちの気持ちが伝わってきた。ここまでみんなが頑張ってくれて、うれしい気持ち」と言った。 優勝の要因は「数字を見れば打線大爆発。個々に特徴のある選手たち、キャラクターに富んだ選手たちがいて、1点を大事に取り、1点を大事に守ることを理想にして取り組んできた。選手たちは劣勢でも、その日の勝利に向けて頑張ってくれた」と分析。「開幕8連勝からスタートして、1度も落ちることなくトップを走り続けた選手を誇りに思います。9月にソフトバンクさん、日本ハムさんなど9連戦に入る前日に怖いと感じ、不安に初めて襲われた。それを選手たちが連勝、連勝で乗り越えてくれた。マジック1になって初めて優勝できると思いました」。 キャプテンを務めた浅村については「申し分ないです。アサは口数が多いわけではないけど、グラウンドで選手たちに背中で見せて、全試合に出場しながらチームを引っ張ってくれた」と感謝した。 印象に残った一戦については、少し考え込んだ。 「雄星がソフトバンクに勝った試合。ここで雄星が変わってくれるかなと思った大事な試合。今年苦労してきた。ソフトバンクにやっと勝てた試合がうれしかった」と振り返った。

◆西武ナインが3000本のビールかけを楽しんだ。10年ぶり22度目のリーグ優勝を決めてから約2時間半後、祝勝会会場に集まった。 後藤オーナーがはじめに「10年ぶりのリーグ優勝おめでとう!今年は開幕から1回も首位を渡さず、獅子の戦いを演じてくれた。選手諸君を誇りに思います。次は日本一を勝ち取りましょう。前回も札幌でリーグ優勝を決め、日本一を決めました。今度は所沢で勝利の美酒を味わおう!おめでとう!」とあいさつした。 その後、辻監督が「ありがとう! おめでとう! 今日はさ、騒ぎましょう! 噛んだ? 今日は思い切り騒ぎましょう!」と短くあいさつ。 最後は選手会長の増田の「まずはじめに、ビールかけ会場にご協力くださった関係者の皆様ありがとうございます。今日は思う存分楽しんで、明日は頑張りましょう。西武半端ないって! 行きましょう!」とのかけ声でスタートした。

◆西武の山賊打線や投手陣が、今季最も印象に残った試合とは。10年ぶりの優勝決定直後の共同記者会見で、各選手が思いを語った。 浅村 山川がヘッドスライディングした試合(8月14日オリックス戦)。めったにしないですし。 山川 日本ハム戦で7点差をひっくり返して、サヨナラ勝ちした試合です。お客さんが帰らないチームにしようと話していた。それを実行できた。その通りになった試合でした。 中村 浅村、山川、栗山が3者連続でホームランを打った試合(8月24日楽天戦)。次の6番が自分だったので、プレッシャーに押しつぶされそうになった。自分がしょうもないバッティングをしてしまったので悔しいです。 栗山 自分が満塁ホームランを打って、おかわりもホームランを打って、一緒にお立ち台に立った試合(9月17日ソフトバンク戦)。(中村が会見の)隣に座っているので言った方がいいかなと思って(笑い)。 秋山 逆転3ランを打った試合(9月27日ソフトバンク戦)。ベンチ、ファンの歓声が今年1番だったと思います。 菊池 辻監督も言ってくれてましたが、一昨日(9月28日)のソフトバンク戦。辻監督にエースと指名していただいて、でもソフトバンクに勝てていなかった。負ける度に形だけ、名前だけのエースじゃないかと自分を責めていた。打線の援護もありながらでしたが、勝てて良かったです。 多和田 どれかは選べないですけど、自分としては群馬で投げた日(8月28日)に子供が生まれたので、印象に残っています。 榎田 10勝できた試合(9月19日日本ハム戦)もそうですが、古巣の阪神に交流戦で勝てた試合(6月3日)は気持ちも入っていた。そこで西武の一員になれたと思いました。

◆西武後藤高志オーナーが辻監督を高く評価した。 10年ぶりの優勝を見届け「感無量。勝負強くなった。中盤で負けていても、お客さんが帰らなくなった。辻監督のコミットメントがチームに浸透した」と感慨深げに話した。 辻監督は2年契約の最終年。来季について、後藤オーナーは「人事はシーズンが終わってからが、ライオンズの伝統。ただし、辻監督は昨季は4年ぶりAクラスの2位。今年は、まずリーグ優勝。手腕は高く評価しています」と強調した。 シーズン終了後にも契約延長をオファーする見込み。来季続投は確実だ。

◆西武が08年以来、西鉄時代から通算22度目のリーグ優勝を決めた。 開幕8連勝でスタートした今年は、首位の座を1日も明け渡さずにゴール。開幕日からオール1位の優勝は38年春タイガース、53年巨人、62年東映、97年ヤクルトに次いで5度目。パ・リーグでは62年東映以来、56年ぶりだ。 前回優勝の08年は25歳の中村が46本塁打で初タイトルを獲得したが、今年は5年目の山川が46本塁打、121打点とブレーク。30本塁打、120打点の3番浅村と4番山川を軸にした打線は破壊力抜群で、歴代4位タイの771得点をマークした。西武打線はチャンスに強く、チームの得点圏打率が3割8厘。リーグの得点圏打率10傑に5人が入り、満塁弾8本、3ラン28本と、走者がたまった場面の1発も多かった。2桁安打70度は球団新記録で、138試合のうち半分以上の71試合で6点以上を挙げた。6点以上の試合数が多いチームを出すと、(1)18年西武71試合(2)50年松竹70試合(3)01年近鉄67試合(4)80年近鉄、00年日本ハム65試合。今年の西武は、最多得点記録をつくった50年松竹を抜いて史上最多。当然、6点以上の試合では白星が多く、62勝9敗で勝率8割7分3厘を記録した。 打線とは対照的なのが投手陣。リーグ最多の636失点で、防御率4・27はリーグ最下位。リーグ最多失点で優勝は92年ヤクルト、01年近鉄に次いで3度目、最低防御率で優勝は01年近鉄に次いで2度目だ。最多失点、最低防御率で優勝した01年近鉄には26セーブの大塚がいたが、西武は20セーブもいない。これに加えて、84失策がリーグワースト。過去に最多失点、最低防御率、最多失策は昨年のヤクルトとロッテまで42チームあったが、これまで全チームが負け越して、そのうち昨年のヤクルトとロッテを含め27チームが最下位。プロ野球史上初めて最多失点、最低防御率、最多失策で優勝した。 今年のプロ野球で最も多いスコアは3-2だが、西武は7-4の8試合が最多。強力打線が投手陣をカバーした結果、西武は4失点以上の試合で39勝。85年近鉄の36勝を抜き、4失点以上の白星はプロ野球史上最も多かった。優勝には「投手を中心とした守りが重要」と言われてきたが、西武はこれまでの常識を覆す野球でペナントを制した。【伊藤友一】

◆ビールかけが始まる前の優勝会見。西武辻発彦監督(59)は「今日は喜んでると思います」と穏やかな顔で言った。天国にいる両親のことだ。 母フミさんは、プロに入って試合に出始め、「これから親孝行だ」という頃に亡くなった。 父廣利さんは、監督就任1年目の昨年2月1日、キャンプ初日に亡くなった。最期には立ち会わなかった。「野球が大好きなオヤジだった。(生きていれば)『野球、やってろ』と必ず言ったはず」と、監督としての船出を優先した。今季の優勝は見せられなかった。「残念だけど、大往生だからね」。 オフに郷里の佐賀に帰った際、2人の墓前で語り掛けた。「天国から野球を楽しんでね、とね。勝たせて、なんてお願いするもんじゃないよ」。今季1度だけ、例外があった。優勝マジックが点灯した翌日の9月18日の日本ハム戦。フミさんの命日だった。結果は、7-4で勝利。優勝へ加速した。 今でも、試合前の国旗掲揚の時は両親のことを心に浮かべている。その時、語り掛ける。 「野球を楽しんでね」

◆苦笑いのような恥ずかしそうな表情で西武秋山翔吾外野手(30)はベンチに戻った。9回2死一塁で遊飛に倒れ試合終了。ベンチでは歓喜のハイタッチが始まっていた。「本当にうれしいです」。敗れはしたが、心から優勝を喜んだ。山賊打線の火付け役を担ったリードオフマンは歴代5位となる591試合連続フルイニングを達成し「試合に出ることだけは、負けていないです」と胸を張った。 苦しんだシーズンだった。高熱にうなされた日も、のどが腫れて声が出なくなった日もあった。それでも体にムチを打った。7月には調子を落とし月間打率は2割6分9厘。「調子が悪いんじゃない。実力です。そう思うようにしました」と自らに言い聞かせた。フリー打撃では変化球も投げてもらうなど工夫を続けた。15年に達成したシーズン200安打も意識することはやめた。「チームが優勝する方が大事」。 思い出に残った試合に9月27日ソフトバンク戦を挙げた。8回、自らの23号3ランで逆転勝利。人さし指を突き上げたシーンは、仲間からいじられるポーズになった。「ベンチの雰囲気が、今までで一番だったんじゃないかな。チームメートもお客さんも喜んでくれて、よかったです」。仲間の笑顔がファンの声援が、何よりうれしかった。だからこそ誓った。「もう今年は(CS、日本シリーズで)負けて胴上げはない。次は勝って胴上げしたい」。日本一まで、自らのバットで導くつもりだ。【保坂恭子】 ◆山賊打線 西武の前身・太平洋時代の1975年(昭50)につくられた応援歌「惚れたぜライオンズ」の2番に「ごつい顔だよ 山賊打線」の歌詞がある。この年は江藤慎一が選手兼監督で土井正博、白仁天らが主軸だった。今年はSNS等で使われるようになりファンの間で広まった。

◆両雄が並び立ち、西武打線の中心を担った。3番浅村栄斗内野手(27)と4番山川穂高内野手(26)。ONに並ぶ14回のアベック弾を決め、球団史上初の120打点コンビとして計241打点をたたき出した。2人は互いをどのように見つめ、結果を積み重ねてきたのか。最強のAY砲に迫った。 最強の3、4番は歓喜の瞬間を手応えとともに受け止めた。 浅村 1年間頑張ってきてよかった。主将として全て出来たわけでなく、反省すべきこともある。みんなのおかげです。 山川 つらい時期も多かったけど、自分の打撃が出来たと思う。優勝はどんな形でもうれしい。 山賊打線の中心を担ってつかんだリーグ制覇。そんな2人の土台にあるのは西武の猛者に脈々と流れる「俺が決める」の意識だ。 浅村 チャンスの場面で後ろに回せば、とは思わない。自分できっちり(走者を)かえして得点を挙げる。それが求められる仕事。 山川 自分の役割は打つこと。チャンスで浅村さんが倒れたり、歩かされたりしたら、よし俺が決める、と思ってきた。 自分が打つと腹をくくり、仕留めにいく。浅村の得点圏打率は、ここ5シーズンで最も高い3割6分9厘。山川は本塁打王争い独走の46発。「俺が」の意識は数字にも表れるが、ともすれば、つながりを欠く危険性もはらむ。そのリスクを防げたのは主将に目覚めた「自覚」と、覚醒した4番の「自信」だった。 浅村は言う。「山川にはプレッシャーがかからない形でなるべく打たせたい。少しでも楽な状況で回せれば、と思っている」。状況によっては進塁打狙いの右打ちもいとわない。山川は、好機で浅村が走者をかえした後の打席が「一番いい。浅村さんが打った後、『続きまして』が自分」と思えるようになった。結果を積み重ねてきたからこそ、生まれた感覚だった。 両者がなぜ、そう思えるようになったか。口をそろえて言った。「その方が勝つ確率がグンと上がるんですから」。浅村が打点を挙げた直後の山川は79打数27安打、11本塁打、28打点。2者連続本塁打はプロ野球タイの6本を誇る。 「俺が」という獅子の源流にフォア・ザ・チームがまぶされる。それが今季チームが目指した「750得点」超えを支えた。互いが「ライバル心はある」という3、4番が紡ぎ出した241回の生還。キャプテンは「アグー(山川)と自分がもっと結果を残せばいい形になると思っていた。今年はそれが出来つつあるのかな、と思う」と手応えをにじませた。その山川は「あと2年、40本を続けられたら本当の4番になれる」と決意を示した。 選手ロッカーは隣同士で守備位置も一、二塁。そんなAY砲という若き軸が、西武の歴史に新たな1ページを加えた。【佐竹実】

◆これが雄星の生き方だ。プロ9年目で初優勝を遂げた西武菊池雄星投手(27)が手記を寄せた。苦しんだ1年目からを振り返り、これからを、どう生きていくか語った。球団は今オフ、ポスティングシステム(入札制度)による米メジャー挑戦を容認する方針。日本ラストシーズンとなるであろう今季に花を添えたエースは、何を思うのか。 優勝を目前にして、ふと思い出した言葉がある。 「人間は後悔するように出来ておる」 藤沢周平さんの時代小説「蝉しぐれ」の一節。主人公が切腹を言い渡された父と今生の別れをしたけど、許された短時間では思いを伝えられなかった。そのことを悔い、武士なのに涙を流した。それを見た友がかけてくれた言葉だ。 4月に初めて読んだ時よりも、ふに落ちた。プロに入り9年間。後悔したことは少なくない。オフにもっとトレーニングしておけばとか、シーズン中こうすればよかったとか。本当に、いろいろなことがあった。 1度だけ、野球をやめたくなったこともある。 入団1年目だった。コーチの方との関係に悩んだ。今は、もうわだかまりはないが、当時はしんどかった。自分の口からは言えないままのこともあった。僕が反抗的な態度を取ったという報道もあって「雄星って、そんなヤツなんだ」と誤解もされただろう。そうではないと言いたかったけど、すべがなかった。まだ頼れる先輩もいない。周りからいろいろな目で見られていると思うと苦しかった。逃げ出したくもなった。逃げ出さずにすんだのは、後悔したくなかったからなのかもしれない。 後悔はしたくない。だが、絶対するものでもある。ならば、後悔の質を上げていけばいい。この9年間で、その質はどんどん上がっていると思う。今季もそうだった。春先に肩が不調で2軍に行った。6月に戻ったが、今度はフォームが定まらない。こんなはずじゃない。点を取られる自分が許せなかった。去年の自分にとらわれていた。そのことを気付かせてくれたのは、先輩たちだ。7月。勝てない試合が続いた時、銀さん(炭谷)、中村さん、栗山さんに相談した。「毎年、変わるものだよ」と言われ、割り切れるようになった。それから2段フォームをやめ、状態も上がった。去年はキャリアハイの成績でタイトルも取ったが、あまりうれしくなかった。やはり、優勝しないと心から喜べない。後悔の末に、つかんだ喜びだと思う。ずいぶん遠回りした。最初から活躍し、最短距離でいければ一番だけど、そうはならなかった。人間関係に悩んだ1年目。成績は3、4年目まで出なかった。ケガもした。それでも、遠回りしたから分かる。量からしか、質は生まれない。がむしゃらに練習した。良いと思ったトレーニング、食事、何でもやった。いっぱい人にも会った。いろいろな経験をし、そこから研ぎ澄まされていった。今は、全ての経験を肯定的に捉えている。ドジャースのカーショーが好きだ。彼は新人の頃から登板しない日もブルペンに行って、その日、投げる投手に「頑張れよ!」と声をかけてから、自分のトレーニングをするそうだ。世界一の投手が若手を励ましている。今年、僕も苦しんでいる若い子には言葉をかけるよう心掛けた。野球をやめたいとまで思った僕の経験が、後輩たちの役に立つのであればうれしい。野球人生が終わる時、さらに死ぬ時、何を一番後悔するか? と考えている。答えは「挑戦しなかったこと」。安定を求めるなら、同じことを続ければいい。メディアに出なければ、夢を語らなければ、たたかれることもない。だが、偽りの自分を見せ評価されるより、本当の自分を見せ理解されない方がいい。「人間は後悔するように出来ておる」正直に生きていきたい。初めての優勝が、改めて、そう思わせてくれた。(西武ライオンズ投手)

◆「新・黄金時代」の幕開けだ。西武が10年ぶりの優勝を果たし、球団40周年の節目を飾った。優勝マジック1で臨んだ日本ハム戦には敗れたが、2位ソフトバンクも敗れ、22度目のパ・リーグ制覇が決まった。就任2年目の辻発彦監督(59)は投手陣をやりくりしながら、ほぼ固定した打線で打ち勝つ野球を押し通した。開幕日からオール1位の優勝は史上5度目でパ・リーグでは62年東映以来56年ぶりの快挙だ。 辻監督はベンチでみんなと握手した。試合は負けたがソフトバンクも負けた。ついに訪れた瞬間。マウンドそばで8度、舞った。 辻監督 選手たちが助けてくれた。気持ちが伝わってきた。ありがとう! マジックが点灯した17日以降は11戦9勝。隙を見せることなく、駆け抜けた。そんな選手たちが、まぶしかった。「たくましいよ」。優勝が見えてきた9月中旬、ふと漏らした。 「プロ野球って、監督が良かったら優勝するんかな? 選手が良かったら、監督は誰でもいいんじゃないか。今、そう思う」 監督は何をすべきか? 自らに問うても「分からない。技術を教えるわけでもない。作戦も、うちはサインが少ない」と明確な答えは出せない。だから選手ファーストで考える。 西武黄金時代の名二塁手は守りの野球が身上。だが、昨オフに複数の主力投手が抜け、防御率はリーグ最低。1年目で立て直したはずの守備もリーグ最多失策を数える。「理想どおりにはいかない。5点以上、取らないと勝てない」と現実を受け入れた。前進守備で1点を守るのではなく、エンドランを仕掛けるのでもなく、自由に打たせ得点力にかける戦いを優先した。「うちの武器。ちょこちょこやっても持ち味がなくなる。個々の良さを出させる。究極はノーサイン野球だ」と言い切った。 選手ファーストは接し方にも表れる。監督の目を気にするのか。失敗に落ち込むのか。昨季以上に、個々の性格に沿うよう心掛ける。たとえば、打たれた若手投手には翌日のグラウンドで「バカ野郎~」と冗談でほぐしてから話しかけた。「昨日は下を向いてたけど、今日は目を見てあいさつしてきたから」。現役時の体験がある。 優勝が迫ったシーズン終盤。辻はバント失敗のあげく、併殺打で好機をつぶした。次打者のサヨナラ打で勝ったが、言いようのない恐怖に襲われた。「自分のミスで優勝まで逃したら...」。ひとり球場に残り、涙が出そうになった。夜遅く、自宅の電話が鳴った。森監督だった。「肩の力を抜いたらどうだ。お前のおかげで、どれだけ勝ったか。誰もお前を責めはしない」。同じ立場となり思う。「救われた。監督の言葉は大きい。あれで野球観が変わったよ。失敗のスポーツ。だから失敗しても、また練習してうまくなればいい。普段、どういう姿勢で取り組んでいるかが大事」どんな負け試合でも、必要以上に選手を責めることはしない。家に帰れば、トイプードルの愛犬ルーキーとたわむれる。息抜きの後は深夜まで翌日の準備。老眼鏡をかけ、タブレットで映像を見て、資料を読み込む。「良くなっただろ」と、家族に自慢げに選手の映像を見せる。重圧からか、野球の夢を見ることも多い。なぜか、その時は監督ではなく現役に戻っているが。グラウンドを離れても、選手のことを思っている。「結果は結果だから」が口癖なのは過程を重んじるからだ。「だって、ようやく優勝。いつも優勝するチームなら結果だけ求めて厳しくやってもいいけど」。秘めた思いがある。「ライオンズは常勝軍団じゃなきゃいけない」選手として12年間で9度優勝。監督として2年目で初優勝。会見で、堂々と、力強く宣言した。辻監督 来年も、再来年も、勝ちたい。10年ぶりの栄冠を、新・黄金時代構築の一里塚とする。【古川真弥】

◆2年目の西武源田が満面の笑みを浮かべた。ルーキーイヤーの昨季に続き、攻守でチームを支えた。 フルイニング出場を続ける中で味わう初めての美酒に「今日は負けてしまいましたけど(優勝は)シーズンを戦った結果なので、本当にうれしい」と喜んだ。

◆西武榎田が移籍1年目での優勝を喜んだ。阪神から移り先発ローテに定着した。 自己最多10勝を挙げ交流戦では古巣にも勝利。「去年の今頃を考えたら、天国と地獄。阪神に勝てた試合で西武の一員になれたと思いました」。

◆西武の祝勝会は、午後11時50分に始まった。辻監督が「選手にひとこと、『ありがとう』。今日は騒ぎましょう」とあいさつすると、選手会長の増田は「今日は思う存分楽しみましょう。西武半端ないって! 行きましょう!」とスタート。用意された3000本のビールが約30分間でなくなった。 中締めのあいさつは主将浅村から指名された声出し係の熊代。鼻の穴の回りをマジックで黒く塗るなど秋山の顔をまねて登壇し「優勝したのは、みんなが野球うまいからちゃうで。オレの声出しがあったからやー!」と叫び、最後まで盛り上げた。

◆今季限りで引退する西武松井は、笑顔で人生初の胴上げを経験した。辻監督の胴上げ終了後、チームメートに押し出されて輪の中央へ。背番号と同じ7回、宙に舞った。 この日は出番はなかったがベンチで後輩に声をかけ、戦況を見守った。「まさかこんな形でやってもらえるとは。最高でした。気持ちいいものですね。選手個々の能力が高く、本当に強いチームだった。楽しませてもらいました」と感謝していた。

◆西武増田が昨年6月に急逝した森慎二投手コーチのユニホームとともに辻監督を胴上げした。前日のソフトバンク戦からブルペンとベンチに掲げ「一緒に優勝することが出来てうれしい」と感慨深げ。 「去年は優勝することが出来なくて...。慎二さんはずっとみんなの胸の中にいる。いい報告ができます」と笑顔を見せた。

◆西武が10年ぶりの優勝を果たし、球団40周年の節目を飾った。優勝マジック1で臨んだ日本ハム戦には敗れたが、2位ソフトバンクも敗れ、22度目のパ・リーグ制覇が決まった。開幕日からオール1位の優勝は史上5度目でパ・リーグでは62年東映以来56年ぶりの快挙だ。 優勝が決まった西武は日本ハムに敗れた。リーグ優勝決定日に敗れたのは10年ソフトバンク以来で延べ10チーム目(パ・リーグの前後期制を除く)。西武は前回Vの08年9月26日も日本ハム戦(札幌ドーム)の試合中に2位オリックスが楽天に敗れて優勝が決まり、日本ハムに0-2で敗れた後に渡辺監督を胴上げした。

◆日本ハムのルーキー清宮が、プロ14年目左腕の引退を惜しんだ。 この日が引退試合となった石井裕がベンチで見守る前で、2安打1打点。「本当に優しい方です。寂しいですね。引退される方の球じゃないというか、ああいう場面で抑えるのはさすがだなと思いました」と敬意を表していた。

◆今季限りで現役引退する日本ハム石井裕也投手(37)が、引退登板でガチンコ勝負を制した。西武22回戦(札幌ドーム)の7回2死二塁の場面で今季初登板。西武のリーグ制覇がかかる試合で高校の後輩、秋山と真剣勝負を繰り広げ、左飛に打ち取った。先天性の難聴を乗り越え、プロ野球で14年間、第一線で走り抜けた「サイレントK」が、格好良く最後のけじめをつけた。 最後のマウンドも、しびれる場面だった。石井裕の出番は、3点リードの7回2死二塁。相手は母校・横浜商工(現横浜創学館)の後輩で日本最高峰の安打製造機の西武秋山だった。「大事な場面でしたけど、起用してくれた栗山監督、コーチのみなさんに感謝したいです」。白星でのリーグ制覇を目指す後輩との真剣勝負が引退登板となった。 初球は141キロの直球で見逃し。2、3球目は宝刀スライダーを外角低めに配してボール。4球目は140キロ直球でファウルを誘い、勝負球の5球目も141キロ真っすぐで左飛に打ち取った。「高校の後輩である秋山選手は本当に良い選手。対戦できて良かったです。ありがとう」。貴重な中継ぎ左腕として中日、横浜(現DeNA)、日本ハムのブルペンを支えてきた左腕にとって、これ以上ない有終の美だった。 6年前、1度は引退が頭をよぎった。12年シーズンの開幕直後、原因不明のめまいに襲われた。体を動かすことすら禁止された。「野球ができない。もう野球は辞めようと思った」。支えてくれたのは10年オフに結婚した妻綾子さんだ。 石井裕 食事面も気を使ってもらったし、コミュニケーションもいっぱい取ってくれた。聴力が下がってしまって声が聞こえず、分からない時はメモを書いてもらったりもした。医者からテレビもダメ、野球も見てはダメと言われたけど、積極的に外へ連れて行ってくれた。買い物だったり、房総半島に旅行に連れていってもらったり。だんだん、練習ができるようになって気持ちも戻った。本当に奥さんのおかげです。 苦しい時もずっと寄り添ってくれた綾子さんが見守る前で、最後の勇姿を格好良く決めた。試合後のセレモニーでは「14年間、ずっと幸せでした。本当にありがとうございました」と、感謝の思いを吐露して涙した。マウンド上では4度の胴上げ。「ありがたい。感謝です」。最後は笑顔で、ユニホームを脱いだ。【木下大輔】

◆今季限りで現役引退する日本ハム石井裕也投手(37)が、西武22回戦(札幌ドーム)の7回2死二塁の場面で今季初登板。西武のリーグ制覇がかかる試合で高校の後輩、秋山と真剣勝負を繰り広げ、左飛に打ち取った。先天性の難聴を乗り越え、プロ野球で14年間、第一線で走り抜けた「サイレントK」が、格好良く最後のけじめをつけた。 晩年は苦しんだ、石井裕のプロ人生。2人の小さな命が、今日までつないでくれたのかも知れない。15年2月の春季キャンプ。右下腿(かたい)ヒラメ筋の筋挫傷のため、2軍キャンプ地の沖縄・国頭に合流していた。 開幕前の負傷。沈む気持ちを奮い立たせてくれたのは、この年の1月に誕生した第1子、長男の存在だった。親となった実感を味わう間もなく、キャンプインで沖縄へ。「かわいくて仕方がない」。わずかな時間で慈しんだ息子を思い返すように、抱っこするしぐさをして見せてくれた。 普段は口べた。この時ばかりは、せきを切ったように溺愛ぶりを話してくれた。16年には右膝半月板を負傷。翌年、第2子の長女が生まれた。「あっという間に大きくなる。おむつも替えるしイクメンだよ。楽しい」。幸福感に満ちた笑顔だった。プロ最後のマウンド上にも、その表情があった。【日本ハム担当=田中彩友美】

◆西武のウルフは五回途中8安打4失点で降板した。4四球を与え「調子自体は悪くなかった。慎重になり過ぎてしまった」と悔やんだ。  優勝が懸かる試合での先発にも「やることは変わらない。バックを信じて投げるだけ」と平常心を強調していたが、毎回、安打を許す苦しい投球だった。三、四回に1点ずつを失い、五回にも大田に適時二塁打を浴びてなおも一死満塁としたところでマウンドを降りた。

◆優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武は日本ハムに敗れたものの、優勝の可能性を残していたソフトバンクもロッテに負けたため、10年ぶり22度目のリーグ優勝を果たした。西武は10月17日に開幕するクライマックスシリーズファイナルステージ(西武ドーム)で、ソフトバンクと日本ハムの間で争われるファーストステージ(13日開幕、開催地未定)の勝者と対戦する。  西武は一回に日本ハム先発の杉浦から源田の中前打と四球で一死一、二塁としたが、山川、栗山が倒れ先制のチャンスを逃した。二、三回はともに三者凡退。日本ハムも三回に西武の先発・ウルフから2つの四球を選び二死一、二塁とし、近藤の打球は三塁線への強烈なゴロ。これが中村の悪送球を誘い、二走の鶴岡が生還した。  日本ハムは四回にも無死満塁から鶴岡のニゴロ併殺打の間に清宮がかえって1点を追加。さらに五回にも無死一塁から大田が左翼線を破る二塁打。スタートを切っていた西川が生還。さらに一死満塁から清宮のニゴロの間に大田が本塁を踏んだ。西武も六回、源田の内野安打などで一死一、三塁とし、栗山の中犠飛で1点を返したが及ばなかった。

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。  辻監督が就任2年目を迎えた今季は開幕から8連勝と好スタートを切った。浅村、山川とともに120打点を超えた3、4番を軸に強力打線で白星を重ね、チームの総得点、総打点で球団のシーズン最多記録を更新。9月14日からは今季初の12連勝を飾り、開幕から一度も首位を譲らずに頂点に立った。  日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)は10月13日にレギュラーシーズン2位と3位のソフトバンクと日本ハムによるファーストステージ(3試合制)が開幕。西武は17日に始まるファイナルステージ(6試合制)から出場し、10年ぶりの日本一を目指す。 ソフトバンク・工藤監督 「やっぱり打撃。うちの投手陣でも抑え切れなかった。先取点を取られてなかなかリズムが取れなかった。ホームランは大きなプレッシャーになった」 日本ハム・栗山監督 「最初から走っていって、いろんなプレッシャーがある中で最後までみんなが頑張り切った。開幕から最後まで打ちまくれたという強さはすごかった。それに負けないチームをつくるしかない」 ロッテ・井口監督 「点を取っても、何倍も取り返される。それに加え、1、2、9番の足があり、理想の打線。本塁打数も多く、ここ一番で一発がある。ああいう打線をつくっていきたい」 楽天・平石監督代行 「打線は一つも二つも抜けていた。いろんなタイプがいて、長打もあって足も使える。いつ火が付くか分からない。状況に応じた打撃ができる選手もいて、かなり手ごわかった」 オリックス・福良監督 「どこからでもビッグイニングをつくることができる。走攻守において個々が役割を果たしていた。攻撃的に点を取りにくる強力打線がシーズンを通して機能していた」 斉藤惇コミッショナーの話 「1番から9番まで切れ目のない打線がチームをけん引し、投手陣も力投を重ね、たくさんのファンを魅了してくれた。辻監督の見事な采配と、選手らの努力のたまものと実感しています」

◆優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武は日本ハムに敗れたものの、優勝の可能性を残していたソフトバンクもロッテに負けたため、10年ぶり22度目のリーグ優勝を果たした。西武は10月17日に開幕するクライマックスシリーズファイナルステージ(西武ドーム)で、ソフトバンクと日本ハムの間で争われるファーストステージ(13日開幕、開催地未定)の勝者と対戦する。  以下、西武・辻発彦監督の一問一答。  --胴上げで8回宙に舞った  「いやあ...この日がいつ来るか、いつ来るかと望んでいましたけど、選手たちが、私のミスも多々ありましたけど、助けてくれました。本当にうれしかったです」  --選手、コーチと声を交わしたが  「みんなには本当に感謝の気持ちです。『ありがとう』と。全てその一言に尽きると思います」  --開幕から一度も首位を譲らなかったが、苦しい時期もあった。チームの強さは  「昨年就任してBクラスに低迷していた時期もあって。チームに入ってみて、個々には非常に能力を持った選手が多く、これをどうやったら引き出せるかというところが一番だったんですけれども。個性のある選手たちばかりなので、この個性を伸ばせば必ずいい結果が出ると信じてここまで来ました」  --積極性を評価する言葉も目立った  「これも自分が選手のときに経験したことで、やっぱりグジグジせず失敗しても前を向くという姿勢が一番必要じゃないかと学びました」  --その思いに選手が応えた  「8月の中盤から追い上げられ、9月の中、苦しい戦いが続く中、これだけ連勝する力をこの選手たちは持っている。この経験がさらにこれから西武ライオンズを強くする源になっていくんじゃないかと信じています」  --昨年のシーズン中に亡くなった森慎二コーチにも素晴らしいプレゼントになった  「特にピッチングスタッフは、森慎二コーチの死というのが非常に大きくて。昨年Aクラスに入りはしましたけど、日本シリーズに行けずというところで、今年にかける気持ちはピッチャーももちろんですけど、我々も監督コーチ全て、球団としても今年はぜひ40周年に勝つんだと、その気持ちは持って戦ってきました」  --10年間待ちに待ったファンへ  「選手たちの頑張りと、全国の埼玉西武ライオンズファンの熱い声援とパワーをいただき、やっと今日ここに優勝することができました。本当にありがとうございました」

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。 西武・後藤高志オーナーの話 「10年ぶりのリーグ優勝はうれしい。チームは勝負強くなったと思う。次はクライマックスシリーズ、日本シリーズとある。最終目標は日本一なので、奪還してほしい」 渡辺久信シニアディレクター(SD)兼編成部長(前回優勝時の監督)の話 「(負けての胴上げに)10年前と同じになってしまった。1年間、波がなく打てたのが大きい。チーム全体が力を付けて、監督がうまく使っていた」

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。  今季限りで現役を引退する松井は自身の背番号と同じ7度、宙に舞った。「こういう形で胴上げしてもらって最高です。気持ちがいいものですね」と笑みを浮かべた。  今季から外野手兼テクニカルコーチとして西武に15年ぶりに復帰した。「すごく選手個々の能力があるし、個性も強い。非常に楽しませてもらった」と後輩たちの活躍をうれしそうに話した。

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。  森はプロ5年目で初めて味わうリーグ制覇にも、日本ハムに敗れての決定に「まだ実感がない。勝ちたかった」と少し悔しそうだった。  今季は捕手として71試合に先発出場し「キャッチャーでこれだけ長くやったのは初めて」と充実感をにじませた。16本塁打に80打点をマークし、球界屈指の打てる捕手に成長。「まだ試合があるし、クライマックスシリーズ、日本シリーズと続く」と先を見据えた。

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。  浅村は主将として、中軸打者として、チームの中心を担った。「みんな悔しい思いを持って、今年もスタートをした。形になって良かった」と誇らしげだった。  ともに自己最多を更新する30本塁打、120打点をマークし「一年間、頑張ってきて良かった」と納得の表情を浮かべた。ここからは日本一に向けた戦いが始まる。「CSを突破しないと意味がない。喜ぶのは今日まで。先のことを考えていきたい」と気持ちを切り替えた。

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。  中村はシーズン序盤に不振で苦しんだが、7月以降に25本塁打を放った。優勝争いが本格化してくる夏場にかつての4番打者として本領を発揮し「うれしいですね」と控えめに喜んだ。  6月までは打率1割台でわずか3本塁打。バットを軽量化するなどの試行錯誤が実を結んだ。苦しんで味わう10年ぶりの優勝の感慨を問われると、照れ屋な男は「特に、まあ」とはぐらかした。

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。 菊池 「9年間、苦しい思いもしてきた。こうしてみんなで喜ぶことができて良かった。今年に懸ける思いは中途半端じゃなかった」 秋山 「いろいろな人がいろいろな人をカバーして優勝できた。次こそは勝って監督を胴上げし、日本一になるのが目標」 源田 「1年間の結果なので、負けたけど優勝できてめっちゃうれしい。個人的にも1年間試合に出て、優勝できたのでうれしい」 栗山 「10年前と同じようにうれしい。振り返ると長かった。毎年、優勝するつもりでやってきた。与えられたところで全力を出すだけだった」 多和田 「チームの優勝はうれしく思う。良かった。(先発する)10月1日も、ファンのために一生懸命やりたい」 榎田 「西武に来られて良かった。優勝するために呼ばれたと思ってやっていた。実ってうれしい」

◆今季限りで現役を引退する日本ハムの石井裕也投手(37)が30日、札幌市内の球団事務所で記者会見を行い「野球をやっていて本当に幸せでした。14年間、本当にありがとうございました」と感慨深そうに話した。  引退選手特例で登録されて、この日の西武戦にも出場した。七回2死二塁で登板し、横浜商工高(現横浜創学館高)の後輩の秋山と対戦して左飛に打ち取った。「秋山選手は本当にいい選手。対戦できて良かった」と話した。  先天性の難聴に負けず救援左腕として活躍した。会見では思い出に残る試合として4番手として登板し、敗戦投手となった2012年の日本シリーズ第6戦を挙げた。チームもこの試合で巨人に敗れて日本一を逃した。「忘れられない試合。悔しかった」と振り返った。今後は未定と言うが「野球に関わりたい」と穏やかな表情で語った。

◆日本ハムのドラフト1位ルーキー清宮が2安打1打点で勝利に貢献した。二回と四回に左前打をマーク。3-0の五回一死満塁では二塁へのゴロで懸命に走って併殺を免れ4点目を奪った。  試合には勝ったが、ソフトバンクが敗れたために西武の優勝が決まり、目の前で胴上げが行われた。「勝ったので自分たちのやるべきことはやった。いつか(胴上げを)やりたいなと思った」と刺激を受けていた。 杉浦(2勝目) 「どんな形でも粘り強く、アウトを重ねることだけを意識していた」

◆パ・リーグは30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた西武が日本ハムに1-4で敗れたが、2位ソフトバンクがロッテに1-9で負けたために2008年以来10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝が決まった。  西武は札幌市内のチーム宿舎で祝勝会を開いた。辻監督や浅村らが鏡開きを行い、選手会長の増田が「思う存分、楽しみましょう」と声を掛けるとビールかけがスタート。3000本のビールで歓喜の美酒に酔いしれた。

◆10年ぶりにリーグ優勝を果たした西武の祝勝会が30日、遠征先の札幌プリンスホテルの駐車場に用意された特設テントで行われ、西武ナインが勝利の美酒に酔った。壇上の後藤オーナーからは「次は日本一を勝ち取りましょう」と号令。選手会長の増田が「西武、半端ないって!!」と乾杯の音頭をとり、ビールかけが行われた。  重圧から解放された選手らは大盛り上がりで、用意された3000本が25分で泡と消えた。最後は主将の浅村の代わりに「本職」とも言われる声出しで盛り上げてきたムードメーカーの熊代が挨拶。「優勝したのはみんなが野球うまいからちゃうぞ。俺の声出しがあるからや」と笑いを誘い、「日本一になってもう1回ビールかけをしましょう」と締めた。

◆D1位・清宮(早実高)が、二回、四回ともに左前打を放ち、8月20日のソフトバンク戦以来の複数安打をマーク。動くボールを得意とするウルフに対応し「しっかり対応できたと思う」とうなずいた。試合には勝利したが、目の前で西武の胴上げを目の当たりにした。「勝ったのでやれることはやった。いつか(優勝を)したいなと思う」と決意を新たにしていた。

◆西武が30日、10年ぶり22度目のリーグ優勝を決めた。 ★超強力打線  打率、得点、本塁打、盗塁はいずれもリーグ1位。1試合平均5・59得点を挙げ、2桁得点は18度を記録。1985、2004年の19度に次ぐ80、08年と並ぶ球団歴代3位。771得点は04年にマークした球団記録(718)を上回った。 ★2位に130点差  得点2位球団に100点差以上をつけてリーグ優勝なら球団史上初。昨年の広島が2位に139点差をつけたが、パでは03年のダイエー(104点差)以来6度目。80年の近鉄の140点差(リーグ記録)も射程圏。 ★いてまえ打線の再来  逆転勝ちはリーグ最多の39度で、3点差以上からでも13度逆転勝ち。01年にチーム防御率リーグワースト(4.98)ながら、圧倒的な攻撃力で優勝した近鉄(打率、得点、本塁打がリーグ1位、770得点、2桁得点18度、逆転勝利41度)と類似点も多い。 ★浅村、山川が打線をけん引  クリーンアップ(3-5番)で稼いだ打点が321、下位打線(6-9番)でも223打点を奪った(先発出場に限る)。3番・浅村がリーグ2位の120打点、4番・山川も同1位の121打点。球団初となる同一シーズンに2人が120打点以上を達成(史上6組目)。同一シーズンに2選手が稼いだ打点の合計をみても、黄金時代を支えた秋山幸二(99)、清原和博(92)の最多は89年の191、中村剛也(116)、中島裕之(100)の11年の216(球団記録)を抜いた。 ★ONに並ぶ  2人で14度のアベック弾を放ち、秋山-清原のシーズン最多回数(10度=86、90、92年)を抜いて、68年の巨人・王貞治-長嶋茂雄と並ぶ日本選手コンビの最多回数。チームの勝敗も13勝1敗と勝利に直結した。投手陣をカバーする球団史上最強打線の活躍でリーグ優勝を果たした。

◆今季限りで現役を引退する石井裕が球団事務所で記者会見。先天性の難聴に負けず救援左腕として活躍し、通算329試合に登板し、19勝19敗6セーブ、防御率3・06をマークした。この日は、西武戦の七回二死二塁から登板し、横浜商工高(現横浜創学館)の後輩、秋山を左飛に打ち取った。「大事な場面だったけど、起用してくれた栗山監督、コーチのみなさんに感謝したい」と目頭を熱くした。

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。  西武が2008年以来10年ぶり通算22度目(前身球団を含む)のリーグ優勝。優勝回数の最多は巨人の45度(1リーグ時代の9度を含む)。西武の22度は2位でパ・リーグ最多。  開幕戦から8連勝するなど好スタート。6月2日、同30日と日本ハムにゲーム差なしまで詰め寄られたが、一度も首位を譲らずにリーグ優勝を達成した。シーズン開幕から1位のままリーグ優勝したのは球団史上初で、1953年の巨人、62年の東映、97年のヤクルトに次いで21年ぶり4球団目。パでは56年ぶり2球団目。  60歳シーズンの辻監督は就任2年目でリーグ優勝。監督初優勝が60歳シーズンだったのは、98年の横浜・権藤博と並ぶ最年長記録。

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。  札幌ドームで10年ぶりのリーグ優勝を見届けた西武・後藤高志オーナー(69)は30日、辻発彦監督(59)について「人事はシーズン終わってから。これはライオンズの伝統」とした上で「監督1年目で4年ぶりに2位。今年はリーグ優勝。手腕は高く評価しています」と強調した。今季で2年契約が満了する同監督だが、来季続投は確実だ。  2位・ソフトバンクが敗れて白星では飾れなかったが、同オーナーは「2008年も全く同じ(札幌ドームで負けて決まる)展開。日本一を奪還してもらいたい」と期待を込めた。

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。今季限りで現役を引退する松井が、辻監督に続いて背番号と同じ7度、胴上げされた。「こういう形で胴上げをしてもらって最高です。気持ちがいいものです」と感慨にふけった。15年ぶりに古巣に復帰し、チームは10年ぶりのリーグ優勝を達成。「個性も強いし、個々の能力も高い。非常に楽しませてもらった」と感謝の言葉を口にした。

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。宿舎の札幌プリンスホテルの駐車場で祝勝会が開かれ、西武ナインが10年ぶりVの美酒に酔った。選手会長の増田が「思う存分楽しみましょう。西武、半端ないって!!」と乾杯の音頭をとり、ビールかけがスタート。辻監督は「選手たち、ありがとう。おめでとう」と感慨深げ。菊池は「世界一おいしいビールです!」と歓喜した。用意された3000本は25分で泡と消えた。

◆10年ぶりの勝利の美酒に酔いしれた。東京都豊島区の「スポーツ&メキシカンバー ロスカボス池袋西口店」で30日、30人超の西武ファンが集結し、札幌ドームでの日本ハム戦のテレビ中継を見守った。  台風24号の接近で、同店では従業員を早々に帰宅させたため、提供はドリンクメニューだけに。平岡須一店長(35)がファンに「今日だけ食べ物の持ち込みOKです」と呼びかけた。西武は試合に敗れたが、リーグ制覇が決まると店内には「万歳!!」と大歓声が上がった。  横浜市在住の女性会社員は「10年ぶりの優勝だったので、台風でも来ました。でも、もう帰らないと」と試合が終わると帰路についた。大田区在住の会社員、渡辺岳男さん(40)は「JR線が止まったので地下鉄で来ました。優勝してくれればそれでいいです」と感無量の面持ちだった。

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。  菊池は、昨年のシーズン中に42歳で亡くなった森慎二投手コーチのユニホームを持つ選手会長の増田と並んで歓喜の胴上げに向かった。昨年6月28日、遠征先で体調不良を訴えて3日前に入院していた森さんが、多臓器不全のため死去。早過ぎる"恩師"との突然の別れに当時「その声はずっと残っています」と涙を浮かべていた。「こうしてみんなで喜ぶことができてよかった。今年に懸ける思いは中途半端じゃなかった」。悲願の優勝に、エースは感無量の面持ちだった。

◆超攻撃的野球の中心は、若き4番が担った。西武が30日、10年ぶり22度目のリーグ優勝を決めた。「獅子おどし打線」を牽引(けんいん)した山川穂高内野手(26)は46本塁打、121打点とリーグ打撃2部門でトップを走り、プロ5年目で自身初となる優勝に大きく貢献。2004年の三冠王・松中信彦(ソフトバンク)以来となる「本塁打王&MVP」も有力視される主砲が、次はクライマックスシリーズ(CS)突破、10年ぶりの日本一にチームを導く。  真の4番として、チームを10年ぶりの優勝に導き、山川が歓喜の輪の中でナインと笑いあった。  「きょうは(負けて)悔しいけど、優勝はうれしい。素直に喜びたい。苦しい時期が長かったけど、優勝という結果が全てなので、4番の仕事を果たせたと思う」  フルシーズン戦ったのはプロ5年目で初めて。昨季は78試合の出場で23本塁打。後半戦だけで19本を量産した。ただ、心からの満足感はなかった。  昨年9月16日のソフトバンク戦(メットライフ)。目の前で宿敵に優勝を決められ、最後までベンチに残って胴上げを見届けたのが、4番を任されたばかりの山川だった。「一番負けて悔しい相手。個人として思うところはある。まだまだやらないと駄目」と、静かに逆襲を誓った。  開幕からアドレナリン全開だった。打率・337、11本塁打、33打点と大爆発し、3、4月の月間MVPを受賞。4月終了時で貯金「14」を稼ぐロケットスタートを演出した。それでも「まだレギュラーじゃない。1年が終わって、数字と立ち位置を見てレギュラーかどうか判断する」と繰り返した。不振を極めても代名詞のフルスイングを貫き、「獅子おどし打線」の中では開幕から138試合で、唯一「4番・一塁」のポジションを守り抜いた。  ここまで46本塁打、121打点でリーグ2冠。2004年に三冠王に輝いたソフトバンク・松中以来となる「本塁打王のMVP」も有力視される。「沖縄人として成功したい」。故郷から遠く離れた北の大地で優勝とともに、その夢もかなえた。 (花里雄太)

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。黄金時代に守備の名手としてチームを引っ張った就任2年目の辻発彦監督(59)が、超攻撃的野球で悲願を達成した。日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)は10月13日に開幕。西武は17日に始まるファイナルステージ(6試合制)から出場し、10年ぶりの日本一を目指す。  10年ぶりの歓喜は突然、訪れた。午後9時1分。福岡で2位・ソフトバンクが敗れたとの知らせが届き、ナインは優勝を知った。目の前の試合に敗れ、浮かんだのは複雑な笑み。しかし、開幕から一度も首位を譲らない史上4球団目の"完全優勝"に、笑顔は次第に屈託のないものへ変わり、その中心で辻監督が目を細めた。  「この日がいつ来るか、いつ来るかと思いましたけど、選手たちが本当に助けてくれました。本当にうれしかった。個性のある選手たちばかりで、それを伸ばせば必ずいい結果が出ると思っていました」  監督就任2年目で咲かせた大輪の花。現役時代に名二塁手としてゴールデングラブ賞を獲得した回数と同じ8度、胴上げで宙に舞った。  着実に白星を積み重ね、頂点にたどり着いた。今季ワーストの連敗は4。それも5月の1度だけ。9月14日からは今季最長の12連勝を飾り、指揮官は「苦しい戦いが続く中、これだけ連勝する力を持っていた」と教え子たちを誇った。  現役時代は西武で12年間プレーし、1995年オフに西武を離れるまで優勝9度、日本一6度とチームの"黄金時代"を支えた。99年にヤクルトで現役を引退し、横浜、中日でコーチを務めたが「どこへ行っても必ず『西武の辻さん』と呼ばれる」と笑う。周囲の目、自身の心も常に古巣とともにあった。  体内に脈々と流れる「ライオンズブルー」の源流は幼少期に遡(さかのぼ)る。指揮官として初のキャンプインを迎えた昨年2月1日、最愛の父・広利(ひろとし)さんが86歳で天国へ旅立った。前日に最後の対面を果たし、悲しみをこらえての門出となった。  大工の棟梁(とうりょう)だった広利さんは大の西鉄ファン。地元の佐賀から車で何度も西鉄の本拠地、福岡・平和台球場に連れていってくれた。「稲尾さんがポール際に打ったホームランは鮮明に覚えているよ」。武骨な男たちに魅了された発彦少年は、社会人野球の日本通運で頭角を現し「オヤジが大好きなライオンズに行きたい」とプロの門をたたいた。  帰郷の際、必ず訪れる両親の墓前では"神頼み"はせず「天国から野球を楽しんでね」と手を合わせてきた。だが、優勝争いが佳境に入った9月18日の日本ハム戦(メットライフ)、プロ2年目の85年に亡くなった母・フミさんの命日に「勝たせて」と初めてお願いした。「試合の時には、ずっと両親のことは思っている。今日は喜んでくれていると思う」と喜びをかみしめた。  盟友への思いも込めて采配を振った。昨年6月に森慎二投手コーチが42歳の若さで急逝。優勝に王手がかかってからは森コーチのユニホームも"ベンチ入り"し、胴上げではともに宙に舞った。  7月初旬の函館遠征中には強力打線を「『獅子おどし打線』なんてどうだ。水が流れ続ける限り"鹿威し(ししおどし)"は『カンッ』と音を立てて上を向く。うちの打線も諦めない限り上を向く」と形容した。言い得て妙。逆転勝ちは12球団最多の39度。5点差以上のビハインドを3度もはね返してきた。  チーム防御率は4・27。リーグ最下位のチームが優勝するのは2001年の近鉄以来2球団目だ。得点、打点で球団のシーズン記録を更新し、盗塁は12球団最多の128。かつての守備の名手は「より1点でも多く」の精神を浸透させ、投手力の不安を補う超攻撃的野球で栄冠をつかんだ。  今月24日に還暦を迎える指揮官は帰宅後、老眼鏡をかけ、iPadで試合を振り返るのが日課。深夜2時過ぎ、床につくと現役復帰した自分の姿が何度も夢に出てきたという。胸にあるのは、もちろん『Lions』の文字。「西武の辻さん」が新・黄金時代へ確かな一歩を踏み出した。 (花里雄太) 前回優勝時の監督の西武・渡辺久信シニアディレクター兼編成部長 「(負けての胴上げに)10年前と同じになってしまった。1年間、波がなく打てたのが大きい。チーム全体が力を付けて、監督がうまく使っていた」 斉藤惇コミッショナー 「1番から9番まで切れ目のない打線がチームを牽引(けんいん)し、投手陣も力投を重ね、たくさんのファンを魅了してくれた。辻監督の見事な采配と、選手らの努力のたまものと実感しています」

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。  西武の練習量は半端ない。差が出てくるのは、やらされている練習を、やりたい練習に変えられるかどうか。西武の選手はクタクタになるまでバットを振り、ノックを受けることが習慣になっている。  開幕前の予想で西武を1位にした。私が現役で在籍した8年間(1985-92年)は、リーグ優勝7度に日本一6度の黄金時代。2軍にも「優勝しなければ2位も6位も一緒」の考え方が浸透していた。今季は「昨季の2位で満足してしまったのではないか」というのが唯一の心配だったが、無用だった。一生懸命に練習しているからこそ、負けたときの悔しさが上回ったのだと思う。  ヘッドコーチ格の橋上作戦コーチの存在が大きい。現役時代の辻監督は大スターで、後輩にとって、とても厳しい先輩。その人が、会うたびに角が取れて丸くなった。しかし、橋上コーチがしっかりと監督の意図をくんで影武者のように動き、選手に対して時にはきつく、時にはやさしくものを言ってチームを締めた。渡辺久信監督(現シニアディレクター兼編成部長)のもとで前回日本一になった2008年の黒江透修ヘッドコーチが、まさにそうだった。  総合力でみると、ソフトバンクは負けるわけがないチームだ。故障者が出ても、次から次にカバーする選手が出てくる。練習量でも、西武に勝るとも劣らない。5年後も10年後も盤石に思えたチームが負けた。西武との差は、チームに隙を作ってしまったこと。試合中に工藤監督の隣になぜ、達川ヘッドコーチの姿がないのか。これは相手ベンチの目に、隙と映る。  強いチームを作るのは選手任せではなく、監督の意図を理解して選手にやらせるコーチ陣。その点でも西武には隙らしいものを感じなかった。  MVPにはベテランの栗山を挙げたい。35歳になった今でも練習が大好き。試合に出られなくてもくさらず、常に全力疾走を怠らない。この姿を見ると、他の選手は手を抜けない。08年の日本一を経験し、チームが連敗しているときに「大丈夫、大丈夫!」と鼓舞できる貴重な存在がいたからこその優勝だと思っている。 (サンケイスポーツ専属評論家、西武OB、日本一6度)

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。  オヤジ、おめでとう!! 西武・辻発彦監督(59)の長男で、パチスロライターの辻ヤスシさん(33)が30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)を生観戦。就任2年目でリーグ優勝を達成した父に祝福のメッセージをサンケイスポーツに寄せた。大学途中まで自身も野球をやっていたヤスシさんは、自宅での父の素顔や裏話も明かした。  オヤジ、おめでとう。涙が止まらなくて、頭が真っ白になって...。とりあえず、うれしかった。シーズンを通して、たくさんの感動をありがとうございました。  こどものころは、毎年優勝旅行でハワイに連れて行ってもらって、森監督や清原さんに遊んでもらった。当時は優勝して当たり前だと思っていて、今年初めて優勝するのって大変だなって感じたよ。  オヤジのことは、一プロ野球選手としてみていた。守備でメシ食ってるのがかっこいいなって。オヤジみたいになりたいなって思っていたら、高校3年の夏に一死二塁でドン詰まりの二ゴロを打って、新聞にデカデカと「オヤジ譲りの流し打ち」って書かれたよね。載ってラッキーだったけど。  帰ってきたら、怖いお父さんで鉄拳もあった。500円取っただけで気づくんだもん。でも、自分が悪いし、理不尽に殴られたことはなかった。パチスロライターという仕事に関しても、最初は『なんだ、その仕事は』と言っていたけど、オヤジの名前を使わずに仕事を増やしたことは、評価してくれているのかな。  オヤジの著書を読んで監督をやりたそうだったから、決まったときはよかったと思った。こんなに大変なこととは知らなかったし。西武は少し、ゆるいイメージがあったからオヤジが、ガミガミ言って、うまくいかなくなるのがこわかった。でも、チームはすごく明るくなった。家でも『こいつダメ。あいつダメ』とは、いっさい言わない。『こいつ、よう打つやろ』って、よく自慢してくるもんね。  打てなくてもずっと使うのは愛だと思うし、かっこいい。でも、オヤジがたたかれるのは苦しい。監督は続けてほしいけど、見ている方としては胃が痛くて...(笑)。 (パチスロライター)

◆西武は30日、日本ハム22回戦(札幌ドーム)に1-4で敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに1-9で敗れ、2008年以来、10年ぶり22度目(前身の西鉄時代を含む)の優勝を決めた。  打てる捕手、覚醒!! プロ5年目で最多となる71試合で先発マスクをかぶった西武・森友哉捕手(22)が、サンケイスポーツに独占手記を寄せた。レギュラー陣最年少ながら、辻監督命名の「獅子おどし打線」で主に5番を任され、3度のサヨナラ打を放つなど球界屈指の打てる捕手に成長。16本塁打、80打点をマークし、攻守でリーグ優勝に貢献した"扇の要"が、自身初の経験となった優勝の喜びを明かした。  優勝の実感は正直、わかないですね。勝って胴上げしたかったー。  捕手として、これだけやったのは初めてで今年がスタート。辻監督になって自分ものびのびとやれているし、チーム全体が若くてノリがよくなった。打線も切れ目がないし、こわい。相手にするなんて、めっちゃ嫌。味方でよかったと思う。サヨナラ打を3回【注1】打って勝負強いといわれるけど、チャンスを作ってくれた前の打者がスゴイ。目立ったろうとは思っていますけどね。  優勝できたけど、個人的には目標の打率3割にはほど遠いし、守備も全てにおいて課題だらけ。スタメンマスクが増えたから自分に得点をつけるなら、50点ぐらいかな。  春先より、少し余裕も出てきたけど(5月30日の)広島戦は辛かった。途中から出て、延長で3点取ったのに4点取られて逆転サヨナラ負け。だいぶヘコみました。  どん底だったのは去年。それまでは、試合に出られるならポジションはどこでもいいと思っていたけど、辻監督が就任して『森をキャッチャーで使う』と言ってくれた。それを聞いて、自分も割り切れました。  でも、秋元さん(バッテリーコーチ)と『キャッチャー一本で頑張ろう』と話した次の日に骨折【注2】。なえましたね。全く野球ができないし、1軍は勝っているし。『おれ、このチームにいらんなー』って。コーチに『試合を見て勉強しておけよ』といわれて『見てまーす』と答えたけど、見られなかった。今まで、なんやかんやで野球が好きやったけど、治るまでは好きになれなかった。  キャッチャーとDHは全く別のスポーツという感覚。疲労度でいえば、キャッチャーが10ならDHは2ぐらい。DHの日はガッとすぐに寝られるけど、キャッチャーの日はいろいろ(映像を)見返したりするし、アドレナリンが出て、しばらくボーッとしています。  今まで先輩とうまく野球の話ができなかったけど、今は意識せずに思ったことを言える。多和田さんは、あんまり何も考えていないので、考えているようなことを言っても意味がないな、とか。だから、試合中も『多和田さ~ん、頑張りましょー』みたいな。『あー、うん』みたいな感じでニヤついて終わり。  山川さんとはずっと、『優勝できそうとか思わんとこう』と話していた。昨年の終盤から山川さんと始めたアーリーワークは朝早くて嫌や、って思う日もあったけど、『駄目だ、やるぞ』って誘ってくれた。  同期でずっと一緒にやってきて、最初は自分の方が上だったけど、いつの間にか抜かれた。今は山川さんの方が目立っちゃっているし、自分ももっと活躍したいと刺激になっています。銀さん(炭谷)は入ったときから、今もずっと目標。正捕手を奪ったとか超えたとはまだ思わない。でも、今年に関しては少しはプレッシャーをかけられたかな。少しはライバルと思ってもらえているのかな。  打てる捕手として目標にしているのは巨人の阿部さん。正直言って、高校のときはプロのキャッチャーは何で打てないんやろ、と思っていた。でも、自分が入ってキャッチャーがメインになって、これは打てへんなと。それでも阿部さんはバッティングでも結果を残してきた。憧れというか、そういう選手になりたいッスね。 (西武ライオンズ捕手)  【注1】 4月18日の日本ハム戦、7月26日のオリックス戦、8月14日の同戦(いずれも二塁打)。シーズン3度は清原、松井らに並ぶ球団記録。  【注2】 昨年3月5日のWBC強化試合(対キューバ)で左肘に死球を受け、「左肘頭骨骨折」の診断を受けた。手術を受けずに保存療法を選択し、8月中旬まで復帰が遅れた。 ★この日の森  「7番・捕手」で先発出場。二回の第1打席は左飛に倒れたが、五回先頭の第2打席では、右翼線へ鋭い当たりの二塁打を放ちチャンスメークした。守っては先発マスクをかぶり、タイプの異なる4投手を粘り強くリード。敗れはしたものの、攻守で存在感を放った。

<パ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
西武
84522 0.618
(↓0.004)
優勝
(↑1)
5771
(+1)
636
(+4)
191
(-)
128
(+1)
0.273
(-)
4.27
(-)
2
(-)
ソフトバンク
76581 0.567
(↓0.004)
7
(-)
8641
(+1)
556
(+9)
191
(-)
78
(-)
0.267
(↓0.001)
3.97
(↓0.04)
3
(-)
日本ハム
71633 0.53
(↑0.004)
12
(↑1)
6569
(+4)
563
(+1)
137
(-)
87
(-)
0.251
(-)
3.79
(↑0.02)
4
(-)
ORIX
63725 0.467
(↑0.004)
20.5
(↑1)
3527
(+5)
556
(+2)
101
(+1)
96
(+2)
0.244
(-)
3.7
(↑0.02)
5
(-)
ロッテ
57723 0.442
(↑0.004)
23.5
(↑1)
11505
(+9)
570
(+1)
71
(+3)
119
(+2)
0.25
(-)
3.99
(↑0.02)
6
(-)
楽天
56793 0.415
(↓0.003)
27.5
(-)
5502
(+2)
570
(+5)
127
(+1)
62
(-)
0.241
(-)
3.84
(↓0.01)