ロッテ(★3対5☆)西武 =リーグ戦24回戦・ZOZOマリンスタジアム=
このエントリーをはてなブックマークに追加

 123456789
西武
01000100351111
ロッテ
1000010103900
勝利投手:小川 龍也(1勝0敗0S)
(セーブ:ヒース(3勝1敗10S))
敗戦投手:松永 昂大(2勝5敗0S)

本塁打
【西武】山川 穂高(43号・9回表3ラン)

  DAZN
◆西武が破竹の8連勝。西武は同点で迎えた6回表、中村の適時打で勝ち越しに成功する。その後は逆転を許すも、9回に主砲・山川の3ランが飛び出し、再びリードを奪った。投げては、4番手・小川が移籍後初勝利。敗れたロッテは、8回に福浦が通算2000安打を達成するも、勝利にはつながらなかった。

◆今季の西武はここまで131試合を消化して79勝50敗2分け。今日のロッテ戦に勝利すると両リーグ最速で80勝へ到達する。 西武でシーズン80勝以上となると06年以来、12年ぶり球団13度目。7連勝と勢いに乗る西武が節目の勝利を挙げられるか。

◆ロッテ福浦和也内野手が、日本プロ野球史上52人目となる通算2000安打の偉業を達成した。 8回無死、西武小川から二塁打を放ち大台に到達した。 97年にマリン球場で放ったプロ初安打から足かけ21年。93年のドラフト会議で最後の64人目(ドラフト7位)に指名された男が同じZOZOマリンで2000安打にたどりついた。 順風満帆ではなかった。習志野高時代、140キロを超える速球でならし、投手として入団したが、肩の故障で苦しんだ。そんな最中、山本功児元打撃コーチ(16年4月に他界)の勧めもあり打者転向を決断した。94年から3年間、1軍での出場はなかった。 のちに「幕張の安打製造機」と異名を取った広角打者の才能は、2軍での下積み時代に培われた。97年7月5日のオリックス戦でプロ初出場初安打。同年67試合に出場し一塁手でレギュラーの座をつかんだ。01年に打率3割4分6厘で初の首位打者を獲得。05年のバレンタイン監督政権下、不動の3番打者として31年ぶりの日本一に貢献した。 福浦は、06年まで6年連続3割をマークし球界屈指の好打者として君臨した。07年以降、腰痛など相次ぐけがに苦しんだ。1軍での出場試合数も徐々に減少した。98年から11年まで14年間、主力として100試合以上出場してきた福浦だが、16年はわずか36試合出場にとどまった。 それでも2000安打を目前にして、あきらめるわけにはいかなかった。満身創痍の体にムチを打った。12年からは苦難の道が続く。シーズン50安打に届かない安打数を大事に、1本1本、積み上げた。ロッテではもちろん、球界でも西武松井稼頭央と並ぶ球界最年長野手。42歳9カ月で達成した福浦が、42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ、史上2番目の年長記録で金字塔を打ち立てた。 ◆福浦和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日、千葉県生まれ。習志野高から93年ドラフト7位で投手としてロッテに指名された。入団後、肩の故障で打者に転向。初出場は、97年7月5日のオリックス戦(千葉マリン)に「7番・一塁」で先発。同試合でウィリー・フレーザーから初安打を記録した。01年に打率3割4分6厘で初の首位打者を獲得。10年に指名打者でベストナイン、03、05、07年に一塁手でゴールデングラブ賞を受賞。今季は内野手と1軍打撃コーチを兼任してスタートしたが、2000安打に集中するため5月にコーチ登録を抹消し、偉業達成に専念。183センチ、88キロ。左投げ左打ち。血液型B。

◆ロッテ福浦和也内野手が日本プロ野球史上52人目となる通算2000安打の偉業を達成した。球団では榎本喜八が1968年7月21日の近鉄戦で、1985年7月11日に有藤通世が阪急戦で達成して以来、33年ぶり3人目となった。 日米通算まで含めると井口が2013年7月26日に楽天戦で田中将大投手(現ヤンキース)から本塁打を放ち、達成している。 42歳9カ月で達成した福浦は、42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ、史上2番目の年長記録。

◆ロッテ福浦和也内野手(42)が、日本プロ野球史上52人目となる通算2000安打の偉業を達成した。8回の第4打席、西武小川から右越え二塁打を放ち大台に到達した。42歳9カ月での達成は、42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ、史上2番目の年長記録となった。過去2000安打以上放った選手は以下の通り。<1>張本勲(ロッテ)3085<2>野村克也(西武)2901<3>王貞治(巨人)2786<4>門田博光(ダイエー)2566<5>衣笠祥雄(広島)2543<5>福本豊(阪急)2543<7>金本知憲(阪神)2539<8>立浪和義(中日)2480<9>長嶋茂雄(巨人)2471<10>土井正博(西武)2452 <11>石井琢朗(広島)2432<12>落合博満(日本ハム)2371<13>川上哲治(巨人)2351<14>山本浩二(広島)2339<15>榎本喜八(西鉄)2314<16>高木守道(中日)2274<17>山内一弘(広島)2271<18>大杉勝男(ヤクルト)2228<19>大島康徳(日本ハム)2204※<20>新井貴浩(広島)2203 <21>若松勉(ヤクルト)2173<22>稲葉篤紀(日本ハム)2167<23>広瀬叔功(南海)2157<23>秋山幸二(ダイエー)2157<25>宮本慎也(ヤクルト)2133<26>清原和博(オリックス)2122<27>小笠原道大(中日)2120<28>前田智徳(広島)2119<29>谷繁元信(中日)2108<30>中村紀洋(DeNA)2101 <31>古田敦也(ヤクルト)2097<32>松原誠(巨人)2095※<33>松井稼頭央(西武)2088<34>山崎裕之(西武)2081※<35>阿部慎之助(巨人)2076<36>藤田平(阪神)2064<37>谷沢健一(中日)2062※<37>鳥谷敬(阪神)2062<39>江藤慎一(ロッテ)2057<39>有藤道世(ロッテ)2057 <41>加藤英司(南海)2055<42>和田一浩(中日)2050※<43>内川聖一(ソフトバンク)2043<44>小久保裕紀(ソフトバンク)2041※<45>荒木雅博(中日)2039<46>新井宏昌(近鉄)2038<47>野村謙二郎(広島)2020<48>柴田勲(巨人)2018<49>ラミレス(DeNA)2017<50>田中幸雄(日本ハム)2012 <51>駒田徳広(横浜)2006※<52>福浦和也(ロッテ)2000 【注】※は現役。所属は現役最終。福浦以外の通算安打数は2018年9月21日現在

◆ロッテ福浦和也内野手が、日本プロ野球史上52人目となる通算2000安打を達成した。93年ドラフト会議で最後の64人目に指名され、ロッテ一筋25年。偉業までの道のりを写真で振り返る。

◆22日の西武戦で通算2000安打を達成したロッテ福浦和也内野手(42)が、来季の現役続行を明言した。 達成後の会見で「来年もやるつもりです、まだまだ」と表明。 今後の目標について「井口監督を何とかマリンで胴上げしたい。僕自身もここマリンで、ファンの皆さんの前で胴上げしたい思いはあります」と話した。

◆ロッテ福浦和也内野手(42)が22日、西武戦で通算2000安打を達成した。 直後の会見では冒頭に「大勢のファンの前で、この千葉マリンで決められたのがうれしい。花束をもらった時とか、みんなにお祝いしてもらった時に実感がわきました」と話した。 二塁ベース上で、ともに球界最年長野手とし切磋琢磨(せっさたくま)してきた西武松井から花束を渡されたシーンを振り返り「同期入団で一緒にやってきて、同級生の前で決めたいと思っていた。喜びが倍増でした」と笑顔を見せた。

◆本拠地をチームカラーの白に染めたロッテファンの「フクウラコール」が鳴りやまない。練習中まで降った雨はやみ、西日が差し込んだ超満員のZOZOマリンで、ロッテ福浦和也内野手(42)が史上52人目の2000安打に到達した。 3打席無安打で迎えた9回無死からの第4打席。応援歌「俺たちの~フクウラ~」に乗って集中力を高める。2ストライク2ボールからの7球目、127キロのスライダーを右翼線に運んだ。両手を上げ、大歓声に帽子を取って応える。プロ入りも同じ年で、ともに球界最年長42歳の西武松井から花束を受け取って抱き合った。代走で交代すると、ベンチ前で全選手に迎えられた。球場のボルテージが最高潮に達する中、続く鈴木のバントが相手失策を誘い、勝ち越し点を奪った。 プロ25年目の今季は、残り38本からスタート。シーズン中は首痛にも悩まされた。6月3日から7月4日までは1カ月以上無安打と苦しんだ時期もあったが、満身創痍(そうい)の中、1本ずつ積み重ねてきた。 それでもチームは9回2死一、二塁から西武山川に逆転3ランを浴びて8連敗。福浦の節目を勝利で飾ることはできなかった。 井口資仁監督は「いろいろケガもあった中で、マリンで打ってくれた。今まで積み重ねてきたものをずっと見てきた」とたたえた。

◆ロッテ福浦和也内野手(42)が史上52人目の通算2000安打を達成した。 会見での一問一答は以下の通り。 -今の気持ちは 「大勢のファンの前で、千葉マリンで決められたのがうれしいです。花束もらった時とか、みんなにお祝いしてもらった時に実感が湧きました」 -重圧は 「僕自身はないと思っていましたが、毎回毎回声援がすごくて、ちょっとはプレッシャーになった」 -8回の打席は 「延長にならなかったら最後の打席になるかもしれなかった。何とか相手も西武で、同級生の松井稼頭央君もいたので、その前で達成したかった。やっぱり今日これだけたくさん見に来てもらったので、何とかあの打席で決めたいという気持ちは、いや、1打席目から決めたい気持ちはあったんですけど、なかなか打てなかったので最後に打てて良かったです」 -松井選手に花束を渡された気持ちは 「同期入団で、今まで一緒にやってきて。最年長野手で頑張ってきましたから。同級生の前で決めたい思いもありましたし。最初は花束持っていけないと聞いていたんですけど、今日来てもらったので、逆にまた喜びも倍増でした」 -チームメートからも笑顔で迎えられた。 「昨日ぐらいからファームの根元とか岡田とか荻野貴司とか。金沢とか。みんな見に来てくれてましたし、そういう人の前で打てたのも良かったと思います」 -地元のファンの前で達成できた点は 「監督もずっとZOZOマリンでと言われていたので、本当に僕自身も今週で決めたい気持ちあったんですけど、なかなかヒットも重ねられないで。何とか今日決めたい思いはありました」 -ファンへの思いは 「これだけいつも温かく、どんな時でも応援してくれるので、僕の中では力になってます。あれだけのファンの前で打てたのもうれしかったです。まさかここまで来られるとは思ってなかった。球団をはじめ、監督、コーチの皆さんが後押ししてくれて、選手のみんなも裏方さんもトレーニングコーチも、いろいろなたくさんの人に支えられて達成できたと思います」 -なかなか安打数が増えない時期もあった 「正直2000本は厳しいなと思っていた。本当にやれるとは思ってなかったですけど。ここまで野球を続けさせてくれた球団、監督に感謝したいなと思います」 -ケガとの戦いもある中で、福浦選手を突き動かしたものは 「いろいろな人の支えですね。監督もそうですし、コーチーやチームメートもそう。ファンの2000本という期待のためにも、気持ち、気力は感じてやってました」 -プロ生活25年 「毎試合、毎試合大事ですけど、プロ4年目、初めて1軍に上がってからここまで1打席も無駄にしないでやってきた結果だと思います」 -印象に残る安打は 「やっぱり今日ですかね。僕の中でもほっとした。プロ2打席目で初ヒット打った時もそうでしたけど、今日がやっぱり、これだけみんなが喜んでくれたので今日だと思います」 -今後は 「井口監督を何とかマリンで胴上げしたい。僕自身もマリンでファンの皆さんの前で胴上げしたことない。マリンで胴上げしたいという気持ちがあります」

◆西武小川龍也投手(27)が、7月に中日からトレード移籍後初勝利を挙げた。 チームは開幕以来となる今季2度目の8連勝で、優勝へのマジックを減らした。 小川は2-2の7回2死一、三塁のピンチで4番手としてマウンドに上がった。ロッテ角中を一ゴロに抑え無失点で切り抜けた。 しかし8回、先頭の福浦に2000安打目となる二塁打を許し、続く鈴木の犠打を悪送球して失点。移籍後、初めての失点(自責0)となった。 それでも9回、山賊打線が白星を呼び込んだ。山川の逆転3ランが飛び出し、土壇場で試合をひっくり返した。小川は西武での初勝利を手にしたが「ヒットを打たれたのは実力不足、エラーしたのは練習不足です。チームが勝てたことがよかった。(野手の)みなさんに助けてもらいました」と反省しきりだった。

◆西武の4番山川穂高内野手が、土壇場で試合をひっくり返した。 1点を追う9回2死一、二塁、カウント2-1からロッテ内の4球目、130キロのスライダーを左翼席へ運んだ。43号3ランで逆転勝利。8回にはロッテ福浦が2000安打を達成しており「アウェーのムードでしたが、自分のスイングをしてしっかり振ろうという考えだった。打った瞬間は、抜けてくれと思った。(スタンドに)入ってよかった」と振り返った。 辻監督は「見事だった。(犠打を失敗した)源田の分を取り返した。1点差なら、なんとかいける雰囲気がある」と明るい表情だった。 チームは、今季2度目の8連勝。山川は「最初から全部勝つと思ってやってはいないけど、1戦ずつ必死で戦った結果が、形になっている」と手応えを口にした。

◆西武の松井稼頭央外野手(42)が、同期の節目を祝福した。 8回、ロッテ福浦が2000安打を達成した際に、グラウンドで「おめでとう」と笑顔で花束を手渡した。 若手の頃から励まし合ってきた仲間で、現在は球界最年長野手としてプレーを続けている2人。同期だからこそ知る苦労もあり、松井は「西武戦で、そういう場面に立ち会えたらいいなと思っていた。目の前で(達成を)見ることができてうれしい。花束を渡せて、泣きそうになりました」と振り返った。

◆ロッテの主催試合で場内アナウンスを務める名物ウグイス嬢の谷保恵美さん(52)も、福浦の2000安打を祝福した。谷保さんの1軍デビューは91年8月で、今年6月には1500試合連続アナウンスを達成した"鉄人"だ。 前ロッテのサブロー氏が打席に入る際の「サブロ~~~」コールに加え、福浦の「ふくーら~~」もZOZOマリン名物。 大台にマジック1となった前日21日は、験担ぎに福浦がプロ初安打を放った97年7月5日のスコアブックを見返したという。 「ここで打った1本目から見ているので感慨深いです。オリックス戦だったんですけど、スコアブックを見たらイチローさんも出てました」と懐かしんだ。 「若い時から休みの日もいつも球場に来て練習してました。昔はここの上に事務所があったので、私もオフシーズンも行ったり来たりしてたんですけど、いつもいました。その姿を思い返すとジーンとしました」と感激していた。

◆1点を追う西武が、木村文紀外野手の適時打で1-1の同点に追いついた。 1点を追う2回2死一、二塁、カウント1-1からの3球目、ロッテ先発二木の134キロのフォークを捉え左前打を放った。二塁走者の栗山が生還し、同点とした。 木村の適時打は5月13日ロッテ戦(メットライフ)以来、約4カ月ぶりで「久しぶりのタイムリーでうれしいです。早い回で追いつくことができてよかったです」とコメントした。

◆福浦が22日の西武24回戦(ZOZOマリン)の8回、小川から右越え二塁打を放ってプロ野球52人目の通算2000安打を達成した。 初安打は97年7月5日オリックス14回戦(千葉マリン)でフレーザーから。球団では榎本(ロッテ在籍時に2276本→西鉄移籍)、有藤に次いで3人目。 ▼42歳9カ月での達成は和田(42歳11カ月)に次ぐ年長2位。実働22年目は谷繁の25年に次ぎ、田中の22年に並ぶ2位タイ。2234試合は谷繁2803試合、大島2290試合に次いで3番目のスロー到達。 ▼通算1500安打を放った09年5月2日から9年で達成。1500安打からの年数では谷繁、田中の7年を抜き、試合数でも806試合は谷繁の745試合を上回る難産だった。 ▼福浦の1軍デビューはプロ4年目。初出場が4年目以降の選手が達成したのは初めて。これまでデビューが遅かったのは大島、駒田の各3年目。 ▼福浦は93年ドラフト7位で入団。ドラフト制後の達成は35人目だが、ドラフト外(石井と秋山)を除くと7位指名は福本(68年阪急7位)に並び最も低い順位。福浦のようにその年の最終指名選手(93年は全体64番目)は初。 ▼2000安打達成時の通算盗塁10個は、阿部の13個を下回る最少と足は速くない。内野安打110本は達成時の左打者で阿部75本、川上103本に次いで少なかった。

◆雨上がりの空に歓喜の「ふくうら」コールがこだました。ロッテ福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の8回に右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は、15年に42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ2番目の年長記録。93年ドラフトの最終7位指名で入団した男が、ひたむきに25年をかけて偉業を成し遂げた。 滑り込んだ二塁上で思わず左こぶしを突き上げた。「ほっとしてる感じです。長かった-」。福浦は8回の最終打席、先頭で小川のスライダーを引っ張った。加速した打球が右翼手の横を抜ける。今は2人だけになった球界最年長野手、西武松井が花束を持って歩み寄ると、顔をくしゃっとほころばせた。祝福の時を、西日が柔らかく照らした。 「ここまでやれるなんて、誰も思ってなかったよ」。紙一重の野球人生を歩んできた。25年前、プロになれる選手となれない選手の境目にいた。ドラフト指名は64選手中64番目。呼ばれなければ社会人の大昭和製紙(静岡)に進むつもりだった。「でもそこの野球部、2年後に廃部になった。行ってたら今ごろ、紙つくってたかもしれない」。 入団当初は左投手。支配下選手最大の背番号「70」を与えられた。アリゾナキャンプでは選手で唯一、裏方さんと同部屋に。「スタッフ採用?」「裏方ドラ1」とささやかれた。最大の転機は1年目の初夏。打撃センスを買われ、山本功児2軍打撃コーチから野手転向を打診された。まだ投げたかった。半ば押し切られる形で受諾。「あれがなければ僕はいない。投手を続けたら今ごろ、(ロッテ社員で)お菓子つくってたかもしれない」。4年目で1軍戦初出場。母の病死を乗り越え、01年に首位打者を獲得して「幕張の安打製造機」と呼ばれるようになっても、順風満帆にはいかなかった。07年、右脇腹痛で6年連続打率3割が途切れた。振るのが怖くなった。「選手生命の危機なんて毎年感じてた。気力だよ」。今季も首痛に苦しんだ。衰えを受け入れ、フォームは毎年変えた。いつしか代打が当たり前と思っていた。今春、鳥越ヘッドコーチの言葉にハッとした。「まさか代打で出る気じゃないだろうな」。偉業後押しへ、井口監督も積極起用の方針を固めた。6月には1カ月無安打の時期もあったが、不屈の闘志でマクった。開幕前の残り38本は「ゼロ」になった。千葉に生まれ、千葉の高校から地元球団に進み、良いときも悪いときもロッテ打線をけん引してきた。歴代年長2位の42歳と9カ月。1500安打から9年を要し、25年の歳月をかけてマイルストーンを打ち立てた。「2000本に近づくたび、みんな『寂しい』って言うんだよ」。誰からも愛された。史上初の、ドラフト最下位からの「下克上」2000安打。次の目標は明確だ。「井口監督を何とかマリンで胴上げしたい。優勝をみんなで分かち合いたい。来年もやるつもりです、まだまだ」と現役続行を明言。「俺たちの福浦」の物語はまだ、終わらない。【鎌田良美】◆福浦和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日、千葉県習志野市生まれ。習志野ではエースで4番(甲子園出場なし)。93年ドラフト7位でロッテに入団し、1年目の94年夏に打者転向。4年目の97年に1軍初出場。01年首位打者。01~06年に6年連続打率3割以上。03年のシーズン50二塁打は01年谷(オリックス)の52本に次ぐ歴代2位。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞3度。今季は5月まで打撃コーチ兼任。183センチ、88キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸3500万円。

◆ロッテ福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の8回に右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は、15年に42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ2番目の年長記録。 -今の気持ちは 「大勢のファンの前で、マリンで決められてうれしい。無意識に二塁まで走って、ガッツポーズして、わけが分からなかったです」 -8回の打席は 「相手も西武で、同級生の松井稼頭央君もいたので、その前で達成したかった。同期入団で一緒にやってきた。喜びも倍増でした」 -なかなか安打数が増えない時期もあった 「正直2000本は厳しいなと思っていた。ここまで野球を続けさせてくれた球団、監督、コーチ、選手、裏方さん、みんなに感謝したいなと思います」 -25年目で達成 「プロ4年目で初めて1軍に上がってから、1打席も無駄にしないでやってきた結果だと思います」 -印象に残る安打は 「やっぱり今日ですかね。これだけみんなが喜んでくれたので」 -今朝家族との話は 「いつも通りです。昨日も見に来てくれてたので何とか達成できれば良かった。家族には謝りました」 -明日からの出場は 「疲れは正直あります。今年は最初コーチ兼任という形で、若い選手にもっといろいろ教えてあげたい気持ちもあります」 -一番やりたいことは 「嫁さんにまずは電話入れて。あとはショートメールもすごい数なので、きっちりみんなに返したい」 -安打とは 「難しい質問。引退までに考えておきます」

◆ロッテ福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の8回に右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は、15年に42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ2番目の年長記録。 ヤクルト小川監督(習志野高の先輩)「スカウトの時に習志野の3年生で、左投手だけど打撃も非常にいい選手で、リストに入れていた。ドラフト下位指名でここまで来るのは努力のたまもの。結果は気にしていました。あらためて、おめでとうと言いたいです」 ヤクルト大松(ロッテ時代の後輩)「いつ何時でも変わらぬ準備と、ひたむきに野球に取り組む姿に尽きると思います。僕もそういう姿をいつも追いかけながら、やってきました。1本でも多く安打を打ち続けてください」 巨人高橋監督(同じ千葉出身で同学年の福浦に)「一昨年、昨年、今年と頑張れという話をしてきた。立場は変わったが今年の春も『あと何本だ、いけそうだな』という話をしていた。夏前にはどうかなという感じだったから良かった」 巨人上原(福浦と同学年で昭和50年会を結成)「同級生として、うれしいです。簡単なことでない。50年会でLINEでつながっているので、おめでとうと打ちました」 オリックス西村ヘッドコーチ(ロッテで選手、コーチ、監督としてともに戦った)「うれしい。長い間、一緒にやってきた選手だから。努力が結びついた、いいお手本」 楽天今江「ロッテにいた頃は、福浦さんは常にヒットを打っているイメージでした。あの頃のロッテの野手は福浦さんの素晴らしいバッティングを見て育ちましたからね。その福浦さんが2000安打を打つまで苦労されているのを見て、改めてすごい記録なのだなと思いました。できれば、生で見たかったです」 楽天山下(習志野高の後輩)「いつもグラウンドであいさつをしに行くと、気さくにあいさつを返してくださる偉大な先輩です。前回、残り4本の時に2試合対戦した時は打って欲しいと思う半面、打たれたくないという気持ちで戦わせていただきました。少しでも近づけるよう僕も頑張ります」

◆ロッテ・福浦和也内野手(42)は22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の八回に西武4番手・小川から右越え二塁打を放ち、プロ野球52人目の通算2000安打を達成した。  「6番・DH」で出場した福浦はこの日、第1打席は中飛、第2打席は遊飛、第3打席は四球だった。先頭打者で打席に入った八回の第4打席、カウント2-2から鋭い当たりの打球を放ち、一気に二塁まで到達した。 二塁ベース上では、プロ野球同期の西武・松井稼頭央外野手に続き、ロッテ・井口資仁監督、角中勝也選手会長、同期入団の大塚明外野守備走塁コーチから花束、福嶋明弘打撃投手から記念のボードを受け取り、ファンの声援に応えた。

◆西武が逆転で今季2度目の8連勝を飾った。2-3の九回二死一、二塁から山川の43号3ランで試合をひっくり返した。4番手の小川に2年ぶりの勝利が付き、九回はヒースが締めて10セーブ目。ロッテは逃げ切れず8連敗を喫した。

◆プロ野球ロッテの福浦和也内野手(42)が22日、千葉市のZOZOマリンスタジアムで行われた西武戦の八回に小川龍也投手から右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2千安打を達成した。42歳9カ月での到達は2015年6月に42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ2番目の年長達成となった。  福浦は千葉県習志野市出身。千葉・習志野高から1994年にドラフト7位でロッテに投手として入団。1年目に野手に転向し、故郷のチーム一筋に25年間活躍してきた。 ロッテ・福浦和也内野手 「花束をもらい、みんなにお祝いしてもらった時に実感が湧いた。(ファンが)どんなときも応援してくれて、力になっている。千葉で生まれ、野球をやらせていただき、ZOZOマリンで達成できて幸せです」 ロッテ・井口資仁監督 「福浦らしいヒット。本拠地といういい形で達成してくれた。けががありながらも積み重ねていく姿をずっと見てきたのでうれしい。野球人生はまだ続くので、これからもしっかり頑張ってほしい」 ロッテ・角中勝也外野手(選手会長として花束を手渡し) 「泣きそうになった。本人もうれしいと思うけど、周りもすごくうれしい。体調面など試合ができる状態ではなかったと思うが、ファンのためにも打席に立ってヒットを打っていた」 楽天・今江年晶内野手 「ロッテにいた頃は福浦さんは常にヒットを打っているイメージだった。あの頃のロッテの野手は福浦さんの素晴らしい打撃を見て育った。その福浦さんが2000安打を打つまで苦労されているのを見て、改めてすごい記録なのだなと思った」 楽天・山下斐紹捕手(千葉・習志野高の後輩) 「2000安打を達成されて本当にうれしく思う。いつもグラウンドであいさつに行くと、気さくにあいさつを返してくださる偉大な先輩。これからは少しでも偉大な先輩に近づけるよう、僕も頑張ります」 西武・辻発彦監督 「心からおめでとうございます。2000本はすごい数字。あの年までこつこつやっているし、技術もいい」 西武・小川龍也投手 「自分は抑える気持ちで投げた。打たれてしまい、悔しさがある」 西武・松井稼頭央テクニカルコーチ兼外野手 「ファームのころからお互い励まし合いやってきた。本人の努力や、試合への準備がないと、この年までできない。花束を渡すこともできて、泣きそうになった。同級生の誇りです」 ロッテ・林信平球団本部長 「ロッテでは有藤さん以来のことで喜ばしい限り。派手ではないが、職人的でプロらしいプロ野球選手。いつまでやるかは自分で決めてくれたらいい。納得いくまでやってほしい」

◆ロッテ・福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の八回に右越え二塁打を放ち、プロ野球52人目の通算2000安打を達成した。  金字塔到達を祝い、二塁上の福浦に花束を持って駆け寄ったのは、ともに球界最年長野手としてプレーする西武・松井稼頭央外野手(42)だ。同じ1993年ドラフトでプロ野球への道を歩み出した同期。「おめでとう」と声をかけたときの福浦の万感の表情に「あれを見て僕も泣きそうになった」と思いをかみしめた。  自身は楽天時代の2015年にNPB2000安打を達成した。ともに名球会入りを果たした盟友を「満身創痍(そうい)のなかでね...。同級生の誇りです。ずっと刺激し合いながらやってきた選手。目の前で(達成の瞬間を)見られて、本当に良かったです」と祝福した。

◆西武の小川が中日時代の2016年以来、2年ぶりの白星を手にした。4番手で登板し、八回に福浦に通算2000安打となる二塁打を許すと、さらに鈴木のバントに自らの失策が絡み2-3と勝ち越された。  しかし直後の九回、山川に逆転3ランが飛び出し、勝利が転がり込んだ。福浦に浴びた二塁打を「悔しさがある」と振り返ったが、強力打線に救われ「皆さんに助けていただいた。チームが勝てて良かった」と胸をなで下ろした。 今井(6回5安打2失点) 「途中からセットポジションで投げて、徐々に安定してボールを低めに集められた」

◆プロ野球ロッテの福浦和也内野手(42)が22日、千葉市のZOZOマリンスタジアムで行われた西武戦の八回に小川龍也投手から右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は2015年6月に42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ2番目の年長達成となった。  通算2000安打を達成したロッテの福浦は飾らない言葉で心境を語った。  --大台に乗せた。  「正直、2千本というのは厳しいと思っていた。ここまでやれると思っていなかった。球団、監督、コーチ、選手、裏方さん、みんなが後押しをしてくれた」  --達成の瞬間の気持ちは。  「無意識に二塁まで走って、無意識にガッツポーズをしていた。自分でも訳が分からない」  --最近は故障を抱えながらのプレーだった。  「(周囲が)2000安打を期待してくれた。その思いに応えるために、気力でやっていた」  --一番、印象に残っている安打は。  「これだけみんなが喜んでくれたので、今日だと思う」  --今後の目標は。  「(本拠地球場の)マリンで、ファンの前で胴上げをしたことがない。ファンの前で胴上げがしたい」  --残りシーズンに向けて。  「最初からコーチ兼任でやっていたが、終盤は2000安打が懸かっていたので、周りも気を使ってくれた。若手にもっといろいろ教えてあげたい」

◆ロッテは救援陣が1点リードを守り切れず、土壇場の九回2死で逆転されて今季ワーストの連敗が8に伸びた。井口監督は「後ろを任せている2人で打たれたら勝てない。課題は多い」と険しい表情だった。  八回に福浦の通算2000安打目となる二塁打をきっかけに勝ち越し、3-2で迎えた九回、松永が連打でピンチを招くと、救援した内が2死一、二塁で山川に逆転3ランを浴びた。本拠地での7連戦は全敗で終わった。

◆1点を勝ち越して迎えた九回、松永が連打でピンチを招き、抑えの内が山川に逆転3ランを浴びた。井口監督は「後ろの2人で点を取られていては勝てない。今季は1点差で勝てない試合が多い。いろいろ考えないと」と配置転換を示唆した。打線の得点力不足も改善されず、8連敗で今季ワーストを更新。福浦の偉業達成があっただけに、後味の悪い結果となった。

◆本塁打を含む2安打で2000安打まで残り4本とした9日の西武戦(メットライフ)。試合後の福浦は「まだまだ。それより次に打ちたかった、あそこで打ちたかった...」と笑顔はなかった。  本塁打より、残り4本としたことより、第3打席の五回二死二、三塁で空振り三振を喫したことを悔やんだ。2月の春季キャンプで「残り何本になったら意識するか?」という問いにも、「10本...いや、1本かな」と答えていたから、この日の福浦の思いは手に取るように理解できた。  シーズンを通して、チームの勝利のために集中。「勝たないと意味がないよ」。安打を放っても、負ければコメントはたいていはこんなもの。なかなかに記者泣かせではある。だが、それがファンをひきつける裏表のない福浦の魅力のひとつだと感じる。 (ロッテ担当・芳賀宏)

◆ロッテの福浦和也内野手(42)が、22日の西武24回戦(ZOZOマリン)で史上52人目の通算2000安打を達成した。ルーキーイヤーの1994年から25年目。同期入団の3人が、福浦の快挙達成に至るまでを証言する。 ★ロッテ・小野2軍投手C  1年目のオールスター休みの浦和(2軍施設)でランチタイムだったと思います。山本功児(当時2軍打撃コーチ)さんから「2人とも打撃いいんだよな? ちょっと打ってみろ」と言われたんです。そろって投手として"駄目"の烙印(らくいん)を押されたような感じでした。福浦は室内で打撃練習もしていて、快音を残しました。  そこが分岐点。和也は打者の道を選び、僕はそのまま投手をやるしかなかった。そこから20年以上。早く達成してほしいという思いでした。僕は引退してから、それだけが楽しみだったようなもの。彼が試合に出始めた頃も知っているし、よく打つようになっても努力する姿は変わらない。準備への意識が高い。オフのトレーニングとか、やるべきことを分かって続けている。  僕が引退するとき、引退会見で花束を渡してくれたんです。鳥肌が立って、こみあげてきた。まさか、この2人が20年以上もやるとは誰も思っていなかったと思います。 (2013年現役引退、現2軍投手コーチ) ★立川氏  僕は拓大紅陵高で、同じ千葉で福浦をもちろん知っていました。それが同じロッテに入って...。福浦は投手時代から2軍で右翼へポンポンとほうり込んでいました。  コーチが代わったりして、言われることが違うこともある。福浦はその中でも信じたものだけをやっていく。試して駄目ならすぐに切り替え、いいものだけを取り入れるんです。いろいろな人のまねもしていました。最初は小久保(裕紀)さん、江藤(智)さんとか。右打者のイメージを取り入れていました。  寮では野球ゲームをよくやりました。めちゃくちゃ強いんです。楽しい時間でした。僕がやめるときは「もっと一緒にやりたかった」と言ってくれて。今も変わらず話しかけてくれる、それがうれしいですね。 (03年現役引退、現野球解説者) ★福嶋明弘氏  当時は線の細い選手でしたけど、ウエートトレーニングなど努力をしていた姿は印象的です。1軍に上がってからは、よくスコアラー室にビデオを見に来ていました。  若いスタッフも含め、よく食事に誘ってもらいます。最後は決まって野球の話。まじめな男です。50歳にもなると、なかなか意見してくれる人がいなくなる中、年下ですけど「疲れていても、あんな態度をしていたら駄目だよ。若手が見ているから」なんて言ってくれたり、ためになることも多いです。  今季は複雑な思いで見ていました。早く達成して楽になってもらいたいと思う一方、安打のたびに寂しい気持ちに...。1年でも長くやってほしいとは思っています。 (1993年に近鉄で現役を引退、打撃投手としてロッテに加入の"同期")

◆ロッテ・福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の第4打席に右翼線へ二塁打を放ち、プロ野球52人目となる通算2000安打を達成した。  --どんな思いで打席に  「同級生(同学年)で野手最年長の松井稼頭央の前で達成したかった」  --ガッツポーズ  「無意識で二塁まで走って、無意識でとっさに気持ちが出たんでしょう」  --応援もすごかった  「どんなときも温かくて力になった。ZOZOマリンで、あれだけのファンの前で打ててうれしかった。千葉で生まれて、ここで達成できて幸せです」  --プレッシャーは  「ないと思っていたが、毎回、声援がすごくてちょっとはあった」  --25年を振り返ると  「まさかここまで来られると思っていなかった。球団、監督、コーチ、裏方さん、選手...たくさんの人に支えられ、野球を続けさせてくれたことに感謝です」  --達成の要因は  「1打席も無駄にしないでやってきた結果」  --家族に報告は  「まず嫁さんに電話しないと。昨日も見に来てくれていて打てなかったので謝りました。きょう出てよかった」

◆松井が通算2000安打となる二塁打を放った福浦のもとへ花束を手に駆寄った。同じ1994年入団で球界最年長野手としてプレーし、普段は「福ちゃん」と呼ぶ親友は「ずっと刺激し合いながらやってきた。僕も泣きそうになったよ」。自身は楽天時代の2015年に日本通算2000安打を達成し、名球会の後輩を「満身創痍(そうい)の中でね...。同級生の誇り」とたたえた。

◆西武は22日、ロッテ24回戦に5-3で逆転勝ちし、今季2度目の8連勝で両リーグを通じて80勝一番乗り。優勝へのマジックナンバーを1つ減らして「7」とした(最短Vは27日)。1点を追う九回二死一、二塁から4番・山川穂高内野手(26)が本塁打王争いを独走する43号3ラン。連勝中の山川は6本塁打の活躍で、『獅子おどし打線』を牽引(けんいん)した。  レジェンドの偉業達成に盛りあがる球場を、山川がひと振りで沈黙させた。同じ「KY」でも、「空気を読めない」ではなく、「必ず優勝」だ。  「アウェー感しかない完全にあっちの流れだったが、自分のスイングをしっかりしようと思っていた」  ロッテ・福浦の通算2000安打を足掛かりに勝ち越しを許し、迎えた九回二死一、二塁。内の浮いたスライダーをしっかり呼び込み、左翼席に運んだ。本塁打王争いで2位・柳田(ソフトバンク)に9本差をつける43号3ラン。ここ8試合で6本塁打、14打点の大暴れだ。  主砲には確信があった。当初は9連戦(20日のロッテ戦は雨天中止)のスタートだった14日のの楽天戦(メットライフ)の前、夫人の麻衣子さんに「9試合で6本打つ!」と宣言した。「そんな感じがしていた。8試合で6本になったけど、本当に打ててよかった」。17日の敬老の日に合わせ、本拠地での試合には沖縄・久米島から母方の祖父・仁和(じんわ)さんと祖母・幸子さんらを招待をしていたこともあり、不思議な力を感じていたのだという。  チームも勝負どころで開幕直後(3月30日-4月8日)以来となる8連勝。10年ぶりのリーグ制覇へのマジックナンバーは「7」となった。  「僕は気にしていないです。どんな状況でも、その日打つことしか考えていない」と山川。迷いのないスイングに導かれ、獅子が問答無用の強さで頂点へ駆け上がる。 (佐藤春佳) 福浦に通算2000安打目を許した西武・小川  「初対戦で抑えるぞという気持ちで投げた。おめでたいのもあるが、打たれた悔しさもある」

◆ロッテ・福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の第4打席に右翼線へ二塁打を放ち、プロ野球52人目となる通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は、史上2番目の年長記録。投手として入団してからロッテ一筋25年、相次ぐけがと戦いながらバットを振り続けてきた"幕張の安打製造機"は、不屈の闘志を示し、本拠地で満願成就。野球に対する真摯(しんし)な姿勢を貫いてきた男は、来季も現役続行を宣言した。  鮮やかにミートした打球が、右翼線を抜けていった。八回。応援歌『俺達の福浦』を絶叫していた幕張のスタンドは、その瞬間に大歓声へ。そして、いつもは淡々とベースを駆け抜ける男が、珍しくガッツポーズだ。  「これだけ多くのファンの前で打てたのが何よりうれしい。初安打もそうだけど、きょうはみんなが喜んでくれたので、この安打が一番ですね」  無安打で迎えた第4打席。通算2000安打は、388本目の二塁打で達成した。懸命に走って達したベース上でヘルメットを取り、声援に応えると、最初に祝福に現れたのは同学年の西武・松井稼頭央。そして井口監督、選手会長の角中らから花束を贈られた。  うっすらとしたひげ面に年輪が刻まれたプロ25年目。1993年のドラフトで習志野高の投手としてロッテの7位、全12球団で最後の64番目に指名された。憧れた地元・千葉の球団に入団も、すぐに肩を故障。転機となったのは1年目のオールスター休み期間だった。  当時2軍打撃コーチの山本功児氏(故人)に「打撃練習をやってみろ」と声をかけられた。同期の小野晋吾(現2軍投手コーチ)は打者転向を断ったが、福浦は「打撃も好きだったから」と快音を連発。約2カ月、悩んだ末に打者への転向を決めた。「やるしかないと腹をくくった。(山本)功児さんがいなければ今の自分はない。感謝しかない」と振り返る。  まさに職人といえる独特な打撃フォームで、2001年には首位打者に輝き、04年に1000安打、09年には1500安打を達成。しかし、1501安打目からの500安打は9年4カ月、806試合を要し、史上最も遅いスピードとなった。その野球人生は、けがとの戦いでもあった。  腰、首...。細い体をウエートトレーニングで鍛え過ぎたのが裏目に出た。07年には脇腹を痛め「バットを振るのが怖くなった」。以後、ケアを重視するように変えた。  前日22日にあと1安打として迎えたこの日も、首は悲鳴をあげる寸前だった。「本人も厳しいと言っていた」と明かすのは井口監督。それでも、昭和50年生まれの42歳は「2000安打までは打ちたい」という強い意思で、痛みを押し殺して偉業へと歯を食いしばった。23日に出場選手登録を抹消され、シーズン終盤の復帰を目指すが、体は限界だった。  「とにかくZOZOマリンで、みんなの前で打ちたかった。延長にならなければ、最後の打席。打ててよかった」と執念の一打を放った。  悲願の大記録達成に「正直、少し休みたい」と、本音ももれた。だが福浦は「次は井口監督をZOZOマリンで胴上げしたい。来季も(現役で)やるつもりでいます」と高らかに宣言した。 (芳賀宏) ★福浦2000安打アラカルト  ◆史上52人目 ソフトバンク・内川聖一に次ぎ、52人目。初安打は1997年7月5日のオリックス戦(千葉マリン)で、フレーザーから中前打。  ◆初安打は入団4年目 2000安打到達者で初安打が4年目だったのは南海・野村克也、日本ハム・大島康徳、横浜・駒田徳広の3年目を上回り、最も遅い。  ◆年長2番目 42歳9カ月での到達は中日・和田一浩の42歳11カ月に次ぐ。中日・谷繁元信の42歳4カ月を上回った。  ◆2234試合で到達 谷繁の2803試合、大島の2290試合に次いで3番目に遅い。  ◆残り500安打に9年超 2000安打到達者で1500安打の到達スピード(1428試合)は25番目だが、1501安打から2000安打までは9年4カ月、806試合。年数で日本ハム・田中幸雄の7年1カ月、試合数で谷繁の745試合を上回った。  ◆有藤以来3人目 ロッテ(前身を含む)の生え抜きで2000安打以上は68年の榎本喜八(2276安打)、85年の有藤道世(2057安打)に次いで33年ぶり3人目。  ◆ドラフト7位から ドラフト制となった66年以降、7位で入団した選手の達成は83年の阪急・福本豊(69年入団)と並んで最も低い順位。  ◆相手は 最も多く打った投手は西口文也(西武)からで37安打。続いて帆足和幸(西武など)の26、星野順治(ダイエー)の25。

<パ・リーグ順位表推移>

順位チーム名 勝数負数引分勝率首位差残試合 得点失点本塁打盗塁打率防御率
1
(-)
西武
80502 0.615
(↑0.003)
M7
(↑1)
11749
(+5)
615
(+3)
181
(+1)
123
(+2)
0.276
(-)
4.35
(↑0.02)
2
(-)
ソフトバンク
72551 0.567
(↑0.004)
6.5
(-)
15617
(+6)
528
(+4)
184
(+2)
77
(-)
0.268
(↑0.001)
3.96
(-)
3
(-)
日本ハム
68593 0.535
(↑0.003)
10.5
(-)
13554
(+5)
549
(+1)
135
(+1)
84
(-)
0.253
(-)
3.89
(↑0.02)
4
(-)
ORIX
60695 0.465
(↓0.004)
19.5
(↓1)
9504
(+4)
533
(+6)
97
(+2)
91
(-)
0.243
(↑0.001)
3.7
(↓0.02)
5
(-)
ロッテ
54703 0.435
(↓0.004)
23
(↓1)
16479
(+3)
548
(+5)
64
(-)
114
(-)
0.25
(-)
3.97
(↓0.01)
6
(-)
楽天
54743 0.422
(↓0.003)
25
(↓1)
12477
(+1)
543
(+5)
121
(+1)
61
(-)
0.241
(-)
3.87
(↓0.01)